ソードアート・オンライン 一人の騎士として   作:ロア

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真面目回です。セドリックのネガティブシンクを見守ってあげてください。


18話

 その日の夜。少しお話をしませんか、とシルビアは俺の部屋を訪ねてきた。

 

「突然どうした」

 

 ギルドホームの自室のベッドに腰掛け、作られたばかりの《サンセットブレード》の刀身を油と布で磨いていた――僅かだが耐久値が減少しにくくなる――俺は、突然の訪問者に対して当然のごとくそう聞き返した。

 

「まあ、質問と言うか、そんな感じの興味がありまして」

「興味?」

「前からずっと思っていたんです。あなた、いつも何を食べてます?」

 

 部屋の中へ歩いて入ってくると、シルビアは部屋を見渡して金属椅子を眺めた後、「やっぱりあの椅子は嫌ですね」と首を振り、俺のとなり(ベッド)に腰を下ろした。

 俺は少し腰を浮かして距離をとって座り直すと、食ってるものか、と思い返す。

 

「基本パンだな。これに関しては皆同じだろう」

「もちろん主食(きほん)はそうですけど、普通はみんなそれだけでなく、色々なメニューを頼むものです。ですが、あなたは素朴なパンだけをいつもかじってる」

 

 意外にも、踏み込んで問い質してきた。シルビアの性格的に、あまり人にあれこれ言うタイプではないだろうに。

 ここは騎士として素直に答えるべきだろう。しかし、本当の理由を言うことが憚られ、少しばかり冗談めかして笑うと、

 

「素朴なパンを食べることは別に構わんだろう。パン・ド・カンパーニュなど、田舎パンはシンプルだからこそ味わい深いぞ」

「ええ、私もカンパーニュ(それ)は好きです。ですが、いくらなんでも三食全部、ほとんど同じパンを食べるのは厳しいものがあります」

 

 アインクラッドではそういったパンのみで食事を済ませている俺は、少しだけばつが悪い。それもあるが、シルビアのこういう尋問するような口調も珍しい。なにか聞きたいことでもあるのだろうか。

 そう考え込んだ俺に対し、シルビアは僅かに姿勢を正して追求した。

 

「単刀直入に聞きます。貴方はどうして()()()食べないのですか?」

「どうして、と言われてもな。むしろ、どうしてお前はそこにこだわる?」

 

 決まっています、とシルビアは腕を組んだ。

 

「『食事にしましょう』とお店のテラスに座りますよね。そこで料理を注文すれば良いのに、貴方はわざわざパン屋へ行って、一番安いパンを買ってきて食べています。これで疑問を持つなという方が無理な話です」

「……そうだろうか」

「そうです。ファミレス(じょいふる)に入って、コンビニで買ったパンを食べるようなものです」

「……まあ、そう言われると確かに」

 

 変わっているというか、非常識というか。俺だって知り合いがそんなことをしたら止めるだろう。仮想世界という異世界で、しかも開放的なテラスであるから、あまり変だと感じなかったのだろうか。

 というか、現実世界のレストランの名前を普通に出したことに驚いた。あの店が全国にあるのかは知らないが、奇妙な親近感が沸く。

 

「お金に困っているというわけではないのでしょう? さっきなんて、あんな大金をポンと出しますし」

「まあ、ほぼ毎日前線で狩っているしな」

「なにか欲しいもののために貯めているとか、でもない?」

「そうだな。プレイヤーホームを買おうとも思わない。まあ、誰かさんがシェアしてくれるなら、喜んでご一緒するが」

 

 俺のあてつけるような言葉を聞いても、シルビアはにこにこと笑っている。気にしていないというよりは楽しそうにも見え、俺が意趣返しのつもりでからかうために言ったことがわかっているのだろう。

 まったく、どうしてこんなに生意気なのか。最近気付いたのだが、俺はどうにも彼女に子供扱いをされているような気がする。

 見た目から見れば、彼女の方が俺よりも年下のように見えるのだが。少なくとも俺に対して、こんな扱いをできるような年齢には思えない。

 聞いてみようかとも思ったことはあるが、女性に年齢を訪ねるのはネットゲームとか関係なしにマナー違反だ。やめておく。

 

