阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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別れの時

「そろそろ実戦を経験させようと考えている」

「ダメよ、まだ早いわ!」

 

 朝餉の折の会話で、二人は霊夢の育成方針について話し合っていた。

 といっても彼女にいつ実戦を経験させるか、という極めて物騒なものだったが。

 信綱は早期に経験させた方が良いと考え、先代はもっと力つけてからでも遅くはないという考えだった。

 

「遅かれ早かれ妖怪との戦いは避けられない。いつでも万全に戦えるとは限らないんだ。実戦は早い方が良い」

「そういうあんたはいつ戦いを経験したっていうのよ。何かあってからじゃ遅いのよ!?」

「六歳の時に烏天狗に襲われた。逃げ切れたのは僥倖だった」

 

 それからその烏天狗に目をつけられて修行を付けさせられたというのだから、人生何がどう転ぶかわからないものだ。そして結局その天狗も殺すことになってしまった。

 全部話す必要はないが、ある程度をかいつまんで話すと先代は信綱の壮絶な人生に絶句していた。

 

「……まさか十歳にもなる前に妖怪と戦って、しかも生き残る人間とか想像外だわ」

「俺だって戦いたくて戦ったわけではない。事故だ」

「まあそれはさておいて、あんたが早めの実戦を推すのはそれが理由?」

「そうだな。相手が雑魚でも強者でも、見えてくるものがある」

 

 敗北は人を強さに駆り立てる。勝利は自らの力に自信を持たせることができる。

 そしてどちらにしても、霊夢は悟ることだろう。

 ――自分を鍛えている存在はこの程度ではない、と。

 

「幸い、と言ってはあれだが、自警団の方から話が来ている。畑荒らし程度の悪さしかしない獣から化生した妖怪だと思われている」

「それ普通の獣の可能性もあるんじゃない?」

「否定できんが、妖怪の可能性も無視できない。若い衆ばかりの自警団では荷が勝つ」

 

 万が一があってからでは遅いのだ。

 普段は天狗の方に任せるか、火継の人間を投入してしまえばあっさり片がつく問題なのだが、今回は信綱がその話を引き受けていた。

 

「表向きは俺が受けた仕事だ。霊夢には実戦の空気と、できるなら何かしらを掴んで欲しい」

「そこまで言うなら良いけど……当日になって阿求の方に行くとかやめてよね」

「…………」

「なんか言いなさいよ!?」

「……そうなったらお前が行ってくれ」

「ああもう本当に面倒よねあんたのそういうところ!!」

 

 返す言葉もなかった。直す気もないのだが。

 ともあれ話がまとまったところで信綱は朝餉を終えて立ち上がる。

 

「それじゃあ俺は阿求様の側仕えをしてくる。お前は霊夢にさっきの話を伝えてくれ」

「ん、わかった。ああ、そうだ」

 

 何かを思い出したように先代が立ち上がり、首を傾げながら信綱の方に歩いてくる。

 

「あの子があんたをデートに誘えってうるさく言ってくるんだけど、何か心当たりない?」

「一応あるにはあるが……」

 

 本気だとは思っていなかった。親が子に世話をされるとは、霊夢から見て先代と信綱の二人は相当危うく見えたのかもしれない。

 

「あんたを誘ったらどうなる?」

「お前に全て任せる」

「うん、知ってた」

 

 先代が遠い目になる。この男は頼めば自発的に動くが、そうでないなら受動的に流される。相手に何かやりたいことがあるなら、それに任せてしまうのだ。

 たとえ間違いであっても自分で相手を喜ばせようと考えたものが欲しい時もあるのだが――信綱に期待するのは難しいと言わざるを得なかった。

 

「……相手を喜ばせるために自分で何か考えたことってある?」

「あるに決まってるだろう。そのぐらいの気遣い、近所付き合いには必須だぞ」

「それを私に向けたことは?」

「手ぶらで行くのもあれだから茶と酒は持って行ったはずだ」

「あれが気遣いかー……」

 

 間違ってはいないのだが、もう少し即物的でない方向での気遣いが欲しかったと思う先代だった。

 ……しかし、信綱だって相手の反応が悪いものを続けて持って行ったりはしない。結局のところそれを先代が喜んで受け取っていたのが原因とも言えた。

 

