阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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ちょっとFGOの採集決戦に挑んでいて遅くなりました。バルバトスは強敵でしたね……(プレイヤーが)


春の奪還と鬼の蜜月

 白玉楼の庭師兼剣術指南役である魂魄妖夢は最近、悩みを覚えていた。

 というのも人里を襲った際に受けた恐怖体験に始まり、ここ最近で調子の良かった試しがない。

 

 人里を襲った時は本当に九死に一生を得た気持ちだったし、それは間違いではないはずだ。自分を助けてくれたあの白狼天狗は無事だろうか。

 気にはなるものの、主である幽々子から春を集めるように指示を受けている手前、自分の都合を優先するわけにもいかず次に花畑へ向かった。

 

 今度は弾幕ごっこで出迎えてくれたものの、恐ろしく強く手も足も出ないまま撃墜されてしまった。

 花と植物を連想させる美しい弾幕で、自分の弾幕を優雅に避ける様は手の届かない高嶺の花を連想させ、同性である妖夢も少し見惚れたくらいだ。

 

 薄く微笑み、日傘を携えて無数の弾幕を放つ姿は主人の幽々子に勝るとも劣らない。きっと普段の生活も優美で淑やかな女性の憧れるものなのだろう。

 

 ……実態は日がなとある男にどうやって勝つことかしか考えておらず、しかもしょっちゅうその人物に打ち負かされては悔しい思いをしているのだが、想像の中では人はどこまでも高みに至るものである。閑話休題。

 

 さておき、自分はどうにも幻想郷の中ではあまり強くないのではないか、というのが妖夢の悩みだった。

 生きた年数は浅くとも、剣の師匠である魂魄妖忌に鍛えられ、死を操る亡霊である幽々子に仕えて日々精進をしてきた。

 努力を怠らず、毎日毎日飽きもせずに剣を振るった。半人半霊としての身体能力、半霊との連携、純粋な剣技。どれも自身が思いつく限りの鍛錬をしてきたつもりだ。

 

 大妖怪と目される存在に勝てないのは仕方がない。根本的な年数が違う以上、差が出るのは当然のことである。

 しかし、人間に勝てないのはどういった理屈だろうか。というかあの男は人間だろうか。

 手も足も出なかったどころではない。手も足も出さなかったのだ。戦おうとする前に身体が奴との戦闘を拒否し、次いで心が折られてしまった。

 もう一度あの男と相対して、まともに剣を振るえるかはわからない。いや、おそらく振れないだろう。

 剣術を使う者として悔しいが、彼の技量は自分より上だ。

 全てを見ていないので断言はできないが、場合によっては師匠である妖忌以上の使い手かもしれない。あるいは死を操る亡霊すらも殺してしまいそうな気配を感じた。

 

「あれは本当にマズイって言ったんだけどなあ……」

 

 幽々子と紫の前で人里はマズイという進言はした。

 主人の願いは叶えるものであり、彼女のためなら命も惜しくないとはいえ、一時の暇つぶしのために死ぬつもりはない。

 彼女の親友である紫は妖夢の言葉にうんうんと力強くうなずいていたのが気になったが、幽々子は半信半疑と言った様子だった。

 恥も外聞もなく泣きついてどうにか幽々子に人里は免除してもらうことを取り付けたのは、我ながら英断だったと妖夢は自分を褒める。いや、褒められた行動ではないが。

 その様子を見ていた紫は普段なら妖夢の様子に笑っているところなのに、なぜかその目は同情に満ちたものだったのが気になる。

 

 そんなわけで一通りの春を集めた妖夢は白玉楼の門前で見張りをしながら、幽々子が西行妖に春を捧げに行くのを待っているのであった。

 

「……この異変が終わったら、修行の旅でも出ようかしら」

 

 修行しても勝てるイメージが浮かばないのが難点だが、現状に甘んじるままでは一層の精進は見込めない。

 強さを求めるのなら、より自分を過酷な環境に置く必要がある。流水こそ己の身を引き締めるのだ。

 

