器物転生ときどき憑依【チラシの裏】   作:器物転生

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原作名:化物語
原作者:西尾維新


【転生】鏡物語【化物語】(上)

000『傷物語』/こよみヴァンプ

 

 僕の名前は阿良々木暦だ。事前の説明も無しに突然だとは思うが、一つ尋ねたい事がある。真夜中のコンビニで、エロ本を買った帰り道に、道路の端で倒れている成人女性を発見した僕は、どうするべきなのだろうか。僕のように健全な高校生ならば、胸の奥から湧き上がる熱い欲求に従って、女性をお持ち帰りするべきなのだろう。誰だってそうする、僕だってそうする。

 たとえ両親や妹達によって、変質者という汚名を被せられようとも、この思いは変わらない。魔力切れで気絶した新米魔法少女の御自宅が分からないように、空から落ちてきた魔導少女のお尻で貧乏探偵がプレスされるように、女性をお持ち帰りするという行為は不可避の法則だ。暗黙のルールなのだ。そう考えると僕は、やはり女性をお持ち帰りするべきだ。するべきなのだろう――僕だって、そうしたかった。

 しかし……しかし、だ。その成人女性が両腕両脚のないダルマ状態だったら、エロい妄想を思い浮かべるよりも先に混乱するだろう。僕だったら動けない事を幸いに、女性をお持ち帰りする。けれども、男性の中でも少数の方々は、ダルマ状態の女性に対して恐怖を抱くに違いない。その両腕両脚の断面からポタポタと血が垂れ落ちている様を見れば、お持ち帰り多数派の僕も携帯端末を用いて救急車を呼ぶ以外の選択肢はなかった。最初から両腕両脚が無い状態ならば兎も角、途中から両腕両脚が無い状態は、明らかに致命傷を負っているからだ。

 さらに垂れ落ちた血が、地面から断面へピョーンと宙を跳んで戻ったり、再び断面から垂れて地面へポターンと落ちたりしている。これほど理解に苦しむ光景を見れば、誰だって目を疑うに違いない。まるで時を戻しているかのような有様だ。そんな絶体絶命の状態にも関わらず、女性は意思の残っている瞳で、こちらを見つめている。そんな女性の姿を見れば、この世の者ではない何かと思って当然だろう――そんな訳で僕は、その幽霊らしき女性から目を逸らし、気付かない振りをして通り過ぎる事にした。

 

「死ぬのやだ、死ぬのやだ、消えたくない、なくなりたくない! やだよお! 誰か、誰か、誰か、誰かあ――」

 

 背後から聞こえた助けを求める声に、僕は足を止める。救いを求める声に引き留められて、通り過ぎた道を振り返った。泣き叫ぶ彼女の姿を確認しないまま、その場を立ち去る事はできなかった。そうして体を半回転させた僕は、街灯の真下にいる彼女の姿を直視する。太陽を連想させる金色の髪と、鮮血で染まったドレスで飾られた彼女は輝いていた。無様に泣き叫んでいても様になっていた。四肢が無くても、彼女は完璧だった――それが失われるのは惜しいと思った。思ってしまったから、僕は無関心では居られなくなった。

 

「おい、どうすれば僕は、お前を助ける事ができる?」

「……泣き叫ぶ儂を無視して通り過ぎた外道のくせして、今さら何の用じゃ」

 

「悪かったよ。以前、目が合っただけで悪魔に憑かれた事があってな。それ以来、変な物が見えたら、絶対に目を合わせない事にしているんだ……だけど気が変わった。お前、生きたいって言ったよな。それなら、お前が死ななくなるまで付き合ってやる」

 

「――本当か? ぬしは嘘偽りなく、儂を助けるつもりなのか?」

「ああ、助けてやる。だから何をすれば良いのか教えてくれ。四肢を千切られた幽霊の治し方なんて、俺は知らないぞ。どこかから両腕と両脚を探してくればいいのか?」

 

「血じゃ、血が足りぬ、血を寄越せ。うぬ一人分を摂れれば十分じゃ」

「そうか、僕一人分の血……って!」

 

 それじゃあ僕が死ぬじゃん――と突っ込もうとした僕の言葉は喉で詰まる。僕の顔を瞳の中に映した、彼女の目は本気(マジ)だった。僕に死ねと彼女は言っているのか。いいや、彼女は「血を寄越せ」と言っているだけだ。血を吸った「結果」、僕が死ぬのは「おまけ」に過ぎない。彼女は僕の生死に無関心だった。単純に「血を寄越せ」と、彼女にとって当たり前の事を言っている。人としての僕ではなく、僕という血袋を必要としている――あるいは彼女にとって、人という存在は血袋なのか。

 僕を血袋と見る彼女の態度に、僕は疑問を覚えた。「これ」は人なのだろうか。「これ」は幽霊なのか。その美しい外面と冷たい内面を持つ彼女は、とても生きている人には見えない。しかし、その「綺麗さ」と「冷酷さ」は彼女に、とても似合っていると僕は思った――そうだ、彼女は完成し過ぎている。人として出来過ぎている。こんな物は現実に在りえない。これほど完全な物が、この世に存在するはずがない。「これ」が人であるはずがない。

 そう思った僕は認識を改めた。これは人の幽霊ではなく、僕に憑いている悪魔と同じ物だ。あの悪魔は自身という存在を「怪異」と呼んだ。「これ」も怪異なのか。ならば何の怪異か。血を吸う怪異か。暗い夜道で四肢のない状態で助けを求めて人の血を吸う、それは何という怪異なのか――いいや、彼女の正体は重要じゃない。さっき僕は助けると決めた。完璧な彼女を死なせたく無いと思った。ならば、僕の遣るべき事は決まっている。彼女が何者であろうと変わらない。

