まほよ2、まだですかね。まだですよね。
月リメのほうが先ですよね。
梅雨がそろそろ明けそうです。
そんな折、珍しく、父からメールが届きました。
魔術師の当主が携帯電話でメールをするなんて、時計塔の人たちからすれば卒倒モノなのでしょうけれど、我が家はそんなこと関係なくスマートフォンやらパソコンやらをフルに活用し、この情報化社会を謳歌しています。
メールの内容は父らしい、シンプルな一文。
『あの人形師さんが近々来日するらしいから、留意しておきなさい』
こういったメールは跡継ぎの功介に送ってください、と返信しておきました。
けれど、わざわざ私に連絡したということは、きっとこの平屋にも遊びに来るかもしれないからなのでしょう。
今日は土曜日で、珍しく私は会社がお休みなのですけれど、弟は臨時講義に行ってしまってひとりぼっちです。
「コースケに話すのは、帰ってきてからでいいよねえ」
布団の上で向かい合ったキッツィーちゃんのぬいぐるみに問いかけ、そのアタマをうんうん、と動かします。
「橙子さん、かあ。最後に会ったのいつだっけ」
ぽふ、と布団に寝っ転がり、記憶を紐解いてみますと、それは高校三年生のことでした。
「ええと、高三っていうと、十七だっけ、あ、十八か。じゃー、今二十三だから、あー……、ちょうど五年前?」
随分と年月が流れたものです。
橙子さんは兎にも角にも強烈なお方で、その印象たるや、五年前の記憶ですら、まるで昨日のことのように思い出せるほど、鮮烈なものでした。
当時、花の女子高生だった私。
学校へは実家から通っていましたが、フェリーに乗って通わなければならないため、登下校がなかなか苦痛だったのを憶えています。
その船での移動の合間に、コツコツとルーン文字について勉強していました。
魔術としての勉強というよりは、占いやお守りとして、それぞれの文字のもつ意味やその使い方を知る、というものです。魔術の研究をフェリーでするわけにはいきませんから、そういった意味を家の外で勉強し、家に帰ってそれを実践する、というのが日課でした。
弟が宮本家の後を継ぐ、と決まったのは、確か功介が小学校に上がったころ。潜在的な魔術師としての資質が私より優れていたから、功介を選んだ……のではなく、単に弟が男の子であったから。私もそれを良しとして、気が向けば魔術の勉強をするという、魔術師ではなく「魔術使い」であることを選びました。
宮本の魔術刻印も、既に功介が全て受け継いでいます。と言っても、我が家の魔術はそのほとんどがテンカウントによる大詠唱を要する防衛術なので、弟の魔術刻印はそれらを記憶しておくだけのメモリーカードみたいなもの。一般の魔術刻印は魔術を
私にはよくわからないことだし、どうでもいいのでよく覚えていません。とりあえず私は、基本的な防衛魔術だけを護身用に教えてもらいました。これは後々わかったことですが、この「基本的な防衛魔術」だけでも、なんだかとってもスゴイものなのだそうです。
そんなこんなで、我流でルーン魔術を研鑽していた、十八歳の私。
そしてその夏に、彼女
AO入試を使ったので、夏休みに入る前から私の進路は決まっていました。
夏休みが始まって、必死に受験勉強を始めるクラスメイトを尻目に、私は高校生活最後の夏をエンジョイしてやる、と意気込んでもりもり朝ごはんを食べていました。
外ではもう蝉が鳴いていますが、朝のうちはまだ涼しく、大きく開けた窓からは冷たい朝の風が吹き込んできます。
キッチンで洗い物をする母と、私と向い合ってテーブルにき、ご飯を食べる弟。
そんなのんびりした雰囲気の居間に、父が慌てて駆け込んできました。
「おお、ここに居たか。まずいことになったよ、母さん」
「どうしたんです」
母はいつでもおっとりしています。功介の絶妙なおっとり具合は、きっと母由来のものですね。
