阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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あけましておめでとうございます。
残り短い付き合いにはなるでしょうが、今年も拙作をよろしくお願いいたします。


雪解けと芽吹き

 春が訪れた。

 言葉にすればたったそれだけ。しかし幻想郷全体を覆っていた白い雪景色が、急速に土と緑の春らしい風景に変わっていく様を見ると、本当に春が奪われていたのだと実感してしまう。

 わずか数日で雪は綺麗に溶けてしまい、新緑の芽吹きと桜のつぼみが目を楽しませる。本格的な春が訪れ、桜が咲き乱れる前のほんの僅かな時間。

 

「異変が解決した途端、こうも変わるとはな……」

 

 信綱は博麗神社に向かう階段を登りながら、感心してつぶやく。

 春を奪う輩がいたことは知っているし、実際に顔を合わせたこともあるが、こうして一気に冬から春へと変わっていく様子を見せられてしまうと、彼女が本当に春を奪っていたことがわかる。

 言い換えればこれだけ一気に変わるような春を奪っていたのだから、もしも異変が長引いていたら本当に洒落にならない事態になっていたかもしれないとも考えてしまう。

 

 いずれにせよ、異変は霊夢たちの手で解決されたのだろう。

 信綱は労いと異変の詳しい話を霊夢から聞こうと博麗神社への階段を登り切り、霊夢を呼ぶ。

 

「おい、いるか?」

 

 返事はなし。買い出しに行く彼女と入れ違いになっただろうか、と首を傾げる。

 基本的に移動は徒歩なので、空を飛ぶ彼女と入れ違いになることは時々起こる。

 いないのなら待たせてもらおうと、信綱は先代が神社の主をしていた頃からの習慣で賽銭箱に賽銭を入れ、願いもないのに儀礼的に鈴を鳴らす。

 

 ガランガラン、と鈴の音が人気のない神社に響く。

 これでも返事がないということは本当に留守なのかもしれない。間が悪いが、こんな時もある。

 信綱は慣れた動きで神社の居住区の方に足を向け――

 

「死ねジジィ!!」

「危ないな」

 

 上空より叩き込まれた夢想封印を紙一重で回避する。

 弾幕を全て避けた後、信綱は上空にいた霊夢を真っ直ぐ見据えた。

 彼女の瞳には爛々と怒りが渦巻いており、鼻息荒く信綱を見下ろす。

 

「チッ、軽く回避してんじゃないわよ! わざわざ鈴を鳴らして気配を読めなくなるのを待ったってのに!!」

「そんな怒気混じりの視線で見られていると緊張してしまう」

「まあ良いわ。私も今ので仕留められるとは思わなかったし」

「で、なぜこんなことをする?」

「自分の胸に聞いてみなさい!! 心当たりはあるでしょう!!」

「ありすぎて見当がつかない」

 

 霊夢が泣き叫んでも稽古の手を緩めなかったことだとするなら、ほぼ日常的にやっているのでどれが襲われる理由なのか逆にわからない。

 正直にそのことを言ったところ、霊夢は一瞬だけ怒るのも忘れてツッコミを入れてくる。

 

「爺さんどんだけ私をいじめてきたのよ!?」

「一応できることとできないことの加減は見極めてきたつもりだぞ」

「私がどれだけ苦労してるかわかってる!?」

「課題を与える側が受ける側の苦痛をわからないはずないだろう。俺も昔通った道だ」

 

 一歩間違えれば死んでいた椿との鍛錬に比べればマシだとすら思っている。多少の怪我はあるかもしれないが、命に関わるような危険なものはないはずだ。

 

「爺さんは私をバケモノにしたいの!?」

 

 その理屈だと自分はバケモノなのか、と信綱は半目で霊夢を見る。

 しかし霊夢は何かおかしなことを言っただろうか、と小首を傾げられてしまう。どうやら彼女の中では自分は人間の区分に入っていないらしい。

 このまま話していても埒が明かないと考え、信綱は話を進めることにした。

 

「で、結局なぜ俺が襲われるんだ」

「覚えてないとは言わせないわよ!! ――体操のことよ! よくも騙したわね!!」

「……ああ、あれか」

「魔理沙があれは修行だって言ってたわよ! それに人里の人たちもあんな体操しないって! 何か言うことあるなら言いなさいよ!!」

「まだ気づいてなかったのか?」

「ぶっ飛ばす!!」

 

