常軌を逸したその強さ。
自身が初めて最強だと感じた人物。
シノンがその男と初めて出会ったのは、荒野の一角でとあるスコードロンの一団を待ち伏せしていた時だった。
とある夕暮れ時、傾いた太陽が地表を赤く染める頃合い。
シノンは数名の仲間と共に荒野の一角でうずくまるようにして潜伏していた。
周囲は岩肌と砂に囲まれ、旧時代の遺物である高層建築の廃墟が立ち並ぶ。彼らがいるのはその建物群の一つ、やや高台になった場所に立つ前文明の遺構の中だ。ボロボロのコンクリート壁や鉄骨が掩蔽物となり、前方に広がる荒野を監視しやすい位置である。そこでシノンを含む六人のプレイヤーは標的の一団が現れるのを今か今かと待ち構えていた。
しかし待ち伏せを始めてからすでに数時間が経過しており、仲間たちも徐々に意気が下がってきている。とうとうその中の一人、腰にブルガリア製の
「いい加減に遅ぇなぁ。本当に来るのかよ?」
「ああ、間違いねぇよ。連中がMob狩りの帰りにここを通るっていう確かな情報を仕入れたんだからな」
疑わしげな声を上げる男に、この一行――今回の“狩り”に際して、シノンが一時的に所属することになったスコードロン――のリーダーであるディランがその厳つい顔を引き締めながら答える。声といい顔つきといい、いかにも歴戦の兵士といった趣だ。もっともこの世界の住人は、その大半がアクション映画の登場人物ばりに筋骨隆々の体躯と厳つい武骨な顔立ちをしているのだが。
そんな中、端整な美貌にペールブルーのショートヘアといったとりわけ異彩を放つ風貌のシノンは、首に巻いたマフラーに口元をうずめたまま自分の愛銃である狙撃ライフルを腕に抱き、耳だけを会話に傾ける。
自ら会話に参加するのはシノンの好むところではない。口を挟めば……いや、彼女が声を発すれば、十中八九面倒で厄介なことになるからだ。
「けどよ、さすがに遅すぎねぇか?」
「たまたま獲物の湧きが良いんだろ。その分、こっちの取り分も増えるんだから良いじゃねぇか」
「そうだぜ、文句言うなよ。だいたい見張りやってる俺と比べりゃどうってことねぇだろうが」
標的が来るであろう方向を双眼鏡で確かめながら、見張りについていたレーゲンが不機嫌そうに口を挟んだ。何の変化も起こらない荒野の風景に彼もうんざりしているのだろう。目だけは荒野に向けられたまま、耳と口でわざわざこちらの会話に参加してくる。
「暇なら武器の点検なり作戦の確認なりしてろよ」
「つっても武器の点検はもう何度もやったし、作戦だってそんな複雑じゃないだろ。敵の中でも一番厄介そうな奴を選んでシノンが狙撃。あとは混乱を突いて俺らでアタックしかけるってだけだし」
「……わかってんなら黙って待ってろ。心配しなくても直に来る」
微かに苛立ったような声でディランが言うと、マーカスもそれ以上は口を噤んだ。
と、ここで重くなりそうな空気を嫌ったのか、話を変えるようにメンバーの一人、スワットが口を開いた。
「そういやさ、シノンの狙撃って実際に見たことは無いんだけど、何メートルくらいまで狙えんの?」
「………武器の射程だけでいえば2,3キロは。 もちろん近いに越したことはないけど、少なくとも1000メートル以内なら外さないと思う」
話を振られるのはシノンにとってあまり嬉しい事ではなかったが、一時的とはいえ一応なりとも今は仲間だ。下手に悪感情を抱かせても良いことは無い。ゆえにシノンは渋々ながらも言葉を返す。
対するスワットは、隠しきれない喜色をその目に浮かべながら彼女の言葉に大仰に驚いて見せた。
「そりゃすげーや。対物ライフルってそんな遠くまで狙えんのな。しかも大抵のプレイヤーを一発で仕留められるって話だし」
「……もともと、これは人を撃つための武器じゃありませんから」
できるだけ低く、小さな声で言う。
しかしそれくらいでは、シノンの高く澄んだ美声は隠せない。現実世界の自分とは似ても似つかない可愛らしい声に、答えを聞いたスワットが嬉しそうに相好を崩す。
これだから喋るのは好きでないのだ。スワットの反応に、シノンは心の中で舌打ちする。一部の男性プレイヤーは、彼女の声を聞くことである種の喜びを得るらしい。正直、背筋に寒気が走るような話だ。
