音速を超え、光速に近いのではないかと錯覚するほどの速度の中、一夏の中の時間は異常にスローモーションだった。
極限の集中が、彼の精神を鋭くしティガレックスの素っ首を叩き斬ることのみ神経を向けている。
ISのハイパーセンサーですら、捉えることは難しい加速。普通ならば必中、普段ならば必殺。しかし、一夏は見ていた。こちらに瞳を向けるティガレックスを。
「っ!?」
腰だめに構える一夏と、迎え討つために体を捻り爪を構えるティガレックス。
ドゴン!!!!
空気を震わせる衝突音。ティガレックスの鋭爪と雪片二型の零落白夜がぶつかり合ったのだ。しかし悲しきかな、人と巨竜ではその質量が違いすぎた。まるで人形を空に放ったかのように、力なく一夏が宙を舞う。
「一夏!」
「一夏さん!」
共に戦う二人の少女は、その思い人でもある一夏の、あまりにも悲痛な姿を見て叫ぶ。特に鈴の胸中は並々ならぬ動揺を抱いていた。やらなければ良かった。私が引き金を引かなければ一夏はあんな目にはと、繰り返し繰り返し自責する。今にも涙が溢れそうな自分を抑え、必死に加速し、一夏に手を伸ばす。
ドゥレムディラは逆に、ひどく冷静であった。一夏を迎撃したがために体勢を崩したティガレックスとの間合いはかなり縮まっていた。この距離ならばと、ドゥレムディラは吼える。しかし、それは普段発するそれと違い、白い冷気を宿していた。次の瞬間、ティガレックスは自身の身に起きた異変に驚愕した。自身の腕から伸びる翼の翼膜や腕の間接の一部に氷が張り付いていたのだ。
砂漠の焼けるような高温や、吹雪吹き荒れる極寒の地でも耐えうるハズの自身の体が、ドゥレムディラの放つ冷気に悲鳴を挙げている。その事実にティガレックスは、戦いの中での集中力が、途切れてしまっていた。
一夏は、その隙を逃さなかった。途切れかけた意識を総動員して、暴れる自らの体を制し、全力全開の零落白夜を振り抜いた。
「!?!?ギャッァ!!」
断ち切られたティガレックスの尾が、宙を力なく舞う。
ざまぁみろ。
と、内心呟きニヤリと笑う一夏。白式のシールドエネルギーはもう、雀の涙ほど。できることはやり尽くした。バランスを失ったティガレックスは、キリモミ回転して墜ちていく。だが、あのまま墜ちては駄目だ。
「白式ぃぃぃ!!!!」
一夏は吼える。白式はそれに応える。
墜ちるティガレックスに体当たりを食らわせ、市街地から遠ざけようとする。が、頑張り虚しく、白式のシールドエネルギー残量は切れ、白式は虚空に帰っていく。
だが、一夏に焦りはない。何故なら彼の視界には、頼もしい仲間が写っていから。
「一夏ぁぁぁ!!!!」
ドゥレムディラがティガレックスの首筋に噛み付き、とんでもない速度で海の方に飛んでいくと同時に、鈴が一夏を抱き止める。
彼女は、今にも泣きそうな胸の内であった。
それもそうだ。愛しの彼が、自分の引いた引き金が原因で死にかけたのだから。胸が張り裂けそうだとか、そんな生易しい言葉では、決して言い表すことのできない不安と恐怖に苛まれていたのだ。それでも、頑張った彼の前で情けない姿を晒したくない。その一心で、彼女は涙を堪えていた。
その心境を察したからこそ、セシリアは自分の気持ちを抑え、一歩離れた場所から二人を見守り、無事だった一夏に安堵するのだ。
「鈴さん、一夏さんを学園まで。私はドゥレムさんの援護に向かいますわ!」
無事ならばそれで良い。セシリアは、鈴の答えを聞かずに飛ぶ。竜の戦う戦場へ。
海面に叩きつけられたティガレックスは、己の首筋に牙を立てるドゥレムディラの横腹に、前足を全力で叩き込む。
「ッ!?」
想像以上の鈍痛に、思わず牙を緩めてしまうドゥレムディラを、更なる追撃をかけ己の身から引き剥がす。
その隙に、ティガレックスは一番近くの陸地、IS学園の浜辺に上がる。屈辱的だった。己の得意とする戦場ではないとは言え、絶対強者とも比喩された己の自慢の尾が断ち切られたことも、喉元に牙を立てられたことも、海面に叩きつけられたことも。全てが屈辱的で、彼の怒りを招いていた。
一夏と鈴を置いて先行してきたセシリアが見たのは、目の回りを赤く変色させたティガレックスの姿だった。彼はその四肢で地面に踏ん張り、前足にある翼膜を広げ、胸を張り息を吸い込む。
瞬間。
「ゴォォォォォォォォォ!!!!!!!!」
怒号。空気が震え、海面が波立ち、砂浜の砂が舞い上がる。吼えるなどとは、既に次元が違うその咆哮。セシリアが、身の底からの震えを感じるのは、生物としての本能からして、いたく当然のことであった。
だがドゥレムディラは怯まず、むしろ己の怒号を持って答える。彼が吼えれば、翼から白い冷気が吹き出し、海面はみるみる凍り付いていく。
二匹の咆哮はぶつかり合い、間の海は、凍る海と押し退けられる海に二分される。両者の咆哮は互いに反響しあい、周囲の全てを震わせる。少し離れたIS学園内施設の窓が数十枚割れる被害が実際に出るが、それはドゥレムディラとティガレックスにとって認知しないことであり、今は眼前の敵の、息の根を断ち斬ることのみに、その意識を集中させるのだ。
最初に動いたのはドゥレムディラ。凍った海面を走り、ティガレックスに向かい突貫する。体に纏う黒い影は、その突貫に込めた殺意か。それとも違う、由来不明の力が働いてかは、その戦いを見守るセシリアには分からない。
ティガレックスは逆に、それすら意識していない。ただ、猪突的に突っ込んでくるドゥレムディラに応え、自身も駆けるのみ。二体の竜は、片や足元の氷を砕きながら。片や砂を巻き上げながら。凄まじいスピードで互いの間合いを積める。
ッゴッンッッ!!