 修行とか努力と言ってしまうと霊夢はサボる可能性が高かったので、適当に嘘をついたことは信綱も認める。

 とはいえそれが今の今までバレずに続いていたことには少し驚いていた。

 なので率直な感想を言ったところ、霊夢は先代そっくりの怒り方で信綱に弾幕を放ってくる。

 

「一辺死ねジジィ!! 素直にやり続けた私がバカみたいじゃない!!」

「お前が真面目にやってくれて俺は嬉しいがな」

「嬉し……い、いえ、騙されないわよ!! どっちにしたって騙したことは事実なんだから!!」

 

 真面目にあの体操を続けたことを素直に評価したところ、霊夢の表情に一瞬だけ喜色が浮かんだ。

 しかしそれも一瞬で、霊夢は再び怒り顔で札と針を構えてしまう。

 

「まあそこは認めよう。修行とか言ったらお前はサボるだろうから言い換えたのだが、騙したと言えばその通りだ」

 

 努力を怠らないようにという配慮ではあるが、騙したことに変わりはない。

 いつかバレるだろうと思っていたものが今バレた。それだけの話である。

 

「お前の気が済むまで攻撃していいぞ。こっちから反撃はしない」

 

 信綱がそう言うと、霊夢は弾幕を放つ手を止める。

 そして上空から信綱を見下ろしたまま、何かを決意したような表情になっていく。

 

「……私はね、もう二つの異変を解決したの」

「そうだな」

「前回も今回も、どっちも一筋縄ではいかない相手だった。でもおかげで得られたものがある」

 

 ゆらり、と霊夢の手が翼のように広げられ、その身体から目に見えるほどの霊力が溢れ出る。

 何か来る、と信綱は僅かに腰を落として警戒の度合いを引き上げる。

 今の彼女を侮ってはいけない、と信綱の経験が叫んでいた。

 

「母さんが教えなかった夢想封印の先の先。爺さんに見せてあげる。――夢想天生!!」

 

 その言葉とともに、霊夢は文字通りあらゆるものから浮いて――

 

 

 

「ふむ、こういう技か。興味深い」

「やっぱバケモノだ爺さん!!」

 

 三十分後、そこには霊力を使い果たして倒れる霊夢と、そんな彼女の背中に腰掛ける信綱の姿があった。

 例によって体重はかけていないが、精も根も尽き果てた霊夢にはそれをどかす力も残っていない。

 

「あらゆるものからの干渉を無効化する。とんでもない性質だが、維持するお前の霊力は有限だったな」

「なんで初見でそんなのわかるの!?」

「慣れだ」

 

 大半の物事にはちゃんとしたカラクリが存在する。能力を知ってさえいれば、そこを起点に思考を広げて正解にたどり着くことなど、さほど難しいことではない。

 特に信綱は八雲紫や伊吹萃香といった訳のわからない能力を操る連中を知っている。予想外のことをしてくることが当たり前だったのだ。そう考えれば霊夢の能力も驚くほどではない。

 

 だが、三十分は戦っていたのも事実。であれば次はもっと多くのものから空を飛び、持続する時間も伸ばせば、体力勝負となって信綱を倒すことも不可能ではないはずだ。

 

「うぐぐ、こうなったらもっとこの技を磨いて――」

「やめておけ」

「え?」

「やめておけと言っている。お前のそれは、不完全であるべきだ」

 

 信綱は至極真面目に、そしてどこか優しく言い聞かせるようにその言葉を告げた。

 どういう意味かわからない、と霊夢が首だけ動かして信綱を見る。

 信綱は倒れ伏す霊夢を立たせて、腰を曲げて彼女と視線を合わせる。

 

「あれを使ったお前は半透明に見えていた。推測だが、単純な物理法則からも浮いているのだろう」

「うん。爺さんの攻撃も効かないと思う」

「ではなぜ俺にお前の姿が見えた?」

「え?」

「本当にあらゆるものから浮いてしまえるとしたら――お前は俺の認識からも浮いていたはずだ」

 

