08/臆病者、頑固者、明日
初めて仲間を失ったとき、どんなことを思っていただろう。
抱えようのない無気力と失望が腹の中に沈んでいた。
いつかはこういう時がくると皆、いなくなった本人も理解していたはずなんだ。
一人減り、二人減り、三人減り……最後、すべてを終えたときに残っているのは何人だろうと考えていたことは覚えている。
そして願わくばその一人になりたいとも、信じてもいない神に祈っていた。
俺には"覚悟"が足りていなかった。
08/臆病者、頑固者、明日
遠くの空にカモメが飛んでいる。時折海面まで降りてきているので、きっとあの辺りに魚群がいるのだろう。沖まで船を出してルールーにサンダーでも撃ち込んでもらえば大量なのかな、と思う。まぁ、協力してくれるとは思えないけれど。
ルールーは水が嫌いだ。怖いとかそう言う理由ではなく、あの吸水性の良さそうなドレスが水に浸かるのを嫌っているからだ。他の服装でならどうってことは無いだろう。たぶん。
でも、別の格好をしている姿は
ジョゼでの『シン』討伐作戦から数ヶ月が経った。"彼"を探すのを手伝ったあの時以来、長らくワッカ、ルールーの二人とは言葉を交わして居なかった。
監視と称して俺の行動を見張っていたワッカは何かに追われる様にブリッツボールの特訓にのめり込み、最近は顔を合わせることも少ない。ルールーは時折に見かけたり、目が合うこともあるが、話し掛けてくることはなかった。俺としても
日課としていた寺院前での勉強や昼寝も今では場所を変えた。あまり人が寄り付かない、島の外れにある小さな広場が今となっては俺の憩いの場だ。
ぼんやりと、何をするでもなく海を眺める。
数ヶ月の間にスピラ語も随分上達したように思える。きっと今ならルールーの評価も悪くないものが貰える気がする。今だってそう、少し厚めの本――――スピラの童話集を読み終えたところだ。
古代の戦争から『シン』の誕生。
究極召喚の始まり"ユウナレスカ"とその夫"ゼイオン"の愛と悲しみの物語。
討伐隊の前身となる赤斬衆の祖"ミヘン"の艱難辛苦の旅路。
"ガンドフ"、"オハランド"、"ヨンクン"ら三人の大召喚士の伝説。
そして旅半ばで心折れた召喚士たちの自叙伝。
その他にもロンゾ族やグアド族等、様々な部族の伝承も載っていたが『シン』の関与しない話は一本もなかった。
「スピラは『シン』の
ビサイドとジョゼ。二つの地域しか知らない俺がスピラにおいて井の中の蛙である事は間違いない。しかし、『シン』の姿はそこから見える狭い空にすら垣間見える。
黒魔術師を総動員した作戦でも僅かな傷しか与えられなかったとか、近づいただけで圧殺されたとか、遠くを『シン』が通り過ぎただけで毒気にやられただとか……話に聞く巨大さと併せると、途方のない化物としか思えない。
そして、それは間違っていないのだろう。もしかするとそれでも甘いかもしれない。
罪にして罰。理不尽が過ぎる存在、『シン』とは一体何なのか。そう考える度にいつも一つの可能性を想像する。
俺がスピラに来た事に『シン』が関係するのではないか。
何の確証もないが、彼の存在のデタラメさを思えば全てが有り得るのでは、と思えてしまうのだ。
未だに帰還の見込みがついていないが故の
「テッセさん」
不意に背後から声が掛けられた。振り返れば、穏やかな表情でユウナがこちらを見下ろしている。
「その本、どうでした?」
「……うん。どれもためになる話だったよ。知らないことも色々出て来たし、読んで良かった」
「そうですか? 良かった。……本が読みたいって言われたとき、本当は少し困ったんです。私、魔法の教本以外はその本しか持ってなくて……それ、あまり楽しい話は載ってないから」
本を返すとユウナは大事そうに胸に抱えた。
「いや、本当に良かったよ。読んで分かったけど、それはちょうど"今"読むべき本だったんだ。スピラを知らない俺は特にね」
「………」
ユウナは返答に困ったようで、曖昧な笑顔を浮かべると無言で頷いた。自分でもこれ|仕方ないかなと思う。こう言うのも何だが、スピラの民にとって『シン』は身近な存在なのだろう。
俺にとっての台風や地震と同じように、危険度は桁違いだが彼らには『シン』があるのだ。知らない者の感覚が分からないのは当然である。
人伝いの言葉でしか知らず、実際の惨劇を見てもあまりの光景に実感が持てないでいたが、童話のやさしい言葉でこれでもかと表現された『シン』の恐怖を通して、漸くあの光景を現実として感じることが出来たのだ。
大量の亡骸、赤く染まった砂浜と地面、粉々に砕かれた銃器と剣。そして無数に漂い、空へと還る幻光虫。
この世界の人間は最期は幻光となり、肉体は残らない。しかし意思は残り、空から残された人々を見守ってくれているのだと言う。
――――俺はどうなるんだろう。