 と言っても、妖夢は冥界生まれの冥界育ち。この場所から出たことはあまりなく、修行の旅と言ってもどこに行けば良いのか皆目見当もつかない。

 はぁ、と妖夢はここしばらくで頻度の増えたため息をついて、桜が舞い散る長い階段を見下ろした。

 

「……全く、人が物思いにふけっていても侵入者はやってくるのね」

 

 この辺りにいた霊が騒いでいる。変化の少ない冥界においてそのような事態が起こる理由など、一つしかなかった。

 妖夢は楼観剣の柄に手を添えて静かに待ち構える。

 結局、人里で恐怖体験をしてから人や妖怪からの春の奪取はできなかった。

 人間か妖怪、一人ではたかが知れているが、それでもないよりはマシだろう。

 そうしてやってきた赤と白の巫女服に身を包んだ少女を見て、妖夢は口を開く。

 

「――あなた、人間ね。ちょうどいい。あなたの持っているなけなしの春を全ていただくわ!」

「私の邪魔をするってことは異変の黒幕側ねよし落ちろ!」

「なんかすごい既視感あるんだけど!?」

 

 一切の躊躇も対話すらなしに弾幕を放ってくる少女に、妖夢はつい最近似たような相手に襲われたなあ、などと遠い目で自らも迎撃に出るのであった。

 命の危険が格段に少ない弾幕ごっこであるだけまだ有情なのだろう、と心の何処かで安堵しながら。

 

 後日、なんだかんだ仲良くなった巫女の少女から誰に鍛えられたのかを聞いて、深く納得したのは別の話である。

 

 

 

 

 

 信綱は相も変わらず椛を伴って見回りをしていた。

 どうにも先日、春を奪いにやってきた少女を追い返したのが原因で椛からの信用がなくなってしまったらしく、見回りに出る時は彼女が一緒になるようになっていた。

 

「お前が仕事熱心なのはありがたいが、方向性が不本意だ」

「いや君、同じ状況になったら同じ行動をするでしょう」

「当たり前だ。阿求様の敵を生かしておく理由など一つもあるまい」

「だから私が一緒に動くしかないんじゃないですか……」

 

 不本意だと言って不満そうな顔をしているくせ、一切の改善が見られない信綱の物言いに椛は困ったように耳を垂れさせる。

 こういう男だとは前からわかっていたが、よもや止める役目まで任されるようになるとは思っていなかった。

 もしももう一度、あの少女が春を奪いにやってきたのなら、今度は死に物狂いで説得しようと心に決めている椛であった。

 説得の失敗が少女の命と自分の命に直結しているとあっては、簡単に諦めるなどもってのほかだ。

 

「それに、まだお酒を買ってもらってませんからね。せっかく買ってもらうんだから、良いのをたくさん買ってもらわないと」

「……程々にしろよ」

「残念、容赦はしません」

 

 いつもは容赦していたのだろうか、と信綱は半目で椛を見るものの彼女に堪えた様子はなかった。

 

「まあ良い、約束は果たそう。では行くぞ」

「よっしゃ、酒買ってもらえるなら頑張るか」

「はいっ」

 

 そう言って二人は歩き出し――すぐに中心にいた男に対して呆れた目を向けた。

 

「天魔様、一声かけましょうよ……」

「そこはもう少し驚けよ。せっかくわざわざ変化の術で化けて、歩き方も変えて来たってのに」

「癖っていうのはそんなに簡単には変わりませんよ。それに千里眼で自分の周囲は常に見ています」

 

 この白狼天狗、なんか会う度に面倒な一芸を覚えてやがる、と天魔は内心で驚愕する。

 本人に自覚はあるのだろうか気になって仕方がない。風のうわさでは阿礼狂いと直接対決で食い止めたとも聞くし、これは本格的に自分の手駒に入れることも考えて良いかもしれない。

 

