協会側の人間のくせに封印指定執行部襲撃なんてことやってるし、髪の色変わってるし、「キープ」が誰なんだかわかんないし。
まほよの青子さんは若々しくて面白いです。
この島に似合った、古めかしい木の家。
暖簾をくぐる前から「美味しいだろうなあ」と分かるほどに、この蕎麦屋はオーラを持っていた。
横開きの扉を開き、店内へ。
店の中にある机も椅子も、床も天井も、黒い木で造られている。いかにも、な蕎麦屋だ。
愛想のいいおばちゃんにざるそばを二人分注文し、置かれた麦茶を飲む。よく冷えた麦茶は、炎天下を歩き通したこの体に染み渡るようだった。
ほどなくして二人前のざるそばが届いた。
割り箸を両手で割り、まずは葱と山葵をつゆに入れ、混ぜる。蕎麦を箸で掬い、そのつゆと絡め、口へ運ぶ。
「―――」
旨い。
よく冷えてはいるが、冷えきっているわけではない。程よく締まった蕎麦は、それでいて柔らかい。
めんつゆは少し濃い目。それがこの蕎麦と実によく合う。
口から鼻へと湧き上がる、濃い、めんつゆの香り。それに混じる葱の食感と山葵の辛みが、また良い。
ごくり、と嚥下して、反省する。一口目は少しつゆに浸しすぎたかもしれない。この濃さなら、「江戸っ子」の食べ方が合うだろう。
箸で掴んだ蕎麦の下半分だけをつゆにつけ、一口で啜る。
―――ああ、これだ。この味だ。
きっとこれが、この蕎麦屋の、このざるそばの本当の味だ。
つゆに負けない、蕎麦の香りを感じられるこの絶妙な濃度。口内を満たす清涼感。
まさにこれこそが――
「……コースケ、ドラマの見過ぎ」
「む」
ずぞぞぞぞ、と姉が大量の蕎麦を吸い込みながら、僕の思索を邪魔した。
「一口食べるのにどんだけ時間かけてんのよ。そのまま店主にアームロックでもかける気か」
「……ドラマだと客にかけてたね、アームロック」
「ああ、カッコ良かったねえ、アレ。かける側もかけられる側も良い演技だったわ」
「ねーちゃんもハマってるじゃん」
「あはは、まーね」
ずるずる。
姉と話しながら食べていると、どうも速度が上がってしまう。ふと気づくと、ざるの上には、もうあと一口分の蕎麦しか残っていない。
ざるの上で細かく千切れた蕎麦をかき集め、つゆに浸し、食べる。
そんなことを数回繰り返しただけで、本当にざるの上から蕎麦は消えてしまった。
「はあ。なんで蕎麦は食べると無くなっちゃうのかな」
「それと同じセリフ、ドラえもんで聞いたわ、あたし」
姉はまだ半分くらいの蕎麦を残し、少しずつ、つるつると食べている。
姉はどうもモノを食べるのが遅い。特に今日は落ち着きなく、目をキョロキョロさせている。
そんな姉を尻目に、蕎麦湯をめんつゆに注ぎ、ちびりと飲んでみる。
元が濃い目のめんつゆなので、つゆの味が引き立ってこれまた旨い。
旨いが、眼前の姉の挙動がどうしても気にかかる。
「ねーちゃん、どうしたの。さっきからキョロキョロしっぱなしだよ」
姉の挙動不審は今に始まったことではないが、こう間近でキョロキョロされるとこっちまで落ち着かない。
「…………その、ね。見間違いだとは、思うんだけどね」
「うん」
言いにくそうな顔をする姉。それでも目をそらさず見つめていると、観念したように溜息をつき、口を開いた。
「さっきから、いろんなところで、白いシャツに青いジーンズで、でっかいカバン持ってる黒髪ロングの人を見るんだ」
「…………なるほど」
そして、姉が蕎麦を全部食べ終わったころ。
「久しぶりね、あなたたち」
なんていう、はつらつとした声が蕎麦屋に響いた。
顔を向ける。
腰まで伸びた美しい黒髪。旅慣れた服装。その細い体にはアンバランスな、大きな鞄。
