ではどうぞ。
奴隷とは、人でありながら人として同等の扱いを受けることのない人である。奴隷に人権はもちろんのこと、名誉や自由といったものはない。あるのは自分が奴隷という名で、誰かに『モノ』として所有されている実態だけだ。
目の前で高らかに人権侵害を主張するアリアを見て俺は、ふとそんなことを思い出していた。
「無礼な奴らね! ほら、何か飲み物でも出しなさいよ! お客さまが来たらもてなすのは常識よ」
トテトテトテ。そんな足音が似合う体躯のアリアは、ソファへ戻り腰を下ろすと「コーヒー! エスプレッソ・ルンゴ・ドッピオ! 砂糖はカンナ! 一分以内よ!」そう付け加えた。
いきなり部屋に押し入ってドレイ宣言をした挙句、そうした言動をした上で自分はお客さまだと認識しているあたり…………なるほどこいつは、俺が今まで会ってきた人の中でも群を抜いてヤバい奴だ。
しかもなんだ、いきなり魔法みたいなコーヒー注文してきたぞ。なんだよ、エスプレッソしかわかんねーよ。カンナってなに、運命の子か何か? もしくは最後の希望ですか? そういうのはス○バに行って注文してください。
そう心の中で一通りつっこみを入れると、隣で同じくこいつはやばい、といった顔をしているキンジを連れて、学生寮にしては広いキッチンへと向かった。
「どうするキンジ、お前あんなコーヒー作れるか?」
「作れるわけないだろ。テキトーにインスタントでも出しときゃいいだろ、どうせコーヒーなんてみんな同じだ」
全世界の
キンジは出来たコーヒーを持って、俺たちはアリアの下へと向かう。キンジは「どうぞ」なんて店員の真似事をして、ソファを陣取ったアリアの前にある四角形のテーブルにコーヒーを置いた。
「……なにこれ?」
クンクン。動物が臭いを嗅ぐように、アリアもまたコーヒーに顔を近づけてその匂いを嗅いでいた。おいおい、普通のコーヒー(インスタント)だぞ? 別に毒なんて入れてないし。俺の気持ちを代弁するようにキンジが「普通のコーヒーだ」と言うと、アリアは試しにといった感じでコーヒーを口に流した。しばらく口で遊ばせて飲み込むと、アリアは口を開いた。
「変なの……ギリシャコーヒーに似てるけど、ちょっと違うわ」
おおっと、また謎のコーヒーが誕生したぞ。どうやら口からものを生み出すのがお好きなようだ。某大魔王とは仲良くやれそうな気がする。
「その、今朝のことはとても感謝している。それに…………状況が状況だったとはいえ、お前を怒らせるようなことをしたのは謝るよ。けど、わざわざなんで、ここまで押しかけてくるんだ?」
キンジは自責七割、疑義三割といったバランスでアリアに訊いた。アリアは文句を言っていたコーヒーを再び飲むと、
「分からないの?」
「分かるかよ!」
「そうなの? まあいいわ、その内思い当たるでしょ」
「よくねえよ、分かんねえことだらけだよ!」
普段あまり見せない粗暴な面を見せてキンジは言った。予想を大きく外した返事に、いらだちを隠せなかったらしい。
「お腹すいた」
あえてなのだろうか。前後の文脈を無視したアリアの態度に、俺もキンジも「はっ?」とシンクロした。
「何か食べ物ないの?」
「ねえよ」
「おせちがいいな」
「あるわけないだろ、何月だと思ってんだお前」
いや、とキンジの言葉を捕まえて俺は思い出す。白雪が今朝持ってきたお重のことを。
「おせちとはいかないがキンジ、あるだろ今朝のお重が」
「あれなら、今朝白雪が持って帰ったぞ。なんか色々と不備なとこがあるから、また作って持ってくるとか言って」
「な、なんですとーっ!? そ、それじゃあ俺の分は……」
「ねえな」
衝撃の事実に、俺はガクッとうなだれるしかなかった。人って凄いね、本当に驚いた時は文字通り膝から崩れ落ちるんだ。