「どこでそんな手品覚えたんだ?」

「俺が教えた。害を与えるとなると直接触れることが大抵の場合で必要になるからな」

「前々から思ってたけど、旦那の厄介なところは旦那だけを潰せば良いってもんじゃないところだよな」

 

 信綱の薫陶を受けた白狼天狗はご覧の通り、今や天魔であっても無視できない一芸を身につけつつある。

 それに信綱を倒したところで、遠からず死ぬ彼は自らの死後も人里――もとい御阿礼の子が健やかに生きていけるだけの布石を打っているはず。

 なにせ政治の勝負でここまで天魔が煮え湯を飲まされた相手だ。その人物の業績を天魔は正しく評価する。

 

「まあ良いや。オレは旦那を敵に回す予定もなければ人里を潰す気もない。んで今日来た理由だけど、ぶっちゃけ暇だった」

「天魔様……」

「そんな目で見るなよ。春を奪われたから大天狗が報復しろってうるさいけど、好きに行けば良いんだよ。スペルカードルールに則ってるなら、誰が異変解決したって良い時代だ」

「それでどうしたんだ?」

「不満を溜め込むのも問題の先送りだからな。この異変が終わったら大規模な宴会でも開いてみようかと思ってる。ガス抜きさせてやらんと爆発した時の規模がでかい」

 

 そう言って微かに遠い目をする天魔の瞳には、かつて袂を分かってしまった大天狗が浮かんでいるのだろう。

 それが読み取れてしまった信綱は大きなため息をつく。同情や罪悪のものではなく、呆れたそれを。

 

「お前は手足に入れ込み過ぎだ。いつまでも忘れないくせ、切り捨てる決断は迷わないなど、お前の心が無事で済むものではないぞ」

「――だからオレが頭張ってるのさ」

 

 そう言って天魔は椛の頭に手を置き、その瞳に政治家としての色ではなく、全ての天狗に幸あれと願ってきた天狗の首魁としての色を浮かべる。

 椛はその目に何も言えなくなっていたが、信綱は構わず口を出す。

 

「であれば味方を天狗以外に増やすことだ。お前の関係は身内に寄り過ぎだ」

「ほう、その心は?」

 

 信綱の言葉に興味を示したのか、その理由を問うてくる天魔。

 対し信綱はわからなかったのか、と逆に意外そうな顔になりながらも答える。

 

「……妖怪も人間も、一人でできることなんてそう多くない。結果論になるが、あの時の天狗の騒乱は俺がいなければ被害はもっと拡大していただろう」

 

 別におかしなことではない。信綱は盛大に切った張ったして、多くの烏天狗を地に落としてその五体を切り刻んだが、致命的な一線を越える傷はつけなかった。

 事実として、あの争乱で死んだのは首魁である大天狗のみだった。

 

「ま、旦那がいてもいなくても、遠からず起こっていただろうな」

「そうなっていた場合の被害はどう睨んでいた」

「……一人二人、じゃあ済まなかっただろうな。オレの未熟だって痛っ!?」

 

 言ってもわからないようなので肘を強めに脇腹に入れてやる。

 脇腹を押さえて痛そうに顔を歪める天魔に、こんな簡単なこともわからないのかと呆れた顔になって信綱は言ってやる。

 

「未熟だと思うのは良い。俺だっていつも思っている。――だが、それでもやらなければならない時がある。そうなった時、頼れるのは自分以外の相手だろう。もう隠す必要もないが、俺はあの争乱の折、こいつに助けてくれと言った」

 

 椛の腕を掴んで引き寄せる。

 椛は一瞬だけ驚いた顔になったものの、すぐに落ち着いて信綱の隣に立った。

 彼女のできることは信綱に比べれば遥かに少ない。彼女より多くのことを、彼女より上手くやれる相手も信綱は知っている。

 だが、信綱が御阿礼の子を任せるとしたらそれは椛以外にはあり得ないと言い切れた。それほどに彼女を信頼していた。

 