 そして霊夢自身の敵意も浮いてしまう以上、もしもあの夢想天生という技が完璧に発動したら――霊夢は誰にも認識されず、誰も認識をしない。漂う雲のような存在になってしまいかねない。

 そのことを霊夢に教えると、彼女は寒気がしたのか二の腕を擦っていた。

 

「う……」

「今の分なら構わない。遊びで使うのも良いだろう。――だが、それ以上は目指すな。それは博麗霊夢という個性を殺しかねないものだ」

「で、でもこれなら爺さんよりも強くなれるって……」

「お前一人がそんなに抱え込む必要はない。自分一人で駄目だと思ったら魔理沙でも咲夜でも頼れば良い」

 

 幻想郷の秩序を維持するために、他人の手を借りてはいけないなんて道理はない。

 それに、と信綱は先ほどの夢想天生をしのいでいた時に気づいたことを告げていく。

 

「お前、あの時半分意識が飛んでいただろう」

「なんでわかったの!?」

「攻撃が単調過ぎた。曲がりなりにも俺と組手をしてきた相手の対応じゃない。とはいえ任意で発動と終了はできるようだし、お前は意識だけで俺の攻防を俯瞰していたと考えるのが妥当か」

「爺さん本当に人間? 実は母さんから博麗の巫女の技を聞き出したとかない?」

「ないから安心しろ」

 

 使えないとも言わないが、そこは黙っておく。

 

「それで――お前はその結果を誇れるか?」

「誇り?」

「戦いを俯瞰して、仮に俺が敗北したとして。それをお前は自分の成果であると胸を張れるのか?」

「…………」

 

 霊夢はうつむいて黙ってしまう。

 きっと彼女の脳裏には夢想天生を使って勝った光景が浮かんでいるのだろう。

 信綱は何も言わず彼女が答えを出すのを待つ。

 やがて顔を上げた彼女は、首を横に振った。

 

「……ううん。きっと爺さんに胸は張れない。これは私の頑張りも否定してしまうようなものだから」

「そうか。別に胸を張れると言ったらそれはそれで構わなかったが」

「良いんだ!?」

「自分だけが持っているものを有効活用しないのもおかしな話だろう。とはいえ――そう言ってくれたことは嬉しいぞ」

 

 霊夢が空を飛ぶ程度の能力を有効活用して生きていくのも間違いではない。

 戻ってこれない危険こそあるものの、夢想天生は非常に強力な技だ。それを使いこなして強くなる、と言えば信綱にそれを否定することはできない。

 地道に力を付けていくのと夢想天生を使いこなす。どちらが楽かと言えば確実に後者なのだ。

 だが、それは霊夢に追いつこうと必死な魔理沙の努力を徒労とあざ笑う行為であり、真っ当に生きている全ての存在につばを吐く行動だ。

 負けるよりは勝つ方が良い。けれど、その勝ち方にも気をつけねば人は簡単に一人になってしまう。

 

 霊夢はそれを選ばなかった。努力嫌いの怠け者ではあるが、ロクデナシにはならなかった。

 自分のような人間に面倒を見られながらも、真っ直ぐ成長してくれたことが信綱には嬉しかった。

 信綱は霊夢の頭に手を置いて、そっとその頭を撫でてやる。

 

「あいつの娘だな。曲がったことが嫌いなところはそっくりだ」

「う……うー!」

 

 霊夢は先ほどまで怒っていたことも忘れて、嬉しいのと照れくさいのが半々に混ざった顔でされるがままになっていた。

 どう答えれば良いのかもわからず、うなり声を出している霊夢に信綱は少しだけ笑う。

 

「今日は人里で何か買ってやろう。博麗の巫女は異変解決が使命だが……まあ、このぐらいは良いさ」

「本当!?」

「うむ、今日の稽古を終えたらな」

「あ、夢想天生の消耗が急に……」

「始めるか。午前中だけで勘弁してやる」

「やっぱ爺さんは鬼だ!!」

 

 またも逃げ出そうとする霊夢の首根っこを掴み、稽古を始めていく。

 博麗の秘奥を習得したと言っても、霊夢が変わるわけではない。努力が嫌いで、喜怒哀楽をハッキリ表し、曲がったことが嫌いな普通の少女。

 そんな彼女だからこそ、多くの人が彼女の周りに集まってくるのだろう。

 信綱は彼女を中心にこれからも変わっていくであろう幻想郷を思い、そっと笑うのであった。

 

