なぜこんなことになったのだろうか。
本多はアパートの自室(2LDK)で自問自答を繰り返していた。
朝五時。この季節で空にはまだ太陽が昇っていない今は、部屋の中がかなり暗い。そんな状況で本多は木製の椅子に座り、半分位まで水の入ったガラスのグラスを持っていた。本多がいる洋室と、隣の和室を仕切る襖は開いており、その和室からは静かな寝息が聞こえてくる。
自分が自問自答していること。何のことか……もちろんあの白髪の少女のことだ。自分両親がいつの間にか帰ってくれたからいいものの、もし見つかったら大変なことになっていた。なんといっても現役の警察官が自分の家に見ず知らずの少女を入れているのである。もしこれが誰かにバレたら、まず新聞やニュースにて日本国民に情報が行き渡ること間違いない。
あの後少女は、ひたすら無視を続ける自分の真横にピタリと着いてきた。
いや、もちろん自分はここに帰って来る途中で交番に寄ろうとしたのである。しかし、その度にあの少女が「今日は楽しかったです」などと頬を赤くしてもじもじしながら言うのだ(しかもいざ交番に入って警察官に話しかけようとした瞬間に)。こんな状況で「この子迷子みたいなんですけど」なんて警官に言ってみろ。誘拐犯とまではいかなくても少女にわいせつな行為を働いたと誤解されて、即任意同行で問答無用の取調室だ。そしてもし誤解が解かれたところで自分の警官人生がめちゃくちゃになるのは目に見えている。そんなことがわかっていながら「この子迷子みたいなんですけど」なんて口が裂けても言えるはずがない。
その他に本多には少女を家に泊めた理由があった。それは少女の手首にあった痣だ。刑事である本多だからわかる。あれは手錠などで手首を拘束された時にできる痣だ。そのことを知ってから、本多は少女に何か触れてほしくはないが、保護してほしい理由でもあるのだと悟り、仕方なく、今日だけは泊めることにした。
本多はグラスを口につけ、中の水を喉に押し流す。
大変だったことはお風呂と布団のことだ。最初に言っておくが、自分にはロリコンなどという特殊な趣味がない(と思う)。だから少女に着せるような服もないし、ましてや下着もない。一度着た物をもう一度着るのは少女も嫌だろうし、などと悩んだ結果、わざわざ遅くまで開いてる店に買いに行ったのだ。まさか父親――ましては結婚する前に子供の下着と服をそれぞれ数着買う羽目になるとは夢にも思わなかった。
そして布団だ。自分はもちろん独り暮らし。布団が二つもあるはずがない。店に布団はあったが、買えるだけの持ち合わせを用意してるはずもなく、だけど少女と一緒に寝る訳にもいかず、しかしこんなくそ寒い真冬に少女を布団以外の場所で寝かせる訳にもいかず、結局自分はこんなくそ寒い中毛布一枚羽織ることなくソファーの上で寝る羽目になった。
「はぁ……」
今日は仕事だ。この事を大袈裟になる前に終わらせるには交番に「この子迷子です」と言う訳にもいかない。そうなると出勤するまでにはあの少女をどうにかしなければならない。
ピーンポーン。
来客が来たことを知らせるチャイムが鳴った。
誰だこんな時間に。と思いながら本多は玄関に急ぎ足で向かう。
本多は少し警戒して除き穴から外にいる二人の男を見て、セールスマンか何かかな? などと思ってチェーンを外し、鍵を開けてドアを開く。そこにいた男、一人は黒いサングラスを着けた三十代くらいで、その頬に切り傷がある、ヤクザみたいな男。もう一人は四十代前半くらいの優しそうなおじちゃん。どちらも背広姿だ。
「何の用ですか?」
本多は男たちのことをセールスマンと信じて疑わないために、そう言った。
男たちはこちらの顔を一瞬確認すると、二人はスーツの内ポケットがある場所らへんに手を入れ、それを出した。
「警視庁捜査一課や。部屋を見せてもらうで」
ヤクザみたいな男が捜索差押許可状を見せてそう言う。そして四十代前半くらいのおっちゃんは警察手帳を見せてくる。
本多の顔は青ざめたことだろう。警視庁の人間がわざわざこんなところに来たということはきっと自分が誘拐したと勘違いされたはず。本多の頭はパニクってそれだけしか考えられず、気がついたら、
「ぐほぉッ!?」
ヤクザみたいな刑事の腹に蹴りを入れていた。
ヤクザみたいな刑事はそのまま鉄の柵にぶつかった。もう一人の刑事はすぐに部屋の中に強引に入ろうとするが、本多の方が一瞬早かった。
バタンッ、と勢いよくドアを閉めて鍵とチェーンをかける。
本多はドアを背にして肩を上下させる。視線はドアの方に向いている。
ヤバいどうしよう。なぜ蹴ってしまったのか自分でも理解できない。これは完璧に逮捕ものだ。そうなればどうせもう警察官じゃいられなくなるだろうし、いっそのこと自殺でもしてみるか?
「こらッ! 開けろ! 開けないとドア壊すぞ!」
おそらく優しそうな顔をしていた方の人の声だろう。ドアをドンドン叩きながらそう言った。が、そう言われても開けられる訳がない。開けたら即逮捕になるとわかっていて誰が開けるのだ。
「おいっ! 引っ越しごときで何をそんなにパニクってるんだ!!」
轢き殺した? ドアを向こうの人間は引っ越しと言ったのだが、頭がめちゃくちゃに混乱している本多には「轢き殺したごときで何をそんなにパニクってるんだ」と聞こえた。
「お、俺は人を轢き殺した覚えはありませんっ!!」
「ひ、轢き殺したぁ!? 何を言ってるんだお前は!? いいから早く開けろ!」
「開けません!!」
「いいから開けろッ!! 桜庭君を蹴ったことは多目に見るから!」
絶えずドンドン、とドアの外から聞こえてくる。
その時、誰かがペタペタと歩く音が聞こえた。
見ると、あの白髪の少女がパジャマ姿のまま眠そうに目を擦りながらペタペタと歩いてきた。おそらくうるさくて起きてしまったのだろう。
「おはようございます……」
少女は照れくさそうにそう言う。しかし、それどころではない本多はすぐにドアに視線を戻した。除き穴から刑事たちが何をしているのかを見る。
少女は早足で本多の方に向かう。そして、
カチャリ、カチャン。
「うぇ?」
本多は思わず間抜けな声を出した。少女はチェーンを外し、鍵を開けたのだ。当然、その音を聞いていた刑事はすぐにドアを開けた。
室内に入ってくる刑事二人を見て、本多は自分の人生の終わりを覚悟する。
「本多巡査君よぉ」
誰かが本多の左肩に手を置いた。というかめちゃくちゃ強い力で掴んだ。
その人物の顔を見て本多は思わず「あ」と声を出してしまった。
「さっきはよくも良い蹴りいれてくれたなぁ? あぁ?」
その人物は先ほど本多が蹴り飛ばした刑事だった。本多は自然と顔を真っ青にして頬をぴくぴくさせていた。
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