ガイストの弾痕   作:嘘つき

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1.硝煙の香る荒野で

 

 

 

 VRゲームというフルダイブ型のゲームが開発されたのは数年前のことだ。

 フルダイブ型ゲームとはその名の通り、自らの精神全てをゲームの中に――デジタルデータで構成された仮想の世界にダイブしてプレイする、従来のTVゲームや携帯ゲームとは一線を画す新世代型のゲームである。

 プレイヤーはゲームの中の住人として実際の手足を動かすのと同じ感覚でアバターの体を動かし、本人になったつもりで仮想世界を生きる。その世界初のVRゲームハードとして、日本ではナーヴギアが開発された。

 そしてさらにソフトをネットワーク対応型のVRMMO《仮想空間多人数参加型オンラインゲーム》へと発展させ、その第一号が発表されたのが3年前のこと。

 世界初となったVRMMO‐RPGの登場は世界中で話題になったものである。文字通りゲームの世界に入り込んでプレイする、まさしく究極にして完全なRPG(ロール・プレイング・ゲーム)。それは新たな世界の創造にも等しいと言われたものだ。

 もっとも、その栄えある第一号となった《ソードアート・オンライン》なるゲームは、開発者の起こした不祥事によって、一万人もの人間を巻き込み数千人の死者を出した大事件へと発展したのだが。

 その事件により、一時はVRゲームそのものの存続も危ぶまれたものの、企業や開発者の、そして何よりプレイヤー達のVR世界への憧れと情熱は、その程度では揺らがなかった。やがて、よりセキュリティを強化したナーヴギアの次世代機アミュスフィアが開発され、その後《ザ・シード》と呼ばれるVRMMO開発支援パッケージが世界中にばらまかれるという出来事もあり、今や無数のソフト、無数のVR世界がこの世に存在している。

 そして数あるVRゲームの中でも異彩を放つ、SF世界とガンアクションを題材にしたFPS(ファースト・パーソン・シューティング)ゲーム、《ガンゲイル・オンライン》。

 そこでは多くのプレイヤーたちが銃と弾丸を頼りに荒野を渡り歩き、奪い合い、殺し合い………そして、戦っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シノンの見やる先では、標的の一団が徐々に近付いてきていた。

 すでに近くに仲間はいない。皆それぞれ待ち伏せ位置に着いている。彼女は一人、先程から潜伏している遺構の中でじっと敵が襲撃ポイントに辿り着くのを待っていた。

 コンクリート壁の名残のような瓦礫の隙間から銃口を伸ばして、銃の上部に取り付けられたスコープ越しに状況を視認する。今は遥か先で標的のスコードロンが廃墟の並ぶ通りに足を踏み入れたところだった。

 彼らの進む先では、シノンの仲間が掩蔽物に隠れながら、近付いてきた相手を取り囲むような位置に着いている。ある程度誘い込んだところで、左右と前方から一斉掃射するつもりなのだ。

 

『位置に着いた。いつでも良いぜ』

 

「了解。これから狙撃に入る」

 

 短く答え、シノンは改めてスコープから眼下の風景を覗き込んだ。口元を引き結びながら、右手の人差し指をそっと大きなトリガーガードに添える。

 スコープを通して、彼女の視界に標的の男が現れた。急に激しくなる鼓動を抑えながら、その歴戦の戦士然とした厳つい顔にライフルの照準線レティクルの十字を合わせる。それから距離と風向き、相手の移動速度などを考慮して、僅かに十字の位置をずらす。

 そこまでしたところで、シノンはトリガーに指を掛けた。それと同時に、彼女の視野にライトグリーンに光る半透明の円が表示される。

 ゆら、ゆらと周期的に直径を変化させるその円は、シノンの視界にだけ表示される攻撃的システム・アシスト《着弾予測円(バレットサークル)》だ。銃口から発射される弾丸は、この円の内側のどこかにランダムに命中する。この着弾予測円の大きさは標的との距離、銃の性能、天候、光量、スキル・ステータス値といった要素によって変動するが、その中で最も重要なパラメータが射手の心臓の鼓動だ。

 心臓がドクンと脈打った瞬間、サークルは最大にまで広がる。そして徐々に縮小し、次の脈でまた広がる。故に狙撃の命中率を上げるには、鼓動と鼓動の谷間で行わなければならない。