「まあ良いわ。あんたがいきなりそんなものに誘ってきたら頭でもぶつけたんじゃないかと疑うだろうし」

「……話はそれだけか?」

「ん、今度また縁側でお茶飲むのに付き合ってよ。あれが一番落ち着くからさ」

 

 思えば先代と信綱の時間は大体神社で茶を飲む時間に集約される。

 お互いの愚痴をこぼすにしても、適当な近況報告にしても、全て茶を飲みながら行われていた。

 そんな有意義と無意味の中間くらいの曖昧な時間が積み重なって、今に至っているのだ。

 だから自分たちにはこれが相応しい。そう考えて、先代は肩の力を抜いた笑みを浮かべる。

 

 それを受けた信綱は微かに相貌を緩め、穏やかな雰囲気を作る。先代を大事にするといった言葉に嘘はなく、彼は彼なりに妻となった彼女を大事に思っていた。

 それが御阿礼の子との天秤では儚く潰えるものであったとしても、天秤にかける時が来るまで特別な存在なのも確か。

 

「ああ。俺もあの時間は落ち着けるから好きだ」

「……珍しく好きって言ったわね」

「そう言った方がお前が喜ぶと思っただけだ。さて、いい加減俺は行くぞ」

「あ、ちょっと!」

 

 先代が呼び止めるも、信綱はさっさと出て行ってしまう。

 残された先代は参ったというように額に手を当ててため息をつく。

 

「ったく、やればできるのになんでやらないんだか」

 

 もっと私心を表に出すようにすれば彼の魅力は今以上に増していくはずだ。時に人は合理と情だけでなく、その人自身の願いを見たがる。

 信綱にはそれがない。いや、阿礼狂いとしての願いはこの上なくハッキリと表明しているが、信綱自身の願いを出すことは滅多にない。

 婚姻という形を通して、この家で暮らし始めた先代でも数えるほどしか見ていなかった。

 

「……ま、らしいといえばらしいか」

 

 理由を色々と考えたが先代は気にしないことにした。

 七十も過ぎた今になってまで続く癖だ。一生治らないだろう。

 それにそのぐらいの欠点があった方が可愛げがあるというものだ。

 先代は信綱への結論が出たところで、気分よく今日一日の予定について考え始めるのであった。

 

 

 

 そして後日、信綱は先代お手製のお祓い棒を持って肩に力の入っている霊夢を伴って、魔法の森に足を踏み入れていた。

 

「……さて、今来ている場所を答えろ」

「魔法の森。えっと……年中瘴気っていう、常人には毒になる成分が出ていてあまり深くまでは入れない場所」

「よし、正解だ。俺やお前は霊力で体内を守れるから普通の人より長く滞在できる。今回の目的は?」

「妖怪……だと思うものの退治。理由は人里の畑が荒らされたから」

 

 概ね期待通りの答えが得られたことに信綱はうなずき、落ち着かせるように霊夢の頭に手を置く。

 

「よろしい。自警団の見張りが魔法の森に逃げこむのを確認している。今日はここを見ていくぞ」

「見つからない時はどうするの?」

「一日探して見つかる範囲にいないほど奥地に住んでいるならもっと強力な妖怪になるだろうし、そうなると大体人語を解して人里にちょっかいはかけない」

「どうして? 人間を罠にハメるとかもできるようになるってことでしょ? そっちの方が楽じゃない?」

「人里には人里の守護者がいる。それにあそこでの殺し合いは幻想郷のルールとしてご法度だ。これを破れば、人間のみならず妖怪まで敵に回す」

 

 そこまでして人里の中の人間を襲いたい酔狂な輩もいないだろう。

 と、そこで耳慣れない単語を耳にした霊夢が首を傾げる。

 

「人里の守護者? 博麗の巫女が人里を守るんじゃないの?」

「その辺りは説明していなかったか。博麗の巫女というのは基本的に事件が起こってから動くものだ。だが、事件が起こってからしか動かない者だけとなると、一度で人里の機能が壊滅しかねない事件が起こったらどうなる?」

 

