阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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最後の役目

 霊夢と名付けられた少女が紫の手によって連れて来られたのは、つい最近の話となる。

 それ自体に思うところはない。新しい博麗の巫女がやってきてよかったね、程度である。その少女もたくましく成長して幻想郷のために頑張ってくれるだろう。

 ……本来ならそこで終わるはずだったのだ。

 

 先代の巫女はそこから博麗神社に住み込み、紫と藍の教育を受けて博麗の巫女として成長した口だった。

 だから今回もそうなると信綱は予想していた。紫が教育を施すのだろう、と。

 

「あなたたちにお世話を頼みたいのよ」

「なぜ」

 

 だから信綱は紫がこの話を持ってきた時、本気で彼女の真意が読めなかった。

 隣りにいる一応は妻である先代も目を丸くしている。

 

「俺はお前たちが博麗の巫女を育てているのだと認識していたぞ」

「それは正しいですわ。事実、あなたまでは私たちが面倒を見ておりましたもの」

「とりあえずその口調をやめろ、鬱陶しい」

「出会い頭から辛辣ね本当に!?」

 

 そちらの方に慣れてしまっていた。ちゃんと取り繕うことも腹芸もできるのだが、どうにも彼女の本質は少女のこちらに近いように思えてしまう。

 信綱のささやかな気遣いで場の空気をほぐした後、彼は改めて茶を片手に紫に真意を問う。

 

「で、なぜだ。こいつならわからなくもない。だがなぜ俺まで巻き込む」

「あら、百鬼夜行すら退けた人間の英雄を見ておいて欲しい、というのは理由にならない?」

「もう過去の話だ」

「今でもできるんでしょう?」

「あの時より上手く解決して見せるわ戯け」

 

 今度は無傷で、二人同時だろうと倒してやる。そんな気迫が信綱の身体にはあった。

 負った怪我は痕も残らないかすり傷のみ。人間の被害は先代のみが知る火継の人間が一人。そして鬼との禍根も残らない。

 そんなおとぎ話のような結果を手繰り寄せておきながら、この男はそれすら満足には値しないようだ。

 より正確に言うのなら自身の身体に怪我を負ってしまい、阿弥に心配をさせてしまったのが一番の後悔らしいのが阿礼狂いである所以だ。

 

「それに私は新しいルールの調整に忙しいのよ。おおよそは定まってきたけど、細かい部分や安全面の配慮が大変なんだから」

「そちらはそちらで頑張ってくれ。俺は門外漢だ」

 

 弾幕、という形で霊力や魔力を放って戦う、ということまでは聞いていた。

 必要になったらその時に覚えれば良い。今は紫たちが頑張るのを静観しているのが吉である。

 

「とにかく! あなたまで積極的に関われとは言わないけど、そちらの先代の巫女には是非とも頼みたいのよ」

「私? 自分で言うのもあれだけど、私ってあんまり才能豊かな方じゃないと思うわよ?」

「案外、そちらの方が人に物を教えるのは上手いかもしれません。何より、妖怪の私が人間に教えるとなるとやはりどこかで歪みが出てしまうものでしょうし」

「なぜそこで俺を見る」

 

 妖怪に戦う術を教わったという点では先代も信綱も同じである。師匠の優秀さや本人の才覚には全く違うものがあるのだが。

 

「けど……あんたは私以外の代にも教えていたんじゃないの?」

「教えていましたわ。でもそれは彼女らがあまりにも早く逝ってしまったから。子供は嫌いじゃないけど、皆がお婆ちゃんになることもなく死ぬのは堪えるのよ?」

 

 寂しげに微笑む彼女の顔に嘘はなく、本心から先代以前の博麗の巫女の早逝には心を痛めている様子が伺えた。

 それでも幻想郷のために手心を加えない辺り、さすが幻想郷の賢者といったところである。

 

「ううん……」

「なかなかうなずかないわね……。それじゃあとっておきを言うとしますか」

 