 しかし狙撃という普段とは違う状況下において、緊張状態にある心臓はリラックス時の二倍以上にまで心拍が上昇する。当然ながら、その分サークルも激しく拡縮を繰り返す。ゆえに拍動の谷間を狙うなど、本来ならば至難の技だ。フルダイブ型MMOであるGGOにおいて、FPSゲームの花形であり、遠距離から一方的に攻撃できるはずのスナイパーというクラスが極端に少ないのは、これが最大の理由だった。

 狙撃中に心拍が高まるのを止めることはできない。たとえ心拍が上昇しても距離が近ければ当たるだろうが、千メートルを超えるロングレンジの狙撃では、それこそ奇跡でもなければ当たらない。

 ステータスだけでは越えられない壁。最も重要になるのがプレイヤー自身のスキルと精神力。

 しかしだからこそ、シノンにとってこの狙撃手(スナイパー)という(クラス)は最適とも言えた。プレイヤーとしてだけではなく、一人の人間としての強さを求めるシノンには――……

 すっ、と頭の芯が冷えていく。

 心臓の動悸が嘘のように収まり、サークルのサイズ変動が一気にスローダウンした。

 同時に時間感覚も引き延ばされ、円が最小サイズになる瞬間がはっきりと認識できる。まるで、腕の中の鋼鉄と己の体が一体化した様な不思議な感覚。

 ライトグリーンのサークルが大男の顔を捉え、極限まで縮小した瞬間……シノンはトリガーを引いた。

 

――っ!

 

 直後、雷鳴にも似た砲声が響き渡り、銃口から吐き出された巨大な弾丸が音すらも置き去りにして一直線に標的へと突進した。

 同時に凄まじい反動(リコイルショック)でライフルごと後退しそうになるが、シノンはしっかりとその場に踏ん張ることでその衝撃を堪える。

 遠方での発射炎(マズル・フラッシュ)に気付いたのか、メイトリックスがふと顔を上げる。次の瞬間、その頭に超音速で飛来してきた五十口径弾が直撃した。

 莫大な運動エネルギーを内包した強烈な衝撃に、男は頭部どころか肩や胸までもが極小のオブジェクト片となって粉砕される。遅れてHPがゼロになり、残された体もガラスの像でも叩き壊すように脆く砕け散った。

 狙撃というものは非常に高難度かつリスキーな技ではあるが、その分単純に遠距離から攻撃できるということ以外にも、他の攻撃手段には無い優位点がある。それは初弾においてのみ適用される、《弾道予測線(バレット・ライン)》の不可視性だ。

 GGOでは、登場する実弾銃の全てが現実世界に実在するというリアルな世界観が持ち味であると同時に、ゲームならではのハッタリ的面白さを盛り込むために、自分を襲うであろう銃撃の弾道が薄赤い半透明の光の筋となって見える、守備的システム・アシストが採用されている。

 この弾道予測線は敵が銃を構えて引鉄を引くその瞬間、自動的に狙われた側の目に可視化される。無論、ラインが見えてから実際に弾丸が飛来するまでには本当に僅かな間隔しかなく、たとえ見えていたとしても躱すのは至難の業であるのだが、反射神経に優れ、高いAGI敏捷力値を持ち、度胸の据わったプレイヤーであれば、50メートルの距離から撃ち込まれる突撃銃の連射でさえ五割以上を回避してのける。

 スナイパーというクラスの持つ最大の利点は、最初の一弾に限りこの予測線を相手に与えないことだ。

 相手に存在と位置を認識されていない状況下に限り、スナイパーは一方的に回避を許さぬ攻撃ができる。逆に、一度潜伏位置を知られてしまうと、次からの狙撃は当てるのが非常に難しい。距離が離れている以上、予測線と銃弾の間には致命的なまでに時間差が生じてしまうためだ。

 もう一度予測線なしの狙撃を行うには、狙撃を目撃した相手の視界から一旦隠れて、認識情報がリセットされる60秒が経過するのを待つしかない。

 もっとも、相手の予期せぬ不意打ちに関しては話が別だ。突然目の前で仲間の体が粉砕されれば、大抵のプレイヤーは驚愕・硬直し、恐慌状態に陥ってしまう。その混乱の隙を突きさえすれば、たとえ予測線が見えていたとしても、第二射が成功する確率は決して低くはない。

