器物転生ときどき憑依【チラシの裏】   作:器物転生

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原作名:鋼殻のレギオス
原作者:雨木シュウスケ


【転生】レイフォンの剣【鋼殻のレギオス】

 完全な体が欲しい。

 痛むこともなく、苦しむこともなく、病むこともなく、老いることもない、完全な体が欲しい。

 そう願った妾が手に入れたのは、長剣に分類される剣であった。

 

 この身は剣となった。もはや自力で動くことは叶わぬだろう。手足もなく、頭もない。そんな様であるというのに、妾の「視界」には周囲の状況が映し出されていた。驚いたことに、剣であるはずの妾に外の様子が視えているのだ。まるで妾を見ている第三者の目と繋がっているかのように、周囲の様子が視てとれる。

 妾が視ているのは、車を突っ込ませて壊したような有様の部屋だ。とは言っても、横からではなく上から破壊されてるという違いはある。外側から加わった力によって崩れたと思われる屋根や天井の破片が、石材で固められた床に積み重なっていた。瓦礫を視ると木材は少なく、石材の方が多い。柱の材料として使われていたと思われる鉄材の破片も混じっていた。その事から此処は、森林資源の少ない環境であると妾は察する。

 そのような有様の部屋で、石製の床に2体の赤ん坊が落ちていた。そんな様で大人しくしているはずもなく、2体ともギャーギャーと泣き叫んでいる。妾が居るのは、その片方の中だ。とは言っても、赤ん坊を妾が貫いている訳ではない。人の肩幅ほどの長さしかない赤ん坊の中に、人の両腕ほどの長さがある妾が納まっているのだ。おかしな事に妾という長剣は、赤ん坊の肉体から食み出ていない。しかし妾は確かに、赤ん坊の中にいた。

 いいや、居ると感じているだけだ。妾の視界に映っているのは外側の赤ん坊だけで、その内側にいる妾を映してはいない。ならば実際には居ないのだ・・・妾は何所にいる。妾は此処に居るのか。赤ん坊の中にいる妾が妾なのか、赤ん坊の外から視ている妾が妾なのか、それとも妾は何所にも居ないのか。いいや、そんなはずは無い。妾は、ここに居るのだ。

 

 廃墟のような有様の部屋で、2体の赤ん坊は泣いている。しかし、赤ん坊の様子を見に来る者はいなかった。おそらく、瓦礫の下敷きになっているのが、赤ん坊の保護者に当たる者なのだろう。屋根の支えとして使われていた鉄材に頭部を潰されているため、残っているのは首から下だけだ。あの様では、もう二度と動けまい。

 百度泣いても、赤ん坊を助けに来る者はいなかった。その代わりに壁紙が黒く変色し、灰色の煙が昇り始める。煙は天井まで昇るとクルリと回転し、天井に開いた穴から流れ出た。煙の量と焦げる範囲が少しずつ広がり、やがて小さな火が点る。石材によって形作られた床や壁は不燃物だが、熱を伝えない訳ではないのだ。おそらく、部屋の下で可燃物が燃え、その熱で発火するほど温められているのだろう。

 天井が崩れ落ちていたのは良かった。おかげで煙が充満せず、部屋から抜け出る。赤ん坊は煙に苦しむこと無く、元気に泣き続けていた。しかし、この状態が続くのは良くない。早く救助されなければ、赤ん坊は死体となるだろう。もしも赤ん坊が死んだ場合、妾は存在していられるのか。不安だ。

 痛むこともなく苦しむこともなく病むこともなく老いることもない、完全な体が欲しいと妾は願った。しかし、死にたくないと願ってはいない。ならば死んでも不思議ではない。この赤ん坊の中にいる以上、赤ん坊の死と共に妾も死ぬ可能性は高いのだ。ならば赤ん坊には助かって貰いたい。そう妾は思ったものの、赤ん坊を助けるために動かせる手や足は無かった。こんな様では傍観する事しかできぬ。くやしいのぅ。

 おかしな事に、赤ん坊が何度泣いても助けは来なかった。近くに人は居ないのだろうか。天井の崩れ落ちた部屋に在るのは、2体の赤ん坊と頭部の潰れた死体、長方形の二段べッド2組と落下防止柵のあるベビーベッド1つだ。ベッドの多さから察するに、ここは宿泊施設なのだろう。

