ガイストの弾痕   作:嘘つき

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4.二度目の邂逅

 

 スーパーの前で新川恭二と別れた詩乃は、夕飯の買い物を終えた後再び帰路に着いていた。

 片手にビニール袋をぶら下げながら数分ほど歩いたところで、古びた小さな二階建てアパートに辿り着く。外階段を上り、通路を渡って二つ目のドアが彼女の部屋だ。

 スカートのポケットから取り出した鍵を旧式の電子錠に差し込み、四桁の暗証番号を入力してから鍵を捻る。がちん、と解錠を知らせる独特の金属音。ドアを開けて薄暗い玄関へと入り、後ろ手にドアと鍵を閉めたところで、詩乃は大きく息を吐いた。

 靴を脱ぎながら口の中だけで小さく「ただいま」と呟く。無論、応える者などはいない。見慣れたはずの自分の部屋がいつもよりも幾分か空寂しく感じられるのは、今日は普段よりも人と言葉を交わす場面が多かったせいだろうか。

 軽く頭を振ってそんな思考を振り払いながら、詩乃は入ってすぐ左にあるキッチンへと向かう。人一人が動けるくらいのスペースしか無い、いかにも独り暮らし用といった感じの小さなキッチンだ。この狭いキッチンと、入って反対側のユニットバス、そして寝室でもある奥の一部屋が彼女の生活空間の全てだった。

 詩乃はスーパーで買ってきた食材を冷蔵庫に収めてから、制服の上に着ていたダークブルーのPコートを脱ぎつつ自室へと移動する。六畳間1Kの狭い部屋ではあるが、物が少ないのでそれほど閉塞感は感じない。目につくのは壁際に置かれた黒のパイプベッドと、その奥に並ぶ同じくマットブラックのライティングデスク、反対側の壁際に据えられた小ぶりのチェストと書棚、それと縦長の姿見だけだ。

 年頃の女の子の部屋にしては随分と飾り気がなく殺風景ではあるが、実際に住んでいる詩乃にとってはこれといって問題は無い。寝食と、そして勉強ができるだけのスペースさえあればそれで十分だった。

 部屋に入ったところで通学かばんを床に置き、照明をつけてから脱いだコートをマフラーと一緒に狭いクローゼットへと仕舞う。ついで制服のボタンに手を掛け、黒に近いダークグレーのブレザーを脱ぐと、同色のスカートと共にハンガーに掛けた。自身が高校生という枠組みに縛り付けられている証を脱ぎ捨てることで、詩乃はささやかな解放感に身を浸す。

 脱いだ制服も皺にならないよう気をつけながらコートと同じくクローゼットへ。下に着ていたブラウスは、後でまとめてコインランドリーへ持って行くため畳んで隅の籠に入れておく。

 下着姿になると十二月間近の肌寒い空気がいっそう身に沁みた。年齢の割に小柄で痩せ気味な体を震わせながら手早く室内着を身に付けていく。やがてシンプルな紺のトレーナーに着替え、暖房のスイッチを入れたところで、詩乃はようやく一息つくことができた。そのまま疲れ切ったようにベッドの上に座りこむ。そろそろ夕飯の準備を始めなくてはいけない頃合いだが、どうしても少し休みたかった。

 詩乃はそのまま倒れ込んで眠ってしまいたい欲求に逆らいながら、ベッドの上でこの僅か一日の間に起きた出来事を回想する。

 今日はクラスに転校生(正確には編入生)が現れたり、その転校生と隣の席になったり、そのせいで色々と気を揉む場面が出てきたり、さらには遠藤たちに絡まれたりと、学校では何かと気苦労の絶えない一日だった。そのほとんどが転校生絡みではあるものの、彼個人には取り立てて落ち度や問題があるわけでもないため、文句や恨み言すら言えやしない。

 挙句は放課後にまで遠藤たちに捕まり、あまつさえもう少しで誘拐されそうな目にまで遭う始末だ。もっとも、危ないところを助けてくれたのがまたその転校生だというのだから、もはや運命の皮肉すら感じてしまう。よほど自分とあの少年の間には奇縁があるらしい。

 とにかく、たった一日の間にあまりにも多くの面倒事が重なったため、詩乃は心身ともに疲弊しきっていた。

 

(まぁ……彼の存在自体には感謝してるんだけどさ)

 

 確かに色々と気疲れする場面も多かったが、転校生である夜代詠士自身に対してはそれほど悪い印象は受けなかった。むしろ彼の態度や言葉に、どこか救われたと言ってもいい。

 今まで多くの者から“人殺し”や“殺人者”と罵倒され、蔑まれてきた……あるいは異端・異物として存在を否定され、無視されてきた詩乃に対し、詠士は良い意味でも悪い意味でも、なんら特別な感情を見せなかった。自分の過去を聞いてもまるで態度を変えず、それがどうしたのかと心底不思議そうな顔をする。それどころか、彼女が危ない目に遭っていたところを助けてくれさえした。

 多分、彼が詩乃を助けたことに大した理由は無い。知り合いだから、席が隣だから、クラスメイトだから、教科書見せてくれたから…………理由を訊けば、彼はおそらく何の感慨も見せずにそう答えるのではないだろうか。あるいは暴漢に女の子が襲われてたから、自分にはそれだけの力があったから助けただけ。そのくらい人として当然だとでも答えるのかもしれない。

 どちらにせよ、彼は詩乃のことを何ら特別視せず、それこそどこにでもいる普通の女の子として扱ってくれていた。

 それが、少しだけ嬉しい。

 

(けれど、甘え過ぎるわけにもいかない)

 

 たとえ理解者が現れたからといって、そのことに安堵し、依存するようになってはかつての二の舞だ。

 以前の詩乃は、孤独に耐えきれない弱さゆえに目を曇らせ、最悪の相手を友人だと思ってしまった。この学校でなら普通の友達ができると、普通の生徒になれるなどと馬鹿なことを考えてしまっていた。過去に人を殺し、銃器を見るだけで発作を起こすような女子高生が、普通などであるはずもないというのに。

