阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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一つの区切り

「そろそろご隠居されてはいかがでしょうか、信綱様」

 

 その言葉が出てきたのは、ある日の人里の運営を決める会合の終わり際だった。

 発したのは二十代後半のまだ年若いが優秀であるとお墨付きを受けて、この会合に参加している青年。

 もう人里の運営に関わって三十年近く経過している信綱と、まだ数年も経っていない彼では立ち位置がまるで違う。

 だがそれは年数を重ねれば誰だってそうなるものであり、信綱は特にそういったものを重視はしていなかった。重要なのはその言葉にどれほどの理があって、どの程度の利が得られるかである。

 

「……ほう。理由を問おうか」

 

 相手の意図に予想はつくものの、信綱はあえて聞き返すことによって青年の考えていることを衆目に晒すことにする。

 ちなみに信綱個人としては引退できるのなら喜んでするといった程度である。なにせ彼は阿礼狂い。御阿礼の子の側仕え以外は彼にとって煩わしい面倒事に過ぎない。

 

 とはいえ、それで信綱が手がけた様々な事業をいきなり放り出すのは不味い。

 特に信綱は人里自体の経営にはあまり口を出さないが、妖怪との共存事業に関しては彼がほぼ一手に担っている状態だ。

 信綱も自分がいつまでも仕事を担っている状況が良くないことは理解しており、そもそもそこまで仕事をしていたくないという気持ちがあった。

 

「はい。これまで人里はずっとあなたやあなた方火継の人間に頼りっぱなしでした。私が子供の頃――いえ、赤ん坊の頃から異変に向かっていたと聞きます」

「それは別に良い。有事の際に動くのが火継の役目だ。妖怪の脅威を何の力もない民には任せられん」

「そうかもしれません。ですが、この状態はいつまで続くのでしょうか」

「……ふむ」

「信綱様の尽力によって、妖怪との共存が成立しつつある。これは素晴らしいことです。幻想郷始まって以来の快挙でしょう」

「世辞はいい。要するに俺以外の人間に妖怪との折衝を行わせたいということだろう」

「ご推察の通りです」

 

 少々考える。いい加減、自分以外の人間に任せたいところもあったので、向こうから言ってくれるのはありがたい。

 だが、自分以外の人間に任せた途端、妖怪と揉め事が起こって共存の話が頓挫、なんてことになったら目も当てられない。

 さすがにそんなことはないと思いたいが、他人の性格、能力を正確に推し量るのは難しい。有事が起きないよう、信綱は最悪の場合を考えなければならなかった。

 

 自分が全て行うのが最も問題は少ない。しかし、それはあくまで自分が生きている間は、という注釈が付く。

 後のことなど知らぬ存ぜぬとしてしまいたいが、信綱が死んだ後も御阿礼の子は生きていく。彼女らのために少しでも楽にしておくのは彼の最後の役目とも言えた。

 

「……一応念を押しておくが、俺の関与する全ての物事から手を引け、というわけではないだろう。順を追って、段階的に俺を一線から退かせるつもりか」

「はい。お返事は今すぐでなくとも構いませんが、ご一考いただければと」

「…………」

 

 周囲を見回す。信綱と青年の動向を見守っている者たちは、いずれも信綱より歳が若いものがほとんど。

 自分が最初に出席した時にいた人たちは大体がもうこの世にいない。

 

 一番歳が若かった自分が、いつの間にかこの場で最も高齢な人間になっていた。厳密に言えば慧音がいるが、彼女は長命であるがゆえにこういった政治的な関わりは持とうとしない。

 時代の流れ、というべきか。御阿礼の子の側仕えを譲るつもりは毛頭ないが、それ以外は後進に譲る時が来ているのだろう。

 

「わかった。妖怪の側には俺の方から伝えて、今後は徐々にお前たちに任せていく。それで異論はないな?」

「はい。……これまでありがとうございます。でも、私たちもこの場所の力になりたいんです」

 

 青年が深々と頭を下げると、それに続いて周囲の者たちが頭を下げる。

 その光景を見て、信綱は改めて自分にも終わりが近づいていることを実感してしまう。

 

