「い、いちふぁぁぁぁ‼‼」
彼の名前を今正に大声で叫んだのは、ラウラ・ボーデヴィッヒである。彼女の手には梅干しの入ったおにぎりが握られているので、何があったかは一目瞭然である。
「だぁから酸っぱいって言ったでしょうが。」
瞳に涙を浮かべているラウラに、お茶を差し出しながら彼は溜め息混じりに言う。つい十秒前に、
「私は軍人だ!ほんの少し酸っぱいくらい!」
と自信満々に、おにぎりを大きな一口で頬張ったくせに、泣くほどの酸っぱさに身をよじらせている。
IS学園は今お昼休みであり、一夏はいつものメンバー+ドゥレムと現を加えて屋上で昼御飯を楽しんでいた。その中で一夏は、三つのおむすびと味噌汁。きゅうりの浅漬けという、自身の若さを何処に置いてきたのか疑問を抱くような献立でやって来た。
おむすびの具材は、梅干しとおかか、昆布である。ラウラがおもすびを、物珍しげな顔で見ていたものだから、一つ食べるかと持ちかけ彼女がその提案に飛び付いた。後は、適当に選んだ梅干しのおにぎりを、彼の忠告を無視して食べたものだから、その酸っぱさに酷い目に合う結果となったわけだ。
「ほら、こっちにしておこう。」
一夏が彼女に手渡したのは、昆布のおにぎり。一夏は残った梅干しのおにぎりを頬張りながら、ラウラを心配そうに見つめるが、やがて一口。
以前、海鮮屋大旗で見せたようなキラキラとした瞳で、彼女は昆布のおにぎりを見つめる。
「一夏!一夏!美味しいぞコレ!」
「それは良かった。」
まるで兄妹のようであると、端から見ていた女子諸君は感想を抱く。手のかかる妹に、料理が得意な兄という構図だが、鈴音とセシリアにとっては面白くない。
自身が思いを寄せる相手が、後から来た女子の世話を焼いているのだから、嫉妬や羨望といった感情が渦巻く。
現は、「一夏君も大変だね」なんて他人事だがシャルロットは違う。一々反応が愛らしいラウラの事を観察していた。なんなら盗撮までする始末である。どういうわけだか、以前の神隠しのトラウマ以来、間違った母性に目覚めた彼女は、ことあるごとにラウラを撮影しているのだ。
「あ、あの一夏さん?よろしければ私のサンドイッチはいかがでしょうか?」
ラウラに遅れをとってなるものかと、攻勢にいち早く出たのはセシリアである。自身のバスケットからサンドイッチを取り出し、上目遣いで一夏に提案する。
しかし、セシリアの手料理を知る人物。一夏と鈴音は、彼女の提案に顔を青くする。少なくとも、セシリアは味音痴というわけではない。ただ、料理に対しての常識がなく、意外な所で適当なのだ。例えで言えば、食材を洗うのに台所洗剤を使うような。
「俺も一つ貰って良いか?」
ドゥレムが不意に口を開く。焼きそばパンを食べ終わった彼は、セシリアの提案に乗っかる形で彼女に問う。セシリアはそれを快く許し、「お好きな物をどうぞ」とバスケットを見せる。
一夏と鈴音は、セシリア本人の手前ドゥレムを止めることも出来ず、見守るしかない。
「わぁ、おいしそう。」
「本当だ。オルコットさんは手先が器用なんだね。」
殺人料理、セシリアクッキングを知らないシャルロットと現が、サンドイッチを目にして感想を溢す。そう。見た目は彩り鮮やかで、瑞々しさすら感じる一般的に美味しそうな出来映えなのだ。まるで、昼間のカフェテリアで頼むお洒落な昼食である。
さて、そんな中からドゥレムが手に取ったのは、一番無難そうなサラダサンドイッチである。レタスとトマト。そしてチーズを挟んだそのサンドイッチは、失敗する要素は皆無だ。下手なことをしなければだが。
「いただきます。」
一口口に含む。
そしてその瞬間に、ドゥレムの動きが停止した。
「いかがですか?」
満面の笑みを浮かべたセシリアが、いつもの十品な振る舞いで訊ねる。
動きを再開したドゥレムは、神妙な面持ちで一口目をよく噛んで飲み込む。
