魔術師見習いの暮らし方   作:ゲンダカ

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五話です。
青子をしっかり書くのは初めてです。
たぶんこんな感じだった……ような……。


五話 姉

「な」

 その言葉によるあまりの衝撃に、持っていた湯のみを落としてしまった。

 姉は腹を抱えて笑っている。よほど僕の反応がツボに入ったのか、畳をばんばんと叩きはじめた。

 先ほどの姉の言葉が、頭のなかでリピートされる。

『橙子さんが来るらしいよ』

 蒼崎橙子は、封印指定を受けるほど優秀な魔術師でありながら、電子機器を使いこなす立派な現代人である。

 ただ、僕としてはあの姉妹喧嘩が完全にトラウマになっているので、できればあまり会いたくないのだ。

 特に、橙子さんとは。

 

 

 

 あの夏の、姉妹喧嘩の日のその前日。

 僕は父に言われた通り「霧散の術」を離れに展開し、あとは魔力を流し起動するだけ、という状態にしておいた。

 その準備だけで日が暮れてしまうほどに時間がかかったが、今までで一番早く仕上げられた。この術を身に付けてすぐのころは三日ほどかかったものだ。

 父と母による強力な守護の結界も張られた。そもそも離れは我が家の魔術工房で、元から幾重にも結界が張られているのだ。

 魔術的な結界だけでなく、物理的にも結界になるような構造をしているので、中で暴れても外に被害は出ない。

 だが、相手はあのミス・アオザキ。一般の魔術師とは格が十段階くらい違う。霧散の術も果たして効果があるか怪しい。

「この屋敷は最悪全壊しても構わんから、いざとなったらお前は自分の身と島を守れ」

 父はそれだけ言って、僕を寝室へ追いやった。

 

 

 そして、翌日。

 姉は父による結界で部屋に閉じ込められた。姉の部屋は離れからは距離があるので大丈夫だろうが、念には念を、ということらしい。

 蒼崎姉妹がやってくるのは昼すぎ。それまでご飯をもりもり食べて、魔力を温存しておく。

 からんからん、と、屋根裏に仕込んだ鳴子の音が響いた。

「来たぞ」

 敷地内に誰かが来た合図だ。そして、この程度の音だと、まだひとりだけ。

 二人が全く同じタイミングで来たら万事休す……だったのだが、それは外れたらしい。

「母さんが離れに誘導してくれる。俺達は先回りして結界の準備だ」

 続いて鳴るチャイムの音と同時に、僕達も動き出す。母は玄関へ、僕と父は屋敷の裏から離れに回る。

「いらっしゃませ、青子さん」

 母の声が聞こえた。先に来たのは青子さんだったらしい。

「今日は少し客間を改築しておりまして。父と息子が離れに居ますので、そちらで少しお話をしていただけたらと、はい」

 二人分の足音が離れに近づく。

「ええと、こーすけくん、でしたっけ。今、何歳ですか?」

「息子は今年で十四になります」

「えっ、ほんとですか。うわあ、あの子ももうそんなトシかあ」

 からからと、戸が開いていく。

「いらっしゃいませ、青子さん。こんなところにお呼び立てして申し訳ありません」

 父と並び、正座して出迎える。青子さんはいつもどおり、白のTシャツに青のジーンズ、そして大きな鞄をひとつ抱えている。

「いえ、こちらこそいきなりですみません、平介さん」

 と。

 がらん、がらんと鳴子がものすごい音を立てる。

「うひゃあ、これ、何の音ですか」

「探知の結界です。……青子さん、今からとあるお客人がここにいらっしゃいますが、どうか、どうか平静を保たれますよう、お願い申し上げます」

 父が青子さんに平伏している。僕もそれに倣う。母は駆け足で玄関に向かっていた。

「私は誰かれ構わず怒ったりしませんよ。ですから、そんなことしないでください」

 

 果たしてその言葉はまことであったかどうか。

 かくして、宮本家の最大の危機が始まった。

 

「おい、お前、なんでここに居る」

「そりゃこっちのセリフよ。姉貴こそなんでこんなとこ来てんのよ」

「こんなところ呼ばわりとはまたシツレイな妹だ。まったく、お前みたいなのと会いたくないからこんな季節に来たというのに」

「それもこっちのセリフだわ。たまには羽根を伸ばそうと思ったのに台無しじゃない」

「お前は伸ばしてばかりだろうが。その羽根、縮めたことがあるのか」

「ありますぅー、縮めっぱなしですぅー」

「封印指定の執行部を襲撃したじゃないか。あれで羽根を伸ばしてないなどとよく言えたものだ」

「ぐっ、う、うるさい、姉貴だって似たようなもんじゃない」

「私は姿をくらますだけだ。自分から喧嘩を売るような下衆な真似はしない」

「こないだ喧嘩売ってきたじゃないの」

「あれはお前から仕掛けてきたんだろうが」

「違うわよ」

「違わないな」

 