 

「いいぜ、僕の血を――」

『おいおい阿良々木ちゃん。何の相談もなく、勝手に自殺するつもりなのかなぁ?』

「――僕の名前にちゃん付けするな! まるで僕が女装に興奮する変態みたいじゃないか!?」

 

 彼女の瞳に移った『僕』が、僕の言葉を遮る。僕の決意に水を差した相手は、さきほどから何度も前振りしている悪魔だ。鏡面に映った僕の姿を介さなければ、この悪魔は姿を現せない。僕に憑いている悪魔は、僕が死ぬとアイスを食べられなくなって困るのだろう。だから僕の熱い血潮を彼女の口に放出するという救命行為について、彼女の瞳の中にいる悪魔は反対しているに違いない。

 

「なんじゃ? うぬは」

『やあ、吸血鬼。この阿良々木ちゃん……ニンゲンは僕の物だ。お前には渡さないよぉ』

 

「はっ……小物が誰に向かって口を聞いておるのか、分かっておらぬようじゃな。我が名は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード……鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼じゃ。貧弱で存在感もない、まともな形もない半端物が口を出すなぞ無礼であろう」

『その小物にも負けそうな状態で、そんな長台詞を喋れるなんて、見栄っ張りだねぇ。今にも死にそうなんだろう? 死にたく無いんだろう? 助けて欲しいんだろう? でも、僕のニンゲンは渡せない』

 

「……」

『あらら、さっきの決め台詞で喋る元気もなくなったのかぁ。それともエサを摂れないと聞いて、喋る気力が湧かなくなったのかなぁ。このニンゲンは渡せないと言ったけれど、僕はニンゲンの代用品を用意できない訳じゃない。阿良々木ちゃんが望むのならば、阿良々木ちゃんのために、阿良々木ちゃんの代用品を用意してあげよう』

 

 お前はリンカーンか。それは兎も角、悪魔によると彼女は吸血鬼らしい。よく見れば体の下に影は無いし、唇の間から長い牙が見え隠れしている。その吸血鬼は僕に向かって、その存在を名乗った。おそらく、僕の瞳の中に『僕』が映っているのだろう。彼女は僕と話していたのではなく、僕の中にいる悪魔と話していた。僕でさえ見つけるまでに数日かかった悪魔の居場所を、吸血鬼は一目で見破ったのか。もしかして吸血鬼は、僕を超える眼球ペロリストなのだろうか。

 

『それじゃあ阿良々木ちゃん。早く終わらせないと吸血鬼が死にそうだ。アイスクリーム一つで、お前の姿を写してやろう』

「ちょっと待てよ。それじゃ僕の決意はどうなる。ここまで遣って『やっぱり止めました』じゃ、こいつも納得しないだろう。僕が死ぬと御前は困るらしいけれど、それは僕に断りもなく勝手に憑いた御前が悪い」

 

『エロ本を片手に格好付けられても様にならないねぇ。死んだらエロ本を読めなくなるよ?』

「これは生きるために必要なものだ。エロ本が無ければ僕は、羽川の胸を揉みたいという感情を抑え切れなくなる。これが無いまま明日になれば、僕は我慢できずに羽川のスカートを捲ったり、抱きついたりするかも知れない。でも、ここで死ぬと決めたのならば、もう必要ないさ」

 

『なんで、そんなにエロ本語りが長いのさ。お前ってやつは仕方ないなぁ。どうしても死ぬって言うのなら、阿良々木ちゃんを育てた人に連絡した方が良いんじゃない?』

「必要ねーよ。余計な心配をさせるだけだ。死ぬ直前の電話なんて聞いたら、僕の事を忘れられなくなるだろ」

 

『ねぇ、阿良々木ちゃん。お前を育てた人は、お前が産まれた時、幸せな家庭を夢見ていたんじゃないかな。だから家や子供に何百万円も使って、その金を稼ぐために働いたと思うよ。ここでお前が死んだら、その金と努力は無駄になる上に、幸せな家庭という夢は崩壊するんだ――お前は家族を不幸にしたいのかな?』

「ああ、だから、これは僕の我がままだ。こいつを助けると決めた、僕の我がままだ。僕は家族を幸せにする義務があるのかも知れない。でも、こいつが僕の血を必要としているのならば、ここで僕の血を吸わせてやりたい」

 

『本当に自分勝手で、最低な奴だね。あー、もー、……お前じゃなきゃダメだって事はないんだよ。お前の分身で十分なんだ。なんで無意味に、わざわざ死のうとするのかなー。バカじゃないの?』

「もう諦めろよ。こいつが吸血鬼じゃなかったら、長々と話している間に死んでたぜ」

 

『いいや、諦めないよ。こうなったら実力行使だ。アイスクリームなんていらない――僕は、お前が欲しい』

「唐突に告白された!?」

 

 僕の両脇に『僕』2人が現れて、僕の身動きを封じる。正確に言うと、鏡面に現れた新たな『僕』が、こちら側へ映り込んだ――分かりやすく言うと分身の術だ。さらに3人目の『僕』が現れて、吸血鬼の口に片手を突っ込む。すると、ガリガリとガラスを噛み砕くような音と共に、片手が口の中へ沈んだ。とても人体を噛み砕く音とは思えない怪音を発しつつ、吸血鬼によって『僕』が食べられている。その光景を僕は、『僕』によって運ばれながら見る事になった。

