阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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騒乱の終結

「なんの用だ」

 

 血糊を払い、信綱は手近な崖に跳び移って口を開く。

 下に見える赤黒い血の海は、彼が妖怪を殺していないからこそ見られる光景だ。

 本当に死んでいるのなら血も肉も全て塵に還ってしまい、残るのは服や武器だけとなる。

 

 そう考えれば、血だらけの肉塊がうごめいている光景はまだ手心を加えた方なのだ。

 文はそれを知ってか知らずか、口を引きつらせているが。

 

「……ここまで何人斬ってきました?」

「さあな。途中で再生した奴らも斬ってきた。正確な数字は知らんが、二十、三十、ひょっとしたら五十程度だろう」

「程度って……」

 

 行儀よく一対一の戦闘が続いたわけでもないだろう。にも関わらず信綱は返り血一滴浴びず、傷もついていない綺麗な姿のままで、息すら切らしていない。

 霧の異変の時とはまるで別人だ。椿は確かに烏天狗の中では腕が立つ方だったが、それにしたって同族をまとめて相手取れるかと言われたら無理がある。

 今の彼と戦ったら、自分でさえ危ういかもしれない。文は天魔の言葉が正しいことを実感すると同時、眼前の信綱に対する恐れを深めていく。

 

 僅か四人で鬼を征伐せしめたかつての英雄と、この男はほぼ同種だ。

 運命か何かの悪戯としか思えない存在。増長した妖怪を殺し尽くす、蹂躙された人々の願いの具現。

 

(放置したら間違いなく手が付けられなくなる。天魔様は見抜いておられるのでしょうか……)

 

 下手に野放しにしていると、彼の牙は自分たちに向くかもしれない。それがわかっていて天魔は信綱への協力を決めたのだろうか。

 いいや、自分が感じる程度のことを天魔が気づいていないはずがない。飄々としているようでいて、その実誰よりも知慧を張り巡らせる人だ。

 自分を遣わせたのだって何かしらの意図があるだろう。それを独断で放り投げるには、この男は危険が多すぎる。

 藪をつついて蛇を出すどころではない。藪をつついて鬼が出るようなものだ。

 

 この時、文はようやく天魔の言葉の意味を理解した。

 すなわち――自分の言葉が天狗の代表である、ということだ。

 迂闊な言動は彼からの敵認定を受けかねない。これを受けるということは、天狗にとって大打撃を受けるに等しい。

 すでに烏天狗を数十人、無傷で無力化に成功している。その気になれば殺すことも容易いだろう。文も手傷は負わせられるだろうが、勝てる光景までは描けない。

 

 椿を討った時の彼はまだ厄介な相手というだけの印象だったのに。いつの間にか手が届かない領域に至っている。

 人間の成長速度はどれだけ恐ろしいのか。幻想郷が外界と隔離されて以来、初めて文が人間に心からの恐れを抱いた瞬間だった。

 

「どうした、何か言え」

「あ、ああ! いえいえ、お困りでしたら協力するようにと天魔様から命令されてまして! えっと、御阿礼の子はどこに?」

「……安全な場所だ。とりあえず俺に向かってくる天狗を斬っていたらお前が来た」

「あやや、そうでしたか。とにかく合流できて何よりです」

「…………そうだな」

 

 信綱の文を見る目は鋭く、冷たい。変な素振りを僅かでも見せたら、その時が文の最期になるのがありありと読み取れた。

 限りなく黒に近い灰色という認識なのだろう。こちらが対話の姿勢を示しているから攻撃はしないだけで、文は実に危うい綱渡りを強いられているのがわかった。

 

「ともあれ、これからどうされます? 天魔様からはあなたの意向に従うように言われました。今この一時、あなたが私の翼の主です」

「……大きく出たな」

「それぐらい天魔様はあなたを重要視されていると思っていただけると」

「…………」

 

 文の申し出に信綱は思考の姿勢を見せながら、崖をヒョイヒョイと跳んでいく。

 天魔や文らが信綱に対して持っている情報の程度と、実際に信綱が握っている情報量の差異を考えているのだ。

 