「これは……なんだろうか……。口に含んだ瞬間に漂ってくる不快な臭い。見た目に、そぐわない辛味と酸味…そうだな、これは……旨くない……。」
不味いと言わないのは、気を利かせてか、それともその言葉を知らないためか。だが少なくとも、彼の語った言葉を間違って認識するような人物はいなかった。
「そ、そんなハズはありませんわ!」
セシリアも、ドゥレムの反応にまさかとサラダサンドイッチを一つ取りだし一口。
その顔はみるみると青白くなり、そして赤くなる。辛味と酸味のダブルパンチが、彼女の味覚を破壊しているのだ。
「ど、どうして……。」
彼女はガックリと崩れ落ちる。
それを横目に、一夏はドゥレムに味噌汁を一杯渡し、鈴音がサラダサンドイッチの臭いを確かめる。
「ねぇ、一夏……この臭い。」
「ん?………。え、なんで?」
恐らく、臭いだけでセシリアが何を入れたのか分かったのだろう。分かった故に理解ができなかった。
「セシリア。なんでサラダサンドに豆板醤の臭いがするの?」
鈴音が訊ねる。予想外の名前が登場したために、現は目を見開き驚いてみせる。しかし、シャルロット、ラウラ、ドゥレムには豆板醤が分からず、頭に疑問符を浮かべていた。
「豆板醤は、中華料理。特に四川料理で使われる香辛料だよ。四川麻婆豆腐なんかで言えば分かりやすいかな?」
「あぁ。あの辛い麻婆豆腐ね。私は好きだよ?」
一夏の説明を聞いて、シャルロットがにこやかに答える。四川料理を好きと言えるとは、なんちゃって四川しか食べたことがないのか、それとも本当に辛いのが得意なのか、こんど確かめてみようと鈴音は考える。
「で、なんで豆板醤を入れたわけ?」
「え、えぇとですね……。以前食堂で一夏さんと鈴音さんが四川料理の話をされていたのを、遠くで聞きまして。」
本人達には、身に覚えのある話だった。バルファルク討伐戦よりも以前、確かに二人は四川料理の話題をしたことがあった。具体的に言えば、四川麻婆豆腐に最も合う白米は何?という並々ならぬ拘りを匂わせる議題なのだが、結局互いに平行線を辿り、議題の決着が着くことはなかった。
「それで、私なりに四川料理というものを色々調べてですね。大半の料理の素材に豆板醤が使われてると知りました。ということは、きっと美味しい調味料なのだろうと考えまして……」
「サンドイッチに挟んだのか?サンドしてしまったのか?豆板醤を?」
「…ハイ。」
一夏と鈴音が頭を抱える。サラダサンドイッチに辛味が合わないかと言われればそうではない。ブラックペッパーが合うのだから、量さえ誤ったりしなければ、失敗はしないだろう。だが、今回の辛味は豆板醤である。発酵食品の一種であり、クセの強い豆板醤をサンドしてしまったのである。中々にキツイ食べ物となるだろう。
だが、同時に疑問も上る。ドゥレムは酸味も訴えた。確かに、豆板醤も若干の酸味を持つ。むしろ酸味をより濃くなるように、調合した商品だってある。だが、そういった酸味の強い豆板醤は、一般的な日本の量販店ではまずお目にかかれない。簡単に入手できる豆板醤であれば、大概酸味は辛味に隠されてしまうのだ。となれば案の定、セシリアは更に手を加えていた。
「豆板醤をそのまま使っては辛すぎるかと思いまして。砂糖を溶いた酢と混ぜパンに塗りました。」
兵器である。
控えめに言って、人の食べる物ではない。味覚を壊すだけの兵器である。
せめて火を通すべきだったのだ。生の豆板醤に酢と砂糖となれば、豆板醤の臭いだけが主張してしまう。そして恐らく、分量もおかしいのだろうと、鈴は即座に気が付く。恐らく、豆板醤六に対して酢が三、砂糖一程度の割合だろう。せめて豆板醤五に酢二、砂糖二、胡麻油一の割合で、軽く火を通しておけば、多少はマシだったのではと考えた。それでも、サラダサンドイッチでは美味しいとは言えないだろう。カツサンドならば、相性は悪くないのかもしれない。