「俺もお前も一人で多くのことができる存在だ。だからこそわかる。――それで守れるものなんてたかが知れていると断言できる」

 

 信綱が誰とも交友を持とうとせず、ただ孤高に己の力だけを追求していたら――きっと、御阿礼の子を守り抜くことはできなかっただろう。幻想郷を襲ってきた嵐に呑まれて砕けていたに違いない。

 たった一人の主を守ることさえこれなのだ。天魔の語る天狗の全てを守るなど、一人でできることではなかった。

 

「頼れる存在を作れ。強くなくて良い。権力がなくても良い。自分が心から信頼できて背中を預けても良いと思える存在だ」

「……なるほど、確かに。それはオレにはなかったかもしれないな」

 

 天魔は信綱の口から語られるそれを、苦笑いと共に受け入れる。

 根っこの方は明らかな狂人のくせ、言うことは真っ当なのだから面白い。

 

「旦那にとっては椛がそれか?」

「そうだな。こいつは俺の無茶ぶりにも応えてくれた」

「いや、無茶ぶりって自覚があるなら自重しましょうよ!? 毎回死ぬかと思ってるんですよ!?」

「お前以外に任せられないから頼んでいるんだ。それにお前から首を突っ込んだものもあるだろう」

 

 百鬼夜行の時など、椛は萃香に自ら勝負を挑んでいた。

 人妖の共存を望んだ最初の一人であると、誰でもない自分に胸を張るために。人妖の共存を成し遂げつつあった人間に胸を張るために。

 あれは別に信綱が頼んだわけではない。椛もあのまま戦わなければ、信綱が萃香を殺して話は終わっていただろう。

 ……その結果が今と同じになるかどうかは別として。

 

「何にせよ、俺にはこいつがいた。お前にはいたか?」

「……目的が同じだと思っていた大天狗も、離反する時はするからなあ。旦那みたいに利害を越えた関係を持つってのは今さら難しい」

「え、あれ? もしかして褒められてます?」

「当たり前のことを言っているだけだ」

 

 ずっと同じ光景を見てきたのだから、これからもそれを見続ける。

 それだけのごく当然のことだと信綱は思っていた。

 信綱と椛。天魔も知らない昔に出会った頃はわからないが、今となってはほとんど全ての面で信綱が椛を上回るようになり――それでも、決別はしなかった二人。

 

 意識せずとも共にいられる。そうなれる関係を築くのにどれだけの時間が必要か。

 天魔は本人が当たり前のように手にしているものを微かに羨み、苦笑して再び歩き出した。

 

「ま、仲良きことは美しきかなってことさ。身体も冷えてきたし行こうぜ。酒でも飲んで身体を暖めないと」

「そうですね。奢りですし、いくらでも飲んで良いんですよ!」

「限度があるに決まっているだろうが戯け」

 

 天狗も鬼も大酒飲みで有名な妖怪である。彼らに付き合ったら信綱の財布が消し飛んでしまう。

 最近はそんな妖怪に飲み比べで勝負を挑むことに意義を見出した人間もいると聞くが、率直に言ってバカなんじゃないだろうかと思う信綱だった。

 

「……いや待て。なぜ天魔にまで酒を奢らねばならない」

「良いじゃねえか、ここで会ったのも何かの縁だって」

「お前のことだからどうせ俺を探していたんだろうが」

「椛に酒を買う場面だとまでは思ってなかったさ。だから十二分に偶然だって」

「まあまあ。あんまり怒ってばかりだとお酒も不味くなりますから」

 

 なんて図々しい奴らだ、と信綱が胸の奥からため息を吐いていると――天魔の姿が消える。

 

「む?」

「あれ、天魔様? ……あ」

 

 何事かと信綱と椛が天魔の遠ざかる理由を探すと、椛が一瞬だけ早く答えを見つけた。

 大きな酒樽を片手にのしのしと人里を歩き、行く先々で声をかけられては律儀に返事をしている一人の少女。

 そしてその少女の隣を意気揚々と後頭部で手を組んで歩く小さな少女。

 両者に共通していることは――雄々しい角が生えていることだった。

 