 まず、椛の存在にたどり着かれることは絶対に避けたい。千里先を見通す能力も、阿弥を預けても良い人間性も、信綱にとって奇跡とも呼べる存在なのだ。

 彼女がいるから阿弥を預けたまま戦う選択ができ、なおかつ目的の相手の元までほぼ一直線に向かえる。

 バカ正直に支配派の大天狗の元に向かっていますと言えば、天魔なら容易に自身と繋がっている天狗の存在にたどり着くはず。

 かといって阿弥の安全確保のために闇雲に戦っていたと言っては、文を阿弥の元に連れて行かない理由がない。文は阿弥が今、一人で震えていると思っているはずだ。

 

「……ありがたい。こちらも合流したいと思っていたところだ。なるべく派手に攻撃していれば、いずれ気づいてもらえるだろうと考えて、わざわざ殺さないでおいたのが功を奏したか」

 

 色々と考えた結果、とりあえず文の協力は快く受けることにした。味方をすると言っているのだから、無下にするのは余計な疑いを持たせるだけだ。

 受容、拒絶、どちらを選んでも痛い腹の探り合いになる。だったらせめて使える手足が増える方がマシである。

 椛がもう一人いれば間違いなく彼女を選んでいた。あいつ、分裂したりしないだろうか。

 益体もないことを考えながらも、足は動いていく。天狗を殺していないため、あまり一処に留まれないのだ。

 

「――阿弥様の安全が最優先だ。そのためにも俺はこの争いを一刻も早く終わらせることが最善と判断した。何か異論はあるか」

「いえ、ありません。正直、何が正しいかなんて終わってからでしかわからないでしょう」

「そうだな。こうして話す時間も惜しい。――此度の騒動の首魁を教えろ。その首を以って終わらせる」

 

 口ではそう言っておく。ほぼ一直線に動いていたこともまだバレてはいないだろう。もし何か言われても敵の来る方角に向かっていたと言えばごまかせる。

 それに争いの元はさっさと倒してしまうのが一番であるとも考えているので、全部が全部嘘というわけではない。脅威から逃げるより倒してしまった方が良いのは当然の話だ。

 

「え、えぇ……本気ですか?」

「お前に嘘をつく理由があっても、冗談を言う理由は見当たらんな」

 

 それに勝てるかどうかが問題ではない。御阿礼の子を害して、御阿礼の子が倒してくれと願った。

 ならば信綱のやるべきことなど決まっている。あらゆる手を尽くして敵は排除する。それだけの話だった。

 

「……正確な場所までは掴めてませんが、恐らく頂上付近の屋敷にいるかと」

「そうか。だったら山の上を目指せば良いわけだ」

 

 崖を登り切り、信綱は空の上からまたやってくる烏天狗の群れを見据える。

 文もいることによって、こちらに群がる敵の数はさらに増えたように感じられるが――所詮は雑兵。

 

「お前は距離を取るやつを狙え。向かってくるやつは全て俺が受け持つ」

「……あんまり殺さないでくださいよ? 意見の相違で争っているとはいえ、同僚なんで」

「お前たちを敵に回す趣味はない」

 

 組織に属している存在はこれが面倒くさい。個人で見れば殺した方が圧倒的に楽でも、殺せない場合が出てきてしまう。

 信綱を狙うということは、阿弥に対して悪影響を与えるということだ。その時点で皆殺しにしたいくらいなのだが、すると後が面倒くさい。

 短絡的に動いて阿弥が悪い状況になることは最も避けねばならない。

 

「はっ!!」

 

 上空からの急降下。そこから繰り出される脳天目がけた神速の突き。天狗の速力が存分にこもったそれは、人間など容易く粉々に砕く暴威を持つ。

 しかし信綱は左の刀で弧を描いて容易く受け流す。

 目を見開く天狗に、こいつは俺が斬った奴ではないなと思いながら、ひねった身体の反動を利用した右の長刀で胴を薙ぎ払う。

 