 シノンはすかさず視線を外すと、隙あらばもう一人撃とうと銃口を巡らせる。予想通り、眼下ではターゲット達が混乱に陥り慌てふためいている。あと一人くらいならば撃てそうだ。

 

 その時、ふと先程の新人らしき男とスコープ越しに目が合った。シノンの心臓が一瞬だけ飛び上がる。

 どうやらこちらの位置に気付いたらしい。無論、マズルフラッシュが光ったのだからすぐに気付けても別におかしくは無いのだが、彼女にはその姿があまりにも不気味に見えた。未だ仲間たちが混乱している中、男は真っ先に冷静さを取り戻して狙撃手の位置を確認したのだ。

 シノンはごくりと仮想の唾を飲み込む。

 その男はこちらを見て――――ふ、と笑った。

 瞬間、彼女の視界から男が消える。スコープの範囲内から移動したのだ。

 咄嗟に銃口を動かして後を追うように男の行方を捜すが、まるで見つからない。現場ではいつの間にか銃撃戦が始まっており、至る所で銃火が飛び交う。スコープ越しの視界内では十人以上の男たちが激しく動き回っているため誰が誰だかわからない。

 そうこうしているうちに、戦場では奇襲に対応しきれなかった敵プレイヤーたちが次々と撃破され、既に趨勢は決していた。実際に戦闘が始まれば、勝負はあっという間だ。

 ほんの一分かそこらで敵の姿は全て消えていた。無傷ではないものの、味方に死者はいない。完全な勝利に仲間たちが沸く。

 だがまだだ。シノンの胸のうちで警報が鳴る。先程消えた、あの男は――?

 シノンはやむなく倍率を調整して視野を広げた。そうして戦場を俯瞰で捉えた、その時、

 

「なっ!?」

 

 いきなり味方の一人……敵の一団から見て一番奥にいたリーダーのディランが派手なエフェクトフラッシュと共に倒れ、ポリゴン片となって爆散した。

 その背後に一人の男が立っている。先程見失った、拳銃とナイフのみを装備した男だ。いつの間にこちらの包囲を潜り抜けて背後に回ったのか。

 ふと周囲の地形を見てシノンは気付く。おそらくあの男は最初の狙撃でシノンの潜伏位置からこちらの襲撃手順までを完全に見抜いたのだ。そして本格的な攻撃が始まるより先に通りの両横に並ぶ建物の外壁を登り、その上を通ってこちらの仲間の背後まで移動した。

 

(装備を軽量にして《軽業(アクロバット)》スキルを上げているのか?)

 

 心の内で問うも答える者などいるはずもなく。

 自分たちが勝ったと思っていたところで突然リーダーが倒され、後ろを振り向いた味方の間で動揺が走った。

 すでに刃渡り20センチほどのコンバットナイフを抜いていたその男は、薄く笑いながら僅かに腰を落とす。

 瞬間、男は素早く地を蹴り、まるで獰猛な肉食獣のような動きでこちらの仲間の一人に肉薄した。

 

「う、おっ!」

 

 真っ先に標的にされたザンダーが咄嗟にK2アサルトライフルをフルオートでぶっ放す。

 しかし精神を動揺と焦りに支配された状態では満足に狙うこともできず、吐き出された弾丸は弧を描くように疾走してきた男にかすりもしなかった。

 敵との距離は一瞬でゼロとなり、両者の間で白刃が閃く。結果、驚愕に目を見開くことしかできなかったザンダーは、為すすべもなく男に殺された。

 刹那のうちに走った刃の軌跡は四つ。それこそ瞬きする間に繰り出された四連の斬閃は、ザンダーのボディアーマーによる防護の隙間を適確に切り裂いた。

 再び爆散するこちらの味方のエフェクトを煙幕代わりに、再度男は走り出す。そのままもっとも近くにいたマーカスに襲いかかった。

 

「くっ……そがっ!」

 

 一瞬で目前まで接近され、マーカスは咄嗟に右手に持った短機関銃(サブマシンガン)を持ち上げて撃とうとする。

 しかし男は己の眉間に銃口が触れるよりも早く左腕を伸ばし、銃を保持したマーカスの右腕を絡め取った。

 そのまま脇と肘で挟むように腕を巻きつけ、マーカスの肘と肩関節を極める。そして仰け反るような体勢で攻撃と動きを同時に封じられたマーカスが何かを言うより早く、男はもう一方の手で逆手に握っていたナイフを相手の眉間に突き立てた。