「――お前はこの日のために準備はしてきたか?」

「は? いえ、慧音先生に話す以外は特に……」

「ならば一つ教えておこう。是が非でも通したい願いがあるのなら、こういった会合が始まる前に味方を増やしておけ。俺はそうして人里でやってきた」

「は、はい!」

 

 そして柄でもない老婆心というものを発揮して、これからの未来を担ってもらう若人に発破をかけるのであった。

 

 

 

「今日の話、私の方にはすでに持ちかけられていたんだ」

 

 会合の帰り道。信綱は阿弥の待つ稗田邸への道中を、慧音とともに歩いていた。

 慧音は信綱を慈しむような目で見ており、信綱としてはいささか面映ゆい。

 

「……だったら先生を休ませれば良いじゃないですか」

「ははは、私はもうかれこれ百年以上は変わらんからな。あいつらも決してお前を邪険にしたいわけではないんだ」

「わかっております。私とて、いつまでも現役でいたいと思っていたわけではありません」

「そこは疑ってないさ。お前ほど権力に魂を腐らせる心配のない奴はいない」

「見てきたことがあるのですか」

「長く生きていれば、な。尤も、ここは隔離された場所。そう悪さもできない場所だ」

 

 慧音の言葉にうなずく。人里の中で完結している限り、この場所の規模はそんなに大きくもない。

 仮に一人の人間が独占をしたところで、妖怪にとっては何ら脅威にはなり得ないだろう。それこそ人間が妖怪の餌でしかないことに絶望して集団自殺でも試みないかぎりは。

 

「ともあれお前は自らの権力に固執することも、利益に腐心することもなく見事にやり遂げた。うむ、先生は誇らしいぞ」

「全員誇らしいんでしょうに」

 

 背伸びをして頭を撫でようとしてくる慧音を押し留めて小さく笑う。

 

「バレたか。出来の悪い子も可愛いし、出来の良い子も可愛いものだよ。お前だけでなく勘助や伽耶、他の子供たちだって皆それぞれ立派に生きている。それだけで私は嬉しいさ」

「……私が死んだ後も、先生は人里に居続けるんですよね」

「ああ。お前は人里のみならず幻想郷さえも大きく変えたからな。その変化を見守るのも楽しみの一つだ」

 

 そう言って笑う慧音の顔に悲しみや痛みは見えなかった。

 人の死に慣れてしまったのか、と一瞬だけ考えてすぐにそれを否定する。

 皆が自分を置いていくのは悲しいだろう。しかし、決してそれだけではないことを彼女は知っている。

 だから彼女は笑うのだ。その姿は何よりも尊い在り方なのかもしれない、と信綱は改めて思う。

 

「まあ、何はともあれ――長い間、お疲れ様でした。後のことは任せてゆっくり休んでくれ」

 

 再び伸ばされた手を、信綱は拒まなかった。慧音の繊手に頭を撫でられ、信綱の顔には困った笑みが浮かぶ。

 

「先生に比べれば私などまだまだですよ。……ですが、ありがとうございます」

 

 どこかで自分から切り出そうとは思っていたことだ。これを機に人里の仕事は最低限にして、残った時間は阿弥との時間に当てよう。

 阿弥と一緒でいられない時間が減り、阿弥と一緒にいられる時間が増える。良いことずくめだ。

 

 これで実質、信綱が幻想郷に対してやるべき仕事は一つだけになった。後は――

 

 

 

 ――英雄、火継信綱として最後の仕事を果たすだけだ。

 

 

 

 

 

 最初に来たのは天魔だった。

 

「早いわね」

「先手必勝って言うだろ?」

 

 指定された場所にどっかと座り込む姿に気負った様子は何もない。

 あくまで自然体。天狗の前に現れる時はたいてい、変化の術で威厳ある姿を演出しているというのに。

 誰が参加するかも教えられていないこの会合に彼は普段通りの姿で来ていた。

 

 彼の後ろには部下である射命丸文が付き従っている。彼女もずいぶん奔放な性質だと聞いていたが、意外と天狗社会の秩序には従順なのかもしれない。

 机を挟んで彼女――八雲紫は天魔を軽く睨みつけた。天魔は無視しているのが腹立たしい。

 

