こういう話は、書いててツライです。
師も走りだすという十二月。僕の師はひかりなわけだが、彼女が走りだすほど、僕らの日常は変化していなかった。
「こんなもんでどうかな」
僕の部屋に、やっと自分で結界を張った。出来具合を
「わ、わあ……」
ひかりは目をぱちくりさせている。これではこっちもリアクションに困る。きょろきょろと部屋を見渡した後、おもむろに、
「特性は合ってたんだね」
と言った。
「……どういうこと?」
「これ、どういう結界かはわかってるよね?」
当たり前だ、それがわからなければ結界なんて張れない。
「術者本人と、血族とか許可を出した人間以外が入ると、部屋中の
「そういうことだね」
僕の
「魔力殺しの結界も外側に張らなきゃね。そうすれば、とりあえず灰になるのはこの部屋だけかな」
「むむむ」
ひかりに借りていた本をめくり、耐魔力結界の項目を探す。大したものは張れないので、部屋の中の
「それにしても、何文字刻んだの、これ」
「えっと……」
今日一日刻みまくった場所を思い起こす。四畳半の部屋の畳は、畳一枚につき裏に八文字刻んだ。壁には四隅と家具で隠れる部分にありったけ、タンスの引き出しや押し入れも、目につかない部分に一文字ずつ。
「……二百字くらい」
「……お疲れ様」
原稿用紙半分の太陽のルーン。今からそのルーン一字ずつ、振り分けた魔力を減らす作業が始まる。
「魔力殺しは私が張ってあげるから、ルーンのほうお願いね」
そういって部屋の隅で作業を開始するひかり。
「ありがとう……」
とりあえず、一番めんどくさそうなタンスの引き出しから始めることにした。
結界の補修作業は夜を徹して行った。ひかりの耐魔力結界はすぐに片付いたので先に帰ってもらい、僕は残ったルーンをかたっぱしから調節して回った。そしてそれが終わる頃には、沈んでいた太陽が昇り、時計は十時を指していた。
「そうだ、今日は確か……」
予定を思い出し、あわてて身支度を始める。部屋中散らかり放題だが、ルーンは隠してあるので大丈夫だろう。冬だというのに随分汗をかいた。シャワーを浴びたほうが良さそうだ。
「やれやれ」
服を脱ぎ、洗濯カゴへ突っ込む。じっとりとシャツが濡れていた。予想以上に頑張っていたらしい。
「これも修行だ」
シャワーを浴びる。約束の時間は正午。間に合わないことは無さそうだ。
「おうい」
時間ピッタリに待ち合わせの場所につくと、彼女はもう来ていた。
「お待たせしました、赤井さん」
「遅刻じゃないから許します」
えっへん、と大きく胸を張る赤井さん。どうでもいいことだが彼女のスタイルは抜群である。
「それで、今日はどうするんですか」
「パパーッと市内にでも繰り出して、美味しいもの食べよう。おねーさんがおごってあげるよ」
「ごちそうになります」
「うむ、よろしい。じゃあ行こうか」
意気揚々と駅のプラットフォームへ邁進する赤井さん。
例の一件以来、別に仲が悪くなることもなく、先輩後輩の関係は続いていた。といっても、「呪われ屋」でたまりにたまった鬱憤を、赤井さんが僕に一方的にぶつけるだけであったが。
それでもその度、こうやって食事に連れて行ってもらったりしているので、一人暮らしの身としては経済的にとても助かる。お互いの利害は一致しているので、ご同伴に預かっている次第である。
がたんごとんと電車に揺られる。僕らの大学があるのは街の中心部から離れている。学生が遊びに行こうと思ったら、こうやって電車で二十分ほどかけて移動することになる。
「ひかりちゃん、元気にしてる?」
ふと赤井さんが問いかける。
「元気ですよ。昨日は僕の部屋の結界作りを手伝ってもらいました」
「おお、仲良くしてるんだね。それで、どんな結界?」
「……それ、言っちゃだめでしょう」
言いそうになるのを慌ててこらえる。
「にひひ。それが正解だね」
満足気に頷く赤井さん。ひかりともそれなりに仲良くしているらしく、呼び方が堀田さんからひかりさんになり、現在ではひかりちゃんになっている。
「ひかりん、最近会ってないなあ」
訂正。ひかりちゃんからひかりんへと進化していた。
「そうなんですか」
「そうよ。あ、別に避けてるとか避けられてるとかじゃないからね」
ぱたぱたと手を動かして弁明された。全体的に大人っぽいひとなのだが、たまにこういう仕草をすると、まだ女の子らしさが抜け切れていないことが見える。同回生の男連中にはそういうのがストライクゾーンど真ん中だそうで、なかなか人気のある女性なのだ。
「なんていうか、さすがにまだ夜通しガールズトークするような仲にはなれないわ」
はあ、とため息をつきながら言う。
「そこまで深い関係にならなくても」
「なりたいわね」
きっぱり。ちょくちょく話をしていて気づいたのだが、彼女はとても頑固者だ。一度自分でこうしたいと思ったら、それをとことんつらぬくきらいがある。
「今はどれくらいの仲なんです」
「そうねえ、ディナーを割り勘するくらいかしら」