 少しばかり親しくされたくらいで他人を信じてしまったその無防備さが、さらなる悪意と絶望を呼び寄せたのだ。

 小・中学でも散々他人に拒絶されながら、この街に来たばかりの自分はまるで学習していなかった。人を殺した犯罪者である自分は、本来誰からも拒絶され、嫌悪されるべき存在なのだ。

 誰も詩乃を助けてくれたりなどしない。己を本当の意味で救えるのは自分だけだ。

 

 だからこそ、詩乃は自らの力だけで過去を克服しなくてはならない。

 

 視線をベッド脇の小テーブルに置かれた華奢なつくりの機械に向ける。

 恭二と出会うことで手に入れた、己が強くなるための手段。

 どんなカウンセラーにも治せなかった心の傷、それを打ち消すことができるかもしれないと初めて思えた唯一の方法。

 VRゲームのハード機器、《アミュスフィア》。

 そして数あるVRタイトルの一つ、VRMMORPG ――《ガンゲイル・オンライン》。

 それが、東京に来てから詩乃が見つけた、忌まわしき過去の記憶を乗り越えるための武器だった。

 

 

 時刻は夜の九時を回ろうという頃。

 夕食を済ませ、翌日の学校課題を片づけたところで、詩乃はゆっくりとベッドに横たわる。そして脇に置かれた小テーブルの上から二つのリングが二重に並んだ円冠状の機械を取り上げた。淡い水色の眼鏡を外してから、その銀色の輪を頭に装着する。手探りで電源を入れ、スタンバイ完了の電子音が鳴ったところで詩乃は一旦大きく深呼吸。それから小さく口を開く。

 

「リンク・スタート」

 

 次の瞬間、詩乃の意識は肉体から急速に離れ、ここではない別の世界へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GGO世界の中央都市《SBCグロッケン》に降り立った詩乃――――シノンは、メタリックな質感を持つ高層建築の立ち並ぶ通りをぼんやりと歩き出した。

 頭上ではネオンカラーのホログラム広告が賑やかに流れ、同時に現実世界の繁華街のような雑多な音が周囲に鳴り響く。まるで音と色の洪水状態だった。

 周囲に流れる情報の中にはGGO内での最強者決定バトルロワイヤル、通称《バレット・オブ・バレッツ》の第三回がもうすぐ開催されるという内容のものも含まれていたが、今のシノンの意識には届かない。

 現在、彼女の胸の内を占めているものはただ一つ。昨日謎のプレイヤーに奪われた愛銃《ヘカート》を、あの恐ろしいほどに強い相手からどうやって取り戻すか。それだけだった。

 とはいえ、今のところ具体的なプランがあるわけではない。この広い世界の中で、名も知れぬたった一人の男を探し出すのは至難の業だ。仮に見つけたところで、今も尚あの男が所持し続けているとも限らない。恭二に対しては強がってみせたが、有効な手段などは何も思いつかず、実際は途方に暮れていた。

 現実的に見れば、せいぜい運が良ければ戻ってくるかもしれない、という程度だろう。いや、普通に考えて取り戻せる確率は限りなく低い。せめてヘカートがオークションにでも出ていれば買い戻すことも……

 そこまで考えたところで、シノンはその場に立ち止まってメニュー・ウィンドウを開いた。それから自身の所持金欄を確認し、その値に思わず歯噛みする。

 シノンはこれまでさほど収入を気にせずプレイしてきたことを少しばかり後悔した。売りに出ている所を買い戻そうにも、あれほどのレア銃を買うのに手持ちの金で足りるかどうか。いや、どう考えても足りないだろう。以前同じ銃がオークションに出た時にはゲーム内通貨で2千万クレジットの値が付いたという話だ。実力的にはトップクラスのプレイヤーであるシノンといえど、そんな大金を準備期間もなしにぽんと用意できるわけがない。明らかに行き詰りだ。

 どうやってヘカートを取り戻そうか、考えれば考えるほど落ち込んだ気分になってくる。そもそもあの男が個人で取引していれば、もはや手も足も出せない。

 

(まぁ……だからって何もせずに諦める気にはなれないんだけどさ)

 

 儚い希望を捨てきれない自分に嘆息しながらシノンは再び歩き出す。

 しばらく歩きながら思案していたシノンは、ひとまずの方策としてアイテムなどのオークションを取り扱っている施設へ向かうことにした。オークションといっても、多数の観客がステージ上の品物を観賞しながら競りを行うような形式ではなく、決められた場所に設置されているオークション用の機械を操作し、出品登録されたアイテムに対して期日までに客がより高い値をつけていくという、ネットオークションに近い形式をとっている。

 その機械を通せば出品されている武器のゲーム内における数値的ステータスを調べることもできるため、わざわざ現品を見る必要がないというわけだ。システムが管理している以上、粗悪品や詐欺などがまかり通ることもない。

 大抵のプレイヤーは、ドロップしたが装備するつもりのないレア武器をそのオークションを利用して捌いている。あれほどのレア銃だ。昨日の男も、その辺のショップにホイホイ売るとは思えない。個人的に取引している場合は見つけようもないが、オークションを利用しているのならばまだ可能性はある。ヘカートのレア度を考えればかなり儚い希望ではあるが、オークションに出てさえいれば今の所持金でもぎりぎり落札できる可能性は皆無ではないのだ。ほんの僅かでも可能性が残っているのなら、諦めるわけにはいかない。

 シノンはとりあえず現時点で出品されている銃器のリストを確かめようと、競売用の機械が設置されている施設に向かって歩きだす。そのまま数歩ほど進んだところで、

 

「あ……」

 

 

 昨日戦った件のプレイヤーと、ばったり鉢合わせた。

 

 

「ああああああ!」

 

