作中に登場する人物、団体、土地、その他諸々は殆どがフィクションです。
予めご了承して頂けた方のみ、お時間の許す限りお楽しみ頂けたら幸いです。
そこは暗かった。
意識を取り戻した彼女は先ず、この暗さと対峙することとなる。錆びた鉄の匂いに紛れて水の匂いが香ってくる、この冷たい闇と。
足は湿った地面に密着している感覚がある。膝から脛に掛けては時折、皮膚の内部に鉄の塊を直に差し込まれているかのような、そんな錯覚すらも覚える鋭い冷たさが襲ってくる。
両腕の感覚はなくなっているのだが、肩は確かに首根よりも上に位置しているのだけが分かる。両腕が何かによって吊るされているのである。
「おはよう、小夜」
声がした。水の滴り落ちる規則正しい音のみが反響していた彼女の耳に、優男風の声音が遠慮がちに入ってくる。声の感じは若くも老いてもおらず、男声にしてはやや高い部類。
「さ、や?」
声帯が震え切らない声の粗末さは酷かった。けれど、闇に粉した男は意に介さない様子で続ける。
「そうだ、それが君の名だ。もう忘れてしまったのか?」
男にとって小夜の発した声色以上に、彼女の記憶についての心配の方が優先度の高い事柄のようである。
欠落していたら何か、この声の男にとって都合の悪い事態を招くことになるのだろうか。小夜は頭を垂らしたままもう一度、口を開く。
「ここは――あなたは誰?」
暗がりの内に響き渡るか細いガラついた声が尋ねたのは二つのことだった。場所、そして対峙していると思しき男の素性。
大して難儀な問いでもないはずが、男は渋る。
「思い出せばきっと、僕なんかに尋ねる必要性がないことを悟るはずだよ。聡明“だった”君ならね」
だった、と。煽りにも似た意味合いをわざわざ醸す辺り、彼にとってはやはり、小夜の記憶について並々ならぬ執着があるように感じられる。
挑発的に、しかし慎重に。男は彼女の頭に蔓延る靄を振り払おうとしているのだ。
「わからない……助けて」
思惑とは、奇妙なほどに須く成就しないモノである。男は、自ら模索する努力を怠って自身へ助けを乞うて来る小夜に辟易とも取れる、複雑にして特徴的な一端を主張する感情を表出する。
不確かな怒り、憤りの未完成形である。
「助けて――それを僕へ乞うて来るのかい?」
未だ暗闇に視界が閉ざされているのがそうであるように、闇雲に、手探りで進むしかない思考の迷宮で彷徨い続ける小夜。
男の発した憤りに限りなく近い感情すら、今の彼女では察するに至らない。詰まる所、覚醒したのは身体的な部位のみであり、頭や脳、そこに付随する思考能力に関してはまだ、微睡みの深淵を徘徊し続けているのであった。
「助け、て」
ギリッ。歯軋りによる短い研磨音が一つ。
「いつまで寝ボケているつもりだ、小夜っ」
次いで響くのは金属が打ち鳴らされる鈍い音。甲高く聞こえて来ないは錆が原因か、構造状の由縁か。どちらにしても、最初に感じられた優男風の男声はその成りを潜め、怒声の面をかぶり出した。
般若如来の鬼神面が睨んだ先から、今度は重厚な金属の摩擦音が湿った地表を這い出す。
「私は――私は――」
精魂を込めて言い放たれた叫びが呼び覚ましたのか、小夜の身体は微睡みに苛まれた思考回路を揺り起こさんとして、狭い可動域をふんだんに使用しながらもがいているのだ。
四肢を繋ぎ止める枷が激しい動きに反発して騒ぎ立てる。が、見た目は錆の具合が進行を見せてはいても随を、その根端を成すのは特殊な合金製。小夜のか細い腕や脚がどうにかできる代物では、到底にない。
その様を受けた男は動く。これを好機と悟り受け、動いた。
「小夜、君ならこんな鎖、どうともなるはずだっ。思い出すんだ、君が何者だったのかっ」
ダメ押しと言わんばかりに捲し立てる。
「私は――」
刹那。男は暗がりの向こうで光る、二つの深紅を見た。
最近、BLOOD+やBLOOD-Cを見返して衝動的に書きたくなった結果がこれです(・・;)
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