「確か橙子さんが来るの、明日だろう?」
「ええ、そうですよ。どうせいらっしゃるなら秋がオススメですよって言ったんですけど、そうしたらあのひと、『その時期は人が多いから危ない』なんて言うものですから」
おほほ、なんて笑う母に対し、顔面蒼白で話を続ける父。
「それと同じ理由で、明日、青子さんが来るそうだ」
がちゃん、と何かが落ちる音。見れば、母が手に持っていたらしい、泡のついたままのマグカップがシンクに転がっていました。
「そ、そんな。どうにかならないんですか。どちらかに日を改めて頂くとか」
「だめだ、遅すぎる。たぶん二人とも日本に入っている頃だろう」
「あのお二人が出会ったら、この島が焼け野原になってしまいますよ」
「そんなことになったら教会でも隠匿できまい。橙子さんは冷静な人だからそんなことはしないだろうが、ああ、でも、青子さんの事となると、あの人は冷静さを失ってしまう。ど、どうすれば、うああ」
「落ち着いてください、今冷静でないのはあなたですよ、平介さん」
慌てふためく父をなだめる母。
「こうなったら仕方ありません。せめて、あの離れに二人をお呼びしましょう」
「母さん、それは」
「宮本家はこの地を守る家でしょう。今こそ、その力を振るうべき時です」
しっかりしているようで根がふにゃふにゃな父に対し、母は、おっとりしているようで根がしっかりしています。我が家の当主は父ですが、それは母が居てこそ。母の陰ながらのサポートにより、宮本家は成り立っているのです。
こういう夫婦になりたいなあ、なんてぼうっとしていると、正面に座って一緒にご飯を食べていた功介の顔も真っ青なことに気付きました。
その顔を見て、事態の深刻さを知りました。
蒼崎姉妹といえば、とにかく優秀な魔術師です。姉の橙子さんは封印指定を受けるほどの人形師でありルーン使い、妹の青子さんは嘘か真かあの「魔法使い」で、通称マジック・ガンナー。そしてなにより、その姉妹仲の悪さはとりわけ有名です。
ひとたび顔を合わせれば、回りを巻き込み殺しあう。
曰く、古びた校舎を粉々にした。
曰く、
何があったのかは知りませんけれど、とにかくこの二人が顔を合わせることがあってはならない、ということは、魔術協会に属している魔術師ならほとんどが知っていることです。
勿論宮本家もそのことは知っており、この二人が揃って来日することがないよう、あの手この手を使ってきました。母が言うには、聖堂教会の手を借りたことすらあったとか。
蒼崎姉妹は、教会と協会が手を結んでしまうほどの脅威というわけです。
そして、その脅威が、二人揃ってやってくる。
「功介、飯食ったら、離れに行け。霧散の術は使えるな」
「出来るかなあ」
「やるしかない。父さんと母さんは、先に家の周りの結界から強化しておく」
言うが早いか、父と母は二人揃って居間から飛び出してしまいました。
「……あたしは、どうしたらいいかな」
存在を忘れられている気がして、しょぼん、と弟に問いかけてみました。
「ねーちゃんは、二人を説得するんだよ」
がつがつと白米を口に放り込みながら、なんでもないことのように言う弟。
「出来るかなあ」
「やるしかないよ」
「あれ、なんかデジャヴ」
「そうだね」
結局、翌朝から私は本宅の私室に閉じ込められてしまいました。
「いいか、これから来るのはお前の知っている橙子さんと青子さんじゃない。殺し屋と、壊し屋だ。どちらかが帰るまで、お前はここに居てくれ」
父の言いつけに従い、自分の部屋でしょんぼりしていると、離れからこの世のものとは思えぬ音が轟きました。
雷鳴のような。
砲撃のような。
爆撃のような。
幾度も幾度も繰り返されるそれにふるふると怯えていると、唐突にそれが止んでいたことに気づきました。
結界を張っていたはずのふすまが、するすると開かれていきます。
「やあ、ひさしぶり、功乃ちゃん」
