阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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御阿礼の子の仕組み

「こんな感じか」

「そうそう、術式に狂いはなし。込める霊力も適正。非の打ち所がないわ」

 

 信綱は先代の立会のもと、両手の間の空間に仄かに輝く霊力を集める。

 以前までは見よう見まねで覚えたもので十分だと思っていたものの、それでは足りないと判断するようになったのだ。

 

「全く、教え甲斐がないわね。一度教えたらすぐものにするし、応用も完璧。この調子じゃ博麗の術まで覚えられそうだわ」

 

 実は先代と何でもありの組手をしている時に見ていたため、夢想封印などの秘伝でなければある程度は模倣できていた。

 本格的に見せてもらえるなら秘奥だろうと容赦なく盗むつもりだが、それは今は関係ないので省く。彼が求めているのはそういった力ではない。

 

「にしても一体どういう風の吹き回し? いきなり霊力の扱いを教えてくれなんて。あんた前から使えてたじゃない」

「見よう見まねの独学より、誰か先生がいた方が熟達も早い。それに知りたいことがある」

「知りたいこと? 自分の限界とか?」

「違う。霊力を扱って何ができるか、だ」

 

 妖怪が妖力を持つように、人間は霊力を持つ。妖怪に対して強い効果の見込めるそれは、あるいは人間という種を作った何かが与えた唯一の剣なのかもしれない。

 しかし信綱はそれを積極的に使うことはなかった。資質によって左右される部分の大きい力を使うよりは、子供の頃から手に馴染んでいる鋼の刃の方が信頼できた。

 

 これまではそれで良かった。襲い来る脅威は直接的なものばかりで、その力で薙ぎ払ってやれば大体が解決した。

 だが――今、信綱が解決しようとしているものはそれではどうにもならない。

 

 御阿礼の子の短命。火継の誰もが知り、多くの者たちがそれに挑み、結実することなく潰えてきた悲願。

 阿七も阿弥もそれを嘆く様子はなかった。信綱はそれを知っているからこそ彼女らの選択に口を出すことは今までしてこなかった。

 

「御阿礼の子が短命な理由。お前は知っているか?」

「は? ……単純に身体が弱いから、とかじゃないの?」

「誰もわかってないらしい」

「おい」

 

 いきなり話題を変えてきた信綱に律儀に付き合ったのに、この返答。先代の目がじっとりと湿り気を帯びるのも無理はない。

 

「人里の守護者として付き合いの長い慧音先生も、彼女に幻想郷縁起の編纂を命じた八雲紫も。あの方が転生するまでの監督役を務める四季映姫でさえも。誰も知らなかった」

 

 どれもそうそうたる顔ぶれである。彼女ら全員に聞いても、信綱が望む答えは返ってこなかった。

 八雲紫との話には先代も同行していたため、その場で気になったことを聞いてみる。

 

「紫とかは嘘ついてるとかないの?」

「本気の殺意をぶつけているのに嘘をつく理由はないだろう」

「タチの悪い……」

 

 もはや八雲紫と同等の域に至った力を躊躇なく脅しに使っていることに、先代は呆れた顔を隠さない。

 人妖の共存を成し遂げた英雄であっても彼は阿礼狂い。その辺りのことを失念しかけていた先代は気持ちを引き締めることにした。

 御阿礼の子がいない時間だから彼が狂う理由などないと思っていたが――とんでもない。彼は今も変わらず御阿礼の子に狂っていた。

 

 椛の願いを受けてではない。老齢を迎え、御阿礼の子のために生きる彼が自覚した己の願い。

 時間が限られるということの悲痛さを改めて理解し、遠くへ逝ってしまう者の悲哀と残された者の嘆きを知った。

 

 人は死ぬ存在。それは変えられない。だが、親より早く子が死んで良い道理などどこにもない。

 次は自分が死ぬ番だ。ならばせめてあの方に選択肢を遺そう。

 

 これまでの火継が挑み、敗れた願いに挑む時が来たのだ。

 

「誰もわかっていないなら可能性がある。俺があがいてもどうにもならない理屈がすでに定まっているより遥かにマシだ」

「……そう」

 

