器物転生ときどき憑依【チラシの裏】   作:器物転生

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【あらすじ】
羽川翼は偽者の家族と暮らし、
戦場ヶ原ひたぎは重さを取り戻せず、
神原駿河は思いを伝える事ができません。


【転生】鏡物語【化物語】(下)

003『偽物語』/つきひフェニックス

 

 妹の火憐ちゃんに肩車をされて歩いていると、突然、僕の意識は失われた。そして意識が戻ると、髪型がボブカットの見た事もない女性が火憐ちゃんの上に立っている。地面に倒れた火憐ちゃんの体を、その女性は踏み付けていた。その光景を見て一気に沸点を超えた僕は女性へ殴りかかり、そして再び意識を失う。そして再び意識が戻ると、布団のように折り畳まれた僕の体を女性は踏み付けていた。かつて僕だった僕の体からは、ガラスの欠片が零れ落ちている。そこで僕はやっと、女性によって殺される度に、悪魔によって体を替えられていた事に気付いた。

 

「あかんなぁ、キリがない」

『不死の怪異を狩る専門家、影縫余弦だなぁ』

 

「おお、うちの事を知っとるなんて、うちも有名になったもんや」

『僕の殺し方は知ってるくせに、わざわざ端末を潰すなよぉ。増やすのが面倒じゃないか』

 

「完成する前に潰せるもんなら潰しておきたいもんやん。けど、これでもダメなら今はあかんか」

 

 そう言うと悪魔に影縫余弦と呼ばれた人物は、ポストの上へ跳び移った。僕は倒れている火憐ちゃんに駆け寄って、一目で分かるほど大きな傷は負っていない事を確認する。そして影縫余弦へ視線を戻すと、ポストの上から其の姿は消えていた。辺りを見回しても、影縫余弦は見当たらない。僕だった死体がガシャンと、ガラスを割るような音と共に砕けて消えた。影縫余弦は、ここから立ち去ったのか。そう判断した僕は気が進まなかったけれど、相手の事を知っているらしい悪魔に話を聞いた。

 

『さっきも言ったけれど、不死の怪異を狩る専門家だよ。僕にとっては天敵だねぇ』

「つまり、さっきの奴に頼めば、お前を退治できるわけか」

 

『僕を退治されたら当然、君も機能を停止する。生身の体は壊れちゃったからなぁ』

 

 そんな事もあったけれど、火憐ちゃんを神原へ紹介する任務は達成できた。その帰り道でフワフワでヒラヒラのアニメチックな服を着た斧乃木余接と遭遇し、蛹(さなぎ)のお兄ちゃんと呼ばれる。一緒にいた八九寺は蝸牛(かたつむり)のお嬢ちゃんと呼ばれていたので、蛹(さなぎ)という表現は悪魔を指しているのだろう。さらに次の日、コンビニに行って帰宅した僕は、影縫余弦と斧乃木余接がインターホンを連打する光景を目にする。思わず来た道を引き返したくなったけれど、倒れた火憐ちゃんの姿を僕は思い出した。僕の家族が巻き込まれるのは嫌なので、僕は2人の前に姿を現す。

 

「おどれ―ー」

「……どうも」

 

「僕に用があるんでしょう。家族は巻き込まないでもらえますか」

「虫ケラのお兄やん、なーんや知らん。おどれ、勘違いしとるみたいやな」

 

「……勘違い?」

「鏡の中の悪魔にして人の瞳に巣食う蛹虫、鏡写しは羽化した後でないと殺せんやさかい先送りになっとる――」

 

 僕が姿を現しても、斧乃木余接はインターホンの連打を止めない。そうしていると居留守を使っていた妹の月火ちゃんが、逆切れしながら扉を開けた。そして影縫余弦の対する警戒心の漏れ出ている僕と、門扉の上にバランスよく立っている影縫余弦と、インターホンの連打を止めない斧乃木余接を見て、月火ちゃんはハテナマークを浮かべる。そんな月火ちゃんは答えを導き出す前に、玄関の扉ごと粉砕された。

 

「――え」

 

 何が起こったのか。僕の目で捉える事はできなかった。殺害に至る過程は消し飛んで、月火ちゃんの上半身が吹っ飛ばされているという結果だけが残る。これは誰がやったのか……そんな事は決まっている。破壊の跡は玄関から門扉へ続き、その先に斧乃木余接が立っていた。インターホンを連打していた斧乃木余接の指と視線は、月火ちゃんに向けられたまま固定されている。

