攻撃パターンは把握した。しっかり見て対応すれば、そうそう食らうことは無い。落ち着いて攻撃を見て、確実な反撃を行う。どんなボスも行動パターンは決まっている。それさえ理解できれば、基本的に問題は無い。
だが、赤ゲージまで減らす前の――つまり、行動パターンが変化する前の――状態であることを念頭に置いておかねばならない。ほぼ全てのボスはHPゲージを危険域まで減らすとパターンが変わる。それが一番厄介だ。偵察戦でそこまでHPを減らすことはほぼ不可能なので、事前情報が無く、その場での判断が求められる。
そう、ただでさえそのパターン変化が厄介なのに。
「ソードスキル、行くぞ!」
俺はそう吼え、《ヴォーパル・ストライク》を狼男の背中に打ち込む。
本来なら、そこまで声掛けは重要ではない。隙あらばどんどん打ち込んでいけばいい。スキルを使う時は確実にタゲは他に移っているのだし、声をあげる暇があればさっさと打てという話にもなる。
だが、このボスに限っては別の話だ。
突き込んだ剣を引き抜くと同時、狼男は
「ぐっ!」
この狼男が厄介な理由。それは。
「次は私が!」
シルビアが続けて《レイジスパイク》を打ち込み、技後硬直が終わると同時に盾を前に出し、ぐっと足を屈める。
「グォッ!」
すると攻撃を食らった狼男は振り返りざまに剣を薙ぎ、
シルビアは低い軌道の斬撃を跳躍で避け、バックステップで連撃を避けていく。
「やっぱりだ! こいつは
確信したキリトがそう言うと、同じ考えに至っていたらしいヒースクリフが頷いた。
「攻撃を受けた瞬間、即座に移り行く迎撃対象……厄介な相手だ。我々のように防御を固めているならまだしも――」
ヒースクリフはそこで言葉を切り、シルビアに移ったヘイトを自分に向けさせ、十字盾で大剣を受け止める。
「すみません! 助かりました!」
回避に限界が来ていたらしいシルビアはヒースクリフに礼を言うと、ポーションを飲んで体勢を整える。
俺はその様子を見て、先のヒースクリフの言葉を引き継いだ。
「――シルビア達のような、防御の薄い速度型には厳しいものがあるな」
執拗に、と言って良いほどにこのボスは攻撃したプレイヤーを狙う。回避重視でスピード型のシルビア達は防御が薄く、一発でも食らえば致命傷になる。そうなれば、回避も神経をすり減らす。
「やりづらい……っ!」
攻撃をしたら確実に反撃が来る。
これでは、タンクやダメージディーラーという役割を分けている意味がない。ソロでやっているような感覚だ。人数が居てもどうしようもない。
「けど、やっぱ体力は多くない! 行けるぞ!」
ライアがボスのHPゲージを指して言った。長く戦っているわけでも、多人数で攻撃を与えたわけでもないのに、もうHPゲージは四本あるうちの二本を減らし、三本目の半分を過ぎるほどまで到達している。
確かに。この人数で細かく攻撃をしただけでこの減り様。極端な行動パターンの変わりに、戦闘時間はこれまた極端に短く済むように設計されている。
「むしろ、人数少なくて良かったな。こんなやつ、大勢で囲んだらヘイト管理なんざできやしねぇし、この特性もわからんかったろうさ!」
「全くだ! もし大人数で攻撃して、誰に反撃が来るかわからん状況になったらポーションがいくらあっても足らねぇ!」
レイドが跳躍し、脳天に両手鎚を叩き込む。
ダメージの蓄積に耐えかね、狼は大きく怯みモーションに入った。
「全力!」
全員でソードスキルを打ち込む。いっそ爽快なほどにがくんと狼のHPゲージが減った。
