その日、信綱は自室で書き物をしているところだった。
阿求が幻想郷縁起にまとめるための資料を、霊夢と魔理沙から聞いてきたのだ。
どうやら今回の異変は黒幕側にとっても予想外の事態が起こったようで、彼女らも弾幕ごっこではない本物の死線をくぐってきたらしい。
なんでも春を集めて咲かそうとしていた桜が暴走しかけ、黒幕と霊夢たちが急遽手を組んで終わらせたとかなんとか。
その場所に居合わせていれば信綱も何かしらの対応はしただろうが、終わったことに対してさほどの関心はない。全員無事だったのだから良かったねとしか言いようがない。
霊夢はその戦いで夢想天生を習得し、八雲紫との顔合わせもしたようだ。胡散臭いけど悪いやつじゃなさそう、と初見で彼女の性質を見抜く辺り博麗の巫女らしいと思ったのはここだけの話。
魔理沙も魔理沙で命懸けの実戦には思うところがあったらしく、今まで以上に修行に力を入れているとのこと。部屋を見に行く度に汚れも増しているのは勘弁して欲しい。
とにもかくにも、彼女らの武勇伝混じりの話をまとめて阿求に伝える必要があるのだ。
近いうちに彼女らを稗田邸に招いて詳しい話を聞く予定もあるが、その前に自分の方で概要だけでも作っておいて損はない。
信綱は彼女らから聞いた話を、おそらく真実である内容と多分見栄を張っているものに選別してまとめていると、障子越しに女中の姿が映る。
「信綱様、お客人です」
「客? 容姿は?」
基本的にこの家によく来る妖怪連中は女中も名前を覚えている。来たらそちらの名前を告げるはずだ。
人間が相手なら大体事前に話を持ってきてくれるため、信綱が覚えている。
どちらでもないとなると、信綱にも確認の必要があった。
「白い髪の女の子と、桜のような雰囲気を持つ女の人です。通しますか?」
「ふむ……」
どちらも心当たりがない。白い髪だけで言えば椛や慧音が有り得そうだが、どちらも女中とは顔見知りである。
「信綱様をお呼びして欲しいとのことでした」
「……俺を呼ぶのなら行かないわけにもいかないか」
おおよその推測は立った。
信綱が全く知らない人物であり、異変が終わった直後に自分を名指しで訪ねて来る人間とは思えない二人組。
順当に考えて、異変に関与していた妖怪と考えるのが筋だろう。
「応接間に通せ。俺が行く」
「かしこまりました。お気をつけて」
女中の言葉にうなずいて、信綱は応接間の方に歩いて行く。
たまたま火継の家に戻って行う作業があって幸いだった、と内心でひとりごちる。
稗田邸であったら阿求の耳に入れる必要があり、そうなったら好奇心の強い主はきっと会いに行くと言い出すだろう。
信綱としては初対面で危ないかどうかもわからない相手には、まず自分が会ってから判断したいと思っているので今回の形が理想的だった。
とはいえ後で一部始終を阿求に報告する必要がある。聞ける情報はこの場で聞いてしまいたいところだ。
つらつらと考えをまとめて、信綱は襖を開いて応接間に入る。
入った瞬間、二対のそれぞれ違った視線に晒される。
片方は強い敵意と、同量の怯えを含ませた白い髪の――この前の異変で顔を合わせた少女の目。
もう片方は初めて見る人物で、信綱のことを見て納得したような、どこか驚愕したように目を丸くしていた。
「待たせて失礼。俺がお前たちの探している人里の守護者――火継信綱だ」
「ええ、初めまして。冥界の白玉楼の主人をしております、西行寺幽々子と申します」
名乗った信綱に応えるように桜の少女――西行寺幽々子が楚々と礼をする。
その所作にはひどく高貴な身分を伺わせるものがあり、信綱は微かに驚いたように眉を動かす。
「ほら妖夢。自己紹介は?」
「……魂魄妖夢、です」
幽々子の言葉に渋々といった様子で白い少女――妖夢が名乗る。
その顔には明らかに私納得いきません、というのが書かれており、信綱は嫌われたものだと肩をすくめるしかなかった。
「さて、冥界の主人とは先の春を奪う異変の黒幕、と考えてよろしいか?」
「はい。あなたのことは紫よりかねがね」