「その時は一緒に住むよう声をかけてあげますよ。まあともかく、貯金をしているわけでもないんですね」

「ああ。昼間の剣の支払いを見てわかるかも知れんが、俺はむしろ金があると散財する方だ」

「なら、どうして食事にはお金を使わないんですか? 確かにアインクラッドの味つけには賛否ありますが、美味しいものは間違いなくありますよ?」

 

 ――おそらくではあるが。

 

「そうだな……まあ、あまり面白い話でもないんだが」

 

 ――彼女は、その理由に感づいているのではないだろうか。

 

「構いませんよ。貴方の事が知りたいんです、私は」

 

 それを聞き出そうとするのだから、むしろ俺は話すべきなのだろう。

 そもそも、「何を食べているか」という話題は、俺の本音を聞き出すための切っ掛けに過ぎなかったのかもしれない。

 

「ではまず、俺が自覚している結論を先に言おう。俺は()()()()()()()()()()

「……そうなのですか」

 

 やはり、多少なりとも予想はしていた答えだったのだろう。シルビアは驚くことはなかった。

 

「贅沢とは言っても、剣や盾の為に金を使うことは躊躇わない。それは攻略のために必要なことだからだ」

 

 そこで俺は自分の言葉に対して首を振り、

 

「いや……正確には、攻略のために必要だと()()()()()()()()()

「言い訳、ですか? 事実なのに?」

「事実だが、それでもだ。俺は――戦わなければならない」

 

 俺は握っている剣を眺めながら続ける。

 

「戦わなければ……?」 

「ああ。俺は、攻略のために剣を振るわなければならない。俺は、ここで生きている意味があったのだと。俺は、僅かでも有用な存在であったのだと。俺が生き残り、戦っていることは――弔いになるのだ、と」

 

 俺の言葉を聞きながら、シルビアがぎゅっと膝の上で拳を握ったのが見えた。

 

「それを、証明しなければならない」

 

 鞘を持ち上げ、ゆっくりと剣を納める。チン、と鍔が鳴る。

 

「――なるほど。だから、貴方は――」

 

 消え入るような呟き。俺はそれに気付きながらも続ける。

 

「こんなものは抽象的な表現だ。こんなデスゲームが起こっているのだし、他の奴等だって、同じような理由で戦っているやつはいるだろう。だが、結局はそんな月並みな思考が原因なのだと思う。だからこそ俺は、()()()()()()()()()という、攻略にはなんの関係もない行動に対して忌避感がある」

「美味しいものを食べて喜ぶことは――()()()()()()()()、ということですね」

「ああ。俺はそう考えてしまう。どうしても何かを食べている間、()()()()が、『今の俺を見たらどう思うのだろうか』と考えてしまうんだ」

 

 今だってそうだ。成り行きでパーティを組んでいるとはいえ。流れで決められたリーダーであるとはいえ。

 好みの女性二人とゲームをしているというこの現状を、幸運と感じ、満喫しているのだ、俺は。

 楽しいと感じているのだ、俺は。

 そうやって喜んでいる自分を、別に構わないだろうと認めている自分がいる。死んだ友を忘れて楽しんで良いのかと侮蔑している自分がいる。

 そして、その二つの感情に板挟みになり、自己嫌悪に苛まれていく。俺はまだ生きている。生きなければならない。戦わなければならない。苦しまなくてはならない。

 今すぐにでもフィールドへ出てこの剣を振るい、休息などする暇もなく、戦って苦しむ必要があるのではないか。

 レイとディアベルの意思を継いだのだ。ゲームのクリアに貢献すると誓ったのだ。

 俺が無意味になってしまうと、レイの死も、ソーヤの苦しみも、全て無意味になってしまう。

 

 そして。

 

 そうやって戦い、苦しむことこそが。

 