「誰か居るのか! 居るのならば返事をしろ!」

 ようやく助けが来たようだ。妾は安心する。未だに赤ん坊はギャーギャーと泣き続けているので、見逃す事はないはずだ。ドタドタと足音が近付いてきたと思うと、部屋の扉が開く。現れた老いた男性は此方を見るとハッと驚き、動きを止めた。しかし、すぐに動き出して、赤ん坊を抱き上げる。

 赤ん坊の側にある死体を見て、老いた男性は動きを止めたのか。しかし、一瞬動きを止めただけで、すぐに動き出した。その後も混乱する事なく2体の赤ん坊を抱き上げた事から察するに、体の一部が欠損した死体を見慣れているのだろう。そんな死体を見慣れる機会があるという事は、なかなか厳しい環境のようだ。これから先の人生に不安を感じる。

 

 老いた男性の経営する孤児院に、2体の赤ん坊は入院した。妾の入っている方はレイフォンと名付けられ、もう一体はリーリンと名付けられた。そうして老いた男性に孤児院で養育され、数人の孤児と共に生活する。6歳になるとレイフォンは老いた男性から武術を習い、錬金鋼という武器を手に持つようになった。妾という長剣ではなく、名前もない片刃の刀をレイフォンは使っている。

 それが気に入らない。身の中に妾は居るというのに、レイフォンは気付いていない。妾に気付かず、安い武器を手に取っている。ああ、気に入らない。その様を視ていると怒りが湧く。そんな物を使う必要はない。御主の中には妾が居るのだ。妾に気付け、妾を見つけろ。ここに妾は居るのだ。何のために妾が居ると思っている。御主に使われなければ、何のために妾は此処に居るのだ。

 そう思った時、レイフォンの持っていた錬金鋼にピシッとヒビが入った。レイフォンは驚き、養父を見る。おそらく『自分のせいで錬金鋼が壊れてしまった』と思い、養父に怒られる事を心配しているのだ。しかし、そうではない。錬金鋼を壊してしまったのは、おそらく妾だ。妾の拒絶する意思が、その錬金鋼を破壊した。妾が剣となって6年、ずっと覗く事しか出来なかった妾が、初めて外界へ干渉したのだ。なんと素晴らしい。器物のように冷えていた感情が沸き立つようだ。

「あ、錬金鋼が・・・ごめんなさい。壊れて・・・じゃなくて、壊してしまいました」

「むぅ・・・いや、古い物だったので劣化していたのだろう。レイフォンのせいではない」

 代えの錬金鋼はない。孤児院の経営は上手く行っていないので、新しい錬金鋼を買う金は無いのだ。修理にも出せないので、壊れた錬金鋼は自力で直すことになる。なので武術の修練は中止となり、レイフォンは養父と共に錬金鋼を直し始めた。しかし結局、素人では修復できないほど壊れていたので、木刀を使って修練を行うことになる。まあ、木の棒程度の武器ならば、見逃してやっても良いだろう。

 

 レイフォンが錬金鋼を握る度に、それを妾は破壊する。そうする事だけが、妾の存在を伝える手段なのだ。しかし、レイフォンは妾の存在に気付かないまま、接触によって錬金鋼が壊れる事実だけを理解した。やがてレイフォンは錬金鋼に触れなくなり、木刀を用いて修練を行うようになる。そうして妾の意志を伝える手段は無くなった。その事に怒った妾が木刀を破壊すると、レイフォンは悲しそうな顔で、バラバラになった木刀の木片を拾い集める。その後、レイフォンは木刀を握ることも無くなった。その時になって、やっと妾は酷い事をしたのだと思い至る。

 妾は失敗したのだ。無暗に武器を破壊するべきでは無かった。妾のせいでレイフォンは幾つもの錬金鋼や木刀を破壊され、その度に出費を強いられた。孤児院の少ない経営費から搾り出された金銭で買ってもらった錬金鋼を妾に壊され、必死になって自力で稼いだ金銭で買った木刀を妾に壊されたのだ。武芸者となって金銭を得ることを期待されていたレイフォンが、武器を握れない様では話にならない。責任を感じて武器を握らなくなるのも当然の話だ。