 まるで奇怪なオブジェのように顔面からナイフを生やしたマーカスのHPが一気に削り取られる。さらに男はその状態の頭部を両手で抱えると、捻る様に頭を回して首をへし折った。

 無論、ゲームの中である以上痛みは無いが、マーカスの首には不快な感触が電気信号となって走り抜ける。同時に、彼のHPが完全に消し飛んだ。

 残るは、二人。

 ガラスのようなオブジェクト片となって消滅するマーカスのアバターには見向きもせずに、男はさらに走り出す。しかしさすがにここまでやられては、こちらの味方も傍観してはいない。

 まだ距離があるうちに、レーゲンは接近してくる敵にめがけて小型のサブマシンガン《MP5K》をフルオートで撃った。

 しかし男には当たらない。凄まじい速度で移動しつつ、変則的かつ柔軟な動きで瓦礫やコンクリート壁の残骸などを遮蔽物に利用しながら、素早く距離を詰めてレーゲンに肉薄する。

 互いの距離があと10メートルというところでサブマシンガンの弾が切れた。先程まで他の標的を相手に戦っていたのだから当然だ。それに気付いた相手が隠れるのを止めて一直線に向かってくる。レーゲンは咄嗟にメイン武器を捨てると腰からサイドアームであるグロック拳銃を抜いた。そのまま流れるような動作でスライドを引き、近付いてくる敵へと照準しようとする。

 しかし遅い。その銃口が相手の体幹を捉えるより早く、跳ね上げられた男の蹴り足がその手から拳銃を弾き飛ばした。さらに片足立ちの状態で下段と上段に一撃ずつ蹴りを叩き込み、たたらを踏んで後退したレーゲンの腹に鋭くナイフを突き入れる。深々と突き刺さったナイフはアーマーを貫通してアバター本体へと達していた。レーゲンのHPがさらに減る。

 少し離れた場所に立ちすくむスワットは、敵と仲間の距離があまりにも近いため自分の銃を撃つことができない。男はその隙にレーゲンとの距離を詰め、コンパクトな動きで拳や蹴りを立て続けに繰り出し相手を滅多打ちにした。接近戦の経験などないレーゲンはまともに防御もできず、ほとんどされるがままのサンドバッグ状態だ。

 いくら銃メインのゲームといえど、この世界では徒手空拳にも殺傷力はある。銃器と比べれば遥かに低いとはいえ、男の打撃は確実にレーゲンのHPを削っていた。

 そうして相手のHPがレッドゾーンに入ったところで、男は武器を失い対抗手段を失くしたレーゲンの頭を押さえるように抱え込み、その顔面にとどめの膝蹴りを叩き込む。

 爆散するアバターを見やることもなく、レーゲンの腹からナイフを引き抜きながら、男は最後に残ったスワットへと向き直った。

 

「ひっ!」

 

 あっという間に味方を皆殺しにした敵を前にスワットは恐慌状態に陥りながらも、咄嗟に腕の中のイギリス製アサルトライフル《L85》を撃とうとする。

 しかしそれよりも早く男の右手が閃き、一筋の銀光が空を裂いた。

 

「ぐぁっ!」

 

 突如感じた衝撃に目を向けると、スワットの腕に男が投擲したナイフが突き刺さっていた。現実世界のような鋭い痛みこそ無いが、患部のあたりに鈍い痺れを感じて思ったように腕が動かない。

 その隙に距離を詰めた男は、慌ててライフルを構え直そうとするスワットの両腕に取り付き、左手でスワットの右手首を押さえながら、右腕で左肘の関節を極める。そしてそのまま相手の左腕を一息にへし折った。

 あまり知られていないが、リアリティを追求したVRゲームでは関節技なども有効だ。生身とは違うアバターといえど、関節の構造に逆らった動きはできないし、折れた腕は肉体部位欠損と同様の状態になり、しばらくは痺れてまともに動かせなくなる。

 ナイフが刺さった右腕よりもさらに強い痺れがスワットを襲う中、男はいつの間にかその手に新たなナイフを握っていた。先程のコンバットナイフと比べると随分小ぶりで変わった形状のナイフだ。グリップは拳一握り分しかなく、鎌のように内向きに反った猛禽類の爪を思わせる形状の短い刃が付いている。