 ――そうした、無様な俺の姿こそが。

 

 ――俺のせいで死んでしまったあいつらが。

 

 ――俺を、()()()()()()()()()()()()()()()()、見たがっているものなのではないだろうか。

 

 我ながらネガティブにもほどがある。そう冗談を言って笑うことはできるだろう。

 だが、死んでしまったあいつらが、今の俺を見たらどう感じるのだろうか。

 あいつらは良い奴等だった。わかっているつもりだ。俺を恨んでいるかどうかなどわからない。

 だが、それでも罪悪感は常に付きまとっている。何をするにも、一人になって考えればあいつらが思い浮かぶ。際限なく沸き上がる吐き気と後悔に、懺悔をせずにはいられなくなる。

 すまない。俺はお前達を死なせてしまった。俺が動いていれば、死ななかった筈なのに。お前達を死なせてしまったのに、俺はまだこんなところでのうのうと生きてしまって――

 

「セドリック」

「――っ」

 

 シルビアの声が俺を引き戻してくれた。

 おもわずシルビアの顔を見る。心配そうな、何かに勘づいているような。そして、その何かがどのような類いのものかわかっているからこそ、安心させるように微笑んでくれる。

 

「……すまん」

 

 不安と自己嫌悪と罪悪感に苛まれている俺の事情を、彼女はなんとなく察しているのだろう。そして、なんとかしてくれようとしているのだろう。会って幾ばくも経っていない俺を気にかけてくれているのだ、彼女は。

 

 その程度の関係でしかない俺の罪悪感を、軽くしようとしてくれているのだ。

 

 ああ、泣きそうだ。本当に。だが、ここで涙を流すわけにはいかない。彼女に甘えてしまってはいけない。

 俺はきっと、()()()()()()()()()()のだ。こうして発作的に罪悪に苛まれ、苦しんでいなければ、俺は俺を許せなくなる。

 自己満足と謗られるだろう。悲劇の主人公を気取っていると笑われるだろう。

 だが、そんな無様だと自覚していても、それをせずにはいられないのだ。それをしていなければ、いつか俺は本当に罪悪感に殺される。

 だから、深呼吸をし、押し留める。無表情を作る。苦しみを出してはいけないのだ。きっとこれは、誰かに共有してはいけない類いのものなのだ。

 俺は、抱えて、背負って、精一杯戦い抜いて。

 

 ――そして、その上でいつか俺は。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 私は、苦しみ、悲しみ、その上で平静に戻っていく彼の表情を見ていた。どのようなことを考えているのかはわからない。

 けれど、彼が自分を律しようとしていることは痛いほど伝わってきた。

 私が為さねばならないことは、この頑固な青年を解きほぐすことだ。

 

「セドリック」

 

 私はもう一度声をかけた。彼の名前を呼ぶ。

 頑固で誠実な騎士の名を。

 

「私は、気の利いたことは言えません。詳しく聞き出すことも、きっとまだできない。だから」

 

 うつむいている彼の顔を、肩に手を置くことでこちらを向かせる。

 

「私は、貴方の傍にいます。貴方がどれだけ自身を悔やんで、恨んでいても。後悔のあまり、どんな行動を起こそうとも。私は貴方を軽蔑しません。もちろん、その行動が間違ったものだと感じたら止めますが、それに行き着いた貴方の考えを否定はしません。貴方は――」

 

 私はぐっと込み上げてくるものを抑えながら、

 

「――もう少し、楽になっても許される」

 

 その言葉に、セドリックは大きく目を見開いた。歯を食い縛り、感情の決壊に耐えているのがわかる。感情が大袈裟に表現されると言われる仮想世界で、これほど耐えられるということは、きっと彼は心の底から、涙を流すことはしまいと耐えているのだろう。

 

「なんで……」

 

 そんなセドリックが、絞り出すように呟く。

 