 

 

「……ちなみに、夢想天生は破れないわけではないぞ」

「えっ」

「五分五分だったからやらなかっただけだ」

「五分五分で失敗するってこと?」

「うむ。五分でお前ごと殺しかねなかった」

「なんで!?」

「浮いているのなら手を伸ばせば届くだろう。当然の理屈だ」

「いやいやいやいや!?」

 

 ……よくよく考えたら、この爺さんを相手にするのに空を飛ぶ程度では不安にも程があったな、と霊夢が自分を省みたのはここだけの話である。

 

 

 

 

 

「エライ目に遭ったわよコンチキショウ!」

「いきなりどうした」

 

 人里で久しぶりに橙の姿を見つけたので声をかけてみたところ、いきなり蹴りを放ってきたため避ける。

 

「どうしたもこうしたもないわよ! 人が家でぬくぬくしてたら博麗の巫女がやってきて問答無用でぶっ飛ばしてきたのよ!!」

「一応話は聞いてきただろう。お前が突っぱねたとしか思えんな」

 

 霊夢には弾幕ごっこの勝負になる前に話をするように教えている。問答無用で倒すのは自分から情報を得る機会を無にするも同然なのだ。

 だが、聞き方というものもある。橙はこちらが下手に出れば気前よく知っていることはなんでも教えてくれるが、上から聞くとなかなか教えてくれなかったりする。

 

「お前が大変な目に遭ったのはわかったが、俺に当たるのは筋違いだぞ」

「むー! 今日は機嫌が悪いの!」

「子分は親分のご機嫌取りではないぞ。気を悪くすることは構わんが、他人に当たるのは良い群れの長ではないな」

「耳を引っ張るなー!」

「攻撃してきたのだから反撃も当たり前だろう」

 

 耳を引っ張られながらも懲りずに蹴りを放ってくる橙だったが、しばらく戯れているとさすがに落ち着いたのか静かになる。

 落ち着いたところで耳から手を放し、橙に背を向けて歩き出す。

 

「ほら行くぞ。どうせ暇なんだろう、雪で人里の防壁が一部腐っているかもしれんし、見回りに行くぞ」

「あ、忘れてた。ハイ」

 

 信綱の言葉を聞いた橙は思い出したように懐を探り、一枚の紙を取り出してきた。

 何事かと広げてみると、そこには大雑把な円形の中にいくつかの書き込みが記されているものがあった。

 

「これは?」

「あんたのことだから外の方を見るだろうって思って、ついでにやっといたの」

「これではどこがどこだかわからんぞ。せめて方角を記せ」

 

 信綱に言われずとも自発的に動く辺り、彼女なりに信綱が死んだ後も安心できるようにという心遣いなのだろう。

 それ自体はありがたいが、まだまだ橙を一人にするには不安が大きそうだった。

 

「あっ!」

「やはり忘れていたか。最低限、どちらが北かだけでもわかれば良いから、次からは気をつけろ」

「はぁい……。難しいわね、こういうのって」

「お前はいつか藍の仕事を手伝うのだろう。予行演習だと思っておけ」

「わかった。大きな群れって大変なのね。維持するにも色々と手間ばかり」

「お前も猫の長じゃないのか?」

「気ままにやって、たまに集まるぐらいだもの。一つの場所にずっといるなんて猫の性に合わないわ」

 

 その理屈で行くと橙がマヨヒガに住んでいるのはおかしいのではないか、と思うものの黙っておくことにする。

 よくよく考えれば彼女もしょっちゅう妖怪の山で跳ね回っていたし、マヨヒガは住処というより止まり木の方が近いのかもしれない。

 

「そうか。……まあ、自発的にやってくれたことは良いことだ。今後もこの調子で頼む」

「ふふん、もっと褒めなさい」

「じゃあ行くぞ。結局、お前の見たものが正しいのか確認も必要なんだ」

「あ、無視すんな!?」

 