 ああ、失敗した。このまま妾は誰にも気付かれず、一度も抜かれぬまま死んで行くのか。剣として生まれて、誰にも見られること無く、誰にも使われること無く朽ちて行くのか。嫌だ、そんな事は許せない。妾を抜いて欲しい、妾を握って欲しい。妾の存在をレイフォンに知って欲しい。妾は御主に気付いて欲しかった。

 

 レイフォンが武器に触れなくなって2年後、レイフォンの住んでいる都市で伝染病が流行した。地上に根付いた都市ならば良かったものの、この都市と云うのは巨大な移動要塞だ。外部は汚染された荒野で、内部で生産される資源は少ない。その生産設備で養殖されていた家畜に伝染病が流行し、生産される食料の量が激減した。食料は配給制に切り替わり、武芸者を優先して配給される。

 伝染病の流行が過ぎた後、レイフォンの所属する孤児院も食糧不足に陥っていた。子供達は部屋に篭もって眠り続け、無駄な体力の浪費を抑える。春を待って冬眠するクマのように、養殖設備の生産能力が回復する時期を待っていた。しかし、このままでは冬眠したまま、子供達は永遠の眠りに着く恐れがある。

 そこでレイフォンは再び、錬金鋼を手に取った。その様を覗き視た妾は、レイフォンの中で歓喜する。今度こそ失敗してはならない。怒りに任せて錬金鋼を破壊せず、レイフォンに意思を伝える方法を探すのだ。きっと壊す以外にも、意思を伝える方法はあると妾は信じる。そうでなければ・・・やはり妾は錬金鋼を壊すだろう。妾以外の武器を握る事など、妾は認めない。

 武芸者を優先して食料は配給される。それは都市を襲う汚染獣と戦う役割を、武芸者が負うからだ。錬金鋼を手に取ったレイフォンは、都市外装備という名称の防護服を着る。汚染物質に満たされた都市外へ生身のまま出れば、炎症や壊死を起こし、5分で人は死に至るからだ。子供用の都市外装備で体を覆った8歳のレイフォンは、初めて汚染獣と戦う。その様を視ていると妾は心配だ。2年も武器を振るっていない時期があったレイフォンは、大人よりも大きい汚染獣と戦えるのだろうか。

 

 レイフォンは常人よりも強い力を持っている。剄と呼ばれ、筋力の強化などに使える力だ。誰もが武芸者となれる訳ではなく、剄を作り出す内臓器官を持つ者だけが武芸者となれる。剄のない凡人の腕力では、一番弱い汚染獣に傷を付ける事すら出来ないからだ。その力を使ってレイフォンは、一番弱い汚染獣である幼生体の一匹を倒す。情報を収集できる念威繰者によって倒した数は記録され、汚染獣を倒した賞金が蓄積された。

 妾が思っていた以上に、レイフォンは強い。レイフォンが属しているのは監督者付きの、大勢の中から選び抜かれた子供組だ。その中でも段違いに強い。他の子供達は技量でレイフォンを上回っているものの、その差をレイフォンの持つ力量は覆すのだ。汚染獣を覆う甲殻、その隙間から子供達が致命所を狙う横で、レイフォンは甲殻ごと致命所を叩き潰す。しかも、戦っている間に他の子供達の技量を盗んで、自身の技量を上げていた。

 しかし、事故が起こる。レイフォンの稼ぎっぷりに焦った子供が手を滑らせて、レイフォンの防護服を切ったのだ。自分達の食事代を得るために妨害したのか、空腹で判別能力が鈍っていたのか。故意か過失なのかは兎も角、その子供の稼いだ賞金の一部はレイフォンに分配されるだろう。それでも此処で退けば、十分な食料を得る金額には届かない。戦場から退くか否か悩み、レイフォンは判断が遅れた。

 その時、防護服の傷口からレイフォンの体内へ何かが侵入する。レイフォンは驚き、傷口を抑えた。しかし、フラフラと体を揺らしたレイフォンは、そのまま倒れてしまう。それに気付いた監督者が駆け寄るものの、レイフォンの意識は失われていた。妾の意識も引っ張られる感覚と共に、どこかへ落ちて行く。さて、これは面倒な事になった。