「なんでお前はそんなに、俺を……!」

「――放っておけないんです」

「俺は、お前に優しくされて――お前が、俺を気遣ってくれて……嬉しいと感じてしまっている。自分は許されてもいいのだと思ってしまいそうになる! 俺は、まだ!」

 

 ――何も、為せていないのに。

 

 泣きそうな声で、囁くような声で、彼はそう発した。

 背を丸め、頭を抱える彼は、普段見上げている彼とは比べ物にならないほどに小さく見えた。

 

「セドリック。私はきっと、残酷なことを貴方に強いているのでしょう。貴方の後悔がわからないわけではありません。そうした自己嫌悪に陥ってしまう理由も、想像はつきます」

 

 肩に添えている手を離さずに続ける。

 

「だからこそ、私はこうしていなければならない。()()()()()()()と言わなければならない。こうやって貴方を肯定する人間が、一人は居なければならないんです」

 

 そうでなければ。

 彼は、本当に自分を殺してしまう。

 

「……わかっている。お前は、全部わかっているんだろう」

「全部の理由を正確にはわかっていませんよ。もし、貴方が話してくれるなら――」

「――それは、駄目だ」

「……()()、ですか?」

「――ああ。()()だ」

 

 その言葉を聞いて安堵した。

 

「そうですか」

「ああ。いつか、お前に話すときは来るだろう。今でさえこんなになっているんだ。いつか……耐えられなくなる」

「その時には私を頼ってください」

「なんでだ……」

 

 セドリックは拳を強く握りしめながら聞いてきた。

 

「なぜ、お前はこんな俺を――」

「言いましたよ。放っておけないと」

「だから、なんで――っ!」

「じゃあ、そうですね……貴方が話してくれたとき、私も話をしましょう」

 

 セドリックは思いがけず、といった表情でこちらを見た。

 

「お前の、話?」

「こんな私が、《騎士》を志した理由です」

 

 私は笑いかけながら、

 

「あ、でもあんまり期待はしないように。大して長くもないし、面白くもない話です。それでも、何故私がこんなにも貴方のために動くのか。その理由(こたえ)にはなると思います」

「――あのな、俺はお前に興味を抱いているんだ。そんなお前の話が、つまらないはずがないだろう」

 

 セドリックは冗談めかして笑ってくれた。私は、その顔を見てほっとした。

 こんな、交換条件にもならない内容。自分の抱え込んでいるものを話すかわりに、私の面白くもない話をすると言っているのだ。彼にとっては不平等も良いところだ。

 でも、どんな理由をつけてもいい。どんな言い訳を利用したっていい。私の話を聞きたいという単純な理由になってもいい。

 彼は、一度全部誰かに話して、吐き出して。そのうえでしっかりと自分を肯定されることが必要なのだ。

 

「――よし。もう大丈夫だ」

 

 そう言って顔をあげたセドリックは、すでにいつもの冷静な表情に戻っていた。

 彼はいつもこのような表情で、時に皮肉げに笑い、時に闘志を燃やしている。

 おそらく、ではあるが。

 きっとこれは、()()()()()という仮面なのだろう。彼が思い描いて(ロールプレイをして)いる《セドリック》という名の騎士は、きっとこのように自制心の塊のような、実直な騎士なのだろう。

 その仮面の下にはきっと、名前も知らない()()()()の感情が覆い隠されているのではないだろうか。

 

 

 

 

 疲れていることは自覚していた。

 何か感付かれていることも、きっと気付いていた。

 だが俺はもう少し、スマートに生きている自信があった。しっかりと、実直な騎士を演じることが(ロールプレイ)できていると思っていた。

 

 なのに、こんなにも醜態をさらしてしまっている。

 

 俺はもう、とっくに彼女に甘えているのだと気付かされる。

 しっかりと俺を慮り、励まそうとしてくれる彼女の存在が心地よい。全てを吐露し、彼女にそれを聞き届けてもらい、それでも俺に同情してくれることを願っている。

 浅ましい。俺は、なんと浅ましいのだろう。

 

――結局は、すべて自己満足でしかないのに。

 