「良い話かどうかは聞かないでおこう。とはいえスキマから話を聞かされているのなら、俺の素性もある程度は理解していると見て良いはずだ。――なぜここに来た?」
ひょっとしたら自分は妖夢のことを未だ憎んでおり、彼女の姿を見た瞬間に阿礼狂いとして彼女の首を狙う可能性だってあったというのに。
信綱の話が出ているのなら、もういつ死んでもおかしくない老齢の人間であることは知っているはず。
少しの間顔を合わせないようにするだけで良かったのだ。
にも関わらず彼女はここに来て、わざわざ会う必要のない信綱の前に姿を出した。その真意を尋ねておきたかった。
「いくつか理由があります。一つ目はこちらにいる妖夢が迷惑をかけたことを謝るため」
「不要だ。異変を起こしたものが退治されることによって全ては決着となる。遺恨を残すような被害も出ていない以上、それは受け取れない」
仮にこれで御阿礼の子にも被害が出ていたらこの場で首を落としているが、そうではないのだ。
阿求が体調を崩したということもなく、ただほんの少し長い冬を満喫していた。
信綱にはその事実以上に重視すべきものなどない。
「自分が何をしたかわかってるのかしら……」
「同感だ。春が奪われたら身体の弱い子供などが倒れていたかもしれん」
妖夢のつぶやいた愚痴に信綱は反応し、律儀に言葉を返す。
「お前は奪いに来た。俺は抵抗した。それだけの話であって、そこで俺を非難されても盗っ人猛々しいなとしか言えんぞ」
人里の春を奪いに来た妖夢と、人里の春を守るために戦った信綱。
どっちに正当性があるかなど火を見るより明らかである。
手法にいささか問題があったのは認めるが、妖夢に非難される謂れはなかった。
「む……」
「恨む相手が違うだろう。お前が恨むべきは未熟な己自身だ」
「…………」
悔しくてたまらないという顔になっていたが、妖夢はそれ以上言うことなく押し黙る。
結局、彼女の力が足りなかったことが彼女の悔しさの根幹なのだ。
信綱の力量を見抜けなかったこと。打ち合うことすら敵わずに心が折られてしまったこと。そして今なお雪辱を果たせないこと。
信綱は策を弄したわけでもなく、問答無用で殺しにかかったわけでもない。
正面から相対し、話し合いで解決できるのならそうしたいという意向も示した。防衛側として後々の遺恨を残さないための方法はちゃんと取っている。
それを妖夢が突っぱねたのだから、武力行使も已むなしと判断するのは当然の帰結である。
その過程で嫌われるのは仕方がないと受け入れており、今さら好かれる気もなかった。
これで彼女との付き合いが長くなるのなら考えるが、どうせ自分はもうすぐいなくなる。死ぬ前ぐらい好きにさせて欲しい。
「それで他の理由は? いつまでも睨まれているというのも居心地が悪い」
「あら、それは失礼を。妖夢、少し目をつむってなさいな」
「……かしこまりました」
幽々子に言われたとおりに目を閉じる妖夢に、律儀なものだと信綱は呆れたように肩をすくめる。
どうやらこちらの冥界の主人はなかなかにやり手らしい。
この歳になってそんな面倒な相手、知りたくなかったというのが本音だった。
「もう一つの理由はあなたという人間を見てみたかったから。冥界がどのような役割を果たしているか、ご存知かしら?」
「……いいや、知らないな」
三途の川の向こう側にあるのは閻魔大王である四季映姫の座す是非曲直庁であると聞いていた。
冥界に関してはつい最近、顕界と隔てていた幽冥結界が緩み、空を飛べるのであれば行き来が可能になった場所という知識しかない。
「お前とそこの従者を見るに、死者が関係している場所だとは思っている。特にお前は生気がまるで感じられん。死体と話している気分だ」
「間違っていませんわ。私、亡霊ですから」
そう言って微笑む幽々子に信綱は眉をひそめた。
亡霊、という言葉に僅かな疑問を覚えたのだ。幽霊や亡者という言葉を使わなかったことに意味があるのでは、と信綱は経験則から磨かれた直感で察する。
昔からこの手の相手が無意味なことを言うことは少ない。たいてい、こういった言葉は相手を試すために紡がれているのだ。
