阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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休みをください(定型文)

8月の労働時間235時間だったってよHAHAHA!
なおやっぱり問題あったみたいで9月は休みが取れそうです。配属したての新人が残業してもサラリーシーフにしかなりませんよねそりゃ。


先代の巫女と阿礼狂い

 信綱が博麗神社の階段を登り切ると、霊夢が仁王立ちしていた。

 先代と似た博麗の巫女装束を身にまとい、両腕を組んでやってきた信綱を見下ろす。

 そう、見下ろしていた。わざわざ空まで飛んで信綱より視線を高くして。

 無表情を装ってはいるものの、その顔には隠し切れない得意げなものが浮かんでいるのを信綱は怪訝そうな目で見る。

 

「……なぜ空を飛んでいるんだ」

「ふっふっふ……はっはっはっはっは!!」

 

 ごく当然の疑問を口にすると、霊夢は待ってましたと言わんばかりに笑い始める。

 うるさいので黙らせようと拳を握ると、霊夢は慌てて距離を取って話を再開する。

 

「今日こそ! 爺さんの稽古は終わりにしてもらうわ!」

「どういう意味だ?」

「爺さんに勝ったら稽古はしなくて良いんでしょ! 初めて来た時そう言ってたじゃない!」

 

 別に今勝ったところで信綱は霊夢に稽古を付けることをやめたりしないが、曖昧にうなずいておく。

 理由はわからないが彼女がやる気を出しているのだ。わざわざやる気を削るようなことは言わないで良いだろう。

 

「まあ、そうだな。うむ」

「そして私はずっと辛酸を舐め続けてきた……というか爺さん強すぎ! 手加減とかしなさいよ手加減!」

「で、何が言いたいんだ?」

 

 未だに武器も使っていないのだから手加減しまくっているのだが、これも霊夢には言わず先を促す。

 そうすると霊夢は腕を組んだまま胸をそらし、得意満面な顔で言い放つ。

 

「今日は秘策があるわ!! 母さんからようやく教えてもらったこれで、爺さんに勝つ!!」

「……流れが読めてきたな」

 

 大方、先代から大技の類を教えてもらったのだろう。

 信綱は軽くため息をついて、その場で構えを取る。

 

「――御託はそこまでにして構えろ。口を回すだけでは勝てんぞ」

「わかってるわよ。じゃあ――食らえ、夢想封印!!」

 

 

 

 

 

「で、今日は俺の稽古を日が暮れるまでやりたいんだったか。見上げた心がけだ」

「うー! うー!!」

 

 数分後、そこには涙目で握り拳をぶんぶん振り回しながら信綱を見上げる霊夢の姿があった。

 確かに彼女が披露した技は博麗の技術の中では奥義に類するものだった。まだ齢にして十に届くかどうかと言った年齢でそこまで身に付けたのは偏に彼女の才覚だろう。

 信綱もそれは認めている。これまで泣こうが喚こうが稽古の手を抜いてこなかった甲斐があるというものだ。

 だが、奥義一つで力関係が逆転してしまうほど、信綱と霊夢の間にある力量差は小さなものではなかった。

 

 普段の霊夢ならそのぐらいのことはわかっただろう。今回は先代から奥義を教えてもらったことと、子供らしい誰かに自慢したい気持ちが合わさったに違いない。

 信綱は霊夢の頭に手を乗せて、振り回される拳が届かないようにしながら話し始める。

 

「だいぶ先代のものとは毛色が違ったが、確かに秘奥の一つなのだろう。その歳でよく習得した。そこは褒めてやる」

「うぇ? そ、そう? ま、まあ母さん曰く私って天才みたいだし? 爺さんに褒められてもこれっぽっちも嬉しくないし?」

 

 照れているのか嬉しいのか、視線を右往左往させながらの霊夢の言葉に信綱は一切の関心を示さなかった。

 事実は事実と認めるだけであり、そこでの彼女の反応は気にしていない。

 

