塗り替えられる記憶   作:美寿子

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夜、夢、カレーライス。

 ごぽりごぽり、と耳元で音がする。それはもしかしたら遠くから聞こえているのかも知れない。あちらこちらから同じ音が聞こえてくるので、遠近の感覚が麻痺してしまったのかも。

 目を開くと、目の前には髪の毛が漂っている。それは他でもない自分の髪の毛。いつもは一つにまとめていたはずの髪は、今は放たれ自由に浮遊している。──浮遊?

 髪の毛の奥には青い世界が広がっていた。青くて、澄み渡る世界。遠くには白い光も見え、光を反射した泡がきらきらと光っている。

 ここは水の中なのだろうか。しかし、息苦しさや、目に水が入ってくる感覚はない。むしろ、とても心地良い。

 ここでなら眠れそうなほど、安らかで気持ちの良い場所だ。けれど、その発想に至ったときにはもう答えは出ていた。ここは夢の中の世界だ。

 夢の中で、私はゆっくり、何かに遮られることなく沈んでいく。ずっと、ずっとこの夢を見ていたい────。

 

「吹雪!」

 しかし、その願いが叶うわけもなく、目を覚ますと真っ暗な部屋だった。夜、だろう。

「全く。今寝ちゃったら夜眠れなくなっちゃうでしょ?」

「ん、うん。ごめんなさい」

「しょうがない子ね。ご飯できたから、早く食べなさい」

「今行きます……」

 寝ぼけ眼のまま、立ち上がろうとする。そして、初めて私が床で寝てしまっていたことを知った。思えば、身体が少し痛む。

 私の部屋とは対称的に明るい廊下に出ようとしたとき、母親の視線が不自然なことに気が付いた。なにかを疑問に思っているような、腑に落ちないような、そんな視線。

「どうしたの?」

「いや、いまアンタ変に丁寧だったから、何かと思って」

「丁寧?」

 私の動作のこと? と思ったけど、今の私は何もおかしいことはしていない。それとも、母親が何か丁寧と感じるようなことをしたのだろうか?

「敬語、使ったじゃない」

 理解していないことを察した母は、言葉遣いのことだと教えてくれた。……けど、特に敬語を使った覚えはない。

「変な子ね。もういいから、ご飯食べましょう」

「うん」

 今度こそ明るい廊下に出る。暗い部屋に慣れていたからか、光がとても眩しく感じる。顔を顰めながら、ご飯が用意されている居間に向かう。

 居間には二人分のカレーライスが用意されていて、キッチンにはもう一つ分が置かれている。

「今日もお父さん遅いって。先に食べましょ」

「そっか」

 父に関しては、いつものことなのでわざわざ説明しなくても、と思う。三人で食卓を囲む機会なんて、休日にあるかないかくらいだ。

「いただきます」

「召し上がれ。そしていただきます」

 特に話すこともなく、黙々とカレーライスを口に運ぶ。食べ続けるうちに辛さが増し、余計に汗が多く出る。寝ていて汗ばんでいたのに、更に暑くなる。

「なんで床で寝ちゃってたの?」

 カレーが乗ったスプーンを口に運ぼうとしたとき、丁度母から質問が飛んできた。驚いたせいで、反射的に「あ」という声が漏れた。

「えっと、今日は友達と一緒に帰ってきて……」

 夢の話をして、深海棲艦の話をして、私は窓から遠くの海を眺めていて、そしたら、そうしたら、深海棲艦が──。

「あ、つ、疲れちゃってたみたい?」

「そう。寝るならちゃんとベッドで寝なさいよ。というか、昼寝は止めなさい」

「うん。気をつけるよ」

 手にしていたスプーンを口に運んだ。

 

 ちゃぷり、と軽い水音がこだまする。髪の毛は濡れ、全身は湯船に浸かっている。軽いため息をは、と吐くと湯気に紛れて分からなくなる。

 今日のことを思い返すと、色々あったような──無かったような。

 深海棲艦に対する衝撃が強すぎて、それ以外のことを忘れてしまったようにも思える。けど、やはりふつふつと記憶が蘇るので、忘れてはいないらしい。

「深海棲艦──」

 その名前を口にすると、あの得体の知れない生物──生物なのかもわからない、奇形のものが脳裏をよぎり、全身に鳥肌が立ってしまう。

 ぶくぶくと泡を立てながら沈み、水中で落ち着こうとする。

 ──水中。水の中。泡の音。夕方の夢を思い出し、目を開こうとした瞬間。

 何かが、私の中に蘇った。

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