 

 長剣の形を保ったまま、闇の中を妾は落ちる。ここはレイフォンの中だと感じた。いつも外の様子を覗いていた場所が体だとすれば、今から行くのは頭だろう。肉体から精神の領域へ落ちて行くのだ。いったい何所まで落ちて行くのか――ああ、感じる。この先に侵入者が居る。長剣の切っ先を侵入者に合わせて、妾は落ちて行った。

 やがてパリンッというガラスを叩き割ったような感覚と共に、レイフォンの精神へ侵入する。そこではレイフォンと同じ孤児院に住む女の子が、レイフォンの首を絞めていた。たしかアレはリーリンという名前だったか。妾の感覚はアレを侵入者だと教えてくれる。ならば刺し貫くのみだ!

「あら、お客さんかしら?」

 女の子に化けた侵入者はレイフォンを盾にする。しかし妾は構わず、レイフォンごと侵入者を貫いた。すると侵入者は「ギャー!」と醜い悲鳴を上げ、妾の刃で壁に縫い付けられた。狙い通りに胸の中心を貫けた事から『ハハハ、いい様ではないか!』と妾は笑う。壁に縫い付けられた侵入者、その下に置かれていた鍋や包丁が落ち、ガンガンッという高音を鳴らした。よく見ると其処は孤児院の台所を模している。

「うわぁぁぁぁぁ! リーリィィィン!」

 レイフォンは妾の刃を擦り抜け、床に腰を落としていた。しかし、長剣によって壁に縫い付けられバタバタと手足を動かす侵入者を視界に入れると、レイフォンは叫び始める。立ち上がると長剣の柄を持って、妾を引き抜こうと試みた。それを当然、妾は拒む。レイフォンは何をやっているのだ。ああ、なるほど。これを本物だと勘違いしているのだろう。

『あー、あー。・・・おお、喋れるではないか。素晴らしい! おっと、違う違う。レイフォンよ。このリーリンは偽者だ。覚えているか?御主は仲間に後ろから切られ、戦場で意識を失ったのだ』

「そんな事は覚えている! その後、武芸者として戦えなくなったボクを、ずっとリーリンは看てくれていたんだ! こんなに苦しんで・・・ボクを殺そうと思うほど思い詰めて・・・!」

 妾が来るまでの短い間に、それほどのバックストーリーを展開するとは侮れない奴だ。さっさと脳を破壊すれば早かったにも関わらず、ずいぶんと回りくどい手段を取る。ある程度レイフォンの意識を保ったまま、肉体を奪う必要があったのか。やろうと思えば、脳を物理的に破壊できるのだろう。ならば侵入者の気が変わらない内に殺さなければ・・・。

「お前は何者だ! リーリンを解放しろ!」

『解放してやるさ! 生きているという事から!』

「やめろぉぉぉぉぉ!」

 妾は回転する。突き刺した刃が回転し、偽リーリンはグルグルと回転を始めた。手足がバタバタと壁に当たり、頭がゴンゴンと打ち鳴らされる。そんな状態の偽リーリンは悲鳴を上げない、もはや喋る余裕は無いのだろう。胸の傷口はミシミシと鳴りつつ広がり、やがて偽リーリンの体は裂けてバラバラになった。

 偽リーリンは最後の悪足掻きを行い、胴体から頭部を切り離す。偽リーリンの頭部がレイフォンの胸へ飛び込み、「助けて・・・」とレイフォンを誘惑した。ハハッ、間抜けな話だ。首の無い頭部だけで、武芸者でもない人間が喋れると思っているのか。その汚らわしい物を妾は上から突き刺し、石製の床に縫い付けた。

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 レイフォンが悲鳴を上げて、台所の床を這う。何事かと思えば、偽リーリンの肉片を掻き集めていた。驚いたことに、まだレイフォンは此れを現実だと思っているようだ。意外に気が付かない物なのか。ならば偽りの世界を破壊してやろう。妾は台所の床を割って、レイフォンと共に闇へ落ちた。さあ、現実へ帰るのだ。