 そのおかげで助けを頼めなかったのが天狗の騒乱である。

 明らかに不味いと推察はできたが、推察だけで博麗の巫女を動かすことはできずレミリアに頼んだという経緯がある。

 

「あ……じゃあ守護者っていうのは事件の予防に務める人ってこと?」

「人里の中で解決できるものは解決してしまうという側面もある。それに妖怪が攻め込んできた時に戦える戦力も必要だ。博麗の巫女だけがそれでは色々と不安が残ってしまう」

 

 博麗の巫女は一人きりなのだ。未だ年若い少女に人里全部を任せるというのも、あまりにも無様だ。少女一人に縋らなければ生きられない世界であるなら、それは世界の仕組み自体を変えなければ遠からず潰える。

 

「そんなわけで、人里の側でも妖怪と戦える人材がいるわけだ。人里で守護者を担っているとなると慧音先生を連想すればいい」

 

 信綱も昔は守護者の役割を担っていたが、今はもう一線を退いているため言う必要は感じなかった。

 それに霊夢が少し興味を出せばすぐにわかる内容でもある。自分で知りたい情報は自分で集めて欲しいという意味も込めて黙っておくことにする。

 しかし霊夢は信綱の事情になど全く興味を持たず、むしろ別のところに驚愕していた。

 

「先生が!?」

「俺が子供の頃から教師だと言っているだろう。あの人はそれだけ長く人里に尽くしてくれているんだ」

「な、なるほど……だから爺さんも頭が上がらないんだ」

「そうだな。さて、そろそろ進むぞ」

 

 信綱は霊夢からあまり離れないようにしながら、魔法の森に踏み入っていく。

 霊夢は忙しなく辺りをキョロキョロと何かを探すが、信綱はそういった様子を見せずに確信を持って歩を進めていく。

 

「爺さん、こっちの方角で合ってるの?」

「お前はどっちの方角に行った方が良いと思う?」

「……爺さんと同じ。なんとなく、だけど」

「ふむ……」

 

 この勘の良さは博麗の巫女特有のものなのだろうか。思えば先代も妙に勘の鋭い時があった。

 ……それでも先々代の博麗の巫女は良い結末を迎えられなかったのだから、勘だけに頼っても死ぬ時は死ぬということである。

 となれば信綱の役目は霊夢に勘以外の考え方を教える、ないし勘の理論武装をできるようにするだけの知識を与えることだ。

 

「いい機会だ。ものの見方というのを教えてやろう」

 

 信綱は刀を鞘に収めたまま腰から取り外し、地面を軽く叩く。

 霊夢の視線が地面に向いたところで説明をすべく口を開いた。

 

「足跡が見えるか?」

「……言われればそんなのがあるかな、くらいにしか」

「まあこの辺りは慣れだ。これを見るだけでも多くの情報が得られる。例えば、体重のかけ方から二足歩行なのか四足歩行なのか。深い部分があれば爪があると見ることができる。それに――」

 

 視線を地面から上げて、木に着目する。

 

「獣から化生した妖怪は獣の特性を残すことが多い。匂い然り、習性然り。お前には縁のないことかもしれんが、狩りに似ている」

「……そういうので行き先がわかるの?」

「本命かどうかまではわからないが、可能性を一つ潰すことはできる」

 

 より詳しく言えば今もそこかしこから感じる視線や、生物の息遣いなども感じ取れれば言うことなしである。

 信綱にとってこの森は様々な異形が息を潜める異空間に感じられた。

 と、普段信綱が感じていることを伝えると、霊夢から訳のわからないものを見る目で見られてしまう。そして確かな不安が霊夢の瞳にあることも見抜き、信綱はある言葉を告げる。

 

「――まあ、この辺りは俺も歩き慣れているからどこに何があるのか大体知っているだけだ」

「今までの講釈は何なのよ!?」

「自力で得られる情報が多くて困ることはない、ということと――未知の相手との戦闘が予想される場合は下準備を怠らないこと、だな」

 

 霊夢の頭を軽く撫でると、彼女は一瞬だけ安心したような表情を見せ、すぐに恥ずかしがって顔をしかめてしまう。

 十にも満たない年頃で素直になれないとは一周回って面白さすら覚えてしまう。とはいえ他人の性格にどうこう言えるような立場でもないので、そちらは先代に全て任せることにする。

