第1話 暗殺者
1、忘れ日の。
夢を見た。
ずっと忘れていたあの日の思い出。
いや、忘れていたわけではないが記憶の片隅に追いやってしまっていた。
俺が初めてヒルトリヒと出会った日。あれは確か俺が11の時だったから……ちょうど10年前の事だ。
スラム街、特に粗悪で暴力に溢れた場所で育った俺は非情で誰より強く賢くあるべく、常に気を張っていた。如何なる時も粗暴だったのだ。正義など知らぬくせにいつも他人を助ける為に争う毎日。
この矛盾した心と環境に悩み、自分を嘆いていた。
人の人生のチャンスは必ずある。そこで変わる自信と自ら切り開く力さえあればいくらでも大きく変わっていけるのだ。俺の場合は彼との出会いだった。いや、ただ出会っただけならお互いに顔も覚えていないくらいのちょっとしたものだったろう。
多くの偶然、多くの人の決意や行動、判断で1つの運命が作用する奇跡のようなもの。多くの人は必然と言うだろう。だが、考えてみればこれだけ多く人がいるにも拘らず、その殆どが知らない人だ。付近だけでもその殆どが名前も知らない。本当に奇跡としか言いようがない。
そんな出会いだったと思っている……。
俺はやる事もなく散歩をしていた。いつもの風景。
虫が鳴き、あちこちから食器を片付ける静かな音が響く夜。俺は昔から夜が好きだった。星を眺めながら歩くと荒んだ心が洗われる気がするから。
いつもと違ったのは馬車が通った事。敢えて簡素な作りをしていたが、見る人には解る。漆塗りで処々に金があしらってあるそれは、上級貴族の中でも限られた人間しか持っていないほど高価なものだった。
それと、嫌な予感もあった。いつもの事なら喧嘩やいざこざが絶えないのに、ここ1週間はそれすら殆どなかった。強いて言えば勘だが、杞憂であればいい。そう思いながら馬車を追いかけた。本気で走った訳じゃないし、このスラム街を長居したくないからか速度が速くてどんどん置いて行かれた。
明かりも点けていない馬車は見えなくなって、音だけを頼りに真っ暗な中走り続けると次第に怒声が聞こえてくる。
「おい!そこを退けっ!」
「さっさと降りてきやがれ成金ども!」
「金目のモン全部置いてけ腰抜け!!」
角材やナイフ、包丁、松明を手にした暴徒が10人以上群がっている。僅かな抵抗か馬車から人が出てくる様子はない。
無我夢中だった。
……次に気が付いた時には、血生臭さと真っ赤な手が見えたのを記憶している。
そして、馬車から降りてきて俺の目の前にひざまづいたのがヒルトリヒだった。
彼はただ一言、
「助けてくれてありがとう。」
そう言い残して馬車で走り去っていった。
俺が再び彼に会ったのはそれから4日後の事。
ここにはもう居られない。そう思った俺は馬車と反対の方向に走って逃げ出した。金も雇ってくれる所もなくひたすら歩き、飢えは川の水で凌いだ。だが、それにも限界がある。強い空腹感で力が入らず河原で倒れていた。もう駄目かと思った時、誰かに拾われたのだ。
今まで着た事のない高価な服を与えて貰い、食べた事のないほど豪華な食事を食べさせてくれた。
「私の名はヒルトリヒ・デルムシュタット・ヴュル・レイシュタット・ツェルブストと言う。貴殿の名は……?」
「エーデルバッハ……フュルフェンドルフ・グラーフェルハイホーヘン。」
その日、俺は彼に仕えると決めた。俺には戦いしかない。ヒルトリヒに勝利を、栄光を……。