第一話
よどんでいる意識が、はっきりとした形をとりもどしていく。
日の光を背にして、一対のトビ色の目が、じっと貴虎をのぞきこんでいる。
(ひと……?)
貴虎をみおろすのは、まだあどけなさをのこす少女。
細くたおやかな身体を白いブラウスと黒のプリーツスカートでおおい、肩には黒い外套をはおっている。
色のうすい白の肌と桃色の髪は光をおびて、その輪郭をおぼろげにしてほのかにきらめくよう。
力がはいらず、痛みがはしる身体に鞭をうって、どうにか首をうごかす。
おのれが横になっているのは
そして周りを囲むようにして、いくつもの顔が立ちならぶ。
(白人? これほど大勢……)
そのすべてがおのれを見下ろす少女と同じ、白い肌をしていた。
(私は……、どうなった? 崖から落ち、そして……)
死ぬはずだった。
そんな考えがよぎったのもつかの間、貴虎の意識はひとつのことへと向かう。
(もどらなければ)
あの場所へ。おのが責務がまちうける、ふるさとへ。
身体を起こそうと、上体と腕に力をこめる。
「ぐぁ……!」
身を裂くような激痛がはしり、わずかにういた身体がふたたび地に倒れる。
うつろな意識がやわらげていたのか、いまは身体をむしばむ痛みが思考をさまたげる。
「ちょ、ちょっと!? なにしてるのよそんな身体で!」
少女が貴虎の様子をみて、あわてふためいて叫んだ。
(からだ……)
激しい痛みで億劫なのをおして、どうにか右腕をすこしだけあげる。
仕立ての良いスーツの袖からのぞく右手は、赤くそまっていた。
(血……。これは、私の……?)
首がおこせない姿勢のままで、おのれの身体をみわたす。
職人にあつらえさせた一品物のスーツはところどころが破れ、汚れや草木のカケラがいくつもくっついていた。
スーツからわずかにのぞく白いシャツも裂け、血にぬれている。
(これは一体……、なにが)
部下の裏切りにあい、崖から落ちたのはたしか。では、ここはどこか。
(ゆめ……?)
いまわに見る、まぼろしか。
だがそうではないと、体の痛みがうったえる。
(わからない。身体がいたむ。いかなければ)
いくつもの思考がまじりあい、意識が混沌となっていく。
マブタがさがる。
(ねむい……)
とじられようとする瞳に、空からふりそそぐ光がさしこむ。
見下ろしていた少女が色を失い、あわてふためいて貴虎のそばにしゃがみこむ。
なにかを語りかけるが、貴虎の耳にはとどかない。
うすれる意志と、まどろむ意識。
その向こう、少女の顔の先にある光に、なにかを見い出した気がした。
まるでほほえみかける、なつかしいだれかが。
目覚めた五感。まっさきに感じとったのが、鼻をくすぐる、薬のにおいだった。
おのれのナリワイゆえに、身体になじんで久しいかおり。
見開き見わたせば、寝台のうえに横になっていた。
底冷えするような、石造りの部屋。
壁ぎわの棚には色とりどりの瓶がならび、ひとつだけある机には様々な道具が所せましとおかれている。
暗い部屋のなか、壁にもうけられた燭台のあかりと板敷きの床だけが、人のいとなみのあたたかみをやどしていた。
「手当……。だれが……」
上半身をおこし、身体の状態をたしかめる。
身体には包帯がまかれ、ゆったりとした服をきせられていた。
まだ痛みがつよく残ってはいるものの、身動きをとるにはさしつかえない。
「生きている……。……ここはどこだ?」
乾いたノドと舌から出る声は、かすれてささやくような音。
首をめぐらし、部屋をみわたす、
ふと、気になるものが目にはいった。
ふらつきながらも寝台からでて、壁ぎわの棚にあゆみより、瓶のひとつを手にとる。
それをためつすがめつし、手触りをよくよく吟味する。
「薬? 既成品ではないな。この文字は……、たしか似たようなものが北欧にあったように思うが……」
ガラスの瓶に貼られているLabelをしらべて、貴虎が考えこむ。
「これは紙ではない。羊皮紙なのか?」
瓶を棚にもどし、天井と四方の壁に目をむける。
そこに明かりをともす器具はなければ、Switchのたぐいもみあたらない。
ついで、机にある道具を調べて歩く。
(ビーカーにフラスコ。実験器具のたぐいに……。これはやはり羊皮紙か。文字は瓶のものと同じ)
巻物を手にとって目をとおす。
その手触りと質感は、貴虎がなれしたしんだ紙とはちがっていた。
巻物をもとにもどし、しゃがみこんで床板をみつめる。
(材質も特にかわったところはない。極ありふれたものだ。加工精度は高い……)
立ちあがって壁にむかい、窓をあけ外をみわたす。
