口を覆っていた縄がほどかれると共に、楓は口の中に入っていた布を吐き出した。ヒルカワはその光景を見て鼻で笑い、
「やっと死にやがった。あの悪魔」
と、一言。
それはとても清々しくて、満足感に溢れた言葉のように楓の耳には聞こえた。
彼女は思わずヒルカワを睨もうとして、やめた。もしも睨みでもしたらヒルカワの逆鱗に触れてしまうかもしれない。そうなれば、どうなるかわからなかったからだ。
楓は視線を落として、何かできることも探す。しかしいくら考えようとしても、目の前の男への恐怖だけが無尽蔵に涌き出てきて、結局泣くことしかできないということに気がついた。
私は弱い。
真実から逃げてしまうほど、弱い。
大切な人を忘れてしまいたくなるほど、弱い。
そして、それをわかった今でも、私は逃げ続けている。目の前で『あの人』がやられたのに、それでも自分を変えることができないくらい、私は弱い。
知りたくなかったことがある。思い出したくなかったことがある。私はそれを直視したくないがために、あの時のことを思い出したくないばかりに、必死に私は関係ない。私はなにも知らない。と言い聞かせていた。
私は逃げたのだ。そんな私に、もうあの人に頼るだけの権利は……ない。
あの人の名前を呼ぶことも、私には許されない。それだけのことを、私はしてしまった。
「宇佐美さん……」
それでも、私の口は自然と開き、その言葉を出していた。
私は愚かだ。私はバカだ。だから私は私が大嫌いだ。あの人にあそこまでのことをしたにも関わらず、自分の命が危なくなってからあの人の名前を呼ぶなんて、卑怯で最低だ。
「宇佐美さん!」
私はどうでもいいから、あの人には応えてもらいたかった。あの人が死ぬわけがない。あの人はウルトラマンメビウスだから。死ぬわけない。
「宇佐美さん!!」
……しかし、その言葉にメビウスが応えることはなかった。メビウスは食われた。自分より遥かに大きなカタツムリに食べられた。
「残念だったな。宇佐美とかいうやつはもう死んだ。ウルトラマンメビウスは死んだんだよ」
「宇佐美さんは……宇佐美さんは死んでない!」
「見てなかったのか? メビウスは食われたんだよ。あの化け物にな」
ウララの咆哮が、不気味に響いた。
ヒルカワが見下すようにしてこちらを見た。その手に握られているのは、どこからか取り出したサバイバルナイフのようなもの。
逃げたい。でも、手足を縛られたこの状況ではなにもできない。
ヒルカワは、次は私だと言った。殺されるのだ、私は。
泣きたくなった。死に恐怖することは、今日が始めてじゃない。でも、こればかりは馴れるものじゃない。
その時だった。
発砲音のようなものが連続して鳴り響いた。ヒルカワは驚いて後ろを振り向く。
「…………」
そこには、小銃を空に構えた一人の男。小銃なんてものを構えているくせに、服装を見る限りは一般人に見えた。顔は暗いのと霧あるのとでよく見えない。
ヒルカワも楓も、予想もしていなかったことに、男をジッと見ることしかできなかった。
その光景は、危機管理センターにも届いていた。
「なんなんだあの怪獣は!? あんなにデカイなんて私は聞いていないぞ!!」
そう声を張り上げるのは村形総理だ。
「それからなんなんだあの男は!?」
陸自の無人機から送られてくる映像には、ウララのその巨体がはっきりと映し出されていた。そしてその近くに三人の民間人らしき姿。しかしその内のひとりは銃のようなものを、二人の民間人に向けている。
「解析結果でました! 男が持ってるのは64式小銃です」
分析を担当していた部署の男の声が聞こえ、なんてことだ。と総理の顔が青ざめる。
「いったいなにがどうなっているんだ! なぜ自衛隊の兵器が……しかも民間人を撃とうとしているのだ!!」
正確に言えば神原は楓を助けようとしているだけなのだが、そんなことを知らない村形から見れば、その映像は頭がイカれた男が民間人に銃を向けているようにしか見えないだろう。
「わかりません! 今各基地ならびに各駐屯地に小銃の紛失したか事実確認を急いでいます!!」
その言葉に総理は持っていたボールペンを思わず地面に投げつけた。勢いよく投げられたボールペンはいい音ともに地面に当たると小さくリバウンドした。
ただでさえ国民の自衛隊に対する目が厳しいこの国で武器が外部に持ち出されるなど、あってはならないことなのだ。あまつさえそれが今まで判っていなかったなどと……
起こってはならないことが起こってしまった。総理はそう思うことしかできない自分をひどく情けなく感じた。
その男――神原はヒルカワに小銃を向けた。
