魂魄妖夢は人間ではない。半人半霊という、生者と死者の間に位置する種族だ。
人の血も混ざっているらしいが、寿命、身体能力、妖力を扱う点から彼女は妖怪側に位置する存在と言える。
(威勢の良いこと言ってるけど、半霊と同時に仕掛けて人間は一撃で倒す! 返す刀で白狼天狗を狙う!)
故に妖夢は人間を侮っていた。妖怪は人間を食らうものであるがため、歯牙にもかけない存在であると認識していた。
だからこそ彼女は前傾の姿勢を取り、半霊との合せ技でケリをつけてしまうつもりだった。
人間は妖怪に勝てない。通説として見るならば間違いではない。事実、妖怪と人間でどちらが強いかなどと問われたら大半は妖怪であると答える。
だがしかし、忘れるなかれ。
そんな驕り高ぶった妖怪を殺すのもまた、人間であるのだ。
「……は?」
妖夢は自分の現状に対し、呆けた声を出す。
前傾姿勢になり半霊と共にいざ突撃、という瞬間だったはずだ。
事実、足には雪の地面を蹴った感触が残っている。
――だと言うのになぜ、自分の体は後ろに飛んでいるのだ。
姿勢はバラバラ、着地もできず背中から雪に落ちる。そんな形振り構わない跳躍。
武芸の心得も何もない素人の動作だった。例えるなら獣に遭遇した人間の愚行とも言えるがむしゃらな動き。
それが今の妖夢だった。思考の前に肉体が勝手に反応し、距離を取った。
その事実に妖夢は呆けるしかない。なにせ頭の中では一刀で人間を昏倒させ、そのまま白狼天狗に突撃する姿まで思い描いていたのだ。
現実との乖離に妖夢の頭は混乱していた。
そして、今の行動が自分の命を救ったのだと気づくのに時間は不要だった。
「な……」
先ほどまで立っていた場所。その場所に今は別の存在が立っている。
その手にはいつ抜いたかもわからない刀が一振り握られ、幽鬼のごとき佇まいでその場にいた。
「……避けたか。そこそこ本気で振るったが」
独り言としてつぶやかれるそれに、妖夢は初めて自分は彼に攻撃されたのだと知る。そして自分はそれを回避したのだとも。
しかし、妖夢にその事実を喜ぶ時間はなかった。
「あ――」
男の顔が間近で見えた。見えてしまった。それが侮りと驕りの存在した妖夢の心を微塵に砕いてしまう。
あれはマズイ。あれだけはヤバい。妖夢の肉体と精神、思考全てが危険であると絶叫していた。
ヌルリと嫌な汗が全身から噴き出す。足は震え、口は乾き、歯はカチカチと噛み合わない音を奏でる。
この場に留まったら死ぬ。動こうとしても死ぬ。逃げようとしても死ぬ。一か八か攻撃を試みても死ぬ。
詰み。この男をその気にさせてしまった時点で、自分に勝ち目など万に一つも存在しないのだと思い知らされてしまった。
圧倒的な格の違い。ひょっとしたら祖父である妖忌以上の使い手。それが今、本気で自分を殺そうとしている。
いいや、死ぬこと自体が恐ろしいわけではない。死を操る者に仕える彼女にとって、死とは慣れ親しんだもの。恐れる理由などない。
本当に怖いのは――自分が無価値であると証明されること。
この男は自分をいとも容易く殺すだろう。それこそ蟻を潰すように。
彼はそこに何の意味も見出さない。無駄無価値無意味。妖夢の全てを否定する透徹の瞳が物語っている。
「…………」
「あ、あ……!」
男はその場に佇んで動かない。能面のごとき無表情で妖夢を見据え、手元の刀を握りしめるだけ。
それは獲物で嬲る算段を立てているようにも見え、同時にただ見ているだけというチグハグな印象を与えるものだった。
「…………」
「うぁ……!」
沈黙が続く。男は刀を持ったまま微動だにせず、茫洋と妖夢を見続ける。
だが、しびれを切らしたのだろう。恐怖に震え、動けないでいる妖夢に対して小さく息を吐くと、彼女に向かって歩を進め始める。
一歩。また一歩。雪の地面を踏みしめて迫る自らの死に妖夢は動けない。
怯えるままに男を見上げ、男はやがて妖夢の間近に迫る――前に、間に割って入る影がいた。
雪のような白い天狗装束。生えている髪も尻尾も雪の色。
