冬になった。
彼女は確かに世の中一般で言う「魔法使い」であった。しかしその実、単なる魔術師であった。
魔術世界において「魔術」と「魔法」は別物である。魔術がスマートフォンなら、魔法はもしもボックスだ。努力やら金銭やら、どうにかすれば手が届くもの、なんらかの方法でその結果が代用できるものが魔術であり、それらをどれだけ持ってきても、何千年かけても成し得ない奇跡こそが魔法である。
「ひかりの嘘つき」
彼女に借りた古書を読み解きながらひとりごちる。
細々と続いてきた堀田の魔術は「呪い」で、なんとも日本らしい。ひかりが一回生の頭にあのサークルでがしゃがしゃしていたのも、そういうことなのだそうだ。
ただ本人は呪術だけで終わる気は毛頭なく、ルーンをはじめいろいろな魔術の知識を吸収している。理由は知らない。
「……今度、訊いてみよう」
しなびたページをめくる。書いてあるのは魔術の基礎理論や知識だ。
ひかりいわく。
『あなたはなんでだか魔術回路の質も数も一流だからもったいない』
だそうだ。そう言われても自分でもなんでだか知らない。
そういえば、その話をしていたとき、しつこく両親について訊かれた。あれは――。
「ああ、こういうことか」
古書のページを眺める。魔術師の素養は魔術回路の質と量によりあらかた決められる。そして、優れた魔術師同士の血を混ぜ合うことで、その質と量は高まっていくそうだ。魔術師にとって家系はとても重要なものらしい。ならば、なぜ自分がそのような魔術回路を持ち合わせているのか。
「……って言ってもなあ。なんでだよ、父さん、母さん」
僕の両親は早くに他界している。ちょうど小学校に上がるくらいの頃。両親の知り合いによれば交通事故だそうだ。親戚はおらず、僕はその知り合いに育ててもらった。僕の普通でないことといえば、つい最近まではこれくらいだった。
こうやって思い返せば妙である。親戚がいないというのはこの時代では珍しいし、僕には両親に関する記憶が無い。ただ情報として「死んだ」と知っているだけである。
そのことを話すとひかりは申し訳無さそうに目を伏せた。彼女らしくない反応だったので、よく覚えている。
本を読み進める。どれも基礎的なことばかりらしいが、今まで普通の生活をしてきた自分にとってはほぼファンタジーだった。 それも当然である。この文明社会において魔術だの魔法だの、信じろという方がどうかしている。
それでも、僕は彼女のあの言葉を、そのまま素直に受け入れた。
それはきっと、彼女が僕のことを信じてくれていたからだ。
この本の最初の最初に「魔術はこれ全て隠匿すべし」と書いてあった。神秘である魔術は、神秘であるからこそ、その力を発揮する。しかしその神秘が公になればそれはもはや神秘でもなんでもない。だからこそ魔術師は自分が魔術師であることを隠すし、「魔術協会」も魔術の隠匿に全力を尽くしている。
魔術師であるなら、同回生に告白された返事にそれを明かす、なんてことはしないはずだ。魔術をおおっぴらにすれば魔術協会にどうにかされるらしいし。きっと結婚ぐらいのことをしてからやっと教えてもらえるのだろう。なのに、ひかりはあっさりと自分を「魔法使い」だと言った。
顔がほころぶ。そこまでの信頼を見せられて、嬉しくないはずがない。こうして魔術を学んでいるのもその恩返しみたいなものだ。
本を閉じる。日付が変わろうとしている。古い本なので読むだけでも随分と時間がかかってしまう。
「魔術特性に魔術属性、それから起源、か」
これらが魔術師の扱うことのできる魔術に大きく関わるそうだ。これにより魔術師の得意分野がおおよそ決まるらしい。
ごそごそと布団に潜り込む。
「魔術回路があるんなら、僕の家も代々魔術師だったはずだよな」
魔術特性は家系によっておおよそ決められる。なので、自分の家系にもそれがあったはずなのだが、もちろんその片鱗すらわからなかった。両親の遺品はほとんど無いし、祖父母は顔も知らない。いよいよ怪しい。
「ま、いいか。また明日、ひかりに相談しよう」
そうぼやいて、夢の中へ落ちていった。
「特性は魔術やってればわかるよ。属性は大事だね、先にやろ」
いつもどおりの軽いトーン。内容はなんだか怪しいが、ひかりが話すととても自然に聞こえる。
「そんなもんなんだ。あ、でも、起源は?」