十分である。
「そのうち全額奢らせてやるわ」
彼女の目に闘志の炎が灯る。でもそこにはいつかの、殺伐さは無かった。
「頑張ってください」
もう、大丈夫みたいだ。
「なーんであんなサークル入っちゃったのかしらねえ」
赤井さんと話すと最低三回は聞くセリフである。
「でも楽しいんでしょう」
「それはまあ、そうだけどね」
窓際の席でくるくるとクリームパスタを巻きながら赤井さんがぼやく。
「愚痴を言い合える場所っていうのが必要なのはわかるわ。でもだーれも、わたしの愚痴は聞いてくれないのよ」
平日正午過ぎのパスタ専門店は大賑わいだ。OLや女子大生が、こぞってもりもりとパスタを食べている。
「オカルトらしいことはしないんですか。オカルトサークルでしょう」
ナポリタンをフォークに絡ませる。個人的にこの店で一番美味しいのはこのナポリタンだ。赤井さんに言わせれば明太子のスパゲッティが一番らしいが、僕は明太子が苦手なのでナポリタンを推している。
「オカルトって言ってもねえ。いまどきオカルトってどうかと思うわ」
魔術師の口から出たとは思えない言葉である。
「それを言っちゃおしまいでしょう」
「それもそうね。うーん、なにしようかしら」
上品な仕草でクリームパスタを平らげていく赤井さん。こういうのはやはり育ちの良さがわかるものだ。
「呪われるのが目的ですよね。やっぱ、心霊スポット巡りとか」
「えー、やだあ。こわいじゃん」
「こわいのが目的でしょうに」
いつもこんな調子で、話の中身なんてあってないようなものだ。それでも、彼女は僕と友達で居たくて、僕は彼女への申し訳ない気持ちがまだ消えない。お互い、それが分かったうえで、あえてその話はしないようにしている。
そこに。
「あら?」
赤井さんが窓の外を見る。つられてそこを見ると、
「ひかり……?」
凄まじい形相のひかりがいた。
「あっちゃあ」
声を聞き、赤井さんを見ると、渋い顔をしていた。
視線を窓の外へ戻すと、もうそこに彼女の姿はなかった。
「ナイショのお食事ってワケじゃなかったけど、これじゃいろいろ誤解されて当然よね」
駅へ戻りながら赤井さんと話す。
「ひかりのあんな顔、初めて見ました」
「でしょうね。あの子、あなたにベタ惚れだもの。あの反応は女の子として当然だわ」
うんうん、と頷く女の子代表。
「どうしましょう」
「こういう場合、あなたが事情を説明するのはまずいわ。私が直接話しましょう」
「大丈夫ですか」
「大丈夫よ。戦闘になったとしても、防御だけは完璧だから」
そう言ってポケットから手のひらサイズのルーン石を取り出した。
「これは……」
ひかりが僕に作ってくれた、ルーンガルドゥルとか言うのと同じ文字が刻まれている。しかし、同じ文字のはずなのに、感じる印象がまるで違う。
「私のお師匠様がくれたの。あの子達に手を出さなくても、あの子達から手を出されたとき、これで身を守れって」
「お師匠様って、封印指定の……」
そういうと、彼女が目を光らせた。
「おっ、知ってるんだ。そうそう、すごい人なのよ」
誇らしげに言う。蒼崎橙子への尊敬の意がひしひしと伝わってきた。
「十年くらい前に、この街でばったり会ってね。お金がなくて泊まるところがないんだって言うもんだから、実家に一週間くらい泊まらせてあげたんだけど、そのお礼に色々教えてくれたの」
「なんでその人が、こんな街に?」
「なんかね、ちゃんとは話してくれなかったんだけど、調べ物があるとか言ってたかな。それからは二年おきくらいにこっちにきてるよ」
「調べ物……」
なんだろう。ひかり曰く、この街は特段変わった霊脈もないので、霊地と呼ぶのもどうかと言われるレベルの土地。昔々に何か儀式があったわけでもなく、協会の拠点というわけでもない。それでも、封印指定を受けた魔術師がわざわざ来る。それはよほどのことだろう。
「ま、なんとなーく予想はついてるんだけどね、た、ぶ…ん……」
考えながら歩いていると、彼女の言葉が途切れた。慌てて横を見る。赤井さんがいない。後ろを振り向くと、胸を抑えてうずくまる彼女がいた。
「赤井さんっ」
青くなった顔には汗が浮かんでいる。呼吸も絶え絶えだ。
「う…ぐっ…は……」
うずくまったままポケットを探っている。取り出したルーン石は、真っ二つに割れていた。
「そんな、まさか」
その石を地面に置き、苦しげな顔をこちらにむけた。
「……いつか、言ったでしょう」
その顔には、諦めが浮かんでいた。
「女の嫉妬って、こわいのよ」
意識を失った彼女は、救急車に乗せられ病院へ運ばれた。二度目の光景だが、事は前回より深刻だ。
僕は同伴せず、急いでひかりの自宅へ向かった。
あの苦しみ方は呪術だ。そして、誰の仕業かはわかりきっている。
「ひかりっ」
部屋の扉を開く。彼女はこちらに背を向けて、テーブルに着いていた。
「早かったね」
ゆっくりとこちらを振り向く。机の上には、釘の立った藁人形が置かれていた。
「それは」
藁人形?