 承諾の意思を見せず迷っている様子の先代と、紫にはまだ言いたいことがありそうだと見抜いて静観を貫いている信綱。

 その二人を前に紫は稚気たっぷりの笑みを浮かべ、そっと身を乗り出して先代の耳元に口を寄せる。

 

「――母親気分、味わってみたくない?」

「っ!!」

「……何か吹き込んだのか」

 

 丁寧にスキマまで活用して信綱には聞こえないように、その言葉は先代の耳に届いた。

 

「私なりの心遣い、というやつですわ。もちろん私の思惑もあるけれど、立派に役目を果たした先代さんには幸せになってもらいたいもの」

「……その言葉、信じていいのね?」

 

 先代の探るような、すがるような瞳に紫は微笑んでうなずく。

 決心がついた先代は火継の家主である旦那の方を見る。

 

「……ねえ」

「別に構わん。俺はお前の人生を束縛するつもりはない。もうすぐ阿求様もお産まれになるらしいから、そちらにあまり注力はできんがそこは許せ」

 

 実は最近、映姫に招集を受けている身である。吸血鬼異変が起きる直前、まだ大人になって間もなかった頃に一度訪れたきりの、三途の川まで彼女に招待されているのだ。

 

「ん、ありがと。そっかそっか、私が母親か……」

「なるほど、そういう説得か」

「あなたが頑張っても良かったのよ?」

「抜かせ。俺の血など混ざったら狂人になる」

 

 年齢的に出産など無理というのもあるし、何より信綱という阿礼狂いの血と博麗の巫女の血。混ざってどうなるかは予想がつかなかった。

 

 それでも信綱は半ば確信を抱いていた。

 もしも自分の子ができた場合、それは絶対に阿礼狂いに目覚めるだろう、と。

 

 半ば自虐に近い信綱の言葉だったが、先代は特に何かを言うことなく肩をすくめるに留める。

 基本的のこの男が自分本位になるのは御阿礼の子が関わる場合のみで、そうでない場合は意外なほど受動的なのを知っているからだ。

 故に彼の言葉の真意は狂人が生まれるとわかっていて先代に負担をかけたくない、という彼なりの気遣いに端を発しているのだと先代は友人、夫婦と形を変えながらも共にいた時間で見抜いていた。

 

「それじゃあ私が博麗神社に通う形?」

「そこは二人にお任せするわ。時節を見計らって術の方もお願い」

「ん、了解」

 

 そう言って先代が火継の家から再び神社の方に通い始めたのが先日。

 そして今は――

 

「ねえ聞いて聞いて! 霊夢ったら可愛いのよ! ちっちゃい手で私の手なんて掴んできちゃって! もうたまらないわ!」

「あーはいはい」

 

 全力で娘である霊夢を猫かわいがっている状態だった。

 親バカとはまさにこのことか、と彼女の霊夢に対するノロケを辟易した顔で聞き流す。

 

「あんたも見てみればわかるって! あの子は誰よりも可愛いわ、私が保証する!」

「御阿礼の子が世界で一番可憐に決まっているだろう、何を言っているんだ」

「…………」

「…………」

『表に出ろぉ!!』

 

 こんな形で夫婦喧嘩になるとは思わなかった、と信綱は後に語る。

 ちなみに無駄に強い夫婦の喧嘩であるため、火継の人間は言うまでもなく騒ぎを聞きつけてやって来た妖怪すらも止められず、怒りが自然鎮火するまで喧嘩が続いたことはここだけの話である。

 

 そんなこんなで信綱もこの状態の先代には近づかない方が良いと学び、避難先に霧雨商店を選んだのだが……

 

「やあ、よく来たね。この前からずっと考えていたんだけど、この道具の起源を僕なりに――」

「お、ノブか! 最近よく来るなあ。さてはうちの孫娘の可愛さにやられたな?」

 

 店に入っては霖之助の毒にも薬にもならない薀蓄を聞かされ、勘助に会っては少し前に生まれた孫自慢をされる。

 どこに行ってもこの調子で、信綱もいい加減に悟る。

 

 これに付き合うのは面倒なだけだ、と。

 