日は落ちているものの、煌々とひかる月あかりによって見通すにはさしつかえがない。
下を見れば地面は遠く、向こうに目をやれば背の高い塔と、それとつながっている外壁がなにものをも拒むかのようにそびえたっている。
目をこらし、建物のつくりを観察する。
(様式は近世西ヨーロッパのそれに近いか。……道。石畳か)
そこまでみて、うつむいて息を大きく吐いた。
(ここにいても埒があかない。外に出るべきだが、しかし)
治療をほどこしてくれたものがいるのならば、ここで待っていればそのうちやってくるであろう。
なにもわからぬまま動くべきではないと、はやる気をおさえる。
夜のひえた風が、貴虎の肌をなめる。
すっかり熱をうばわれた手をさすり、寝台にもどろうと窓に手をかけた。
そのとき、ふと何気なく空をみあげた。その視線のさき。
「なんだ、あれは」
澄みきった大気の向こう。くらい夜空にうかぶは、ちぢにきらめく星々。
そのなかにたゆたい、まばゆいまでの光でアメツチをてらす、青い月。
その大きさと色は、貴虎が知るものとはかけはなれすぎていた。
しかし、彼を忘我せしめたのはそれのみならず。
青き月によりそうように、ひっそりとたたずむ、小さな赤い月。
その地球にもヘルヘイムにもないふたつ月を、貴虎はしばし呆然とみつめる。
ややあって窓から離れ、寝台に腰かける。
(どうなっている……)
みずからが置かれた状況にとまどい、額に手をあてて思考にふける。
(凌馬たちに裏切られ、崖から突き落とされた。助かる高さではなかった。命拾いをしたとしても、インベスに襲われるはず……)
頭がまわりだす。
(ここは地球ではない。ヘルヘイムでもない。……偶然Crackが開いた?)
ヘルヘイムの植物は次元をもこえて種をまく。
ならばその通り道、Crackが偶然ひらき、貴虎を地球ではない星へと導いたのではとの考えにいたる。
(まずい)
うつむいていた顔をあげ、今まとっている服をみる。
(もしそうなら、私とともにヘルヘイムの植物が入りこんだかもしれん)
立ちあがり、出入り口の扉へと足をむける。
(こうしてはいられん)
意を決し、足をまえに踏み出したそのとき、やおら扉がひらかれた。
思いがけないできごとに、貴虎の足がとまる。
「おや! 目が覚めたのかね」
部屋にはいるやいなや声をあげたのは、メガネをかけた、禿頭の中年男。
立ちつくす貴虎をよそにハヤバヤと後ろ手に扉を閉め、ツカツカと歩みよった。
「どうだね身体の具合は? 水の魔法をかけてもらったから、大分よくなったと思うが」
ワケもわからず、呆気にとられる貴虎をよそに、男は早口でまくしたてる。
「ああ、申し遅れた。私はここで教師をつとめるコルベールというものだ。君は? どこからきたのかね? いや、君の持ちものが実に興味深いもので……」
一向に口を閉じる気配がない男をまえにして、貴虎が平手をつきだしてそれを制す。
「待ってくれ。いきなりなんだというのだ」
たかぶっていた男が、貴虎の反応にハッとして、落ち着きをとりもどす。
うってかわって勢いは鳴りをひそめ、すこしバツがわるそうにして、そばにあった椅子をひきよせた。
「いや、すまなかったね。君と話がしたくて仕方がなかったので、つい……」
にが笑いをうかべ、ゆっくりと椅子に体をあずける。
「君もすわりたまえ。たったままではつらいだろう」
いわれて、貴虎も無言で寝台に腰かける。
コルベールが咳ばらいを小さくひとつ。貴虎に向きあい、ゆっくりと口をひらく。
「失礼。まずはあらためて自己紹介をしよう。さきほども言ったとおり、私はここトリステイン魔法学院で教えている、ジャン・コルベールだ。もう身体はよいのかね?」
そこで区切り、貴虎の返事をまつ。
「ええ。まだ痛みはありますが、歩きまわる分には……。ええと……」
二の句をつげようとして、舌がとまる。
(なにから話すべきだろうか)
思考がめぐりだす。
(いまの状況をみるに、手当てをほどこしたのはこの男ないし、この学院とやらの関係者か。まずは礼を……。いや、なによりもヘルヘイムのことを……。私の持ちもの……。ここがもし地球ではないのなら、ヘタにふれるべきでは……。もどる方法を)
おもんみてはいくつもの考えがからみあい、思索の底にしずむ。
まだ本調子ではないゆえに、頭のなかはカスミがかったように曖昧模糊としている。
「助けていただいたこと、感謝します。私は呉島貴虎というものです」
ようやくつむいだ言葉は、飾り気のない挨拶だった。
