陰険性悪二十代後半年上インテリ系女子(ゲス)はヒロインになれるか? 作:水風浪漫
その人が几帳面かどうかは、机の上を見れば一発で分かると言う。
几帳面な人は必要な物を必要な分だけ机上に置き、本を置く際にはブックエンドを用いる人もいる。基本的にゴミはゴミ箱に捨てるし、コーヒーカップはちゃんとソーサーの上に載せるので茶色い円形の跡が机に残るなんてことも無い。
一方そうでない人の机は様々な本や物に埋め尽くされ、使用できるスペースはあまり広くない。何かの残りカスやべたつくコーヒーの痕なんかがそのままになっていることもある。
勿論、全員が全員そうだと言うつもりはない。ただ、こういった傾向があるとだけ分かってもらいたい。
アドルフィーネ・ビューラーは若くして博士号を持つ才女である。
今に至るまでの人生において他者に劣っていると感じた場面は少ないし、もっぱら出来の悪い(彼女から見て)者たちを見下すばかりであった。
彼女は意味のない、価値を見出せないことに時間を費やすことを無駄と考えている。それは上司との飲み会だったり、他人に媚を売ることだったり様々だ。研究を円滑に進めるためでなければ、尊敬に値すると認めた相手以外に敬語を使うなんてありえない。
そんな彼女が意義を見出せない行いの一つに『家事』があった。
このご時世に比較的裕福な家庭で生まれ育った彼女は、今の今まで一切の家事の経験がなかった。フェンリルに就職して一人暮らしを始めてからも、食事は食堂、洗濯は料金を支払ってクリーニング業者に依頼していた。その方が洗剤の種類を気にしたり、アイロンがけに手間を取られる必要がなかったからだ。
生活能力皆無な彼女がこれまで不自由なく生きてこれたのも、ひとえにその必要に迫られなかった『運』による所が大きい。
そんな彼女がある日突然、ちょっとした思いつきで裁縫に手を出した。経験は無くとも基本的な縫い方、玉結びのやり方、玉留めの作り方は理解していた。針に糸を通すのには梃子摺りそうだったが、糸通しという専用の道具を用いれば問題ない……そう思っていた。
「ソーイングセットを一つ買いたいのだけど」
初めて利用する洋裁用品店で、まち針から布切りバサミまで揃ったセットを購入する。初心者には相応しくない、ベテラン向けの高品質な品を選んだが、アドルフィーネがこれこそ自分に相応しいと判断した結果である。
そして金糸でブランド名が刺繍された革張りの箱を携えて自室へ戻ったアドルフィーネは、傷んだ服の修繕計画を立ててから実行に移ったのだった。
「……ま、まぁ。及第点は……越えてるわよね?」
数時間後、修繕を終えたジャケットを開いてみた彼女の言葉がこれである。
間隔が不揃いな縫い跡は、裁縫を初めてやる子供の方がまだ上手いほどに不格好だ。一度のチャレンジで上手く縫えなかったのだろう、繰り返し縫い合わせて糸が絡まっている箇所がある。加えて何も考えずに自分の好みで糸の色を選んだのもいけなかった。真っ白な生地にピンク色の糸を使ったために、妙にラブリーなイメージの服になってしまった。
しかしそれだけではない。白い服の所々に小さい赤色の染みがついている。それに気が付いたアドルフィーネは自分の指に目をやった。初体験の裁縫、数え切れないほど針が刺さった指先は傷跡から漏れる血で汚れていた。
意識した途端に感じ始めた痛みにアドルフィーネは眉を寄せる。
「痛っ……絆創膏どこやったっけ」
確か薬箱の中に……と部屋を見回して、小さく嘆息した。
―――薬箱が見当たらない。
見渡す限り足の踏み場もない散らかり様だ。パンパンに膨れ上がったゴミ袋が4つ放置され、クリーニングに出していない洗濯物が脱ぎ捨てられてそこら中に散らばっている。部屋に掃除機はあるが、最後に使ったのが何時だったか思い出せない。
あまりに乱雑で整理整頓されているとは言い難い惨状だが、アドルフィーネは特段不便を感じたことは無い。部屋中の物は何処にあるか殆ど記憶しているので、捜し物をすると言うこともない。アドルフィーネの優秀な記憶能力のなせる業であり、才能の素晴らしい無駄遣いである。