セシリアが聞いたのは、生き物同士がぶつかったとは思えない衝撃音。自動車同士の事故が起きたような、痛々しく激しい音。が、その音に反し、二体の竜は、互いの頭を押し付け合い、一歩も譲らぬ根比べを演じている。
もしあの突進にぶつかったのが、人間であったら。などと考えるとゾッとする。骨は砕け、臓物は破裂し、疑いようのない死を突きつけられるだろう。しかし、あの竜達はそんなことは意もかいさず己の闘争に明け暮れる。
冷や汗が頬を伝うのを、セシリアは気付かずにいる。二体の竜の闘争から、目が離せられないのだ。曲がりなりにも、戦う者として。眼前のそれが、自分の考える戦いとの次元の差を痛感しながらも、この闘争に意識が吸い込まれる。
彼らの拮抗は崩れず。
しかし、自分のやるべき事をハッと思い出したセシリアが、ブルーティアーズのメイン武装。スターライトブレイカーmk-IIを構え、ティガレックスに向け一射。ドゥレムディラの援護に回る。しかし、彼女の放つ光弾は、ティガレックスの外皮に傷をつけることすら叶わない。だが、一瞬。ほんの一瞬、ティガレックスの意識が上空のセシリアに向いた。その瞬間、ドゥレムディラはティガレックスを横にいなし、空いた横腹に冷気を伴う前足による一打を見舞う。
足がもつれるティガレックスだが、それに怯まず、グラりと揺れる己の体を制し、横に回転しドゥレムディラの鼻っ面に鞭のような己の尾を叩き込んだ。
「ッ!?」
思わぬ反撃に、ドゥレムディラは内心渋い顔をしていた。並のモンスターならば、今の一撃で戦意を喪失するハズだった。だが、還ってきたのは尾による横一線の痛烈な殴打。この世界にやって来てから、久方ぶりに感じる明瞭な痛打は、ドゥレムディラを怯ませるに十分な威力をもっていた。
その一瞬の隙。振りかぶる大仰なティガレックスの前足による一撃が、ドゥレムディラの鼻面を捉え、撃ち抜く。
大きく仰け反り、その巨体が宙に浮く。セシリアは、吹き飛ばされ、自らが作った氷を砕いて海に沈むドゥレムディラに呆気にとられていた。
「ゴォォォオ!!」
勝鬨でも挙げるかのようなティガレックスの一吠えが、大気を揺るわせる。恐怖を感じるのはしょうがない。セシリアはそれでも、震える手を懸命に抑え、スターライトブレイカーを構える。その時、ティガレックスと目があった気がした。
「っひ…!」
短い悲鳴。それと同時に引き金を引く。だが、彼女の一撃が、ティガレックスの甲殻を、鱗の一枚でも、傷付けることは叶わない。普通じゃない。まともじゃない。彼女の放つ光弾は、決して出力の低いものではない。当たればヘリも一撃で落とし、戦車だって貫くことができる。
何故、そんな出力のある光弾が、あの竜の鱗一枚焦がすことも難しいのか。理解できない事態への恐怖が、セシリアを酷く動揺させる。一夏も、鈴もいない。頼みの綱のドゥレムディラは、海に沈んだ。孤独と、捕食者を前にした恐怖は、彼女の奥歯をカチカチと音を鳴らさせる。幸い、スターライトブレイカーにも、ブルー・ティアーズにも、十分なエネルギーは残っている。シールドエネルギーもほぼ満タン。普通ならば恐怖を感じる要素はない。そう普通の相手ならば。
「お行きなさい!ブルー・ティアーズ」
命令を下し、自分の愛機の名前の由来でもある武装を展開する。オールレンジ攻撃を可能にする、自在に宙を舞う射撃武装。他のISにはない、ブルー・ティアーズだけの長所。それらがティガレックスに向かって飛びながら、各々射撃を加える。
さすがに、うっと惜しいのか、ティガレックスはその光弾から逃れるように砂上を移動するその様を見て、彼女はもしや勝てるのでは?と淡い期待を抱く。しかし、次の瞬間。
「ゴァッ!!」
どこから出したのか、前足を構え振り下ろしたティガレックスに答え、砂辺の中から巨大な砂岩が三つ、セシリアに向かって飛来した。
「っ!?」
急な事態に対処が遅れた彼女は、その砂岩の一つが直撃してしまう。