「オレたちは待たせてもらうぜ。ここに集められた理由はまだわからんがな」

「……よく言うわ。あなたのそういうところは嫌いよ」

「おいおい、こんな色男を呼び寄せておいて言うことがそれか? 文、帰っちまうか?」

 

 嫌味な男である。目的も何もかも理解しているだろうに、それでもなお揺さぶりをかけてくる。

 彼とは本当に長い付き合いになるがどうにもウマが合わない。紫も他人を煙に巻くのは得意な方だと思っているが、天魔相手にやるのは少々難しい。

 

「いや、私に言われましても……というか、二度寝決め込もうとした私を引っ張り出したの天魔様ですよね!?」

「いいじゃねえか、こういうのは伴を連れているっていう威厳の表現が重要なんだよ」

「私に言ったら何の意味もありませんわね」

「かかかっ、慣れだ慣れ。いかにふてぶてしくなれるかがこの場でのコツだぜ?」

 

 この男は天性の政治家気質だ。文と紫、二人から冷たい目で見られてもまるで堪えた様子がない。

 と、そんな風に天魔を睨んでいると、次の参加者がやってくる。

 

「あら、私たちが二番目。結構早く来たつもりなのに」

 

 伴の少女――美鈴に日傘を持たせ、悠然と部屋に入ってくるのは幻想郷の新参者――吸血鬼レミリア・スカーレットその人だ。

 レミリアの目はすでに来ていた天魔に止まり、次いで部屋の周囲を見回す。

 と、そこで後ろに控えている美鈴が不安そうな顔で口を開く。

 

「お嬢様、私って場違いじゃないですかね……?」

「んー? 大丈夫大丈夫。何があっても私だけは大丈夫だから安心なさい」

「何一つ安心できるものがないですよね!?」

「あーもう、うっさいわね。この場でドンパチやらかそうなんてバカはいないから安心なさい」

 

 レミリアの目が天魔と合う。

 天魔は口元に楽しそうな笑みを浮かべながら、その実レミリアを見る目は全く笑っていない。

 レミリアも当然、それに気づいて犬歯をのぞかせる挑戦的な笑みになる。

 呼応するように美鈴と文も軽く睨み合おう――とする前にレミリアは天魔に手を差し出す。

 

「…………」

「レミリア・スカーレットよ。よろしくね。セ、ン、パ、イ?」

 

 その手の意図を図っていると、レミリアから口を開いた。

 内容は紛れもなく友好的なもので、天魔の側に断る理由はない。

 しかし口元に浮かぶ笑みは相変わらず挑発的なもののまま。その姿に天魔はやれやれと自らも手を差し出すことで応えた。

 

「……気骨のある嬢ちゃんだなこりゃ。こちらこそよろしく、後輩」

「ええ、よろしく。いつだったか、天狗が人里にやって来た時は楽しく遊ばせてもらったわ」

 

 チリ、と天魔の後ろに控える文から殺意に似た何かが零れる。

 美鈴は僅かに腰を落として対処できる構えを取り、レミリアは相手の出方を見極めるように薄く微笑む。

 

「へえ、人里に向かっていた奴らの対処はあんただったか。巫女か旦那の手勢の二択を考えていたんだがな。旦那も顔が広い」

「……意外と度量が広いのね」

 

 曲がりなりにも身内に手を出されたというのに、天魔は怒る様子が欠片もない。むしろわからなかった事実を知れて嬉しいといったくらいだ。

 

「殺してないのなら良い薬で済む。オレは積極的に他所と喧嘩するほど血気盛んじゃないんだ」

「へえ」

 

 レミリアの口元が禍々しく歪む。どうやらこの男、穏健派な性格らしい。これなら多少は足元を見ても――

 

「ま――売られた喧嘩は根切りまでするけどな?」

「……っ!」

 

 一瞬だけ天魔の眼光が鋭くレミリアを射抜く。一瞬の油断をしたレミリアに対して、これ以上ない瞬間を狙って放たれたそれに、レミリアの体は意図せず硬直する。

 やられた。穏健派だなんてとんでもない。戦うべき時とそうでない時。手を組む時と手を切る時。全ての基準が彼の中で定まっているのだ。

 

 必要と判断すれば頭を垂れるだろうし、同時に躊躇わず殺しにも来るだろう。

 

 常に刃が仕込まれているようなものだ。油断などできるはずもない。

 