「だが、無策に放った攻撃が当たるはずないだろう。お前から見た俺はそんなに楽な相手か」

「……なんで何も考えずに撃てば勝てる、なんて思ったんだろう私」

 

 負けたことで頭も冷えた霊夢が真顔で聞いてくるが、信綱は知らんと肩をすくめるだけだった。

 霊夢の額を小突いて、改善点を言っていく。

 

「いたっ」

「無意味な行動をするな。必ず自分の中で行動に意味を持たせろ。無駄な動きばかりをしていて勝てるほど、戦いは楽ではない」

 

 奥義を当てたいのなら布石を打つ。削り殺したいのなら自身の消耗を抑え、相手の消耗を強いる。

 戦いに勝つと言っても色々あるが、どれにしても自分なりの目的を持つ必要があるのは間違いない。

 

「例えば?」

「先ほどの夢想封印で勝ちたいのなら……そうだな。俺が避けられない状況を作るか、避けても問題ないようにすれば良い」

「フェイントに使えってこと?」

「そういう手法もある、というだけだ。取捨選択はお前に任せる」

「取捨選択……」

 

 考え込み始める霊夢の様子に、信綱は良い傾向だと視線を和らげる。

 自分で考えて短所を改善していくようになるのは喜ばしいことだ。信綱も霊夢をいつだって見守っていられるとは限らないのだ。

 というより、自分は御阿礼の子と天秤にかけたら迷わずそちらを選ぶので、霊夢には遠からず一人で頑張ってもらう必要があった。

 

 阿求が寺子屋を卒業し、幻想郷縁起の編纂を開始しようと考え始めているのだ。

 当然ながら信綱はそちらを優先するため、霊夢に稽古を付ける時間は今より確実に減る。

 

「俺は明日以降はしばらく来てやれん。おそらく稽古は先代とやることになる」

「本当!?」

「目を輝かせるな戯け。今回は組手以外にも別のことを教えるぞ」

「別のこと?」

「稽古の手前の軽い体操みたいなものだ」

 

 余人から見れば十二分に修行と言っても差し支えない内容だが、今の霊夢ならおそらく容易に騙せ――もとい、丸め込める。

 何せ彼女の稽古は自分が一手に担ってきたのだ。先代にも口裏を合わせてもらえば彼女は自分以外の相手と行う稽古を知らないままになる。

 知っていれば修行であっても、知らなければ体操で押し通せる。

 

「体操?」

「うむ。健康のために誰もがやることだ。お前なら簡単にこなせるだろう」

 

 誰もがやるが、信綱の考えているものと同等のものは誰もやらないだろう。やるとしたら戦闘を生業にする者ぐらいである。

 無論、そんなことは欠片も伝えずに信綱は霊夢にその内容を教える。

 

 霊夢はそれをふんふんと興味深そうに聞いていく。

 爺さんと慕う男は言動に容赦こそないが、間違ったことは言わないし疑問にも何でも答えてくれる。

 よもや騙しているなどとはまるで思わず、霊夢はその内容を覚えていき、そして律儀に実行していくことになる。

 

 ……この事実が明るみに出るのはもうしばらく先の話だが、その時の霊夢はあのジジイぶっ飛ばす!! と怒髪天を衝く様子だったそうだ。そして負けた。

 

「――以上だ。今日はやらんでいいが、明日からやるように」

「わかった。じゃあ今日のところはこれで……」

「さて、お前が負けたら今日は一日稽古に付き合うんだったか」

「そんなこと言ってないわよ!? やだー! 誰か助けてー!!」

「お前はそう言っている者を助ける側だ」

 

 博麗神社の裏手、いつも二人が稽古場にしている場所に泣き叫ぶ霊夢を引きずっていくのであった。

 

 

 

「少し意外だったな」

 

 その日の夜、信綱は縁側で晩酌を傾けるでもなく月を見上げる先代の姿を見つけ、その隣に茶を用意して座る。

 

「ん、ありがと。……うわ、なんでお茶まで私が淹れたのより美味しいのよ」

「家にいれば誰だって茶を飲む。御阿礼の子とて例外ではない」

 