強い衝撃は、絶対防御越しにも彼女を揺らし、強い脳震盪を発生させた。ブルー・ティアーズは制御出来ずに墜ちていく。彼女自身が見に纏うISも、高度を下げている。ティガレックスは、そんな彼女に今一度、砂岩をぶつけようと構える。気がついていなかったのだ。海面一面が、赤紫色の氷に覆われていることに。セシリアは、その氷を砕き、何か暗い青とと、橙色と朱色を混ぜたような色を持つ龍が、残像のように現れるのを見た。それを最後に、意識を手放す。
「はっ!ここは!?」
意識を取り戻したセシリアは、自分がベッドに寝かされていたことに気が付いた。
「気が付いたか。」
「ドゥレム……さん?あれ、私は?」
声をかけられ、目をやれば頭に包帯を巻く、人間体のドゥレムディラがそこにいた。
「気を失っていたぞ。あのモンスターは俺が倒したが、流石に骨がおれる。」
「そう……ですか。あの、一夏さん達は?」
「一夏は重傷でまだ眼を醒まさないが、命に別状はない。鈴に至ってはほとんど無傷。」
一夏の重傷という言葉は、重くセシリアにのし掛かった。重傷とはどれ程なのか、命に別状はなくても、なにか後遺症が残ってしまったらどうようか。不安は次々と沸き上がり、彼女の心を蝕む。
「とにかく、今は休め。お前達は良く頑張った。」
ドゥレムはそれだけ告げ、セシリアの元を離れる。
彼女は、彼に行って欲しくはなかった。傷心の自分を、一人にして欲しくなかった。一夏がそんな怪我をしたのは、止めなかった自分の責任だと、自分を責めたて、ティガレックス相手に何も出来なかった己の未熟を恥じる自分を、近くで止めて欲しかった。しかし、彼にそこまでの気の効いた物はなく、セシリアは、自分の肩を自分で抱き締め、一人泣く他なかった。
「これは……。」
「はい。見ての通り、『当たる』前に『消失』しています。」
その日の夕暮れ時、モンスター発生の知らせを受け、出張から急ぎ戻った千冬は、麻揶に呼び止められ、昼間の戦闘のデータを閲覧していた。
「原因は分かるか。」
「まるで…。ただ、熱量は感じるようで、この後、オルコットさんに意識を向けています。また、鳳さんの甲龍による空間圧縮砲でも、同様の現象が起きているかと。この場合、空気ですから熱量もなく、鳳さんには意識も向けなかったと思われます。」
「だが、一夏の刀は奴を裂いた。そうだな?」
千冬の言葉に頷く事で答える麻揶。続いて別の画像。一夏が最後の力を振り絞り、ティガレックスの尾を切り裂いた場面の画像を、パソコンのディスプレイに表示する。
「この尾なんですが、一夏君に斬り離された後、消息は完全に不明です。落下予測地点半径3km圏内で捜索しましたが、影も形もありません。それに、今回もこのティガレックスと呼称されるモンスターの遺体も、何もありません。以前のようにドゥレム君が上空に投げ出した訳でもなく、地面に押し付けたままで、ドゥレム君のブレスを直撃していのですが……威力が強すぎて、粒子レベルで分解されたのかと疑うほど何もありませんでした。」
「……ふむ。」
「まだあるんです。オルコットさんに当てた一撃なんですが、」
再び別の画像を呼び出す麻揶。そこには、地面に前足を振り下ろし、三つの砂岩を宙に放るティガレックスが写っていた。
「この時の砂岩。一つはオルコットさんに直撃。もう一つは海中へ、そして最後の一つは、当時無人だったグラウンド横の倉庫へ落下、倉庫を押し潰してしまいました。それで、その倉庫なんですが、あるべきものがないんです。」
「というと?」
「砂岩です。それに押し潰されたんですか、砕けた砂岩。ないし、砂まみれになってないとおかしいのですが、そんなものはなく。ただ、壊れた倉庫だけ。第一、この砂岩の軌道も物理的におかしいですし、三つ全てが綺麗な円形で同じような放物線を描いて飛んでいます。更にこんな大質量なのに、ここの砂浜には、この砂岩分の失われたはずの質量が存在しないんです。まるで、砂浜から出したのではなく、虚空からあの砂岩を産み出したかのように。」
「まるで、狐に化かされているような気分だな。」
千冬は頭を抱える。山積する問題に、新たに増えていく謎。空の亀裂。湧き出るゲームに出てくるモンスター達。正体不明のドゥレムディラ。
謎は深まり、千冬の胃を苛めるのであった