 信綱が一度でも斬り、そして身体を再生させた天狗は皆距離を取りたがる。おかげで倒すのが少々面倒になりつつあった。文が来てくれたのはなんだかんだありがたい。

 思考と肉体は分離し、肉体は正確無比に動いて上半身と下半身が分かれたところに斬撃を奔らせ、手足をさらに飛ばして首も落とす。

 これに心の臓も破壊すると、これまで撒き散らした臓物や血反吐が綺麗に消えてくれる。

 

 が、時にこれらは殺さない方が役立つ場合もある。信綱はバラバラにした烏天狗の上半身を長刀で引っ掛け、向かってくる烏天狗に放り投げた。

 

「そら、傷つけたら死ぬかもな」

「っ!?」

 

 仲間を投げられ、避けるか受け止めるかで迷う烏天狗。その一瞬があれば、信綱は相手の無力化ぐらい容易に行える。

 投げられた胴体に隠れて一息に天狗の側面まで移動。驚愕に顔を染める前にその首に刃を通す。

 血しぶきが舞い、周囲を赤く染めていく――前にその柔らかい腹を蹴り飛ばしてしまう。

 自分の衣服に血がつくと、帰ってきた時に阿弥に心配されかねない。

 

 瞬時に二体を無力化し、次の獲物を見据える。空からは信綱を狙った天狗が天狗火や天狗礫。天狗団扇を使った疾風などが準備され――

 

「役目を果たせ」

「はいはいっと! 幻想郷最速を自負するこの私、射命丸文におまかせあれ!」

 

 自称か、と内心でツッコミを入れる。どうも妖術には予備動作があるらしく、何度か見ていたので何がどんな予兆なのか完璧に読み取れるのだが、対応が面倒なのは変わらない。

 なにせ信綱には遠距離攻撃の手段が皆無だ。剣で近づいたものを斬れば良いという思考しかなかったので、こういった開けた場所で空を飛べる相手と戦うのは不利極まりなかった。

 

 まあ――不利なら不利でやりようもあるのだが。

 

 文は見たところ並の烏天狗とは一線を画する速力を利用した打撃重視の戦い方だ。時に天狗団扇の柄で、時に体術で。

 風すらも置き去りにする速度で空を自由に動く彼女は、術を組もうとする天狗を阻んではその風で地に堕としていく。その速度たるや一陣の風、または彼女の言う通り、幻想郷最速が嘘ではないと思ってしまうほどのもの。

 

「なんだ、意外とやるじゃないか」

 

 地上に来た天狗を一掃した信綱は軽い驚愕とともに空中の文を眺める。

 信綱みたいにさっさと斬ってしまえば手っ取り早いのだが、それをしないのは彼女なりの矜持か、はたまた同族への配慮か。

 左の刀を適当な天狗から奪った刀に変えていると、文が地上に降りて山頂の方角を指差す。

 

「こちらに行けばもうすぐです。意図してかは知りませんけど、あなたはかなり騒動の中心部分まで来ていたんですよ」

「そうかい。……天魔は来るのか?」

「わかりませんけど、指揮官がホイホイ来ることはないと思いますよ?」

 

 それを言ったら信綱はどうなるのか。有事の際の指揮官も兼ねている信綱は、微妙な顔で文の言うことにうなずく。

 

「……初めて天魔がうらやましく思える」

「? 何かありましたか?」

「……なんでもない」

 

 やっぱあいつは敵だ、と信綱は些か以上に私心の混ざった思いを天魔に抱くのであった。

 

「時に。俺は首魁を殺すとは言っているが、お前たちはそれで良いのか?」

「私はあなたに助力するよう言われましたし、天魔様もあなたが動くことを予測されていたようです。まあ、これだけの騒動を起こした相手ですから、私が先についても天魔様が先についても、結末は同じかと」

 