 

「今回は俺がいるからよほどのことがない限り大丈夫だが、お前は今後一人でこの森に入る時が来るかもしれない。そうなった時、頼れるのは自分だけだ。用意は怠るな」

「……わかった」

 

 信綱の言葉には重みが感じられたため、霊夢は素直にうなずく。

 とにかく強くて容赦がなく、その割に面倒見が良いということぐらいしか知らないが、口ぶりから読み取れるのはこの男が想像を絶するような人生を歩んできたことくらい。

 

(……考えてみたら、私って爺さんのこと何も知らないなあ)

 

 先日聞かされた先代の話はなかったことにする。指摘すれば本人は否定するだろうが、あの顔は幼い霊夢でも分かる程度には緩んでいた。

 何を思って、どんな人生を歩んで今に至るのか。火継信綱という人間のできる過程が気になってくる霊夢だった。

 と、そんなことを考えながら信綱の後ろを歩いていた霊夢だが、信綱が普段通りの仏頂面を露骨にしかめたことに気づいた――次の瞬間には片手で抱き抱えられていた。

 

「う、わっ!?」

「緊急事態だ、稽古をつけるどころじゃない」

 

 森を走っているとはとても思えない速度で疾走する信綱が、珍しく表情に焦燥を浮かべていた。

 霊夢は片手で抱えられたまま、信綱の顔を見上げて疑問を口にする。

 

「な、なにが起こってるの?」

「人と妖怪が近くにいる。人里でない限り、そんな状況は――」

「……襲われてる!?」

 

 霊夢も目を見開く。これは確かに稽古どころではない。

 袖に用意してある札と針の感触を確かめ、何かあった時のために備えておく。

 ……ひょっとしたら酸鼻な死体を見る可能性もある。それらを含めて心の準備をして――

 

「札と針を用意しておけ。――いた!」

 

 発見の声と同時に見たその少女を見て、霊夢は自分の心の準備がいかに脆いものか思い知る。

 状況は最悪一歩手前。今にも食べられそうな人間と、今にもかじりつきそうな獣の妖怪。

 妖怪であることは口から漏れる妖力と瞳に浮かぶ獲物を甚振る――ただの獣にはあり得ないそれが証明していた。

 

「魔理沙!?」

 

 一瞬先には首から先が消えてなくなるであろう友達の姿に霊夢の頭が真っ白になる。

 真っ白になった頭が届かないとわかっている手を伸ばそうとして――妖怪の姿が消える。

 いや、妖怪の姿だけではない。魔理沙の姿も霊夢の視界から消えていた。

 

「え……?」

「――全く、危機一髪だな」

 

 横から聞こえる信綱の声は平時と何も変わらない。まるでこの状況すら何の苦慮もせずに対応できると言わんばかりの余裕がある。

 否、すでに対応していたのだ。

 振り返って見た妖怪がバラバラに斬り刻まれ、霧に溶け消えようとしていた姿を見て、霊夢は魔理沙と同じように呆然とするしかなかった。

 

「……今の、爺さんがやったの?」

「俺以外に誰ができる」

 

 何も見えなかった。信綱との稽古はすでに二年以上続けているというのに、何が起こったのか抱き抱えられている状態にあってもわからなかった。

 魔理沙が妖怪に襲われたことと言い、信綱がそれを一蹴したことと言い、目まぐるしく変わる状況に目眩を覚えてしまう霊夢。そんな彼女を信綱は地面に下ろし、立たせると魔理沙の前に立つ。

 その目は険しく、並の大人であっても竦んでしまうような威圧感があった。

 

「さて――なぜ君がここにいるのか、聞かせてもらおうか。魔理沙」

「あ……えと、その……キノコを取りに来ようと思って……」

「なぜ」

「……お爺ちゃんとお婆ちゃんの具合が、良くないってお父さんたちが話してた……」

「そうか」

 