 あいつだ。と思った瞬間、僕は斧乃木余接へ飛びかかっていた。人の力では出しえない破壊力の傷跡を見ても、そいつを恐れる事はなかった。死んでも悪魔の力で復活できるからか? いいや、違う。月火ちゃんを殺されて、僕は怒っているからだ! しかし、その途中で意識は途切れ、意識が戻ると僕だった体は影縫余弦に踏まれている。見ての通りだ、また僕は死んでいた。

 

「落ち着きぃや、虫ケラのお兄やん――見てみぃや」

 

 そう言った影縫余弦は、玄関の方を指差す。でも僕は、僕を殺した影縫余弦と、月火ちゃんを殺した斧乃木余接から目を放せなかった。けれども影縫余弦に動きを封じられ、僕は強引に首の向きを変えられる。そうして玄関を見ると、上半身が吹っ飛んだはずの月火ちゃんは傷一つなかった。ただし、月火ちゃんの服は破れたままで、さっきの光景が見間違いではなかった事を示している。

 

「おい、悪魔。月火ちゃんを写し替えたのか?」

『いいや、僕じゃないよ。これは月の人自身の力だ。自力で再生できるなんて便利だね』

 

「僕は月火ちゃんと14年間一緒にいたけど……月火ちゃんに、そんなミラクルパワーが有るなんて僕は知らないぞ」

『僕は知ってたよ。お前の妹は怪異だ』

 

 いつものように悪魔は、最悪のタイミングで爆弾を投下した。

 

 意味が分からない――意味を分かりたくなかった。

 信じられない――信じたくなかった。

 けれども悪魔の言葉を、影縫余弦と斧乃木余接は補完する。

 そして最後に僕の記憶が、月火ちゃんを怪異と証明した。

 

『阿良々木ちゃん、言ってたじゃないか。「一生消えない」って医者から太鼓判を押された胸の傷が消えてたり、身体に傷が残ってなかったり、髪の伸びが早かったり、毎日爪を切ってたり――ほら、思い返してみると、おかしな事が沢山ある』

「分かったよ。分かったから、もう言うな――お前を殺したくなる」

 

「蛹(さなぎ)のお兄ちゃん、あなたは不死身の怪異に縁があるようだね。あなたの妹は不死身の怪鳥に犯されている。あそこのアレは世にも珍しい火の鳥、邪悪なるフェニックスだよ――僕はキメ顔でそう言った」

 

 ああ、認めよう。僕の妹である阿良々木月火は怪異だ。人として生まれるはずだった阿良々木月火の偽者だ――でも、だから何だって言うんだ。それを言うのなら僕だって偽者だ。本当の僕は死んで、偽者の僕が成り代わっている。阿良々木暦を騙って、生きている振りをしている。何も知らない家族を僕は騙している。自身を偽者と知らない月火ちゃんと違って、自分を偽者と知った上で嘘を吐いている――僕の方が、よっぽど悪(わる)じゃないか。

 

「おい、悪魔。月火ちゃんを助けろ」

『その代償は? 言っておくけれど、その体でアイスクリームはいらないよ』

 

「前に言ってたよな、お前は僕が欲しいんだろ――僕の魂でも何でもくれてやる」

『うん、じゃあ、せっかくだから貰おうかな。こんな機会は滅多にないからね』

 

「僕を嵌めたくせに」

 

――『、よく言うぜ』

 

 悪魔は願いを叶える変わりに、人の魂を獲る。命に代えてでも果たしたい願いを、命よりも大事な思いを、人の身では叶わない願いを、人の代わりに悪魔は果たしてくれる――ただし悪魔は自分にとって都合がいいように、人の願いを曲解する事があった。神原駿河が「戦場ヶ原ひたぎとずっと一緒にいたい」と願った結果、戦場ヶ原と一緒にいた僕が殴り殺されたように、悪魔は願いをこじつける。なぜなら悪魔は、万能ではないからだ。例えば神原駿河の願いを叶えた怪力の悪魔は、僕が物理的に死なないと分かると如何しようもなくなった。

 僕に憑いた悪魔は虫ケラだった。いつかの吸血鬼によると「貧弱で存在感もない、まともな形もない半端物」らしい。生物に寄生して形を写さなければ、自身の形も定まらない蛹(さなぎ)の怪異だ。こいつは蛹だから、自力で移動することすら出来ないし、一つの物に憑いたら別の物へ乗り移れない。時々こいつが僕の中から居なくなっていたけれど、都合が悪いから居留守を使っていただけだった。そんな非力な怪異だけれど、一つの逸話がある。