「セシリア。明日からの土日、一夏の部屋に集合ね。」
「え?」
「料理の基礎から叩き込む。さしすせそが覚えられるまで、帰れるとは思わないことだ。」
一夏と鈴音に、変なスイッチが入ってしまった。
そして、一夏の手料理が楽しめると勘違いしたラウラが、自分も参加したいと言い出す。当然、断る理由もないうえに、若干おかしなテンションになっている二人はそれを了承。シャルロットもラウラのエプロン姿が見れると期待して参加することに。そうなると、なし崩し的にドゥレムと現も巻き込まれる事態に繋がり、明日の朝一から一夏の部屋に全員集合することになる。
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やはり……教官の弟でした
と千冬のスマートフォンに短いメッセージが届き、それを彼女が確認した頃には、一夏の部屋は正に死屍累々となっていた。まだかろうじて気力の残るシャルロットを除き、元気なのは一夏と鈴音の二名のみだ。
セシリアは当然として、ラウラは料理の『り』の字も分からない状況だったため、二人のスパルタ式お料理教室にしごき上げられ。現は意外にも料理を含み、家事全般がずぼらだと発覚。火の灯った一夏に、一から十まで家事のいろはを叩き込まれた。だが一番悲惨なのはドゥレムではないだろうか。元々がモンスターであるためか、片付けると言うことには、とんと無頓着であった。さらに料理に関しても知識はなく、家事など知らない。一夏と鈴音のスパルタ教室は正に阿鼻叫喚の様相を見せて、彼等を苦しめたのだ。セシリアは部屋の隅で体育座りのまま『さしすせそ』をぶつぶつと繰り返し、ラウラはスマートフォンを片手に、以前シャルロットが使っていたベッドで気絶している。現は椅子に腰かけているが、その顔に生気はない。ドゥレムは部屋の床で倒れ付してしまっている。シャルロットはその様を眺め、いまだキッチンで、熱く語り合っている二人の会話を聞く。何を話しているのだろうか?
「これらの点から、から揚げにレモンを掛けるのは道理に沿った行動と言える。それは分かる。しかし、から揚げと言えば家族の団欒時や大勢の友達で集まった時に食べる料理の一つだ。そうなると、レモンを掛けるのは嫌だという層の発言を無視するわけにはいかない。何故なら、全員が楽しくなければ料理とは真に楽しめ無いからだ!」
「待った!その理論で行けば、レモンを掛けたい側に我慢を強いるのは間違っているわ。それならば初めから、レモンを掛けない側はあらかじめ、自分の分を小皿に移すべきではないかしら?」
「それも分かる。だが、そうなると皆で大皿を囲んでいるのに、自分だけ爪弾きになってる疎外感を背負う事になる。それは料理を最大限で楽しむという観点において、見過ごす事は出来ない。なので発想を逆転させてみた。」
「と言うと?」
「題して、『レモンを多くする』だ!」
「ま、待って⁉それで何が解決するの?」
「フフ、よくぞ聞いてくれた。まず考えて見てくれ。大皿で運ばれてくるレモンの量を。」
「それは、一切れが一つ…多くて二つってところじゃないの?」
「そうだ。これは、全員がそのレモン一切れ分の果汁ということになる。しかぁし!それではレモンを掛けたくない側は、あらかじめから揚げを確保しておく必要がある。そこで発想を切り替え、レモンを掛けたい側個人個人にレモンを支給する。」
「そうか!そうすれば自分の小皿でレモンを掛ける事ができる!全員でから揚げの大皿を囲め、全員が自分の望む味で楽しめる訳ね!」
ぱぁん
と、キッチンからハイタッチの音が響く。何を白熱した議論を繰り広げているのかと思えば、取るに足らない議題だったと、シャルロットは溜め息を吐く。
ちなみに彼女は、レモンはどっちでも良い派だったりする。
「良し、では次の議題だ!」
二人の激論に、終止符は打たれるのだろうか?