 下手に褒めちぎると絶対に調子に乗って余計な失敗をする性格だと、信綱は長い付き合いで理解していた。

 彼も多くの人を使ってきた身として、下の者を成長させる術は心得ている。

 その経験が橙は適度に煽って負けん気を刺激しつつ、あまり調子に乗らないように誘導してやるのが吉と告げていた。

 

 橙を伴って雪の残る外壁部分を見ていく。

 陽の当たる場所の雪はほとんど溶けているのだが、外壁の根元など日当たりが悪い場所ではまだ残っている箇所も存在した。

 その中を見ていき、雪の上からでもわかるほどの腐食が見受けられる部分を確認していく。

 信綱は橙から受け取った紙の内容と修繕が必要そうな部分が同じであるかを、紙を片手に確認しながら不意に口を開いた。

 

「ときにお前、冬の間は顔を出さなかったがどうしていたんだ?」

 

 単純に近況を聞いてみただけでそれ以上の意図はないのだが、橙はそれを心配と受け取ったのかニンマリとした笑みを浮かべる。

 

「ん? なに、橙さまが恋しくなったの?」

「違う」

「いやー、慕われる親分は辛いなぁー。こんな仏頂面で不機嫌が服着て歩いてるような人間にまで慕われるとかさっすが私ってイタタタタ!!」

「調子に乗るなと何回言えば良いんだお前は」

 

 彼女との付き合いも半世紀以上に及ぶ。その間、何度彼女をたしなめただろうか。

 信綱はうんざりしながら橙の耳から手を放し、話を再開する。

 

「で、どうだったんだ?」

「あんた散々私の耳を引っ張っておいて言うことがそれ!?」

「お前がしょうもないことを言い出したらこうするのが自然だろう?」

「あんたはほんっとうに私を敬わないわよね……!!」

「敬う理由が今のところないからな」

 

 彼が今なお敬意を表し、常に丁寧な態度を崩さないのは慧音ぐらいのものである。

 基本的に妖怪連中は尊敬できる相手の方が少なく、人間はもう自分が一番の年長者になってしまった。

 

「むー……まあ良いか。冬の間は藍さまに言いつけられた稽古ばっかりやってたわ。ふふん、妖術の腕前も上がったのよ」

 

 そう言う橙の掌から妖術で作られた炎が浮かぶ。

 そしてその炎は指先に移っていくと、親指、人差し指とそれぞれの指の頂点をゆらゆらと動いていく。

 どんな風に腕が上がったのかはわからないが、精度が良くなっているのだと言うことは伺えた。

 

「ふむ、研鑽を積むのは良いことだ。お前も成長しているんだな」

「これでもっとあんたにも頼ってもらえるわね! 親分は子分に頼ってもらわないと!」

「別に妖術が使えるからと言って頼るわけではないぞ」

「なんで!?」

「できることが増えることは良いことだ。だが、人が人を頼るのはそれだけではない」

 

 最終的に頼るかどうかは信用できるかに直結する。いくら能力があっても信用できなければ相応の物事しか任せられない。

 実はその点で言えば橙はそれなり以上に信用していると言えるのだが、素直に言うとまた調子に乗りかねないので黙っておく。

 伊達や酔狂で百鬼夜行の話を彼女にしたわけではないのだ。信用していなかったら言わなかった。

 

「じゃあどうすれば私を頼るの?」

「そもそもお前はどんな形で頼られたいんだ?」

「あんたがどうしようもない問題にお願いします橙さま、と言われて頼られたい」

「一生ないな」

 

 というかこの歳になってどうしようもない問題に直面したくない。もう幻想郷の進退を決める問題とかは霊夢に任せてある。

 橙の願望を即答で否定したため、橙が不満そうに頬をふくらませるものの気にせず歩を進めていく。

 そして半分ほど回った辺りで、今度は橙が口を開いてきた。

 

「ねえ」

「どうした」

「あんたってさ、先のことって考えたことある?」

「先のこと?」

「うん。こうなりたい、とかああなりたい、って未来の自分を考えたこと」

「ふむ……」

 

 橙に言われ、信綱は律儀に自分の半生を振り返って考えてみる。

 ロクデナシの烏天狗がいたので、彼女のようには間違ってもなるまいと心に決めていたが、それぐらいだ。

 御阿礼の子の力になる、というのは信綱にとって当たり前過ぎて意識することでもなかった。御阿礼の子の力になれない阿礼狂いなど何の価値もない。

 

