塗り替えられる記憶   作:美寿子

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吹雪ノ章
夏ノ日、夕暮レ。友ト共ニ。


 木造の、古い学校に染み渡るような暑さ。

 窓の外では蝉が鳴いていて、もう夏が来ていることを感じる。

 そんな中、扇風機も無い上に人が何十人も集まった教室は、むわりとした熱気が立ち込めている。みんな、タオルを手にして流れる汗を拭いている。

 私も例外ではなく、額から今にも流れ落ちそうな汗を拭う。汗を吸いこんだタオルを手にしていると、益々暑さが増すような気がする。

 夏バテしているからか、やる気のない生徒たちの口が動くことはない。先生も、出来ることなら授業などやらずに職員室に篭りたいといった様子。まあ、図書室と職員室にしか冷房はないし、当然かな。

 かつ、と白墨で黒板を弾く音が教室に響くと同時に、何かが切れるような音が教室内に響く。

 終業の鐘が鳴る前の合図だ。みんな、安堵したように力を無くす。先生は「まだ終わってないぞ」と言うけど、先生も授業が終わるのは嬉しいみたい。束の間のため息や騒めきの後、鐘の音が校内に鳴り響く。

「よし、じゃあ今日はここまで。号令」

 先生が指示を出すと、日直の女の子が起立と小さく言う。でも、みんなその子が言う前に既に立ち上がっていて、その言葉はほとんど意味を成していなかった。

 礼、という言葉に合わせて軽く礼をする。いちいち始業と終業の礼をちゃんとやっている子なんていないと思う。先生は足早に教室を抜け出す。教室内では疲労の声や、睡魔に打ち勝ったという内容の話が多く聞き取れる。

 今の授業で今日はもう帰りだ。のろのろと帰りの支度をする生徒も何人か見られる。

「ねえねえ吹雪ちゃん、一緒に帰ろう」

「もちろん良いよ。帰りにアイス食べたいね」

 仲のいい女の子から帰りに誘われた。特に断る理由もなかったから承諾したけど、本当は寄り道とか良くないことだって分かっている。

 しかし、学校という世界は面倒臭いことに、一度人間関係を壊してしまうと、修復することが出来ない。それに加えて、この世界では人間関係が何よりも重視されてしまう。今の私は特に目立たず、大人しい子でいられているけど、それもいつ壊れるか分からない脆いもの。

 早くこんなところから抜け出したい、と今までに何度も思ってきた。

 担任の先生が面倒そうな表情で戻って来た。せかせかと動くその先生は、見ていて飽きないので好き。

 ……向こうは、私のことなんてきっと何とも思っていないけど。私は印象に残り辛い子なのだ。それは自負しているし、悪いこととは思っていない。

「帰りの会始めるよ。日直前に出てきて」

 早くしろと叫びそうな速度で言葉を口にする先生。それに歯向かうようにのろのろ歩く日直の女の子。先生は苛立っているけど、極力それを表に出さないようにしている。

「起立」

 先程と同じく小さな声で話す女の子。まあそれは、今に始まったことではないけれど、やはり聞き取りにくい。

 女の子が司会を務める帰りの会は、先生に急かされいつも以上に早く終わった。そして、先程の先生と同じく担任の先生もせかせかと職員室に戻っていった。生徒よりも冷房の方が大切なのか、と抗議したくなったけど、時間の無駄なのでやめることにした。

「吹雪ちゃん、帰ろう」

「うん。今日も暑いね」

「そうだね。もう、毎日暑くて嫌になっちゃう」

 無難な会話を交わして歩き出す。正直、一人で帰りたいという気持ちが無いわけではない。

 下駄箱から外に出ると、一層暑さが増し、蝉の鳴き声も大きくなる。外に出てきた私たちを歓迎するかのようだ。……多分違うけど。

「ねえ吹雪ちゃん。吹雪ちゃんって、将来の夢とかある?」

「ん、え? 将来の夢? うーん、そうだなあ」

 直前の会話と全く脈絡のない質問に戸惑いつつも、私は考える。将来の夢、かあ。

 今はまだ中学生で、しかも受験もまだ先。将来の夢なんて考えたことなかった。ただ漠然と時間を無駄にし、淡々と生きてきた気がする。

「うーん、なんだろうね。今はまだ分からないかなあ」

「そっか。私ね、あるんだ。将来の夢」

「へえ……どんなの?」

「ううんと……なんか、今って危ないらしいじゃん? 深海棲艦っていうのだっけ……が、港の方襲ってるとかで」

「ああ……」

 少しニュースなどで聞いたことはあるけど、私はあまり信じられなかった。未確認生物みたいなもので、ファンタジーみたいな、私とは全く関係のない世界だと思ったから。

「そういうのを格好良く倒せる人になりたいなあ……って」

「もうその夢が格好良いね」

「えっ、そうかなあ?」

「うん。良い夢だと思うな。頑張れ!」

「う、うおうおう。吹雪ちゃんも、頑張って夢見つけるんだよ!」

「あはは……そうだね」

 曖昧な返事でその場を凌ぎ、結局私は寄り道はせずに家に帰った。今すぐにでも倒れこみたい気持ちを抑え、部屋まで歩く。

 部屋に着くや否や、私はベッドに飛び込む。ふかふかとしたベッドは私の体を包み込む。そのまま眠りにつくのも良いけれど、この暑さでは眠ってもすぐに目が覚めてしまうだろう。

 特にすることもなかったので起き上がり、窓の外を見眺める。橙に染まった空に、空を映す海。きらきらと光る水面はとてもきれいで、見惚れてしまう。

「ん、んん?」

 ──と、そこに。黒くて、変な形をした影が現れた。魚にも見えるその影には、よく見ると白い歯の様なものが生えている。

「な、なに、あれ!?」

 思わず窓から体を離す。今まで見たことのないその影に、私はただ恐怖した。

「ひと──じゃない。でも、魚でもないし──なに、なんなの──怪物……!?」

 怯える中、私は一つの答えにたどり着いた。しかし、それはあまりにも信じがたいものだ。だって、あれは、私と関係のない、ファンタジーの世界のものだと思っていたから──。

 

 

「あ、あれが深海棲艦……!?」

 

 

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