そこには、父の表現で言うところの、『殺し屋』がいました。
どういう経緯かわかりませんが、青子さんはこの島を去り、橙子さんがしばらく滞在することになったそうです。
「いやー、あのバカ、こんなところでも手を出してくるとはな」
メガネを取った橙子さんの服はあちこち焦げて、ところどころ破れていました。
「大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫だよ。しかしこの家の結界は凄いな。離れ、まだあるぞ」
そういって、窓の外を指差しました。つられてそっちを覗き見ると、黒い煙を上げる離れがありました。屋根が半分吹き飛んでいますが、一応原型はとどめています。火は消えているし、崩落もしないようです。
それを見ながら橙子さんは、ふうむ、と考えこんでいました。
「単純な防衛の魔術だけではないな。
「あ、それ、たぶんコースケの魔術です」
「あの坊やが? まさか」
「昨日の朝、父が言ってたんです。コースケに、むさんのじゅつ、っていうのを使うようにって」
「……霧散の術か。面白いな、それはもう固有結界に近い。それをあの坊やが使う、と。まだまだ、現代の魔術師も捨てたものではないらしい」
そう言いながら懐をごそごそやる橙子さん。
「あ、煙草はダメですよ」
「そうか。では、居間で吸わせてもらうとしよう」
どっこいせ、と畳から立ち上がった橙子さんの視線が、私の本棚に止まりました。
「おや、ルーンをやっているのか」
「へ? あ、ええ、はい。高校で流行ってるんです、ルーン占い」
「ああ、なるほどなるほど。……若いなあ」
何かツボに入ったらしく、くくく、とお腹を抱え込んで笑っています。橙子さんとは何度かお会いしていますが、このひとの笑いのツボが未だにわかりません。
「よし、じゃあ、離れを壊しちゃったお詫びをしよう」
「お詫び、ですか?」
「ああ。ここでひとりで待っているのは怖かっただろう。がんばった功乃に、私がルーンを教えてあげる」
「ほ、ほんとですかっ」
「勿論。今夜から二晩ほど、ここで宿を取らせてもらうことになったから、夜になったら教えてあげよう」
信じられないことです。
あの橙子さんから、直々にルーン魔術を教えてもらえるなんて。
「ありがとうございますっ」
「うむ。では、一服したら戻ってくる」
「はい、お待ちしてます」
颯爽と立ち去る橙子さんに深々と礼をしました。
そしてそのあと、橙子さんは本当に私にルーン魔術を教えてくれました。
何もかも我流で、ずさんだった私のルーンは、橙子さんとの二晩で別物のように洗練されていきました。
あっという間の二日間。
このときだけは、帰ってしまったのが青子さんで良かったなあ、なんて、思ってしまいました。
ちなみに、それ以来どういうわけか姉妹揃って宮本家を訪ねてくるようになったらしく、その度に家のあちこちが壊されているとか。
でももうその翌年から大学に進学し、この平屋で一人暮らしを始めた私には関わりのないことです。
ただ、以前帰省したとき、私の隣の部屋の壁がごっそりと削れていたので、弟に結界を張ってもらうよう頼むことになりました。
「もう五年かあ」
それ以来、橙子さんとは会っていません。
青子さんはちょうど去年、弟がこの平屋に引っ越してきた直後に遊びにいらっしゃいましたけれど、橙子さんは世界を飛び回ったり、そのへんに隠れたりと、いろいろ忙しいそうです。
私は橙子さんと仲良しで、弟は青子さんと仲良しです。そのことについて青子さんは「似た者同士ってことよね」なんてことを言ってましたが、何を以って似た者同士と言っていたのか、今度会ったら問いつめないといけません。
玄関から鍵を開ける音が聞こえてきました。弟が帰ってきたようです。
この報せを聞いて、弟はどんな反応をするのでしょうか。
少し、楽しみです。