「kレshマ……タqatラー……?」
「くれしま、たかとら、です」
コルベールはモゴモゴと口のなかでくりかえすが、すこしして結局あきらめた。
「ううむ、もうしわけない。発音がむずかしいな……。ええと、ミスタ・タカトゥーラ。病みあがりのところ悪いのだが、話をしてもよろしいかな?」
「はい。こちらとしてもお聞きしたいことが……。……日本語?」
動きをとめた貴虎を不思議に思い、コルベールが話しかける。
「どうしたのかね、ミスタ?」
「いえ。あなたは日本語をしゃべれるのですか?」
日本どころか、地球ではない場所。
意識せず場の流れにまかせていたが、言葉が通じていることに気がついて、疑問が口をついた。
「ニホンゴ? きいたことがない言語だな。それがどうしたのかね」
とわれたコルベールはとんと要領をえない様子でこたえる。
「いえ。なんでもありません。」
(言葉は通じている。しかし彼は日本語を話している自覚はない。気にはなるが、今は……)
「ミスタ・コルベール。あなたが治療をほどこしてくれたのですか?」
「いや、それは水の魔法を得意とする他の先生にお願いしたのだよ。ああそうだ。秘薬の代金の半分を彼女が払ってくれたから、あとで礼をのべておきたまえ」
「彼女?」
「君を召喚した生徒、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールだよ。今日はもうおそいから、あすにしたまえ」
(魔法に召喚……。信じがたいが、やはり別の世界なのか)
いまだ半信半疑ではあるが、いなめない現実に、居心地の悪さをおぼえる。
「ええ、そうします。いま、半分とおっしゃいましたが、では残りはだれが?」
「私だ。君はここにきたときのことをおぼえているかね?」
「大勢に囲まれていたことと、すぐに気を失ったことまでは」
「うむ。Summon Servantの儀式で人が呼びだされたのにはおどろいたが、そのうえ瀕死ときたものだ。とりあえず治療しようということになったのだが、そのときに君の服からこれが落ちたのだ」
そういってコルベールは黒い手のひら大の板をとりだして、貴虎にさしだした。
「これは」
うけとったのは、貴虎のSmart Phoneだった。
「なんだろうと思って拾いあげたときに、たまたまどこか触ってしまったらしく、その板の表面が光りだしたのだ。見るとなにやら文字が浮かびあがっているが、そこからがわからなくてね。私も長いこと魔法にたずさわってきたが、こんなものは見たことがない。俄然、君に興味がわいたわけだ」
「つまり、これの使い方を知りたいと」
「恩を押しつけるような真似でもうしわけないのだが、こればかりは性分でね。ははは……」
「いえ。お気になさらないでください」
「そこに映っているもののどれかに触れてみてください」
コルベールがいわれるがままにすると、動画が再生された。
「おお! すごい! すごいぞこれは!」
ときおりブツブツとつぶやいては、目を見開き食い入るようにみつめる。
(できればこういったことはさけたいが、場合が場合だ。まずは信用をえなければ)
これからどうするにも、縁もゆかりもない土地では協力してくれるものを見つけなければたちゆかない。
異世界の利器をいたずらにさらすのはさけるべきだが、わりきった。
すこしして動画がおわり、コルベールが顔をあげる。
「いやはや素晴らしい発明だ……。これを我々が作れるようになるまであとどれほどの
感嘆の言葉とともに、大きなため息をつく。
「ミスタ・タカトゥーラ。これはMagic Itemなのかね」
「いいえ」
「そうか……。こんな便利なものが魔法なしで……」
コルベールがますますうなだれていると、貴虎が顔に手をあてて身体をおりまげた。
「どうしたねミスタ?」
「ええ……。急にめまいがして……」
「すまない、病みあがりだというのに無理をさせて。私はこれでおいとましよう」
「お気づかい、いたみいります。薬と治療の件、ありがとうございました」
「どういたしまして。では、おやすみ」
そそくさとコルベールがたちあがり、そのまま扉の向こうへと歩みさった。
貴虎はその後ろ姿を見おくってから、大きく息をはいた。
(信じてくれてたすかった。あのまま話が続くと面倒なことになりかねん)
きりあげるためのウソだった。
(とりあえず、しばらくはここにとどまることになりそうだな。どうにか地球かヘルヘイムにもどる方法をみつけなければ……)
横になろうと体をひねって、ヒトミにあおあおと輝く月がうつる。