 要するに処分は不可避なので、誰がやっても同じということだ。

 文もその場に居合わせたら信綱と協力して大天狗を無力化、ないし討伐する必要が出てくる。

 この騒動だけならまだ降格処分ぐらいで済まされたかもしれないが、天魔を暗殺しようとした一件は擁護できない。

 禅譲ではなく放伐を行おうとした時点で、失敗すれば死ぬ定めは確定している。

 

「…………そうか」

 

 文の答えに軽く首肯しつつも、信綱は今しがた生まれた疑問が頭を占めていた。

 信綱が大天狗を殺す大義名分ができたのはまあ良い。どうせあってもなくても阿弥を害した時点で殺すことは決定しているが、それによって生まれる確執は少ないに越したことはない。

 

 

 

 だが、動くことを予測していたとはどういうことだ?

 

 

 

 自分がこうして戦いに赴いているのは、阿弥を預けられるほど信頼できる天狗の椛がいるからこそ。いなければさっさと退却するつもりだった。

 戦うことが予想されていた? ということは――そもそも何かあることに気づいていた? 支配派が動くことを見抜いていたというのか?

 疑問が思考を加速させ、加速した思考が天魔への疑惑を深めていく。信用はこれっぽっちもしていないが、同時に天魔という存在が決して軽視してはならない相手だという点においては、彼を信頼していた。

 いや、そもそも――支配派の不満が溜まっていることはわかっていたと言っている。そこに自分たちという火種を入れれば何かしらの行動があることくらい、彼ならわかるだろう。

 

「…………」

 

 無言で文を見やる。天魔は信綱たちが危険な目に遭う可能性を感じながら黙認したのなら、彼女はどこまで天魔の事情を知っているかが問題だ。

 信綱へ恩を売るため、純粋に助力だけをするのか。それとも信綱が不穏な動きを見せた場合の監視役なのか。

 恐らく両方。信綱が何かしない限りは味方であり続けるが、それが終わった場合は容易く敵に回る。

 

 最悪の場合、大天狗を倒した後に天魔と文を相手取る必要性が出てくる。自分はまだしも、阿弥を危険に晒した時点で抹殺対象だ。

 真偽を確かめねばならない。今、阿弥のためにやるべきは無傷で大天狗を殺すことだ。天魔たちを討つことはまた別の話。

 

「あやや? 私の美顔に見とれてどうされました?」

「……お前を見ていると椿を思い出すから鬱陶しいと思っただけだ」

 

 不思議そうにする文に、あながち嘘でもないでまかせを言う。

 文は椿と違って飄々としているっぽく見せているだけだし、根っこの方もぶっ飛んでいないが、なぜか見ていると椿を思い出すのだ。

 風を操り自由に空を舞う彼女の姿に、幼い頃に見た椿を幻視したのかもしれない。

 

「ふむん? 私と彼女、そんなに似てます?」

「……ふん、気の迷いだろうよ。それより急ぐぞ」

 

 過去の椿を美化して、文に重ねたなど言えるはずがない。

 そんな愚かなことを考える暇があるなら、これから刃を交える大天狗に対しての予測でも立てていた方が余程マシだ。

 信綱は文の先導を受けながら道中の敵を時に翼を斬り、時に首を落とすことで退けながら、大天狗の邸宅へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 翼が疼く。

 大天狗は一人、邸宅にて盃に酒を注ぐ。

 この家には自分と志を同じくする者たちが集まっていたが、すでに皆出払っている。

 戦況は劣勢。遠からず天秤は天魔の側に傾き、自分は反乱の首謀者として死が与えられるだろう。

 

 翼が疼く。

 それ自体に文句はない。人間とは容易くうつろい、愚かで、過去から何一つ学ばない愚劣な生物だと大天狗は心から思っていた。

 故に優れた種族である天狗が支配し、導くことが人間たちの脆い幸福を永遠のものとして、なおかつ天狗の栄華も享受できる唯一無二の方法だと信じた。

 対話と嘯きながら、今なお人里に救援の一つも寄越さない、結局のところ人間を軽視しているのは自分たちと大差ない天魔に天狗を任せることはできないと感じたのだ。

 しかし負けたとあらば是非もない。時代は勝者が作るものであり、敗者は悪として消え去るのみ。選んだ道に後悔はないが、続かないことは残念だ。

 