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」

「きゃあっ!」

 飛び起きたレイフォンは、リーリンを驚かせた。もちろん本物のリーリンだ。「あれ?リーリン?」とレイフォンは問い、「うん、そうだけど」とリーリンは答える。するとレイフォンはリーリンを抱き締めてグスグスと泣き始め、リーリンはレイフォンの体をナデナデして慰めた。どうやら先ほどの夢は、泣くほど怖かったらしい。

 レイフォンが居るのは孤児院のベッドだ。落ち着いたレイフォンは、20時間ほど眠っていた事を知らされる。レイフォンが倒れたのは昼の2時で、今は昼の10時だ。偽リーリンを速攻で倒したと思っていたのだが、思った以上に時間が掛かっている。もしや、レイフォンの精神へ妾が接触したのは、先ほどの事だったのか。その間に偽リーリンは「レイフォン看病生活」を行っていたのだろう。という事は、妾も偽リーリンの妨害を受けていたのか。まったく気が付かなかった。これではレイフォンの事を言えぬな。

 しかし結局、あの侵入者は何者だったのか。アレは防護服に開いた穴から侵入して来た。事前の説明に無かったものの、都市の外には彼のような脅威もあるのか。武芸者とは危険な仕事なのだな。その代わりとして相当の金銭を得ることが出来る。今回の戦闘で得た賞金を見て、レイフォンは喜んでいた。

 

「それと、君に起こった事について話があるんだけど、ちょっと時間を貰えるかな」

「ボクに起こった事ですか?」 

「そう・・・寝ている間に何があったのかを聞きたいんだ」

「・・・!」

「その様子だと、やはり何かあったようだね」

「あれは・・・夢では・・・」

「詳しく話を聞きたいのならば、付いて来るといい」

 わざわざ賞金を持ってきた若い男性は、レイフォンを誘う。「昼御飯を食べさせてあげよう」と言って、どこかへ向かって移動を始めた。伝染病によって壊滅した食料の生産設備は未だに回復していない。そんな食料事情なので料理店は閉店または値上げを行い、開店している料理店といえば一皿5000円でも不思議ではないのだ。屋外で営業する屋台の惨状は言うまでも無いだろう。

 現在営業している料理店は狂っていると言っても過言ではない。献立表に狂った金額を載せているか、人肉を調理して出しているか。とにかく真面な経営をしているはずがない。そんな有様の都市で「昼御飯を食べさせてあげよう」と言われても信じられない。しかし、レイフォンは少し不審に思いつつも、さきほど見た夢の内容が気に掛かっているため、若い男性の後を追った。あー、嫌な予感がするのぅ。

 

 看板もあるし、民家でもない。若い男性に案内された料理店の外見は、意外な事に普通だった。しかし、店内は酷い臭いがするらしく、レイフォンは鼻を押さえる。人気のない店内に入って献立表を見ると、「かたロース時価、かたバラ時価、ともバラ時価」と、値段の全く分からない有様だった・・・いったい何の肉なのだろう。

「好きな物を選んで良いよ。ボクのオススメはツラミだ。安くて面白い」

「そうですか・・・では・・・かたロースで」

 若い男の「面白い」という言葉に危険を感じたらしく、レイフォンは別の肉を選んだ。店員は注文を聞き、鉄板のスイッチを入れると厨房へ向かう。向かい合って座る若い男性とレイフォン、その間にある鉄板から熱気が昇り始めた。やがて店員は切り揃えた肉を持って戻り、鉄板の横へ置く。すると、ようやく若い男性は話を始めた。

「君は老生体という物を知っているかな」

「・・・老生体ですか? いいえ、汚染獣の一種でしょうか」

「その通りだ。脚を失い、完全な飛行形態となった汚染獣を老生体という。汚染獣の完全体と言えるね。まあ、基本的にボクたち天剣が相手をするから、君達が戦う事はないだろう」