これが、こんなものが、こんな幼稚なものが、呪術?
「あ、拍子抜けって顔してるね。でも、これが堀田に伝わる呪術なんだよ」
ゆっくりと藁人形を僕に見せるひかり。ちょうど心臓の位置に立った五寸釘は、完全に胴体を貫いていた。
「随分とステレオタイプな呪いだよね。いまどき笑っちゃう。だけど、こういうわかりやすいやつのほうが、呪いやすいの」
それを聞いて、僕は、彼女が彼女でないと思ってしまった。
「どうして」
「どうしてって、どうして?」
ぽかんとした顔。何度も見た。でも、いつもの顔と違う気がした。
「ひかりは、呪術なんて嫌いだって、言ったじゃないか。人を不幸にするのが嫌だから、ルーンを勉強してるんだって言ったじゃないか。なのに、なんで、どうして」
「あなたがあのひとと居たからでしょっ」
間の抜けた表情を、修羅の如き表情に変えて叫ぶ。
「あなたたちがそういう関係じゃないってことはわかってる。あなたが私を裏切るようなひどいひとじゃないってこともわかってるよ」
修羅の目から、涙がしたたる。
「あなたは優しいひとだから、だからきっとあの人を気遣って、会って話してる。わかってるの、そんなことはわかってるんだよ」
「じゃあ」
「でも、わたし、だめなんだ。あなたのそういう優しいところ、大好きなのに、我慢できないんだ」
涙は止まらない。
「わたしだってやだよ。こんなこと、やりたくなかったよ。でも、でも、でも、でもっ」
溢れる涙を止めるように、両手で顔を覆う。
藁人形が床に落ちる。
こつん、と、釘が床にぶつかる音がした。
「……そんなひかりは、きらいだ」
それだけ言って、その部屋を後にした。
「
彼女の制止の声を置き去りにして。
自室に戻る。
彼女を追い詰めたのは僕だ。赤井さんと、仲良くしすぎるのは良くないとわかっていたはずだった。それでも、僕は赤井さんのことを放っておくわけにはいかなかった。
ひかりは悪くない。悪いのは僕だ。彼女が心から嫌いだと言っていた呪術を使わせたのは、僕だ。
「どうにか、しなきゃ」
ひとこと、謝ればいいだけかもしれない。でも、その言葉を、しっかりと彼女に届ける自信がなかった。
「くそっ」
持っていた鞄を床に叩きつける。
ゴン、という音がした。
そんなも硬いものが入っていたのか、と思い、鞄を開けてみると、いつかの木箱が入っていた。どうやら、結局鞄の中に仕舞い込んでいたままだったらしい。
「こんなものっ」
怒りを
何も起きなかった。
「え」
そんなことは今まで無かった。暴発することこそあれど、このルーンでまったく火がつかないなんてことは、今まで一度も無かった。
木箱を見る。焦げ跡ひとつない。なぜ。
そういえば、この箱には暗示がかかっているはずだった。現実から目を背け、とりあえずこの木箱を弄ってみることにした。
ひかりの魔術に対しては一度も成功したことのない、魔術を破る
木箱そのものの表面を指でなぞり、そのルーンを刻む。箱を開くことではなく、暗示を解くことのみを目的に。
なぞった文字に、魔力を通す。
変化は唐突に。
木箱の木目がざわりと動き、一行、英語の文字列が浮かんだ。
「……言葉を、信じろ?」
意味がわからない。
だが、箱の変化が起きた瞬間、ひとつ、思い出したことがあった。
ある言語。
失われた、神代の言霊。
父だけが遣うことのできた、魔法のような言葉。
この世でただひとり、それを受け継ぎ生きている、僕という人間。
そして、その言語を封じるとき、忘れさせられたひとこと。
【ここ「では」
日本語でもない。英語でもない。現代に存在しない、その言語を、「世界」に語りかける。
箱は、開いた。