 うんざりした様子で信綱は適当な茶店に入り、茶をすする。

 自分の家では先代がうるさい。霧雨商店は孫バカと薀蓄がうるさい。

 人里の中で信綱が安息を得られる場所は限られていた。

 

 子どもたちや若い大人を始めとして、もう信綱の活躍をその目で見ていない世代も出てきてはいるのだが、逆に言えば今こそ盛りである三十代や四十代は信綱のことを知っているのだ。

 早く阿求に仕えることに専念したい、と信綱は些か現実逃避も混ざった考え事をしていると対面の席に人が座る。

 顔を上げると、そこにはニコニコと楽しそうな笑みを浮かべる慧音の姿があった。

 

「……何が楽しいんですか、先生」

「はは、そんな荒んだ目で見るな。聞かされる我が子可愛さにうんざりしている、といったところだろう?」

「……先生も経験があるので?」

「聞き役になったことはな。あいにくと話す側に回ったことはない」

 

 信綱は少々意外そうな顔をする。人里で過ごす半獣というだけあって、誰かと結ばれた話がないのは別に驚かない。妖怪と人間が大っぴらに関われるようになったのは最近の話である。

 しかし彼女ほど人間が好きな存在ならば、孤児を引き取って育てた経験ぐらいあると思っていたのだ。

 

「人間の子供は人間が育てるべきだ。それに私は寺子屋で手一杯だからな。やんちゃな悪ガキの相手だけで自分の子供まで欲しいとは言ってられないさ」

「……先生がそう言うのなら構いません。私も似たようなものです」

 

 自分のような狂人に子供は育てられない。仮に育てたとしても、阿礼狂いとしての教育を施してしまうだろう。

 そんな意図を込めた信綱の言葉だが、慧音には違うように受け取られてしまい、心配そうな目を向けられてしまう。

 

「なんだ、先代との関係は悪いのか?」

「……違います。この前喧嘩はしましたけど、そこまで仲が悪いとかはありませんよ」

 

 彼女が形だけでも夫婦としての時間を求めるのなら、御阿礼の子がいない今だけそれに応えるのも吝かではなかった。

 なので信綱は自分なりに彼女を大切にしていると自負しているし、彼女もまた信綱を通して夫婦という形の夢を叶えている。

 と、それを伝えたところ慧音は心配そうな顔から一転し、ニヤニヤと笑い始める。

 

「なんだなんだ、お前の実情は知っていたから結構心配していたのだが……案外お似合いじゃないか。この歳で婚姻とは羨ましいな、このこの」

「先生、率直に言って気持ち悪いです」

「容赦無いな!? 私はお前をそんな子に育てた覚えはないぞ!?」

「私も先生に育てられた覚えはありません」

 

 というか誰かに育てられた気がしない。血の繋がった親はいたが母親は顔も知らず、父親は自分が捨て駒として使った。

 ……こうして考えると笑ってしまうくらい親子の情とは無縁の生活を送ってきたものである。

 それでも信綱が曲がりなりにも真っ当に成長できたのは――

 

「……こうはなるまい、と思う反面教師ぐらいしか私の人生にはいませんでしたよ」

 

 事あるごとに自分をさらおうとし、あの手この手で殺しにかかったり誘惑をしてくる傍迷惑な烏天狗ぐらいしか思い浮かばなかった。

 もう一人の白狼天狗の方は友人としての付き合いだったため、あまり育てられたという感覚はない。

 

「む? それは私……じゃないよな?」

 

 反面教師という言葉で自分のことかと思った慧音が恐る恐るといった顔で信綱を伺ってくる。

 確かに誤解を受けても仕方がない、と信綱は感傷に浸っていた思考を切り上げて慧音の不安を払う。

 

「違います、安心してください。……ところで、私に何か用があるのでは?」

「む、そうだった。お前といるとつい余計な話が出てしまう。それもこれもお前が話題に事欠かないからだな、うむ」

 

 ひどい言い草である。信綱は抗議したそうな目で慧音を眺めるも、彼女は取り合ってくれない。

 