「ん? おたくは昨日の……」

 

 思わず周りの目も忘れて大声で叫んでしまう。

 忘れようにも忘れられない。無造作に伸びた鉄灰色のウルフヘアに、やや吊目がちの金色の瞳。相も変わらず両の大腿に装着されたレッグホルスターには二丁のハンドガンが収められている。

 間違いない。昨日、彼女の所属していたスコードロンをたった一人で全滅させた、正体不明のナイフ男だ。

 一瞬の驚愕の後、シノンは昨日の屈辱を思い出して思わず鋭く睨みつけてしまう。

 しかしそんな場合ではない。なんとかして、この男からへカートを取り戻さなくては……

 

「ああ、そうだ。………はい、これ」

 

 と、そこで男は思い出したようにアイテム欄を操作し始めると、ストレージに入っていた武器をオブジェクト化し、身構えるシノンの前にひょいと差し出してきた。

 昨日彼女から奪い取った、へカートを……

 

「なっ!」

 

「ん? どうかしたか? 傷つけたりはしてないはずだが……」

 

 首を傾げて訝る男に、シノンは言葉を詰まらせる。

 それはそうだろう。この対物ライフルはGGO内に現存する銃器の中でも最高ランクに位置するレア武器の一つなのだ。そんなお宝をこれほど容易く返還してくるとは全く想像もしていなかった。

 しばし言葉を失くして、シノンは男とヘカートの間で視線を行き来させる。それから目の前で不思議そうな顔をしている男に向かって、なんとか言葉を絞り出した。

 

「……どうして………返すの……?」

 

「ん? いらなかったのか?」

 

「そうじゃなくて! こんなレアな武器を手に入れたのに、そんなあっさり戦利品を手放すなんておかしいでしょ。目の前に差し出されたからって、『ハイどうも』なんて受け取れないわよ」

 

 予想外の事態に、シノンはいつになく感情的な声で叫んでしまった。

 男は納得したように何度か頷き、しかし困ったように首を傾げる。

 

「んー……つっても、別に俺は最初からレア武器が欲しかったわけじゃないからな。昨日おたくからライフル奪ったのは、単に帰り道で後ろから撃たれないようにするためだったし……。端から次会った時には返すつもりだったぜ」

 

 会えなかったらそれまでだったけど、と男はあけすけな調子で言う。

 とはいえ、探そうと思えばシノンを見つけること自体はさほど難しいことではないだろう。数少ない女性プレイヤー、しかも彼女のアバターはその中でも(不本意ながら)際立って目立つ外見をしている。

 加えて前回のBoBで上位入賞したこともあり、シノンはこの世界でそれなりに顔と名前が知れ渡っていた。

 彼女を見つけて返すことができるかどうかは問題ではない。分からないのは、なぜそう簡単にレア武器を手放せるのかだ。

 シノンは顔に困惑を浮かべながら、しかしけじめのような気持ちで首を振った。

 

「たとえそうだったとしても、いくらなんでもタダで受け取るわけにはいかない。あの時先に攻撃を仕掛けたのは私たちの方だし、その上であなたに負けたんだから……。ていうか、あなたは何も思わないわけ? 私たちはあなたの仲間を全員殺したのよ」

 

 そもそも昨日、仲間を全滅させられた状況でありながらシノンを見逃した時点でおかしい。眉間に銃口を突き付けられた時、彼女は間違いなく殺されると思っていた。

 この男には恨みや報復といった概念が無いのだろうか。いくらゲーム内での出来事だからといって、普通、仲間をやられて何も感じないというのはありえない。むしろゲームだからこそ、受けた屈辱に対して容易く仕返しや報復といった行動に移るものだ。

 そんな内心が聞こえたわけでもないだろうが、男はひょいと肩を竦めると、どこか軽薄な調子で笑って見せた。

 

「仲間っつっても、所詮は効率的にMobを狩るためにメンバー募集して一時的に組んだだけの即席スコードロンだったからなぁ。あくまでただの利害関係だ。特に仲間意識もないし、義理立てする理由も必要も感じねぇよ。そのチームにしたところで、もともと昨日で解散の予定だったしな。最後の狩りで全滅させられるってのも不運な話だが……この世界じゃ殺される方が悪い」

 

 その口調は淡々と、あるいは飄々としており、どこも含む所を感じさせない。おそらく本心から嘯いているのだろう。

 それから男は僅かに思案し、やがて人を食ったような笑みを浮かべながらシノンに提案した。

 

「そうだな……ただ返されるのが納得いかないってんなら、どっかその辺で飯でも奢ってくれよ。丁度小腹も減ってたし。それでチャラにしようぜ」

 

 今度はシノンの方が思案する。

 状況としてはある意味でナンパの類のようなものだが、この男には他の一般的な男性プレイヤー同様の、煩悩塗れな下心は感じない。底が見えず、何を考えているのか察しにくい相手ではあるが、なんとなくシノンはそう思った。

 明らかに腹に一物抱えていそうな人物でありながら、不思議といつも彼女が他人に対して感じてしまう警戒心や拒絶感などが起こらない。だからだろうか。シノンはこの男の誘いに乗ってみたいと思った。そうして彼の話を聞けば、昨日見せた人並外れた実力の秘密を僅かなりとも知ることができるかもしれない。

 そう考えたシノンは、しばしの黙考の末、内心を悟らせないよう努めて無表情を保ちながら頷いた。

 

「わかったわ。あなたの好きなところで、好きな物奢る」

 

 正直、それでチャラにするという話に関して納得できたわけではなかったが、この場は好奇心が勝った。

 それに男の提案はさほど悪い話とも思えない。ヘカートの借りはまた別の形で返すとして、目の前の男についてもう少し知りたいと感じたのは事実だ。

 故にシノンは、とりあえずは相手の誘いに乗ることに決めた。

 

「ん、それじゃ行こうか。と、その前に……」

 