 そんな少女二人――星熊勇儀と伊吹萃香がこちらに向かってくるのを見て、信綱と椛にも納得が生まれる。

 

「あいつ、本当に鬼が苦手なんだな」

「あの二人が山を支配していた頃からの付き合いでしょうし、色々あるんだと思いますよ」

 

 その割には萃香と勇儀は天魔を嫌っている様子がない辺り、不思議な関係である。

 ともあれ二人が近づいてくるので、信綱と椛もその場に立って会釈をする。

 

「おお、鬼退治の勇者たちじゃないか! 今日は一体どうしたんだい?」

「俺たちは見回りだ。お前たちこそどうした」

「雪で倒壊した家屋の片付けを頼まれてたんだよ。ついでに新築も済ませてお礼にと酒樽をもらったのさ」

「けが人はいなかったのか?」

「ぺしゃんこになるような崩れ方じゃなかったしね。私らの手にかかれば一時間もいらないよ」

 

 鬼は優秀な大工と聞いていたが、予想以上だった。

 これで気まぐれでなおかつ酒飲みのため、しょっちゅうサボってムラがあることを除けば理想的と言えよう。

 

「ほう、よくやったな」

「これくらいお安い御用さ! んで、お二人さんは暇かい? 今からこいつを適当な飲み屋に渡して、つまみと一緒に飲もうって萃香と話していたんだ」

「俺は構わんぞ」

「そっか、駄目なら仕方がない――って良いって言った!? 萃香がいるのに!?」

「オイちょっと待ちな勇儀。今のどういう意味さ!?」

 

 言わずともわかるだろう、という目で勇儀と信綱から見られてしまい萃香は怯んでしまうものの、諦めずに口を開く。

 

「ケジメは付けたし、ここ最近は真面目にやってるんだ。一緒に酒を飲むくらい許してくれるだろう?」

「お前と二人きりはゴメンだがな」

「ひっでぇ!?」

「まあ今回は構わん。こいつに奢る酒もこれで済ませられ――安く上がるからな」

「あ、ずるいですよ!」

「そこの白狼天狗も来るのかい? 私らは大歓迎だけど、そいつは萎縮しないか?」

 

 勇儀が聞いてくるが、萃香はチッチッと椛の代わりに指を振る。

 

「私らが心配することじゃないよ。なにせこいつは私を打ち倒した天狗の勇者だ」

「ほう、勇者! 勇ましいやつは大好きだ! よし、一緒に飲むか!!」

「勝手に私のこと過大評価しないでくれません!? 私はただのしがない下っ端天狗ですよ!!」

 

 悲鳴のような椛の言葉だったが、勇儀や萃香はおろか信綱すらもその言葉に対して反応しなかった。

 

「君まで!?」

「俺が鍛えているんだ。下っ端であることと弱いことは同じではないぞ」

 

 信綱はこともなげに言うが、椛の周囲には自分より遥か上の相手しかいないのだ。

 自分の周りで同程度の格の妖怪など、河童のにとりと妖猫の橙ぐらいである。

 特に信綱と一緒にいて知り合う妖怪は大半が大妖怪だった。彼女らと比べると格の違いを感じてもおかしくはない。

 しかし、そんな椛の弱気に萃香は肩をすくめて苦笑いをする。

 

「んむ、人間の言う通り。お前さんはもう少し自分の強さに自信を持った方が良い。でないと負けた私が惨めだ」

「う……」

「……難しいようなら気にするな。惨めどうこうを語るなら、俺に負けた連中は皆そうだ」

 

 困ったように眉を歪める椛の頭に、信綱の手が置かれた。これ以上は見過ごせないと判断したのだろう。

 額面上の性能で言えば人間である信綱が一番下である。体力も膂力も、どちらも妖怪に匹敵するものではない。

 だが、それでも並み居る大妖怪を打ち倒してこの場に立っている。その事実に萃香も勇儀も呵呵と笑う。

 