「話だが――お前の半生を歴史書に載せたい。今度私に付き合ってくれないか?」

「構いませんよ。自分が何をやったかは理解しているつもりです」

「ありがとう。お前ももう歳だ。死んでからでは正確な歴史の記述は難しいからな」

「あまり派手に書かれても肩身が狭いですけどね」

「安心しろ。歴史書なんて堅苦しく書いてなんぼだ。それに正確性こそ歴史には求められる。きっちり、しっかり、公平に、お前の偉業を書き記してやるさ」

 

 なんだか余計な逸話まで盛られそうで不安を感じてしまったのは、胸の奥にしまっておくことにする。

 

「……ただ、一つだけお願いがあります」

「うん? なんだ、なんでも言ってくれていいぞ」

「御阿礼の子の歴史が知りたいのです」

 

 信綱の言葉の意味がわからず、慧音は首を傾げる。

 御阿礼の子の歴史など、信綱ほど長く仕えた――いや、火継の人間ならば誰もが一言一句違わず暗誦できるはずだ。

 そのことを告げても信綱の表情に迷いはない。

 

「いいえ――あなたが編纂の際に隠した御阿礼の子の歴史が知りたいのです」

「……っ!」

 

 信綱の指摘に慧音は息を呑む。和やかな空気は消え失せ、鋭く細められた信綱の目に射竦められる。

 慧音は背中に冷たい汗が流れるのを感じ取る。

 

 一貫して人里の味方であった彼女は信綱からこのような視線を受けることはなかった。

 彼も慧音のことを尊敬し、阿礼狂いなりに彼女に対して敬意を払っていたことは周知の事実。

 その彼が今、慧音に対して敵を見る、とは行かなくても返答次第では武力行使もやむなしと決めている目を向けていた。

 

「……なぜ、私が歴史を隠していると思った?」

「百鬼夜行の折に人里を隠したでしょう。あの時に思い至ったのです。あなたは公平だが、同時に人里を愛している。――知るべきでない真実を隠すことだってあり得る」

 

 そもそも幻想郷の人間は情報が少なすぎる。有事の際に妖怪と戦う役目を持つ信綱でさえ地底の存在を知らず、幻想郷の情報も慧音と御阿礼の子の作成する書物が頼みの綱だ。

 ならばその情報を与えられる存在――例えば、昔から人里に住まう彼女ならば情報を管理できるのではないか。そう考えたのだ。

 

「……御阿礼の子は求聞持の力がある。例え私が隠したとしても彼女らは覚えているだろう」

「そうですね。ですがあの方にそこまでの面倒はかけられない。――俺は真実が知りたい」

 

 第一、歴史書と顔を突き合わせて史実との違いを探るなど御阿礼の子の記憶があっても気の遠くなる作業だ。

 そんなことをするつもりは信綱にもない。ただ、知りたいことは一つだけなのだ。

 

「隠していることを全て曝け出せなんて言うつもりはない。知らないなら知らないで構わない――あの方の短命の理由が知りたい」

「――」

 

 慧音は全てが腑に落ちた心持ちで信綱の目を見る。

 険しく細められ、虚偽は許さないと輝くその瞳の奥に、慧音は確かに懇願の色を読み取ってしまう。

 何の事はない。彼は昔も今も変わらず、御阿礼の子のために動いているだけなのだと理解すると同時、彼女の口は彼の期待を裏切る言葉が出る。

 

「……すまない、知らないんだ。私がここに来た時、すでに御阿礼の子は短命だった」

「……そう、ですか。お手数おかけして申し訳ありませんでした」

 

 この場は私が、と言って信綱は言葉少なに立ち去ろうとする。その背中に慧音は彼の真意を問うべく口を開く。

 

「待て! お前はどうしてそんなことを知りたがる!」

「……言うまでもないでしょう。私はいついかなる時でも、あの方のことだけを考えて生きています」

「ではなぜ今になって真実など……」

「私もあの方が選んだことであれば何かを言うつもりはありませんでした。――ですが、選択肢がないのとあるのは全く違う」

 

