地の文と会話文の乖離感が凄いです。やりすぎたかも。
梅雨は嫌いです。
私は小さな頃から海辺で暮らしてきたのだけれど、そのおかげでイヤというほど水を見てきました。
潮の匂い、雨の匂い、プールの匂い。水の匂いは、みんな大嫌いです。
そして、忌むべき梅雨が今年もやってきたのです。
「嫌になるわあ」
畳に転がる。これは、じっとりとした空気から少しでも逃れるための秀逸な手段です。けれど、それを弟は「ねーちゃんはやっぱバカだよね」などと、ひどいことを言うのです。
「嫌になるわあ」
「ねーちゃん、三秒間に二回同じ事言ったよ。凄いな」
「うっせー」
うるさい弟に、枕にしていた座布団を放り投げてやりました。
「ぶへ」
何やら本を読んでいた弟はそれに気付かず、顔面に座布団を被弾し、仰向けにごろん、と転がって、大の字になっています。
「どーだ、まいったか」
「ぐわー、……こりゃ、結界、直せないなあー」
「それはこまるっ」
慌てて弟から座布団をどけてやる私。なんと優しい姉でしょう。
「ゲンキンすぎるよ」
そんな私に対して、なんてひどい弟でしょう。
「補修、どこまでできたの?」
「魔力殺し以外は大丈夫だよ」
「以外はって、そこ一番大事じゃない」
だらしない弟をぺしぺしと座布団で叩いてやると、なんだかごにょごにょと弁解の声が聞こえてきました。
「だって、いろいろ材料も要るし、手間だってかかるし、雨だし」
「雨かんけーないでしょ」
「あるよう。陣が刻みにくいじゃないか」
「あー、確かに」
「だからしばらくはこの家でも、あんまり魔術は使わないようにね」
「どーせ全然使ってないよ、あたし」
そう言うと、ふと弟が何かを思い出したような表情をしました。
「そーいやねーちゃんさ、昔ルーンやってなかったっけ」
「え? うん、高校の頃かな」
懐かしい。あれは高校二年生のころ、クラスで「ルーン占い」が流行っていたときのことでした。
女子高生の好きなモノといえば、いつの時代もイケメンと占いです。私もご多分に漏れずその二つが大好きで、ルーンが流行ったときもその流れに全力で乗っかりました。
そしてルーン文字が魔術にも転用できることを知り、「これはやらねばなるまい」と、独自に鍛錬を始めたのです。
占いに魔術的要素を盛り込んで精度を上げたりするのは序の口で、ありとあらゆる魔術をルーンで行えるようにしました。火をつけたり、凍らせたり、結界を張ったり、あの頃はなんでもかんでもルーンでやっていたっけ。当時好きだった男の子に近寄るべく、こっそりルーン魔術を使ったこともありました。
そんなふうに気ままにルーンを学べたのには理由があります。我が家の家督は代々男が次ぐのが通例らしく、私の代でも弟が当主になると、既に決まっていたので、私は好きな様に魔術を研鑽できたのです。
宮本家の魔術特性は「防衛」。ありとあらゆる守護や加護が得意な家系で、ルーンとの相性も、まあ、なかなか悪くなかったのです。
私の作るルーンのお守りは効果絶大だという評判が、学校中に響き渡っていました。
「お守りとか作ってたなあ。コースケにもあげたっけ」
「うん、交通安全のやつ。結局効いたのかわかんないけど、事故はなかったね」
「ま、そんなもんよね。で、ルーンがどうしたの」
「うん、なんか父さんいわく、時計塔でルーンがめっちゃ流行ってるらしいんだ。で、お前もやっとけ、って」
「ほほう」
その話は私も聞いていました。どっかのすごい魔術師がルーンの基礎を作りなおして、他の魔術師もとっつきやすくなったとか。実際、私がルーンを研鑽できたのも、その「どっかのすごい魔術師」さんのおかげだったりします。
「そうかあ、とうとうコースケに魔術を教える日が来たかあ」
「そういえば、ねーちゃんから教わったことはなかったね」