「え? 天剣? 貴方が?」

「そうだよ。クォルラフィンと言えば分かるかな」

 レイフォンはガタッと椅子を立ちかける。しかし、すぐに座り直した。途中で席を立つのは、相手に失礼だと思ったからだろう。天剣と言えば天剣授受者であり、この都市で最強の武芸者だ。クォルラフィンと云えば、十二本あるという天剣の一つを指す。その天剣を持つ相手に下手な対応をすれば、この場でステーキの材料になっても不思議ではない。まさか、この怪しい料理店は死体を片付けるために在るのだろうか。

「人という種に、剄を作り出す内臓器官を持つ武芸者が生まれる。それと同じように、老生体の変種が生まれる事もある。7年前に起きた事件を知っているかな? 寄生型の老生体が、その時に確認されている」

 話の読めてきたレイフォンは腰を浮かせる。しかし、すぐに座り直した。ここで行動を起こせば、寄生されているという疑いを強める事になると思ったからだろう。レイフォンの眼はグルグルと動き回り、この事態を突破する方法を探していた。そんなレイフォンを見た天剣はクスッと笑う。

「ああ、勘違いをしているようだね。例え話をしてあげよう。都市を滅ぼす恐れのある病原菌の保菌者が居るとすれば、君はどうする? ボクはね・・・」

 レイフォンは天剣の話を最後まで聞かなかった。常人よりも強い力を用いて横へ飛び、窓ガラスが割れるのも構わずに突っ込む。背後の店内で鳴り響くドォンッという爆音を聞きながら、全身をガラスの破片で切り刻まれて脱出すると、飛び出した勢いに任せてレイフォンは地面を転がった。そして、手や顔に付いた切り傷の痛みに耐えつつ、閉じていた目を開く。

「結論から言えば、君は死ぬ」

 クラクラと揺れるレイフォンの視界に、錬金鋼を持つ天剣が映る。その背後にある料理店は崩れ落ちた。まさか店ごと潰す気だったのか。恐ろしい相手だ。さきほどの店員は犠牲になったらしい。レイフォンは逃げ出したものの、一瞬で追い付いた天剣に蹴られ、石材で固められた道路を転がった。地面に伏したまま息を荒げるレイフォンの様子は妙だ。片腕が折れているのだろう。口の中を切ったらしく、咳と共に血を吐いた。

「どうしたんだい? まさか、このまま大人しく殺されてくれるのかい。それは詰まらないなぁ。この程度で死ぬようなら、一息に殺してあげようか」

 レイフォンは痛みと苦しみで思考能力を失っていた。それでも天剣の声を聞くと、立ち上がろうと肉体は足掻く。その有様を天剣は気に入ったらしく、レイフォンが立ち上がる様を傍観していた。レイフォンは折れた片腕で体を支えようと試みて失敗する。すると再び立ち上がり、折れていない腕を使って体を支えた。

 もはや痛みで、レイフォンの意識は無いだろう。体を動かしているのは無意識だ。ああ、なんて無様な。レイフォンは錬金鋼を探して、自身の腰を探っているのだ。そんな物、さきほど蹴られた時に何処かへ飛んで行ってしまった。いくら腰を探っても、無い物は出てこない。

「ああ、君の錬金鋼かい? 欲しいのは、これかな?」

 そう言って天剣は、拾ったレイフォンの錬金鋼を投げ渡す。道路をコロコロと転がった錬金鋼は、上手にレイフォンの手へ納まった。それを視た妾は思わず、その錬金鋼を破壊する。レイフォンの手の中で、錬金鋼はビシッと割れて砕け散った。レイフォンの指の隙間から、錬金鋼の破片がカラカラと零れ落ちる。レイフォンは呆然と、その様を見つめていた。

 

 そんな武器でアレを倒せるものか。錬金鋼と共に砕け散る様が透けて視える。レイフォンよ、妾を抜け! 妾を握れ! 聞こえないのか、我が主よ! 長い間、妾は御主と共にあったのだ。妾を扱える者がいるとすれば、それは御主以外に存在しない。御主が知らずとも、妾は御主を知っている。妾の声を聞け! レイフォン・アルセイフ、抜剣せよ!

