阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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研修も終わり明日から実務……フフフ怖い(震え声)


新しい娯楽

「お呼びとあらば即参上! どうも、清く正しい射命丸文です!」

「おう、来たか。まあ座れ」

 

 天魔の部屋に勢い良く入ってきた文を、天魔は苦笑いと共に受け入れる。もう彼女のこの登場にも慣れてしまっていた。

 本当に危ない時は忠実な部下なのだが、普段ははっちゃけようと色々破天荒なこともやるため、地味に面倒な部下である。

 

 そんな彼女をとりあえず座らせて、天魔は手に持っていた紙束を投げ渡す。

 

「ほら」

「あや? これは一体なんですか?」

「まあ読んでみろ」

 

 天魔に言われた通り文は手元の紙に視線を落とす。

 文字と白黒の、しかし驚くほど精巧な絵が乗っている書物で、その中には情報がびっしりと書き込まれていた。

 どこそこで何があった、どこそこではこんなことが起きた。ある人物が珍しい物を発見した、などの情報が紙の上では足りないとばかりに踊っている。

 

「はぁ、すごいですねえ。こんなもの、どこで手に入れたんです?」

「それ自体はたまたま山に流れ着いていた外の世界のものだ。んで、用途はスキマのババアが言っていた」

 

 天魔が今の外の世界を知らないからとこれ見よがしに嫌味な物言いだったが、別に気にする程のことでもない。もっと重要な局面で負けなければ最終的には勝ちなのだ。彼女はその辺りがまだわかっていない。

 

「用途とは?」

「新聞、というやつでな。近くで起こった情報をまとめたものらしい」

「はぁ。しかしこんなに濃い内容ではあまり頻繁には出ないのでは?」

「聞いて驚け、日刊だ」

「日刊……日刊!? こんなものが!?」

 

 天魔の口から聞かされた情報にさすがの文も驚愕に目を見開き、手に持つ新聞に目を落とす。

 

「こんなたくさんの情報が毎日……外の世界はすさまじいですねえ」

「全くだ。情報の更新が早過ぎる世界ってのは息苦しくていけない」

 

 なにせ妖怪は得体の知れないものの総称だ。新聞のような情報の塊が毎日発行されるとあっては、とてもじゃないが正体不明を維持することなど不可能である。

 と、そこまで文を驚かせたところで天魔は肩をすくめる。

 

「……と言っても情報源がスキマだし、どこまで信じりゃ良いのかはわからんがな」

「ちょっと!?」

「まあ話は最後まで聞け。オレはお前を驚かせるために呼んだわけじゃない」

 

 重要なのは天魔が紫の話す新聞に価値を見出したことである。別に新聞が週刊だろうと月刊だろうと、中の情報の大半が嘘八百だろうとどうでも良かった。

 

「文、お前これを真似てみる気はないか?」

「真似、するとは?」

「この狭い幻想郷で、しかもオレらは足の速さが取り柄の天狗だ。今はまだ人里との交流があってそれなりに抑えられているが、どうせまた遠からず退屈になり始める」

「まあ、それは妖怪の宿命みたいなものでしょう」

「ごもっとも。だが、退屈を紛らわせる手段をいくつも用意することは悪いことじゃない」

「……話が見えないのですけど」

「単刀直入に言ってやろうか? ――情報で幻想郷を盛り上げてみようぜ、ってことだよ」

 

 情報の価値は時間とともに劣化するものが大半である。

 誰かの家の子が生まれたといった慶事とて三ヶ月も前なら大した意味もないように、情報というのは出来立てにこそ多大な価値がある。

 そして天狗は足の速さと空を駆ける速度には誰にも負けない自信のある種族だ。となればやることは一つ――

 

 

 

「幻想郷中を駆け巡って、面白そうな情報を紙にまとめて発行するんだ。競争する形にしたって良い。――この新聞がオレたち天狗の新しい娯楽だ」

 

