陰険性悪二十代後半年上インテリ系女子(ゲス)はヒロインになれるか? 作:水風浪漫
「痛って……」
「あら、おはようジャスティン君。歯でも痛いの?」
食堂で顔を合わせたジャスティンが頬を擦っていることに気が付いたアドルフィーネは、極々自然にジャスティンを気遣って見せた。
「あぁ、おはようございますアドルフィーネさん。いえ、大したことないんですけど、昨日のメディカルチェックの後から妙に顔が痛くて……」
「そうなの? 言われてみれば少し腫れてるかもしれないわね」
「耐えられない訳じゃないんですけど、ずっとヒリヒリしてて……日焼けしすぎた肌みたいです」
「日焼けって……貴方の肌真っ白じゃない」
突っ込むとジャスティンは焦ったように手を振った。
「いやっ、そんな事を人に聞いたんですよ。見知らぬ人に。」
「へぇ」
フェンリル本部周辺の外部居住区―――第一ハイヴは、他支部に比べても最大級だろう。それに準ずるのが極東支部だろうが、フェンリルにおける大半の権力者が集まっている本部の、"無駄"な豪華さや娯楽施設まで設置するようなことはしていない。
極東は対アラガミの最前線だ。必要不可欠な事以外に貴重な資源や資金をつぎ込むような余裕はない。所属する精強なゴッドイーターの保護を求めて年々移住者は増加しているらしいが、それでも本部には及ぶまい。
全支部中最大の住民数を誇る本部外部居住区には、多種多様な人々が暮らしている。その中には前時代、アラガミが出現する前の平和な時代を生きていた者もいるだろう。現代では話に伝わるばかりだが、海水浴では日焼けを楽しむこともあったらしい。
「そ、そうだ。早速今日から訓練に入るんですけど、何かアドバイスとかありません!?」
「アドバイス? 畑違いだから何とも言えないけど、神器を上手く制御するコツは焦らないこと、らしいわよ?」
「らしいって……」
「証明するデータとかは無いのだけど、過去のゴッドイーターから共通の証言がとれているの。極東の……確かクスノキとか言う技術者が論文を発表してたわね。内容が推測と飛躍のオンパレードだったから学会に一蹴されてたけど」
アドルフィーネ個人としては興味深い論文だった。神器使いの精神状態と何らかの連動性を持って神器の性能が向上したり低下するという話は考えてみればさほど不思議ではない。神器は剣や銃という形をとってはいるが、その実態は間違いなく生体―――生き物なのだ。意思を持っても不思議でない、と言うより持っている方が自然だとアドルフィーネは考えている。
神器を構成しているのは無限の可能性を秘めたオラクル細胞だ。ゴッドイーターに扱われる神器ともなれば捕食したコアやアラガミの数も野生アラガミとは桁違いだろう。
捕食すれば情報を得られる、情報が集積されれば進化する。従来の生物とは一線を画する進化速度こそがオラクル細胞の利点であり、人類にとっての致命的な欠陥だ。遠い未来、進化の果てに神器が知能を有する完全な人型を取る日も来るのではないか―――と、そこまで考えてアドルフィーネは笑った。
人間に限りなく近い神器―――アラガミでもいい。そんな"化物"が生まれた日には人類も終わりだろう。それに少なくとも自分が生きている内には確実に現れることはない。無関係の未来に思いを馳せるだけ無駄というものだ。
「ま、心構え程度に留めて置いて頂戴。何事も焦って良いことなんて無いのだから」
「心しておきます。ありがとうございました」
「さてと、私は先に失礼するわ。何か心配事や質問があったら遠慮なく頼って頂戴ね。私は貴方の『世話係』なんだから」
「はい、その時はよろしくお願いします」
それじゃあね、と軽く手を降って食堂を後にしたアドルフィーネが次に向かったのは本部の一角にある研究室だ。本部に設置されている数多くの研究室の中でも有数の規模を誇る此処は、神器やゴッドイーターに関する事柄を専門的に研究している。そう纏めてしまうと普通の場所に聞こえるが、その実態は人体実験すらも厭わない非人道的な手段による研究を行う部署である。
アドルフィーネが扉を開くと数人の研究者たちの視線が集まる。アドルフィーネが自分のデスクに腰を下ろすと、その内の一人が興奮した様子で近づいてきた。
「やあアドルフィーネ博士。その後どうだい、彼の様子は?」
「特に何もありませんよ室長殿。強いて挙げるなら、彼は家族―――孤児院で共に暮らしていた者たちに強い思い入れがあるようです」
「強い思い入れか……どこかで使えるかもしれないな。貴重な情報を感謝するよアドルフィーネ博士。今後とも彼に関することなら何でも良い、情報を期待しているよ」
「お役に立てて光栄です。今後とも励ませて頂きますよ」
室長と呼ばれた男が離れていくのを確認して、アドルフィーネは小さく舌打ちした。
(クソジジイがっ、この私に実験動物(モルモット)のお守なんてさせやがって……。良い気で居られるのも今の内だ。私が上に立った時は覚えていろ)