まだ試される時が来るとは、と辟易しながらもこれが妖怪の特徴だと割り切ることにした信綱。
別段、不利益があるわけではないのだ。あまりいい気分でもないだけで。
「亡霊が死体、か。冥界の管理者が言うのであれば無意味ということはなさそうだ」
「慧眼の通りです。そちらの説明はまた後日といたしましょうか」
「そうだな。その話を聞くのに相応しい方は別にいる」
阿求の前でやるのが良いだろう。これから交流があるというのであれば、幻想郷縁起にも載せる必要がある。
「ですが冥界の役割についてはお話しておきましょう。冥界とは、死後の裁きを受けて転生、あるいは成仏することを選んだ霊魂の羽休めをする場所となります」
「…………」
幽々子の言葉を聞いて信綱はほんの僅かに瞳が動揺の色を宿す。
だがそれもすぐに落ち着きを取り戻し、幽々子の言葉を待つ姿勢を取った。
一瞬、ほんの一瞬だけ阿七や阿弥のことを考えたのだ。
しかし彼女らは転生するまでの間、四季映姫の元で手伝いをして過ごすと聞いている。
幽々子との関わりは映姫以上ではないだろう。あわよくば転生の仕組みなどについても聞き出したかったが、この口ぶりだと映姫より知っているとも思えなかった。
「生者から死者となった際に記憶の大半は失われることはご存知かしら?」
「強く焼き付いた記憶は残るという程度なら知っている」
「そうですね。ですが、記憶をなくしても不安のない世界、というのは素敵でしょう? 私はそういった場所を彼らが次に旅立つまでの休憩場所として管理しているのです」
「……そうか」
彼女の言葉が正しいとするのなら、彼女の管理している白玉楼とやらには信綱が今まで斬った妖怪や、彼が看取った友人たちもいたと推測することができる。
だがそれを口に出すことはしなかった。
生者と死者は交わらない。疑問の答えを知るのは死んでからで良い。
「その冥界と顕界の行き来が容易になった以上、幻想郷で名高いあなたの顔を見ておきたかったというのは理由としては薄いかしら?」
だが、心底楽しそうに微笑んでいる幽々子の顔を見ていると、死者と生者の境が曖昧になったような錯覚を覚えてしまう。
いや、今後はそうなっていくのだろう。彼女の言うように、冥界に生者が行くことが可能になっているのだから。
となれば、信綱が幽々子に求められていることも察することができた。
「……冥界の情報はこちらで制限をかけさせてもらう。少なくとも生者が死者に会える、なんて夢想はしないようにな」
「あら、気を使わせてしまいました?」
「よく言う。こちらは通すべき筋は通す。後はそちらの度量を見せてもらおうか」
誰かを試すというのは、自分がその誰かより上であると思っていなければできないことだ。
そして試される側は往々にしてそれを理解していることが多い。つまり愉快な気分にはなれない。
なので信綱も相手にプレッシャーを与えることにした。一方的にされて黙っておいて、付け上がられてしまうと対等な関係を築くのが面倒になる。
自分が侮られることで人里も低く見られるとなれば、さすがに無視できない。
なお、そんな二人のやり取りを妖夢は目を閉じて見ていなかったが、空気は読めているようで冷や汗をかいていた。
心なしかまぶたに力が入っているような気もする。そんなに見たくない光景だろうか。
「……何をお望みかしら」
「聞いて良いのか?」
容赦なく有利な条件出すぞ、と言外に脅す。
すると今まで優美に微笑んでいた幽々子の表情が強張り、一瞬だけその瞳が鋭く信綱を射抜いた。
「いえ、失言でしたね。……私からは冥界に来るものを可能な限り穏便に退去してもらうようにしましょう」
「後は人里に害を為さないことも付け加えてもらおうか。とはいえ、さすがにそれは理解していると思うが」
彼女らの役目はすでに終わった存在の管理であり、今を生きている者たちを死者に変えることは含まれない。
なので信綱としては人里に迷惑をかけず、生者と死者の境目をしっかり区別してくれるのであれば問題はなかった。
そのためなら多少の譲歩も考えていたが、ここで下に見られるとロクなことにならないと感じたので釘を差しておく。