足下に散らばっている服―――花柄のパジャマを押し退けて、部屋の一角にある一際大きい洗濯物の山を崩してみると、案の定たはなたさなは奥から薬箱が見つかった。
絆創膏を取り出してペタペタと傷口に貼っていくと丁度最後の一枚まで使い切ることが出来た。アドルフィーネは空になった箱をゴミ箱を狙って放り投げたが、山盛りになったゴミの山に弾かれ床に落ちる。それを見て、アドルフィーネは再びため息を吐いた。
「新しいゴミ袋……あ、切らしてた……」
アドルフィーネ・ビューラー。
外では才女で知られる彼女も一歩家に入れば典型的なダメ人間だった。
「夜のお呼ばれ……だと……?」
「ちょっと、誤解を招く言い方は止めてくださいよ」
往来する多くの人々で賑わう中央施設外周の大通り。道路端に設置されたベンチに腰掛けたジャスティンは隣に座る赤髪の先輩をジト目で睨みつけた。
しかし先輩―――テディはまるで気にせずに睨み返す。
「夜にっ!独身の女性の私室に誘われて何も無いわけ無いだろ!常識的に考えて!」
「知り合ってまだ3日目の人にどんな期待してるんですか」
「うるせぇ!恋は何時でもハリケーンなんだ!」
「はぁ……」
肩を掴んで前後に揺らしまくるテディに反論を諦めたジャスティンは思考を放棄した。テディとは知り合って2日、アドルフィーネより更に短い付き合いだが、彼の人柄、特に人の話を聞かない所は良く分かっていた。
「しかしアドルフィーネ博士か……良く覚えている」
「知ってるんですか?」
苦々しい表情で名前を呟いたテディにジャスティンは素直に質問した。憎しみと後悔が滲み出たような彼の顔は、ジャスティンが掴みかけている『友好的で自由な』―――取り繕わずに言えば『馴れ馴れしく相手を気にしない』彼の人間像とはまるで噛み合わなかった。
誰にも言うなよ? そう前置きしてテディは口を開いた。
「昔、俺がまだ学生として学校に通っていた時のことだ。2つ上の先輩にあの人、アドルフィーネ・ビューラーが居た」
「学校」
「お前は通ってなかったらしいな。まぁ、今時珍しくもないけど」
「お金もありませんでしたから」
「お前も大変だったんだなぁ……ま、それはさて置いて」
置くのか、そんなあっさりと。軽いショックを受けたジャスティンに気が付かず、テディは話を進める。
「あの頃の俺は何というか『粋がってた』。入学試験をトップ通過したからって調子に乗ってた。見ての通りだが、顔も悪くなかったしな。彼女をつくって最後に至るまでの薔薇色学園生活を送る綿密な計画まで立てたりして……」
「うっわあ……」
計画を立てたと言うところまで聞いてジャスティンはあからさまに引いた。入学した年ということは間違いなく自分より年下だろう。15や16そこらかもしれない。その年でそこまで三大欲求の一つに忠実だったのかと思うと、少し目の前の先輩を見る目が変わりそうだ。
「引くなよ……今では当時の俺のアホさは理解してんだから」
「それでも……ドン引きです」
「あの頃の俺は純粋だったんだよっ!」
「純粋な奴は及ぶまでの計画立てたりしませんよ」
「うっ」
痛いところを突かれたのかテディは言葉を詰まらせる。そこでまた話が脱線している事に気が付いたジャスティンがテディに続きを促した。
「それで彼女を作ろうと思ったんだが、己への自信に満ちていた。満ち過ぎていた俺は自分に相応しい女子を彼女にしようと考えた訳だ。もう、どんだけ上から目線なんだって話だよな」
「あー、何か話し読めたかもしれません」
「本当か? よっしゃ言ってみろ」
「それでアドルフィーネさんに告白して振られた、ってオチですよね?」
かなり確信があったのだが、テディは首を振った。そして遠い目をして呟く。
「それだけなら、どれだけ良かったか……。あの日を境に俺の評判は底辺まで落ち、最悪の学校生活の幕が開けた。