この身に幻光の関与しているところなど欠片も無い。
もしこの世界で最期を迎えたら、俺はどこへ行くのだろう。この話を聞いたとき、ふとそう思った。
「死んだ先のことはその時に考えようぜ」
昔先輩がそんな事を言っていたが……まぁ確かにそれ以外に無いだろう。今はまだ生きているのだ、死後のことなんて分かるはずもない。その時がくるまでは迷わず往けばいいのだ、と思う。
今までの俺にとって『シン』はどこまでいっても空想の存在に過ぎなかったのだ。それが実体を得たと言うか、空想から抜け出たと言うか……とにかく今頃になって、漸く俺はチャップの覚悟を正しく認識できた。
でも、まだ理解は出来ていないのだろう。
「アイツ凄えや」
「………はい。私も、心からそう思います」
誰を指しているかも察してくれたのだろう、ユウナは目を瞑ると海に向かって祈りを捧げた。――――確か、この方角の先にジョゼがあった。
何となくこの場所を選んでいたのだが、そうか、そうなのかも知れない。
やっぱり何処でだろうと、共有した時間が短かろうと友達は友達なんだ。そして友達が死んだら悲しい、これも当たり前だ。
「………」
「………」
あぁ、ずっと目を背けていてごめんなさい。でも、どうやらやっと受け入れることができそうだ。
祈りは捧げない。その代わりに一つ約束しよう。
絶対に、お前の事を一生忘れない。このスピラでの最初の友。俺にとって
(ありがとう、チャップ)
あの日から消えなかった鬱屈とした気持ちが、少しだけ薄れた気がした。
「ワッカ、居るか?」
入り口の幕を上げて覗き込むと、トレーニング中のワッカと目が合った。
「……テッセか、久しぶりだな。何の用だ?」
「ちょっとな。いつ頃旅が始まるのか、時期を教えてくれないか」
「時期ぃ? そんなもん、ユウナの仕上がり具合に因るからな……。ルーに聞かないことには、俺には何とも言えねえよ」
「そうか、分かった。じゃあな」
ルールーの所へ向かおうと頭を引っ込めると、「待てよ」と呼び止められた。
「渡すもんがある。ちょっと待ってろ」
そう言うとワッカは部屋の奥、チャップのベッドの下をごそごそとあさり始めた。
エボンの教典や昔借りたブリッツボールのルールブックなんかを引っ張り出した先に目当ての物を見つけたようだ。よっ、と掛け声と共に引き摺り出されたのは細長い布袋だった。
中身を確認するとワッカは袋を投げて寄こしてきた。
ズッシリと重量のある袋。口紐を緩めると顔を出したのは、薄汚れた無骨な柄だ。握り手の形に擦り減っている。
「これは……」
「チャップから、お前にだとよ」
ぶっきらぼうに言うワッカは不機嫌そうだった。
「その剣は今からお前のもんだ。お前なんかにゃアイツの物を一つだってやりたくねえけど、チャップから頼まれたんだ。戻らなかったら、お前に渡してくれってな」
「………」
袋から取り出し、抜剣して数回振るう。やはりよく馴染む。数回しか振ったことはないが、長年使っていたかの様だ。
剣を収めて、もう一度ワッカを見やる。
「本当に俺が貰っていいのか」
「いいんだよ。それはアイツの剣だった。俺が口を挟むことじゃねえ」
「……じゃあ、貰うぞ」
「お前……大切にしろよ! じゃねえとぶっ飛ばすからな!」
「当たり前だ!」
言い返すとワッカは、なら良いんだ、としかめっ面で大仰に頷いた。
そして不意に「あぁ」と声を漏らすと、棚にあったまた別の袋を寄こしてきた。中身は手持ちサイズの砥石とメンテナンス用のオイルだ。これを無くしては如何な名剣だろうとたちまち錆び付いてしまうだろう。潮風の強いビサイドでは尚更だ。
「そんだけだ。オラ、もう行け」
しっしっ、と追い払うように手を振るワッカに促されるままテントを出た。
暗幕を潜り抜けると同時に、カッと強い日差しが目に刺さる。
久しぶりに顔を合わせたが、嫌われたようだ。以前ならしかめっ面こそすれど追い払われることは無かったのだが。それでも予想していたよりも優しかった。
……ワッカはチャップがエボンに抱いていた思いを知らない。だが、俺との出会いがチャップの何かを変えたことは察しているのだろう。
もしかするとチャップが討伐隊に志願したのはそのせいだと思っているのかもしれないが、事実それを否定することは出来なかった。
俺からアイツに何かを求めた訳ではないけれど、それでも機械の有用性を語り、スピラの常識を持たない俺との接触を発端としてチャップがエボンに疑念を抱いたことは間違いないのだ。
これから久方振りにルールーに会いに行くというのに、気が重くなってしまった。弟を失ったワッカ、恋人を失ったルールー。そのどちらも持たない自分では、彼らの心境を想像しきれないし、理解なんて夢のまた夢だ。
ワッカはそれでも平常に近い態度で対応してくれたが、彼女はどうだろう。いつも冷静で穏やかな気質の彼女だからこそ、予想がつかなくて不安になる。