 

 

「……それの先駆けを私にやれと?」

 

 ようやく天魔の言いたいことが理解できてきた文は好奇心半分、警戒心半分の様子で天魔を見つめていた。

 天魔という男は有事にはとにかく頼りになるのだが、平時は仕事をサボりたがるわ、気づいたらいなくなってるわ、その癖どこからか利益だけは引っ張ってくるわでとにかく行動が読みづらいのだ。

 しかしどうやら今回は真面目なものらしい。天魔は子供のような稚気溢れる笑みを浮かべながらも、眼光は別の何かを見据えているものだった。

 

「おう。お前の速度で幻想郷のあらゆる場所から情報をかき集めて来い。そんで情報をまとめて新聞にするんだ」

「はぁ……それは誰がやるんですか?」

 

 情報を集めることは別に構わない。今までだって天魔の命令で色々な場所へ情報収集をしたこともある。

 しかしそれをまとめるのは話が別だ。しかも新聞にするからには一日で集めた情報を、その日のうちにまとめて紙に記さなければならない。さすがにそこまでやれるほど速さに自信はない。

 

「は? お前がやるに決まってんだろ」

「無茶言わないでくださいよ!? 一人でできる文量じゃないですよこれ!!」

「何もそこまで情報をかき集めろとは言わねえよ。適当に集めて、適当に書いて、適当にバラ撒けってことだよ」

「……本当ですか?」

「ここまで壮大な嘘なんてつかねえって。とにかくやってみろ。お前の結果次第でオレも次の手を考える」

 

 これは天狗の歴史に新たな項目を刻む栄誉に与っているのか、あるいはただ単に手近な人柱――もとい試金石がなかったから自分で試しているのか、文には判断がつかなかった。

 

 

 

 そして文は今現在、空を飛んで人里にかじを切っているところだった。

 口では色々と言ったが結局のところ、彼の言う新聞が天狗の新しい楽しみになるのなら願ってもないことであり、文としても興味のあることだった。

 

 というわけで情報を集めに行くことになり――真っ先に向かっているのは人里のとある家である。

 今現在、というよりだいぶ前から妖怪たちが話す人間の中心であり、今なおその名声は留まるところを知らない人物の家――要するに阿礼狂い、火継の家である。

 

 彼ら、というより特定の人物の生まれた家であり、その強さの根源に迫ったとなれば新聞第一号の人気はうなぎ登り間違いなし。実に幸先の良い始まりになるというわけだ。

 

「ということで突撃取材と行きましょう! なに、いくらあの人が規格外だからって上空からなら問題ないはず……!」

 

 そんな風に思っていた過去の自分は、きっと何もわかっていない愚か者だったのだろう、と文は後に語った。

 

 火継の屋敷を発見するまでは良かった。人里からはやや離れた場所にある大きな屋敷。ともすれば規模では稗田邸以上のものがある屋敷だが、そんなに多くの場所を取る理由は道場があることだ。

 上空から見ている文の目には、そこかしこで打ち合い、殴り合い、切磋琢磨と言うには少々剣呑に過ぎる鍛錬に励む火継の人間が映っている。

 阿礼狂いとしての名を人妖に轟かせているのはただ一人だが、それ以外の人間もまた弱いかと言われたら違うと答えよう。それぐらい、文の目から見た若者たちの技巧は研ぎ澄まされていた。

 

(ふむ――これなら白狼天狗ぐらいならどうにかなるかもしれませんね。人間にしては強い、といったところでしょうか)

 

 とはいえ、あくまで人間にしては、だ。さすがに烏天狗である自分と比較しては相手が可哀想である。

 彼らの情報も一応頭の片隅に留めておいて、文は本命である人物を探す。

 椛から経由した情報だが、なんでも最近は半ば隠居の状態にあり、離れの方で生活しているとかなんとか。なので彼がいるとしたら離れの近くだろう。

 