 そして御阿礼の子の側仕えをするのが火継である。彼女らが口にする茶を最高のものにすることなど、もはや必須項目と言っても過言ではない。

 

「いや、それは過言だと思うけど……まあ良いか。で、何が意外だって?」

「お前が奥義を教えたことだ。もう少し先延ばしにすると思っていた」

「その予定だったんだけどねえ」

 

 先代は困ったような嬉しいような、曖昧な表情で笑って茶をすする。

 

「あの子、本当に才能あるのよ。私から教えることがもうほとんどないくらい」

「だから奥義か?」

「実はもう一歩先があるんだけど――こればっかりは自分で覚えてもらうしかないのよ。でも、言い換えれば私が教えられるのはあれが全て」

 

 母が娘に嫉妬すら覚えてしまうほどに、あの子は才能に満ち満ちていた。

 教えたことは難なくこなし、応用までお手の物。しかも空を飛ぶ程度の能力の影響か、先代ですら扱えないような技もすでにいくつか覚えていた。

 

「だから私の役目はほとんど終わりかけ。さすがに組手で負けるつもりはないけどね。術が使えることと、操れることはまた別だし」

 

 それに精度についてはまだまだ甘いの一言である。知識を一足飛びに覚えることは不可能ではないが、それらを操る技術は地道な修練がモノを言う。

 霊夢はどちらかと言えば感覚派でその感覚にも天賦の才を持つが、彼女の才覚を持ってしても先代に並ぶには未だ遠い。

 

「そうだな。目一杯壁を見せつければ良いさ」

「そうするつもり。……それで私の役目はおしまい。残るのはなんだろうな……」

「母親だろう。親の役目まで放棄するのは感心しないぞ」

 

 信綱は当たり前のことを言ったつもりだったが、先代は目を見開いて信綱の顔をまじまじと見つめてくる。

 なにかおかしなことでも言っただろうかと言動を振り返っていると、先代は急に笑い出す。

 

「……あははははっ! あんたに言われるなんて思わなかったわ!」

「お前が当然のことすら忘れていただけだ」

「ん、ありがとね」

 

 一頻り笑った先代は穏やかな視線になり、隣の人間のことを愛おしそうに見る。

 

「そうね、私はあの子の母親。あの子が私より強くなっても、立派になっても。それは絶対に変えない」

「それで良いだろう。あれは俺の目から見ても才能があると思うし、成長もしている。――だが、まだ十歳の子供だ」

 

 しかも自分のような阿礼狂いでなく、普通の人間の。

 妖怪退治に連れて行けば緊張で固くなり、友人が危ない目に遭っていたのが怖くなって、信綱の家でご飯を食べた後に一緒に寝たいと言い出したり、寺子屋で皆と一緒に勉強するのを表には出さないが楽しみにしているような。

 当たり前のことで笑い、当たり前のことで怖がり、当たり前のことで泣く。信綱とは似ても似つかない感情豊かな少女だ。

 

 それらを包み隠さず伝えると、先代は嬉しそうに微笑んでみせる。

 

「そんなに考えてくれる人がいてくれて私も嬉しいわ。あの子は幸せね」

「……そうだろうか」

 

 今でこそ子供でいられることが許されている。しかし遠からず彼女は博麗の巫女として立たねばならなくなる。

 そうなっても自分の意志を通せるだけの力を与えているつもりだが、全てに平等な彼女の姿は信綱には想像できなかった。

 

「幸せよ。――心配してくれる誰かがいる。それだけでもすごい支えになるの。私も何度も折れかけたけど、あんたのおかげで耐えることができた」

「俺のおかげ?」

 

 意味がわからないと首を傾げる。彼女に何かをした覚えなどなかった。

 そんな信綱の様子に先代はおかしそうに笑い、一つ一つ自分の支えとなったものを語っていく。

 