「それ言っちゃおしまいだっての! ――さ、一緒に飲もうぜ! 今日は朝まで飲むぞ!」

「まだ日も高いぞ」

「鬼の飲みに付き合うんなら、そんぐらい覚悟しろってことさ!」

「頑張ってくれ」

「なに私を生贄にしようとしてるんですか!? 君も一蓮托生ですよ!!」

 

 そっと椛を置いて逃げようとしたら、逆に彼女に手を掴まれて逃げられなくなってしまった。

 面倒な相手に絡まれてしまった、と信綱は苦い顔になりながら酒飲み二人と椛を連れて、店へと入っていくのであった。

 

 

 

「で、人間たちは今の異変は気づいているのかい?」

 

 入った店で出された川魚のなめろうと焼き魚、煮魚といった魚をつまみに勇儀と萃香がグビグビと軽く一樽分の酒を飲み干してしまうと、ふと口を開いてきた。

 信綱は付き合いで最初の一杯だけ飲み干し、後はうんざりした顔で二人が飲むのを見ていたが、話が振られたためそれに返答する。

 

「こいつが教えてくれた。こいつは天魔から聞いたらしい」

「ふぅん、天魔の坊主も鼻が利くようになったもんだ」

「お前たちは気づいていたのか?」

「私は普段地底にいるからどうでも良かったけど、萃香は気づいたようだね」

「ま、疎と密を操る手前、四季の濃淡はわかるのさ。今年は春が不自然に少ない――いや、一度は出てきた春を誰かが奪っている痕跡があった」

 

 自慢げに話す萃香に信綱は感心した顔になる。その辺りの能力による感覚は信綱にはまるで理解できないものだ。

 

「俺には春を奪うという発想自体がわからなかった。規模が大きすぎないか?」

「珍しくはあるけど、不思議ってほどじゃないよ。それに解決はされるんだろう?」

「されなきゃ滅びるだろうが」

「まあまあ大丈夫だって。最悪の場合は人間が出張れば簡単だ」

「……はぁ」

 

 そんなに簡単な問題ではないのだが、困った連中である。

 信綱はため息を吐いて近くにあった焼き魚を食んでいく。春を待ち望んで脂を溜めた身が美味だった。

 

「今起こってる異変は良いんだよ。私らがやったことじゃないし、私らが関われることでもない。問題は次だ」

「次?」

「うん、次に異変を起こすなら私も関わりたいなって」

「…………」

「そんな目で見ないでよ。ちゃんと弾幕ごっこのルールには従うよ。約束したじゃないか」

 

 鬼は約束を破らない。それ自体を疑っているわけではない。

 ただ、萃香は物事を恣意的に解釈して行動する可能性がある。嘘でなければ大丈夫、という考え方の持ち主だ。

 人里に害をなすつもりはない、というのは信じて良いだろう。その部分は信綱が直接交わした約束だ。それすら守らない鬼だったら、勇儀が萃香を殺している。

 

「……約束を守るのならとやかくは言わん。状況次第でもあるが」

「ん、それで良いよ。お前さんが文句を言うほどなら素直にやめる」

「私は今のうちに関わらないことを宣言しておこうかね。本当に久方ぶりに鬼退治されたんだ。もうちょい余韻に浸っていたい」

 

 無関係を公言した勇儀は向かいの席に座っている信綱の肩をバシバシ叩く。

 本当に骨が砕けかねないのでやめろと口を酸っぱくして言っているのだが、一向にやめる気配がない。

 

「その腕切り落とすぞ。お前の力加減は洒落にならん」

「ははは、ゴメンゴメン! お前さんが相手だとこっちも遠慮しなくて良いから気が楽なんだよ!」

 