「お、発見っと」

 

 噂をすればなんとやら、と文の目に木刀を握って佇む壮年の男性の姿が飛び込んでくる。

 もう年齢の上では六十に到達するというのに、今なおその肉体と眼光に衰えは見えない。誰を相手にするでもなく木刀を握って立っているだけだと言うのに、その場所だけ空気が違う感覚すら覚えてしまう。

 

 やはりあれは規格外の中の規格外である。通常の阿礼狂いは妖怪を相手に戦えるが、烏天狗や鬼を退けられるほどではないというのに、あの男だけはそんな道理を平然と踏み越える。

 彼の情報をバラ撒けばそりゃあもうあらゆる勢力が食いついてくるに違いない。紅魔館の主は彼にご執心だし、百鬼夜行すらも退けた彼の情報を欲しがらない存在の方が少ないだろう。

 

 そんなわけで文は遠間から件の人物の観察を始めようとして――視線が合う。

 

「――ッ!?」

 

 かなりの上空を飛んでおり、また気配には細心の注意を払っていた。おまけに太陽を背にしているので、彼の目には眩しくて見えないはず。

 だというのに、文は男性と目が合ったという確信があった。そしてその確信が彼女の身体を硬直させる。

 

 逃げるか、退却するか、撤退するか。全部同じ意味の選択肢が文の脳裏をよぎっている中、文と目の合った人物は意外なことに手を振ってきた。

 おや、これは存外に友好的? と文は訝しむ。天狗の騒乱の時は抜身の刃と言うのがピッタリだった彼も、歳を取ることで丸くなったのだろうか。

 

 不思議に思いながらも文は距離を縮め、彼の挨拶に答えようと自分も手を振る。

 彼は片手で手を振りながら、もう片方の何も持たない手を隠すように半身になっていた。

 ――もう片方に何もない?

 

「あやや、お久しぶり――ぁぶっ!?」

 

 疑問に思う間もなく、後頭部を何かが強打する衝撃が脳天を貫く。

 急速に閉じていく視界の中、文の目に映ったのは放り投げられたであろう木刀と、自分のことを険しい顔で見据える男性の姿であった。

 

 ――前言撤回。この男は相変わらず抜身の刃である。

 

 

 

「で、なんの用だ」

 

 そして今現在、文は男性――火継信綱の前で正座をさせられ、詰問をされている最中だった。

 

「いやあ……出会い頭に木刀投げてくる人には教えたくないかなぁ、なんて……」

「石抱きが望みらしいな」

「話します! 洗いざらい話しますから拷問はご勘弁を!?」

「最初からそうしていればいいんだ。というか正面から来い。俺たちだって正面から訪ねてきた者を無下にはしないぞ」

 

 上空で何かを探るように飛ばれているのでは信綱も警戒せざるを得ない。おまけに逃げる様子もないと来れば捕まえて話を聞く必要も出てくる。

 信綱も信綱で余計な仕事が増えたと頭痛を堪えているのだ。物理的に頭が痛いぐらい耐えて欲しい。

 

「もう一度聞くぞ。用件はなんだ。内容次第では石を抱かせてやる」

「やめてくださいってば! そんな剣呑な話じゃないんですよ! ただちょっと天魔様からの用事なんですって!」

「……なに?」

 

 占めた、と文は内心で思いながら言葉を続ける。妖怪に対しては傍若無人を地で行く信綱も天魔の言葉とあらば無視はできない。

 文は他人への説明が上手く行くよう天魔の部屋から無断で持ちだした新聞を一部、取り出して信綱に手渡す。

 

「これを見てください」

「……なるほど、瓦版をまとめたものか。……見たところこれは一日の情報が集約している。日刊となると……外の世界から流れ着いてきたものだな。これがどうした」

「あなたの頭の中が気になってきましたよ割と本気で」

 