「博麗神社を、私を訪ねてくれる誰かがいる。なんてことのない話ができて、愚痴をこぼせる友達がいる。……博麗の巫女の役目を終えても、こうして一緒にいてくれる人がいる」

 

 いつの間にか信綱の肩に先代の頭が乗り、流し目が信綱を見ていた。

 信綱はそんな先代の様子を静かに受け止め、ゆっくりと言葉を選んで口を開く。

 

「……お前にとってはそれが何よりも大切だったんだな」

「ええ、あんたにとっての御阿礼の子と同じくらいに」

「そうか……そうか」

 

 信綱は先代を愛することはない。例え彼女が自分を愛したとしても、その愛に応えることはしない。

 できるできないの問題ではなく、そもそもそんな機微自体が存在しないのだ。

 だが、それでも信綱は彼女が心から大切にしているものを自分から破壊しようとは考えず、むしろ尊重したいと願う人間性を持っていた。

 

 肩に寄りかかる先代に片腕を回し、彼女を抱き寄せて顔を自分の胸に当てる。

 

「お前が離れない限り、俺はお前と一緒にいる。忘れるな、――」

 

 耳元でささやくように彼女の名前を口にすると、先代は顔を上げないまま信綱の背中に手を回してくる。

 ずっと一人だった博麗の巫女がようやく手にしたのは、誰の目から見ても危ない存在で、けれど確かな優しさも持つ狂人だった。

 ――それで構わない。狂人であろうと変人であろうと、彼は博麗神社に足を運んで自分に会いに来た。その事実だけが彼女にとって重要であり、それがあれば十分だ。

 

 そうしてしばらくの間、二人の影は一つになって互いの体温を共有し合うのであった。

 

 

 

 

 

 信綱は用件がなければ自分から居酒屋に足を運ぶことはない。

 成人した頃から今に至るまでついぞ酔うという感覚が覚えられなかった彼にとって、酒とは友人との対話を円滑にするための道具か、あるいは付き合いで飲むものでしかなかった。

 先代は酒をよく飲むためそれに付き合って晩酌を傾けることはあるが、それもせいぜい二、三杯程度である。

 

 このように酔わない体質であることを信綱は誰にも言っていなかった。

 聞かれなかったこともあるし、酒が飲めないわけではないのだ。言う必要を感じなかった。

 

 ところが、それを言う機会が先日あった。先代の酒盛りに付き合っていた時の話である。

 杯をどんなに傾けても顔色一つ変えることのない信綱を訝しみ、先代が聞いてようやくその事実が周知のものとなったのだ。

 

「で、なぜ俺をここに連れてくる」

 

 そして信綱は初夏のだんだん短くなりつつある夜の月明かりの下、先代に首根っこを掴まれて居酒屋に来ていたのであった。

 

「酒は皆で楽しむものよ。あんた一人だけ素面ってことは、酔い潰れた人の面倒とかも見てきたんでしょ?」

「店の主人に任せて帰っていたぞ」

「……それでよかったの?」

「酔い潰れるのは向こうの責任だろう」

 

 最低限、店主に気遣いはするように言い含めておいたのだから優しい対応だと思っている。

 

「酔いたいと思ったこともないし、味がわからないわけでもないんだ。別にいいだろう」

「ダメよ。それじゃ私が面白くな――んんっ! 酒の楽しみがわからないのは人生の損失よ」

「…………」

 

 信綱の目が恐ろしく冷たくなるが、先代はひるまない。無駄としか思えない度胸を発揮され、信綱はしぶしぶ椅子に座り直す。

 

「……お前が潰れるまでだぞ。今は阿求様が休まれているから付き合っているんだ」

 

 もうじき寺子屋を卒業して、幻想郷縁起の編纂が始まる。それから少し遅れてスペルカードルールの普及も始まる予定になっている。

 つまりまだまだ信綱に休みはないということである。もう自分から表立って異変解決に尽力はせずとも、彼が動くべきことは山のようにある。

 しかしそれは未来の話であって、今の話ではない。先代の言葉に従って酒を口にする余暇ぐらいはあるのだ。

 