 信綱は険しい顔のまま魔理沙の頭にげんこつを落とす。

 ゴン、と重たいものが頭にぶつかる音が響き、霊夢は思わず目を瞑ってしまう。

 魔理沙はげんこつの落ちた場所を押さえて涙目で信綱を見上げるが、まだ信綱は険しい顔をしていた。

 

「俺や霊夢が気づかなかったら、お前が味わう痛みはこんなものでは済まなかった。あの妖怪は恐らく獲物を甚振ってから殺す心算だった」

「あ、う……」

「人里の外は危険だと慧音先生やお前の両親も伝えていただろう。祖父母を想う気持ちは立派だが、お前はそのために家族が悲しむことをした。お前が助かったのは単純に運が良かっただけだ」

 

 何か一つ、少しでも遅れていれば魔理沙は妖怪に傷つけられて一生治らない傷を負うか、あるいは壮絶な苦しみの果てに死ぬかの二つだっただろう。

 霊夢は泣きそうな魔理沙が見ていられずに声をかけようとするが、その前に信綱に睨まれて動けなかった。

 

「何度も聞かされているだろうがもう一度言うぞ。――人里の外は危険なんだ。お前みたいに身を守る術のない子どもが出て良い場所ではない。身に沁みてわかっただろう」

「…………」

 

 涙を瞳に溜めたまま魔理沙がうなずく。それを見て、信綱はようやく険しい顔をやめて魔理沙の身体を抱き寄せる。

 

「ふぇ?」

「家族を想う気持ちは尊いものだ。次からは考えて行動しろ。……何かあった時に悲しむのはお前の家族なんだ」

 

 信綱も驚いていたのだ。親友の孫娘を目の前で死なせてしまったとあっては、勘助たちに合わせる顔がない。

 それでも軽率な行動を取った魔理沙を叱る役目は必須であり、それはこの場で自分にしかできない役目だった。

 

 魔理沙も状況の激変に次ぐ激変で上手く回っていなかった頭がようやく回ってきたのか、やっと自分が安全な場所にいることを理解して、涙が溢れだす。

 そのまま信綱の胸に顔を埋めて泣き始めてしまい、信綱は困ったように背中を叩いてあやすしかなかった。

 

「……今日のところは戻るか」

「さっきのあれが目当ての妖怪だったの?」

「恐らくな。どんな状況であっても人を害した妖怪は無視できない」

「そう、何もなくて拍子抜けしたわ」

 

 なんでもないように肩をすくめる霊夢だが、見ればその手足に震えが走っているのがわかる。

 友人が襲われる場面を見てしまったのだ。何も思うなという方が難しい。

 信綱は空いた手を霊夢の方に伸ばし、その真っ白になるほど力の込められた小さな手を握る。

 

「爺さん?」

「帰るぞ。人間は、妖怪に何も奪われなかった。その事実だけを噛み締めろ」

「……魔理沙はどう?」

 

 霊夢が魔理沙のことを言うので、片腕で持ち上げている魔理沙の様子を伺う。

 人の体温に抱かれて泣いていたからか、すでに寝息が聞こえていた。

 その様子を霊夢に教えると、霊夢は本心を悟られるのを厭うようにそっぽを向く。

 

「……無事でよかった」

「そうだな。……お前の役目もわかっただろう」

 

 人里への帰り道を片手に霊夢。片腕に魔理沙を抱えて歩いて行く。

 周囲に危険な存在がいたら対応できない格好だが、信綱の顔にそういった焦りはなかった。

 森の浅い場所であれば睨むだけで逃げるやつが大半だ。さっきのように人を襲おうと考える方が少ない。

 あれも恐らくは魔理沙のように狙いやすい子供が一人で歩いていたから狙っただけなのだろう。信綱を相手に襲いかかる度胸があるようには見えなかった。

 

「……魔理沙みたいな人って多いの?」

「人里だけで供給は完結しない。この子が言っていたようにキノコや山菜、獣肉を求めて外に出る人は必要になる」

「どうやって採ってるの? 妖怪と出くわしたら終わりとかじゃないんでしょう?」

「魔除けの札だ。それを使って妖怪から気づかれにくくするらしい。お前はまだやったことがないだろうが、これも博麗の巫女の仕事でもある」

 