ちっぽけな白狼天狗がただ一人、妖夢の前に立って男と対峙する。
「――逃げなさい」
「え?」
「逃げなさいと言ったの! あの人の怖さは身にしみたでしょう!! 人里を害することは
「あ、あの」
「立てないなら這ってでも逃げなさい!! そんで飛びなさい!! もう誰も幻想郷で殺し合って良い人なんていないの!!」
叩きつけるような白狼天狗の叫びに、妖夢の膝がようやく力を取り戻す。
未だ震えは収まらないが、どうにか動くことだけはできる。覚束ない足取りで立ち上がりつつ、妖夢は目の前にいる白狼天狗の背中を見る。
大きいわけではない。自分よりは上背があっても華奢な少女の背中だ。
彼女もまた男を恐れているのだろう。妖夢が見てもわかるほどに緊張している。
しかし、手足に震えはない。勇気か義務か、あるいは使命か。彼女自身を構成する何かが彼女に踏みとどまる力を与えている。
その源泉が何なのか、一人の人間として気になるが――今は生きることが第一である。
妖夢は迷いと恐怖を振り切るように顔を振り、一目散に空を飛ぶのであった。
空を飛んで逃げようとする少女を、信綱もまた空を飛んで追いかけようとする。
小さな結界をいくつも作り、それらを足場にして少女に追いすがってその首を切り落とす。
別段難しいことではない。――彼の目の前で大太刀と盾を構える椛がいなければ。
信綱は自分を止めろと言ったことなどすでに思考の彼方に置いており、御阿礼の子を害する少女を滅することしか考えていなかった。
「そこをどけ」
「どきません」
信綱のおよそ温度というものが感じられない冷徹な声を聞いても、椛に揺らぎは見られなかった。
確固たる決意を持って、椛は信綱と対峙する。
「どいたらあの子を殺しに行くでしょう。どきません」
「……だったら、俺を止めてみせろ」
その言葉を皮切りに、信綱は椛を無視して少女を追いかけようとする。
もとより彼の目的は御阿礼の子を害した少女ただ一人。椛をわざわざ相手にして余計な時間を使うつもりはなかった。
――それを読んでいた椛は空を飛ぼうとする信綱の軌道を予測して大太刀を振るい、その動きを阻害する。
「む」
「させない!!」
邪魔をする羽虫を払うように信綱が無造作に刀を振るう。
それを椛は全て受け流し、切り払ってみせる。
甲高い鋼の音が雪の静寂の中に響き渡り、両者が改めて対峙する。
だが信綱の思考は少女の方に向いており、未だ椛の方を敵と認識はしていないようだ。
(彼は一刀。それも椿さんの刀は持ってない! そして注意は完全にあの子に向いている。――勝ち目はある!!)
椛は自分たちから徐々に距離を取っていく少女を認識していない。すでに自分の千里眼は目の前の男に全て注いでいる。
一挙手一投足に留まらない。呼吸の間隔、心臓の鼓動、体重の動き。火継信綱という肉体を構成するありとあらゆるものを見続ける。
まず端的に言って――信綱が本気で自分を排除しようと思ったら、その時点で勝機は消える。せいぜい一分の時間稼ぎが限界。
彼が刀を二振り持ってきていたら、その時点で詰んでいた。彼の本領は妖怪殺しを追求した二刀流であり、その状態の彼を相手にするのは無理だった。
どちらの条件も今は成立している。彼は椛を見てはおらず、同時に刀も一刀しかない。そして自分は彼に全力を注げる。
――止めることは不可能ではない。千に一つ、あるいは万に一つかもしれないが、可能性はある。
御阿礼の子を害する者を消そうとする前の彼はここまで予期していたのだろうか。だとすれば大した慧眼だが、同時に大迷惑にも程がある判断だ。
「……ああもう! これが終わったら貸し一つじゃ済みませんからね!!」
再び飛び上がろうとした信綱に大太刀を振るう。
信綱からの反撃は実に適当。鬱陶しい雑魚を相手にするものと何ら変わらない。
尋常の妖怪ならそれで片がつくだろう。事実、彼の剣閃は本気の時とは雲泥の差であっても、針の穴に糸を通すような精密さで放たれている。
