BLOOD-Re:   作:河野将

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第四話「追想Ⅲ」

 

 発砲音が一つ、二つ。

 偏屈さの欠片もなかった廊下は今、どこを探してもこの世には勝る場所がないだろうと、そんな印象を与えてくる程に特異な空間に変貌していた。

 異形の者が身をよじらせ、くの字を描いた向こう側には黒光りする拳銃を手にした男が見える。

 目を開けた小夜が見た最初の光景がそれだった。

 

「小夜、早くこちらにっ」

 

 知らない顔、知らない声に導かれた。

 不信――しかし、今の小夜がすがるべき藁はこの男以外にはない。

 

「亜弥ちゃん――友達がっ」

 

 へたり込んでしまった亜弥の腕を掴み上げようとしながら、銃弾に怯んだ異形の向こうにいる藁へ叫びかける。願わくはこの友人にも掴ませて欲しい、と。

 

「教室だっ、すぐ横の教室へ入ってくれ」

 

 身を起こさんとする異形へ銃を構え直す男が叫ぶと、小夜は考えるよりも先に亜弥の身を引きずるようにしてすぐ脇の扉をくぐる。

 後方の異形は男が引きつけたが、前方の異形は小夜と亜弥の後に続かんとばかりに大仰な足音を立ててくる。

 

「亜弥ちゃん、早くっ」

「ごめん、小夜――きゃあぁっ!」

 

 先にドアをくぐった小夜が亜弥を起こそうとした瞬間、亜弥の右足が筋張った枯れ木色の腕に掴まれたのだった。

 それはまさに――小枝の折れる音だった。

 

「亜弥ちゃんっ!?」

「痛っ、痛いっ痛いっ――」

 

 彼女の細い喉が潰れそうな程の絶叫は小夜の思考回路をショートさせる。

 意識ははっきりと残る。が、脳へ到達する視覚情報が現実のものであるはずがない、と彼女の頭は自らの目を疑い始める。

 

「小夜、痛いっ、助け――痛い痛いっ!」

 

 これは何だろう。夢か、幻覚か、幻聴か。

 亜弥の腕を掴んでいた小夜の手から力が抜け落ちる。

 支えを失った亜弥の上体は途端に床へ打ち付けられ、そのまま教室の外へ引きずられて行く。絶叫は続いた。

 小夜の膝、意識が床へと沈殿して行く。何かが砕けた音が聞こえると、絶叫は止んだ。

 

 

 ◆BLOOD◆

 

 

 身体の奥に熱を感じる。

 これまでの人生でその機能がずっと眠っていたかのような、認知したことのない臓器が稼働し始めた気がする。

 暗闇に埋没していた小夜の意識を覚醒させたきっかけは、その奇妙な感覚だった。

 瞼の裏はゆっくりと解錠され、暗い天井が自分を見下ろしているのに気付く。

 そこは意識が沈んで行った場所のままだった。

 

「小夜、目が覚めたか?」

 

 正方形の白い木版がはめ込まれた天井との境に、黒い短髪の男が割って入ってくる。男は眉の端を下げ、心配そうな面持ちで覗き込んできたのだ。

 

「あ、亜弥ちゃん……は?」

 

 胸からせり上がってくる熱源を押し留めながら友人の安否を問う小夜。

 一拍――返答が聞こえるまでに掛かった凡そ一秒弱。その僅かな滞りが無情にも小夜に、返ってくる言葉の残酷さを悟らせる。

 

「君の友人は――」

 

 続く言葉を自衛心が遮った。本能が小夜の耳に栓をはめた。

 

「嘘……そんな」

 

 呟きを漏らす小夜から目を逸らした男は一言、「すまない」と口ずさむ。

 状況を鑑みれば亜弥の死は致し方のないものだった。相手は異形の化け物が二体、こちらは女子高生が二人と拳銃を持った男が一人。むしろ犠牲者が一人で止まったのが奇跡的なようにも思える。

 しかし大切な人を失った者にとって、如何様な理由があったとしても容易に諦めのつく事情には至らない。念頭に浮かんでくるのは、須く怒りだ。理不尽な結果に対する憤りのみ。

 

「どうして亜弥ちゃんが……どうして」

 

 震える声音が暗がりの内に溢れ返る。

 

「すまない」

 