 僕を捕まえている『僕』が2人、食べられている『僕』が1人、さらに僕の乗ってきた自転車に乗る『僕』が1人現れる。こうなったら僕は無力だ。悪魔が本気を出せば、僕は何もできない。自宅の前まで連行されて、『僕』がパリンッという音と共に消えたため、やっと僕は自由になった。しかし、これから彼女の下へ戻ろうと試みれば、また『僕』が現れるだろう。仕方の無くなった僕は、エロ本の入った袋を片手に、家族の待つ家へ戻る。こうして僕は、吸血鬼とバランサーと狩人、そして羽川翼の出演する舞台へ上がる前に、強制的に退場させられた。

 

 吸血鬼と出会って始まる前に終わった次の日、僕はコンビニで、悪魔に代償として捧げるアイスクリームを買った。昨日、家に戻った後、悪魔に羽川翼を写させるという名案を思いついたからだ。しかし、実際に写してもらった羽川を見ると違和感を覚える。自分の分身を見ても僕は何とも思わないけれど、羽川ではないと知っている存在が、羽川の姿をしているという感覚は、思っていた以上の拒否感を呼び起こすものらしい。

 そんな訳で僕は結局、羽川の分身に触れることなく、その分身を破棄した。心があるように見える分身を消すという行為は罪悪感が酷かったので、もう二度と他人の分身を作る事はないだろう。そんな事を考えている間に僕は昨日、吸血鬼がいた場所に着いた。しかし、電灯の下には何もない。

 

「血の跡も残ってないな」

『吸血鬼としての力が戻ったから、血も体に戻ったんじゃないかなぁ。もしくは追っ手に処分されたか。日光に当たって燃え尽きたか。まぁ、お前には関係のない話だよぉ』

 

「そうだな。僕とした事が危うく、人間強度を下げる所だったぜ」

『まったく僕が止めなかったら、アンチATフィールドでポシャられたオレンジジュースのようになる所だったじゃないか。そうそう、感謝の言葉はいらないよぉ。お前の命は最終的に僕の物になるんだから、他人に獲られるなんて嫌だったんだ』

 

「はいはい、ツンデレツンデレ。そういえば羽川の分身を作った時に思ったんだけど、お前って男なのか?」

『鏡だよ。男を写せば男になり、女を写せば女になる。僕は、そういう物だ。今の僕の姿だって、お前を写した物だ。おかげで語尾に特徴を付けないと、キャラが被って困るよ』

 

「その喋り方を僕の姿でされると、どうしようもなくムカついて、思わず殴りたくなるんだけどな」

『怪異っていう物は、信仰によって形作られるんだ。仏と思えば仏になり、鬼と思えば鬼となる』

 

「サラッと無視された!?」

 

 帰宅すると、羽川翼を写した報酬となるアイスクリームを僕は食べる。悪魔は僕に憑いているから、僕が食べなければアイスクリームを味わえない。僕もアイスクリームを食べられるし、悪魔もアイスクリームを食べられる。何かを写した代償として悪魔が求めるアイスクリームは、僕に損のない代償だった。おまけに、人体一個分ならばアイスクリーム一つで済む。こんな安い代償で良いのかと不思議に思ったものの、悪魔によると相応な代償らしい。でも、きっと何か落とし穴があるのだろうと僕は疑っていた。

 

001『猫物語(黒)』/つばさキャット

 

 ゴールデンウィークの初日、いつものように自転車でコンビニへ買い物に行く。すると僕は、路上で何かを拾っている羽川を見つけた。一瞬見えた物から察するに、車に潰された猫の死体を拾っているのだろう。その羽川は頬にガーゼを貼り付けている。何かあったのだろうかと思った僕は気になって自転車を止めた。そして羽川と共に、尾のない猫を土に埋める。しかし、しばらく一緒にいたけれど羽川は、ガーゼを付けていた理由については教えてくれなかった。

 そしてゴールデンウィーク中の登校日に、羽川は無断で欠席する。これが僕ならば気にも留められない事柄だろうけれど、無断欠席した人物は優等生の羽川翼だ。天変地異の前触れかと思われるほど大騒ぎになり、羽川の両親が入院しているという話や羽川が行方不明になっているという噂も僕の耳に入った。そして家に帰ると妹から、化け猫が人を襲っているという情報を手に入れる。

 

「……猫か」

 

 猫だ。猫と言われると、羽川の埋めた尾のない猫を思い出す。どうしても僕は、その事が気になった。→猫を埋めた羽川、→行方不明になった羽川、→人を襲う化け猫。まったく関係のないと思われる事柄が、繋がっているように僕は思えた。そして夜になって、化け猫退治に向かった妹達が、衰弱した状態で発見される。僕は妹達の運ばれた病院へ向かい、妹達を襲った化け猫について話を聞いた――というか、ベッドで横になったまま陸に上げられた魚のようにビクンビクンと跳ねる火憐ちゃんが、化け猫に対する再戦の熱い思いを語ってくれた。

 

「おい、悪魔。体を傷付けずに衰弱させるなんて方法に、心当たりはないか?」

『エナジードレインじゃないかなぁ。もう察していると思うけれど、化け猫の正体は羽の人だ。お前に憑いた僕と同じように、羽の人に猫が憑いている。その猫が何の怪異かは、情報が少な過ぎて分からないなぁ』

 