四本目に到達。ボスの狼が大きく吠えると、追加の狼男のモブが出現する。
「リンド!」
「わかっている!」
リンドのパーティは言われるまでもないと言わんばかりに、
聖竜連合のメンバーは完全に支援に徹してもらっている。端から見ていれば攻撃パターンはわかるが、メンバーが変われば流れも変わる。今の血盟騎士団+キリトというメンバーによる、安定した流れを切りたくなかった。
「あと一本! もう一回スタン取って全員でクリティカル打ち込めば勝てるぞ!」
「だが、危険域まで行ったら警戒しろ! なにが来るかわからんからな!」
レイドの急いたような声に、俺はそう反論する。
情報が無いのだ。武器を持ち替える、モブを更に増やす、新しい攻撃パターンが増える。なにが来るかわからない分、考えておかなければならない。
その油断で、命を落とすかもしれないのだから。
「けど、慎重になりすぎてリズムを崩すなよ?」
キリトがそう言いながら剣を構え直し、突貫する。
承知している、と俺はキリトと対角線上になるように移動し、ソードスキルを打てる体勢で待機する。
「おお――らっ!」
ライアが足を狙って薙ぎ払い、反撃を確実に剣の腹でガードする。そうしてボスの動きが止まったところに、キリトが《ヴォーパル・ストライク》。凄まじいジェットエンジンのような轟音と共に、剣が狼男の腰を穿つ。
それを受けて、振り向き様に繰り出される狼の反撃を、キリトは大剣の腹を斬り払うようにして受け流す。
それにしても、流石の威力だ。ブーストと武器の質か、俺よりも与えるダメージが大きいように見える。
「よし、行くぞ!」
ならば、と。俺は負けじと《ヴォーパル・ストライク》を放つ。追い付いて見せよう、キリト。お前の剣の冴え、追い縋って見せよう。その気概と共に同じく凄まじいエンジン音を響かせ、剣を突き出す。
騎士たる俺が、真っ黒な無頼漢に負けるわけにはいかんからな。
「ぜぁ!」
渾身の突きは、エンジン音に負けじと吼えた俺の気合いと共に狼男の背を貫いた。HPゲージの減少具合は、僅かにキリトを上回ったのではないだろうか。
俺はその手応えにニヤリと笑う。剣を手の中で回して構え直し、狼男は俺に反撃するために宙返りをするように反転、そのまま上段から大剣を振り下ろす。
俺はサイドステップをしながら盾を構え、その大剣を盾に掠めるように避ける。
「ギュインギュインと……」
ぼそりとアスナが呟き、
「うるさいのよ貴方たち!」
不満をぶつけるかのごとく凄まじい連続技を打ち出した。何発突いたのかわからないほどの神速の突き。まあ、確かに両サイドからヴォーパル・ストライクの音を聞かされれば苛つくのはわかる。かなりの轟音なのだ、このエンジン音は。真横で聞けばキーンとなるほどに。
しかし、激情に駆られているというのに、狼の反撃は紙一重で確実に回避している。むしろ彼女は感情が高ぶったときの方が動きが良いのではないかと錯覚してしまうほどに。
アスナへ向かったヘイトはヒースクリフがソードスキルで攻撃して引き継いだ。心なしか、少し呆れたような顔をしているようにも感じる。
「うるさいって言われても、しょうがないだろ。どっかの騎士様が対抗してくるんだからさ!」
「当然だ。対抗心は研鑽のために必要不可欠なもの。俺がお前に対して抱くのは当然だろう」
「貴方たち――」
悪びれる様子もない俺たちに対し、剣を向けるのではないかと思えるほどに苛立っているアスナの真横を、ジェットエンジンめいた轟音と共に赤い光芒を煌めかせながら
「くぅぅ……っ!」
「すみません、アスナ。私の中で一番威力の出る技がこれなので」