そんな内心の罵倒を微塵も表に出さず、コーヒーを作ってくれた同僚に感謝を述べて一口啜る。
昔は苦手としていたコーヒーだが技術者になってから、殊更この研究室に入ってからは世話になっている。深夜まで働いていると、眠気を飛ばすコーヒーは無くてはならない存在だった。今では個人的に希少な天然豆を購入するまでになっている。
飲みかけのコーヒーカップをソーサーに置くと、アドルフィーネは引き出しの鍵を開けて一冊の分厚い手帳を取り出した。ちょっとした思考や日々の愚痴が書き連ねてあるページを飛ばして、予定が書かれているページに目を通す。そこの書き込み少なくないが、ジャスティンの適合実験の前に比べたら格段に減っていた。今日の予定は午後から行われるミーティングだけだった。
時間を無駄にするのは利口ではない、午前中はなにをしよう。そう考えて不意にアドルフィーネの脳裏に浮かんだのは、昨日ジャスティンから預かったボロボロのジャケットだった。どこで洗濯したらいいのか分からないという彼に代わってアドルフィーネが預かったのだ。
昨晩洗濯に出したジャケットは、早朝には血の痕を一切残さずに彼女の部屋に戻ってきていた。ボロボロの傷跡はそのままだったが。
そこでアドルフィーネは思い付いた。あの傷跡を直して返却すればジャスティンからの評価が上がるのではないだろうか。アレは単なる実験動物(モルモット)だが信頼されておいて悪いことは無い。心を開けばより多くの情報が得られるだろう。
そうと決まればアドルフィーネの行動は早い。来て早々だが研究室を後にして、足早に自室へ向かう。その脳裏には既に完璧に修復された服を受け取ったジャスティンが自分に尊敬の視線を向けている光景が浮かんでいた。自然とニヤけてしまう。
来た道を引き返し、空中通路を横断し、エレベーターを三回乗り換える。そして自室に到着し、さあジャケットの修復に取り掛かろうとしたその時、アドルフィーネはある重大な問題に気が付いた。
(……私、ソーイングセット持ってなかった)
「痛っ……」
「あれ、おはようございますアドルフィーネさん。指どうしたんですか?」
食堂で偶然にもアドルフィーネと鉢合わせしたジャスティンは、彼女の指先に目をやって問いかけた。
「ああ、おはようジャスティン君。別になんでもないのよ。ただちょっと己の力量を過信していたと言うか、経験も無いくせに謎の自信を持っていたと言うか……」
「はあ」
要領を得ないアドルフィーネの説明に釈然としないままジャスティンは向かい側の椅子に腰掛ける。
何でもない、と言うアドルフィーネの左手は小指と薬指を除いた3本に10枚を軽く越えるだろう絆創膏が貼られていた。人差し指は特に酷く、ほぼ全面が絆創膏で埋め尽くされている。
「ところで、昨日の初訓練はどうだった?」
「もう散々でしたよ。神器は言う事聞いてくれないし、捕食形態にしようとしたら泥みたいに溶けて形になりませんでした」
こんなんでこの先大丈夫なんですかね……、と漏らすジャスティンにアドルフィーネは微笑みかける。
「ふふっ、心配すること無いわよ。まだ1日目だったんだから。初めから完璧に出来る人なんていないわ。どれだけ優秀なゴッドイーターでも最初は素人。貴方は適合率は十分以上に高いのだから努力すれば必ず結果は着いてくる筈だわ。大事なのは―――」
「焦らないこと、ですよね? 大丈夫です。しっかり覚えてますから」
「あら、それはよかった」
その切れ長目や身に纏う知的な雰囲気からは想像できないおどけた笑みを浮べるアドルフィーネを見て、ジャスティンは少し安心する。今はゴッドイーターになったばかりで右も左も分からないような状態だ。それでもアドルフィーネがいるなら何とかやっていけそうだと、漠然とした安心感を抱いていた。
本来彼はそう簡単に人に心を開く事は無いのだが、頼れる者が他にいない状況下では仕方のないだった。その事にジャスティン自身は気が付かず、ただアドルフィーネへの好意が募っていく。
「おっと、訓練に間に合わなくなるので俺は先に行きますね」
「ええ、頑張って頂戴。自分を信じて、無理はだめよ?」
「あー……善処します」
苦笑で返すジャスティンが思い出したのは昨日経験した容赦の欠片もない訓練だった。あれを思うに、無理を避けることは不可能だろう。そうしなければ更なる地獄が待っている。
一度頭を下げると、ジャスティンは食器の乗ったプレートを持って席を立つ。
「そうだ、言い忘れていたわ。今夜用事があるから夕飯の後に私の部屋に来て頂戴」
後ろから投げかけられた言葉にジャスティンは振り返った。
「部屋ですか? 俺、アドルフィーネさんの部屋知らないんですけど」
「あそっか……じゃあ案内するから、夕飯の後エントラスで待ってて頂戴」
「分かりました。それでは」
再び頭を下げるとジャスティンは今度こそ姿を消した。
扉の向こうに消えていくその後姿を見送って、ふとアドルフィーネはずっと気になっていたことを呟いた。
「……あの頭を下げるのは何なのかしら。変な癖?」