 ああ、まただ。

 馬鹿が。何度同じことを考えた? どれだけ自問した? 無意味だと。自己満足だと。それでもやりきれない思いがあるから、俺はこうして背負っているのだ。何度その無意味さを痛感し、自問したとしても、俺はこのまま変わることはない。

 背負うならば受け入れろ。言い訳をするな。俺がここまで下らない自己満足を続けてきたのは、それ以外に答えが無いからだ。

 何度迷えば気が済む。俺だってうんざりしている。数えきれないほど繰り返してきた自傷行為。

 俺はゆっくりと立ち上がる。シルビアはそんな俺を真剣な表情で見上げてくる。

 

「俺はきっと、もうすぐ折れる。耐えられずに。いや……もうすでに耐えるのがつらいんだ。救われたいと願っているんだ」

「誰もそれを咎めません」

「そうだな。それを咎めているのは俺自身だ」

 

 俺は左手に持っていた、鞘に納まった剣を腰に装備する。

 

「まあ、きっとその時は遠くない。だから――」

 

 俺はシルビアをまっすぐに見つめ返す。

 

「お前には、俺の傍にいてほしい」

 

 ぱちくり、とでも表現するのか。シルビアが驚きに目を瞬かせた。

 

「……そ、それは、もちろんですが……」

 

 視線をさ迷わせ、少しうつむく。

 

「な、なんだか、その言い回しは……ずるいです」

 

 うつむいているその顔は赤い。気取った台詞。告白めいた言葉。それがある程度の効果を発揮して、ほっとする自分がいた。

 下手をすれば、無表情で「嫌です」と答えられる可能性もあったのだ。それを踏まえると、彼女の反応は重畳だ。

 俺は言葉を重ねるかどうか迷った。ここで余計なことを言えば彼女が考えを変えてしまう可能性がある。

 故に、待つ。彼女が落ち着くのを。

 シルビアは手の甲を口元に当て、表情を隠した。しかし、紅潮しながらのその仕草はどこか扇情的で、俺は僅かに落ち着かない気分になってしまう。

 シルビアはごほん、と咳払いをすると、赤い顔のままこちらを見た。

 

「先程の言葉に嘘はありませんよ。私はあなたの傍にいます。貴方が道を踏み外しても、私は貴方を見捨てません。ですから、貴方も――私の目の届くところに居てください」

「ああ。その時が来たら、お前に救ってほしい。情けない話だが、俺はお前を求めてしまっている。お前に頼りきってしまっている。意識的か無意識かわからんがな」

 

 だから、と俺は跪く。ベッドに腰掛けているシルビアの前で。彼女が僅かに俺を見下ろす高さ。

 俺は右手を差し伸べ、静かに息を吸った。

 

「俺と共に居てくれ、シルビア。こんな短い付き合いだというのに――俺は、お前に惚れてしまっている」

   

 この気取った姿勢も、台詞も、《セドリック》だからできることだ。きっと現実の《俺》には、こんなことはできそうにない。

 

「……めっちゃストレートですね、あなたは」

 

 シルビアは流石に恥ずかしいようで、両手で口許をおおっている。

 

「そういうお前は随分と照れ屋のようだ。俺なんかに迫られて、そんなに顔を赤くするとは」

「仕方ないでしょう、慣れてないんですから。そもそも、そんな全力で好意を示してくる人、珍しいですよ……そもそも、そういうことを言うなら順番ってものがあるでしょう。こんな、鉄作りの武骨な部屋で――」

 

 小声でぶつぶつと呟くシルビア。確かに唐突すぎただろう。しかし、彼女の見目に、彼女の剣技に、彼女の気質に惚れ込んでいる自分がいる。

 たった数日。一週間も経っていないというのに、俺は、どうしようもなく彼女を欲している。

 彼女はきっと、俺を受け入れてくれるのではないかという予感がした。俺の全てを知っても、しっかりと向き合ってくれる人なのではないかと感じた。

 だから。こんな、崩れかけで、脆い俺を、支えてほしかった。

 