「うーん、そうだね、そっちも調べてみようか」
場所は大学の近くの喫茶店だ。大手チェーンのもので、店内はとても広い。最初にひかりに連れられて来た時は、喫茶店とは思えないメニューの難解さに眉をひそめた。ちなみに今日も眉をひそめたまま、いちばんありきたりそうなコーヒーを頼んでいる。
「えーと、あー、さすがにここじゃ無理だよね」
鞄をごそごそやりながらひかりがつぶやく。
「うん、ここじゃなくていい。というか、やるつもりだったんだ」
「じょーだんじょーだん。でもね、起源はわたし、なんとなくわかる気がするよ」
優しい目で言うひかり。今でもまだ、こういう表情にどきりとする。
「それは、どうして?」
「起源っていうのは、その人の根っこがどんなものかってことでしょ?大雑把に言えばすっごく優しい人はその優しさと繋がってる起源なの。こんなに一緒にいたんだもん、想像はつくよ」
「へえ、そんなもんか」
「うん、そんなもん。まだ漠然としてるから、ちゃんとは言えないけど、属性がわかればはっきりするかな」
そう言って、いそいそと散らかした荷物を集めだした。どうやらこの店は切り上げるらしい。
「ところで」
荷物をまとめる手を休ませずひかりが言う。
「あの本、もうそこまで読んだんだ。英語の古い本なのに」
「英語は得意なんだ」
「でも日本から出たことないでしょ?」
「うん、まあね。でも高校の頃から成績が良かったし、今でもプログラミングの授業は楽にこなせるよ」
「あれ、プログラミングって英語使うの?」
「そうだよ。単語の意味がわかればいいから、そんなに難しくないけど」
ほほう、と関心したように頷くひかり。荷物はまとまったらしい。
「じゃ、うちでやろっか」
ひかりは一人暮らしである。
そして実家は、割りと近くにある。
ひかりが一人暮らしをしたいのもあったが、両親が「さっさと独り立ちしろ」と言い、晴れて一人暮らしを始めたそうだ。ちなみに僕も一人暮らしだが、こっちは単に一緒に住んでくれる人がいないだけだ。
「ちょっとまっててね。材料、実家じゃないとないっぽい」
部屋に入ってひとしきりごそごそやったあと、ひかりはそう言って玄関に向かった。
「すぐ帰ってくるから、留守番よろしく」
「うん、いってらっしゃい」
ぺたんと座り込み、彼女の背中を見送る。大きめな音で閉まったドアの向こうで、これまた大きめな音で去っていく足音。部屋はさきほどひかりがひっくり返したのでぐちゃぐちゃだ。まさに台風である。
なんだかよくわからない草の瓶詰めや液体の瓶詰め、北欧のものらしきルーンの魔道書、最近流行りのファッション誌、日本チックというかザ・日本な古めかしい巻物、魔術協会からの手紙、スマートフォンのハウツー本。本棚や小物入れがあますことなくその中身を吐き出している。
「魔窟だ」
彼女の部屋に最初に入った時を思い出す。整理整頓されていたが、本棚は「呪術コーナー」「ルーンコーナー」「錬金術コーナー」「ファッション誌コーナー」と、なんとも怪しい分け方をされていた。彼女はこれでいて整頓上手であり、散らかしても凄まじいスピードで元に戻してしまう。
ヘタに触るとやばいものがあるかもしれないので、こうやって眺めておくだけにする。彼女と付き合い始め、魔術を知ったあとの経験による行動だ。変なことをすると変なことが起きる。何もしなければ何も起きない。アタリマエのことだが、こと魔術においては「変なこと」のレベルが理解の範疇をしばしば逸脱するので、これは自分の中でとても重要なことだ。
魔術関連のもの以外は、普通の女子大生が持っているようなものばかり。下着のタンスがひっくり返っているほうには目をやらないようにし、普通と異様の入り混じった部屋を眺める。現代に生きる魔術師は皆こんなものなのだろう。
魔術協会からの手紙があったのはちょっと驚いた。彼女は時計塔にも魔術協会にも身を置いていないと言っていた。日本はマイナーな地域らしく、彼女の家系も大規模な魔術の研究をしてきているわけでもないので必要ないらしい。それがなぜ。
「と言っても、大した物じゃなさそうだな」
ぺらぺらの封筒を見る。普通のダイレクトメールのようだ。「今月のお知らせ」とかそんなものかもしれない。
「ただいまあ」
がちゃんと大きな音を立てて扉が開く。