 男はただ、謝罪の言葉を繰り返すだけの人形に代わり映える。

 顔を覆うように当てがわれた小夜の両手が震える。鼻をすする音、折に聞こえてくる嗚咽の苦しげな響きが確かな言葉以上に男を責め立てているかのようだった。

 

 

 しばらくして、雨の足音や雷鳴に紛れて表から聞こえてくる物騒な音が二人のいる教室まで聞こえてくると、男は床から腰を上げる。

 

「外では奴ら……あの化け物たちと僕の仲間が交戦している。小夜、君はここに――」

 

 告げてから、教室を出ようと小夜の方へ振り返った男の表情が強張る。収縮した瞳が物語るのは一つの感情の表出――恐怖だ。

 

「小夜、やはり君は――」

 

 覆った両手の指の隙間から男を睨んで来るのは、二つの紅い光だった。

 

 

 ◆BLOOD◆

 

 

 校庭の中央付近に陣を成した男たちの数は五。選りすぐりの精鋭部隊として各方面から招集されたエリートたちである。だが。

 支給された特殊な防護服、装備品の数々を雨に濡らした彼らが一様に震えているのは濡れたことによる体温の低下が由縁ではなかった。

 

「隊長、奴らに銃弾は効果がありませんっ」

 

 黒いメットをかぶり、手にしたライフルの銃口を仕切りに熱する一人が叫ぶ。が、隊長と呼び称えられた五人の内で最も後方で構える男の耳には届いていなかった。

 名高い戦士とは流石であり、敵対する相手の凄まじく圧倒的な力を前にしても不動を貫いていたのだ――いや、単に驚愕に身を預けていただけなのかもしれない。

 

「話が違う……上はこんなこと、言ってなかったぞ」

 

 隊長は漏らす。銃弾や怒号に紛れさせれば他の者には聞こえないであろうと踏み、恥も外聞も捨て去って漏らす。

 

「隊長、もう弾が尽きますっ」

 

 雨脚の白い細線が視界の下部へと格子を描く先、異形の者たちは隊員らが手元を光らせて放つ弾幕をもろともせず、徐々に近づいて来る。

 ここまで自分たちが耐え抜いていたのはひとえに、この弾幕があってこそ。それが今、尽きようとしている。

 

「て、撤退する――銃撃をそのままに後退するぞ!」

 

 異形の化け物――彼らを使役する上層部の人間たちはそれを『渇血(かっけつ)』と呼んでいた。

 渇血の討伐。それが彼らに言い渡された任であったのだが。同時にもう一つ、別の任務も言い渡されていた――近隣住民の保護、情報の隠蔽。

 隊長はもう一方の任務を失念してはいなかった。故に続けて指示を送る。

 

「だが、最低限の弾薬は残せ――撤退しつつ目撃者の排除を行うっ」

 

 瞬間、彼を除く四人の顔が曇る。

 

「しかし隊長、この化け物を何とかしないことにはっ」

 

 そんな中、言葉を返した隊員のメットに取り付けてあるヘッドセットのスピーカーから、ふと隊長の漏らす下卑た笑声が銃声に紛れて聞こえて来た。

 実は撤退を指示する間際、彼は校舎に向かったエージェントからの通信を受け取っていたのだ。

 

 ――SAYAが向かいました。

 

 その時、隊員の一人が取り乱したように叫ぶ。

 

「あれは何だっ」

 

 来たか――雷の白光に浮かんだ校舎からの飛来者を見て、隊長の口角が自然に引き上がる。

 散り散りになったガラス片を従えるようにして校庭へ降り立ったのは、黒い制服姿の少女。建物の三階部から跳躍して来たその飛距離、そして何事もなかったかのように平然と着して見せることからして信じ難い光景だが、その場に居た五人の視線を一瞬にして奪ったのはやはり、右手に持った刀と思しき物だろう。

 鞘は赤黒く、柄は黒を基調に白が疎らに配色されている。

 

「隊長、あれも目標ですか?」

「いや――」

 

 銃声が止みシンと静まり返った校庭には雨音、雷鳴のみが煩く騒ぎ立てる。そしてヘッドセットのスピーカーを排し、肉声で隊員へ聞こえ届くのは隊長が嬉々として放つ言葉。

 

「あれは人類の切り札だ」

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