 男は踵を返して歩き出そうとし、しかしすぐに足を止めて振り返る。それからメニュー・ウィンドウを操作してネームカードを取り出すと、シノンに向けて差し出した。

 そこに記されたプレイヤーネームは《Heine》。性別は《(Male)》。

 受け取ったカードを覗き込むシノンに対し、男は唇の片端を吊り上げるようにしてニヤリと笑う。

 どこか皮肉げで、同時に好戦的な気配を感じさせる不敵な笑みで……

 

「俺は《ハイネ》だ。ハジメマシテのコンニチワ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シノン達が入ったのはグロッケンにおける繁華街のとある通りにある酒場の一つだった。

 店内の広さはそこそこだが、メニューがなかなかに豊富で、各種カクテルやドリンクの他に様々な酒肴も注文できる。

 二人はカウンターの向こうにいるNPCのバーテンに向かって適当に注文を告げ、酒の入ったグラスやつまみの皿が乗ったトレイを受け取ってから、隅のテーブル席へと移動して差し向かいに座った。追加注文がしたい時はNPCの店員に呼びかけてもいいし、声を上げなくても各席に備え付けられたメニューをクリックすれば注文が可能だ。

 

「じゃあとりあえず、ここは持つから好きに注文して。ヘカートのお礼……って言うのも変だけどさ」

 

 シノンの言葉に、ハイネが軽く口端を吊り上げる。

 確かに「お礼」ではまるで皮肉のようだ。どちらかというと「借り」の方が正しいだろう。

 

「んじゃ、お言葉に甘えて……」

 

 応えながら、ハイネは褐色の不透明な液体で満たされたグラスを取り上げた。

 相手がグラスを傾ける様子を見やりながら、シノンも自分が注文したブルーハワイに似た色合いの《ディープブルー・オーシャン》というカクテルを口に運ぶ。炭酸飲料特有の弾けるような刺激と爽快感が広がり、同時に現実世界では経験したことのない味わいが口中を満たした。

 VR世界ではどんなに酒を飲んでも酔うことは無いが、その分、潰れることなく好きなだけ飲むことができる。また、その味や種類も無数に存在し、現実世界には存在しないような飲食物も存在する。

 ちなみにどういう理屈かは知らないが、仮想世界で食べ物を口にすると現実世界の肉体にも仮想の満腹感が生まれ、空腹感を解消することができる。VRゲーマーの中にはその効果をダイエットや食費の削減に利用する者もおり、独り暮らしのプレイヤーが現実世界での食事を忘れて長時間ダイブし続け、いつの間にか餓死していたという事件も今やさほど珍しくない。

 シノンも、流石に体を壊す様な不摂生をするつもりはないが、それでも時々この仕組みを利用していたりする。現実世界では太る原因であり、不健康の元でもある間食や夜食をゲーム内で取ることで、むしろ健康を維持すると同時に費用も浮かせているのだ。この世界でどれだけ仮想のジュースやケーキを摂取しようと、現実の体には1グラムの脂肪も付きはしない。

 ゆえに、こうして夜中にダイブして酒場や甘味処に入るのも、別段珍しいことではなかったりする。とはいえ、現実世界での友人でもある新川恭二――この世界では《シュピーゲル》――を除けば、流石に男連れで来たのは初めてだったが。

 グラスの中身を半分ほど空け、酒肴のあぶり肉らしきものを一口つまんだところで、シノンはハイネと目線を合わせると改めて口を開いた。

 

「それにしても……あなた、一体何者なの?」

 

 口を衝いて出たのは先程から……いや、昨日の戦いからずっと抱いていた疑問だった。

 もっとも、流石に質問の意図が漠然とし過ぎていたかもしれない。問われたハイネは片眉を上げて怪訝そうに訊き返す。

 

「何者って?」

 

「昨日の戦いよ。ナイフと格闘戦だけで実弾銃装備した男五人、それも対人戦専門スコードロンの連中を一方的に倒すなんて、並のプレイヤーにできることじゃないわ。この前のBoB(バレット・オブ・バレッツ)でトップテンに入った連中にだって無理だと思う。一体どうやったらあんな戦い方ができるの?」

 

 湧き上がってくる疑問と興味、好奇心に突き動かされ、いつになく熱のこもった声でシノンがまくし立てる。その普段と違う口数の多さが、彼女が昨日の戦いで受けた衝撃の大きさを物語っていた。

 とはいえ、ハイネに彼女の普段との違いなどは分からない。ただ「ふむ」と小さく息を吐くと、どう説明するべきか迷うように首を傾げた。

 

「どうやったら、って言われてもな……。俺は別にそれほど特別なことしてるつもりはないし、答えようもねーんだが」

 

 その答えに、今度はシノンが眉をひそめた。意味が分からない、といった顔だ。

 

「特別じゃないって……ほとんど異常と言ってもいいくらいの動きだったわよ? 五人がかりでのフルオート射撃を相手に、弾丸の雨を潜り抜けて敵の懐に入り込むなんて……第一回BoBで優勝した《サトライザー》にだって、あんな立ち回りできるかどうか」

 

 そこまで言ったところで、ハイネはようやく「ああ」と納得したように呟き、肩をすくめつつ苦笑気味に答える。

 

「まぁ、誰にでもできるやり方じゃないってのは確かだけどな。つっても取り立てて複雑な技は使ってないよ。練習すれば他の奴にもできるんじゃねぇのか? 俺だって別に練習したわけじゃないけど、気が付いたらいつの間にかできてたし」

 

「あの至近距離で? どうやったらあんなふうに銃弾を躱せるっていうのよ。いくら弾道予測線があるからって、あんな距離じゃそんなもの役に立たないわ」

 

 シノンは急き込むように問いかける。知らず知らずのうちに、声に切実な響きが混じっていた。

 この世界で誰よりも強くなることで、現実世界の己の弱さを打ち砕く。自らの放つ仮想の銃弾であらゆる敵を倒し、現実世界で彼女を苛み続ける銃器への恐怖心を乗り越える。それがシノン/詩乃のGGOをプレイする目的であり理由だった。