 なんと見苦しい姉妹喧嘩か。

 どういうわけか二人とも、以前会ったときと変わらぬ見た目であった。

 まるで二十代のような若々しさだ。

 

「というか何だお前、その格好は」

「は? いつもどーりですけど」

「違う、眼鏡だ。なんでそんなものをつけている」

「ああ、これ? 変装ですけど、何か」

「何か、じゃない。完全に私の真似だろう」

「そうですけど、何か」

「…………」

 

 来るぞ、と父がつぶやく。

 蒼崎姉妹は、互いにもう言葉も無いらしい。交差する視線が、ちりちりと火花を散らしている。それは比喩でなく、僕の目が確かなら、本当に火花が散っている。

「お二方とも、どうか落ち着いてください」

 母がすこし遠くからなだめにかかる。

 が、もう耳に届いていないようだった。

「功介、やれ」

 父の指示が下る。

「……散開(scatter)

 言霊とともに、術式を起動する。

「このクソ姉貴ッ」

 青子さんの右腕が上がる。

「やかましい。言葉まで品が無いなお前はっ」

 橙子さんの左腕も上がる。

「喝っ」

 父も守護の結界に魔力を注いでいる。

 それを確認して、手元の陣の中に置いた石を動かす。

 離れ一帯の魔力を操作し、中心にいる姉妹から、父と母に集中させる。

「ありゃ?」

 青子さんの右腕から、青い魔弾が放たれる。

「うん?」

 それを橙子さんのオレンジのルーンが相殺する。

 ぱこん、と、小さな音。

「……どゆこと?」

 青子さんはきょろきょろと周りを見渡しているが、橙子さんは違った。

 僕と父のことを一瞬見て、再度視線を青子さんに戻す。

 どうやら大源(マナ)の異常に気づいたらしい。流石は封印指定だ。

 橙子さんの炎のルーンが飛びかかる。今度は大きい。自らの魔力(オド)だけで放ったにしては強力だ。

「こんなもんっ」

 青子さんがそれを複数の魔弾で相殺する。ずががが、とすさまじい轟音を立ててぶつかる魔力の塊。

 僕の術が操作できるのは、あくまで結界の中の大源(マナ)だけだ。魔術師の体内の小源(オド)までは操作できない。

「ええい、なんかよくわかんないけど喰らえーっ」

「状況把握もできんのか、この無能っ」

 なので、あとは眼前の魔術師が魔力を切らすまでひたすら耐えるだけだ。

 僕の術に抵抗して集まろうとするマナを、必死に散らす。父と母も、額に汗を浮かべたまま必死の形相で結界を維持する。

 結局、半刻ほどその姉妹喧嘩は続いたのだった。

 

 喧嘩は橙子さんの辛勝で終わった。

 有する魔力量は互いに差はないはずだったが、橙子さんのルーンのほうが、なぜか少しだけ青子さんの魔弾より威力があった。

 なので青子さんは魔弾よりも体術による近接戦に持ち込みたかったらしいが、橙子さんのルーン魔術がそれをさせなかった。

「おぼえてろー」

 ジーンズの裾を燃やしたまま、穴の空いた天井からぴょーんと飛び去る壊し屋さん。

 溜息をつき、術を解く。全力の霧散の術のおかげで僕の魔力はすっからかんであった。

 ぱしゃん、と、見えない壁が崩れた。両親の結界も解かれたらしい。

 離れは天井が半分壊れ、入り口も粉砕されたが、柱に大きな損傷はなかった。これならまだ直すこともできるだろう。

 離れの外には魔力の一滴すらこぼれなかったはずだ。防音の結界や探知の結界は壊れてしまったが、他の守護の結界はなんとか持ちこたえた。

「すみません平介さん。大丈夫ですか」

 どこから取り出したのか、眼鏡を掛けた橙子さんが父に近寄る。

「ええ、大丈夫です。離れにお呼び立てした理由、わかっていただけましたか」

「はい。さすがは守護の家ですね、被害をここまで抑えるなんて」

 部屋をくるりと眺めた橙子さんが、首を傾げる。

「あら、娘さんはいらっしゃらないんですか」

「功乃ですか。あいつは巻き込みたくなかったものですから、自室で待っているよう言いつけてあります」

 その言葉に彼女は顔をしかめた。

「それは悪いことをしました。怖い思いをさせたかもしれません、顔を見に行っても?」

「ええ、ええ、それはもう。お願いします、橙子さん」

 よろよろと母が近寄り、去っていくその背にお辞儀する。

 それが僕が見た、橙子さんの最後の姿であった。

 