 天魔といい信綱といい、彼らには自分たちでは見えない何かでも見えているのではないだろうか。

 文は内心の動揺が表に出ないように気をつけながら、信綱の慧眼を褒め称える。

 

「あやや、さすが! さすがは天魔様と対等の立場につかれているだけはあるご慧眼です! それは新聞と言うんですが、今度私ども天狗がそれをやってみようという話が出ておりまして」

「ふむ」

「それで先駆けとして私がやっているんですよ! 何かあったら天魔様が責任も取ると言ってます!」

 

 そして文は躊躇なく上司である天魔を売ることにした。

 彼は責任を取るとか一言も言ってないが、こうなったら一蓮托生である。

 

 が、信綱の目は胡散臭いものを見るような目から変わらない。むしろ背後に天魔がいると聞いて疑いは一層強まったような気さえしてくる。

 

「……それは構わないが、肝心な質問に答えてないな」

「あや?」

「ここに来た用件をお前は話していない」

「それは取材を協力しようとですね……」

 

 それを言うと、信綱は文に見せつけるようにため息をつく。そしてため息をついている信綱を呆けて見ていた文の額を軽く小突く。

 

「あやっ」

「だったら正面から、ちゃんと戸を叩いて来い。こそこそと空から見られると俺も無視できん。取材とやらは相手の許可を得てからやるものだろう」

「うう、はい、以後気をつけます……」

 

 少なくとも火継の家はちゃんと正面から訪ねようと心に決める文だった。次は木刀じゃなく鋼の刃が飛んできそうで怖い。

 しかし御阿礼の子のためならどんな倫理や常識だろうと、顔色一つ変えずに踏みにじる一族の人間に真っ当な理屈を説かれるのは、どこか受け入れがたいものを感じる文だった。

 

「わかれば良い」

 

 信綱は文がうなずいたのを見て、僅かに放っていた威圧を霧散させる。そして彼女の前に腰を下ろした。

 

「で、何が聞きたいんだ」

「……え? 答えてくれるんですか?」

「大方、俺の情報を広めれば妖怪たちに見てもらえるとかそんな魂胆だろう。聞かれて困るようなものはない」

「……適当なこととか嘘を言ったりしませんよね?」

「天魔の耳にも入るだろうし、どうせその時に確認が取られる。嘘をつく意味がない」

 

 政治的なやり取りで嘘をつくというのは、それが露見した時も考えなくてはならない。

 露見した時には相手を排除する準備が整っている、ないし露見しても笑って済まされるようなものにするのが人妖でのやり取りの鉄則だ。

 基本的に殺し合いはご法度で、狭い空間の中で嫌でも顔を突き合わせる関係なのだ。おまけに妖怪は世代の交代がないため、一度ついた嘘でもよく覚えている。

 一時の嘘で後々の関係悪化など、バカバカしいにも程がある。そのため、信綱は妖怪とのやり取りで嘘をついたことはなかった。聞かれなかったことを言わなかったことはあるが。

 

「おおお……正直なところ、正面から言っても門前払いを食らって何も聞けないと思ってましたよ……!」

「俺はどこまで偏屈で狭量な人間だと思われているんだ……」

 

 彼女の評価をここまで歪めるような何かがあっただろうか、と信綱は少しだけ自分を省みる。

 ……そういえば天狗の騒乱の時、彼女の前で多くの烏天狗を斬り刻んだ覚えがあった。あれで自分への目が変わってしまったとしたら何も言えない。というよりあれ以外原因が思いつかない。

 

 天魔からはそこそこ評価されているからか、他の天狗の評価を失念していた。

 この際だから徹底的に嫌われて、自分が死んだ後の抑止力にしてしまう手も思い浮かんだが、すぐに却下する。負の感情で抑え込むと反動が予測できなくなって後が怖い。

 