化粧はなし。けれど、そんなものは必要ないだろう。彼女はそんな
「…………はい、お久しぶりです」
去年会ったときと何ら変わらない、蒼崎青子がそこに居た。
「お久しぶりです、青子さん。相変わらずお元気そうですねえ」
箸を置き、姉が青子さんに話しかけた。
「そりゃあもう。二人とも元気そうで安心したわ」
「あれ、心配してくれてたんですか」
心底意外だ、なんて思っていたら、つい口が滑ってしまった。
「あらあら、功介は元気すぎるみたいね、嬉しいわあ。嬉しいついでに一発、魔弾喰らっとく? こう、軽く海の向こうまで飛ぶくらい」
「口が滑りました、すみません」
「うむ、素直でよろしい」
「はあ、そういうところ、橙子さんと似てますよね」
「あはは、ブチ抜くわよ」
「すみませんでした」
そんな青子さんと僕のやり取りを、姉はニヤニヤしながら見つめていた。
「なにさ、ねーちゃん」
「ん? いやあ、やっぱ仲良いなあって」
蕎麦湯を作りながら、しみじみ、なんて言葉が似合いそうな仕草で語っている。
「そうねえ、功介はいい男の子になったわ」
こっちもこっちで、しみじみ語る青子さん。
なんだろう。
なんか、恥ずかしい。
恥ずかしいので、会話の方向を変えてみる。
「……青子さん、お昼は食べたんですか?」
「ん? さっきそこで食べたとこだけど」
指差した先は、姉の真後ろの席だった。
「……気づきませんでした」
「私は気づいたけどねー。えっと、功乃がアームロックかけて欲しいんだっけ」
手をワキワキさせながら、青子さんが姉へにじり寄っていく。
「ち、ちがいますよう。ほら、孤独のグルメってやつで、主人公がアームロックするシーンがあるんです」
姉は必死の形相でそれを拒んでいる。なんか、怪しい絵面だ。
「こどくのぐるめ? あー、あれってグルメ漫画じゃないの? なんでアームロック?」
「グルメ漫画でもバトルするんですよ」
なんだか姉が可哀想なので助け舟を出してみる。
「ふーん。確かに味皇とか凄かったもんね」
僕の言葉に、青子さんは納得したようである。
「ミスター味っ子とは、また世代を感じますねえ」
今度は姉が余計なことを言っている。
「世代? そんなに昔だっけ、あれ」
「そーですねえ、あたしまだ生まれてません」
「は?」
珍しい。青子さんが目を白黒させている。
「え、まじ? えーと、功乃は今年で二十四でしょ、それよりも前って、うわあー……」
指折り数えながら、頭を抱える魔法使い。
「いいじゃないですか。よく知りませんけど、青子さんにはあんまり時間の概念は意味ないんでしょう」
今度は青子さんを励ましてみる。
「えー? いやまあ、そーだけどねえ。死徒ってワケじゃないんだし、ジェネレーションギャップには驚いちゃうわ」
「はあ。死徒でも、ジェネレーションギャップはありそうですけど」
「あいつらは世間なんてクソ食らえって連中じゃない。それに比べりゃ私なんてカワイイもんよ」
「…………」
驚いた。
このひとにとっては、死徒より魔法使いのほうがカワイイらしい。
「それで、どうしたんですか、青子さん。なんかあたしたちがこの島に着いた頃から、近くに居ませんでした?」
姉がそれとなく本題を話し始める。
「んーっとね、他所様のキョウダイってのはどんな感じなのかなーって、観察してた」
「…………」
絶句。
「えー、あたしらなんか見てて面白いです?」
対して、姉は動じていない。ストーカーまがいのことをされておいてこの態度を取れるとは、流石である。