「構わないだろうか。俺は貴女を頼ることになる。その代わり、命を賭して貴女を守り抜くと、俺はここに誓おう」

 

 真剣な俺の言葉に、シルビアはとうとう耐えきれなくなったようだ。「あーもうっ!」っと声をあげ、自分の頬を手でぱしんと叩く。

 そのまま大きく息を吐き、表情を整えたあと、俺に眼を合わせて照れ笑いをした。

 

「そうまで言い寄られては、私も応えないわけにはいきません。貴方のために、私もできることをすると誓います。この世界で生きる、()()()()()()()()

 

 一言一句、同じ言葉。俺が気に入って使用していたフレーズを、彼女が使用したことに驚いた。

 ああ、本当に。

 お前は本当に、俺好みの女性(ひと)だ。

 彼女が差し出されている俺の手に、ガントレットを外した自分の右手を乗せるように置いた。細く、色白な小さな手。女性用アバターだからか、それとも彼女自身の肌を再現しているのか。俺の腕を構成しているポリゴンとは違うその華奢な右手。

 この手が、あの剣を握っているのだ。

 この手で、彼女はあの強さを振るっているのだ。

 そう思うと、愛しさを感じる。俺はその手の甲に口づけをした。

 

「わっ!?」

 

 当然ながら、シルビアは俺の奇行に驚いた。真っ赤な顔を隠そうともせずに声を荒げる。

 

「な、な、何するんですか!! いくら騎士(あなた)でも、やって良いことと悪いことがあります!」

「あ、ああ、すまん。つい……ロールプレイが行きすぎた」

 

 俺の苦しい言い訳を、シルビアは非難がましくむむむ、と睨んでいる。

 しかし、手を払い除けられてはいない。彼女の右手は、未だに俺の手の中にある。

 嫌がっているわけではない、のだろう。

 

「ああ、もう! まだ心臓ばくばくですよ、私!」

「なら、手を離した方が良いか? このままだと、俺はもう一度同じことをしかねん」

「うぐっ……」

 

 非常に悩ましげだ。嬉しいような悲しいような。

 

「――さい」

 

 小さくシルビアが呟いた。俺は聞き取れず、少しだけ首をかしげた。

 

「離さないで……ください」

「ああ、お前が望むなら。こうして握っている」

 

 俺はしっかりと握り込む。

 

「――っ」

 

 シルビアは少しだけ吐息を漏らした。

 それを聞いて顔を見る。

 

――なんだ?

 

 彼女の表情が、張り積めたものになっていた。

 

「――どうした?」

 

 心配になって声をかける俺の言葉も聞こえていないかのように、自分の握られている手を見つめている。

  

「……温かい」

 

 本当に、小さく呟かれた言葉。聞き取れたのは奇跡だった。

 

「シルビア?」 

「――温かい、ですね。貴方の手の温もりがわかる。わかります……」

 

 そう呟かれる言葉。たった今実感したかのように。忘れていたものを思い出したかのように。含みを感じられる言い方だった。

 

「本当に、温かさを――感じられます」

 

 彼女の声が震えている。緊張だろうか、そう考えた瞬間、彼女の頬に涙が溢れた。

 

「っ――」

 

 俺は息を飲んだ。泣いている。だが、その泣き顔は不謹慎にも美しいものだった。鉄枠の窓から差し込む月明かりが彼女を背後から照らし、涙を煌めかせている。長い黒髪を月光が彩っている。彼女が泣いているというのに、俺は彼女の泣いている姿に、わずかな時間見惚れてしまった。

 

「どうした……?」

「なんでも、ありません……」

 

 なんでもないはずがない。彼女だって、納得させられるとは思っていないだろう。

 だが、先程までの俺は、きっと同じ状態だっただろう。

 だから。

   

「……そうか。俺にできることはあるか?」

 

 俺は追求しない。出来る限りのことを、自分にできる範囲で気遣う。

 不躾に踏み込むのではなく、支える。

  

「――手を」

 