「あんたたちいつもどうやってご飯食べてるの?」
「下のコンビニで弁当買ってんだよ」
「コンビニ? ああ、あの小さなスーパーのことね。じゃあ行きましょ」
「行きましょって、どこに」
負のオーラを纏った俺をよそ目に、キンジとアリアは話を進める。アリアは「そのコンビニってのに決まってるじゃない」とキンジに言うと、リビングの扉に向かっていった。そう言えば、もう夕飯の時間だったな。
▽
コンビニでそれぞれ思い思いの物を買った俺たち(当然アリアも)は、部屋に戻ってテーブルとは別のキッチン寄りの机に座り、俺はペペロンチーノを、キンジはハンバーグ弁当を食べていた。そしてアリアはと言うと──
「はーむっ……むひゅ」
昔話に出てくる桃の形をしたまんじゅう、『ももまん』を買って食べていた。買ったというか、買い占めた。その数なんと八つ。余談だが、保温器にあったももまんゾーンを空にした時は少し興奮したね。これが大人買いかと。
「……で、奴隷ってどいういう意味なんだ?」
デミグラスソースのついたハンバーグを食べながら、キンジは言った。
「そのまんまの意味よ。
六つ目のももまんを口に運びながら、アリアは言った。
「何言ってんだお前。俺は強襲科が嫌で、一番まともな
「あたしには嫌いな言葉が三つあるわ」
会話のキャッチボールではなく、ドッジボールをしだしたアリアに、俺は思わず吹き出しそうになった。なんだこいつ、色々と
「無理、疲れた、めんどうくさい。この三つは人間にある無限の可能性を押しとどめるよくない言葉よ。あたしの前では二度と使わないこと」
これは厳しいな。仮に俺がかせられたとしたら無理だし、むしろコンプリートする自信の方があるね。あ、早速使っちゃった。
アリアは口元についたあんこを指で取り舐めると、
「キンジはそうねえ……うん、やっぱりあたしと同じ
「よくない! そもそもなんで俺なんだよ!? 強襲科にだったら俺よりいい奴なんてごろごろいるだろ」
「太陽はなぜ昇る? 月はなぜ輝く? キンジは質問ばっかで子どもみたい。武偵なら武偵らしく、自分で考えて推理してみなさい」
「お前なぁ……」
一方的に会話のボールを投げつけてくるアリアに、キンジは怒りを通り越して諦めかけていた。この様子じゃ、今日だけでストレス値は百超えてそうだな。
「ねえ、カナエはどう思う?」
「へっ?」と急なフリに裏声が出てしまった。
「キンジのことよ。あたしはフロントがいいと思うんだけど、あんたはどう?」
「どうって……」
ペペロンチーノを食べる手を止めて、チラッと右にいるキンジを見てみると……うん、凄いね。ビームでも出るんじゃないかお前ってくらいの眼力で訴えてるわ。
フロントにキンジか。たしかにヒステリアモード状態ならそれが最適だろうが、問題はそれになるまでだ。なるのが前提ですぐにパイタッチでも何でもさせてくれるなら話は別だが、そういう訳にもいかないだろう。はっきり言って、通常モードのキンジにフロントを務めるだけの戦闘力があるのか俺にもよく分からない。一概に弱いとは言えないだろうが、やはりヒステリアモード時に比べると劣るものは明らかだ。それなら最初からフロントに出すのは得策じゃない。フロントメンバーの危機的状況、もしくは敵との力量の差が大きいと判断した場合に、即座にヒステリアモードになって形勢を逆転する切り札としてキンジを使う。
そう考えるとキンジは──
「
言った後で気づいた。何マジメに答えているんだ、と。
「──……そうね、それもありかもしれないわね」
フムフムと、顎を親指と人差し指で摘んでアリアは言った。やばい、その気になっていたのをさらに後押しして、完全にその気になってしまった。やべーよ、右からの視線が恐くて向けないんだけど。大丈夫? ビーム出てない?