 先代は信綱の目がかつてないほどの意志に燃え盛っているのを見て、何も言わないことにした。

 こうなっている彼にはどんな言葉も届かないだろうし、悪事をしようというわけではないのだ。

 それに何より――こうして目的のために迷わず足を進められる彼の姿は嫌いではなかった。

 

「……頭がオカシイのは私も同じか」

「なにか言ったか?」

「なんでも。でもあんたが理屈の方から知りたいってんなら、座学の方を教えるわ」

「できるのか?」

 

 信綱はやや意外そうな顔になる。生まれる性別を間違えたとしか思えない言動をたまにするこの先代が、そういった知識をしっかり持っているとは思っていなかったのだ。

 

「あんたみたいに才能には恵まれなかったからね。死に物狂いで覚えたのよ」

「いずれにせよ助かる。最悪、自分で体系化する可能性も考えていたんだ」

「……あんたは相変わらずデタラメね」

 

 ここまでかけ離れていると嫉妬する気持ちすら湧き上がらない。

 彼も彼で努力を怠っていないからだろう。黙々と基礎の鍛錬を繰り返す姿も、ここで住むようになってから何度も眺めている。

 信綱は先代がそんなことを思っていることなど露知らず、彼女の話を聞く姿勢になっていた。

 

「……ま、あんたが言うなら霊力の理屈について講釈垂れてみようじゃないの。出来の良い嫁をもらえたことに感謝すると良いわ」

「感謝している。だからこそ好きに生きないのか不思議だが――待て、なぜ戻ろうとする」

「とりあえずあんたが学ぶべきは女心だと思うわ。割と切実に」

 

 解せぬとばかりに首を傾げる信綱に、先代は大きなため息をつくのであった。

 本当にこの男は技術とかそういったものの熟達は恐ろしく早いのに、人の心理を慮るといったことはいつになっても苦手なままだ。

 だが、それを仕方がないと苦笑で済ませようと思ってしまう程度には、先代も信綱という男について理解を深めていた。

 

(霊力の扱いさえ覚えれば、御阿礼の子にも希望が見える)

 

 先代の背中を追いかける信綱は相変わらず御阿礼の子について考えていた。

 自分の手と先代の背中を見て、共に六十代とは思えない若々しさと活力を保っている肉体に目をやる。

 

 霊力を扱えることによって肉体が活性化し、全盛期を保ちやすくなる。これを応用してやれば御阿礼の子の寿命にも可能性が見出だせるのではないだろうか。

 

(……ことはそう簡単でもないか)

 

 そんな希望を信綱は自分で否定して息を吐く。

 この程度でなんとかなる程度の問題ならとうの昔に誰かがやっている。

 信綱は映姫との対話、そして八雲紫との対話を思い出し、改めて自分が挑むことになるものの難しさを知るのであった。

 

 

 

 

 

「――わかりません」

 

 映姫の返答に対し、信綱は抜刀すら辞さない剣呑な空気を出して彼女を睨みつける。

 が、映姫は涼しい顔でそれを受け止める。自らの答えに対する恥を何一つ持っていない者特有の姿だ。

 

「わからないものをわからぬということに何か問題でも?」

「とぼけるな。お前は初代の御阿礼の子から見知っているはずだ。何かしら知っているだろう」

「あいにくとご期待には添えられませんよ。私と彼女たちの付き合いは主に彼女がこちらに来た後です。生者であった頃の彼女など、阿弥ぐらいしか知りません」

「……む」

 

 確かにこれでは知る由もないのかもしれない。死後の存在に寿命の長短を聞いてもどうしようもない。

 だが、それでも転生という仕組みの関係に彼女は関係していると睨んでいる。信綱は追及の手を緩めない。

 

「しかし、転生の仕組みそのものにはお前が関係しているだろう。そちらの危険などが関係するのでは?」

「転生の仕組み自体は他の人に適用するものと同じですよ。私が許可しているのは同じ幻想郷で、人間に生まれることだけです」

「どういう意味だ?」

「輪廻転生。これは前世での経験を活かしより良い次生を送り、徐々に解脱を目指すための仕組みです。それは何も御阿礼の子だけに使われる仕組みではありません」

 

 あなたも死後は例外ではないですよ、と言われて眉をひそめる。

 