耳をおさえながら恨めしい呻きを漏らすアスナに対し、シルビアはペコリと頭を下げ、狼男の反撃の下段薙ぎを背面跳びめいた宙返りで避けた。
アスナはもう諦めたように溜め息を吐き、頭を振って剣を構え直した。
「あんまり遊ばないで欲しいんだなぁ!」
「まったくだなぁ!」
ライアとレイドが、気の抜けるような発破と共に波状攻撃を仕掛ける。ライアが両手剣で腹を薙ぎ、反撃を受け止めると同時に、レイドが跳躍して脳天に両手鎚を叩き付けた。
やはり両手武器の威力は凄まじい。俺やキリト、シルビアやアスナの攻撃よりも確実にダメージを与えている。
それにより、ボスの最後のHPゲージが半分を切った。
「あと少しだ! 気を引き締めたまえ!」
ヒースクリフが声を張った。珍しい彼の声色に、慣れによって僅かに気が緩んでいた俺達は即座に沈黙し、集中した。
俺が攻撃し、キリトが攻撃し、アスナが攻撃する。
「いきます!」
シルビアが肉薄した。シルビアが繰り出した《ホリゾンタル・スクエア》によって、狼男のHPゲージがとうとう危険域に達した。
「警戒しろ! 少しでも距離をとれ!」
キリトの言葉に、全員がしっかりと距離をとる。
狼男はこれまでにない咆哮をあげた。大剣を地面に叩き付け、苛立ちを込めたような凄まじい叫び。
そして、地面に叩き付けて半分が埋まった大剣から手を離し、左手の大盾を宙に放り投げた。
両手の装備を手離した。一層のコボルトロードと同じ動きだ。
「武器の切り替えか!」
ライアが即座に反応した。
しかし、コボルトロードと違い、
しかし、間違いだと気付いたのはすぐだった。
「なんだ……?」
狼男は武器を放り投げた両手を力んだように開いたまま、 身体を引き絞り、狂ったように咆哮をあげ続けている。
――ミシ、と音がした。
なんの音だ、と警戒した。どこから出ているのかと皆が探った。
だが、その
奇妙だと全員が思った。
――ミシミシ、と継続して音が鳴る。
――これは、
狼男は膨れ上がった両腕を地面に叩きつけた。掌を床に擦り付け、脚をよじり、悶えるように身体をねじ曲げていく。ミシミシと、メキメキと音を立てながら、四つん這いになった狼男の肉体は膨れ上がっていく。
響くような遠吠えをあげながら、しかし苦しむようなその様子は狂気的で、俺達は息を呑んだ。
「これ、まずいやつじゃ……」
レイドがぼそり、と呟く。その顔は引き攣っている。
「ガァァアアァアッ!!」
その声と同時に毛を蓄えた全身の皮膚がはじけ飛び、膨れ上がっていた身体の増幅が止まった。
「なっ――!」
おぞましく、グロテスクな姿だった。まさかモンスターの外見が変わるなどとは予想だにしなかった。だが、その形状は紛れもなく――
「狼……っ!」
だった。
そう、奴は狼だ。
しかし、だからこそそれが不気味だった。ケダモノと化した人間のような狂気的な表情と、モンスターパニックものに出てくるような醜悪な見た目。子供の頃、親父が見ていた映画の中に、こんな見た目の奴が出ていたように思う。フランスに実在した、とある獣をモチーフにした映画だ。まあアレは映画の中ではそういう鎧を帯びた獣という設定であったが、凶悪そうな見た目という点では相違ない。
普通に考えれば、こんなやつを見て「狼だ」と認識はできない。だが、奴の表面にはうっすらと、まるでホログラムのように清廉な狼の面影が浮かび上がり、かつてあいつが
それほどまでに俺が長考することができたのは、奴が――変異の反動だろうか――ぜえぜえと息を荒げながらも動かなかったからだ。しかし、動かなくとも首を動かし、白濁した瞳で俺達を一人一人確認している。