 だからこそ知りたい。この男の、常軌を逸した強さの秘密を……。

 ハイネにはシステムという数字だけの強さではない、アバターを動かすプレイヤー……つまり生きた人間としての強さがあるはずだ。単なるステータスではなく、人間としてのスキルと精神力。彼には確かにそれがある。だからこそ、充実した装備に頼ることなく、あれだけの戦いを繰り広げることができたのだろう。

 その彼の持つ並外れた力の源を知りたい。シノンは強くそう願う。

 自分も、同じく強くなるために……。

 そう思う一方で、頭の冷静な部分がそんな簡単に秘密を教える奴なんかいるわけないと言っていた。

 当然だ。MMOにおいて、スキルや技の知識は独占してこそ意味がある。それがシステム上には存在しないプレイヤースキルであってもだ。強くなるための手段は、秘匿することで初めて価値を持つ。

 そう思って、シノンは問いかけつつも半ば答えを諦めていたのだが、ハイネは隠すつもりもないのか意外なほどにあっさりと自身の実力の秘密について明かした。

 

「簡単なことさ。相手の銃口と目線を見て弾道を予測。さらに指先の動きを見て撃発のタイミングを読むだけだ」

 

 もっとも、やはり聞いたところでそう簡単に実践できる類のものでもなかったが。

 

「いや、読むだけだって……そんなのどこが簡単なのよ?」

 

 人間的な強さを求めるシノンにとっては、技の仕組みそのものよりも、どうやってそんな力や技術を身に付けたのかが一番知りたいところだが、さすがに弾道を読んで躱すなどという感覚は身に付ける云々以前に想像もできない。単純に予測線と反射神経で躱したと言われた方がまだしも理解できただろう。

 そんなシノンの混乱に気付くこともなく、ハイネはさも当たり前のことを語るような口ぶりで、しかし微かに皮肉げな笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「理屈だけなら単純だろ? できるかどうかはともかくとしてな。弾丸が“いつ”に“どこ”来るかさえわかっていれば、躱すのはそう難しいことじゃあない。確かにゲーム内とはいえ人は銃弾よりも速く動くことはできないが、相手の指先とほぼ同じ速度で動くことなら可能だ。弾丸なんてでかくても精々2センチ弱しかないし、弾道なんてそれこそただの直線。ちょっと射線から位置をずらしただけで当たらなくなっちまう。必要なのは相手の動きを俯瞰的に捉える視野の広さ、そして視界内の動き全体を把握する洞察力。あとはまぁ普通に反射神経と……銃口から目を逸らさない度胸かねぇ?」

 

 簡単に言ってはいるが、それこそ誰にでもできることではない。

 相手の目を見ながら銃口にも注意を向け、トリガーを引く指にも意識を傾ける。射手の体全体を視界に収めながら、指先から腕の角度、首や胴体、そして足……それらの動き全てを同時に把握しなくては、完璧に弾道を予測しきることは不可能だろう。

 頭の中でその感覚を想像してみるが、まるで脳味噌をいくつにも分割しているような気分だ。とても実践できる気がしない。この男は、そんな感覚を当たり前のように普段から実感しているのだろうか。それこそ、わざわざ秘密にする必要もないと感じるほどに……。

 確かに理屈だけなら簡単だ。実際、映画や漫画といったフィクションでも似たような原理で銃弾を回避する場面はごまんとある。彼女はそういった作品を目にしたことはないが、世間話程度にならGGO内で聞いたことがあった。逆にいえば、それは本来フィクションの中だけでの話であるはずだ。それを、ゲームとはいえ現実世界に限りなく近いこの世界で再現するとは。はっきり言って信じがたい話だ。シノンも直にこの目で見ていなければ決して信じようとはしなかっただろう。

 特別なことをしているわけではない。しかし、それを実現できること、それ自体が特異なのだ。

 彼自身もそのことを分かってはいるのだろう。どこか皮肉ったような口調は、その辺りの感情を表しているのかもしれない。

 

「……どうやったらそんなことができるようになるのよ。私がGGO始めて半年くらい経つけど、未だにあそこまで弾丸を回避して敵に接近するプレイヤーは見たこと無いわ。AGI一極型にだってそんな人いないと思う。あんな技、一体どんな練習をして身に付けたわけ?」

 

「いや、特に何も? 普通に慣れと経験だ」

 

 やはり簡単そうに答えるハイネ。適当そうな物言いに、僅かにシノンの眉が顰められる。

 とはいえ、特にこちらを煙に巻こうとしている風ではない。本当に、特別な特訓や練習はしていないのだろう。

 では一体どんな経験を積んだらあんな化物染みたことができるようになるのだろうか。というか何に慣れればいいのかすらも見当もつかない。あるいは、ただひたすら無茶な戦い方を繰り返すうちに、自ずと身に付いた技術ということか。もしかすると、彼はシノンが想像もできないような修羅場をいくつも経験してきているのかもしれない。

 

「つっても、別に俺だって全ての弾丸を完璧に予測できるわけじゃねぇ。形としては予測線そのものを予測しているようなものなんだが、仮にこれを予測線予測線……じゃあ分かりづらいか。言うなれば、俺の目には漠然とした“暫定予測線”が見えているってわけだ。もっとも、これは相手が銃口を動かすたびにあちこち動き回るし、実際には線というより柱みたいに太く見えてるんだがな。その柱の内側のどこかを銃弾が通るイメージか」

 