 ある所に、人見知りをする子供がいた。差別されている訳ではなかったけれど、いつも一人で遊んでいた。ある日、そんな子供に友達ができる。子供は友達の話を楽しそうに家族に話し、子供に友達ができた事を家族も喜んだ。しかし、その友達は何所の誰なのかと聞くと、子供は答えを濁す。次の日、心配になった家族が様子を覗いてみると、子供は木の枝に付いた蛹(さなぎ)に向かって楽しそうに話しかけていた。

 そんな子供も成長して大人になり、お嫁さんを迎える。婚儀が行われ、その夜、夫婦は初夜を迎えた。次の日、昼になっても部屋から出てこない夫婦を、両親が起こしに行く。しかし、夫婦の返事はなく、仕方なく扉を開けると部屋に夫婦の姿はなかった。その後、何日経っても夫婦は姿を見せず、いつの間にか嫁の両親も姿を消した。不審に思って嫁の実家へ行くと、家の影も形もない。結局、両親の息子は行方も知れず、どこかへ居なくなってしまった。地方によっては子供の話しかけている物が蛹ではなく、鏡に映った自分自身だったりする。

 子供は大人になり、いつか親元から離れてしまう。そういう話だ。ただし、この子供は怪異に憑かれ、怪異と結婚して大人へなると共に消えてしまった。蛹(さなぎ)は子供に憑き、宿主と共に成長し、やがて宿主と一つになって脱皮し、新たな怪異となる。「鏡写し」や「写し蛹」とも呼ばれる此の怪異は、脱皮するまで曖昧な状態であり、様々な人や物を写し取ることが出来た。

 阿良々木暦の瞳に写った人や怪異を、蛹は写し取っている。触れただけで生命力を吸い取る障り猫、上半身を吹き飛ばされても再生する月火ちゃん、人差し指を巨大なハンマーへ変える斧乃木余接、人体を腕力で押し潰せる影縫余弦。それらを内包した蛹は僕と混ざり合って、僕の望み通り、月火ちゃんを「助ける」という役割を付け加える――そうして僕こと阿良々木暦は、新たな怪異として羽化した。

 

004『猫物語(白)』/つばさタイガー

 

 私こと羽川翼は、不在の阿良々木くんに代わって物語る。阿良々木くんの家が半壊した日、潰れた自転車を残して阿良々木くんは行方不明になった。ダンプトラックが突っ込んだという話だけれど、そのダンプトラックは見つかっていないから怪しい物だ。おまけに、玄関にいた阿良々木くんの妹ちゃんは奇跡的に無傷だったらしい。家が半壊したのに、奇跡的に無傷だったなんて有り得ない話だと思う。

 状況から察するに、自転車に乗って帰宅した阿良々木くんは、門扉前にいる何かを発見して自転車を止めた。門扉辺りにいた何かは、玄関辺りで何かをやって、阿良々木くんと争いになる。阿良々木くんは妹ちゃんを守りながら戦って、その結果、家は半壊した。でも、やっぱり気絶した状態で発見された妹ちゃんが無傷だったのは、おかしいと思う。阿良々木くんが妹ちゃんの分身を作ったのかと思ったけれど、私の会った妹ちゃんは生身のままだった。無傷で発見された後に、どこかで分身と入れ替えられた可能性もある。

 その後、身元不明の死体が川から引き上げられた。その死体には、車に跳ね飛ばされたような傷跡が残っていたという。その死体は阿良々木くんと判明したため、阿良々木くんは自宅へ突っ込んだダンプトラックに跳ね飛ばされた後、跳ね飛ばした犯人によって川へ遺棄されたという事になった。その死体は阿良々木くん自身が捨てた物だし、殺したのは神原さんなのだけれど、それを言っても仕方がない。

 

 阿良々木くんのお葬式が行われた。参加した皆は阿良々木くんを死んだと思っている。でも私は阿良々木くんが、どこかで生きていると知っていた。悪魔さんが死ぬと写し出した両親も砕け散る、と聞いているので生きているのは間違いない。だから阿良々木くんが帰ってきたら、帰る家がないから大変だ。死んだ事になっているから学校にも通えない。その時は私の家に……阿良々木くんのくれた「私の家」に泊めてあげようと思った。

 阿良々木くんの火葬を見届けた帰り道で、私は大きな虎と遭遇する。私が見上げるほど大きな虎だ。そんなダンプトラックのような大きさの虎が、現実に存在するなんて聞いたこともない。それに街中を虎が歩いるにも関わらず、騒ぎになっていなかった。その虎が喋ったとなれば、きっと怪異の類なのだろう。そして私と擦れ違った虎は喋った。「白くて、白々しい」と、まるで人のように喋ってしまった。