 信綱は椀に注がれた酒を飲み干し、向かいの先代を見る。

 すでに飲んでいる速度も量も倍近い。味わうという発想がないのだろうか、と信綱は思いながらも口には出さない。酒の楽しみ方は人それぞれである。

 

「ぷはぁ、美味い!! 倒れても介抱してくれる……もとい、相方がいると酒が進むわぁ」

「…………」

 

 視線に温度があるとしたら信綱の視線は氷点下を遥かに下回っていた。この女、飲み過ぎた時の介護役に自分を呼んで、あわよくば酔う姿も見たいという魂胆ではないだろうか。

 本音を言えば酔っても放置したい。だが、さすがに妻である彼女を放置して帰るとなると噂話が怖い。

 世の中何が原因でつまづくかなど誰にもわからないのだ。自分だけでなく御阿礼の子にも累が及ぶ可能性を考えるなら、あまり下手な行動はしない方が良いだろう。

 

「……全く。二日酔いになっても面倒は見ないからな」

「ぶっ倒れても面倒見てくれるんでしょ。甲斐甲斐しい旦那を持てて幸せだわ……ってああっ!?」

 

 先代の飲んでいる酒をぶん取り、彼女が取り返そうとする前に飲み干してしまう。

 

「今決めた。お前にこれ以上酒は飲ません。頼んだものは全部俺が飲む」

「酷い! 鬼! 悪魔! 私から酒を奪うなんて血も涙もないわ!!」

「酔っぱらいの戯言だな。人を体よく使おうとしたバツだと思え」

 

 涙目で睨んでくる様子は霊夢とそっくりである辺り、血が繋がっていなくても親子と言うべきか。

 こんなところで実感したくはなかったと思いながらも、容赦なく彼女の椀に注がれた酒を飲み干していく。どうせ酔わないのだ。彼女を酔わせて世話をするぐらいなら自分で飲んだ方がマシである。

 などと思い、杯を取り戻そうとする先代を片手で押さえながら酒をグビグビと飲み干していると、肩に手が置かれる。

 

 力強く、人間とは思えない大きさの手だった。事実人間ではないのだろう。

 残念なことに信綱にはその手の持ち主に心当たりがあった。なにせ彼女の拳を間近で見たのだから間違いない。

 

「――よう人間! こんなところで会うたあ奇遇じゃないか! 私も相伴に与らせてくれよ!」

 

 十年来の親友に会うような気安さを持ってその人物――星熊勇儀は豪快に笑い、信綱の隣に座る。

 彼女は信綱がもう一度刃を交えろと言われたら御免被りたい相手の一人である。あの時より腕を上げた自信はあるが、小さな失敗が即死に繋がる相手と戦いたいかと言われたら別問題だ。

 とはいえ嫌っているわけではない。正面から向かってきて、終わったら後腐れもないというのはやりやすくて良い。力さえ示せればこの上なく信用できる相手だ。 

 

「……お前か。地上に来ているとは」

「呼んだのはそっちじゃないか。真面目に働かない鬼どもの監督役ってことでさ」

「つい先日だぞ。仕事だってまだ先の話だ」

「おっと、バレちまったか。まあ私がお前さんに会いたかったからだってことで良いじゃないか!」

 

 わっはっは、と笑いながらバンバンと肩を叩く。

 鬼の膂力で叩かれると冗談抜きに肩が砕けそうになる。信綱は顔をしかめて勇儀から距離を取る。

 

「やめろ、痛い」

「っと、悪いね。どうにもお前さんは人間って気がしない。鬼とかと一緒に歩いている気分になる」

「…………」

 

 褒められているのだろうが、そんな気がしない信綱だった。

 と、勇儀と向かい合っていた信綱の肩にまたも誰かの手が置かれる。今度は小さく暖かい、人間の掌だ。

 

 振り返ると先代が据わった目で信綱を見ていた。

 予想していなかった彼女の行動に思わず身体を硬直させてしまう。

 