 翼が疼く。

 だからこその反乱。

 もっと早くに天魔が道を定めていれば、これほど不満を持った天狗は集まらなかった。不満を見抜いていながら人間を招き入れるなどという博打をしなければ、ここまで騒乱の規模が膨れ上がることもなかった。

 とはいえ趨勢は決まりつつある。もう戦力として動ける天狗も少ないだろう。彼らがいかに奮闘したところで、大きな流れを変えるほどにはなるまい。

 

 翼が疼く。

 もはや過ぎたことに興味はない。天狗の行く末も、残った敗残者の始末も、勝者が好きにすれば良い。その場に自分はいないだろう。

 ああ、だが、一つだけ。ただ一つだけの心残りがあるとすれば――

 

 翼が疼く。

 盃に注ぐ酒は生涯で最も強く、最も上等な酒だが、あの日以来胸にくすぶる熾火を忘れさせるには至らない。

 足音が耳に届く。配下の天狗ではないだろう。道を知らず、ところ構わず剣で切っていればいつか目的の相手に会える。そんな動きだ。

 ――待ち侘びた。

 

 眼前の襖が切り開かれる。斜めに覗くその存在――二刀を携えた人間を目にした時、すでに完治している翼の付け根が燃えるように熱を持つ。

 

「お前が首魁か」

 

 言葉は短く。目は無為無価値を高らかに謳い、大天狗の存在意義、理由、全てを考慮しないことが一目でわかる。

 

「――いかにも」

「そうか。――死ね」

「貴様がなぁっ!! 小僧!!」

 

 背に回してある大太刀を振り上げる。天狗の膂力、速力、大天狗として持ち得た力を存分に使った一撃。

 斬撃の圧に畳が耐えかね、人間――信綱に届く前にその身体がぞぶりと裂けていく。

 その必殺の攻撃を、信綱は未来でも見えていたとしか思えない反応で距離を取り回避する。

 ああ、この時だ! この瞬間だ! この刹那を待っていた!!

 

「お前が来るのはわかっていたぞ……! 翼の疼きが酒精でごまかせぬほどになっていた! あの日の屈辱、一瞬足りとも忘れてはおらん!!」

 

 今まで語ったこと――全てが建前だ。

 天狗の行く末を憂いていたことも、叶うならば自らが天狗を導いていきたいと思ったことももちろん、嘘ではない。嘘ではないが、眼前の怨敵には及ばない。

 

 結局のところ――あの日、翼を斬られた怒りと狂気だけがこの大天狗の原動力だったのだ。

 

 そんな数百年、ひたすらに煮詰め続けた怒りと憎悪を信綱は涼しい顔で受け止め、くだらないとばかりに大仰なため息を吐く。

 

「ふん。たかだか数百年前の怒りだろうが、つまらん」

 

 なにせこちらは阿礼狂い。稗田阿礼の時からひたすら彼女たちに狂い続けてきた一族。

 短い人の一生を狂気の只中で過ごし、次代に継承し続けてきたのだ。

 密度が違う。深度が違う。長さが違う。一人の存在が数百年恨み続けた程度(・・・・・・・・・・)で阿礼狂いと同等など自惚れに過ぎる。

 いいや、そもそも敵と認めたならばさっさと殺すべきなのだ。問答など馬鹿げている。

 

「――チッ」

 

 文がいないのが面倒だ。彼女は信綱と文の二人で進む途中で引っ掛けまくった烏天狗たちの対応に追われている。味方が近づいているとも言っていたので、しばらくすれば増援も来て終わりだろう。

 おまけに刃を交えてわかった。この大天狗、相応以上に腕が立つ。このまま戦えば勝てるだろうが、かすり傷の一つぐらいは負うかもしれない。

 