安全装置をレ(連射)からタ(単射)に切り替えて、ヒルカワをしっかりと狙う。基地を抜け出すときにパクってきた64式小銃が役にたった。
「その子から離れろ」
神原は自分でも恐ろしいほどの声色でヒルカワに言った。
だがヒルカワはまったく動じる様子がない。
そのことに神原はイラついた。こうして小銃を構えてはいるが、実際に撃つ勇気はない。この状況が長引き、ヒルカワにそのことが悟られればあの子を助けることは難しくなる。
……もっとも、やつにあの子を放す意思があるのなら、の話だが。その気がないのなら渡してはくれないだろう。
「離れろ!!」
焦りからか、自然と言葉が強くなる。
人差し指が勝手に引き金をひこうとするのを、どうにか押さえる。殺してしまえば、後戻りはできない。
「……俺に命令してんじゃねぇよ!」
突然、ヒルカワは怒鳴った。
榊原を強引に立たせて、その首筋にナイフを当てる。
撃つか、撃たないか。
長らくの間、戦ってはいけない自衛組織にいたことが神原の判断を鈍らせる。
「てか誰だよお前! ぶっ殺すぞ!」
ヒルカワはそう言うやいなや、ウララにアイコンタクトのようなものをした。
ウララはその意味を知っているらしく、高らかに咆哮すると、神原の方を見た。明らかに攻撃してきそうな感じだ。
どうすればいい。
神原はヒルカワを撃てなかったことに後悔した。
神原は迷った。強引に楓を助けるべきか、それともここは早急にウララを倒し、宇佐美を助けるか。
今ここで楓を助けたところで、彼女を守りながら戦うというのは、残念だが今の俺にはできない。だが、ここで彼女を助けられなかったら、今度はいつ助け出せるかわからない。
もともと俺は宇佐美を援護するためにはるばる来たのだ。その目的を間違えてはいけない。
しかし、今ここで女の子を……ましては彼女を見捨てることはできない。彼女は自分が過去に拷問をした少女なのだ。それだけのことをしたぶん自分は彼女を助けなければならない。
だが、今は考えている時間すらない。今にもウララが襲いかかってきそうだ。
「さっさとその子放しやがれ!!」
しかしヒルカワに楓を放そうとする動きは見られない。
「うるせんだよ!! その銃おろせ!!」
そう言われて銃を下ろす気はまったくなかった。ここで銃を下ろしたら何もできなくなる。と思ったことも、直後にヒルカワの口から出てきた「下ろさねぇとこのガキ殺すぞ」という言葉に負けてしまった。
神原は何もできないことを情けなく思いつつ、ゆっくりと小銃を下ろした。
「じゃあ次はその銃こっちに寄越せ!」
そう言われた神原は、ふといいことを思いつき、安全装置をそっとタからア(安全)にした。その状態でヒルカワの方へと投げた。
ヒルカワは足下に転がってきた小銃を拾うと、ナイフを折り畳んでポケットにしまい、代わりに小銃を楓へと向けた。
それを見て、待ってましたと言わんばかりに神原は走った。ヒルカワは当然引き金をひこうとするが、安全装置がONになっている今の状態で弾が発射されるわけがない。
「うらッ!!」
あわてふためく様子のヒルカワに、神原は思い切り、顔面にグーパンチをくらわせた。
見事に鼻を直撃したグーパンチはよほど痛かったのだろう。ヒルカワは地面に転がり、血が噴き出す鼻を押さえている。
「よし、もう大丈夫だ!」
神原はそう言うや否や、足と手を縛られている楓を抱えて一目散にその場から逃げる。ウララが自分の役目を思い出したかのように攻撃を仕掛けてくるが、それはうまいこと直撃しなかった。
さっきのは賭だった。
普通の一般人は、アだのタだのレだの、そんな意味のわからないことばかり書いてある安全装置なんて知らないはずなのだ。それに加え、64式小銃の安全装置は他の小銃のそれとは違う。64式小銃の安全装置は引っ張って回すという、他に類を見ない仕様になっているのだ。もしもやつが自衛隊ファンとかそういうのとかなら安全装置についても知っていたかもしれないが、結局奴は知らなかった。俺は賭に強かったようだ。
しかし、ウララの攻撃はやまない。
このまま逃げ続けることは不可能だ。
神原は楓を一度地面に下ろすと右腕にナイトブレスを出現させる。
それが神原の腕にあることに驚く楓を無視し、ナイトブレードで楓を縛っていた結束バンドを斬る。
「あ、あなたウルトラマンなんですか?」
困惑したようなそんな楓の言葉も無視だ。今は構っている余裕なんてない。
神原は数秒間楓をじっと見た後、ナイトブレスにブレードを差し込んだ。
※この話はフィクションであり、実在の人物、団体、国家などとは何の関係もありません。そして、もしも誤字などがありましたらご報告をお願いいたします。感想お待ちしています。