「その猫を羽川から引き剥がす方法は?」

『怪異の専門家に頼まないと難しいよぉ。お前じゃ、道具もなければ知識もない』

 

「その専門家は……」

『怪異の関係者じゃないと探すのは難しいなぁ。それに専門家が暴力上等の脳筋だったら、羽の人ごと退治される。そして羽の人を分離できるほどの専門家が居るとは限らない。居たとしても協力してくれるとは限らない。あと依頼費用は数百万円かかるなぁ』

 

「つまり現実的じゃないって事か……お前は方法を知ってるんじゃないのか?」

『んー、知らない』

 

 嘘だ。絶対、嘘だ。こいつは羽川から猫を引き剥がす方法を知っている。けれども、僕に教える気はない。おそらく其れは、僕の命を賭けなければならない方法なのだろう。だから、こいつは教えない。僕が死ぬ可能性のある方法を教える気はない。でも、死なないで済む方法ならば教えてくれるかも知れない。吸血鬼の時だって、こいつは吸血鬼に近付く僕を見逃した。警告もしなかった。僕が死ぬと言い出したら説得を始めて、説得が通じないと思ったら強引に死から遠退けた。死ぬ寸前までならば、こいつは見逃してくれる。

 

「僕は羽川を探す」

『まずは羽の人の家かなぁ』

 

 そういう訳で病院から出た僕は、家へ戻ることなく、羽川の家へ直行した。まずは表札に、羽川の名前が刻まれている事を確認する。窓を割って中へ入り、誰もいない家の中を見て回った。羽川の両親は入院中で、羽川は行方不明だ。そこで僕は妙な事に気付く。だから一度見た部屋を、もう一度見て回った。そうして僕は、羽川翼の部屋が存在しないという事に気付く。そんなバカなと思って、もう一度見て回ったものの、羽川翼の部屋が存在しないという推測は強まった。さらに、もう一度、念入りに見て回り、羽川翼の部屋がないと僕は確信する。羽川の家を5周した僕は、続けて6周目に突入した。

 

「おい悪魔、ここは羽川翼の家だよな」

『ひらがなで「つばさ」って、表札に書いてあったよぉ』

 

「じゃあ、なんで羽川の部屋が無いんだよ。これじゃ、まるで羽川が居ないみたいじゃないか!」

『羽の人が居る証拠はあったじゃないか。布団は廊下に置いてあったし、制服はリビングに掛けてあったし、教科書は本棚に入っていた。ここに部屋は無いけれど、ここは羽の人の家だよぉ』

 

 なんて悪魔は言う。でも違うだろ。そうじゃないんだ。これは家族じゃない。正常な家族の形じゃない。この家族は終わっている。どうしようもなく終わっている。腐って骨になって土に埋められて、その墓も無くなっているくらい手遅れだ。今さら何をしたって、この関係は修復できない。だから僕は怖くなった。この家に居ることが恐ろしくなった。こんな場所で羽川は暮らしていたって言うのか――!

 

「うわああああああ!!」

 

 僕は耐え切れなくなって、羽川の家から逃げ出した。自転車に乗ると、家へ向かって走り出す。早く羽川の家から離れたかった。早く自分の家へ帰りたかった。しかし、その途中で僕は、白い猫を見つける。闇の中で白く輝く、まるで例の吸血鬼のように美しい、美し過ぎて景色から浮いている。なんて場違いな……あれは怪異だ。猫に憑かれて化け猫となった羽川翼と、僕は最悪のタイミングで遭遇した。

 

「羽川!」

「にゃ? おまえ御主人の知り合いかにゃ?」

 

「ああ、その通りだ、猫。僕は羽川翼を知っている」

「おまえ何者にゃ? にゃんで俺を知っている……ああ、御主人と一緒にいた奴かにゃ?」

 

「そうだ。車のタイヤに潰された御前を、僕は羽川と一緒に埋めた。なぁ、猫。なんで羽川の体を使って暴れてるんだ? どうして無差別に人を襲っている?」

「御主人のストレス発散、憂さ晴らしって所かにゃー」

 

「羽川の? それは羽川の家族と関係があるのか?」

「この方角、この臭い……なるほどにゃ。お前、御主人の家に入ったのかにゃ」

 

 化け猫が身を屈める。両手を地面に着いて、片足でコンクリートをガリガリと引っ掻いている。その音は僕の身体を震わせた。今にも跳びかかって来そうな猫に対して、僕は身構える。どうやら羽川の家に入った事は、化け猫の機嫌を損ねる情報だったらしい。化け猫と向き合うだけで、僕は息苦しくなった。これが本物の怪異か。僕に憑いている悪魔や、両手両脚のない吸血鬼と比べると、この化け猫は万全だ――それでも未だ、悪魔は動かない。

 

「どうすれば羽川を元に戻せるのか、教えてくれないか?」

「――ったく、勝手に御主人の家に忍び込みやがって、おまえ何様のつもりにゃ」

 

 ああ、もうダメだ。こいつは僕の話を聞いていない。次の瞬間、『顔面を正面から殴られた僕は派手に吹っ飛び、硬い道路の上を跳ね飛んで、全身に擦り傷を作りながら、最後はゴロゴロと転がって止まった』という話を悪魔から聞いた。当然、その時の僕に意識はない。誰かが呼んだ救急車によって病院へ運ばれ、脳が正常に働き始めたのは半日後の昼だった。怪我やエナジードレインの影響でゴールデンウィーク中は、朝から晩までベッドの上で寝坊する堕落した生活が続くらしい。