「……良いわ。あなたとは仲良くできそう」

「お眼鏡に適ったみたいで恐悦至極、と言っておこうか」

「……話が終わったなら席についてもらえるかしら。全く、顔を合わせるなり面倒事を起こさないで頂戴」

 

 少々危なっかしい自己紹介も終わったところで、紫が彼らをまとめにかかる。両者もこの場でこれ以上やり合うつもりはないのか、素直に従ってそれぞれの席につく。

 用意された座布団は三つ。机の四面にそれぞれが座る形だ。

 それを見てレミリアがわかりきった疑問を口にする。

 

「大体予想はつくけど、あと来るのは誰か聞いてもいいかしら」

「彼が最後よ。……来たみたいね」

 

 紫の言葉と同時に襖が開かれ、中から恭しく藍が現れる。

 

「お待たせいたしました、紫様。目当ての人物を連れてまいりました」

「なんだ、俺が最後か。正直、妖怪なんて遅刻してなんぼだと思っていた」

 

 藍に伴われて現れたのはこの場にいる全員が周知の人物――火継信綱その人である。

 天魔やレミリアのようにお供はいない。それを真っ先に見た天魔がからかい混じりの声をかけてくる。

 

「なんだ、椛は連れて来なかったのか?」

「あいつは天狗社会の一員だし、あまり目立つことを好まない。今後も天狗社会で生きていくなら、余計な軋轢はないに越したことはないだろう」

「その気遣いをどうして私に向けてくれないのよ……!」

 

 思わずレミリアが嫉妬してしまうほど、信綱の返答には椛への気遣いがあった。ハンカチがあったら噛み締めていただろう。

 信綱はぐぬぬと睨みつけてくるレミリアを無視して席につき、揃った人物を見回して口を開く。

 

「鬼はいないのか? 今後の決まりを作るのなら地底からも来ると思っていたが」

「沙汰に従うという委任状をもらってますわ。どちらもあなたが決めたことなら文句は言わないそうよ」

 

 そういって紫は二枚の紙を見せてきた。

 

「……手拓にしか見えないんだが」

「これが彼女ら流の委任状です。決して面倒なだけではありませんわよ?」

 

 どうやら面倒なだけのようだ。とはいえ四六時中酔っ払っているような鬼に、精密な文字を書けと言われても難しいのかもしれない。

 

「さて、まずは今日集まっていただいたことに感謝を。こうして集まっていただいたのは他でもない――幻想郷の今後についてですわ」

「新しい決まりを作る、だったか」

「ええ。レミリアが来たことを発端に始まった多くの異変。その全てにおいて、暴力という明確な力が用いられました」

 

 痛ましい、という感情を隠さず紫は目を伏せる。

 なお参加者の全員は胡散臭いと半目で見ていたことに、彼女は気づいていない。

 

「それではいけないのです。我々妖怪は人間と比べて力が強く、長命故に知恵もある。私たちが暴力を振るい続ける限り、人々との共存は叶わないでしょう」

 

 なぜ自分まで妖怪側なのだ、と物申したかったが何も言わずに黙っておく。

 紫の言いたいことは理解できる。たまたま信綱という大妖怪すら倒せる人間がいたから今の形になっただけで、信綱がいなければ人里は悲惨な状況になっていたことは想像に難くない。

 そしてその奇跡は永遠には続かない。信綱はもう五十を過ぎており、彼は遠からず幻想郷を旅立つ。

 そうなった時、人里と妖怪の関係が変わらないままであれば――人里に抗う術はなくなってしまう。

 

「剣と剣。拳と拳。暴力に対する暴力――なんて野蛮なことは終わりにしましょう。己の意思を貫くために必要な新たな掟を。それを今日は考えたいのです」

「俺は構わん」

 

 真っ先に同意を示したのは信綱だ。

 なにせ彼の所属する勢力である人里は、自分が死んだら勢力図としては最底辺にまっしぐらである。そうならないためにも皆が平等な決まりが必要だった。

 

「オレも同意しよう。血みどろの殺し合いなんて面倒だし、何より幻想郷では人も妖怪も有限だ。限りあるものをすり減らすことほど無為なものはない」

「あなたらしい意見ね、天魔」

「持ちつ持たれつなんだ。この機に勝ち馬に乗っておきたいだけさ」

 