そろそろ昼時なので寺院に行けばルールーに会えるだろう。村の中央通りを行った先にある広場に来るのも久しぶりだった。
お目当ての姿が見当たらないのでくるりと広場を一周すると、木陰に敷物を敷いて座っているルールーを見つけた。
ユウナは席を外しているのだろう。木製の水筒は二つあった。
「ルールー」
「テッセ……久しぶりね」
「あぁ。久しぶり」
ぼうっと空を見上げていたルールーは、こちらに視線を落とすと、ふっと口元を緩めた。鋭い視線はいつものまま。声からも以前と変わらない穏やかさが感じられる。浮かべた笑みだって表面的には以前に見せてくれたものと同じものだった。
それだけでほんの少し不安が軽くなった。わざとそうしているのかもしれないけれど、それだって正面切って敵意を向けられるよりずっと良い。
ルールーはすくと立ち上がると、人形を敷物に残してこちらに歩み寄って来た。
そして一歩ほどの間を空けて立ち止まると、口元から笑み消して言い放った。
「歯を食いしばりなさい」
「………」
右手は高く構えられる。
……何らおかしくはない。大切な人が逝ったのだ。何もせずに黙っていられる訳がない。優しい人なら尚更、黙して耐えるなんて出来ないだろう。
辛い、苦しい出来事に直面したとき、人間は男女で対応の仕方が異なると言う。
女性は現実を受けとめ、堪えきれない分の衝動を吐き出すことで悲しみを振り切る。一方、男は一時的に現実から目を背けることで心の平穏を得ようとするのだと言う。
もちろん、一概に全員が全員これに当て嵌まる訳ではない。でも、今この場においてのルールーは当て嵌まっているのかもしれない。
彼女は間違いなく激怒している。それだけは確かなのだが、ならどうして偽物とはいえ俺に笑顔を向けたのだろう。チャップを失った原因は突き詰めて行けば俺に行き着くのだ。きっと自分だったら、彼女の様に少しでも笑ってみせることすら出来ない。
「……あらかじめ、これだけは伝えておくわ。私は、アンタを恨んではいない」
告げられた言葉に、こちらの心の中を見透かした様なその言葉に心臓が跳ねた。しかし同時にまた少しだけ安心した。
恨まれていない。これが心底真実ならどれだけ心が軽くなるだろう。彼女の言葉に嘘はないのだろうが、それを素直に言葉通り受け取れるほど自分も子供ではない。どんな理由であれ"死"の一端を担った者が、その"死"と無関係でなどいられない。否、そうであってはいけないのだ。
格好つけるなら、「人は誰しも自ら十字架を背負う」とでも言おうか。つまりは「自分の行いに責任を持たなければならない」のだ。
目を瞑り、歯を食いしばる。
「……頼む」
「―――ッ!」
同時に襲い掛かる大きな衝撃と痛み。小さな拳で頬を殴られる。
殴られた側の頬がじんじん痛むが、手で抑えはしない。それは何となく、
「……私はチャップがどうして剣をとらなかったかも知ってるし、その考えも解ってる。あれはチャップが決めたことで、アンタを怒るのは筋が通らないって、自分でも分かってるわ。理屈の上ではね。
でも一つだけ許せないのは、アンタが一度たりともアイツを引き留めてくれなかったことよ。……結局は認めた私に、そんな事を言う資格なんて無いでしょうけど」
「……いや、ルールーには言う資格がある。もっと言うなら、言ってくれなきゃ俺が駄目になってた。何も無しで済まされてたんじゃ、互いに心に凝りが残ってた筈だ」
「そう……」
「ありがとう。それと、ごめんなさい」
俯いていた顔を上げるとルールーはゆっくりと、ぎこちない笑みを浮かべた。こちらも無理やり笑顔を作るが上手く出来ているかはわからない。
ルールーは木陰の敷物を手で示した。
「ユウナが席を外してるけど、少し話していかない?」
「……喜んで」
久しぶりのお茶会は、この後戻ってきたユウナのおかげで大きな波もなく進行していった。表面上は和解し、儀式的な決着も着けたが、しかし本当の意味で分かり合い、許された訳ではない。
ふとした折に向けられるルールーの感情入り混じった視線から意識を外そうとも、何が解決するでも彼女の気持ちが晴れるでもない。
お茶を注ぎ、ちびりちびりと飲み、空白期間を埋める様に言葉を交わした。「喜んで」なんて言ったが、決して快い時間では無かった。以前の様に軽口でのやり取りがあるでもなし、何でもない場面でも言葉が詰まり、その度にユウナが場を取りなしてくれた。
それでも少し、ほんの少しだけわだかまりが溶けた気がした。
読んで頂きありがとうございます。
気になった点・良かったor悪かった点・感想・誤字報告など頂けると幸いです。
今回は話の落としどころを選ぶのが難しかった……納得頂けるものになっていることを願います。
追記:指摘を受け、終盤に違和感バリバリ覚えたので、最後をガッツリ変えました。