 

『猫の怪異にしては妙だったなぁ。猫といえば気分屋で飽きっぽい。でも毎日、律儀に人を襲い続けている。しかも死人は出ていない』

「僕は危うく死ぬ所だったけどな。誰かが救急車を呼んでくれなかったら死んでたぜ」

 

『それだよ。お前が猫に殴られた後、最初に近付いたのは救急隊員だった。それ以前に、お前の様子を確認した奴はいない』

「おい、それって……猫が僕のために救急車を呼んだって事か?」

 

『あっちは僕の存在を知らなかったんだろう。知らなかったからミスしたんだなぁ』

「ミスした? 救急車を呼んだと、僕に気づかれた事はミスだった?」

 

『その通り、羽の人に猫は憑いているけれど、憑かれてはいない』

「いや、そのセリフは2行ほど早ーよ」

 

『猫が羽の人を被っているんじゃない。羽の人が猫を被っているんだ!』

「ネタバレされた!?」

 

 一行で纏めると、家庭に不満を持つ羽川は猫を利用してストレスを発散している。とは言っても、猫の怪異と精神が混ざっているため、今の羽川に説得は通じない。今の羽川を元に戻すためには……いいや、人を襲わなくさせるためには、優等生の猫を被らせる必要があった。そして、もう一つ分かった事がある。こいつは僕が思っている以上の事を、知っているに違いない。知らない振りをして、今気付いたような振りをして、僕に話を振っている。

 

『猫の目的がストレス発散なら、ストレスの元を潰せばいいじゃないかぁ』

「ストレスの元って羽川の両親だろ。そんな事できねーよ」

 

『減らせないのならば逆に考えるんだ。両親を増やしても良いじゃないかってねぇ』

「お前の力で増やした両親に、羽川の両親の代わりをさせたって、何一つ解決しねーよ」

 

『この件を解決する方法なんて無いんだよ、阿良々木ちゃん。原因となっている両親と羽の人の仲は修復不可能だ。羽の人と混ざっている猫を切り離すためには、猫だけを殺せる道具が必要だ。猫を説得しようと思っても、阿良々木ちゃんに対話まで持ち込める力はない』

「僕の力不足が原因なのか……僕ってやつは肝心な時に使えないな」

 

『努力の問題じゃないよ。存在の違いだ。怪異と戦えるのは怪異だけ、人のままでは怪異と戦えない。人には人を、怪異には怪異を、適材適所ってやつだよぉ』

「……分かった。それで僕は如何すればいい。こんな身動きできない役立たずな状態の僕でも、羽川に遣ってあげられる事はあるのか?」

 

『あるよぉ。アイスクリーム3つを約束すれば、羽の人と、その両親を写してあげる』

「アイスクリーム3つ……って、それだけで何とか出来る問題じゃないだろ?」

 

『僕の話を聞いてたのかなぁ? 羽の人の両親を写せば、何とか出来ちゃう問題なんだよ。アイスクリームの内訳は両親2人分と、もう一つは家の分だ』

「分かってるよ。分かってるけど……それじゃ、まるで羽川の抱える問題が、アイス3つ分の価値しかないように思えるじゃないか」

 

『僕にとってはアイス3つ分だよ』

「お前……そんな言い方は無いだろ! お前は羽川の家を見て、何とも思わなかったのか!?」

 

『阿良々木ちゃんの出番は此処までだよぉ。ここから先は怪異の時間だ』

「待て!」

 

『じゃあ、行ってくる』

 

 もしかすると僕は、頼ってはいけない奴に頼ってしまったのかも知れない。しかし、ベッドの上で自由に体を動かせない僕は、どうする事もできなかった。天井を見上げながら僕は思う。あいつは僕の事も、アイス一つ分の価値しかないと思っているのだろうか。思えば僕の分身も、アイス一つを代償として写していた……いいや、そうじゃない。あいつは僕の命を助けた。分身を4体も使って助けてくれたじゃないか。アイス一つ分の価値しか無いのは分身で、本体である僕じゃなかった。けれども、やっぱり、僕は納得できない。その気持ちが何なのかは分かっている――僕は自分の力不足に対する苛立ちを、あいつに向けているだけだった。

 

 ゴールデンウィークの最終日になって、悪魔から上手く行ったという報告を受ける。悪魔は猫を鎮めることに成功したらしい。悪魔に頼んだ翌日に羽川は、悪魔の写し出した両親の住む家へ引っ越して、まるで今までも生活していたかのように自然な様子で生活しているらしい。それを悪魔から聞いて、僕は気持ち悪いと思った。化け猫として暴れていた羽川の記憶は無くなった訳じゃない。記憶が無くなるなんて、そんな都合のいい事は起こらなかった。なのに羽川は、偽者と分かっている家族と何の問題もなく生活している。その事実を僕は信じられなかった。

 そして、僕の御見舞いに偽者の家族が来る。そこで僕は羽川から、父親と母親とも血が繋がっていない事を明かされた。新しく家を用意したという事になっている僕に対して、羽川は感謝していると告げる。けれども僕は喜べなかった。出会って4日ほどの両親と親しそうにしている羽川を見ても嬉しくなかった。引っ越した羽川を、本当の両親は迎えに行かない。羽川の側にいる両親は、悪魔の作った偽者だった。

 

「僕は何もしてないよ。お前が勝手に助かっただけだ」

「そんな事ないよ、阿良々木くん。代償は阿良々木くんから貰ったって、悪魔さんに聞いたよ」

 

「……大した事ねーよ」

 