この弟はなかなかできた弟で、姉であるこの功乃が手ずから教えずとも、父からの教えのみで私の努力の結晶やらナニヤラをすこーんと飛び越えてしまったのです。根が「防衛」の魔術向きのおっとりした性格で、魔術回路の質も量も私より少し上ということもあって、父も母も「功介が跡取りで良かった良かった」などと安心しているほど。
そういう私もそれと同じ気持ちです。だって、いまどき魔術とか、ばかばかしいじゃないですか。私は普通の女性として働き、そこそこカッコイイ男の人と恋に落ち、真っ白な教会で式を開き、専業主婦として生きていきたいのです。魔術師の跡継ぎなんてもってのほか、ノーマルなアヴァンチュールがほしいのです。
「……ねーちゃん?」
「はっ」
弟の声で我に返りました。危ない危ない。
「えと、はいはい。ルーンだっけ、いいよ、どんとこい」
「じゃあ、守護系のルーンだけ教えて」
その言葉にぴきりと反応します。
「ルーンを甘くみちゃだめよっ。呪いから加護まで、幅広くやってこそルーンを学ぶ価値があるんだからね」
「……はあ」
「じゃあ、とりあえず基本のルーン文字からね。ええーと、部屋にあったかなあ。見てくるね」
「うん、お願い」
弟のテンションの低い頷きを確認して、私は隣りにある私室に向かいました。
ぎしぎしと廊下を歩いてみると、なんだか「日本人だなあ」と再確認している気がします。それだけでも、この平屋に引っ越してきた甲斐があるというもの。
このあたりは平地で、海はおろか川も湖もない土地です。だからこそ、ここに住むと決めたのです。最初にこの平屋に立ち入ったときは溢れんばかりの時代錯誤感に面食らいましたが、慣れてしまえばそれはそれ、住めば都というやつです。
私の部屋は居間のすぐ隣で、居間の反対側には魔術工房、向かい側には廊下があり、その廊下の向こうに弟の私室があります。この和式の平屋では「私室」といっても大したものではありません。扉に鍵がかかるわけではないし、音は簡単に外に漏れます。それでも、こういった部屋がると安心してしまうのは、現代人だからなのでしょうか。曲がりなりにもプライベートな空間があると、そこでホッと一息つくことができます。
がらりとふすまを開け、私室に入ると、やっぱりなんだかホッとしました。
弟が気づいているかどうかはわかりませんが、私はとっても乙女です。「恋する」という文字がつかないのは、その相手が居ないからです。素敵な殿方がいらっしゃれば、晴れて私は「恋する乙女」に成ることでしょう。
その証拠に、部屋には百円均一で買い集めた可愛らしい小物がたくさん並べてあります。本棚にも、ぺたぺたとキッツィーちゃんのステッカーを貼っています。なのに、弟がこの部屋を訪れたとき「混沌」という単語を口にしたこと、それが忘れたくても忘れられません。
「ええっと、ルーンの本とか、持ってきてたかなあ」
がさがさと本棚を漁ってみますが、ケータイ小説やグルメ雑誌ばかりで、魔導書なんて一向に出てきません。
「あっ、これ、なつかしー」
と、出てきたのは、高校の卒業アルバムでした。
実家から引っ越してくるとき、「ホームシックになったら見よう」と思って持ってきたのですが、結局一度も開くことはありませんでした。私はホームシックになんてならなかったし、このアルバムそのものの存在も忘れてしまっていたのです。
「あはは、変な顔」
もう五年ほど前の自分の顔を見てみると、なんだか別人のように見えました。肉体的にはそれほど変わっていないはずなのに、どうしてこうも変わって見えるのでしょうか。髪型やメイクだけでは、こんなに変わらないと思うのです。
他のクラスメイトの顔も、今知っている顔とは違うように見えました。でも、同じ人だと認識することは出来ます。ぜんぜん違う顔だけれど、どこか似ている気がする。こういうのを、面影がある、というのですね。
「なるほどなあ」
ページをめくると、別のクラスのクラスメイトがずらりと並んでいました。その中に、何度も見た顔を見つけて、思わず頬が緩んでしまいます。