貴虎はそのまま、眠りがおとずれるまで、ただしずかに月の光をあびていた。
青白い光をはなつ月のした、ひとりの男が木立のヤミのなかを縫うように駆ける。
息はあらく、全身をおおう外套は汚れ、ところどころがさけている。
後ろをふりかえる。走る。走る。ひたすら走る。
虫と獣の鳴き声がひびく森にとけこむように、しずかに。
男が、とびすさる。
目の前にカマイタチが走り、地面をふかぶかとえぐった。
「いたぞ! こっちだ!」
森のしじまをやぶる、大声。
鎧をまとった男たち――騎士が男をおいたてる。
騎士が杖をふるって魔法をはなち、男はそれを必死によける。
男は足を止めず、懐にしまっていた筒を放り、小さくとなえながらにぎっていた杖をふった。
筒がはじけ、中におさめられていた水がまたたく間に霧となる。
視界をうばわれた騎士たちが足をゆるめ、まわりに目を光らせる。
騎士たちは不意うちを警戒しつつ、一人がすかさず魔法で風をまきおこす。
あたりをおおっていた霧がはらわれ、まわりに男がひそんでいないのをたしかめて、ふたたび男を追って走りだした。
一方、すこしだけかせいだ距離をちぢめられまいと、男は我武者羅に駆けた。
(くそ! 俺がここまで追いつめられるなど……! たかが一人に手練れをああも……)
すでに魔法をつかうための精神力は、さきほどの霧をおこすのではてた。
あとはおのれの足だけがたのみ。
(にげきれるか、この状況で……)
つかれきった体をよそに、頭はさえわたり、十中八九おいつかれるだろうとの考えにいたる。
だからといって、すべてを投げだすことを良しとはしない。
(負けるものか。死ぬものか。俺は……)
目の前のふかいヤミをみすえながら、先へ先へとすすむ。
ふと、風がほほをなでた気がして、咄嗟に身をひるがえした。
が、おそかった。
みだれとぶ風の矢が、男の脚をかすめる。
その痛みに足がもつれ、顔から地面に突っ伏した。
矢をうけた脚の傷は浅くはなく、ダラダラと血がながれでる。
それをたしかめてすぐさまに顔をあげ、はうようにして前へ。
土と石で体をこすり、濃密な草のかおりが鼻をつく。
動きをとめて静かになれば、ひえきった夜の空気をつたって、耳に騎士たちの足音がとどく。
その音が少しずつ少しずつ、大きくなっていく。
前へ。前へと。
歯を食いしばり、手をのばす。
(まだだ。まだ……、俺は……)
クラヤミの中へと、手をさしのばす。
つかむもののない、カゲの奥底へ。
そのヤミの上、はるかイタダキに、月が見える。
今宵の月はやけに明るい。この月明かりがなければにげきれたかもしれない。
そう思って、男は月をにらみあげる。
走りつづけ、血を流した体にはすでに、力は残っていない。
それでも、手をのばす。
――そのさき。
光が、こぼれおちた。
小さく、かすかな光。
しかし夜のヤミにあって、カゲをおしのけるほどの黄金のきらめき。
(なんだ……?)
弱りきった体が、いきをふきかえす。
はいずりながら、その光をめざしてすすむ。
ひときわ大きな木の根元に、それはあった。
(これは……、林檎?)
コガネ色にかがやくそれを、おそるおそる手にとる。
途端、からっぽの体に、力がみなぎるような気がした。
思いたって、傷ついた脚に治癒の魔法をかける。
すると水の秘薬もなしに、傷口がふさがった。
その光景に男は目をみはり、息をするのも忘れ、しばしその場にたちつくす。
「あそこだ!」
追いついた騎士たちの声に、気をとられていた男がふりむく。
(どうする)
傷はなおっても、体は万全ではない。
手練れの騎士四人を相手に勝てるとは思わない。
では、いかにしてこの場をきりぬけるのか。
(力)
その黄金のかがやきをタナゴコロにおさめ、ねがう。
(力がほしい)
林檎のはなつかがやきが、よりつよくなる。
(誰にも屈服しない。誰にも縛られない。俺だけが自由な……)
男のヒトミの先に、騎士たちがいさんで進みくる。
(チカラ……!)
かがやきが、森をてらした。
「ふん。騎士とはいえ、任務の
騎士のムクロをあさっていた男がはきすてる。
くらい夜の森はいま、あかあかと燃えさかる炎でてらされていた。
木々は折れ、地面はえぐれ、森の生き物たちが鳴きながらにげまどう。
騎士たちからはぎとったものをいれた袋をかついで、男がたちあがる。
「まあ、いいか。ほしいものは手にはいった」
そういって、炎の明かりを背にして、ヤミのなかへときえていく。
そのとなりに、かえり血で全身をぬらした、赤い人型のケモノをしたがえて。