「……人間が死んだ後、人間以外に転生することもあるのか」

「無論です。その者の功徳にもよりますが、虫や獣になることもありますよ」

「生まれる場所は幻想郷以外も含むのか」

「それももちろん。外の世界は幻想郷とは比べ物にならないほど広い。ここに生まれるだけでも相当な幸運を使うことになるでしょうね」

「……お前は本当にあの方が短命な理由を知らないのか?」

「私は確かにあの子に入れ込んでいますが、それで公私混同はできません。彼女より早く消える命もあるのです。あの子だけを特別扱いはできない」

「…………」

「そんな目で見られても困ります。私は閻魔大王。何もかも不条理で不平等な世界において公平であることこそが役割の存在。私すら不平等になったら誰が衆生を裁くというのです」

 

 映姫の信念が感じられる言葉だった。信綱もここまで言われては引き下がるしかない。

 改めて実感する。目の前の存在に対して少々気が抜けていた。

 確かに彼女は衆生の幸福を心から望んでいるし、不条理な死や悪意に心を痛めているのも確かだろう。

 

 だが、彼女は紛れもなく死後の自分たちを裁く閻魔大王であり、決して人間が踏み入ってはならない領域の存在なのだ。

 

「……剣で脅しても無駄か、これは」

「さて、無為とは言いませんよ。私は裁く者であって戦うものではありません。あなたと刃を交えたら無事には済みません」

「どちらのことだか」

「どちらでしょうね」

 

 ふふ、と笑う映姫に信綱は久しぶりに心胆が冷えるのを感じる。

 やはり彼女は規格外だ。勝てる勝てないの問題でなく、根本的に存在する場所が違う。

 切った張ったでどうにかなる相手ではない。戦って負けるとは思わないが、戦って状況が好転する予想が全くできない。

 

「……済まない、少し性急になった」

「ええ、時間がないと焦るのはわかりますが他者に当たられても困る。あなたは少し自分が他人に与える影響というものを学んだ方が良い」

「理解しているつもりだ」

「つもりではダメです。きっと、あなたは自分で思っているより多くの存在に影響を与えていますよ」

「…………」

「理解し難い、という顔ですね。まあ良いでしょう。それらが如実に現れるのは先の話です」

 

 基本的に言葉は簡潔に済ませる映姫だが、今の言葉は信綱にはわからないものも混ざっていた。

 首を傾げる信綱を映姫は微かに微笑んで眺め、やがて踵を返す。

 

「私が尋ねたかったのはそれだけです。では火継信綱。――次に会うときは、きっとあなたを裁く時でしょう」

「……四季映姫!」

 

 去りゆく彼女の背中を呼び止める。

 振り返ることなく立ち止まった彼女の背中に、信綱はなんと声をかけるべきかほんの少しだけ思い悩み――

 

 

 

「――これからも続いていくであろう御阿礼の子のことを、よろしく頼む」

 

 

 

 悩んだ末、自分が最も大切にしている者を案じる言葉を投げかけるのであった。

 ある意味では当然のことであり、映姫は阿七や阿弥以前から御阿礼の子の面倒を見ていた。

 それでもなお、信綱はそれを言っておきたかった。彼にとって一番大切なのはやはり御阿礼の子で、映姫は信綱が見られない彼女らの姿を知っているのだから。

 

 その声を聞いた映姫は微かに肩を震わせる。笑いを堪えているように見えるその後ろ姿は、しかしこちらに顔を見せることなくひらひらと片手を振って遠ざかっていく。

 彼女の言うとおり、これが彼女との最後の会話になるだろう。次に見える時は信綱が死んだ時だ。

 

 もう言うべきことはない。彼が心配するのは御阿礼の子のことだけであり、自分のことではない。自分が死んだ後の裁きを気にする必要性は感じなかった。

 自分は死ぬ時まで御阿礼の子に全てを捧げ続ける。その事実さえあれば地獄に堕ちようと構わない。

 

 信綱もまた踵を返し、映姫とは別の方向に歩き出す。

 それが生者と死者を裁く者。本来交わるはずのない者たちの邂逅の終わり。

 これはただそれだけでの話で――信綱が自らに最後の役目を課した瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