下手に受ければ武器ごと切断されてしまう。抗う術を奪ったら彼は何の気負いもなく椛を無視して、少女を追いに行くはずだ。
――そんな適当な斬撃で、これまで彼の剣術を見続けてきた白狼天狗が倒せるものか。
「はあああぁぁぁ!!」
「……ッ!」
椛は振るわれた信綱の斬撃を全て防ぎ切り、反撃すらもやってのける。
盾と大太刀。守備と攻撃。双方を使い分けて時に刀を盾で受け流し、あるいは斬られても手足には届かない盾の部分はそのまま斬らせてしまうことで、彼の攻撃を無傷でいなしていた。
反撃に振るわれる大太刀もまた、信綱の行先を阻むような的確なものばかり。まるで信綱がどのように動こうとしているのか、全て理解しているようなものだ。
それも当然。椛は信綱がどのような動きで逃げた少女を追いかけようとしているのか、全てわかっている。
御阿礼の子を害そうとした少女が憎いだろう。許せないだろう。――故に最短距離で彼女を殺そうとするはずだ。
椛には信綱の思考が手に取るように読み取れる。元々付き合いが長くなると割りとわかりやすい性格をしているのだ。今の彼の思考を読むことなど、造作もない。
……尤も、これも相手が天魔や八雲紫であればさすがの彼も本気で相手をしようとする。
これが成立するのは彼と付き合いが長く、御阿礼の子を預けても良いと判断されるほどの信頼を獲得し、阿礼狂いの彼であっても無闇に殺そうとしないだけのものを持っている必要がある。
要するに、彼女だけ。烏天狗の部下、鬼や大天狗などの大妖怪から見れば木っ端も木っ端。妖力だって強いわけではない。ただちょっと視界が広いだけの、下っ端天狗。
――そんな白狼天狗の犬走椛ただ一人だけ。御阿礼の子以外で阿礼狂いを止める権利を有する存在なのだ。
斬撃の応酬は留まることを知らず、不協和音も集まれば音楽となる。
鋼と鋼がけたたましくぶつかり合う音楽を奏でながら、椛は自分にもよくわからない咆哮を発する。
「オオォ――!!」
「っ!」
苛烈さを増していく斬撃に信綱は顔をしかめ、舌打ちを一つ。
そう、舌打ちをしたのだ。先ほどまでは取るに足らない相手であると判断し、無視しようとした相手であるにも関わらず。
それを椛は激しくなる戦闘の中で聞き逃さなかった。信綱の目が少女ではなく椛自身を見据えたことに気づいた。
つまり――椛が拮抗できる限界が来てしまったということ。次に振るわれる刃は椛の大太刀を容易く破壊し、返す刀が椛の手足を切り落とすだろう。
これはもう決定したこと。椛の持つ手札では逆立ちしてもこの未来を変えることは叶わない。
信綱の剣を最も多く見て、受けてきた椛であってもこれが限界。未だ彼と彼女の間にはそれだけの隔たりがある。
――そんなこと、ずっと彼の剣を受け続けた椛に理解できぬはずがない。
次の一太刀で終わる。それは変えられない。
だが椛の敗北が明確になるのは返す刀を受けた瞬間だ。
武器が破壊され、手足が斬られるまでの刹那。それが椛に許された己の意思で行動できる時間。
取るべき行動は、決まっていた。
「――」
まず一太刀。
これまで打ち合ってきた大太刀がまるで綿菓子のように容易く切り落とされる。
持ち手のなくなった刀身はズルリと雪の地面に落ち、その重さで雪を凹ませた。
そして――刀身を斬られる前に椛が手放していた大太刀の柄が信綱の胸に迫っていた。
「っ!」
大太刀を破壊したとはいえ、根本から切り落としたわけではない。
それに白狼天狗は妖怪の中で見れば弱い部類であっても、妖怪であることには変わらない。
膂力は人間とは比べ物にならず、そんな彼女の投げた柄が当たったら重傷は免れない。
彼が二刀を振るっていたのなら、もう片方の刃で払って終わりの拙い策。
しかしそれがないこの状況下において、信綱はそれを避けざるを得なかった。
半身になってそれを回避し、同時に踏み込んで椛の手足を切り落とそうと迫り――
「やああああぁぁぁぁ!!」
「――っ!?」
自分から死地に飛び込む椛に、今度こそ息を呑む。
もはや芸も何もない、ただの飛びかかり。