 

 レイフォンの精神へ、再び妾は接触する。ここならば妾の声が届くはずだ。しかし精神の中へ入ると、闇の中にリーリンが浮かんでいた。偽リーリンだ。まだ残っていたのか。天剣の話によると寄生型の老生体、つまり汚らわしい獣だ。こいつのせいでレイフォンは死に瀕している。その偽リーリンは両手でスカートを摘み、長剣である妾に向かって御辞儀した。

「協力しましょう。1人では届かない声も、2人が力を合わせれば届くと思いませんか?私は死にたくない、貴方も死にたくない。利害は一致するでしょう?」

『バカな。貴様の存在を許す訳にはいかぬ。我が主に害を成す様が目に見える。貴様は異物だ。我が主の中に存在してはならぬ物だ』

「あらあら、貴方が其れを言うのですか? 貴方のような物がいるから、この子は、こんな痛ましい事になっているのではありませんか? まったく身に覚えが無いとでも?」

『無いとは言わぬ。だが、それを貴様が言うな。貴様のせいで、我が主は天剣に命を狙われているのだぞ。この危機を回避したいと言うのならば、貴様が出て行けば済む話だ』

 偽リーリンに長剣の切っ先を向けて、妾は突進する。しかし前のように突き刺せなかった。偽リーリンは横に飛んで、突進する妾を避ける。簡単な話だ。使い手のいない妾は、急旋回ができない。その弱点に気付いたのは、偽リーリンの方が先だった。しかし偽リーリンも、妾に攻撃する手段は無いようだ。そうでなければ妾は、すでに落とされている。

 その時、ドォンと世界が揺れた。レイフォンの精神が大きく揺れた。外で何かあったのだ。もはや偽リーリンと遊んでいる時間はない。しかし、汚らわしい獣の言うことに耳を貸せと言うのか。これは悪魔の契約だ。絶対に何か裏がある・・・だが、ダメだ。もう余裕があるとは思えない。こうなったら早い者勝ちだ。

『レイフォン! 妾を抜け! 妾を握れ! 妾は御主の剣だ! 御主に抜けぬはずがない!』

「レイフォン! 私を信じて! 私の声を聞いて! 私は貴方を守ります! 共に歩みましょう!」

 妾はレイフォンに呼びかける。その声と重ねるように、偽リーリンは呼びかけた。すると闇の中に眼が現れる。これはレイフォンの眼なのだと妾は感じた。レイフォンが初めて妾を見ているのだ。その事実に気付いた妾は歓喜し、感情を抑えられなくなる。ついに、この時が来たのだ! さあ、妾を抜け!

「き み は だ れ ?」

 レイフォンが名を尋ねる。おっと、しまった・・・妾は自身の名を知らぬ。物の名は主が決める物なのだ。道具は自身の名を定める物ではない。道具の在り方を定める事ができるのは、作り手や使い手だけなのだ。しかし今の主に、名を付ける余裕があるとは思えない。ならば仕方ない。妾は御主の問いに、最も単純な形で答えよう。

『妾の名はツルギ! ツルギだ! どうだ、覚えやすいだろう!』

「私の名はリーリン。馴染みのある名前でしょう?」

 

「ツ ル ギ ・ ・ ・ リ ー リ ン ・ ・ ・ !

 そ う だ 、 ま だ ボ ク は 死 ね な い !

 リ ー リ ン が ボ ク の 帰 り を 待 っ て い る ん だ !」

 

 

   「闘 剣 解 放 !」

 

 

 無様に地を這っていたレイフォンの体から、白い液体が滲み出る。それはレイフォンの体を覆い、鎧のように形を変えて固まった。手足を覆う5本の大きな爪は、道路に敷かれた石材を握り潰す。白い鎧によって覆われたレイフォンの体は、一回り大きくなっていた。頭部も白い液体で覆われ、凶悪な造形の仮面が形作られる。その分厚い鎧は、全身を隙間なく覆う防護服のようだ。

 そして最後に5本の爪は宙を握り、どこからか長剣を引き出す。抜き出された長剣が触れると、スパッと道路は切れた。しかし勢いよく突き立てられると、長剣は切れ味を落としたように先端部分だけを道路に埋める。そうして全ての準備が整ったのか、ソレは「オォォォォォ!」と声を上げた。