 シノンはそのナイフに見覚えがあった。あまり使う者はいないが(そもそもGGOで接近戦武器を使うプレイヤー自体が稀だ)、コレクター気質のプレイヤーが趣味で集めているのを見たことがある。確か《カランビット》と言っていただろうか。

 男はそのカランビット・ナイフを逆手に持ち、拳打を繰り出すような動作でスワットを素早く三回斬り付けた。未だ銃を保持した右腕の手首、それから首筋、脇下と、ボディアーマーで覆われていない部分を正確に狙って攻撃する。急所を的確に突いた攻撃に、スワットのHPががくんがくんと大きく減った。

 とどめに、男はその鎌のような刃をスワットの眉間に突き立てる。そのまま掻き切るように真っ直ぐ切り上げ、相手の額を縦に割った。

 スワットの頭部から鮮血のように赤いエフェクトフラッシュが迸り、そのアバターを爆散させる。廃墟が並ぶ通りに立っているのは、最早ナイフ男一人。

 

 シノンはその一部始終を、息を呑んで見つめていた。

 まだ最初にリーダーが倒されてから二分も経っていない。その短い時間の間で、あの男はさらに四人のプレイヤーを一方的に虐殺したのだ。それも、サブマシンガンやアサルトライフルを携えた相手に、ナイフだけで……。

 そして……その間、狙撃手であるシノンにすら一瞬の隙も見せなかった。

 動きを止めず、こちらが照準できないように常に移動を繰り返す。さらに立ち止まる時には必ず何らかの掩蔽物をシノンとの間に置いていた。あたかもこちらの手の内を全て見透かしているかのごとく。

 やがて仲間を皆殺しにしたナイフ男は、間をおかず、シノンの潜伏位置からは死角になる場所へと移動した。彼女の位置には先程の狙撃で気が付いているはずだ。今はコンクリートの壁を盾に、こちらの動きを窺っているのだろう。

 

(どうする? 仲間は全滅。撤退すべきか? いや……)

 

 向こうはシノンが何処にいるのか知っている。そして先程の洞察力と機動力。下手に背中を見せて逃げれば、いつの間にか追い付かれ、背後に忍び寄られてしまうかもしれない。

 

(ここで仕留めるのがもっとも安全)

 

 そう判断し、シノンは敵を葬るための策を練り始めた。

 

(とはいえ、潜伏場所が知られているんじゃ狙撃は無理か。ただでさえとんでもない反応速度なのに、弾道予測線が見えている状態じゃとても……)

 

 すでに最初の狙撃から一分以上たってはいるが、スナイパーが相手に弾道予測線を読ませないのは、あくまで向こうがこちらの位置に気付いていない時だけだ。場所が割れている以上、次からは相手にも予測線が見えるだろう。

 思考は一瞬。

 

(移動するしかない)

 

 幸い、狙撃に適したポイントは他にもいくつかあった。待ち伏せ(アンブッシュ)を仕掛ける時点で、その辺りは予め調査してある。

 向こうに気取らせず、そのうちのどれかに移動できれば……

 

「考えてる暇は無いか」

 

 小さく独りごち、シノンは静かに移動を開始した。

 スコープから視線を外し、手早くヘカートの二脚(バイポッド)を畳むと、その長大なライフルを抱え上げる。そのまま次の狙撃ポイントを目指して、できる限りの速さで荒野を走った。

 付近には掩蔽物が無いため、移動を始めた瞬間は見られたかもしれないが、すぐに向こうからは見えなくなる。このままこっちが撤退したと油断して、陰から出てきてくれれば僥倖だ。

 移動にかかった時間は一分と少し。シノンは相手の位置から死角になるように移動し、狙撃ポイントへと到着した。

 敵に動きは無い。未だに先程の位置で留まっているのか。

 ここから先は時間と忍耐力の勝負だ、と自身に強く言い聞かせる。

 先程移動する所を見られていたのなら、向こうはこちらが撤退したと思いこむだろう。仲間五人を殺されて、なおも戦場に残り続けるとは相手も思わないはずだ。見られていなかったとしても、このまま何も起きずに時間がたてば、シノンはすでに退いたと判断するだろう。油断なく眼下を見据えながら、敵の隠れている壁に向けてヘカートを構える。

 

(私が撤退したと思い込み、陰から出てきたところを狙う!)