 ちなみに信綱は使ったことがない。博麗の巫女と知り合う前から、ただの妖怪相手なら苦もなく倒せるようになっていた。

 

「ふぅん……爺さんが私に読み書きを教えたのもそのため?」

「いや、人として当たり前の教養を教えただけだ。その辺りは今度祝詞の模写をざっと千回ほどやらせる予定だ」

「うげ……いや、やるけどさ」

 

 さすがの彼女も自分以外の人命が自分の作る札にかかるとあっては、真面目にやらざるを得ないと理解しているようだ。

 信綱は軽くうなずいてやる気を出している霊夢を褒めるようにその手を握る力を強くし、魔法の森の帰り道を歩いて行くのであった。

 

 

 

 人里が見えてきたところで、信綱は霊夢の手を離して彼女の方を見る。

 霊夢は一瞬だけ寂しそうな顔になるも、信綱にそれを悟られまいと気丈に振舞っていた。

 

「お前は神社に戻るなり俺の家に行くなりしていろ。俺はこの子を家に送った後に話をしていく」

「……お爺ちゃんとお婆ちゃんの具合が悪いってこと?」

 

 霊夢の察しの良さは先代以上だ、と内心で嘆息してうなずく。

 その吐息の意味は友人の死が近いことを嘆くのか、あるいは別の何かなのか。信綱には判別がつかなかった。

 

「……ああ。寺子屋からの付き合いだ」

「そっか。……私は母さんのところに行ってるから、爺さんは行って来なさいよ」

「そうさせてもらおう」

 

 年齢に見合わない気遣いを受けて、信綱は微かに唇を釣り上げてもう一度霊夢の頭を撫でる。

 

「次からはいらん気遣いだ。……今日は俺の家で夕餉にするか」

「爺さんと母さんの食事風景が想像できないんだけど……」

 

 ある意味親子水入らずの時間であるが、霊夢には信綱と先代という、今でもなんでこの二人が夫婦になっているのかよくわからない二人の食事風景の方が気になっているらしい。

 

「普通に食べているぞ」

「無言の冷たい空間で、とかじゃないよね? 実は私に一生もののトラウマ植え付けようとかじゃないよね?」

 

 仲睦まじい姿が思い浮かばないのだ。先代はなんだかんだ信綱に対して情の深い一面を覗かせているが、信綱の方から先代への気遣いが霊夢には見受けられなかった。

 しかしそこまで警戒される謂れなどないと思っている信綱は呆れたように肩をすくめる。

 

「安心しろ、先代はお前にべったりだろうさ。最悪、俺は置物か何かだと思えばいい」

「爺さんのその物言いも正直どうかと思うけど……まあいいか。んじゃ、後でね」

 

 口では軽く言っているものの、霊夢はウキウキした様子で火継の家の方へ飛び去っていく。やはり母親は格別のようだ。

 信綱はそれを見送った後、腕の中ですやすやと眠る魔理沙を抱え直して霧雨商店に向かう。

 

「へいらっしゃ……魔理沙!? 信綱様、どうして!?」

「後で話すから、とりあえず寝かせてやってくれ。疲れたんだろう」

 

 叶うならあんな危険な体験、忘れてしまった方が良いのだ。それはそれとして説教はしてもらうが。

 なんで魔理沙が信綱の腕に抱かれて眠っているのか、全く事情がわからない弥助は戸惑いながらも奥の部屋に通し、魔理沙を布団に寝かせる。

 そして来客でもある信綱にお茶を出したところで信綱が事情を説明した。

 

「――という次第でな。本当に危ないところだった」

「魔理沙がそんなことに……ありがとうございます、信綱様!!」

 

 事の次第を話し終えると弥助は平伏しそうな勢いで信綱に頭を下げるが、信綱はしかめっ面でそれを受け取りたがらない。

 

「偶然だったこともあるし、元を正せば子供が一人で外に行くことに気づけなかった自警団、ひいては火継の面々の問題だ。むしろこちらが詫びる側だ」

 

 定期的に里の周囲は徹底的に見て回ることにしようと心に決めていた。大人では通れない場所でも、子供であれば通れることもある。

 そういった点で考えると橙のような童女に見える妖怪でも使い道はある。今度彼女に頼んでみるか、などと考えながら信綱は話を切り上げる。

 