 あの日、阿弥と永別をした時に決めたことがある。そしてそれを自身の最後の役目だと己に課した。

 信綱は常と変わらぬ強い意志を感じさせる瞳で慧音を見据え、その言葉を口にする。

 

 

 

「――あの方の短命の軛を断つ。それが最後に成すべきことだ」

 

 

 

 子が父より先に逝くなんて、あってはならないのだ。

 

 

 

 

 

 慧音と別れた信綱は三途の川を訪れていた。

 映姫に呼び出されたことと、信綱も彼女に対して御阿礼の子の真実を聞くことと、目的が一致していた。

 

 妖怪の山を通り抜け、中有の道を通って川岸に到着した信綱は霞がかって向こうが見えない川面を見据える。

 そんな信綱の前に現れたのは、いつか見た二房の髪を結んでいる赤毛の死神だ。

 

「ほいほい、お兄さん死人……じゃないな。どうやってこんな場所に来たんだい?」

「閻魔に呼ばれてきた。久しいな、死神」

「んー? お兄さんみたいな人間と知り合いになった覚えはないけど……」

「御阿礼の子に関する話だ」

 

 その言葉を出した瞬間、赤毛の死神――小野塚小町は頬を引きつらせて信綱を見る。

 

「お兄さん、まさか……スキマと一緒に彼岸に来た小僧かい?」

「そのまさかだ。あの時は世話になったな」

「うわ、見違えたね。人間だから見た目が変わるのもそうだけど魂の強度が桁外れだ。お兄さん、どんだけ修羅場くぐってきたのさ?」

「魂の強度とやらの基準はわからんが、百鬼夜行に巻き込まれた程度だ」

「普通死ぬわ!? っと、映姫様に呼ばれてんだったね。案内するよ」

「…………」

 

 小町が差し出してきた手を信綱はすぐに掴まなかった。

 むしろ何か躊躇するように彼女を警戒している。

 

「どうしたのさ?」

「……そちらに渡ったら戻って来られないとかないだろうな」

「あはははは! 安心しなよ、映姫様が責任持って帰してくれるって! 呼びつけておいて向かったら帰れないなんて理不尽、あの方が許すもんか!」

 

 その他にもこの死神が胡散臭いという理由もあるのだが、そちらは黙っておく。

 ともあれ信綱が小町の手を掴むと、その瞬間視界が切り替わる。

 川面の風景は信綱の後ろに存在しており、視界の先には彼岸花の咲き乱れる景色が広がっていた。

 

「死人は船で運ぶんだけどね。今回は急がせてもらったよ」

「助かる。お前も変わらずサボっているのか?」

「休憩だって。あの一休みが効率を良くするのさ」

 

 本当に変わらない。信綱は肩をすくめるだけに留めて、本来の目的を果たすべく歩き出そうとする。

 

「ああ、待ってよ。ちょうどいい暇つぶし――もとい、道案内も兼ねてあたいも一緒に、」

「その必要はありませんよ、小町」

「ぅげっ!?」

 

 すでに信綱の前に佇んでいた少女――四季映姫が悔悟棒で口元を隠し、しかし冷たい目で小町を睨んでいた。

 

「彼を迅速に連れてきたことはほめて差し上げます。よくやってくれました」

「あ、あはははは……お褒めに与り光栄です……」

「ですが、その後は通常の業務に戻るように命じたはずです。彼の道案内までやれとは言っておりません」

「うぅぅ……」

「良いですか? そもそもあなたは――」

 

 淡々と続く映姫の説教に小町がすがるような視線を投げかけてくる。

 その目は助けてくれと雄弁に語っており、半ば涙目にすらなっていた。

 仕方ない、と信綱は軽くため息をついて口を挟むことにする。

 

「……俺を呼んだのはこの説教を見せるためか?」

「む、失礼しました。あなたがいるのに小町へのお説教を優先するわけにはいきませんね」

「あ、じゃああたいはこれで――」

「ああ。そいつへの説教など後でいくらでもできる」

「っ!?」

 