夜の更けていくIS学園の空を眺めながら、シャルロットは考える。しかし答えは分かり切っていた。終止符など初めからないのだ。料理の問題がある限り、異なるニーズがある限り続く、果てしない無限迷路である。一夏と鈴音は、数少ない戦友(お互いと五反田兄妹)と共に難攻不落の迷宮へと挑む勇士である。その心が折れない限り、決して止まることのない、不退転の探求家である。彼等は止まらない。止まらない限り、道はその先に続く。過去の英傑(料理人)、英雄(生産者)が刻んだ技を、知恵を、その志を背負い、彼等はこの飽くなき料理という修羅の道を一歩一歩確実に歩んで行く。それが彼等の料理道なのだから!
「……なんだろう……。その熱量、流石に着いていけないかなぁ……。」
シャルロットが呟く。その表情には、曳き吊った笑いが貼り付いていた。それはそうだ。今の二人のテンションは、幾らか可笑しい。それに振り回された結果が、この惨状なのだから着いていくことはない。嵐が過ぎ去るまで、堪え忍ぶしかないのだ。
「もう、寝よう。」
シャルロットは立ち上がり、ベッドで気絶しているラウラを、抱き枕代わりにして床についた。
その晩は一夏と鈴音の高笑いと、セシリアのさしすせそを子守唄にして、彼女は就寝する。悪夢を見そうなものだが、ラウラという彼女にとって最強の癒しが合ったため、夢見は良かったそうな。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
黒。
ただただ黒い闇を纏い、彼女は巨龍を切り刻んでいく。表情を隠すバイザーには、深紅に輝く眼のような光が輝くが、それは明らかに人間のものではない。大きく吊り上り、他者を威嚇する眼光だ。
「ゴオォォオオオオオ‼‼」
巨龍、ラオシャンロンは吼える。その咆哮は、彼の巨躯から発せられるだけにそれだけで十分な攻撃となる。砂漠の砂が舞い上がり、大気が振動する。まるでこの星そのものが震え上がるような錯覚さえ抱くほどだ。
「……」
が、彼女はそれを物ともせずに攻勢を掛ける。黒い影のような斬撃を飛ばし、ラオシャンロンの体を刻んでいく。鮮血が舞うが、その傷は巨躯に対して僅かだった。ラオシャンロンは後ろ足二本で立ち上がり、彼女に向かいそのアギトを向ける。サイズが違うために、ゆっくりに見える攻撃行動も、想像を越えて素早いものだった。しかし彼女は、その一撃を難なく避ける。そして、その首筋を直接斬り付け、そのままラオシャンロンの後ろへと切り抜ける。それには堪らず、ラオシャンロンも悲痛な声を上げる。
だが間髪入れずに彼女は、両手の刀を全面に向ける。と、彼女の周囲を漂っていた闇が刀に絡まり、竜の顔のようなシルエットを瞬時に象る。影は口を開き、その口腔の奥から黒と青、青紫色に白いスパークをした暴力の奔流がラオシャンロンの背中を撃ち抜く。固い外郭を砕き、内臓器官を焼き上げてついにはラオシャンロンの胸から貫通してしまう。
最後に力なく鳴き、倒れていくラオシャンロンは、再びその巨躯を砂漠の大地に預けることなく、青白い粒子へと消えていくのだった……。