「…………」

「…………」

「……何か言ったらどうだ」

「……そいつとの勝負は私が先よ」

「お前も酒ばかりだな……」

 

 以前にもあったなこんなこと、と信綱は酔いとは違う頭痛を覚え始める。

 勇儀もまた先代のことを思い出したようで、実に楽しそうに自らの杯を取り出して机の上に置く。

 

「おお、おお! そうだったそうだった! お前さんとの飲み比べも中途半端に終わってたんだ。よっしゃ、今日は飲み直しと行こうか!!」

「普通に飲め。でないと俺は帰るからな」

 

 勇儀の登場から明らかに信綱に向けられる視線が増えているのだ。主に店員からの懇願の視線が。

 

「何よ、ノリが悪いわね」

「悪くて結構。お前たちが暴れたら俺しか止められないだろう。そうなったら店にも迷惑がかかる」

「はっはっは、あの時もそうやって連れて行かれたっけか! んじゃ別の趣向にしよう」

「別の趣向?」

「何も量を飲むだけが酒の楽しみじゃあないだろ?」

「え、違うの?」

 

 先代の言葉に信綱と勇儀の視線がなんとも言えない生暖かさになる。仮にも以前は神社に暮らしていたのだから、酒の知識など常人よりはあるはずなのに。

 

「利酒でもやるつもりか?」

「うんにゃ、早飲み」

「…………鬼に期待した俺が阿呆だった」

「わかりやすくて良いじゃない。利酒なんて味のわかる高尚なやつがやればいいのよ」

「お前はそれで良いのか……」

 

 やはり彼女は生まれる性別を間違えたのではないかと思ってしまう信綱だった。

 しかし、と勇儀は信綱と先代の二人組を見て首を傾げる。

 

「ところで二人はなんでここに? いや、巫女さんはわかるけど、お前さんはあんまりこういう場所は来ないだろ?」

「こいつに連れて来られた。別に嫌いというわけではない」

「ふぅん、意外と付き合いが良いのか。私ももっと早く誘っておけば良かったよ」

「お前の誘いは受けるかわからんがな」

「良いさ良いさ、誘って断られるんなら諦めもつく。押して押して押しまくればいつかうなずいてもらえるかもしれんしね」

 

 なあ人間、と勇儀は信綱に意味深な目を向けてくる。

 付き合いが長くなってしまった相手の誘いは意外と断らない、ということを見透かされているようだった。

 元を正せば先代の誘いだって断ろうと思えば断れたのだ。彼女も心底嫌がる人間を無理に飲ませようとはしないはずだ。……多分。

 

 そして信綱も自分の意思は表明するため、本当に来る気がなければ口に出していた。

 それをしなかったということは、口ではしぶしぶと言った体を装いながらではあるが、彼もこの時間を悪くは思っていなかったのだ。

 自分はひょっとしてわかりやすい人間なのではないだろうか、と信綱は憮然とした顔で目を瞑る。

 

「……早飲みならお前たちだけでやれ。俺は見ているだけで十分だ」

「へへへ、そうこなくっちゃ。ほら巫女さん、今日こそ雌雄を決しようじゃないか!」

「上等! 旦那の前なんだからいい格好見せないとね!」

 

 早飲み勝負に勝つことがいい格好を見せることに繋がるのだろうか、と甚だ疑問な信綱だった。

 

「……待て、ほぼ同着だった場合はどうなる」

「あん? そりゃ飲み直しに決まってる。どっちかが勝つまでやるんだよ、さあ構えな!」

「もう構えてるっての! じゃあ始めるわよ、一、二の――」

「おい待て、それじゃ二人が潰れたら結局俺が迷惑を被る――」

『三!!』

 

 信綱が止める間もなく二人は杯を傾け始めてしまう。

 もはや垂直になっているのではないかと思う角度まで上がっている杯で、二人の顔は見えなくなっている。

 信綱はそんな二人を交互に見て、幾つかの案を頭の中に並べていく。

 以前のように無理やり引きずってしまうか、二人を置いてさっさと帰ってしまうか、あるいは適当に片方の妨害をして勝負を早く決めさせるか。

 