 沈む船には絶対乗らないだろお前、という内心のツッコミは紫と信綱のもの。

 そんな二人を他所にレミリアも声を発した。

 

「私も賛成、としておこうかしら。あなたも戦いそのものを禁じてハイおしまい、って言うつもりではないのでしょう?」

「ええ。あなたが来る少し前の話になるけど、人と妖怪が全く触れ合わないのも不味いのよ」

「畏れが得られなくなる。ついでに言えばオレらが退屈に負けて騒ぎを起こす。断言しても良い」

「これだから妖怪は……」

「そう言ってくれるなよ。人間は弱いから生きることそのものを目的にできるが、妖怪はそうも行かないんだ」

 

 ふう、と信綱は大仰にため息をつく。天魔の言い分は理解できないが、それは自分が人間だからだろう。

 現にレミリアと紫は天魔に同意するようにうなずいていた。

 

「さて、今後の幻想郷に向けて解決すべき問題が明らかになったところで、皆の意見を聞こうかしら。ことこれに関して妥協するつもりはないわ。皆の忌憚のない意見をお願い」

 

 幻想郷のことに関して、紫以上に深い愛情を抱いている存在はいない。彼女の真剣な気迫に合わせるように三人も静まり返り、ようやく会議の体裁が整う。

 

 最初に声を上げたのは信綱だ。

 

「では俺から。――弱肉強食の否定をお願いしたい」

「……なるほど、実力主義の否定といったところかしら」

 

 紫の確認にうなずく。

 

「俺たち人間は基本的に弱者だ。弱者でも強者に勝てる――勝負の場においては平等であるような決まりが欲しい」

「それはあらゆる場において?」

「いいや、なりふり構わず守るべきものは別だ。だがそれ以外の意思決定をする際に、暴力だけが用いられる状況は変えたい。人間があまりに不利だ」

 

 その不利を覆すからこそ英雄と呼ばれる人種が存在する。

 だが、英雄など生まれないに越したことはない。

 信綱は自らが積み上げ続け、幻想郷の行く末を決める場に参加する権利すら勝ち取った自身の武力を、今後の幻想郷には要らないものであると位置づけたのだ。

 

「あ、じゃあオレからも一つ。そこに安全性を加えてくれ」

「意図は……さっき話した通り、殺し合いは無駄であるという意見ね」

「おう。狭い幻想郷で顔を突き合わせていればそりゃ嫌でも争いは起こる。しかし、その争いに一定の決まりさえあれば争いも骨肉のものにはならんだろう。

 命懸けにならなければ誰だって気軽に……と言うのも変だが、ある程度はガス抜きもできるはずだ」

 

 かつて大天狗という長い付き合いでありながら、反乱まで許容してしまったことを天魔は思い返す。

 あの時に決めたのだ。意見の相違は致し方ないにしても、殺し合うことなく決められるものをいつか作り出すと。

 妖怪の山に住まう天狗全てが彼にとっての家族。故に家族が無為に死ぬことは許さない。

 それが天魔の根幹。八雲紫の幻想郷への愛に匹敵するだけの熱量を天狗に注いできた男だ。

 

「ふぅん、二人とも意外と堅実ね。私は別の観点から意見を言おうかしら。――美しさを。これからの幻想郷を彩るにふさわしい見目華やかなルールが良いわ」

「ふむ、意見を聞いても?」

「要するに命懸けの勝負じゃなくてお祭り騒ぎの勝負にしようってことでしょ? だったら血と臓物が飛ぶ風景よりも華やかなものの方が良いじゃない」

「一理あるな。決まり事ってのは周知されなきゃ意味がない。見た目が良いってのはそれだけで印象が良くなる」

 

 レミリアの意見に天魔が賛同の姿勢を見せる。外の世界から来ただけあって、彼女の視点は信綱とも天魔とも違うものがあった。

 当のレミリア本人は私良いこと言った? みたいな顔で信綱をチラチラと見ているが、信綱はそれを無視して――

 

「……その美しさの基準はどうするつもりだ? 一口に言っても色々あるだろう」

「あ、あら? おじさまが私の言葉を否定しない?」

「人聞きの悪いことを言うな。理があれば誰の言葉だって一考する」

 