「面白いわよお。なんか姉貴は変わった兄妹とっ捕まえたみたいでさ。今どーなってんだか知らないけど、やっぱ姉と弟、とか、兄と妹ってのはおもろいわ」
「まあ、確かに僕ら、青子さんたちよりは仲良いですけど」
「でしょうね。じゃなきゃ同居なんて無理だわ」
「はは、青子さんと橙子さんが一緒に暮らしてたら、街がひとつ消えますね」
「そーね、試してみましょうか」
笑顔で右手をかざす青子さん。また口が滑ってしまった。
「あ、あの、ほら、外出ましょう、外」
「ん? 表出ろって?」
「ち、ちがいますっ。せっかくこんなとこまで来たんですし、観光しましょうよ」
「そうですねえ。お昼食べたんなら、どっか遊びに行きましょう」
僕の提案に姉も乗っかってきた。
「じゃ、潮干狩りをしましょう」
「へ?」
「へ?」
そんな姉と、声が重なった。
「なんでそんなもの」
「持ってるんですか」
姉と声を揃える。
会計を済まし、意気揚々と砂浜へ邁進する青子さんの手には、陽の光で輝く銀の熊手が握られていた。
「ここで貝やらエビやら獲るのが好きでねー。ここに来るときはゼッタイ道具持ってくるの。あ、人数分あるから心配しないでね」
ぽんぽん、と鞄を叩きながら、満面の笑みを浮かべる青子さん。
「はあ。四次元ポケットか何かですか、それ」
「あー、近いかもね」
「…………」
なんでもないように言うけれども、それを冗談だと笑って飛ばせないのがこのひとの恐ろしいところである。青子さんなら四次元ポケットのひとつやふたつ、持っていてもおかしくない。
堤防にさしかかり、青子さんの足が止まった。
「うんうん、いい感じに引いてるわね」
ちょうど干潮の時間らしく、ずいぶんと潮が引いていた。広大な浜辺では、既に数十人のお年寄りががもりもりと潮干狩りを実行し、浜辺に埋まる貝という貝を掘り出している。
「貴方達、潮干狩りくらいはやったことあるでしょう?」
青子さんは腰に手を当て仁王立ちしている。その姿勢のまま、首だけをこちらに向けて尋ねてきた。
「僕はまあ、小さい頃に何度か」
「あたしは、ないです」
「あら、そうなの? せっかく島育ちなのに、もったいないわね」
「……海、嫌いですから」
口を尖らせて、姉が言った。
「……それは、どうして?」
そんな姉に、青子さんは優しげに問いかけた。
「それは、その。……ちっちゃい頃からいつも身近にありすぎて、潮の匂いとか、海の色とか、苦手、なんです」
青子さんは澄んだ目で姉を見据える。その目を直視しないよう、姉は目を逸らす。
「ふうん。それは仕方のないことかもしれないけどね。でも、今はどう?」
「え」
僕の隣で、きょとん、とした顔を浮かべる姉。
「…………まあ、その。悪くは、ない、です」
「うん、そうでしょう」
姉のその言葉に、青子さんは顔をほころばせた。
「結局人間っていうのはね、自分の根っこに戻ってくる生き物なの。どんなにそれが嫌いなことでも、どんなにそれが辛いことでも、ヒトは皆、根源へと戻りたがる。きっと人間っていうのは、そういうふうに出来ているんでしょうね」
「そんなもの、ですかね」
「そんなものよ。古巣が一番ってこと。……さ、潮干狩り、しましょ」
青子さんは未だ嫌そうな顔を浮かべる姉を無視し、それどころか手を取って浜辺へ邁進し始めた。
姉は引きずられながらぶつぶつと文句を言っているが、抵抗する気はないようである。それを確認し、二人のあとを追う。
―――さっきの青子さんの言葉は、なんとなく、青子さんらしくない気がした。
このひとは戻るべき場所より、進むべき場所を重視するひとだと思っていたのだ。
昨日よりも明日を。
此処よりも此先を。