 

 

「橙子さん元気かなあ」

 姉は笑い疲れたのか、呼吸を整えながらお茶を飲んでいた。

「コースケには言ったっけ? あの喧嘩のあと、橙子さんにルーン教えてもらったのよ」

 えっへんと胸を張る姉。

「え、ほんと? すごいじゃん」

「でしょでしょ。高校でルーンが流行ってるんです、って話したら教えてくれたの」

 その言葉で、あの日以来の謎が解けた

「ああ……、あのときの橙子さんのルーン、なんか調子よさげだったのは、そういうことか」

「ん? どゆこと?」

 せんべいを手に取った姉が尋ねる。

「たぶん、ねーちゃんの高校でルーンが流行ったおかげで、ルーンの魔術基盤が強まってたんじゃないかな」

「そんなもんで魔術が強くなるもんかい」

「事と次第によっては、なくはないと思うな。あくまでビミョーな底上げだろうけど、そのちょっとの差で青子さんに勝ったんだと思う。ほとんど引き分けだったけどね」

「へえ、すごいのねえ、流行りって」

「魔術ってのは信仰と関係してくるからね」

 納得し、お茶を飲む。

「あーあ、あれがもう五年前だっていうんだから、びっくりしちゃうわねえ」

 なんでもないことのように言う姉に、違和感を覚えた。

「五年?」

「そーよ、五年よ。あたしが高三のときだもの」

 ばりばりとせんべいを食べる姉を尻目に、頭のなかで計算してみる。

「…………ねーちゃん、あれは六年前だよ」

「へ? だってあたし今、二十三よ」

「あなたはこの夏で二十四でしょう」

 ぴたり、と、姉のせんべいを食べる動作が止まる。

 僕の声でも、姉の声でもない。

 誰かの声が居間に響いた。

「じゃーん、来ちゃった」

 がらっと開く居間のふすま。

 (くだん)の人形師が、片手を大きく掲げて立っていた。

 

 

 

「おっ、良い反応。驚かせた甲斐があるわ」

 侵入者である。

 急ごしらえとはいえ、この平屋の探知の結界をくぐり抜けるとは。

「わあ、トーコさんだあ。いらっしゃいませ」

 腕は鈍っていないらしい。

 加えて、その外見すら衰えていなかった。

 本来ならとっくに四十路であるはずの蒼崎橙子は、どういうわけか二十代、それも前半の見た目のままだ。胸元をすこしはだけさせた白いシャツに、細いレザーパンツ。服装も若々しい。ブラウンの髪の毛は、何故かすっぱり短くなっていた。

「ひさしぶり、功乃ちゃん。元気そうね」

「もっちろん。橙子さんも相変わらず若いですねえ」

「当然よ。……功介くんも、ひさしぶり」

 眼鏡を掛けた橙子さんの視線が、僕に向かう。

「あ、はい、お久しぶりです」

 優しい視線に返事を返す。

 僕が橙子さんに苦手意識があるのは、あの派手な喧嘩のせいではない。

 当時は知らなかったことだが、蒼崎橙子という魔術師は、眼鏡の有無で性格をスイッチしている。

 眼鏡を掛けているときは女性的で、眼鏡を外しているときは男性的。

 どういう魔術かわからないが、そうやって外的人格を切り替えているのだそうだ。

 僕は小さな頃から、眼鏡を掛けた橙子さんしか知らなかった。

 なので、あの日の眼鏡を外した橙子さんのことが、とても怖かったのだ。

「功介くんとは、喧嘩のあと会ってなかったわね。ごめんなさいね、派手なことしちゃって」

「それは、いいんですが、その」

「うん? なあに?」

「……眼鏡は、掛けたままでお願いします」

 湯のみに手をかけたまま、おずおずとお願いする。

「あら、功介くんは眼鏡フェチだったの?」

「違いますっ」

 あはは、と笑う橙子さん。と、姉。

 青子さんが言っていたっけ。似た者同士だ、って。

 全くもって同意見だ。

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