 一考した結果として無駄だと切り捨てることはあるが、今回は別だ。

 彼女の意見は自分には浮かばなかったものであり、何より信綱の願いである実力主義の撤廃に近いものがある。

 

 実力主義とはとどのつまり強いものが正義ということであり、そして強いものとはほんの一握りである。

 暴力とは簡単に言ってしまえば強いものが勝つための決め事。弱者は搾取され、強者は肥える。極めて原始的な理だ。

 信綱はそれを排除してしまいたい。人間と妖怪では妖怪の方が強いという誰にも否定できない事実がある以上、実力主義がある限り人間は弱者の位置になってしまう。

 

「祭りと言うくらいだ。茶器のような芸術品とは違うのだろう」

「当然よ。見て楽しく、やってさらに楽しく! 一部の人にしかわからないとか、知識がなければわからないなんて小難しい物じゃなく! もっとパーッと子供でもわかるようなものにしましょう!」

「となると光り物だな。古今東西、光り物を好まない連中は皆無と言って良いくらいだ」

「光、ねえ……」

 

 天魔が挙げた光り物というものについて考えてみる信綱。その際、ついつい烏は光り物が好きではないかという考えが浮かんで文の方に視線が行くが、凄まじい目で睨まれてしまったため視線をそらす。

 しかし浮かばない。レミリアの言葉をそのまま受け取るのなら娯楽のようなものを求めていると判断できるが、その手の娯楽には縁の薄い人生だった。

 阿弥も阿七と同じであまり外に出ることを好む性質ではなかったし、信綱はそんな時間があるのなら鍛錬に時間を費やしていた。

 

「ふむ……お前にはどんな案が浮かんでいるんだ?」

「長く残るようなものは考えてないわ。一瞬だけ光って、あっという間に消える。あまり勝負が長くなるのも面倒でしょう?」

「だ、そうだ。オレはこの姫さんの意見が結構良いんじゃないかと思う。スキマはどうする?」

「一考の価値はあるわね。実力主義を排し、安全性に考慮し、なおかつ美しい……」

 

 まさに雲をつかむような話である。信綱にもこれがどのようなものになるのか、皆目見当がつかない。

 細部を詰めようにも大本自体が決まらない。これでは各々の主張を挙げただけになってしまう。

 

「妥協……は難しいか」

「自分たちの意見の主張に用いられる争い以外のルールでしょう? 誰も妥協なんてしないわよ」

 

 レミリアの言葉に誰もうなずきはしないが、皆心の中で同意していた。

 それに自分の意見を最も優先させるべきだとも思っていない。この場にいる全員が幻想郷を導くにふさわしいだけの知性を持ち合わせているがゆえに、お互いの言いたいことをほとんど理解してしまって会議にならなかった。

 だが、それでもなお今挙げているものの中で優先させるべきを考えるなら――

 

「レミリアの案を軸に据えるべきだろうな」

「旦那に一票。理由はこの場の面子ならわかるだろう」

 

 まずは知ってもらい、なおかつ従ってもらわなければ話にならない。

 掟と言っても破って何がどうなるというわけでもないのだ。決め事を破った方が好き勝手に生きられるのなら、ここで決めたことも有名無実化してしまうだろう。

 

 そう考えると美しさというのは悪くない着眼点だった。

 大抵の存在は汚いものより美しいものを好む。そして苦しいくらいなら楽しいことの方を好む。

 その辺り、非常に硬派な生き方をしてきた信綱には全く浮かばない発想だった。

 というより、御阿礼の子以外はみな等しく塵芥な阿礼狂いには難しいものがある。美醜を語るなら御阿礼の子がこの世で最も美しく、他は全て醜いと彼は真顔で言い切れるのだから。

 

「ふふふ、もっと私を褒め称えなさい。あとおじさまはもう一回私の名前を呼んで!」

「スキマ、まずは人妖に知ってもらえるように見栄えの良いものを作るというのを主軸に据える。次は何が美しいものになるか、だ。お前は何か案がないか?」

「無視!?」

 

 謙遜の一つもしていれば褒めるくらいはしてやるというのに、この吸血鬼は相変わらず知恵が回るのか子供なのかわからない。恐らく両方なのだろう。格好良いと残念の境目を歩いている少女である。