 

 しかし敵は存外用心深いのか、なかなか陰から出てこない。シノンはじっと隠れながら、相手が顔を出すのを静かに待ち続ける。

 そのまま一分が過ぎ、五分が過ぎ、十分が過ぎた。それでもなお、相手に動きは無い。基本的に“待ち”専門の狙撃手とはいえ、すぐに動くと思っていた相手が動かず、さすがに焦れてきた、その時――

 

「――っ!」

 

 ぞくりと背筋に走った嫌な予感に、とっさにスコープから目を離して後ろを振り向く。

 背後に、荒野を真っ直ぐに走ってくる一人の影が見えた。先程のナイフ男だ!

 すでに互いの距離は二十メートルを切っている。いつの間にここまで接近を……いや、そもそもいつの間に移動していた!?

 胸の中で疑問が渦巻きながらも、シノンの仮想の肉体は近付いて来る敵に反応する。未だ前方に銃口を向けているヘカートと、腰に下げた副武装である軽量短機関銃《H&K・MP7》を見やり、僅かに思考。逡巡は一瞬で、シノンは腰に下げたMP7を選択した。伏射姿勢から振り返りざまにコンパクトなサブマシンガンを抜き、相手に向けて構えようとする。

 そこで初めて男が銃を抜いた。シノンよりも遥かに素早くホルスターに差したハンドガンを抜き、流れるような動きで照準する。そして一切の遅滞も無く引鉄を引いた。

 シノンの右手に衝撃と痺れが走り、弾丸を受けたMP7が遠方に弾き飛ばされる。疾走しながらの射撃でありながら、正確に銃だけを狙って撃つ――恐ろしいまでの技量だ。

 その寒気がするほどの腕前にシノンは驚愕し、一瞬だけ動きが止まる。僅かな硬直の後、咄嗟にヘカートの銃口を旋回させて相手に向けようとするが、その時にはすでに男が目前まで接近していた。ライフルの銃口が相手を捕えるよりも早く、繰り出された下段蹴りがシノンの腕からへカートをもぎ取る。そのまま男は、武器を失い歯噛みするシノンの前に立ち、手に持った大型自動拳銃《H&K・Mk23》通称《SOCOM(ソーコム)》を彼女の眉間に突き付けた。そして射抜くような視線で鋭くシノンを見据える。

 近くに来ると、先程よりもその特徴がはっきりとわかった。

 背は特別高いわけではないが――先程までの圧倒的な戦闘力から来る威圧感のせいだろうか――実際よりも大きく見える。細身の体は一連の動きや体捌きの凄まじさを裏付けるかのように引き締まっていて、立ち姿からはそれが仮想のものであるとは思えないほどの強靭さと敏捷さを感じさせた。

 無造作に伸びた鉄灰色の髪は全体的に長めのウルフヘア。アバターの外見など当てにはならないが、見た目は自分とそう変わらない少年に見える。鋭い眼光を放つ両の瞳は、獣の様な金色をしていた。

 ほんの数秒、二人は至近で睨み合う。

 いや、男の方は睨みつけてはいない。ただ地面に横たわった状態から体を起こした姿勢のシノンを静かに見下ろしているだけだ。

 

「どうやって……?」

 

「ん?」

 

 思わず疑問が口を突いて出た。

 

「どうやって私の後ろに回ったの? あなたが隠れていた位置からは見えない場所だし、あなたが動けば私も気付いたはず」

 

「簡単さ。おたくの移動中に、その移動ルート上からは死角になるルートを選んで俺も移動しただけだ」

 

「嘘……あなたからも見えなかったはず……。それに、私がどこに移動するかなんてわかるはずが……」

 

「おたくが最初にいた場所も含めて、あの位置にいた俺を狙撃するのに最も適したポイントは全部で五つ。少なくとも俺がスナイパーならそのうちのどこかで狙撃を行うだろう。おたくは腕の良いスナイパーみたいだったからな。当然、もっとも理にかなった場所を選ぶのは予想が付いた。あとは相手の動き始めさえ見えれば問題は無い。最初にどの方向に向かって動き出したかが分かれば、大まかな移動先は特定できる。迂回して一旦後ろに回れば、多少の誤差は修正可能だ」

 

――見抜かれていた!