 その虎から私は火車を連想する。火車は死んだ者の体を奪うとされる巨大な猫だ。私と擦れ違った虎は、阿良々木くんの体を奪いに来たのかも知れないと私は思った。でも、それは無いだろう。阿良々木くんの体は燃え尽きて、もう灰になってしまったから――けれども心配になった私は、両手で持っていた小さな箱の中身を確かめた。阿良々木くんの家族に分けてもらった、阿良々木くんの骨――白くて白い、小さな骨の欠片が、そこに収められていた。

 その次の日、「私の家」が燃えた。今の家ではなくて、前の家が燃えた。私が帰っても「おかえり」って言ってくれなかった人達の家が燃えた。でも私は、「おかえり」って言ってくれなかった人達の住んでいた建物を「私の家」と言ってしまった。教室の窓から見えた燃えている建物を見て、思わず「私の家が燃えてる」と口走った。皆の見ている前で、あれは私の家だと、宣言してしまった――それから町の彼方此方で火事が多発する。10以上の家が燃えて、連続放火事件としてニュースになった。

 火事が起こって10日後の朝、私は爪の隙間に詰まっていた土汚れを発見する。寝ている間に自身が歩き回っている事に、私は気付いた。犯行の証拠として、枕から白い髪の毛を発見する。私が寝ている間に、障り猫が活動しているに違いない。まさか放火を行っている犯人は障り猫、つまり私なのだろうか。悪魔さんによると、私が障り猫へ変身する理由はストレス解消のためらしい。だから私は障り猫を鎮めるために、私の感じているストレスの原因を探し始めた。

 火事の後片付けのために欠席するクラスメイトが増えて、ついに私の属するクラスだけ授業は中止になった。その時やっと私は、火事の発生した家の生徒が、私のクラスへ集中している事を自覚する。私の感じているストレスの原因は、他人なのだろうか。ならば他人と関わらなければ怪異を鎮める事ができるのかも知れない――その日の下校中、臥煙伊豆湖と名乗る人が私に声をかけた。

 

「本来ならば公園のベンチなどに座って、大人としてジュースを奢りながら、まずはソフトな話からしてあげるのが在るべき私なのだけれど――ことは刻一刻と一刻を争うんだ。簡潔に言うと、君の周りで起こっている事件を引き起こしている怪異は猫ではなく虎だ。君自身が此の後に図書館へ行って『苛虎』と名付ける事になる、その古今無双に強力な怪異は、誰の助けも借りず、君自身の力で解決しなければならない。なぜならば其れは君自身の問題なのだから」

 

 そう言って臥煙さんは去って行った。風のように素早く、嵐のように私の心を掻き乱して――そして私は虎と聞いて、お葬式の帰り道で遭遇した虎の事を思い出した。阿良々木くんの火葬を見届けた後に現れた、誰にも見えない大きな虎。その虎と会った次の日、あの家が燃えた事を始まりとして、連続放火事件は今も続いている。でも、なぜ虎は、私の周りにいる人々の家を焼くのだろう。その謎を解くヒントは、いまだに焼けていない私の家にあった。

 今の私が住んでいる家は、悪魔さんが用意したものだ。悪魔さんによると、こんな事もあろうかと用意していたらしい。でも、それは障り猫に憑かれるという事を知っていなければ出来ない。だから悪魔さんは、私が障り猫に憑かれると知っていたのだろう。悪魔さんは私と違って何でも知っている。それは一万体の分身を世の中に放っているからだと悪魔さんは言っていた。

 私の家は悪魔さんの作った偽者だ。だから虎は燃やさない。虎は本物を燃やす。本物の家を燃やす。本物の家族を燃やす。そういう事なのだろう。始まりは私だった。だから私が虎を止めなければならない。でも、人としての私が虎を止めようと思うのならば、根源である両親を亡き者にするか、水源である私が死に至るしかない。怪異である虎と戦って止めようと思うのならば、怪異としての力が必要だった。「怪異には怪異を、人には人を」と阿良々木くんも言っていた――その怪異としての力を私ではない私、もう一人の私は持っている。

 

 御主人の手記を読んだ後、俺は窓から飛び出した。何が書いてあったのかって? それは御主人と俺の秘密だにゃ。とにかく俺の遣らにゃくちゃにゃらない事は、御主人の心から生まれた苛虎を取り戻す事にゃ。怪異としての原型がにゃいため逸話に縛られず、俺の次世代型とも言える苛虎を取り押さえるのは難しい。でもにゃあ、御主人に頼まれちまったからにゃあ――俺達の妹を迎えに行くのにゃ。