 ではどんな自分になることが御阿礼の子にとって最も良い形であるか考えたことがあるか。

 それは信綱にとって、すぐに思い浮かぶものではなかった。

 

「……ない、な。自分に何が足りていないか、などを考えることは多かったが、お前の言う方向で考えたことはほとんどない」

「見本になる人がいなかったから?」

「それもあると思う」

 

 同じ阿礼狂いは六歳の頃に自分が頂点に立った。人里には尊敬できる者たちもいたが、彼らは皆普通の人間であると一線を引いていた。

 信綱自身の未来とは希望を描くものではなく、当然のように研鑽を積んで至る場所という認識でしかなかった。

 我ながらよく幻想郷の将来とか考えられたものだ、としみじみ思ってしまう。あれも椛の願いのためであり、阿弥の安全のためであると言ってしまえばそれまでだが。

 

「手本もいなかったし、俺は俺で適当に必要と思ったことを取り入れただけだ。結果としてここまで生きられたんだから、そう間違いではなかったのだろう」

「ふーん、だからそんなしかめっ面の人間になるのね。自分を鍛えることしか頭にないんだし」

「鍛錬に余念がないことは認めるが、それとこれとは関係ない」

「あるわよ。だってあんた、ずっと足元ばっかり見てたってことでしょ? 手本がいないってことは、周りの人はみんなあんたより下ってことだし」

「……別に庇護の対象として見ていたわけではない。自分は自分、他人は他人と線引していただけだ」

 

 橙の指摘に言葉に詰まってしまい、信綱は自分でもごまかしのようであると思ったことを口にする。

 当然ながらそれは見抜かれており、橙は生暖かいような同情したような、信綱からしたら非常に腹の立つ眼差しでこちらを見てきた。

 自分にばかりこのようなことを言わせた橙に腹が立ってきたので耳を引っ張ろうと手を伸ばしたら、俊敏に避けられた。読まれていたらしい。

 

 信綱から距離を取った橙は自慢げな顔で胸を張り、自分は違うと言い張る。

 

「私は違うわよ。目標がたっくさんあるもの! 藍さまみたいに格好良くなりたいし、紫さまみたいに頭も良くなりたい!」

「スキマのあれは半分インチキだと思うが……」

 

 なにせ情報の入手方法が反則じみている。スキマを介すれば千里眼を持つ椛に頼っている自分どころか、最大勢力である天魔すらもしのぐ情報を得られるのだ。

 その有り余る情報があれば、誰に対しても優位に立てるのはある意味当然の帰結とも言える。

 無論、本人の地頭がなければできないことであることも事実。信綱は将来、橙が紫と同じようにスキマを操る日が来るのかぼんやり思う。

 ……自分の一生どころか、十回人生をやったとしてもたどり着けなさそうな気がするが、それでも良いのだろう。妖怪の時間はほぼ無限大である。

 

「まあ目標があるのは悪いことではない。その調子で是非とも頑張ってくれ。どこぞの河童のように他人に迷惑をかけることなく」

「うん! でも藍さまも紫さまも目標と考えるには遠いのよ。わかる?」

「わからんでもない」

 

 橙と彼女らの差を考えると、一目瞭然どころの話ではない。未だ木っ端妖怪の分類である橙と、大妖怪とも言える藍と紫。

 正直、この目標を語るのが藍の式である橙でなく椛だったら、頭は大丈夫かと心配しているところだ。

 

「藍さまはそういう時は身近な目標を作っていった方が良いって言ってた」

「道理だな。高い山であっても、まずは一歩一歩進むしかない」

「そうそう。よくわかってるじゃない、目標なんてなかったのに」

「御阿礼の子の力になるのなら研鑽は不可欠だ」

 

 その研鑽もがむしゃらにやっていれば良いというものではない。文武の双方を求められる以上、優先して覚えるべきことを選ぶのは重要である。

 ちなみに信綱にとって物事は今学ぶべきものか、後で学ぶべきものかの二択となっている。何がどこで役立つかなど誰にもわからないのだ。閑話休題。

 