「まあ良い。これを機に俺への悪感情を減らしてもらうことにしよう。良い記事にしてくれ」

「悪感情というか、人間への畏れ? まあこの話は置いておきましょう。それでは最初の質問です。あなたの強さの理由は何ですか?」

「強さに理由など求める時点で弱者だろう」

「すいません今のなかったことにお願いします!!」

 

 なんで人間のくせに特に理由らしい理由もなく強いのだこの男は。

 

「で、では……最近凝っていることはなんですか?」

「霊力の稽古だ。以前に見た博麗の巫女の結界術を見よう見まねでできないか試していてな。簡単なものなら最近ものになりそうな――」

「はい今のは私が聞かなかったことにしますねー!!」

 

 聞きたくない。この男が百鬼夜行を退けた前より強くなっているとか周知の情報にしちゃいけない。多分妖怪の中から人間恐怖症が出てくる。

 

「なにかご趣味とかありませんかね!? あ、この人にも人間らしい部分あったんだー、ってくすっと笑えるような!」

「そう言われてもな……せいぜい山釣りぐらいだぞ」

 

 しかもあれは御阿礼の子がいない時期にしか行わないことだ。御阿礼の子の側仕えをしている時は効率優先で刀を使って強引に魚を集めている。

 が、それでも良かったのか文の顔が目に見えて輝く。

 

「そうそう、そういうのでいいんですよ! あ、もっと可愛らしさを強調するためにお花を育てる趣味があるとか付け加えません?」

「いや、稗田邸の庭は全て俺が整えているぞ。あれは趣味ではないだろう」

「……あなたに関しては情報をこっちで加工した方が色々と捗る気がしてきました」

 

 少なくとも信綱の口から出た情報をそのまま広めたら誰も得しない結末になりそうだ、と文の第六感が叫んでいた。

 

「そんなものか」

「そんなものです。私どもも娯楽として作りますから、情報の正確さよりも面白さ優先になるでしょうし」

「まあ良いだろう。よほど目に余るものでない限りは大目に見る。せいぜい上手くいくことを願おう」

「あやや、それでは私はこれにて――」

 

 後は適当に何か面白そうなことを集めてまとめれば新聞としての体裁は整うだろう。

 そう考えて立ち上がろうとした文の頭に信綱の手が上から乗せられる。

 恐る恐る顔を上げると、そこでは信綱が威圧感溢れる笑みを浮かべていた。

 

「よほどのものを書いた場合は……わかるな?」

「は、はいっ! はいぃっ!! 不肖射命丸文、肝に銘じます!!」

 

 信綱への取材は頻度を減らそう、と決意する文だった。命がいくつあっても足りない。

 こうして、天狗の間では徐々に新聞という名の娯楽情報を提供する習慣が流行るようになっていくのであった――

 

 

 

 

 

「よう、弥助。商売人が板についてきたな」

「あ、信綱様! 今日はどんな用向きで?」

 

 手土産を片手に霧雨商店を訪ねると、元気の良い店主の声が飛んで来る。

 信綱より下の世代は信綱の活躍に幼少の頃から触れてきた世代でもあるためか、今でも歩く度に尊敬の視線が向けられてむずがゆい。

 弥助も若い頃は信綱の華々しい活躍に魅せられたクチで、今なお彼の信綱へ向ける視線は色濃い尊敬があった。

 

「昔みたいにおじさんと呼んでくれても構わんよ。勘助が腰をやったと聞いてな。見舞いだ」

「親父でしたら上で静養中です。信綱様が来たら喜びますよ」

「そうするか。ああ、それとほら」

 

 上に続く階段に向かう前に、信綱は手土産を入れた袋から一つを掴んで弥助に手渡す。

 すでに袋からはみ出していたものではあるが、茶色くて細長いそれを見て弥助は首を傾げる。

 

「これは?」

「山芋だ。お前もそろそろ子が欲しいだろう」

 

 直球な言葉に弥助がたじろぐ。昔だったら信綱もあまり口にするような言葉ではなかったが、自分が子供のように思っている彼なら良いだろうと思えてしまう。

 