 

 悔しさに思わず唇を噛みしめる。

 最初に移動を開始した時点で、撤退ではなくポイントを変えて再度狙撃するつもりであることを見抜かれていたのだ。だからこそ、お互いが死角に入った時点で向こうも移動を開始し、こちらの狙撃に先んじて仕掛けた。

 ほんの僅かな初動から敵の動向を見抜く洞察力と、素早い判断力。超人的な接近戦技術よりも、そちらの方がよほど厄介だ。

 

「といっても、絶対に狙撃してくると判断したわけじゃねぇけどな。むしろ撤退と半々くらいに思ってたし。だからまぁ……俺が狙撃に備えて動いたのは、あくまで念のためだ」

 

「くっ……」

 

 下手に攻撃しようとせず、撤退すべきだった。相手は拳銃しか装備していないのだから、一心不乱に逃げようと思えば逃げられたのだ。今更ながらにそう悔やむが、もはや遅い。

 明らかに“詰んだ”状態であることにシノンは観念すると、眉間に撃ちこまれる弾丸を想像してきつく目を閉じた。

 そのまま、さらに数秒が流れ……

 

「………?」

 

 しかし弾丸は撃ち込まれない。

 不審に思ったシノンがうっすらと目を開くと、そこには先程までと同じ体勢で、男が何かしらの思案をしているところだった。

 

「………殺さないの?」

 

「迷ってるとこ」

 

 嘆息するような声で男が言う。

 もっとも、気の抜けたような声とは裏腹に、その銃口はシノンの眉間に向けられたまま小揺るぎもしない。

 改めて緊張に身体を強張らせるシノンに対し、男は尚も続ける。

 

「何て言うかさ……いくらゲームとはいえ、女の子を銃で撃つのって俺的にすごく抵抗あるんだよねぇ……。おまけに武器も失った相手を一方的に射殺するなんて絵面的にも悪いしさ。

 かといって、ここで見逃して後々背中を撃たれるのも間抜けだしなぁ……」

 

 軽い口調で迷いを口にする男に、シノンは困惑を隠せなかった。

 しかし油断はしない。男はどうでもいいことを迷っているように気軽な仕草でこちらを見やっているが、その銃口は冷徹にシノンを捉え続けている。下手に動けば、それこそ微塵の容赦もなく頭を撃ち抜かれるだろう。

 

「そうだな……ここは、こうしようか」

 

 言うと、男はシノンから銃口を外し、それから傍に落ちていたヘカートを拾い上げた。

 

「あっ……!」

 

 シノンは咄嗟に声を上げるが、男はそれに構わず対物ライフルを肩に担ぐようにして持ち上げる。

 そして相棒を奪われ目を剥くシノンには目もくれずに、背中を向けて歩き出した。

 

「じゃ、そういうことで。またな」

 

「待っ……!」

 

 思わず声をかけようとし、慌てて自制する。それから少し離れた所に弾き飛ばされていたMP7を拾い上げ、歩き去っていく男の背中に照準した。

 しかしトリガーを引こうとする指が途中で止まる。

 背後から、しかもこの距離からなら、メインではない短機関銃でも十分に命中するだろう。だが、それでどうするというのか。勝てるのか? 相手は接近戦のスペシャリスト。この距離で戦闘になれば、どう考えても勝ち目は無い。

 あの男はナイフだけで近・中距離戦を得意とするプレイヤー五人を一方的に葬ったのだ。たとえシノンが先手を打ったところで、問題無く彼女の攻撃に対応するだろう。

 不意打ちで撃った最初の数発こそ当たるかもしれないが、軽装備とはいえそれだけで倒せるとは思えない。そして一旦接近されれば、為すすべもなく殺されることは目に見えている。おまけに相手はヘカートを肩に担いでおり、後頭部がその銃身で隠れていた。急所を狙えない以上、手元のMP7で男を倒すのは不可能だ。

 

(どうする? どうすれば……)

 

 追いかけるか、攻撃するか、あるいは……。シノンは心のうちで迷うが、目の前の男はそれを待ってはくれない。迷う間に時間だけが過ぎていった。

 男の背中が彼女から徐々に遠ざかり、射程距離外まで離れていく。それを見送ることしかできず、シノンはただ荒野に立ち尽くすしかなかった。やがてしばらくして銃を下ろすと、敗北感で項垂れる様に下を向いた。

 

 

 

 

 

 

 




場面的にはプロローグと一続きの話ですね。Arcadiaに投稿した時よりも少し話を小分けにしています。
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