 僕は言えなかった。お前の家族はアイスクリーム3つ分だなんて言えなかった。やっぱり、あいつは悪魔だ。羽川が暴れ続けるという最悪な結末じゃないけれど、誰も救われていないという最低な結末だった。だから羽川は救われていない。羽川が勝手に自分は救われていると誤解しているだけだ。悪魔に騙されているだけだ。僕は無力だった。人でしかない僕は無力だった。その事実を僕は噛み締める。

 

002『化物語』/するがモンキー

 

 戦場ヶ原ひたぎに憑いた怪異を、悪魔が何んや彼んやで解決した。戦場ヶ原の分身を写し出して、戦場ヶ原と対話させ、暴れ始めた怪異を退治する。そうして怪異の背負っていた体重を、戦場ヶ原は取り戻した。その後、僕は実力テストに備えて、戦場ヶ原ひたぎと勉強会を行うことになる。その帰り道で自転車に乗っていた僕は、背後から強襲された。一撃で体を圧し折られた僕は、何が起きたのかを知る事もできなかった。自転車から跳ね飛ばされ、落ちた先の道路に肉を抉り取られ、頭を強く打って――僕は死んだ。

 

『災難だったなぁ、阿良々木ちゃん』

 

 意識を取り戻すと、千切れ飛んだ肉片が見える。何が起こったのか僕は知らなかった。僕は自転車に乗って帰宅中だった。なのに何時の間にか、自転車から降りて立っている。その自転車は遠くの方で、スクラップとしか言えない有様になっていた。この肉片は誰の物なのか。なぜ自転車はクズ鉄と化しているのか。その事情を僕は知らないけれど、知っている奴を僕は知っている。

 

「おい、悪魔。これは一体、なにが起こったんだ」

『背後から殴り飛ばされて、お前の体はバラバラの肉片になったよ。そのままだと困るから、お前の分身を作って、お前の意識を分身へ移したんだぁ』

 

「じゃあ、つまり、この飛び散った物は……」

『お前の体だなぁ』

 

 その言葉を聞いてキュっと心臓が締まる。そう思ったものの、心臓は締まらなかった、違和感を覚えた僕は、胸に手を当てる。しかし、心臓の鼓動を感じ取ることは出来ない。なせか心臓の鼓動が聞こえない。嫌な予感を覚えた僕は、痛みを感じるために強く腕を握った。しかし、触覚はあるけれど痛覚は機能していない。僕の体が僕へ、痛みを伝える事はなかった。

 

「おい、悪魔。僕の体に何をした?」

『何もしていないよ。何か不具合があるのかなぁ?』

 

「心臓の音が無いし、痛覚も無いぜ。これは返品を希望するほどの欠陥品だ」

『ああ、それは鏡像の仕様だよ。中身まで写し出すのは無理なんだぁ』

 

「……なんだって?」

『写し取るのならば兎も角、僕が写し出せるのは外側だけだから、内臓までは再現できない』

「じゃあ、僕の脳は何所にあるんだ? 僕は如何やって思考している?」

 

『怪異に脳ミソなんてある訳ないだろう? あったとしても飾りだよ』

「怪異って……僕は人間じゃないのか?」

 

『お前の肉体なら、そこに転がっているじゃないか』

 

 どうやら僕は、人では無くなったようだ。これから如何するべきなのだろう。道路に撒き散らされた僕の死体を片付けるべきか。あの死体を警察に回収されれば、阿良々木暦が死んだ事を暴かれる。生き物として機能が存在しない僕は、すぐに偽者とバレるだろう。だから僕は阿良々木暦の死体を拾い集めて、近くの川へ捨てた。その作業の途中で僕は、大変な事に気付く。

 

「おい、悪魔。もしかして羽川の両親も、僕と同じ物なのか」

『うん、そうだよぉ。お前と同じように鏡像だ。物を食べなければ、水も飲まなければ、内臓もないし、排泄機能もない。汗も掻かなければ、疲れることもなければ、涙を流すこともなければ、体温もない。病気にもならないし、虫歯にもならないし、老化しないし、眠る必要もない。でも、喋るために声帯と空気袋は再現してある』

 

「十分だよ、ちくしょう!」

 

 壊れた携帯端末を握り締めたま、羽川の家へ向かって僕は走り出す。僕を殺したのが誰かなんて、今は如何でも良かった。それ以上に僕は、悪魔に対して怒っている。自分に対しても怒っている。悪魔は人ですら無い物を両親として、羽川にプレゼントした。でも、その事態を引き起こしたのは僕だ。僕がアイスクリーム3つを捧げると悪魔に約束しなければ、悪魔は偽者の家族を生み出さなかった。

 

「羽川! 僕だ! 阿良々木暦だ! お前に大事な話がある!」

『大声出しちゃ御近所さんに迷惑だよ、阿良々木くん。玄関まで迎えに行くから、大人しく待っててね』

 

「ああ、羽川……お前は何時だってマイペースだな」

 

 羽川の家に上がった僕は、羽川と偽者の家族に歓迎される。羽川に聞きたいことがあったのだけれど、質問をする前に風呂場へ案内された。そこで死体を集めた際に、僕の体へ付いた血を洗い流す。そして風呂場から出ると、羽川家の食卓へ案内された。そこで僕は晩御飯を御馳走される。けれども僕は、食事を飲み込む事ができなかった。今の僕は味覚も無ければ、食道もない。どうしようも無くなった僕は流し台へ向かい、口の中に入れた物を吐き出した。そんな僕の背中を、羽川は優しく撫でてくれる。