おまけにシノンのアバターは、彼女の意に反してやたらと可憐な少女の姿をしている。そのせいで、これまでにも男性プレイヤーから厄介な誘いを受けることが幾度となくあった。
このゲームにシノンを誘った友人が言うには、そもそもオンラインゲーム・ネットゲームなどのプレイヤーは女性の比率がかなり低く、こういったガンシューティングゲームなどは特にそれが顕著であるらしい。ましてや外見の可愛らしいアバターなど、それこそ希少な存在であり、中にはそのアバターをアカウントごと取引している輩もいるという。
正直、戦うことだけがプレイ目的だったシノンとしては外見などどうでもよかった。むしろ他のプレイヤーに絡まれる面倒を考えれば、もっと武骨で筋肉質な兵士然とした女性アバターの方が望ましい。実際、最初にログインした時には、自分の姿を見て即座にアカウントごと破棄しようとしたものだ。
しかし先程の友人が『勿体ない』と強硬に主張したため、なし崩し的にそのままプレイし、すでに引き返せないところまでレベルを上げてしまっていた。今でも、その時のことを少々後悔することがある。
特に、
「やっぱすげぇなぁ。それにスナイパーってなんかカッコいいし。なぁシノン。これが終わった後時間ある? 実は俺も今狙撃スキル上げたいと思っててさ。ちょっとコツとか教えてほしいんだけど」
こうして事あるごとに彼女のことを口説こうとする輩が現れた時などは。
「………ごめんなさい。この後は、リアルでちょっと用事あるから」
実際には用事など何も無かったが、それでも決まり文句のようになった断りの言葉を口にする。
「そっかぁ。そういや学生だったもんな。大学生だっけ? レポートかなんかあんの?」
「………ええ、まぁ」
おまけに一度、落ちる時に『学校が……』と口を滑らせてしまってからは、誘いが執拗になってしまって来た気がする。そんなに異性との出会いが欲しいのなら、もっと女の子受けするタイトルを選べばいいものを。本当は高校生なのだとは、口が裂けても言えない。
スワットはシノンの声を聞くたびにだらしなく頬を緩めており、その様子を見ているだけで彼女は不快になってきた。おまけに先程愚痴を漏らしてディランに叱責されていたマーカスや、それまで黙っていたザンダーまでもが会話に参加しようとにじり寄ってくる。
いよいよもって「構うな」と叫びたくなってきた、その時――
「来たぜ。奴らだ」
タイミング良く、見張りをしていたレーゲンが突然こちらに向かって小さく叫んだ。
それを聞いた男たちは思わずといった風にお互い顔を見合わせると、各自己の武器を手に立ち上がり、それぞれ近付いてくる標的が見える位置へと移動した。メンバーたちが双眼鏡で、シノンはライフルについたスコープで件のスコードロンを確認する。
見る限り人数は七人。武装はなかなかに揃っているが、六人がかりで不意を打てば無傷で殲滅可能な数だ。
厄介なのは、先頭を歩くリーダーらしき男だろうか。シノンもその顔には見覚えがあった。名前は確か《メイトリックス》。190センチ近くの長身に加え、筋骨隆々の堂々たる体躯。厳つい顔つきなども相まって、とある往年のアクションスターを連想させる。そもそも名前からして、その人物を意識しているのは明らかだろうが。
丸太のように太い両腕には、弾薬合わせて総重量十キロを超える《サコー・M60》軽機関銃を携えている。同じ分隊支援火器でも《FN・Minimi》などと比べると性能面で劣るとされる旧式銃ではあるが、その連射機能と7.62ミリ口径NATO弾の威力は決して侮れるものではない。
「後ろに《M79》グレネードランチャーを持ってる奴もいるが、ありゃ単発式だ。危険度はそれほどでもねぇ。真っ先に潰すのはやっぱり先頭のM60だな。シノンには奴をやってもらう。最初の狙撃で向こうが浮足立っているうちに、俺たちでM79を集中砲火だ」
「了解」
「ま、それが妥当か」
「なんだありゃ?」
ふと、一人が双眼鏡を覗きながら首をひねる。
「どうした?」
「なんか変わった格好のヤツが一人いるぜ」