 彼の目には、敵の銃口の向きから想定される弾道が、レーザー照準器から伸びる可視化された光線のように見えているのかもしれない。とはいえ、本人の言を信じるならば、そのラインは敵の弾道を僅かのずれもなく正確になぞるような高性能なものではなく、むしろいくつもの光線が束になっている状態に近いものであるようだが。確かに、弾道などというものは撃つ前から完全に固定されているわけではない。僅かな手の震えや発射反動(リコイルショック)による銃口の跳ね上がり、射手の心理的な動揺など、その他様々な要因によって容易く変化するものだ。当然、その可能性の範囲だけ彼の目に映る暫定予測線は太く曖昧なものになっていくのだろう。柱というよりは、むしろ銃口という一点から広がるように展開される円錐に近い形状をしているのかもしれない。

 

「当たり前だが、その分躱すためにはより大きく動く必要があるし、映画みたいに射線ギリギリを最小限の動きで躱す、なんて神業は不可能だ。別に弾自体が見えてるわけじゃねぇしな。そう考えると、むしろ近距離の方が回避するのは簡単と言えるだろうよ。距離が大きいとそれだけ不確定要素や弾道の変動幅が増えるし……。ま、そういうふうに弾道を予測しきれないときは、近くの壁や瓦礫を遮蔽物として利用しているが」

 

 言われて、シノンは彼が見せた昨日の立ち回りを思い出す。

 確かに、ハイネは全ての弾丸を身のこなしのみで躱していたわけではない。照準しにくいよう複雑な機動で動いたり、周囲の瓦礫を利用したり、あえて敵の傍に寄ることで相手の仲間が撃ちにくいよう仕向けていたりした。

 つまり彼ほどの男でも全ての弾道を完璧に読み切ることはできないのだ。そう考えると、少しだけ安心できる。

 

「なんでわざわざそんな大変な思いしてまでナイフで戦うことに拘るのよ? あなたくらいの回避力があれば、普通に銃を使っても十分戦えるでしょ」

 

 しかし逆にいえば、この男は絶対に躱し切れるという保証が無いにもかかわらず、あんな無謀な戦い方をしていたということでもある。

 攻撃を完全に読み切ることはできなくとも、決して撃たれないという自信があったのか。 あるいは……

 

「それとも……その戦い方に何か強い意味とか、あるいは特別な理由でもあるの?」

 

 たとえ被弾する危険を負ってでも、あんなリスキーな戦法をとらねばならない、決して譲れない理由があったのか。

 銃に対する過剰なまでの恐怖を捨てきれない詩乃が、あえて銃と戦いが支配するこの世界に飛び込んだように――――

 

「いや別に? ただの遊び心だよ」

 

 あまりにもどうでもよさそうに言ってのけるハイネに、シノンは思わずテーブルに突っ伏しそうになった。

 なんというか、色々と深い事情やら理由などを想像していた自分が馬鹿みたいだ。

 

「ま、つってもナイフだけじゃなくて銃も使う時は使うがな。その辺は時と場合によりけりだ」

 

 しかも大して強いこだわりでもないらしい。よくよく考えれば、今も拳銃だけとはいえナイフ以外の武器も普通に装備しているし、昨日もシノンの銃をそれで撃ち落としたりしていたのだった。

 

「遊び心って……だからってわざわざ不利な状況で戦う意味があるの? あなたの実力ならいくらでもレア武器手に入るでしょうに……。

 実際問題その方が強いし、戦いでも確実に勝てるじゃない。何よりゲーマーにとってはそういうレアなアイテムを装備すること自体がある種のステータスになるものだと思うけど……」

 

 眉間を押えながら、やや苦い声でシノンは言う。

 

「んー、あんまり周りからの評価や評判とかはどうでもいいからなぁ………趣味に合わなくて実用性の無いレア武器なんかにも興味無いし」

 

「そう? 場合にもよるけど、レアな武器は大体性能高いわよ?」

 

「システム上の数字的な性能と実用性はまた別の話だ。実用性の有無ってのは、何も連射能力が高いとか照準が容易だとかいうだけの話じゃない。個人の技量や体型・体質・性格からくる相性も関わってくる。おたくがあの馬鹿でかいライフル扱えるのも、数値的ステータスが高いからってだけじゃねーだろ? 武器やクラスを決める上では、それがプレイヤースキルや個性に合ってるかどうかってのも重要だ。もちろん趣味や好みもあるが」

 

 言われて、シノンは納得する。自惚れるつもりはないが、シノンがスナイパーとして高い実力を持っているのは、ステータスタイプやレア武器以前に、一人の兵士としての冷徹さや非情さ、そして狙撃手としての高いプレイヤースキルによるものだという自負がある。そうでなければ狙撃などというピーキーなスキルは扱えないし、そもそもヘカートを入手することもできなかっただろう。

 

「確かに……そうかもね。能力構成(ビルド)だって自分の好みとか性格を基準にして決めるものだし……。まぁ最初に選んだ武器や能力構成、クラスに合わせてプレイヤースキルが上昇するってこともあるかもしれないけど」

 

「そういうこった。ま、俺の場合は個人的な趣味全開だけどな。合理性や実用性よりも性格っていうかプレイ目的から来ている部分が大きい。それでもあえてナイフやハンドガンだけで戦う理由を挙げるとするなら……」

 

 そこでハイネは再び唇の端を吊り上げるようにして笑みを浮かべる。

 不敵な……そしてどこか獰猛さを感じさせる、そんな笑顔。

 

「その方がスリルがあって楽しいだろ?」

 

 彼のGGOにおけるプレイスタイルが、この一言に集約されているようにシノンは感じた。

 あえて不利な状況、リスクの高い選択を選び、戦いの中でひたすらスリルと緊張感を求める。そんな人物。

 そして、そんなスタンスこそが、彼の常軌を逸した強さの根源なのかもしれない。

 シノン自身、確実に勝てるような状況・相手との戦いだけでは、VRゲームで最も重要な要素であるプレイヤースキルは磨けないと常々考えている。それではいくら数値的ステータスが上がっても、本当の意味での成長は無い。高いリスクを伴う本物の戦場でこそ、一人の戦士としての魂は鍛えられ、彼女の望む強い心を手に入れることができるはずだ。