「後はこれが俺にとっての本命だが……」
「聞きましょう」
「幻想郷縁起の取材に付き合って欲しい。そちらの従者もだ」
そのまま信綱は幻想郷縁起の概要を説明し、彼女らが納得するまでその意義を説いた。
やがて話を理解した幽々子らは面倒そうな空気を醸し出していたが、断るという選択肢を信綱が用意しているようには見えなかった。
「……ええ、承りました。日を改めてそちらの取材に応える、という形で良いかしら?」
「それで良い。後は、そうだな……こちらはできればで構わないが、博麗の巫女と仲良くしてやってくれ」
脈絡のない信綱の頼みに幽々子と妖夢は不思議そうな顔になるものの、信綱にも本気の色は見えなかったのでうなずいておくことにした。
本当にできればやってほしい、程度の願いであれば覚えておくぐらいは損にもならない。
うなずいたのを見て信綱は静かに息を吐き、それで話が終わったことが幽々子と妖夢の二人にも察せられた。
「では――短い付き合いになるが、よろしく頼む」
帰りの道中、幽々子は後ろに控えるように飛んでいる妖夢に声をかける。
「妖夢」
「はい、どうされましたか幽々子様?」
「――よく頑張ったわね」
「は、はぁ……?」
突然の褒め言葉に妖夢は目を白黒させる。
その様子に幽々子はクスッと力の抜けた笑いを浮かべた。
「あの人のことは紫からある程度聞いていたし、実際に会ってみて判断すればいいと思ったけど――話を早めに切り上げて正解だったわ」
「早く切り上げたんですか? 幽々子様はまだ話したいことでもあったんですか?」
「欲を言えば、もう少しね」
博麗の巫女と一緒に解決した西行妖の件もそうだが、それ以上に彼という人間の人となりを見たかった。
あんな腹の探り合いで見るものではなく、紫とするような言葉遊びを通して確かめたかったのだ。
「でもあれは良くないわ。多分、あのまま話していたら私が一方的に知られて向こうは手札を隠し通すでしょうね」
「幽々子様がですか? 普段から紫様と言葉遊びとかまだるっこしいことをしているのに?」
「今のさりげない一言で、あなたが私を普段どう見ているかがよくわかったわ」
斬ればわかるという、どう考えても別の意味がある妖夢の祖父――妖忌の言葉を額面通りに受け取っているイノシシ――もとい、直情的な妖夢にはわからない趣があるというのに。
しかし、それと信綱との対話は別である。
幽々子の管理している冥界には白玉楼以外の勢力が存在しない。
顕界との行き来が可能になった後も、冥界を狙おうとする輩は生まれないだろう。
つまり、彼女は勢力間の調整などを考えなくても良い立場にいるということになる。
頭の回転には自信がある。言葉を選ぶ余裕もある。そう簡単に言葉の勝負で遅れは取らない。
――だが、海千山千の老獪な政治家ではなかった。
「場慣れ、というのかしら。向こうと私じゃ経験が違うわ」
「何を仰るのですか。幽々子様とあの人間では人間の経験の方が少ないに決まってます」
「あら、その理屈で言うなら妖夢が彼に勝てないのはおかしいんじゃない?」
「むぐ……」
妖怪と人間の経験を同列に語るのは無理がある。
そしてそれでも勝ちを掴む存在が現れるのが人間であり、あの男は正しく妖怪を討ち滅ぼす者なのだろう。
すでに半身は死に浸っていると言っても過言ではないのに、総身にみなぎっている力の強さはまばゆいほど。
紫が戦ったら危ういと言ったことも今なら理解できる。彼の距離で戦ったら死を操る間もなく殺されるだろう。
「もっと早く知り合えていたのなら、色々と話したいこともあったのだけれどね。こればかりはめぐり合わせの妙としか言えないわ」
「そんなに気に入られたのですか?」
「単純な好奇心よ。妖夢も気にならない? ただの人間がどうやってあそこまでの力を付けたのか」
「それは……まあ、気になりますけど」
きっとあの人間はほぼ全ての期間を妖怪とともに過ごし、敵対的であった妖怪とも戦って生き抜いてきたのだろう。
どのような道のりを経てあの人間が作られたのか。死者の魂を数え切れないほど見てきた幽々子にも気になることだった。
