塗り替えられる記憶   作:美寿子

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風呂、思イ出ス、記憶。

 吹雪型駆逐艦一番艦「吹雪」。

 太平洋戦争シンガポール方面掃蕩バタビア沖海戦ガダルカナル島の戦いサボ島沖海戦────。

 どおん、どおんという重い音。

 1942年10月11日という文字と、沈む感覚。

 一気に私の中に蘇り、溢れかえってしまいそうな記憶。脳みその容量を超えた大量の記憶は、私にこびりつくようにして離れまいとしている。

「っうあああああ、あ、うわあああっああああ──!」

 耐えきれなくなってしまった私は、口から記憶を吐き出すように叫ぶ。しかし、勿論記憶は吐き出されず、私の中に今も居座っている。なんなんだ、これは。どうしてこんな記憶があるの。

 暴れる私に対し、皮肉的に溢れる湯船の水。お前とは違うんだ、お前よりもこちらは自由なのだと言われた気がして、思わず拳で湯船を叩いてしまう。

 どん、という音はしたものの、湯船よりも私の拳の方が痛くなる。

「どうしたの吹雪、大丈夫?」

 私の叫び声と、湯船を叩いた音を聞いてか母が扉越しに声をかける。そんな声に答えられる余裕はないものの、答えないと厄介なことになってしまうので声を絞り出す。

「大丈夫だから──吹雪、なんともありませんからっ──今はちょっと一人にしてください」

 抑揚が激しく、なんと言っているのか伝わっているのか曖昧なところだったが、大丈夫という旨は伝わったらしく、母の気配は無くなる。

「は、は、はっ……あっ、う」

 喉に何かが突っ掛かった様に息が上手く出来なくなり、噎せ返る。水は激しく揺れ、更に記憶を蘇らせようと容赦なく襲いかかる。

「どうして吹雪が、こんな目に……」

 そこで、一人称に違和感を覚えた。

 吹雪? 吹雪と言ったか、今、私は。いろいろおかしいことに気が付いた。

 敬語。夕食を食べる前に母親に指摘されたそれを、私は先程なんの違和感も抱かずに使っていた。

 自分が少しずつ、変わっていっている。その事実に気付き、正気でいられる方が気が違っている。

 私は、お風呂を出てからの記憶が全く無い。

 

 浅い眠りから自然と目を覚ますと、小鳥のさえずりや木々の微かに揺れる音が聞こえてきた。カーテンからは薄い光が差し込み、部屋中を弱い光で包んでいる。少しの間ぼうっとしているも、平日だということを思い出して飛び起きる。

 時間を確認すると、もう8時を過ぎていた。慌てて居間に行くと、そこには置き手紙とおにぎりが二つ、机の上に乗っているだけだった。母が仕事に行くには早い時間なので、不思議に思って机に近付く。

 紙には「お母さんは仕事に行ってきます。学校には連絡をしたので、朝はおにぎりを昼は昨日のカレーの残りを食べて、ゆっくり休んで下さい」と、妙に丁寧な文体で書かれていた。変なの、と思い汗ばんだ頭を掻こうとすると、焼け付くような痛みが走った。

 急な出来事に驚き、優しく痛んだ箇所を触ってみると、頭に切り傷が出来ていた。一体、昨日の私は何をしてしまったのだろうか。

 とりあえずお皿から一つおにぎりを手に取り、食べる。そこで、頬の内側の肉も切れてしまっていることに気が付いた。妙に傷の多い自分の身体に、流石に不安を隠せなくなってきた。もしも、母に何かをしてしまっていたらどうしよう。

「私、どうしちゃったんだろう」

 なんとなく額に手を当ててみるも、特に熱があるようではないし、やはり昨日あった「何か」が原因で、母は私を休ませることを決めたのだろう。

 薄い塩味のおにぎりが、妙に美味しく感じた。

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