 ソレを何と呼ぶべきか。ソレをレイフォンと言うには姿が変わり過ぎていた。誰が見ても、ソレにレイフォンの意識が残っているようには見えない。その変身を見ていた天剣から言えば、レイフォンの体内に潜んでいた汚染獣が目覚めたようにしか見えない。やはりソレは汚染獣と呼ばれる物なのか。しかし少なくとも、天剣は相手の名前に興味はなかった。重要なのは、それなりに戦える相手だという事だ。ソレが口から光線を発射すると共に、ソレと天剣の戦いは始まった。

 

 都市はエアフィルターで包まれている。外部に漂う汚染物質を防ぐ空気の膜だ。それを真横に伸びる光の柱が貫いた。白い化物の口から撃ち出された光線は、いくつもの家屋を貫いても衰えず、都市の外縁部にあるエアフィルターを貫いて、地平線の彼方へ飛んで行く。これだけでも大惨事だ。

 しかし、光線は何度も発射され、都市に穴を開けた。光線の的となっている天剣は軽々と避けるものの、その度に都市の損害は計り知れないほど増える。やがて白い化物は学習し、口から光線を発射したまま左右へ振るようになった。家屋を貫通するだけだった光線が動くことで家屋が薙ぎ払われ、一度に十数人の命が失われる。

 何事かと思い、やる気のある天剣が5人ほど現場へ向かった。他に6人の天剣が居たものの、1人は遠くから様子を探り、1人は職務で動けず、残りの4人は傍観している。やる気のある5人の中には、光線に危うく消されかけて怒っている者もいた。そうして6人の天剣が化物の滅殺に着手する。

 しかし、鋼糸による拘束も引き千切られ、そこへ打ち込まれた巨大な刃による一撃も化物の鎧を破壊できない。さらに化物の放つ光線が誘導式へ成長して、問題の原因となった天剣を追い回し始めた。これにより都市に及び被害は抑えられたものの、光線を避ける手間が掛かるようになる。

 

「あー、あいつに任せたのは失敗だったわ。死ねばいいのに」

 王座に座ったまま、都市を治める女王は呟く。光線は王城の壁も貫通し、風通しのいい穴を開けていた。穴の修復が終わるまで、1ヶ月ほど掛かるだろう。運が悪ければ王城を建て直す必要がある。ついでに事務所も人員ごと吹っ飛ばされ、重要な書類が跡形も残らず消えた。仕事が無くなったのではなく、やり直しになったのだ。この都市で最も強い女王の機嫌は、これまでに無いほど悪かった。それでも、無駄に力を放出しない鋼の自制心は残っている。

「いったい何を任せたら、こんな事態に・・・」

「ある子供に寄生型の老生体が付いたって報告があってね。面倒臭かったから、あいつに丸投げしたのよ。さっさと片付ければ良いのに、きっと余計な事をしやがったんだわ。あー、もうっ! いったい誰が責任とってくれんのよ!」

「じゃあ、オレはサヴァリスに一票」

「それじゃあ、私は陛下に一票!」

『私は汚染獣に一票を投じましょう。人に責任を擦り付ける物ではありませんからね』

「ずっとサヴァリスを狙ってるんだし、あいつが死ねば丸く収まると思うのよ・・・ま、そんな保障を汚染獣がしてくれる訳ないし、乗っ取られたガキごと打っ潰すしかないわね。とりあえず天剣は全員集合! 数の暴力で、これ以上被害が広がる前に、一気に押し潰すのよ!」

 空位となっているヴォルフシュテインを除く全員、11人の天剣が召集される。残り5人の天剣が集まる間に、6人の天剣は化物の攻略に挑んでいた。その度に化物は成長し、それぞれの天剣が持つ技を劣化した形で再現する。やがて、問題の原因となった天剣が使った奥義を、化物は驚異的な速度で再現に成功した。

 その奥義の名は千人衝、複数の分身を作る技を化物は劣化した形で再現し、3体に増えたのだ。おかげで厄介な光線が3倍に増えて、余計に面倒な事になる。それを見た女王は思わず攻略戦の現場へ飛び込み、問題の原因となった天剣を、都市の外縁部まで殴り飛ばした。これにより戦場は、都市の外縁部へ移される。後に女王は「もちろん計算した上での行動だった」と主張し、部下の追及をかわした。


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