 今にも逃げようとしていた小町から騙したのか!? と言わんばかりの視線が来るが、信綱は取り合わない。

 そもそも普通に仕事をしていれば受ける謂れのない説教なのだ。信綱が助けたところで説教が後になるか先になるか程度である。

 これが事故なら助け舟も考えるが、自業自得なのだ。助ける義理などこれっぽっちも感じなかった。

 そんな思いから口を開いた信綱を映姫は感情の読めない瞳で見つめる。

 

「……ふむ、優しさと甘さの区別をつけているのですね。善いことです」

 

 どうでも良い相手にはどうでも良い対応しかしないだけである。信綱は映姫の評価に肩をすくめる。

 

「過大評価だ。それより話があるのならそいつをどこかへやってくれ」

「言われずとも逃げるよっ! この裏切り者ーっ!」

 

 助けるという約束すら交わしていないのに裏切り者呼ばわりされてしまった。

 彼女がいなくなった方向を少しの間眺めていたが、すぐに気を取り直す。彼女が怒られようと怒られまいとどちらでも良かった。信綱に影響はない。

 

 改めて信綱は映姫に向き直り、彼女の言を待つ。

 そんな彼に映姫は小町に向けていたものとは別種の、柔らかな眼差しを向ける。

 

「さて、まずはご足労頂き感謝します。幻想郷に新たなルールが策定されるとの話、聞いておりますよ」

「別に構わん。俺もあなたに聞きたいことがある」

「ふむ? まあまずは私の用件を済ませてしまいましょうか」

 

 閻魔に質問とは珍しい、と映姫は首を傾げる。

 彼女は信綱に対して比較的好意的だが、それは彼が普段は自らの狂気を律して善行を行っているからこそ。死者を裁く閻魔と生者の線引は行われている。

 元来、生者の質問に死者が答えることは許されない。彼の質問も、内容次第では映姫も口を閉ざすだろう。

 信綱はそれを知っているのか、読めない無表情のまま映姫の言葉にうなずいた。

 

「ああ、呼び出した側の用事を先に済ませるのが筋だろう」

「では――御阿礼の子が間もなく転生することはご存知ですね?」

「愚問だな」

 

 すでに紫から聞かされている。信綱はひび割れるようにシワの増えつつある己の手を拳に変え、少年の頃と何も変わらない狂気と理性の同居した瞳で映姫を見た。

 

「俺の成すべきことは定まっている。俺が生まれるより前からずっとな。そんなことを聞くために呼び出したのか?」

「今のは万が一――いえ、億が一の確認程度です。ここからが本題になります」

「早く話せ」

「やれやれ。私自身にあの子を泣かせてしまった負い目があるとはいえ、その言葉遣いは感心しませんよ」

「うるさい」

 

 彼女も誰かが言わなければならない役目を果たしたのだろう。それは信綱にもわかっている。

 しかし、阿弥の傷ついた蒼白な面立ちを思い出すと、どうしても彼女に対して好意的になれない自分がいた。

 

 やはり自分はどこまでも御阿礼の子に狂った存在なのだろう。

 道理に適っていようと、それが誰かが背負うべき貧乏くじであったとわかっていても、御阿礼の子が辛い思いをした。それだけで信綱の胸中には言い知れぬ怒りが浮かんでくるのだ。

 自分でも制御できない怒りと苛立ちを極力表に出さないようにしていると、映姫は軽くため息をついた。

 

「失敬、本題に入りましょう。――あなたは最期の御阿礼の子にどう接するつもりですか?」

「今までと何も変わらん。全霊を尽くし、全てを捧げる。それだけだ」

「……私も彼女らには思い入れがあります。願わくば幸福を手に入れて欲しいと。だからこそ問わねばならない」

 

 

 

 ――あなたは自らの死をどうするおつもりですか?