「──とにかく!」
キンジは立ち上がって言った。
「帰ってくれ。俺はお前のパーティに入るつもりは毛頭ない!」
「あんたがあたしのパーティに入ってくれるならいいわよ」
「だから、俺は武偵をやめるんだってさっきも言ったろ」
「いいえ、何が何でも、ぜーったいに入ってもらうわ! もしうんと言わないなら──」
「言わねーよ、何が何でも。なんだ、うんって言わないならどうするつもりだ?」
徹底抗戦。朽ち果てるまで軍門に降るつもりはない。キンジが反撃の狼煙を上げたかに見えた。
「泊まってくから」
今度こそ間違いなく、俺はペペロンチーノを口から吹き出した。反射的に顔を下に向けたため、アリアの顔面をコーティングすることはなかったのが幸いだ。いやそれより! さすがに冗談ですよねアリア嬢。恋人でもない男女がひとつ屋根の下夜を過ごすって、完全にヤる気まんまんな人たちの生活習慣ですよそれ!?
「おまっ、冗談だろ!?」
声を荒げ、今日一で驚愕の表情に顔を変えたキンジ。アリアはそんなキンジに「うるさい!」と一喝すると、テーブル付近にあるトランクケースを指して言った。
「長期戦も想定済みなんだからね! 覚悟しなさい!」
いやあのトランクケースそういうことだったんかい! なんか不釣り合いだとは思ったけど、まさかのお泊りセット!? 予想の斜め上どころか異次元から来ちゃったよ。やっぱりこいつはヤバい、ブッチギリでヤバい奴だ。
吐き出したペペロンチーノを拾って流し場に捨てながら、改めてアリアに評価を付ける。今度はアリアが立ち上がった。
「出てけ!」
言ったのはアリアだった。アリアはキンジのところまで来ると、キンジの背中を華奢な身体を使って全力で押した。キンジは「なんで俺が出て行かなくちゃいけないんだよっ!」と、至極当然な理由で反論した。
だが、というかやはり、アリアはキンジの言うことなど聞く気はないらしい。グイグイと、アリアはキンジをリビングから押し出した。
「うるさい! わからず屋にはお仕置きよ! 外で頭冷やして来なさい!」
「ちょっと待て、お前いったい──」
バタン。玄関の扉が閉まる音だけが聞こえた。そこから先の、キンジの声と言葉は聞こえなかった。どうやら、いつの間にか家主が変わっていたらしい。
さて、そこで一つ疑問が浮上してきた。新しい家主は前の家主を追い出しこの部屋を乗っ取った。これで一時的だが、この部屋は新しい家主によって実効支配される形となった。しかし、出て行った家主は片割れであり、もう一人の家主はこうして残り少ないペペロンチーノをフォークに巻きつけている。一体新しい家主は、俺をどうするつもりなのだろう。
リビングの扉が開き、アリアは戻ってきた。
「……俺は追い出さないんだ」
白いプラスチック製のフォークに巻きつけたペペロンチーノを口に含んで、俺は言った。
「少しお話しましょう」
落ち着いた声でアリアは言った。さっきまで怒鳴り散らしていたのに、今はこの声色だ。理性をはたらかせて意図してやっているのか、情緒不安定なのか。…………多分後者だ。
スッスッ。膝までの長さをした黒いソックスで床を歩くアリア。その音が消えた時、アリアはキンジがさっきまで座っていた席にいた。つまり俺の隣である。
「なぜ隣?」
素直な質問をアリアに投げてみた。すると「いいじゃない」とのことだ。うん、答えになってない気がする。まあ、もう慣れてきたからいいんだけどさ。
「それで、何のお話しだ? マンガやゲームの話しなら小一時間はできる自信があるけど?」
両手を使っておとぼけのポーズを取りながら言った。