 

「悪い、羽川。おいしくないって訳じゃないんだけど……今は食べ物が喉を通らないんだ」

「いいよ、阿良々木くん。わたし知ってるから。今の体には食道が無いんだよね」

 

「羽川……! なんで、それを!?」

「やだなぁ、阿良々木くん。お父さんやお母さんと一緒にいるんだよ。分からない訳ないじゃない」

 

 そうだった。一緒に暮らしている偽者の正体に、羽川が気付かない訳はない。そんな事に思い至らないほど、僕は混乱していたのか。食卓に戻ってみると、父親と母親の食事は置いてあるだけで、食べている様子はなかった。よく見ると、父親と母親の食事は量も少ない。僕に出された物も、偽者の両親と同じ物だった。羽川は最初から、僕の正体に気付いていたのか。

 羽川が阿良々木家へ連絡して、僕は羽川家へ泊まる事になった。僕は家へ帰ろうと思ったけれど、それを羽川は許さない。どうやら僕は、僕自身が思っている以上に様子が変らしい。これは僕の死体を見た上に、その死体を片付けた影響なのだろうか。そういえば死体は集めて川に捨てたけれど、あんな捨て方では誰かに発見されるかも知れない。そんな事を悩んでいる間に僕は、羽川の部屋へ案内された。

 

「阿良々木君、何があったの?」

「戦場ヶ原の家から帰る途中で、何かに襲われたんだ。それで僕は死んだ。でも、悪魔が僕の体を写し出して、この体に僕の意識を移したらしい。その後は僕の死体を片付けて、その途中で羽川の家族も悪魔が写した物だと思い出して……羽川の家まで来た」

 

「死体を片付けたって……どうやったの?」

「……川に捨ててきた」

 

「ダメじゃない、阿良々木くん。生ものなんだから、川に捨てちゃダメでしょ」

「さすが羽川だ! その発想は無かったぜ! でも、たぶん手遅れだと思うぞ。今頃、僕の体は海へ向かって自動運送されている所だ。今さら取りに行けねーよ」

 

「死体が見つかったら大変な事になるわよ。ちょっと調べれば人の体じゃないって分かるから、阿良々木くんが偽者だって言われちゃうかも知れない」

「今考えると僕も、雑な事をしたと思って反省してる。こうなったら、僕の死体が見つからないように祈るしかないな」

 

 先の事を考えると不安だらけだ。でも、羽川と話していると楽になれる。問題は何一つ解決していないけれど、気持ちに余裕ができた。羽川や戦場ヶ原と関わるようになって、僕の人間強度はティッシュペーパーのように薄くなってしまったらしい……八九寺は含めないのかって? あいつは幽霊だから良いんだよ。ボディタッチしたってノーカウントだ。僕に憑いている悪魔は……あいつの立ち位置は今回の件で分かった。あいつは悪魔以外の何者でもない。

 

「羽川が居てくれて良かったよ。僕だけだったらダメになっていたと思う」

「私も阿良々木くんが居てくれて嬉しいよ。阿良々木くんのおかげで、私も普通の生活ができるんだから」

 

「普通の生活か……なあ、羽川。お前は今の家族を、どう思ってるんだ? ……家族が人じゃなくても良いのか?」

「いいよ。私は今の家族がコピーでも構わない。前の両親と一緒に住んで居た時は、「おはよう」とか「おやすみなさい」とか「いただきます」とか「ごちそうさま」とか言った事は無かったの。でも今は毎日、朝は「おはよう」って言って、夜は「おやすみ」って言って、ご飯を食べるときは皆そろって「いただきます」って言って、食べ終わったら皆そろって「ごちそうさま」って言える。それを当たり前の事だと、私は思えるようになった――私は阿良々木くんが、阿良々木くんのコピーでも構わないよ」

 

「……そっか」

 

 それは残酷な言葉だった。羽川にとって、僕は阿良々木暦だ。阿良々木暦として在っても良いと言う。そんな羽川に対して僕は素直に、恐ろしいと思った。そんな言葉を当たり前のように口に出来る羽川翼を、気持ち悪いと思った。僕は阿良々木暦ではないと否定されたかったのかも知れない。そうすれば僕は阿良々木暦ではない存在として、阿良々木暦として背負うべき重圧から逃れる事ができたのだから。

 

「阿良々木くんの命を奪った物って何だったの? 阿良々木くんが生きているって分かったら、また襲ってくるんじゃないのかな?」

「ああ、羽川の思っている通り、あれは人じゃないな。自転車に乗っていた僕を後ろから殴り飛ばせる奴を、僕は人とは認めない」

 

「悪魔さんも知らないの?」

「あいつに聞くのは、僕としては気が進まないんだけどな……」

 

『阿良々木ちゃんの予想通りだよぉ。最近ずっと阿良々木ちゃんに付き纏っていた神の人だ』

 

「神の人って言うと、神原が雲の上にいる人みたいじゃないか」

『包帯を巻いている方の腕に怪異を宿している。阿良々木ちゃんを殴り飛ばしたのも、その怪異の力だなぁ』

 

「やっぱり神原駿河か。あからさまに怪しかったもんな。でも、なんで僕は殺されたんだ?」

『それは情報不足だよぉ。本人に会って聞くしかない。でも安心するといいよ。神の人に攻撃されて、また阿良々木ちゃんが死んでも、新しい体へ移し替えてあげるから』

 