「あんたはいつも通りバカなのはさておいて――私はあんたを目標にすることにした!」

「何を言っているんだお前は」

 

 人のことをバカだと思っていると言った直後にこれだ。

 信綱が思わず真顔でツッコんでしまうのも無理はなかった。

 すると橙は自分は間違ったことなど何も言っていない、と自信に溢れた顔で理由を説明し始める。

 

「だってあんた、腕も頭も良いんでしょ? 藍さまとか絶賛してたし、鬼だって倒しちゃうんだから」

「まあ、うむ」

 

 多分、力の強い弱いで言ったら藍より強いだろうな、という自分の推測は言わないことにする。

 

「でも藍さまはもっと強いのよ! きっとあんな鬼だってコテンパンよ!」

「ああ、うむ、そうだな、多分」

 

 藍の力量を見たわけではないが、さすがにそれは厳しいのではと思う信綱。

 どのみち確かめる機会など来ないはずだから、気にすることもないのだが。

 

「じゃあまずはあんたよ! いつかあんたみたいに当たり前のように誰かを助けられるようになったら、その時には立派な親分になれる気がするの!」

「別に当たり前というわけではないのだが……」

 

 御阿礼の子との時間を削らない範疇で行っているだけである。

 平時は御阿礼の子の力となるべく鍛錬を積み、そうでない時はいざという時に助けてもらえるよう人々の信頼を稼ぐ。

 改めて言葉にすると絡繰じみた動き方である。基本的に信綱の行動は全てが打算を含んだものになる。

 とはいえバカ正直に説明して橙の夢を壊す意味もない。橙の見ているものと実態が異なっていたとしても、目標であることに変わりはないのだ。

 

「いいの! もう決定したんだから! はい、私の目標はあんたね!」

「……何かを言う気にもならんな」

 

 呆れてものも言えないとため息をついて、信綱は再び歩き出す。

 その後ろを橙がついてくるのを確認して、もう一つ小さな吐息を漏らす。これではどちらが子分かわかったものではない。

 

 信綱は後ろを歩く少女がいつか自分のような力量を手にする時が来るのかと考えると、ある種の戦慄と不思議な充足感が生まれるのを感じる。

 我ながら意外だが、どうやら自分はこの妖猫に期待しているらしい。

 

 椛に向けている彼女ならできる、という期待とは別種のもの。

 橙ならいつかそこに到達するだろう、という将来への期待だ。

 

 自分は多くのことができたが、その大半を御阿礼の子に捧げた。

 このお調子者の猫はきっと違うことにそれを捧げるだろう。

 それは多くの人が喜ぶことであり――いつかの未来で、彼女が多くの者たちを束ねる存在になる予感をさせるに十分なものだった。

 

「好きにしろ。お前が何を目指すのかはお前の勝手だ」

「好きにするわ。差し当たって、あんたが死んでも忘れないよう覚えないとね!」

 

 いつの間にか機嫌が戻ったのか、手を少し伸ばせば耳に届きそうな距離で笑う橙に、信綱は肩をすくめて歩くのであった。

 

 

 

「……ちなみに、俺のような狂人になる必要はないからな?」

「なるわけないわよ!?」

「そうか、それは良かった。御阿礼の子の側仕えを狙っていたならこっちも相応の手段に出ていた」

「あんたの実力は目標にするけど、あんたの中身だけは間違っても真似しないことにするわ」

 

 このようなことを言われてしまい、自分はひょっとしてかつての椿と同じ立ち位置なのではないか、とほんの少し悩んでしまったのはここだけの話である。




霊夢、夢想天生に到達する。まあ永夜抄時点で到達してたみたいだし問題ないよね!
今回は燃料切れでノッブが勝ってますが、霊夢がもっと夢想天生の練度を高めれば彼女が勝つことは可能です(ただしその場合の霊夢の人間性は保証しない)

そして橙はノッブを目標にすることに決めました。椛と同じぼ最初期からの知り合いである彼女はノッブと同じ目線で立つことよりも、彼を追いかける形にしました。
椛は実力では追いつけずとも、彼と同じものを見ようとした。
橙は同じものを見ようとはしなかったが、実力で追いつこうとしていると、対照的になるよう意識はしています。

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