 この大天狗の死はすでに決まっている。ここで信綱が殺さなくても外の天狗を片付けた文が殺すか、数の暴力で捕まったところを天魔に処刑されるか。どちらにせよ生き永らえる道はとうに潰えている。

 さて、阿弥の願いである無傷での勝利と、多少の傷など無視してでも敵を排除したい信綱の願い。優先すべきはどちらか。

 

 そんなもの、考えるまでもない。

 

「――」

「ぬんっ!!」

 

 振るわれる剛剣を右の長刀で受け流し、距離を取る。信綱が動きやすい狭い空間。その気になれば壁だろうと天井だろうと足場にできる。

 薙ぎ払いを屈み、振り下ろしを横に跳んで避ける。速度、膂力、技量、どれも大したものだが、守勢に入っていれば脅威にはならない。

 

「戦え!! 儂に臆したか小僧!!」

「――」

 

 剛剣を振るう手が一つになり、残った手が信綱を掴みとろうと魔手を伸ばす。

 それすらも信綱には届かない。ひらりと身体を翻し、ひらひらと紙のように大天狗の手から逃れる。

 豪、と音を立てる大天狗の空間は小さな嵐のようだった。暴虐の風が吹き抜け、入ろうとする矮小な人間など容易くちぎれ飛ぶ。

 

「――ふむ」

 

 それらを与し易い、と信綱は思考する。武器破壊、双手の破壊。どちらもさほど難しくはない。

 すでに数分は経過している。大天狗の動きもおおよそ理解できた。

 さて――終わらせるか。

 

 信綱が守勢に回っていたのは無傷で勝てる自信がなかったからであって、その不安が解消されたのなら無為な時間を過ごす理由など消えてなくなる。

 胸の中心を抉るように突き出された太刀を長刀で払い、身体を前に倒す。

 払った勢いそのままに振り下ろされる太刀に左の刀を合わせる。

 

 鋼に鋼が食い込む硬質な音。一瞬の抵抗の後、ズルリと大天狗の振るう大太刀の刃は根本から床に落ちる。

 

「っ!」

「――」

 

 驚愕の時間は与えない。武器を破壊しても相手は妖怪。素手で容易く人を引き裂くことができる。

 長刀が大天狗の太刀を持つ腕を切り落とす。左の刀で残った腕を落とそう刃を滑らせ――食い込む。

 

「――ッ!!」

 

 信綱の狙いを読んだのか、腕で刀を掴み取られたのだ。

 それでも刃は手のひらから肘の半ばまで食い込み、もはや手としての用途を果たさない。

 一瞬の硬直。次の瞬間には刀から手が離れ、自由になった両手での斬撃が大天狗の首を落とす。

 だが一瞬あれば妖怪が人間を殺すことなど容易で――

 

「獲った――」

 

 張り裂けるような笑みを浮かべた大天狗の顎が、信綱の喉笛に食らいつこうと近づいていく。

 何かが裂ける音、ブチブチと不快な何かが引きちぎれる音を立て、血が吹き出したのであった――

 

 

 

 

 

 ――口に刃を受けた大天狗が。

 

 

 

 

 

「ぁ……」

「――」

 

 信綱は無傷。ただ、大天狗の口は着物の襟を荒く食いちぎっただけだった。

 とはいえ肝を冷やした。妖怪の底力を見くびっていたと言われても文句は言えない結果だ。

 口に突き刺した刀の柄を両手で持ち、渾身の力により斬り上げられ、振り下ろされる。

 

 一刀両断され、二つに崩れ落ちようとする肉体にさらなる追い打ちが無尽に刻まれていく。

 首、胸、腹、腰、腿、膝。長刀一振りによって一瞬でバラバラに解体された大天狗。

 もはや消滅は確定した。彼がここに存在したことを示すものは信綱が受けた返り血と、身にまとっていた服だけになる。

 

 は、と使いものにならない大天狗の口から変な音が漏れる。口内に残っていた空気が出ただけか、大天狗が本心から漏らした吐息か。

 

「――ふん、そんな目で死ぬのなら最初から戦わなければいいんだ。決着はとうについていたというのに」

 