「昔、勘助の婚姻祝にこれを渡してな。あの時は気まずかったぞ」

「……はははっ! 信綱様もそういう失敗をするんですね」

「まあ、俺なりの夫婦円満の手助けというやつだ。じゃあ後でな」

「はい! 親父が怪我をしたんで信綱様もお気をつけて!」

 

 そう言って商売に戻っていく弥助を信綱は眩しそうに見ながら、二階に登っていく。

 かつては勘助がいた場所に今は彼の息子が立っている。どうしてかそのことがとても尊く感じられたのだ。

 

「よう、勘助。見舞いに来たぞ」

 

 養生していると言われた部屋に入ると、布団で横になっている勘助とその側に座っている伽耶がいた。

 信綱は伽耶の隣に腰を下ろし、手土産の袋を伽耶に渡す。

 

「ん、おお! 悪いなあ、見舞いなんて来てもらって。大したことないのに」

「ダメよ、あなた。いつまでも若い頃の気分のままで重い物を運ぼうとするから……」

「ははは、お前ならやりそうだ」

「味方がいない!? やっぱお前みたいには行かないなあ。どうしても身体が重くなる」

「俺みたいなやつが何人もいても怖い話だろう。それが普通だ」

 

 信綱は今持って肉体の衰えを感じたことはなかった。肉体の強度も常人とは一線を画するため、普通に木を片手で引っこ抜くぐらいは朝飯前である。

 

「山で集めた薬草を使った湿布と痛み止め。後は適当に集めた山の幸だ」

「ありがとう。でも薬なんて作れたの?」

「子供の頃に仕えていた阿七様はお身体が弱くてな。その時に覚えた」

 

 あれ以来、御阿礼の子が病気になった時の薬は全て信綱が用意していた。さすがに動けない時は泣く泣くかかりつけの医者に任せていたが。

 そのことを話すと、勘助と伽耶の二人は顔を見合わせて苦笑する。何かおかしなことを言っただろうか。

 

「なんでも。ノブ君は相変わらずだなって思っただけ」

「昔っから何でもそつなくこなして、自分から興味を持ったことはあっという間に身に着けて。何回羨ましいって思ったかわからないくらいだ」

「そんなものか。俺はあまり気にしたことはなかったな」

 

 必要と判断したものを取り入れていただけであり、例え覚えが悪かったとしても信綱は何かを学ぶことをやめることはしなかっただろう。

 彼にとって物事はできるできないではなく、やるべきかそうでないかの違いでしかない。御阿礼の子のためになると判断すれば、自分の中で捨てられる全てを捨ててでも習得するだけである。

 

「それはそうと、下で弥助の顔を見てきたぞ。あいつも一丁前に商人になっているな」

「まだまだ半人前だよ。おれがあいつぐらいの歳の時は――」

「私に銭勘定を頼んでいたかしら?」

「そ、そうだったかな?」

 

 伽耶の言葉に勘助の言葉が勢いを失い、視線が彼女からそらされる。どうやら思い当たるフシがあるようだ。

 

「仲が良くて結構なことだ」

「仲が良いって言えばお前は結局独身貫いたよな……。家の問題とか大丈夫なのか?」

「何かと忙しい時期だったからな。うやむやになっていた」

「あら? 私は他の人がノブ君は博麗の巫女様と好い仲だって話すのを聞いたけど……」

「なに? 初耳だぞそれは」

 

 彼女が巫女の役目を終えたら信綱が養うことになっているためあながち間違いでもないのだが、思わず聞き返してしまう信綱だった。

 

「んあ? おれも聞いたことあるな。誰かを娶らないのはそのためだって」

「ふむ……まあ丸っきり間違いというわけでもないが」

「お、本当だったのか? お前に好きな人がいたとはなあ」

「友人ではあるが、その手の感情があるわけではない。役目が終わった後の巫女を俺が引き取るだけだ」

 