「警戒を――」
アスナが注意を喚起しようとした声をあげようとすると、
「ゴガアアァッ!!」
その瞬間、狼はすさまじい叫び声をあげた。今までの遠吠えとは違う、喉から絞り出すような掠れた叫び。思わず全員が萎縮したように身体を震わせた。
その叫びに呼応したのか、大量の狼男のモブが出現した。その数、11。すべてが両手武器を携えており、アイコンは黒混じりの赤。明らかに高レベルだということがわかる。攻略組の俺達ですら、迷宮区で会えば苦戦を強いられるほどの強敵。それが11体。この場に居る
「まさかっ――!」
キリトが何かを察したように唸った。俺もほぼ同時にその考えにたどり着いた。
「シルビア! 逃げろ!」
「えっ――」
俺の叫びに、モブに気を取られていたシルビアは反応が遅れる。あのボス狼が、とうとう跳び出した。
――迷うことなく、シルビアへ向けて。
「ッ!!」
シルビアは怯えたように息を呑み、咄嗟に盾を構えた。狼は躊躇う様子もなくシルビアに突進し、強烈な頭突きを繰り出す。盾で防いでいるが、確実にHPが減った。シルビアがとてつもない勢いで吹き飛ばされた。回転しながら地面を跳ね、転がり、滑ってようやく停止する。あれほど回転すれば前後不覚となってもおかしくない。予想通り、シルビアは何とか立ち上がるもふらついている。
だが、狼は追撃するためにシルビアから視線を外さない。俺達はすぐさまヘイトを移すために剣を振るおうとしたが、そこで追加出現した11体のモブが動いた。
11体が、それぞれのプレイヤーの前に立ちはだかる。俺達だけでなく、聖竜連合のパーティメンバーを含めた全員の前に。
「これは――っ!」
嫌な予感が的中したのだ。この布陣は、シルビアが一人でボスの相手をさせられるものだ。俺は目の前のモブを躱して抜けようとするが、それを妨げるように狼男が両手斧のソードスキルを放ってきた。意識の外を突かれた俺はすんでのところで盾で防ぐも、大きく腕を弾かれる。まともに防ぐことはできない筋力値だ。
「こいつら……どけっ! このまんまじゃぁ――」
「シルビアぁッ! 前に転がれぇ!」
俺はがむしゃらに叫んだ。その叫びが届いたのか、シルビアは状況を把握するよりも前に行動した。それがよかった。シルビアは紙一重で、狼が振るった前肢の爪を避けることが出来た。
「全員目の前のモブを速攻で倒せ! もたもたしてたらシルビアが死ぬぞ!」
絶叫めいた激励で全員の意識を取り戻したのはライアだった。両手剣タイプの狼男と打ち合い、鍔迫り合いをしている。
「くっ……」
俺は左手の盾を放り捨て、空いた左手で片手半剣を両手持ちする。目の前で両手斧を構える狼男を警戒しながら、俺はシルビアの方に視線を向けた。
シルビアは何とか体勢を立て直したようだ。剣と盾をしっかりと持ち、異形と化したボス狼と向かい合っている。
「シルビア!」
「大丈夫です! 皆さんは目の前の敵を! 時間稼ぎならなんとか」
します、と続けようとしたのだろうが、右腕の爪を回避するためにバックステップをしたことで中断された。
信じるしかない。おそらく、目の前のこのモブたちは専用のルーチンが組まれている。「ボスが攻撃したプレイヤー以外をそれぞれが狙い続ける」と言ったような、ボス戦専用のAIが組まれているのだろう。だから、背を向けて駆け出しても、たとえ壁を登ってもこいつは俺だけを追尾して襲ってくるだろう。こんな強敵に狙われながら他のプレイヤーの支援など無理だ。倒してから向かうしかない。