「……八雲、紫」

「どうしてこの場所がわかったのか……なんて言うのは無粋かしら。ねえ先代さん」

「この場所を探るのは苦労したわよ。おかげさまで現役時代より結界が上手くなっちゃったわ」

 

 苦笑する先代と、それを見て同じく苦笑する八雲紫。

 目と目で通じ合っているような二人の理解を他所に、信綱はかつて幻想郷の共存を成し遂げた時と同じ――否、それ以上の苛烈な意志を持って彼女と相対していた。

 

 場所は八雲紫の住まう場所。マヨヒガではなく、正真正銘スキマ妖怪の居住地だ。

 先代を巻き込み、自分でも彼女の教えのおかげで腕を上げた結界術を駆使して擬似的なスキマを開き、その中にある彼女の家に到達した。

 

 到着した彼らを待ち受けていたのは、日傘を差して淑やかに佇む紫の姿だった。

 まるでこの場所に彼らが至るのを予期していたように、そして彼らが訪れることが一つの儀式であるかのように荘厳な気配をまとっている。

 

「……八雲紫。お前に聞きたいことがある」

 

 対する信綱はいつもと変わらない――否、楽隠居の状態になってからは外で持つことはなかった二刀を携えて紫と向き合う。

 

「剣呑な目。でも、昔のあなたはそんな感じだったわね。ここ最近のあなたはずいぶんと優しかったわ」

 

 私を少女のように扱いもしていたし、と紫は妖しく微笑む。

 信綱はそれに対して軽く肩を動かして返答とする。無駄口を聞くつもりもないようだ。

 

「また余裕がないわね。前のあなたは……今とあまり変わらなかったか」

「同感。ま、目的に進むこいつの背中は嫌いじゃないけど」

「あばたもえくぼというやつかしら。お爺さんお婆さんでも結ばれると変わるものね」

「うっさいわね。見た目は若いんだから良いのよ」

 

 先代と紫は信綱以上に長い付き合いを持っているのか、丁々発止のやり取りを続けていく。

 

「で、霊夢の方はどう?」

「可愛いわよ。母さん母さんって私の背中をついてきて。もう最近は神社に泊まり込みよ」

「あらあら、旦那さんが寂しがっているんじゃないの?」

「――聞きたいことがあると言ったはずだが」

 

 慣れた様子で話が広がっていくのを、信綱は静かな声でせき止める。

 会話をぶった切られた先代は仕方ないとばかりに肩をすくめて、信綱の隣に立つ。

 

「悪いわね、紫。にっちもさっちも行かない状況になったら――私はこいつの味方をする」

「仮にも博麗の巫女がそれで良いのかしら?」

「元、よ。御役目から解放されたんだし、私は私の味方したい方を味方するわ」

「――スキマ」

 

 再び信綱が話を遮る。

 声色は冷たく、これ以上話を続けるようなら無理やり終わらせると言わんばかりだった。

 紫は浮かべていた微笑みを扇子の向こうに隠し、信綱と相対する。

 

「……あなたたち火継の人間がそれを探し続けていることは知っておりましたわ。そしてそのどれもが志半ばで潰えたことも」

「そうだな。一通り見たが、どれも大して役には立たなかった」

 

 薬による治療法。指圧や按摩などによる微弱な肉体改造。食事法。神頼みなんてものもあった。

 幻想郷縁起の編纂以外で外に出ないのであれば、火継の側仕えであってもこの程度である。どれも御阿礼の子の現状を打破するには遠く及ばない。

 

「人里の守護者に聞いた、閻魔大王に聞いた。どれも知らないと言われた。ならばお前はどうだスキマ妖怪。御阿礼の子の仕組みそのものを考案したお前は何も知らないのか」

「…………」

 

 紫は信綱の鋭い眼光を受け、しかし微動だにすることなく口元を扇子で隠したまま目を細める。

 

「答えろ、八雲紫。俺はここまで来たぞ」

「……ええ、そうね。あなたが力を示し始めた時からこんな日が来ることを予感していましたわ」

 

 不意に紫は背を向けて、家の中に歩いて行く。

 日傘で見えない彼女の背中にはどこか哀愁が漂っているように感じられ、信綱と先代の二人が口をつぐむほどだった。

 

「家で話しましょう。長い話になるでしょうし」

「……わかった」

 