「紫から聞いた話だと、彼は二刀流の剣士みたいね。妖夢も学ぶところがあるんじゃないの?」
「え? ですが、私と戦った時は一振りだけでしたよ?」
「それじゃあまだまだ本気を出すにも値していないということよ。精進なさいな」
「でしたら私は本来の役目である幽々子様の剣術指南をしますけど――」
「さ、帰りましょうか!」
「あ、ちょっと幽々子様!? 逃げないでください!!」
後ろから慌てて追いかけてくる妖夢を微笑ましそうに見ながら、幽々子は自らの居城である白玉楼への道を飛ぶのであった。
博麗神社に続く道の途中に出店が立ち並び、人と妖怪が思い思いに酒の肴を売っていた。
祭りや酉の市という形でちょくちょくこの辺りには出店が出て、人々の往来も増えることがあるが、今回はそれに比べるといささか出店の数は少ない。
なにせこれから繰り広げられるのは宴会なのだ。当然のように酒も振る舞われるその空間において、子供たちが参加する権利は残念ながら与えられていない。つまり水飴などの甘いものは売られていないのだ。
しかし今回は
信綱もまたそんな空間におり、隣ではしゃぐ阿求を連れて宴会に参加する者の一人だった。
「すっごい……こんなに大きなお祭り騒ぎなんて初めて!」
「幻想郷中の人妖全てが集まったような人混みですね。阿求様、はぐれないようお手を失礼いたします」
隣を歩く主人の手を取ると、阿求は嬉しそうに微笑んで信綱の手を握り返してくる。
そんな彼女に応えるように信綱も柔らかな微笑みを浮かべ、喧騒の中に足を踏み入れていく。
「この宴会、私の方も小鈴から誘われたんだ。小鈴は子供だからって宴会には参加できないみたいだけど……」
「ふむ。私は妖怪の山の河童から誘われましたね。……はて、小鈴嬢と河童はどのようにして宴会の話を聞きつけたのでしょうか」
「うーん……小鈴はご両親が話していたことを聞いたとかで筋は通るけど……」
「さて、それらは聞いてみればわかることです。早めに行かねば、良く桜の見える場所が取られてしまいますよ」
話をやや強引に切り上げて、信綱は阿求の楽しめそうな話題に変えながら歩を進めていく。
博麗神社はよく知っているので、あまり人目につかず桜を楽しめる場所も知っていた。
もしもそれらが全て取られていたら――まあ、火継の連中を使って適当に騒動を起こさせて、その隙に奪ってしまえばいいだけである。
それに異変の黒幕を信綱は知っている以上、これだけの人妖をどのようにして集めたのかも全てカラクリを知っていた。
百鬼夜行異変の折、信綱が隠れているように指示を出した人々を戦場に萃めてみせた能力――疎と密を操る程度の能力を伊吹萃香が用いればこの程度、実に容易に行える。
今回の宴会が終わり、萃香の話していた異変が本格的に姿を表したら信綱も阿求に事の真相を伝えて待てば良い。
と、そんなことを考えていると信綱と阿求の側をのっそりと鬼の巨躯が通り過ぎていく。
過去の絵巻物に載せられているような真っ赤な肌に雄々しく天を衝く一本角。
簡素な服に身を包み、肩にはとても人間が一人で持てないような酒樽を軽々と担いでいた。
その表情はうきうきとした楽しみを隠せないもので、これからこの酒で酒盛りを楽しむのだという顔がありありと浮かんでいた。
見ればそんな鬼の周りに何名かの男がおり、こちらもまた楽しそうに酒樽を見上げている。
人間も図太くなったというか能天気というか、慣れる生き物というか、酒が飲めるなら人類皆兄弟と言わんばかりに鬼に近寄っていた。
「わ、大きい……。鬼が地上に出ているなんて久しぶりね」
「そうですね。彼らは大半が地底に戻っているはずです」
人間二人分に届くかと思うほどの巨躯であり、人里でも悪目立ちしてしまうことがあるため、彼らは彼らで地底での暮らしに戻っていた。
地底は地底で楽しいらしく、彼らは地上で鬼の力が借りたい事態が起きた場合にのみ、星熊勇儀の要請によって動く存在となっている。
これでは鬼の彼らも不満を溜めるのではないかと懸念していた時期もあったが、彼らは実にさっぱりとしたもので負けたんだから言うこと聞くのは当然だよな、と言わんばかりに平然としていた。