「そんな話よりも有意義な話よ」
そう言うアリアの顔つきは、さきほどとは改まった神妙顔つきだった。その顔のまま、アリアは俺に問いかけた。
「ねえ、あんたなんで、キンジはバックだなんて言ったの?」
「なんでって……そりゃ、俺がそう思ったからでしょ。人の意見なんて、みんながみんなアリアと同じってわけじゃないんだし」
「そういうことじゃないわよ。あたしが訊きたいのは、キンジはバックだと思ったあんたの理由と根拠よ」
チクン、と。胸に何か鋭利なもの先端が、それもとびきりデカいやつのが刺さったような感覚がした。虫の知らせ、何かよくないことが起こると。俺は、アリアに少しばかり懐疑した。
「……なんとなくは、ダメだよね?」
「それなら興味なさそうに答えるはずよ。でもあんたは、わざわざ時間をかけて答えた。それこそ食べる手まで止めてね」
よく観察してるな、こいつ。
「それにあんたの顔も、あの時はやけに真剣なものだった。あんたはまともに返答してこないと思って訊いてみたけど、予想に反してあんたはマジメに答えてきた。その時自信がなさ気だったのは、数ある学科の中でも比較的発泡機会の少ない探偵科にいる自分は、強襲科における戦術や作戦を知らないから」
そんなところでしょうね。と、アリアは目を自信一色に染めて言った。
おうおう、なんでえお前は。バーローの仲間か何か? もしくは実在のバーローか?
アリアは的を射ている。それもニアピンとかではなく、恐ろしいほど正確に。アリアは「つまり」と核心に迫る勢いで言い放った。
「あんたは知ってるはずよ。キンジが急変して真の実力を発揮する、
「…………」
嫌な予感が当たってしまった。恐らく今俺は、とても苦い嫌な顔をしているだろう。こいつは……
アリアに対する懐疑心はついに、懸念へと変化した。同時に、脳内である議題が議決された。
思い出すのは中学時代──神奈川武偵高附属中学──のこと。俺は友達や待ちゆく人、特に女性には優しさを持って接することをモットーにしている。そして誰かが困っていれば、自分の時間を潰してでも力になりたいと思っている。そういう精神で、いつも通りの何気ない日々を過ごしていた。
だがある日、俺は一人の女子を殴り飛ばす事件を起こした。理由は簡単だ。そいつが、キンジにとっての害悪そのものだったから。結果的に見れば、暴力を振るい相応の処分を受けた俺が悪い。だが今思い出しても、あの時自分がしたことを悪いだなんて思ったことは一度もない。こいつも、あの時の女子と同じように殴り飛ばしてやろうか……。
ガタッ。俺は、無言のまま席を立った。
「っ! ……きゅ、急にどうしたの?」
感受性が強いのだろうか。アリアは少し、怯えた感じで言った。俺は「ちょっと用事を思い出した」なんて適当な言い訳をすると、リビングを出て行く。
「ねえ、どこ行くのよ?」
後ろからついて来たアリアが言った。めんどうくさい。そう思いながら、弁当を買いに行った時に使ったサイフを見せて俺は言った。
「コンビニ。アイス食べたくなった」
これも適当な言い訳だ。それでもアリアは「ねえ、あたしのも買ってきてよ。あんたのおすすめでいいわ」と、図々しくお使いを頼んできた。
「うーす」
気だるい返事をすると、俺は玄関の扉を押して外に出た。朝に比べれば少し下がった春の陽気は、それでも俺の身体を包み込む。エレベーターまでの道のりを歩きながら、俺は呟いた。
「前言撤回だ。あいつは
前線ってフロントでいいのかな? 誰か知ってる方いませんか?
あと後方のことも。