「う――おおっ!!」
俺は振るわれる両手斧に向けて、片手半剣を叩きつけた。
◇
左腕の爪が真横に振るわれる。私はスライディングをして下をくぐる。
返す腕で裏拳が迫る。私は跳躍して躱しながら、回転して腕を斬り付ける。
右腕の叩き付けが頭上から迫る。私は着地と同時に左へステップする。
地面に叩きつられた右腕に、素早く三連続で斬撃を見舞う。
腕が動く前に離脱。全力で後ろに跳び、攻撃範囲から逃れる。
――どれだけ時間が経ったろう。
わからない。厳しい時間は長く感じると言うし、まだ数分しか経ってないかもしれない。
私はポーチからポーションを取り出し、一息に煽る。HPがじわじわと回復していくのを確認しながら、もう一度神経を集中する。
「くぅっ!」
油断も隙もない。僅かに視線を逸らしていただけでも、攻撃が即座に迫ってくる。
避ける。躱す。跳ぶ。なにがなんでも避け続ける。
「はあっ、はっ――」
躱しながら斬撃。雀の涙だが、それでもダメージは与えている。こうして食らわずに斬り続ければ、可能か不可能かで言えば、倒すことは決して不可能じゃない。
けど、それを為せるかと言われれば、私には自信がなかった。ただでさえギリギリの回避だ。運が良くて食らわなかったものもたくさんある。こんな綱渡り、長続きするわけがない。
(いっそ、攻撃をやめて全力で逃げ回ろうか!)
私は何度もバックステップを行い、爪の攻撃範囲から逃れる。距離を取れば、警戒するべきは突進と跳びかかりだけだ。もちろん、跳びかかってきた後は危険だが、もう一度距離をとればいい。
なんとかなるかもしれない。セドリック達もなんとか追加ポップした狼男に善戦している。けど、倒すまであと5分はかかるだろう。
5分だ。ぼうっとしていればあっさり過ぎ去るその時間も、戦闘中は信じられないほど長くなる。なんとか集中を切らさずに回避し続けなければ。
「ふっ! くっ――」
バックステップを繰り返す。そして、私はボスエリアの隅に追い込まれていることに今更気付いた。
「やばっ――!」
背中が壁にぶつかり、思わず声が漏れる。ボスは両腕の爪を開いて構える。あれは両爪連続攻撃の構え。よりにもよってここで!?
「はっ、はあっ、はっ、はぁっ――はぁっ!」
緊張で荒くなる呼吸。VRのアバターは息切れなどしない。なら、これは私の精神面の問題か。
「はあ、はっ――!」
――怯むな! 避けきれ! 私にならできる!
無理やりにでも自分を奮い立たせ、僅かにかがむ。
爪の連続攻撃は6回。順番は、右薙ぎ左薙ぎ右薙ぎ右裏拳左逆袈裟右叩き付け。最後の右腕の叩きつけは範囲攻撃。避けきれなければ角にハメられて殺される。
「グガアァアッ!!」
「おおぁっ!」
吼えた狼。気圧されぬよう、私も負けじと声をあげた。身体は動く。
右腕の爪による薙ぎ払い。しゃがみこむように姿勢を下げ、斜めに構えた盾で受け流す。
左腕の爪による薙ぎ払い。同じく姿勢を下げ、地面との隙間を縫って回避する。
右腕の爪による薙ぎ払い。一回目と違って地面をえぐりながらのそれを、最小限の跳躍で飛び越える。
それを返す右腕での裏拳。私は空中だが、回避のために予測して跳んでいる。宙で身体を逸らせて紙一重で避ける。
続いて範囲の広い逆袈裟。私はその攻撃を見る余裕もなく、地面に着地すると同時に再度跳躍し、狼の左腕に爪先が引っかかるが、なんとか跳び越えた。
ラストの右腕の叩き付け。ギリギリで体勢を崩さずに着地した私は、
(《軽業》スキル取っておいてほんとよかった!)