 シルビアはぐっと手を握ってきた。しがみつくように。

 

「私の手を、離さないでください。貴方の手を感じさせてください」

 

 そのすがりつくような言葉。先程とはうって変わったか細い声。震えている身体。

 何が彼女をそうさせるのだろう。

 何が彼女を追い込んでいるのだろう。

 彼女は、何を抱えているのだろう。

 

(不思議ではあった)

 

 彼女は、この《SAO》の中だというのに、とても真っ当に生きていた。自然体だった。自分のことを《騎士》とは言うが、たまに冗談めかして言うだけで、俺のように芯から演じている面は少ないように思った。

 おそらく、彼女は素なのだ。このMMORPGの世界で。このVRの世界で。自然体で生きているのだ。

 俺やディアベルのような《騎士》ではなく。

 キリトやアスナのような《剣士》ではなく。

 レイやソーヤのような《戦士》ではなく。

 リズベットやナグリーのような《鍛冶師》でもなく。

 彼女は、そのどれでもない。装備こそ《騎士》ではある。だが、その振る舞いは至って普通の《少女》のものだ。

 

(ロールプレイではない、素の自分……)

 

 なのだと、思う。珍しいことなのだ、VRのRPGとなれば。自分でキャラクターを作れるとなれば。少なからず、人は自分を、《自分の描く理想のキャラクター》として演じ始める。

 俺などは特に顕著だ。口調を変え、性格を変え、考え方を変えている。

 それを、彼女はしていないんだろう。

 

(そうか、だから――)

 

 だから楽だったのだ。

 だから彼女の前では素を出せたのだ。

 演じることのない、装うことのない彼女の言葉だからこそ。その存在に惹かれ、救われているのだ。

 

「――オレ、お前に会えてよかったよ」

 

 自然と、そう言葉が出ていた。

 シルビアは俺の言葉に、驚いて顔をあげた。俺は少しおどけたように笑った。

 

「こんな状況だろ? お互い、張り詰めていたものもあったんだと思う。今はオレも、お前に何があったのかは聞かない。けど、いつか、オレにもお前の話を聞かせてほしい。《騎士》を目指した理由だけじゃなく、たぶん、なにか抱えている()()()()を」

 

 びくっと身体を震わせる。

 

「……何も、面白くないですよ?」

「構わん」

「たぶん、引きますよ?」

「どうだろうな。お前に対して引くかどうかは、オレにもわからん」

「……でも、聞いて欲しいので、いつか、どこかで」

「ああ。それで頼むよ」

「言っておきますけど、ちゃんと貴方の話も聞かせてくださいね?」

「っと――そうだったな」

 

 自分でも忘れていたことに驚いた。数分前まではあんなに取り乱していた俺だというのに。

 シルビアを気遣うことばかりで、自分の事など考えもしなかった。

 あれほどまでにあった罪悪感を、少しの間だが忘れることが出来ていた。

 やはり。

 

「やっぱり、オレにはお前が必要だ」

「……たぶん、私も同じです。私も、貴方になら話しても良いんじゃないかと思ってしまう。貴方ならきっと、私を受け入れてくれるって」

「その信頼に応えられるよう、努力するよ」

「……ふふっ」

 

 唐突に微笑まれた。まだ涙も乾いていない、泣き笑いの顔で。

 

「貴方、やっぱり真面目ですね」

「……そうか?」

「そうです。きっと、今の貴方は《本当の貴方》なんでしょうけど……《セドリック》と同じ、真面目な人です」

「――ははっ、そうか」

 

 認められた気がした。信頼を得た気がした。

 彼女に、一歩近づけた気がした。好意をぶつけ、受け入れてくれた彼女への想いが、一層大きくなった気がした。

 

「それはよかった」

 

――つまり。俺は浮かれていたのだ。

 

 俺は、忘れていたのだ。

 だから、罰だったのかもしれない。

 翌日。俺のもとに、一通のメッセージが届いた。

 最悪な報せが書かれたメッセージが。

 

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