「……仕方がない、か」

 

 色々と考えた結果として、信綱は黙って見ていることにした。

 先代が望んだことは信綱と一緒に酒を楽しむことで、勇儀も信綱と酒が飲みたいと言っていた。

 二人の願いを自分が面倒だという理由だけで拒否するのは気が引ける。御阿礼の子が絡んでいたら考える余地などないが、自分の問題ならば話は別だ。

 それに店員からの視線は未だすがるように自分に向けられている。これを無視するのも面倒だ。

 

 と、理由を心の中に並べて信綱は二人の飲み比べを眺めていることにするのであった。

 

「……吐いても知らんからな」

『そこからが本番よ!!』

「そうなったら止めるぞ、さすがに」

 

 胃の中身をぶち撒けてまで続けられる飲み比べなど悪夢以外の何ものでもない。店員の目がいよいよ涙目になっていた。

 ……結局、何かあった時の面倒は自分が見なければならないのだ。ならば開き直って楽しむ努力をした方が建設的である。

 

 信綱は鬼と人間が飲み比べをする光景を呆れたように、しかしどこか楽しそうに眺め、その夜は更けていくのであった。

 

「頭いたい……」

「そうか、俺は阿求様のところに行くぞ」

「苦しむ嫁は無視……?」

「自業自得だ。存分に苦しんで反省しろ」

 

 そして翌日、案の定先代は二日酔いに苦しむことになるのだが、その面倒までは見なかった信綱であった。彼の優しさは無制限ではないのである。

 

 

 

 

 

「お祖父ちゃん、そろそろ幻想郷縁起の資料作成を始めようと思うの」

「そろそろ時期だとは思っておりました。僭越ながら阿求様の居られない間の資料はまとめてあります」

「ありがとう、お祖父ちゃん。でも私、思ったことがあるのよ。聞いてくれる?」

「もちろんでございます」

 

 阿求と信綱。二人は阿求の私室にて幻想郷縁起の話を進めていた。

 スペルカードルールが施行される前の僅かな時間。今のうちに知らなければならない情報は少ない。

 

「まず、幻想郷には色々な妖怪がひしめいているということ。そして妖怪同士の勢力争いも起こっていることを阿弥の時に痛感したの」

 

 考えてみれば当たり前だよね、と阿求は笑う。

 しかし信綱としてはあまり笑えない情報だった。

 

「……天狗の騒乱の折に、でしょうか。でしたら阿弥様を危険にさらしてしまった私の不始末です。かくなる上は腹を斬ってお詫びを――」

「待って待って!? 今のはお祖父ちゃんを責める言葉じゃないから! むしろ嬉しいことだと思ってるから!? お祖父ちゃんは阿弥を守り抜いたでしょ!?」

「本来ならば守る事態そのものをなくすのが一番なのです。……まあ、この話は置いておきましょう。後ほど改めて私に罰を頂ければ」

「いや、罰するつもりなんてこれっぽっちもないからね!? と、とにかく! 私が思ったのは勢力って言えるほど大きなものって天狗ぐらいだってこと!」

「ふむ……? 確かに道理です。紅魔館などは主が大妖怪であり、並の妖怪以上に強い存在が多いからこそ勢力として成立している部分があります」

 

 美鈴も普通の妖怪よりは強いのだ。鍛え抜かれた五体から繰り出される拳法は脅威的の一言である。

 ……尤も、彼女の強さはある意味道理に則ったものであり、そんな理屈を笑って踏みにじる大妖怪を相手になると通じないのが悲しいところだ。閑話休題。

 

 信綱の指摘に阿求は目を輝かせて同意を示す。察しの良い相手がいるということは彼女にとっても考えの整理に丁度良かった。

 