 信綱の苦情を勇儀は豪快に笑い飛ばし、酒を呷る。

 それを見た萃香も負けじと酒を飲み、そんな二人の飲みっぷりに周囲が囃し立て始める。

 鬼の首魁が二人に人里の英雄が一人。妖怪なら大抵の存在が顔を知っている三人が一堂に会しているのだ。興味を持つ輩が出るのも当然と言えた。

 

 信綱はそれらの視線を察し、横で場の空気に呑まれかけつつある椛の腕を突く。

 

「ここは俺がどうにかするからお前は戻っていろ」

「え? ですが……危険では?」

 

 椛の言葉に信綱はその通りだとうなずく。酒を飲んで勢い付いている鬼を止めるのだ。危険以外の何ものでもない。

 しかし、この場に留まり続けていても椛にできることはなく、自分たちと一緒にいたことで余計な好奇の目を向けられる可能性が増えるだけである。

 

「ここにいてもできることなどないだろう。だったら俺の代わりに見回りを頼む」

「……わかりました。君はいつも大変ですね」

 

 面倒事は外からもやってくるし、内側からもやってくる。

 椛は道を歩く度に知り合いと出会い、そして加速度的に厄介になっていく物事に巻き込まれてしまう信綱に同情の視線を向ける。

 信綱はそんな椛の視線を受けて不服そうに鼻を鳴らした。

 

「いつものことだ。それにこの二人を一緒にいさせるのなら俺が見張っていた方が安全だろう」

 

 万が一にも酔っ払って騒ぎを起こされた場合、その面倒事の規模は今の状況を遥かに凌ぐものになるというのは想像に難くない。

 

「君、絶対に貧乏くじを引く星の下に生まれてますよね」

「俺に付き合ってきたお前も大概だぞ」

「私は自分から選んできたから良いんです」

 

 自分の答えと何が違うのだ、と信綱は呆れた目で見るものの、椛のしたり顔は変わらない。

 どうやら自分と椛の間には明確な差異がある、と椛は考えているようだ。

 その理由が気になったものの、追及する時間はない。

 信綱はさっさとどこかに行けと片手を振り、椛は勇儀と萃香が競うようにして酒を飲むのを横目にその場を去っていく。

 

「ぶはぁ、美味い!! んぁ、白狼天狗はどうしたよ?」

「俺の代わりの見回りを頼んだ。お前たちの見張りは俺がやる」

「良いよ良いよ! 一緒に飲んでくれるんなら大歓迎さ! もういっちょ乾杯と行こうか!!」

 

 萃香が景気良く椀を掲げると、勇儀もそれに追従するように盃を掲げる。

 信綱は仕方がないとため息を一つついて、自らもまた盃を手に取った。

 

「何に乾杯するんだ?」

「そんなもん決まってる! ――私たちの蜜月に、だ!」

 

 裏切りによって一度は終わり、そして再び見えた鬼と人間の蜜月。

 その終わりはきっと悲しいものになるだろう、と信綱は鬼の首魁である二人を見ながら思う。

 この二人と同じ速度で歩めるほど、人間は強くない。

 

 だが、それは今ではない。

 きっと彼女らも心のどこかでいつか訪れる終わりを意識しているはずだ。

 その上で今を謳歌することを決めた。ならばその決意を嗤う理由などどこにもない。

 

「乾杯!!」

「……乾杯」

 

 信綱は盃が割れる勢いでぶつけている二人のそれに、自らのそれを重ねるのであった。

 

 

 

 

 

 ――そして彼女らが外に出た時、桜の芽吹きが始まっていた。




ノッブが鬼の二人組と酒を飲んでいる間に異変は解決するという適当ぶり。異変の内容については霊夢の口から語らせることになると思います。

そして妖々夢も終わったので、レミリアの最後のお願いや春が来たのでノッブと遊びに来た橙、そして騙されていたことを知ってキレた霊夢のお話などをして――すぐに萃夢想が始まります。
萃夢想が終わったら物語も本当におしまいです。ノッブが自らに課した最後の役目を果たして、本編は終了となります。

1月……2月中には終わる……と信じたい。

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