椛は姿勢を低くし、さながら狼のごとく疾駆して信綱の懐目指して一心に進んでいく。
その距離、僅か二歩。信綱の側からも踏み込んでいたため、距離そのものは非常に短い。
だがその二歩、信綱がただで詰めさせるはずもない。
驚愕は一瞬。信綱はすぐに冷静になり、落ち着いて椛の手足を切り落とすべく刃を振るった。
一太刀。それを椛は地面に落ちた大太刀の刃を拾い上げ、信綱の太刀を受ける。
当然、それはすぐに斬られて椛の肉体を切断せんと迫る。
だが障害が何もない斬撃に比べれば、肉体への到達時間は落ちる。
その一瞬で一歩を詰める。残り、一歩。
それはすでに壊れかけの盾と盾を持つ腕を犠牲にすれば詰められる。
椛はかつて伊吹萃香と対峙した時と同じ方法で信綱の斬撃をしのごうとして――失策に気づく。
「――俺の武器は剣だけだと思ったか、戯け」
刃を振るうのでは攻撃は一方向に限定されてしまう。
ならば手放せば良い。すでに結果の見えた行動に固執する意味などない。
信綱は今まで振るっていた刃をあっさりと捨てて、拳を握る。
妖怪に打撃は効果が薄いと言っても、全くの無意味でもない。強く殴れば昏倒もする。
意識を奪えばこちらのもの。刀を回収して少女を追いかけて殺せば良い。
そして双手は椛目がけて振るわれ――
椛は、それを避けなかった。
歯を食いしばり、意識を落としかねない箇所だけを防御し、その拳を受けるままにしたのだ。
なぜ? などと問う理由は不要。それはこの状況こそ椛が願ったものだからである。
攻撃をする側と受ける側。そして今は互いの腕と身体が触れ合っている状態。
――すなわち、今なら妖怪の膂力で押し倒せるということ。
拮抗は一瞬。拳を受けても怯まず進む椛に対し、信綱は抗う術を持たない。
本来であればその力を受け流してしまうことなど容易い。だが、相手が椛であることが災いした。
こういった状況下で自身の取り得る行動がすでに読まれてしまっていたのだと、信綱は椛に両の手首を掴まれた瞬間に理解させられる。
力比べになれば当然、信綱に勝ち目などなく――彼の肉体は雪の上に投げ出されるのであった。
「さあもう諦めてください! 私がこうしている限り君に自由はありません!!」
馬乗りになった椛が信綱の手足を押さえつけて叫ぶ。
それを信綱はどうにかしようと手足を動かすが、妖怪の膂力の前に人間はどうしようもない。
手首だけでも動くなら技術で脱出は可能だが、椛はそれも警戒して押さえ込んでいる。
その姿勢のまま時間が十秒ほど流れ、信綱の顔に徐々に呆れの色が生まれてくる。
「……さすがに今から追いかけても無理、か」
「…………」
「そんな目で見るのをやめろ。もう追いかけるつもりはないから手を離せ」
信綱の瞳に理性の色が戻り、声も平時のそれと変わらないものになる。
阿礼狂いである時の透き通った殺意は綺麗に消えていた。
さすがに未遂の状態である彼女を、地の果てまで追いかけて殺そうという熱意はなかったようだ。
椛はそんな信綱を見て慎重に、ゆっくりと拘束を外して彼の頭上で大きなため息を吐く。
「はああぁぁ……寿命が百年縮んだ……」
「普段の稽古と大差ないだろう」
「大有ですよ!! 逃げたらあの子が死んじゃうでしょう!!」
「それぐらいじゃないか?」
「大変なことです!!」
信綱は耳元で聞こえる椛の声にうるさそうな顔をするが、こればかりは言わせて欲しい椛だった。
「大体、君は私に無茶苦茶なことばっかり言い過ぎなんです! 今回のこれはなんですか! 私に全部任せて自分だけやりたいことやるってどうなんですか!!」
「わかったわかった。悪かったとは思っている。だからいい加減離れろ、寒い」
「反省の色が見えるまで離しません!」
どうやら本格的に怒らせてしまったようである。
仕方がないと、信綱は椛に理由を説明することにした。
「……俺は阿礼狂いだ。だから御阿礼の子を害そうとした奴を放置はできん。あれはもうどうしようもないことだ」