 少なくとも勘助と伽耶のように互いに愛し合うような間柄ではない。そう伝えているのだが、二人は生暖かい笑みを絶やさない。

 

「……二人ともなんだ、その顔は」

「いやいや、お前もちゃっかり相手は見つけてんだなって思っただけさ」

「うんうん。御阿礼の子以外どうでも良い! って言ってても、ノブ君も男なんだなって」

「…………」

 

 反論する気力も沸かなかった。伽耶の言葉は事実だし、巫女との間に彼らの考えるような甘ったるいものがあるわけでもない。

 が、二人の間ではそれが事実となってしまっているようだ。否定するのも面倒くさいだけである。

 

「……もうそれでいい。しかしその様子だとまだまだ元気そうだな」

「おう! 孫の顔を見るまでは絶対に死んでやらんって決めてんだ!」

「右に同じく。弥助たちもそろそろ子供ができると良いんだけど」

「子供は授かりものだ。時節が来れば大丈夫だろうさ」

 

 子供の話はあまり縁のないことでもある。弥助は息子のように思っているが、彼を育てるのはこの二人である。そしてもう一人の娘に関しては手を伸ばしても届かない。

 

「……にしても、年取ったよなあ」

「藪から棒にどうした」

「いやあ、こんな爺さんになるなんて昔は思ってたか? おれは全然考えなかった」

「俺も似たようなものだ。あまり変わったとも思っておらん」

 

 人の動かし方や妖怪相手の対話方法など色々と覚えることはあったが、それが成長につながったとは思っていなかった。変わったと思えるのは椛の願いを叶えたいと感じたことくらいである。

 

「お前はどうするんだ? もう隠居するのか?」

「阿求様が生まれるまで待つ。それで三度仕える。……死ぬまでな」

「……そっか。お前ならそう言うんだろうなって思った」

 

 この歳になっても変わらず御阿礼の子に狂い続ける信綱を勘助は眩しい物を見るように、それでいて遠くに行ってしまう何かを悔やむように目を細める。

 

「おれはそこまでは付き合えないけどさ。おれたちは最後まで友達だよな」

「……当たり前だ。俺と友人でいてくれたこと、感謝している」

 

 勘助の言葉の意味を察してしまい、信綱は目を閉じる。

 そうだ。もう別れは御阿礼の子だけに留まらない。自分の後を考えなければならないというのは、自分だけの話ではないのだ。

 椛や橙は子供の頃から変わらぬ姿を見せていたが、勘助たちは違う。

 

(多分、この二人も俺は見送る側に立つのだろうな)

 

 それと博麗の巫女も。人間の寿命という点に関しては信綱も彼らも違いなどないというのに、不思議と確信が持てた。

 恐らく勘助も察しているのだろう。信綱がこの面子で最も長く生きることを。でなければあんな言葉は出てこない。

 

「……なんかしんみりしちまったな、悪い。それより今日は家でメシ食べていかないか? お前が持ってきてくれた山の幸使ってさ」

「そうだね。ノブ君も一緒にどう? 弥助も喜ぶと思う」

「……お言葉に甘えさせてもらおうか。ありがとう」

 

 二人の申し出に信綱も小さく笑みを浮かべて快諾する。

 しかし、彼の頭の中ではこうして集まれる時間は後何度あるのか、とそんなことを考えてしまうのであった。




新聞開始。原作前には結構流行り始めることでしょう。
なお記念すべき最初の記事のインタビューはヤバ過ぎてお蔵入りになる模様。

ノッブは長く生きる予定なので、否応なしに友人たちの死も見ていかなければならないという。まあ阿礼狂いなので御阿礼の子に死なれるよりダメージは少ないですが。

こんな感じにぼちぼち原作の方に近づけていく期間になります。お付き合いいただければ幸いです。

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