「やっぱかっこいいなあ」
私の好きだった男の子。同じ部活で、個人的に校内一のイケメンだと思っていたその顔は、今見ても「イケメン」だと感じられました。
「今、何してんだろ」
アルバムから顔を上げ、ほう、と息をつき、思いを馳せてみると、なんだか高校生の頃に戻ったような気がしました。
彼が何をしているのかはよくわかりません。高校の頃は良き友達で、それ以上になることはなく、また、私もそれでいいやと思っていたのです。
いま思い返してみれば、なんてもったいない。好きなひとが居るのなら、アタックするべきです。
むん、と胸を張り、「今度イイオトコ見つけたらとっ捕まえてやる」と決意した瞬間、アルバムから一枚のメモが落ちてきました。
「うん? ……こ、これはっ」
「コースケ、こんなんあった」
「…………」
金魚のように口を開けるマイ・ブラザー。
「その口にねじ込むぞ」
「すみませんっ。って、なに、それ」
「ルーン。高校の頃に一覧表作ったのが出てきたの」
手に持ったピンク色のメモ用紙をぴらぴらさせていると、弟が、明らかに疑いの色をその瞳に浮かべているのが見て取れました。
「作りは雑だけど、内容はホンモノよ。騙されたと思って、これを見てやってみれ」
ぺしん、と顔にそのメモを叩きつけてやると、弟がそれをおずおずと掴んだので離してやりました。
「うわ、多いな。何からやればいいの」
「え? そーねえ……」
弟が覗き込んでいるメモを、上から見下ろしてめぼしい物を探してみると、確かにちょっと文字が多い気がしました。
「確かに、一気に全部やるのはキツイわ」
「でしょ?」
「じゃー、とりあえず結界からでいいんじゃないの」
そう言って、三つのルーンを指差してあげます。
「エイワズと、エオローと、イングズで、いけるんじゃないかな」
「ええと……退去と、防御と、……豊穣?」
「ううん、この場合のイングズは、完了の意味。
「へえ、便利だね」
私の説明に、ふむふむと頷く弟。
「そーよ。ルーンって、いろいろ発展させやすいの。一つの文字でも、色んな意味を持たせてあげられるし」
「ふうん。これ、もらってもいいの?」
「あたしはもう覚えてるからいーよ。あげちゃうわ」
「ありがと。で、具体的に、どう使えば」
紙を見つめたまま、弟が真剣な表情で質問してきました。
「うーん……今の結界の起点って、敷地の四隅だっけ」
「うん」
「じゃあ、この家の床板をちょっとだけどっかから切ってきて、四枚刻んで、四隅に埋めとけばいいんじゃない」
「ね、ねーちゃん、なんかそれ、テキトーすぎない?」
「結界そのものはうちの魔術使って張るのよ。あくまでルーンは補助というか、サブエンジンみたいな」
「あー、なるほど」
今の説明だけでわかったようで、それきり弟は黙りこんでしまいました。
「……できそう?」
何か誤解してないか不安になり、つい、聞いてしまいました。
「…………さてはねーちゃん、やったことないな」
「ぐ」
思いもよらぬカウンターを受けて、言葉が一瞬途切れてしまいます。
「あ、あるわよお。でも、家全体なんて、でっかいのは、その……」
「まあ、そこはなんとかするから。他のルーン、後で教えてね」
そう言って立ち去っていく弟。
やはり、魔術に関しては、弟は優秀です。
部屋には、よよよ、と崩れる私と、それを慰めてくれるキッツィーちゃんのキーホルダーだけが残りました。
そして翌日、結界を探ってみると、綺麗なルーンの結界が張られていました。
昔に私が張った、自分の部屋だけの小さな結界と比べて、何倍も大きいのに、とても緻密で、繊細な魔力殺しの結界。
「すげー」
これならば、宮本家も安泰というものです。
なんだか私も嬉しくなって、その日の仕事はとても順調に終わりました。
いいことをすると、いい気分になるのですね。