《ウォールラン》。その名の通り壁を走るシステム外スキルだ。ステータスの振り方によって持続時間は変動するが、私の敏捷値にものを言わせてやるやり方においては、《軽業》は多いに貢献してくれている。
そうして壁を垂直に駆け上る間に、狼の連続攻撃は終了した。それと同時に壁を蹴り、私は狼に向けて急降下。
「やあああぁ!!」
剣を振りかぶり、脳天に振り下ろす。ソードスキルではない通常攻撃ではあるが、この状況での技後硬直は避けるべきだ。
連続攻撃の後はそれなりの隙が発生する。私は剣を頭部に叩きつけると、その反動で前宙するように回転し、狼の首元に着地。そのまま背中に剣を突き刺し、背中を駆け下りながら斬り裂いていく。
「グオオォォ!!」
ダメージに怯む狼の背中を蹴りつけて跳び、なんとか角に追い詰められた状況から脱した。もう一生分の運を使い果たしたんじゃないだろうか。跳びながら私はほっと息をつき、
そして、倒れ込んだ。
全力で跳躍して着地を失敗し、地面を転がった。なぜ倒れた、と私は狼狽する余裕もなく、すぐさま手をついて立ち上がろうとしたが、またも転倒。
そこでようやく私は、立ち上がるための
「え――」
右脚が、無い。
それを確認し、とっさに狼を見上げた。
私の脚は、狼の口に咥えられていた。
やつは血のように赤いアバターの破片をまき散らしながら、
「くぁっ!?」
そのような情けない声を私は漏らした。あとずさろうにも脚が無い。手と残った足を動かして距離を取ろうとするが、狼は悠々と歩いて距離を詰めてくる。
まるで私を恐怖させるかのように。
「――っ!」
◇
「邪魔だ! 畜生が!」
俺は冷静さを欠いていた。一対一での敵と戦う時は、フェイントや剣技の種類を使い分ける必要がある。だが俺にそんな余裕はなく、両手斧を相殺してからの反撃で地道にダメージを稼ぐという、情けない戦い方となっていた。
「両手斧のデータなんて、ただでさえ少ないってのに――!」
歯ぎしりをする。狼男の両手斧ソードスキルを、ほぼ勘と反射だけで防ぐ。吹き飛ばされるが、自分から転がって即座に体勢を立て直す。
腰から投げナイフを抜き、《トリプル・シュート》。三つのナイフが集中して飛び、狼男の首筋に連続で突き刺さる。
「おおらっ!」
俺はその隙に距離をつめ、《メテオ・フォール》を発動する。踏み込みながら斬り上げ、斬り下ろす二連撃。
「よし、あと少し……!」
俺はもう一度剣を構えなおす。そこで何かに気付き、ちらりと視線を左上のHPバーに向けた。
俺の物には変化は無い。変化があったのは《silvia》のゲージだ。
彼女のHPがごっそりと減り、《部位欠損》の状態異常のアイコンが表示されていた。
それに気付いたのは俺だけではなかった。
「あっ!?」
アスナが声をあげるが、片手剣と盾を扱う狼男に阻まれる。
「まずい、シルビ――ぐあっ!」
レイドが気を取られ、両手槍の一撃をその身に受けてしまった。
俺は鍔迫り合いを無理やり弾き、シルビアを探した。
居た。倒れ込んでいる。脚が無くなっている。
狼が静かに近づいていく。
「――っ!」
俺は、つんのめるように駆け出した。
一瞬脚がもつれた俺の背中に、狼男の両手斧が叩きつけられた。ただでさえ削られていたHPががくんと減るが、俺はその衝撃を利用しながら全速で駆け出した。
「――シルビアぁあぁっ!!」
恥も外聞なく叫びながら。
狼が口を開く。噛み付き。
それを、シルビアは片足と両手で跳んでなんとか避けた。
だが、あれでは次は避けれない。
――届け! ――届け!!
――死ぬな!