 そして彼は、そんな極限の戦いをすら楽しむことができる。それはただ単に彼の性格ゆえか、それとも彼の持つ強さからくるものなのか……。

 

「あとはまぁ……ただのカッコつけかな」

 

「…………」

 

 何故この男は一々こちらの力が抜けるような言い回しをするのだろうか。

 カッコつけ……いわゆるロールプレイングの一環なのだろうが、わざわざ明言しなくてもいいのではと思う。先程から空回りする自分の思考に滑稽さを感じて、シノンは再び眉間を押えて俯いた。

 

「これはゲームだぜ? 楽しまなきゃ損だろ」

 

 とはいえ、この考え方もまた正論なのだろう。

 日本で唯一“プロ”が存在するこのGGOを、奪い合いが根幹にある他者との争いとしてではなく、ただ純粋にゲームとして楽しめることこそが、彼の実力を形作る要因の一つなのかもしれない。

 シノンは今まで、あまりGGOを楽しむという気持ちを抱いたことがなかっただけに、そんなハイネの姿は彼女の目にどこか眩しく映った。

 

「……確かに、あなたの言う通りかもしれないわね」

 

「賛同してくれて何より。ま、要は遊び半分でああいうスタイルをとってるだけだがな。ちなみに俺は昨日の戦い方を《SS戦法》と呼んでいる」

 

「SS? 速さと斬撃を活かした《スピード・スラッシュ》戦法ってこと? それとも拳銃とナイフを組み合わせた《スラッシュ&シューティング》戦法?」

 

「いや超近接格闘戦闘術、《スティーブン・セガール》戦法だ」

 

「……あっそ」

 

 なんとなくシノンは真面目に会話しているのが馬鹿馬鹿しくなった。(結構前からそう感じていたが)

 正直、この男の言葉はどこからどこまでが冗談なのかわからない。口元には常に軽薄な笑みが浮かんでいるだけに、余計に分かりづらかった。

 

「ま、“霊長類最強のオヤジ”にはまだまだ及ばないけどな」

 

「どうでもいいわよ」

 

 シノンは気持ちを切り替えるように首を振ると、会話が一息ついたところで再びグラスに口をつける。ハイネも自分のグラスを持ち上げ、半分ほど残っていた中身を飲み干した。

 メニューを操作して追加注文を行う様子を、シノンはそれとなく観察する。

 いずれ敵として立ちはだかるかもしれない男だ。できるならば今の内に可能な限り情報を集めておきたい。こうして話す機会を設けた最大の理由は、そもそもこの男に関する情報を集めることだったのだから。

 そんな内心の目的を胸に、シノンは言葉を交わしている間も、ハイネの外見、立ち居振る舞い、身のこなしを含めて、探る様に注視していた。

 

(けどやっぱり……こうして見ると、どこか印象が定まらない感じがするなぁ……)

 

 昨日も思ったことだが、ぱっと見では実力を察しにくい男だった。

 アバターの姿とステータスは別とはいえ、特別背が高いわけでもなければ、筋骨隆々というわけでもない。

 その容姿も、眼光がやや鋭いところ以外にはこれといった特徴の無い、端整ではあるがどこか個性の薄い顔立ちだ。武骨な外見のプレイヤーが多いこの世界では、むしろ浮いて見えるほどに淡白と言える。どこか好戦的で獰猛な光を宿した両目を閉じれば、穏やかで温和な人柄の好青年にも見えただろう

 尤もだからこそ、獰猛な肉食獣のそれを思わせる金色の両瞳が、むしろ砥がれた刃の様に鋭利で苛烈な印象を強めているのだが。

 そして……こうして近くに寄ることで初めて気付くことができる、その身に纏った空気は決して平凡なプレイヤーのそれではない。

 目元や口元には常に皮肉げな笑みが浮かんでおり、その雰囲気はどことなく人を食ったような印象を与えている。しかし軽妙な態度の中で時折見せる僅かな仕草から、内に秘めた狂的なまでの暴力性が微かに、だが確かに垣間見えていた。

 向き合っているだけで相手にプレッシャーを与えるような威圧感は無い。むしろ言葉や態度はどこか軽薄で、斜に構えたように飄々としている。気負いの一切感じられない佇まいは、もはや静謐ですらあった。

 しかしじっと目を凝らして見ると、その平凡な外見のアバターの内側には、確かに攻撃的な意思と気配が潜んでいるように感じられた。むしろ外見が普通だからこそ、その異常な気配が如実に表れているのかもしれない。

 スコープ越しには気付けなかったが、間近で見ると明らかに、どこか普通のプレイヤーとは乖離したものを感じる。例えるならば獲物を狙う肉食獣の気配……視界の外にいてもまるで存在に気付けないが、一旦目に留まれば決して無視することができない。殺気を内に隠した猛獣を目の前にしたら、こんな空気を醸し出しているのではないだろうか。シノンはカクテルの入ったグラスを口に運びながら、ふとそんなことを考えた。

 そのハイネはというと、彼女の値踏みするような視線には気付かず――あるいは気付いたうえで知らない振りしているのかもしれないが――お代わりしたドリンクに再び口をつけている。彼が注文したのは《レオニダス・バルバドス》という名のカクテルだ。大仰な名前だが、ハイネ曰く味的にはラム酒を加えたチョコミルクのようなものらしい。

 それを、彼はさも美味そうに味わって飲んでいた。心なしか頬が若干綻んで見える。鋭い眼光や落ち着いた佇まいに似合わず、どうやら甘い物が好きらしい。

 チョコレート入りのカクテルを嬉しそうに味わう。そんなまるで子供のような姿に、シノンはなんとなく警戒や対抗心を込めて観察しているのが馬鹿らしくなった。

 それと同時に、思わず口元に苦笑が浮かぶ。やはり“印象が定まらない”という印象だけは確かなようだ。

 

(下手に探りを入れるより、もっと手っ取り早い方法があるか)