 初めて訪れることになる八雲紫の家だが、中は意外なほどに普通だった。むしろそれなり以上に大きな家に住む信綱にしてみれば質素にすら映る。

 視線の様子に気づいたのか、紫が小さく笑う。

 

「普段は藍と二人暮らしよ。あまり広すぎては掃除が大変になってしまうわ」

「…………」

 

 こいつが掃除などするのだろうか、という疑問が信綱と先代の頭に同時に浮かび、思わず横に目を向けると目が合ってしまう。

 何も聞かなかったことにしよう、で同意するまで時間はかからなかった。そっと心中で藍の苦労に両手を合わせ、信綱は橙が将来において彼女に振り回されないことを密かに願う。

 

 二人の視線を他所に紫はパチンと指を鳴らすと、三人分のお茶がスキマから現れる。

 躊躇わず口をつける先代と信綱。二人とも修羅場をくぐってきていたので、今さらその程度で驚きはしなかった。

 

「それ、毒が入っているって言ったら?」

「毒が回る前にお前から解毒剤をぶん取る」

「右に同じく」

「……あなたたち、時々発想のレベルが同じになるわよね」

 

 溢れる武力に物を言わせた脳筋発想と言うべきか、時間がないことを理解した上での最短を選んでいるだけなのか。

 おまけにとにかく強いから面倒だ。信綱一人でも至近距離である今は危うい上、先代まで一緒になると対処に苦慮する。というか戦闘になったら多分負ける。

 紫は咳払いで空気をごまかし、信綱と先代の二人が見る中でゆっくりと口を開く。

 

「……結論から言ってしまうと、私も彼女の短命の原因は知らないのよ」

「…………」

「そんな怖い顔をしないで頂戴。無い袖は振れないわ」

 

 刃のように鋭く磨かれた殺意が紫の首に注がれ、背中を冷たい汗が伝うのを抑え切れない。

 下手な受け答えをしたら素っ首を斬り落とす。そんな意気がありありと感じられる気配の持ち主は一人しかいない。

 親しい友人の前で見せることはなくても、基本的にこの男は抜身の刃のようなものなのだ。

 

「むしろ私が対策を打っていないのが不思議かしら」

「……いや、お前なら方法を知った上で隠している可能性がある」

「あら、どうして?」

「それが幻想郷にとって利益となるならお前は許容するだろう」

 

 さすがに見抜かれている。長い付き合いとなったことも含めて、彼は八雲紫という存在をよく理解していた。

 少女然とした姿も、老獪な政治家としての姿も、どちらも正しく彼女の本性であり、その実態は幻想郷を愛する賢者なのだと。

 賢者であるが故に無為な犠牲は出さない。だがそれは決して犠牲を許容しないというわけではなく、最小限の犠牲で最大限の利益が得られるならそれを行う。

 それが集団を率いる者に必要な資質であり、紫は幻想郷という集団を作った存在としてその才覚を過不足なく持っていた。

 

「……それは認めるわ。でもこれは本当。本来なら百年以上続く転生周期や、そこまでして転生してなお三十年足らずの寿命。幻想郷縁起の編纂を頼んだ側としても、この状況に利益なんて一欠片もない」

 

 ずっと生き続けて壊れられても困るのだけれど、と言って紫も手元のお茶をすする。

 信綱も彼女が早く死ぬことを止めるためだけに、彼女を死ねない存在にするつもりはなかった。それはただの本末転倒にしかならない。

 

「……手はないのか?」

「妖怪の力を取り入れる方法はあの子が望まなかった。閻魔大王に話を持ちかけてもなしのつぶて。他にも魂そのものの改ざんという手はあるけれど、影響は私にも予想できない」

 

 そこで紫は意味深な目で信綱を見るが、彼はその視線に気づいても込められた意味には気づかない。

 普段の――あらゆる物事を客観視している彼ならば気づいたかもしれない。

 だが、今回は彼が当事者で影響を受けるのは御阿礼の子という、彼が最も冷静でいられない状況だった。

 

「その魂の改ざんとやらは成功するのか?」

「言ったでしょう、どうなるかわからないって。上手くいくかもしれないし、目も当てられない惨状になるかもしれない。伸るか反るかの大博打……と言うには、少々分が悪いけどね」