開き直るわけではないが、これは信綱の信念でもあるのだ。
御阿礼の子こそ至高であり、その至高の輝きを穢そうとする輩は滅殺すべきである。
その信綱の言葉に椛はうなずく。伊達に彼と一緒にはいない。そのぐらいの性質は理解している。
「ええ、それはわかります」
「だがそれではマズイこともわかった。俺とて無闇に殺すことが幻想郷にとって良いことだとは思わん。
……しかし同時に阿礼狂いであることも変えられん。優先順位はもう決まっている」
「……だから、私に任せたと?」
「そうなるな」
「もし私がいなかったら?」
「どうしようもなかったな。殺す前に八雲辺りが気づいて止めることを祈るぐらいしかなかった」
今の幻想郷において自分は異物である。
全てを遊びで解決すべきだと願いながら、御阿礼の子に関してはそうできない。
御阿礼の子が害される可能性があるとわかった途端、彼は暴力で吹き散らそうとしてしまう。
それが今まで積み上げた平和を崩すものであったとしても、信綱は幻想郷の英雄である以前に阿礼狂いとしての在り方を優先させる。
だからこれでも悩んでいたのだ。椛がいなければ防衛もままならなかっただろうし、春が奪われたと気づけば信綱は異変解決――否、異変の黒幕を殺しに動いていただろう。
天魔が椛を送ったことも含め、信綱は色々と多くの妖怪に助けられて今に至るのだ。
その辺りの理由を説明すると、椛の顔に浮かんでいた怒りがだんだんと呆れたものに変わり、信綱の拘束を解いて立ち上がる。
「……君は本当に変わりませんね」
「一生変わらん」
「みたいです。仕方がないから今後も異変があった時は君の元に行くようにします。君を放置するとどんなことになるかは今回でわかりましたし」
「ああ」
「……何か言うことがあるんじゃないですか?」
そう言うと信綱は顔をしかめ、しかしすぐに諦めたようにため息を吐く。
「――ありがとう。お前がいてくれて助かった」
「ん、許します。……この後お酒をおごってくれたら、ですけど」
「あの子やっべえわ」
「紫、いきなりスキマを開いたと思ったらそんな声出してどうしたの?」
ことの一部始終を見ていた八雲紫は思わず素でそんな声を出してしまい、向かいでお茶を飲んでいる親友に首を傾げられてしまう。
「ああ、なんでも……あるわね」
紫は目の前の親友――冥界の白玉楼の主である西行寺幽々子にどのような説明をしたものか、と頭を悩ませる。
「紫?」
「もうすぐ半人前の子が帰ってくるだろうけど、優しくした方が良いわよ。ちょっとお化けを見たどころじゃない恐怖体験をしているでしょうから」
「……ああ、もしかして異変解決の専門家さんに倒された、とかかしら?」
「違う違う。だったら恐怖体験なんてしないでしょ?」
的はずれな幽々子の言葉に思わず笑ってしまう。
しかし幽々子が知らないのも無理はない。冥界はつい先日まで幻想郷とは隔絶された世界だったのだ。
良い機会だと思い、現し世と幽世を隔てる幽明結界を緩めたものの、幽々子とその従者である妖夢は地上のことなど全く知らないも同然。
「あなた、幻想郷の春を集めてこいって言ったでしょ。それって当然、人里も含まれるわよね」
「ええ、そうなるわね。でもあの桜が咲いたら返すから心配しないでも良いわ」
「……ま、そこの是非はどうでも良いわ。異変である以上、博麗の巫女が解決するのが当然だし」
紫はその結末に疑問を持っていない。幽々子はスペルカードルールに則った異変を起こしているからである。
スペルカードルールは所詮ごっこ遊び。本当に叶えたい願いがあるのなら使う必要などないものだ。
それを使う以上、幽々子は失敗しても大して問題ないと判断しているに違いない。
彼女が咲かせようとしている桜――西行妖の顛末を紫は全て知っているため複雑ではあるが、それは話に関係ないので流すことにする。
地上では弾幕ごっこが基本となって人妖の区別なく遊ぶ時代となっているし、妖夢と幽々子がそれに従ってくれるのも良いことだ。しかし――