 話を振られた紫はしばし考える姿勢を見せて――やがてパッと弾けたように立ち上がる。

 

「――花火、花火なんてどうよ! 誰が見てもわかるくらいに綺麗で、一瞬の美よ!」

 

 天啓と言わんばかりの喜びようだった。天魔と信綱は納得したようにうなずき、各々の考えを述べていく。

 

「ふむ……悪くはないな。説明不要の美しさっていうのは楽でいい。肩の凝る芸術品などよりよっぽどな」

「大きな音と光は衆目を集める。それに派手な戦いを好む妖怪にも良いかもしれない。賛成だ」

「じゃあこれからはそれを主軸に話を進めていくけれど……」

 

 そして再び紫の音頭で会議が始まっていく。

 人間である信綱も二日や三日程度なら寝ずに活動ができる。彼もこの話し合いが今後の幻想郷を作っていくものであると理解しているため、力を尽くすつもりだ。

 天魔や紫、多くの妖怪の力添えがあったとはいえここまで漕ぎ着けたことに対して、愛着はないが執着はある。ここで下手を打って転んでは骨折り損のくたびれ儲け。

 それは合理的でないし、何より誰も得をしない。信綱だってタダ働きは嫌だ。それが数十年単位のものであればなおさらである。

 

「……これで俺が死んだ後も平和になれば良いが」

 

 会議の最中、ふとつぶやいた信綱の言葉は思いのほか響き、部屋にいる妖怪たちの耳にしっかりと届いてしまった。

 視線が集中し、つい弱音を吐いてしまったと信綱は憮然とした顔で三様の瞳を睨み返す。

 だがその視線の意味は決して訝しむものではなく、何を馬鹿なことを言っているんだこいつは、というような視線だった。

 

「え? おじさまが死んだ後も約束は守るわよ?」

「……む? 俺が死んだら約束は終わりではないのか?」

「私が生きてる限り続けるに決まってるじゃない。吸血鬼退治を成し遂げた人間への褒美が、一生分で終わりなんて味気ないでしょう」

 

 最初はレミリアが。自らを打ち倒した人間を誇るように胸を張って、彼女は人々を守護することを約束した。

 

「オレも、これでも旦那のことは認めているんだぜ? そこの姫さんみたいにずっととは言えんが、人間がよっぽど道を踏み外さない限り、天狗を人間の敵にはさせんよ」

「……意外だな。俺がいなくなれば人里から力はなくなるというのに」

「旦那のことを忘れないかぎり前言は翻さん。オレだって妖怪の端くれ。お前さんが守ろうとしたものを守るぐらいの甲斐性はあるさ」

 

 なんとも物好きな妖怪ばかりである。どうやら自分が死んだ後も人里は守ってもらえるらしい。

 こんな気狂いの男が示した強さにまで価値を見出すとは、彼女らもまた人間とは違う価値観を持っていると言わざるをえない。

 本当に、本当に馬鹿ばかりが集まった。

 呆けた顔をしている信綱に、紫は薄く微笑んで彼の歩んだ人生を讃える。

 

 

 

「誇りなさい、人間。――あなたの行いは全てがこうして未来に繋がっていくのよ」

 

 

 

 後にスペルカードルールと呼ばれる決闘方式が生まれる、ほんの少し前の話であった。




彼にとっては打算や駆け引きの一つでしかなかったかもしれないが、それでも無意味ではなかった。そんなお話です。

そして後のスペカルールの骨子が制定されました。外から来たレミリアが美しさという観点を持ち出すことは前から考えておりました。
ノッブは自分が死んだ後の勢力差を考えて実力主義の撤廃を。天魔は大天狗を殺さざるを得なかった事件を経て安全性の確保を願います。

生まれてこの方磨き続けた力ではありますが、あくまで御阿礼の子を守るために必要だから執着しているものであり、後の幻想郷に必要ないと判断したらさくっと捨てます。
まあ人里がヤバくなったら力振るうんで夜露死苦! する予定でもありますが。

以降は隠居生活を送りながら御阿礼の子の世話をして、ぼちぼち老いつつある人間の友人と話したり、時間が流れていくのを書く予定です。

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