「そう、それ! お祖父ちゃんの言う通り、紅魔館はレミリアさんの意向に従っている部分が強いと思うの。逆に妖怪の山は天魔様、地底は星熊勇儀……さんがそれに当たるのかしら?」

「詳しいところはわかりませんが、そうなるかと。それぞれの勢力の頂点に立つものが全てを取り仕切っている印象です」

 

 天狗の里は上意下達が基本となっているが、横のつながり同士も深いため派閥が生まれている様子だった。

 と言っても、やはり天魔が頂点に立っているのは変わらないだろう。彼の考え一つで天狗は容易に人間の敵にも味方にもなるはずだ。

 

「うん、だから――レミリアさんとか天魔様とか、そういった人たちを呼んでお話するのを聞けないかな、って考えたの」

「互いの考えを見よう、と?」

「お互いが相手に抱いている感情も見えるだろうし、険悪でも人里で争うことを選ぶような愚か者はいないと思うから。それに幻想郷で生きていく以上、できるなら仲良くしていきたいでしょう?」

「阿求様の仰るとおりです。それが阿求様の願いであるなら、どうぞ私を存分に使ってください」

 

 阿求の慧眼には平伏するばかりである、と信綱は頭を垂れて阿求に一層の忠誠を誓う。

 そんな信綱を困ったような目で見ながら、阿求は今後のことを話していく。

 

「実際にやるかどうかは新しいルールが施工されてからになるけどね。それより今は――古くなってしまった情報を新しくしたいの」

「古くなってしまった情報、ですか? しかし鬼や天狗は阿弥様がすでに……」

「もっと古い情報があるのよ。お祖父ちゃんが生まれるより昔に取り決めた情報が」

「む……」

 

 信綱は自分の頭にある過去の情報を探っていく。御阿礼の子の幻想郷縁起は見るなと言われた阿七と阿弥のもの以外は全て目を通し、一字一句暗記しているのだ。

 

 過去にあって、今にない。口ぶりから推察するに強大な妖怪、それも人の手に追えないほどの。

 となると条件は自然と絞り込まれる。そんな妖怪が積極的に人間を襲っていたのなら、博麗の巫女やスキマ妖怪まで出張って討伐に動くはずだ。今に至るまで人里が存続していることから、その妖怪の脅威は去っていなければおかしい。

 つまりその逆。――その妖怪は極めて強力だが、決して話が通じないわけではない。取り決めを作れる(・・・・・・・・)程度には話ができるのだ。

 

 そこまで信綱が絞り込んだところで阿求が口を開いた。残念ながら時間切れのようだ。

 

「お祖父ちゃんが知らないのも無理はないんだけどね――新しいルールができる以上、無関係なままでもいられないから会いに行かないといけないの」

 

 そう語る阿求の目には強い覚悟が浮かんでおり、何が起ころうと目的を達そうとする意思が感じられた。

 

「阿求様、私がついております。例えその妖怪がいかに強大であっても、私は等しく勝利してみせましょう」

「……ありがとう、お祖父ちゃん。一緒に行きましょう。私も会うのは本当に久しぶりだけど――太陽の畑に」

 

 太陽の畑、と聞いて信綱にも納得の感情が生まれる。

 なにせその場所は慧音から口を酸っぱくされて教えられる、超危険地帯。

 とある大妖怪がその場所を拠点にしており、人間に対する友好度も非常に低く、危険度は恐ろしく高い。

 

 

 

 

 名は――風見幽香と言う。




先代さんはすごく愛の深い人であり、誰も来ない博麗神社に、そして巫女へ会いに来る人で良ければ誰でも良かった部分があります。
そうなると超絶ダメ人間でも面倒を見てしまう辺り、ダメンズウォーカーの気があるとも。相手がノッブだったのは幸運だったのか不運だったのか。

そして始まる縁起の編纂。どうなるのかは次回に詳しく。
ゆうかりんのお話が終わったら原作に近づいていくと思います。
スペカルールの普及とか、魔理沙の家出とかその辺をやったら、紅魔郷スタートといった感じの流れを想定しています。

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