「論外だ」

「そうね。だからあなたも魂からのアプローチはやめておいた方が良いわ。あれは私でも持て余す部分」

 

 自嘲するように口元を歪める紫。その姿を見て、二人のやり取りを静観していた先代が口を開く。

 

「……ねえ、あんたもしかしてその魂を弄る方法、使ったことがあるの?」

「……どうしてそう思ったのかしら?」

「失敗を後悔するような口ぶりに聞こえたから。まあ一番の理由は勘だけど」

 

 紫は自分の失敗を恥じ入るようにゆるゆると首を振って、話は終わりであると言外に告げる。

 

「ごめんなさい。少し話がそれたわ」

「どうする? 追及する?」

「……いや、構わん。重要なのはそこではない」

 

 彼女が過去にどんな所業をしたとしても、それが御阿礼の子に関わる部分でなければ何かを言うつもりはない。

 ある意味ではものすごく関わっているのだが、信綱はそこには気づかなかった。

 

「手を打とうとしたことはあるんだな?」

「もちろん。長く生きられないということは、時間が少ないということ。時間が少ないということは、幻想郷縁起の編纂に当てられる時間も減ることに繋がる。……実際、レミリアのことを知るにはあなたがいなければ阿弥の代では難しかったでしょうね」

「あのままだったら阿弥様が夏を迎えられたかも怪しかったぞ」

 

 老人や子供が倒れる霧の中で、生まれたばかりの赤ん坊が生きられるはずがない。

 そうなっていたら信綱は怒りのままに霧を生み出した妖怪を斬り刻んでいたことだろう。

 

「他に天狗や鬼も。彼女らの知識もだいぶ古くなっていたわね。おかげさまで阿弥の作った幻想郷縁起は最近とは思えないくらい分厚くて立派なものになったわ」

「阿弥様のお作りになられた幻想郷縁起がつまらないものであるはずがなかろう」

 

 当然、阿七が作ったものも信綱にとっては唯一無二の至高の一品である。

 確かに記した知識という面で見れば差が生まれるのは仕方がない。

 だが、それでも阿七は精一杯人里のことを想って書いた。自分の知ったことを記し、伝えることで少しでも妖怪の被害を減らそうとしていた。

 彼女の思いが無駄とは言わせない。それは信綱にとって絶対に許せないものである。

 

 ほんの少し追憶に意識を飛ばした信綱だが、小さな呼気でそれを押し流す。

 そして静かに瞑目すると、静かな口調で紫に問いかける。

 

「……お前でも知らないのか」

「仮説ならいくつかあるけれど、確かめる手立てがないわ。それとも――」

 

 そこで紫は言葉を切り、口元を大きく禍々しく歪めた邪悪な笑みを形作る。

 

「次の御阿礼の子を人身御供にでもしてみる? 一代の犠牲だけで後の御阿礼の子が普通に生きられるなら私としては利益の方が大きいもの。あなたも――」

「冗談は顔だけにしておけ。お前も御阿礼の子に思い入れがあるのだろう」

 

 挑発するように発せられた紫の言葉に対し、信綱は静かな表情で対応した。

 これには隣で話を聞いていた先代もおや、という顔になる。

 良くも悪くも御阿礼の子が関係すると冷静さを失うのが彼の特徴といえるのに、今はそれがない。

 

 ある意味において彼を狂人足らしめ、そして人間足らしめる部分でもある彼の一面が影を潜めていた。

 

「なぜそう思うのかしら」

「そんなことができるなら、人妖の共存も始まりつつある今に行うのは愚の骨頂だろう。新しいルールが施工された幻想郷を誰が著す?」

「私だって常に最適解を選べるわけじゃないわ。妖怪は単なる気まぐれで人を殺すこともあるのよ?」

「それが妖怪の本質なら、俺は妖怪を滅ぼす道を歩んでいただろうな」

 

 紫の言う妖怪の姿をとある烏天狗から学んだ。そして同時に、こんな自分と友達でいてくれた白狼天狗も見てきた。

 半世紀以上気まぐれが起きていないのなら、人間にはそれで十分である。百年後、二百年後に彼女が気まぐれを起こしたとしても、その時に自分は生きていない。

 