お前の言う通り、アドルフィーネ先輩に告白―――という勝手な彼氏宣言をしたのだが、先輩はゴミでも見るような目を俺に向けるだけで何の反応も見せなかった。それでも諦めないで、帰りに校門で待ち伏せして勝手に一緒に下校したり、昼に食堂で勝手に隣に座って話しかけ続けたりしてた」
「完全にストーカーですね」
「ほっとけ! ……そんなことが二週間ほど続いたある日、先輩ついに返事を返してくれたんだが、その内容がなぁ……『お前みたいな愚図と付き合うつもりは無い。今後一切私につきまとうなガキが』だぜ? もう一瞬何を言われたか分からなかったからな」
「おおぅ、辛辣ですね。それ本当にアドルフィーネさんが言ったんですか?」
あの優しい人柄からは想像も出来ない発言だ。ジャスティンにとってアドルフィーネは『優しくて心の広い人』だった。ゴッドイーターになって最初に知り合った人でもあるし、いまいち実感はないが自分専属の技術者であり『世話係』でもある彼女の人間性を、正直既にジャスティンはある程度信頼していた。それ故にアドルフィーネがそんな発言をする姿がまるでイメージ出来ない。
「間違いねぇ。それにそれだけじゃねえ。その後も俺が懲りずに同じことを続けたら、どうやって手に入れたのか知らないが俺の計画表をコピーして校内にばら撒きやがったんだ……!」
女の子とチョメチョメに至るための綿密な計画書。一人で楽しむならともかく、人に見られたら羞恥心で憤死モノだ。それを学校中にばら撒かれた日には不登校になるしかない。ジャスティンならばそうする。と言うか、即日退学届けを出すだろう。
しかし、と隣で項垂れているテディに目をやった。
最悪の学校生活の幕が開けたということは、テディはその後も学校に通い続けたのだろう。凄まじい精神力である。
「全女子生徒から汚物を見るような目で見られ、ついたあだ名は『淫獣』。男子の大半はバカ笑いして受け入れてくれたが、最後の最後までこの事でからかわれ続けた。もちろん、彼女は出来ずに卒業を迎え」
「―――そしてそのまま今に至る、と」
「あぁ、彼女欲しいなぁ」
切実な思いを載せた言葉は、いっそ憐れみすら感じさせた。
ジャスティンも未だかつて彼女が居たことはないが、同じ境遇でもテディよりマシだと感じた。なぜなら、ジャスティンには多くの兄姉と可愛い弟妹たちがいるからだ。生来恋愛への興味が乏しいジャスティンはそれで満足だった。家族がいればそれだけで十分に幸せだったのだ。
「あのアドルフィーネさんが昔はそんなだったんですね……」
「いや、あの人今でも変わってないぜ。上手く猫被ってるが、俺には分かる」
テディは自信を持って言い切った。ここ本部で再会してからは柔らかな物腰になってはいたが、時々言動から垣間見える雰囲気がアドルフィーネの本質が学生時代から何も変わっていない事をテディに伝えていた。殆どの人には分からないかもしれない。しかし、屈辱を味わされ、その後も度々辛酸を舐めさせられたテディには確信があった。
「あの人の部屋に行くんなら、一応気をつけておくんだな」
「わ、分かりました」
テディは持っていた缶コーヒーを一気に煽るとベンチを立って、ニカッとジャスティンに笑みを向ける。
「だれにも言うんじゃねーぞ新人!言ったらお前と博士の爛れた根も葉も無い噂を流してやるからな!」
「そんなことやったら過去の二の舞いになるのでは? 秘密は守るのでご安心を」
「言ったな、信じるからな。それじゃ、俺そろそろミーティングだから」
「お疲れ様です。頑張って下さい」
「おう!」
腕を掲げて走り去っていくテディの背中を見送ってジャスティンも立ち上がる。
中々に衝撃的な話を聞けたが、それでジャスティンとアドルフィーネの関係が変わるわけでもない。自分は今まで通りアドルフィーネに接すれば良い。でも一応、テディの忠告は心に留めておこう。そう結論づけて、ジャスティンは中央施設に向かって歩を進めた。
昼休憩もそろそろ終わり。ジャスティンは午後の訓練に向けて気持ちを入れ換えた。