「う――おおぉおぉああぁあ!!」
俺は最後、全力で飛び込んだ。シルビアが俺に気付き、目を見開き、助けを求めるように手を伸ばした。俺は左手でその手を取って引き寄せ、剣をにぎったままの右腕でしっかりと抱きしめた。
狼が跳びかかる。俺はシルビアを抱え込んだまま、慣性に逆らわずに地面を滑ることで距離を稼ぐ。寸前までシルビアが居た場所に、狼の牙が空を切る。
「まだ来ます!」
俺は立ち上がる暇もなく、シルビアを左腕に抱いて右手の剣を振るった。がむしゃらなそれは顔の表面を滑る。それでも構わずに噛み付きに対して剣で迎撃する。
爪をガードすることに失敗し、鍔を引っ掛けられて剣を弾き飛ばされた。
剣を拾う余裕はない。シルビアは腕の中にいる。生きている。だが狼はまだ迫る。
俺は投げナイフを抜いた。シルビアを食い殺そうと迫る狼の額に投げナイフを直接突き刺す。
しかし、やつは止まらない。姿が変わり、狂気を宿したかのような獣は止まることがなかった。なおも俺の腕の中のシルビアに食いつこうとする。俺はその口に右腕を突っ込んだ。
ガギィ、と腕のアーマーに牙が食い込み、軋む。
「セドリック!? 駄目! あなたが死んじゃう!」
シルビアが俺の胸にすがりつく。やめろと。逃げろと。俺のHPはもう半分を切った。ボスの攻撃に耐えれる保証は無い。
だが、逃げるわけにはいかなかった。ここまでやっておいて、シルビアを見捨てるなどありえない。
「セドリック!」
俺の右腕を引きちぎろうとする狼に対し、俺は筋力をフルブーストして抑え込む。保つはずがない。あと数秒と持つかもわからない。
それでも、守りたいと思った。
とうとう右腕が食いちぎられた。HPが残り三割を切る。
邪魔が消えたと言わんばかりに、狼は大きく口を開き、
「させるかぁあっ!!」
俺は今度は左腕をその口に突っ込んだ。
俺は完全に頭に血が上っていた。どうにかシルビアを抱えて逃げて、剣を拾って応戦すればよかったのに。そう気付いても、既に左腕に食いつかれた今ではどうしようもない。
「セドリック! ダメだよ!! 逃げて!!」
シルビアも声が掠れる程に叫び、取り乱している。彼女は、俺が食い止めている間に逃げることはできない。脚が無いのだ。パニックになってもおかしくない。
それでも必死に、ギリギリのところで意識を保っていて、そして俺を救おうとしている。
ああ、お前は本当に良い奴だ。良い騎士だ。
だからこそ、俺が命を張る理由となる。
「ぐ、おお――!!」
左腕に牙が食い込み、狼は更に食い込ませるために揺さぶろうとする。俺は全力で対抗する。左腕がきしみ、HPが削られ、とうとう嫌な音を立て始める。
「くっそ、がぁ!!」
その瞬間、狼の首筋に、両側から凄まじい突きが打ち込まれた。
「グゲァっ!!」
悲鳴めいた鳴き声と共に、俺の左腕は解放された。
「無事か!?」
「二人とも、生きてる!?」
キリトとアスナだ。二人は俺達を庇うように立ちはだかり、再度攻撃に移ろうとした狼をヒースクリフが大盾で押しとどめる。
「今だ! 頭を!」
「「合点!」」
ヒースクリフの指示を受け、ライアが両手剣の腹で狼の頭を殴打し、それと同時にレイドが振りかぶった両手鎚を叩きつける。
「獲ったぁ!」
レイドが叫ぶ。スタンが発生した。アスナとキリトが同時に駆け出す。ライアとレイドの全力の重単発技、ヒースクリフ、アスナ、キリトの連続技が叩きこまれる。
みるみるうちに狼のHPが減少していく。キリトの《ノヴァ・アセンション》の最後の一撃により、ボスのHPはゼロになった。
一瞬の静寂の後、爆散。ポリゴンの欠片が舞い散り、《congratulation》の文字が大きく表示された。