「あまり侮ってくれるな。俺が御阿礼の子を引き合いに出せば冷静さを失うとでも思っているのか」

 

 本気で御阿礼の子に手を出すなら、むしろ頭は冷える。絶対に殺すということだけを考えれば良いので、頭に血を昇らせる必要自体存在しない。

 紫は信綱が静かな表情で彼女の在り方を見透かすような瞳をしていることに、肩をすくめて参ったと降参を表明した。

 

「参りましたわ。先代もそんなに睨まないで頂戴。あなたと彼の二人を敵に回すなんてゾッとしませんわ」

「お前の悪戯に付き合うつもりはない。……本当に知らないんだな」

 

 無言の首肯。信綱はもしかして、と思っていた希望も消えたことに微かにため息をつく。

 

「……誰か一人くらいは可能性があると思っていたんだがな」

「手を探さなかったわけではないわ。でも、それじゃどうにもならないくらいあの子の根は深かった。……あなたが進むとしても、間違いなく茨の道になるわ」

「愚問ね」

「愚問だな」

 

 紫の言葉に対し、先に答えたのは信綱ではなく先代だった。

 予想外だったのか意外そうな二対の瞳が先代に集中する。

 

「……なぜお前が言う?」

「あら、私が旦那自慢するのはおかしい?」

「え、自慢? 自慢だったの今の?」

 

 紫が信綱に答えを求めるような視線を送るが、信綱が知りたいくらいだった。

 変なものでも食ったんじゃないかと心配すら覚えて先代の方を見るが、彼女はいつも通りの泰然自若とした佇まいで二人の視線を物ともしない。

 なんとも言えない空気が少しの間続き、信綱が皆に聞こえるように息を吐くことでそれは途切れる。

 

「……お前はそういうやつだな」

「ええ、あんたもわかってきたみたいで何より」

「あなたたち、意外と割れ鍋に綴じ蓋だったのね……」

 

 この二人がくっつくと聞いた時には心底仰天したものだ。

 蓋を開けてみれば意外……というのは失礼かもしれないが、二人とも良い関係を築けているらしい。

 

 御阿礼の子以外に興味がないと公言しながらもなんだかんだ他人への面倒見が良い信綱と、他人との距離を置きがちではあるが、情の深い本質を持つ先代の巫女。

 そしてそれらを見抜くことのできる直感と観察眼を二人は持ち合わせていた。ある意味において、二人がこの関係になることは必然であったのかもしれない。

 

 子供の頃から面倒を見ていたに等しい先代の巫女が、彼女なりに幸せになっていることに紫が目を細めていると、信綱が紫の方を見て口を開く。

 

「最後の確認だ。……阿求様で転生の周期は元に戻るのか?」

「その予定ですわ。……もうあなたも一緒にはいられないでしょう」

 

 阿七、阿弥、阿求。例外と言うに相応しい異例の早さでの転生周期は、次の代を以って終わりを迎える。

 後にも先にも信綱だけだろう。二桁の歳にもならない頃から火継の最強を名乗り、三代の御阿礼の子に仕えることになった者は。

 

「……その時は御阿礼の子を頼む。記憶を持って生まれ変わるあの方は、変わらぬ人がいることに安らぎを覚えるようだ」

「ええ、言われずとも。他ならぬあなたの頼み。無下にはいたしませんわ」

「……なら良い」

 

 自分の試みが潰えたとしても、彼女は一人ではないようだ。

 その事実に心の軽くなる感覚を覚え――信綱は決意を固める。

 

 

 

 この生命が終わるその前に、御阿礼の子の短命に挑もう。

 

 

 

 

 

 そしてしばらくの後に稗田阿求が生まれ――彼にとって最後の御阿礼の子がやってきたのであった。




一つの時代が産声を上げるということは、一つの時代は終わりを迎えるということ。
これにて変革の時代は終わりを迎え、次からは幻想の時代に入っていきます。

もう彼が表立って動くことはほとんどありませんが、彼にとって何よりも代えがたい目的が存在する以上、彼は最期まで御阿礼の子にとっての英雄であり続けるのでしょう。



やっと阿求が出てきた……(あっきゅんが書きたくて話を書き始めた人)

あ、異変の話も書くんで阿弥の時代ほどではなくても、そこそこ長くなる予定です。

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