 放火を繰り返した苛虎は力に慣れて、遠く離れた場所からでも放火できるようににゃった。そんな苛虎は町を見下ろせる、一番高いビルの屋上に陣取っている。今も何所かの家屋を炎上させている苛虎の前に降り立ち、俺は説得を始めた。しかし、こいつは聞く耳を持たにゃい。ストレスから目を逸らすのを止めて、意識を取り戻した御主人の言葉も届かず、苛虎は俺達に牙を剥いた。

 苛虎の視線が俺を貫く。物理的な圧力を感じて、俺は寒気を感じた。その瞬間、俺の体は発火する。肌の上を炎が這い、俺の白い髪を焦がし、全身を焼かれた。それでも俺は、苛虎から目を逸らさず、その場を飛び退く。すると、俺のいた場所に苛虎の前足が振り下ろされ、屋上の床をズシンと割って大気を振るわせた――あいつは俺を見ただけだ。瞳に映されただけで発火させられた。

 強かった。果てしにゃく強い。今や苛虎は自在に炎を操る。前足を振り下ろせばコンクリートを軽々と踏み砕き、視界に映ったもの全てを距離に関係なく炎上させる。苛虎は周囲に侵入者を捕らえる炎の網を張り巡らし、苛虎へ接近するルートを制限していた。近距離でも遠距離でも戦える、万能な戦闘能力を見て取れる。物陰へ隠れる事もできず、一休みする暇もにゃかった。

 俺は今、太陽と戦っている。こいつは御主人が18年間かけて溜め込んだ、嫉妬の炎だ。その輝きは大地を照らし、全てを焼き尽くす。激烈にして苛烈、荒々しく猛々しい、地上に生まれた白い太陽だ。その姿を直視すれば目を焼かれ、近付いただけで炎上する。真っ白で、綺麗で、一点の汚れもにゃく、一点の曇りもにゃい――その体に触れることさえ許されにゃい。

 相手の体に触れにゃければ、俺のエナジードレインは発動しにゃい。この力だけが、苛虎へ通用する唯一の可能性にゃ。にゃけど、発火する視線と炎の網が、俺の進む道を阻んでいた。炎で形作られた結界のにゃかから、不可視で必中の砲弾が飛んでくる。どうしようもにゃかった。抗いようがにゃかった。全身を焼かれた俺は、手足も動かにゃくなって、無様に地面へ倒れ伏す。

 

「無理だった。無茶だった。無駄だった――」

『そんなことはねーぞ、羽川』

 

 その声に私はハッと顔を上げる。その瞬間、空から落ちてきた何かが、炎の網を強引に突き破った。炎の結界は容易く破られ、その中心にいた苛虎を踏み潰す。小さな影によって白い巨体は押し潰され、屋上の床を叩き割って階下へ落とされた。私は床を這って、屋上に開いた穴から階下を覗き込む。そこには巨大なハンマーで潰されたかのように平たくなった苛虎と、その上に載る見知った顔の男の子がいた。

 

『無理だったのかもしれない。無茶だったのかもしれない。でも、無駄じゃなかった。お前が頑張ってくれなかったら、僕は間に合わなかった――そしたら僕は、きっと泣いてたぜ』

 

 その頭には猫耳が生えていた――きっと大変な思いをして来たのだろう。

 その髪の毛は白くなっていた――きっと恐ろしい体験をして来たのだろう。

 

 その髪型はボブカットだった――イメージチェンジしたのかな?

 

 その上半身にフワフワのブラウスを着ていた――なぜ女性用の服を着ているのだろう。

 その下半身にヒラヒラのスカートを着ていた――本当に何があったのだろう。

 

『――と僕はキメ顔でそう言った』

 

 阿良々木くんは、そう言って、こちらを見上げる。その顔はキメ顔でも何でもなく、無表情なままだった。ちょっと見ない間に変わり果ててしまった阿良々木くんは、「阿良々木ちゃん」という男の娘へジョブチェンジしてしまったのかも知れない。こんな時、どうすれば良いのだろう。助けに来てくれた事を喜ぶべきなのか。阿良々木ちゃんの服装に突っ込むべきなのか。なぜ猫耳を生やしているのか聞くべきなのか。言いたい事は沢山あるけれど……とても言葉にならない。けれども一つだけ、阿良々木ちゃんを見て分かった事がある。

 

――私の好きな人は、とても残念な人になっていた。




おわり

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