「…………」
俺は音もなく息を吐いた。
シルビアも俺と顔を見合わせ、力が抜けたように呆然としている。
「終わった、か……」
「はい……終わりましたね」
シルビアはぽつりとつぶやき――涙をこぼした。
「シル、ビア――っ」
「え、あ、あれ――?」
俺だけでなく、シルビア自身も驚いたようだった。先ほどまでの状況ですら涙を流すことなく、必死に俺を止めようとしていたほどの精神力だったのに。
そんな彼女が、涙を流した。
「お、おかしいですね。なんで涙なんか――」
シルビアは訳が分からないといった風に笑おうとし、
「~~~っ!!」
自分の両手で顔を覆った。
「シルビア……?」
「は、くっ……うっ、あぁ……っ!」
その嗚咽を聞き、俺は自分の心臓が跳ねるのを感じた。
「ひっ、ぐ、うぅ……は、あ、う、ぅぅ――!」
シルビアはできるだけ声をおさえ、落ち着こうとしているのがわかる。しかし流れ落ちる涙は止まらない。ガントレットが付いたままの手で乱暴に顔をぬぐうが、それも大きな意味をなさないほどに。
俺はどうしていいのか迷った。だが、やはり傍観しているわけにはいかず、残った左腕でシルビアの肩に触れた。
「シルビア、もう大丈夫だ」
それでも、シルビアは嗚咽のままに首を振った。
「ごめ、ごめんなさい……私、ほっとしたのか、なんか……」
緊張が解けた、ということだろうか。確かに彼女はあの獣を相手に、一人で果敢に戦った。それは極限状態の戦闘であっただろうし、最後には片脚を無くして追い込まれた――つまり、『死』が迫っていたのだ。
ならば、誰が彼女の涙を責められるだろうか。
「大丈夫だ、大丈夫……」
俺は左腕で、彼女を抱きしめた。
「私、怖くて――あんな、ずっと、こわくって……!!」
「ああ……よく頑張ってくれた」
顔を覆っていた手は、俺の胸元にすがりつくように握られた。シルビアは泣き顔を見せまいと、額を俺の胸に押し当てる。
「でも、でも――あなたが死ぬかもしれないのが一番怖かったッ!!」
シルビアは絞り出すように叫んだ。
その叫びに、俺は心臓を握られたかのようにどきっとした。
まさか、俺の身を案じて涙を流したと? 出会って一週間も経っていない俺に、そこまでの思い入れがあるとは思えなかった。パーティメンバーから死人が出るのが嫌だったのか、と、自分でもわかるほどに的外れなことを考えてしまっている俺に対して、シルビアは、
「私は、あなたを救いたくて騎士になったのに……」
そう、ぽつりと呟いた。
「シルビア……?」
「あなたのような人を減らすために戦い始めたのに……あなたがいたから、私は――目的ができたのに!」
どういうことだ、と問うことはできなかった。
シルビアは顔をあげ、俺を真っ向から見つめた。涙を止めどなく流しながら、それでもしっかりと俺の眼を見て、
「私はあなたを――」
その視線に、俺は思わず顔を逸らしそうになるが、ぐっとこらえた。後ろめたいなにかがあるわけではない。
だが、彼女が何を言おうとしているのか、予想がつかなかった。
「お願いします……
「――っ」
その言葉は、俺にすさまじい衝撃を与えた。
死のうとする、と彼女は言った。俺に対して。俺が死のうとしていると。
その言葉の意味がわからないわけではない。だが、なぜそう感じたのかを知りたかった。今のはシルビアを救うための行動であるはずなのに。褒められこそすれ、咎められる行いではないはずなのに。
――だが、その言葉をすぐに否定できない自分がいることにも気付いた。
まっすぐに彼女を見て、「お前を救うためだった」と、
「俺、は……」
返す言葉が、出てこなかった。