 塵と消える僅かな時間。大天狗は闇に閉ざされつつある瞳で、自身を見下ろす信綱を見る。

 何の痛痒も感じていない瞳を見て、どこか納得した気持ちになっていくのを自覚する。

 かつて片翼を斬られて以来、ずっと侮蔑していた人間に執着していたのか、ようやく理解できた。

 

 そうか――自分はもう一度勝負がしたかったのだ。

 

 屈辱を晴らすとかそんな複雑なものではなく。ただ純粋にどちらの力が上か、挑んでみたかっただけなのだ。

 そして勝敗は決した。自分は、どうしようもなくこの一族には勝てないことが判明した。

 全力を振るい、受け止められ、そして負けた。最期に思いっきり身体を動かせたのだ。思い残すことなどあろうものか。

 天狗の行く末は天魔に任せれば良い。敗残者の天狗も悪いようにはされないだろう。

 

 

 

 ああ、うむ――実に良い時間だった。

 

 

 

 消えゆく大天狗を眺めて、信綱は自身の身体にドッと疲れが湧くのを感じる。

 要するにこの大天狗、何も複雑なことなど考えずに遊びたかっただけなのだ。

 長い時を生きたはずの妖怪のくせに――だからこそと言うべきか、降って湧いた人間の強者に群がっているだけだ。

 この騒動にかこつけて自分たちを排除するのが目的ではなく、その騒動に乗じて最後に勝負がしたかった。それがかつての屈辱やら大天狗の立場やらで複雑に見えていただけである。

 

「あやややや、清く正しい射命丸見参! さあて、人間さん、この私が来たからにはもう大丈夫――」

「終わった」

「ふぇ?」

「もう終わった。そこにある服がそうだ」

「……新種の妖怪ですかあなた? って、その血はどうしました?」

「返り血だ。これは残るらしい」

 

 服も裂け、血糊がべっとりとこびりついている。すでに衣服が吸収してしまったものは残るらしい。

 しかし傷自体はない。少々危ない場面もあったが、どうにか大天狗一体なら無傷で勝てるようだ。烏天狗一体すら倒せなかった頃に比べれば大違いだ。

 

「全く、面倒な相手だった。とはいえ首魁を倒したんだ。これで騒動も収まるだろう」

「あ、え、ええ。そうですね。後はこれを私が触れて回れば――」

「その必要はないぜ、文」

 

 声のした方に目を向けると、そこには腕を組んで佇む天魔の姿があった。

 

「今しがたオレが黙らせた。この騒動はおしまいだ」

「そうでしたか。あやや、私としたことがずいぶん真面目に働いちゃいましたよ」

「いつもそうだろうが。少し悪ぶってるだけだろ」

「そ、そんなことありませんよ! 私、幻想郷最速の烏天狗ですから! 常識なんかで私は縛れません!」

 

 文が胸を張るが、誰も彼女と視線を合わせない。信綱と天魔、この二人の文への認識は飄々としたいけど、根が真面目というもので一致していた。

 それが空気でわかったのだろう。部屋の隅でさめざめと影を背負い始めた文を尻目に、信綱は天魔を見る。

 

「……あんだけ一緒にやってきたってのに、呆気ないもんだな。ったく、ここまで不満だったとはね。オレも耄碌したか」

 

 死体の代わりに残された持ち主のいない服を見つめ、悪態をつきながら大天狗の死を悼んでいた。

 だが、こちらに目を向けた時には大天狗への感情は消え、天狗を統べる天魔としての姿に戻っている。

 

「そちらには迷惑かけた。まさかオレもこうなるとは読めてなかった」

「――」

 

 信綱は無言のまま、天魔に刃を突きつける。その眼差しは大天狗に向けたものと同じ、透徹な殺意のみで構成されていた。

 

 

 

 

 

「――阿弥様の敵は死ね」




吸血鬼退治
大天狗殺し←new!

※なお状況次第では天魔殺しの称号も得ます。

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