その言葉に、周囲の面々もそれぞれ双眼鏡を覗いてみる。
シノンもスコープ越しに標的のスコードロンの中の一人を確認した。
(あれか……)
確かに、二列で行進する集団の最後尾に少々珍しい装備の男がいた。
アバターの外見はそれほど特徴的でもない。背丈は普通で、体型は痩せ気味だ。(筋肉ムキムキの大男が標準であるこの世界では、むしろ珍しいのかもしれないが)Tシャツの上に簡素なボディアーマーを身に付け、その上から細身の黒いミリタリージャケットを羽織っている。全体的に軽量な装備に身を包んでおり、いかにも素早い動きを得意としていそうだ。それだけならばただのAGI型構成ビルドのプレイヤーに見えるのだが、身に付けた武器類があまりにも貧弱すぎた。
男は両の大腿に取り付けたホルスターにそれぞれハンドガンを収め、後腰には二本のナイフが交差するようベルトに差している。そして傍目に見る限り、それ以外の装備は全くと言って良いほど見当たらなかった。もちろん、拳銃もコンバットナイフもこのゲームでは珍しい物ではない。そこらの売店に行けば、いくらでも吊るし売りされている。
だが、これらの武器は基本的に予備や補助といった意味合いが強く、メイン武器として使っている者は圧倒的に少ない。すでにゲーム開始から数カ月経ち、マップも攻略されて様々な武器が登場した今では、たとえAGI型プレイヤーでもサブマシンガンや軽量アサルトライフルを使う方が主流である。にもかかわらず、あの男にはそれらの武器を装備している様子は無い。
それとも拳銃くらいしか装備できないほどにSTR値が低いのだろうか……
「まだゲーム始めたばっかの
確かに、見る限り脅威となりそうな強力な武器を持っている様子はない。服の下に何か武器を隠そうにも、隠せるほど着込んでいるわけでもなかった。
もしかしてアイテム欄にでも保管しているのかとも思ったが、そんなことをしても意味は無いだろう。行軍中にいきなり戦闘が始まった場合、悠長にストレージを開いている暇などあるわけが無い。現に、他のメンバーはそれぞれその手にメインとなる様な武器を構えている。
シノンも少々気になったものの、結局はゲームを始めたばかりの初心者か、あるいはカッコつけたがりの物好きだろうと結論付けた。
「んじゃ、そろそろ作戦に移るぞ」
短いディランの声に、メンバーがそれぞれ応える。
それから五人は静かに高台を滑り降りていった。
後に残されたシノンは、無言で通信用のヘッドセットを身に付け、静かに時が来るのを待つ。狙撃手にとって、ここから先は一人きりの孤独な戦いだ。
周囲は人の気配が絶え、世界に自分一人しかいなくなってしまったかのような奇妙な感覚が胸に去来する。それが錯覚にすぎないと分かっていても、感じる心を止めることはできない。
荒野にそびえる廃墟の中で佇みながら、シノンは腕の中にある長大なライフルのバレルをゆっくりと撫でた。この世界における、シノンにとっての力の象徴であり、唯一にして無二の相棒。
その武骨で冷たい感触に、戦闘を前にして若干昂ったシノンの心がすぅっと冷えていく。それと同時に心の奥では一種の安らぎをも感じていた。
《PGM・ウルティマラティオ・ヘカートⅡ》 それがシノンの相棒の名だ。
全長約138センチ、重量13.8キロという並外れた図体を持ち、巨大な五十口径の弾薬を使用する。
しかし、シノンはとあるダンジョンで偶然手に入れたこの武器を、金に換えようとは思わなかった。
この銃を見た時、これはきっと己の目的を果たすための力になると思ったから。そして手に取った時、単なるアイテムであるはずの銃に、初めて『心』を感じたからだ。
それから二カ月、シノンは数多くの対人戦闘において、このライフルで幾人ものプレイヤーを屠ってきた。シノンがこの世界でも珍しい
――いずれ、自分より強い全てのプレイヤーを倒し、この世界で最強になる。そうすることで、心の内にある己の弱さを克服する。
この暴虐と殺戮の大地で、シノンが戦い続ける理由。この世界に降り立ち、その手に銃を取ったわけ。
それだけを胸に、彼女は今日も銃爪を引く。