 

 そう思ったシノンは、ハイネがグラスをテーブルに置いたタイミングで再び口を開いた。

 

「ところで思ったんだけど……やっぱりこれだけじゃ納得いかないわ」

 

「――? 何が?」

 

 何が言いたいのか本気でわからないという風なハイネに対し、シノンもさらに言葉を続ける。

 

「これだけで借りを返したとは思えないってこと。私はあなたに一方的に負けてヘカートを奪われたのに、何の代償もなしに戻ってくるなんて、なんとなく気が収まらないわ。これでもあの銃にはかなり愛着があったし、手に入れる時にもかなり苦労したのよ。あなたは平気でも、私の方は一杯奢る程度で済ませられることだとは思えない……というより、思いたくないわ」

 

「ふぅん……ならどうする? 代わりに何かレアアイテムでもくれるのか?」

 

 ハイネが興味薄げな声で訊く。彼自身としては、実際どうでもいいのだろう。

 それでもシノンに引き下がる気はなかった。

 

「生憎、現時点でヘカートほどのレア武器は持ってないし、入手するアテもないわ。だから……労働で返すってのはどう?」

 

「労働?」

 

 怪訝そうな声に、シノンは軽く笑みを浮かべて見せながら答えた。

 

「あなたの次の狩りに私が同行して支援・協力するってこと。もちろん戦利品分配の優先権はあなたに譲るわ。レアアイテムが出た時なんかは特に。それで借りを返すっていうのはどう?」

 

「ふむ……」

 

 ハイネは口元に手を当てて思案する。

 正直、悪くない提案ではある。シノンはハイネに満足のいく形で借りを返すことができるし、ハイネはレア武器が手に入る。

 レアで豪華な装備そのものにはさして興味無いが、希少なアイテムを売れば金になるのは確かだ。特に、このGGOというゲームには《ゲームコイン現実還元システム》が採用されており、ゲーム内で稼いだ金を現実の金としてペイバックすることが可能であるため、ゲーム内での金銭的利益はそのまま現実世界での利益となる。

 そういう意味で、彼女の提案した内容は、効率良くかつ確実に借りを返す上で都合の良い方法と言えた。

 

「昨日の戦いを見る限り、あなた戦い方は近接格闘か、少なくとも近距離型でしょ? 私は狙撃手(スナイパー)だから相性も良いし、対人でも対Mobでも役に立つと思うわよ」

 

「………そうだな。丁度昨日まで組んでた連中とは解散したところだったし、せっかくだから手伝ってもらうか。中途半端な連中と大人数組むより、少数精鋭の方が効率もよさそうだし。

 けどいいのか? 借りを返すためとはいえ、おたくの利益が少な過ぎる気もするが……」

 

「心配無いわ。こっちもこっちでメリットはあるし、あなただって流石にドロップアイテム全てを独占するつもりまでは無いでしょ?」

 

 そう言って、シノンは少しだけ悪戯っぽく口端を吊り上げる。

 ハイネは苦笑しつつ「まあそうだな」と答えた。

 いくら優先権があるとはいえ、一方的に手伝わせるのは抵抗があるのだろう。昨日シノンを見逃したことといい、どこか女性に甘い面があるようだった。

 とはいえ、彼女にもメリットがあるというのは本当だ。尤も確実にというわけではないし、直に視認できるような類のものでもないが。それでも彼を手伝うだけの価値はある。

 

(流石に一緒に行動してれば、何かしら見えてくるはず。戦闘時なら特に)

 

 彼女が狩りの手伝いを申し出た目的は、自身でも納得できていないヘカートの借りを返すと同時に、次のBoBで強力なライバルとなるであろうハイネの実力をその目で確かめることだ。

 昨日の戦いでは、碌にその手札を見ることもできなかった。しかし行動を共にし、近くで戦っていれば、もっと多くの技や戦法を目にすることができるかもしれない。

 無論、自分の手の内も見せることになるが、お互い相手の技量が分かれば、後はどちらがどのように対策を練るかが勝負の鍵となる。ある意味では公平だ。昨日の戦いを見る限り、今のところ隠している手札はハイネの方が多いだろうし、その分シノンの方が情報という意味ではメリットが大きいかもしれないが。

 とはいえ、彼女が本当に知りたいのは、能力構成や射撃の腕などといった上辺だけの強さではない。そんな彼の強さを支える根幹にあるものをこそ、シノンは切に求めていた。

 

――だからこそ、この狩りの中でそれを見極める。

 

 胸の内で呟きながら、シノンは握手を求めるように手を差し出した。

 

「じゃ、決まりってことで。これからしばらくよろしく」

 

「こちらこそ。それじゃあ早速今日から頼もうかな。それともこの後予定ある?」

 

「ううん。ついさっきログインしたとこだし、もともと今日はヘカートを取り戻すために行動するつもりだったからね。私にとっても好都合だわ」

 

「そりゃ何より」

 

 手を握り返してきたハイネを見ながらふと、こうやって自分から握手を求めるなんて、この世界に来てから一度もなかったことを思い出す。

 GGO内では現実世界以上に他者を寄せ付けない態度をとってきた自分が、会ってまだ大した時間も経っていない相手と――それも男と――ここまで長く話したのも初めてだ。

 一体自分はどうしたのか。そんな心境の変化に戸惑いつつも、あえて判然としないその感情を心の隅に追いやる。

 

――今は、良い。今はただ、強くなることだけを考えていれば……

 

 自身にそう言い聞かせ、シノンは努めて冷静な態度を保ったまま、ウィンドウを操作してネームカードを取り出した。

 名前は《Sinon》。性別は当然《女性(Female)

 

「そういえばまだ名乗ってなかったわね……私は《シノン》よ。“おたく”じゃないわ」

 

 そう言って、これから共に戦う仲間に向けて、微かに笑みを浮かべて見せた。

 

 

 

 

 

 

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