それでも納得の行かない者も数名はいたが、全て信綱が叩きのめすことで平和に収まっている。
「今回は地上に来たのかな。できることなら鬼の人たちからも話を聞いてみたいけど……」
「彼らは気のいいさっぱりとした性格の者も多いですが、短気な輩も多いです。阿求様が望まれるのならば私が場を整えますが、伊吹萃香と星熊勇儀の話でよろしいかと」
「そうだね。阿弥の時に鬼の話はいっぱい聞いたし」
それに、と阿求が顔を上に向けると意図を察した信綱が阿求の小さな体を抱き上げ、視線を高くする。
大人と同じ視線を得た阿求の目には、天狗や人間が入り混じって動く風景にピョコンと飛び出すように鬼の巨体が混ざっているのが見えた。
阿求は地面に下ろしてもらうと、信綱の顔を見上げて笑う。
「鬼もこんなにたくさんいるし、全部から聞いて回っていたら幻想郷縁起が埋まっちゃうわね」
「誰も読みたがらない厚さになることは確実でしょう」
「あははっ、辞書みたいになったら私だって読みたくないわ!」
そこで阿求は一旦深呼吸をして、幻想郷縁起のことをひとまず横に置くことにする。
今日は信綱に誘われて宴会に来たのだ。細かいことは後に回して今は楽しむことに集中すべきだろう。
「――さ、行きましょうお祖父ちゃん! きっと神社では霊夢さんが首を長くして待ってるわ!」
「あれも今回のような大きい催しは初めてでしょう。きっと忙しさに目が回っていることでしょう」
「お祖父ちゃんは助けに行くの?」
「差し入れぐらいはしますが、私が主体となっては彼女のためになりません。これも経験です」
「霊夢さんには厳しいのよね、お祖父ちゃん」
うんうんとしたり顔でうなずく阿求に、信綱は困ったように笑う。これでもかなり甘い方だと思っているのだが、周りからは厳しくしていると思われるらしい。
それにしても阿求と霊夢はいつの間に仲良くなったのだろう、と信綱は不思議に思う。
彼女らの接点はほとんどなかったはずだが、以前に自分の後を尾行していた時から阿求と霊夢は友達になったらしい。
「ははは、これでも優しくしている方ですよ」
「霊夢さん、いっつもお祖父ちゃんの稽古が厳しいって愚痴ってるのに!?」
「厳しくない稽古では実になりません。師匠役は嫌われることを覚悟してやるものです」
「……その辺りが霊夢さんには伝わっているのかもね」
信綱の言葉は厳しくあるが、実情は実力不足で霊夢に死んでほしくないという思いから来ているものだ。
……ようやくやってきた博麗の巫女があっさり死んでしまっては、人里にとっても幻想郷にとっても損失にしかならないため手抜きをしていない、という合理的な理由もちゃんと存在するが、信綱が霊夢を慮っているのも事実。
そして霊夢は相手の気遣いを理解して喜べる感性の持ち主だった。
「さて、その辺りは彼女に聞いてみないとなんとも。……そろそろ向かいましょうか、あまりここで話していても人混みに呑まれるだけです」
「うんっ!」
信綱は阿求の言葉に肩をすくめて曖昧に微笑んで霊夢が自分をどう思っているか、という疑問にフタをする。嫌われていないのであれば十分である。
そうして信綱と阿求は並んで手を繋いだまま、博麗神社の境内に続く階段を登って行くのであった。
――そして、これが信綱にとって最期の異変となる萃夢想の異変が始まっていく。
多分意味はないだろうけど続けているしょうもないこだわり
・東方の原作キャラだけの描写だけは頑なに少女という単語を使うこと。ゆかりんだろうとゆうかりんだろうとゆゆさまだろうと。
どうでも良い情報を垂れ流しつつも萃夢想の始まりです。さすがにゆゆ様とみょんちゃんはあまり絡ませられん。
ここで色々な人と話しつつ、ノッブは死ぬ準備を着々と整えて行く感じです。もうこの異変以降は登場しないキャラも出てくるかもしれません。というか出ます(そうしなきゃ話が終わらない的な意味で)
もう終わりも終わりになった拙作ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。