過去よりも未来を。
そういう、未だ見ぬ明日を楽しむひとだと思っていた。
「何か、あったのかな」
どうせ、訊いたところで、何も教えてはくれないだろうけれど。
なにせ、それ以外の点では、この魔法使いは何一つ変わっていない。
纏う空気も、紡ぐ言葉も、その足取りも。
一年前に会ったときから、いや、それよりもずっとまえから。
彼女は既に完成された魔術師のようでもあり、それでいてまだ発展の余地はあるようでもある。けれど、当の本人がこれ以上発展しようとしていない。
無限の可能性を持っているようで、自らの限界を見据えているのか。
数多の過去を識ることで、其の先すらも識ってしまったのか。
魔法というものは、それほどまでに重いのか。
「おうい、功介。置いていくぞう」
青子さんの声で我に返ると、彼女は左手に姉の手を持ったまま、右手に持った熊手をぶんぶんと振っていた。
「危ないですよ、青子さん」
そう言うと、何故か彼女は口を尖らせた。
「ねえ、名前で呼ぶの、やめてくれないかなあ」
「へ? ……ああ、そうでしたね」
青子さんは、「あおあお」と続く自身の名前を嫌っている。なので、「青子」と呼ばれるのが嫌いなのだそうだ。
「それじゃあ、なんて呼べばいいんです」
「んー? そうねえ、何がいいかしらねえ」
ずんずんと砂浜を進みながら思案する青子さん。しずしずと続く姉は、だんまりを決め込んでいる。
「……いつだったか。先生、なんて呼ばれたこともあったっけ」
ふと思い出したように、彼女は言った。
「先生、ですか」
「そう、先生」
空を眺め、懐かしむような顔を浮かべる。
これもなんとなく、青子さんらしくない、気がする。
「それはなんか、抵抗があります」
「でしょうね。まあ、別に青子でもいいかな。そんなことにまで目くじら立ててたら、キリがないものね」
「…………はい」
「青子さん」
がっしゃがっしゃ。
「ん? どうかした、功乃」
ざっくざっく。
「いえ、その。青子さんは、潮干狩りが得意なものだと思っていました」
ばしゃばしゃ。
「私、得意だーなんて言ったっけ」
ぼりぼり。
「いえ……」
さくさく。
「いわゆる下手の横好きってヤツね。別に山程獲ったところで食べられやしないし、こうやって土を掘ってるだけで楽しいのよ」
ずり、ずり。
「そういうものですか」
じゃかじゃか。
「そういうものです。…………お、あった」
ぽちゃん。
潮干狩りによって得た戦利品を片手に、家路を歩く。
右手のポリ袋の中には、あさりのようなものが五つ、小エビっぽいものが三匹か四匹。青子さんはこのあさりのようなものを二つ獲り、後は全部僕が掘り当てたものだ。
「あー、楽しかった」
「それは、なにより、です」
青子さんは満足気で、姉は満身創痍といったところ。
別に体に傷を負ったわけではないけれど、主に精神面で疲れたようである。
「姉ちゃん、大丈夫?」
「うん、ちょっと、潮の匂いにやられただけ」
声色とは裏腹に、顔色は悪くない。ただ疲れただけのようだ。
「トーコさんはやらなさそうですね、潮干狩り」
やれやれ、なんて続きそうな声で姉が話す。
「ゼッタイやんないわね。魔術品が埋まってる、なんて言ったらやりそうだけど」
「浜辺に埋まる魔術品、ですか。なんか、ありそうですね」
「ロマンチックでしょう」
「メッセージボトルみたいです」
「お、いい例えね功乃。うん、今度潮干狩りやるときは、宝探しもやろうかしら」
「あはは」
笑う姉。
姉は、海が嫌いだったはずである。
けれども。
「また、やりましょうね、功乃」
「はい、青子さん」
どうも、克服できたらしい。