「用件は以上だ。あの子が事の次第を覚えていないようならお前から外には出るなと言っておいてくれ。怖い思いは忘れた方が良い」

「はい、もうこれからは一歩も家から出させません!」

「それはそれで俺が仕事せざるを得ないからやめろ」

 

 溺愛を通り越して親バカになりそうだ、と信綱は弥助の気合の入りように苦笑する。

 とはいえ娘が危険な目に遭ったと言われれば心配するのも当然だろう。魔理沙が何も覚えていなかったらご愁傷様だが、なんとか受け入れて欲しいものだ。

 

 ……この溺愛による反発が原因で将来、魔理沙が人里の外で暮らすようになってしまうのだが、神ならぬ信綱には与り知らぬことであった。

 

「さて、勘助たちは起きているか? 話がしたい」

「あ、はい。ですが、その……最近は少し具合が悪くて……」

「魔理沙から聞いた。だからこそ今のうちに話しておきたい」

「……二階の方にいます。お声掛けはご自由にどうぞ」

 

 弥助はなんとも言えない顔をした後、信綱に無言で頭を下げて店の方に戻っていく。

 その姿に無言で感謝の会釈をし、信綱は目当ての人物がいる二階に向かう。

 部屋に入ると、そこには揃って窓際で外の景色を眺めている老夫婦の姿があった。

 

「……勘助、伽耶。来たぞ」

「ん、ノブか。ちょうど会いたいって思ってたんだ」

「ずっと思ってたんだ。間が良いよね、ノブくんは」

 

 振り返って笑う二人の姿に信綱は避けられない別れが近づいていることを実感してしまい、言葉少なに否定することしかできなかった。

 

「……たまたまだ。隣、座るぞ」

 

 二人のそばに近づき、腰を下ろす。すると勘助と伽耶の二人も外の景色から視線を外し、信綱と向き合う。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 言葉はなかった。信綱は何かを言う必要を感じなかったし、二人も穏やかな笑顔でこちらを見ている。

 ほんの僅か、胸にこみ上げるものを感じる。それは彼らの友人でいられたことへの満足感か、あるいは去っていく者たちへの嘆きか。

 そうして、しばし無言の時間が流れた後、三人は示し合わせたわけでもなく同時に頭を下げる。

 

 

 

『――今まで、ありがとうございました』

 

 

 

 他に言うべきことが見つからなかった。

 信綱は自分を狂人であると知っていてなお友人でいてくれた二人への感謝を。

 勘助と伽耶は人妖の共存を成し遂げ、幻想郷の歴史にその名を刻む英雄となった信綱がずっと自分たちとの友誼を忘れなかった感謝を。

 

 それぞれがそれぞれの感謝を告げて、三人は笑う。

 その笑いはしばらく途切れることなく続き――彼らは笑ったまま別れた。

 

 

 

 

 

 

 そして数日の後――信綱は二人の親友と永別する。どちらも布団の上での大往生だった。

 それを伝え聞いた信綱の顔に驚きも悲嘆もなく、ただ静かな表情で葬儀の日程などを確認するだけだった。

 

「……いいの?」

 

 共にいた先代は常と変わらぬ信綱の様子に、心配そうな顔で話しかけてくる。

 

「人間はいずれ死ぬ。遅いか早いか、その違いだ」

「……そ、わかった。あんたは一人になりたいみたいね」

 

 しかし、常と変わらぬ中に何かを見たのだろう。先代は言葉を重ねることなく部屋を出ていき、信綱は一人になる。

 誰もいない部屋の中。信綱は一人になったことを確信すると深く、静かに息を吐いて、そして一つの言葉を口にする。

 

 

 

 ――二人とも、お疲れ様。

 

 

 

 それが、彼らの最期に向ける労いの言葉だった。




書こうと思った主人公が人間だったので、必然的に出てきた人間側のオリキャラ二人組。
でも人間だからこそこうした別れも必定となります。

ここからぼちぼち時間の進行が加速していって原作に寄って行くと思います。しっかり描写したいけど、するとそれはそれで進行が遅れるというジレンマ。

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