「体がパンで出来ているヒーローみたいだな。そのうち心が磨耗して、過去の自分を殺しに行きそうだ」

『ああ、そうそう。これからの代償について言い忘れていたなぁ』

 

「分かってるよ。僕の体はアイスクリーム一つ分の価値しかないんだろ?」

『いいや、いらないよぉ。今回は、お前が死ぬと困るから勝手にやった事だ。これからも死んだ際の移し替えは無料でやってあげる――それに今の体じゃ、アイスの味なんて分からないだろう?』

 

「デレ期かと思った僕がバカだったよ! ツンの前振りじゃねーか!?」

「阿良々木くん! 大声出しちゃ、めっ!」

 

「はい、ごめんなさい」

 

 悪魔の言葉に怒り狂った僕だけれど、すぐに羽川によって鎮圧された。本当に、羽川が居てくれて良かったよ。羽川が居なかったら僕は発狂して、地面に頭を打ち付けていたと思う――よし、決めた。神原の件を解決するために、僕は悪魔の力を借りない。神原に殺されて、悪魔に復活させられるパターンもノーグッドだ。僕は一度も死なずに、神原を攻略してみせる!

 

 そうして羽川の家に泊まった翌朝、緊急事態が発生した。「おはよう」と言って挨拶を交わした羽川の頭に、あの猫耳が生えていたからだ。このまま事態を放置すれば、僕に全治一ヶ月の重症を負わせた化け猫が再起動する。僕は神原の件を解決する前に、羽川の問題を解決する事になった。幸な事に未だ羽川の意識はあるので、2人で一緒に原因を探り出す。

 

「猫は羽川のストレスを解消するために活動するんだ。つまり昨日、羽川のストレスが限界を突破するような事があったに違いない。羽川、何か心当たりはないか?」

「えーと、昨日は阿良々木くんが来たこと以外に、変わったことは無かったよ」

 

「僕と交わした会話の中に、羽川のストレスを誘発させるような事があったのか? やっぱり前回と同じように、家族の問題なのかも知れない」

『原因は、お前だよぉ』

 

「悪魔の写した家族って事に、羽川は無意識の内にストレスを感じているんじゃないか?」

『原因は、お前だよぉ』

 

「やっぱり悪魔のせいだよ。悪魔が居なくなれば、全てまるっと解決するんだ」

『原因は、お前だよぉ』

 

「おい、悪魔。さっきから自分の罪を、僕に擦り付けようとするな!」

『それじゃあ、説明してやるよぉ。羽の人は、お前と一緒に寝たいと思ったけれど言い出せなくてモンモンしてたんだ。間違えた振りをして布団へ忍び込もうと思っても、お前は眠れないから直ぐにバレる。その結果、欲求を満たせない事で発生するストレスが溜まって、猫の人が起動状態になったんだぁ』

 

「なにを言ってるんだお前は、なあ羽川……」

 

 そう言って羽川を見ると、黒かった髪は白くなっていた。どうやら羽川は中傷に耐え切れず、猫を被ってしまったらしい。化け猫となった羽川を見て、僕は身構える。この化け猫に僕は全治一ヶ月の大怪我を負わされた覚えがあるからだ。おまけに触れるだけでエナジードレインが発動し、衰弱状態にされる。しかし化け猫は僕に襲いかかる事はなく、羽川の部屋に置かれたベッドへ、ゴロニャーンと寝転んだ。

 

『ほら見ろ。さっきの話を聞いたからストレスが限界突破して、猫になったぞ』

「どっちにゃって言うと今回の原因は、御主人に止めを刺した、お前にゃんだけどにゃ。でも、そっちの憑り代を壊したって、すぐに復活できるんにゃろ? だから今回も適当に暴れ回るしかねーにゃ」

 

『化け猫とデートして来いよぉ、阿良々木ちゃん。それでストレスは発散される。それを遣らなかったら前のように、化け猫は人を襲い始めるだろうなぁ』

「別にオレは暴れ回る方でも良いんだけどにゃ。御主人のストレスが発散できるのなら、付き合ってやってもいいにゃ」

 

 そんな訳で僕は、化け猫とデートする事になった。公園へ行ったり、買い物へ行ったりして、自由過ぎる化け猫に振り回される。そうして羽川の家へ戻ると、悪魔の言った通り、化け猫は羽川へ戻った。つまり悪魔が言った「僕を思って羽川がモンモンしている」という情報は本当の事なのだろうか……いやいや、相手は悪魔だ。何か罠があるに違いない。化け猫も悪魔が原因だと言っていた。常識的に考えて優等生の羽川が、落ちこぼれな僕を恋人にしたいと考えるはずがないじゃないか。こんな僕と釣り合う人間と言ったら、人見知りが激しくて、部屋に引き篭もっていて、男同士の掛け算が大好きなダメ人間くらいのものだろう。

 

 その後日談というか本編だ。剣道部から借りた防具を服の下に着込んで、戦う準備を整えた僕は神原へ会いに行った。しかし、僕と会った瞬間に神原の様子が変になる。そして神原の家へ引っ張り込まれた僕は、包帯の下に隠されていた獣の腕を見せられた。そして神原は「さすが阿良々木先輩だ。まさか、その眼力だけで猿の手を封じてしまうとは!」と訳の分からない事を言い出して、僕を神へ祭り上げるほどの勢いで褒め始めた。結局、訳の分からないまま神原の事件は解決してしまったようだ――本当に訳が分からない。

 

『では、説明してやろう!』

 

 お前は黙ってろ。




(下)へつづく

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