「おかえり。あれ、それだけ?」
彼女が持っているのはこぶりなトートバッグだけだった。
「うん、大したことじゃないもん。うちに在庫がなかったから持ってきただけ。じゃ、始めようか」
「……よし、こんなところかな」
「もう終わり?」
何だか心療内科の問診みたいだった。行ったことは無いが。
「うん。あなたの魔術属性は火だね」
あっさりと言われてしまった。
「なんか、物騒だ」
「そんなことないよ。よくある属性。ノーマルって言われてるくらい」
それはそれでがっくりくる。魔術くらい、アブノーマルだとよかったのに。
「で、起源はたぶん……」
そういって、彼女が神妙な顔をする。珍しい表情だ。
「……わたしね、あなたのご両親の話を聞いて、あなたがその両親のことを覚えてないってところが気にかかったの」
いきなり話がそれたが、よくあることなので先を促す。
「うん、だから、それはご両親の魔術なのかなって。ルーンにも忘却のルーンがあるけど、血のつながりまである関係を断つならそれなりに強力な忘却魔法が必要になる。だから、あなたの家系の特性はその忘却に関係した特性だと思うの。でも」
そう言って言葉を切る。しばらくうーんと唸って、さっきの問診のときに作ったメモとにらめっこしたあと、
「うん、やっぱりそうだね。あなたの起源は、記憶、だよ」
悲しそうに言う。
「それ、さっきの話とつながってるじゃないか。家系が忘却魔法を使ってるんなら、起源が記憶っていうのは辻褄が合うだろう」
「うん。そうなの。でも」
言いづらそうに目を泳がせる。こんな彼女は珍しい。
「あなたは、お父さんのこともお母さんのことも覚えていない。それなのに起源が記憶、なんて、あんまりじゃない」
そう言って、下を向いた。一滴の涙が目尻からこぼれ、ほっそりとした頬を伝う。
涙の落ちた左手は、すこしだけ震えていた。
ひとしきりしょんぼりしたあと、ひかりは唐突に立ち上がり、部屋の片付けを始めた。
「ありがとう」
なんとなく、そう声をかけた。
「うん?なにが?」
せわしなく両手を動かしながら、作ったような明るい声で彼女が応える。
「属性も起源もわかったから」
本当は、さっきの涙への感謝だった。そのことは口にしない。だけど。
「うん、そっか。どういたしまして」
さっきよりも一段と明るい声。
「真実」を起源に持つ彼女には、僕の言葉の裏なんて、きっとお見通しだろう。
「ところで、元々は僕の起源、何だと思ってたの?」
物を片付ける彼女の背中に問いかける。彼女は僕の起源にある程度目星をつけていようだが、その予想はどうやら外れたらしい。ならばその前は何だと考えていたのか。
「えっとね、そうだなあ。なんて言ったらいいんだろ」
小物類は片付け終わったようで、本棚の整頓に移行している。
一冊ずつ本の背表紙を確認しながら、それぞれのエリアへ置いていく。
「あ、これ」
そう言ったとき、手に持っていたのは。
「……旅行雑誌?」
「うん。田舎特集」
「それが僕の起源だ、と?」
「違う違う。田舎って、ふるさとみたいなものでしょ?」
なんか違う気がするが、これもいつものことなので気にしない。
「あなたは両親のことを知らない。普通の人なら寂しいはず。でも、それがもしあなたにとって当たり前なら、当然のことなら、寂しさも苦にならない。それが起源かなって思ったの」
いまいちよくわからない。それが僕の表情に表れたのか、彼女は難しい顔をさらにしかめて考えている。
「うーん、懐かしさというか、家族の暖かさというか、ふるさとっていうか」
「……懐かしさ」
そうつぶやくと、ストン、と自分の中にその言葉が入ってきた気がした。
「うん、なんて言えばいいかわかんないや。でも、そんな感じなのかなって思ったんだ」
旅行雑誌を本棚に戻し、また別の本を手に取り、本棚へ戻す。作業を再開したようだ。
「変なの」と言うと、
「変だね」と笑った声が帰ってきた。
「あなたはもっと、普通の起源のほうが似合うね」
「記憶、が普通の起源?」
「たぶんね。物覚えがいいとか、そういうのじゃないの? 英語、得意って言ってたじゃない」
「ああ、確かに」
「やっぱり、あなたらしい起源だね」
こちらを振り向き、はにかみながら彼女が言った。それが何だか嬉しくて。
「僕も手伝うよ」
そう言っていた。