 

 

 

「…………」

「何も考えていない、なんてはずがない。私はあなたを高く評価している」

「……俺に側仕えを辞せ、と?」

「あなたの死を見せないという点において、それもまた一つの選択肢だと思っております」

 

 映姫の言葉に信綱も内心で同意する。

 彼自身も考えたことはあるのだ。阿求と共にいられる時間は間違いなく自分の方が先に尽きる。

 自惚れでなければその時、阿求は悲しむだろう。泣くだろう。信綱が感じる痛みの一部を感じてしまうだろう。

 彼女に看取って欲しいと思うのは信綱のワガママであり、それが彼女を悲しませることに繋がるのなら信綱はその願いを諦められる。

 だが――

 

「……それは必要なことだ」

「誰にとって?」

「御阿礼の子にとって。――俺が死を見せることで彼女たちは俺の呪縛から放たれる」

 

 物騒な言葉に映姫は眉をひそめる。呪いという点なら、御阿礼の子らが彼に課した生きろという願いの方がずっと重いのではないか。

 

「あなたの、呪縛?」

「……俺は阿七様、阿弥様、そして阿求様の三代に仕える。あの方たちは求聞持の力で俺のことを覚え続けるだろう。なら、区切りは絶対に必要になる」

 

 仮に信綱が姿を隠したら、彼女らの頭には一つの可能性が浮かぶだろう。

 

 ――もしかしたら彼はどこかで生きているのではないか、と。

 

 幻想郷には人間以外の存在が多く住まう。彼らの中には人間から化外に変わる手段を知っている者もいるかもしれない。いや、確実にいるはずだ。

 それらの可能性に頼るつもりは毛頭ないが、死ぬ姿を見せずに隠れたらその可能性が頭をもたげるだろう。

 

 そうなったが最後、御阿礼の子は終わらない妄執にとらわれてしまう。

 いるはずのない自分の存在を求めてしまうなど、あってはならぬこと。自分などに縛られて良い人ではないのだ。

 

「俺の死を以って俺という存在を終わらせる。歪んだ希望は時に何よりも醜悪になってしまう。……あの方がそのようなものに囚われてはいけない」

「……あなたの決意、確かに聞き届けました。……本当に苦労をかけさせてしまいますね、あなたには」

 

 まるで御阿礼の子の親のような台詞であるが、彼女にはそれだけの思い入れがあるのだろう。信綱は気分を害した様子もなく首を横に振る。

 

「それが役目で、やりたいことだ。お前が聞きたいことはそれだけか?」

「ええ。どちらにとっても悲しい結末になるような考えを持っていたのなら、あなたを説得することも考えていましたが――愚問でしたね。あなたを信じられなかった己が恥ずかしい」

 

 根底に狂気があるこの男を信じ切ることができなかった自らの不明だ、と映姫は申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「いや。あなたが御阿礼の子のことを考えての言葉であることはわかっている。どうか頭を上げて欲しい。俺はあなたに謝罪をさせるために来たわけじゃない」

 

 そう言って信綱は映姫の謝罪を受け取らない。彼がここに来た目的はそれとは別の場所にあるのだ。

 呼び出した映姫は彼にも用事があるということを思い出し、不思議そうな顔で問うてくる。

 

「ああ、そんなことを言っておりましたね。伺いましょう。但し、(閻魔)あなた(生者)は本来相容れない存在であることをお忘れなきよう」

「それはあなたの判断次第だ」

 

 信綱はゆっくりと彼女から後ずさり――踏み込みの距離を測るように――離れてから、その言葉を口にする。

 

 

 

 

 

 ――御阿礼の子の短命の原因を知っているか?

 

 

 

 

 

 そう告げた彼の目は、閻魔を相手に戦うことも辞さない輝きを宿していた。




もうじき阿求の時代が始まり、物語も佳境から終わりに差し掛かります。というか終わりに入ってます。

全体で80……90話は行かないかな、多分。
そしてノッブは最後の大目的を定めました。

『御阿礼の子の短命をどうにかする手段を探る』

阿弥との別れに言った台詞が全て。子が親より先に逝ってはならない。
その願いを持って彼は進むことでしょう。

あの時言わせた台詞があんな意味を持ってくるとは……(他人事)

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