「遊びじゃ済まされないこともあるのよ。特に人里は」
「……どういうことかしら?」
「人里にはこわーい守護者様がいるの。鬼も逃げ出すほどのおっかない人が、ね」
頭の上に二本指を立てて鬼を表現する紫に幽々子は上品に笑う。
「あらあら、紫がそこまで言うなんて相当恐ろしいのね」
「そりゃあもう。ある意味閻魔大王以上に怒らせたくない人よ」
「そこまで言われると興味が出てくるけど……遊びで済まない、というのは?」
「春が奪われたら大変ですもの。人間は寒いってだけで死ぬんだから」
そして人里の守護者の登場である。しかも人里にとっては遊びでもないため、弾幕ごっこも使わない。
それを紫が言うと、幽々子は怪訝そうな顔になる。
「人里の守護者でしょう? スペルカードルールに則ってないと勝てる勝負も勝てなくなりそうだけど……」
妖夢は未だ半人前だが、それでも妖怪だ。通常の人間よりは長く生きており、身体能力だって人間の比ではない。
紫は甘い甘いと言わんばかりにチッチッ、と幽々子の前で指を振る。
「いるところにはいるのよ。今の幻想郷に変えてみせた本物の英雄……ごめん、ちょっと盛った。なんかすごい英雄が」
「一気にグレードが落ちたような変に上がったような……」
「だってあいつ、真っ当な英雄とは口が裂けても言えないし……」
「本当にどんな人か気になってくるわねそれ」
紫も幻想郷の管理をして長いが、あそこまで英雄性と狂気が入り交じった存在も初めてだった。
こほん、と咳払いでごまかして紫は説明を続ける。
「と、とにかく! 人里はメチャクチャ強い守護者が守っているのよ。弾幕ごっこであっても、そうでなくても、妖夢には手も足も出ないでしょうね」
「あら、そんなに?」
「そんなによ。まともにやり合ったら私だって危ういわ」
「そんなに!?」
幽々子の目が見開かれる。それはちょっと人間の領域に収めて良い存在なのだろうか。
紫も甚だ疑問に思っていることではあるが、いるものはいるのだから仕方がない。
それに彼の恐ろしいところは力量ではない。もっと別の場所に彼の怖さはある。
「……まあ、本当に恐ろしい人だから万一があるかもと思ってスキマで見ていたんだけど、大丈夫そうね」
「妖夢を見ていてくれたのかしら。だとしたらお礼を言わないとね」
「私のためでもあるから気にしないで良いわ。というか本当、万一があるとシャレにならないから……」
妖夢が殺されたら幽々子は怒るだろう。そして下手人である信綱に手を出すだろう。
そこに正当性などないにしても、感情は理屈ではない。死を操る彼女が怒ればいかに信綱とて危うい――
……気があんまりしないのはさておき、どちらも全力を使った戦いになることは確実。
そしてどちらが勝っても人妖の間には亀裂が走る。
どうして自分がこんな胃の痛い思いをしなければならないんだ、と紫は幽々子と信綱を内心で罵倒する。
とはいえそれも過ぎたこと。見事に信綱を止めてみせた白狼天狗に感謝しながら、紫は喉元を過ぎて気兼ねなく話せるようになった信綱のことを話すのであった。
「で、結局どんな人なの?」
「頭おかしいやつ?」
「疑問形!? え? というか紫、その人と友達なのよね!?」
「友人だとは思ってるけど、間違いなく気が触れているとも思ってるから……」
「友達は選んだほうが良いわよ、紫」
信綱のことを話したら幽々子から真顔で心配されてしまったのではあるが――まあ、些細なことである。
椛お前すっげえな(真顔)
条件がかなり椛の優位になっているとは言え、ノッブから一本取るとは誰が思ったか。私も書いててビビった。
でも椛は一番最初に共存を願った妖怪としての信念があるからね。メッチャ主人公力発揮するけど仕方ないよね。ノッブがあれだし。
原作キャラを殺そうとするオリキャラを食い止める白狼天狗。どっちが主人公かな?
というわけで椛VSノッブでした。ノッブが余所見している間ならワンチャンあるという椛も剣術という点なら相当な部類に。天魔相手でも剣術勝負なら防戦可能という裁定です。