私は、ずっとセドリックを探し続けていた。
ゲームの中とはいえ、広大な仮想世界で一人の人間を探すというのは、並大抵のことではない。砂漠から一粒の砂金を、というのがあながち大袈裟とも思えないほどに。
それでも朝から晩まで動いている私に、情報屋を頼ってはどうか、とアスナから人を紹介されたこともあった。
《鼠のアルゴ》と呼ばれる彼女は、なんと最近セドリックと会ったようだった。
だが。
「教えることはできないヨ」
「どうして」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「誰にも言うな、って言われてるんダ」
「……彼の様子はどうでしたか」
ちょいちょいと指を手繰られる。私はコインを弾いて渡す。
「酷い顔してたヨ」
何をしていたか、今どこにいるのか、それを聞いても彼女は答えてくれなかった。
「情報が欲しけりゃコルを出すんだナ」
そう、法外な値段を突き付けて。
払えば何でも話そう。情報屋だから。《鼠のアルゴ》はそういう姿勢の商売だと聞いている。
でも、その値段を提示するということは、たぶん《鼠》自身話したくないのだろう。
口止めでもされているのか。
それとも、彼女自身になにか関係でもあるのか。
「……いいです。時間を取らせてすみません。感謝します」
気にするナ、とアルゴはにこやかに笑った。私の不躾な態度に腹を立ててはいないようだ。
もしくは、この余裕の無い
まあ、どちらでもいい。
ギルドへ戻ると、ちょうど出かけようとしていたらしいアスナがこちらに気付いた。
「シルビア」
「今からどこへ?」
「攻略会議。来てもらえると助かるかな」
「会議ですか。ふむ……」
どのみち後で情報共有はする。
しかし、共有する際の情報の正確さや、様々な視点からの意見など、人が多くて困ることはない。
「わかりました。このままついていきます」
私は快諾した。
準備をすることもない。装備は常に身に付けている。
アスナに連れ立って歩いていく。
「……どうだった?」
アスナが気遣うように聞いてくる。アルゴに会ったことに関して聞いているのはすぐにわかる。
ただ聞き方からして、私の態度を見てうまく行かなかったことも察しているのだろう。
私は肩をすくめた。
「お察しの通り、空振りです。ただ、
「知りたいこと?」
《鼠のアルゴ》は周到な情報屋だ。何をするにも
しかし、嫌いではない。
「彼女、サービスは良いようですね」
何故なら、アルゴは
彼はどこかの宿屋でうずくまっているわけではない。
心を折られ、剣を捨てても、虚無に生きているわけではない。
それは、私が一番知りたいことでもあった。
「彼は生きています」
ただ生存している、という意味ではなく。
「明確な意思をもって活動しています」
それが、なによりも救いだった。
私の言葉に、表情に、握った拳に。アスナは微笑んでうなずいた。
「そっか。よかった」
「はい」
「なら、こっちも《生きている》ってことを伝えなくちゃね」
「ええ、もちろんです」
――そう、彼は生きている。何かのために動いている。
それがどういう方向に向かっているものなのかは、私には知る由も無いけれど。
それでも、その情報は確かに私の救いとなった。
◇
「では、行こう」
団長がフロアボスに続く扉に手を添え、開く。
「諸君、健闘を期待する」
私は
その一般的な片手剣よりも一回り長い刀身。緩やかに切っ先の方へ湾曲した十字鍔。拳二つ分の柄。刀身に比例するように大きめの柄頭。
《片手半剣》カテゴリ。バスタードソードと呼ばれる剣。
銘を《サンセット・ブレード》。
夕暮れと名付けられ、セドリックが置いていった剣。私はこれを使っていくことを決めた。
重量はある。大振りな一振り。私の戦闘スタイルとは方向性の違う武器ではある。
だからこそ、この剣を使いこなせるようになることは、少しでも彼に近付くための手段となる。
「う――おぉぉっ!!」
剣を両手で握りながら腰だめに構え、私は先陣を切って駆け出す。
「――はぁっ!!」
獅子頭の獣人型フロアボスに対し、真っ先に斬り結んだのは私だった。
そんなフロアボス戦を終えた翌日。
「シルビア! 新聞見た?」
朝食をとっていた私のもとに、ご機嫌なアスナが「ジャーン!」とオブジェクト化された新聞を見せ付けてくる。可愛らしい人だ。
プレイヤーが発行している新聞は、最新の攻略情報が一面を飾る。話題性があるのはもちろんだが、各層にいる非戦闘プレイヤーに向けて、「攻略は順調に進んでいる」と希望を与えるためという側面もある。
もちろん、新聞というからには娯楽だ。
だからこそ、話題性のある事柄なら節操なく載せられるという欠点もあるのだが。
「ほら、これこれ」
アスナがちょんちょんと紙面を指さす。さてどんな内容かしら、と私はパンを咀嚼しながらそれを覗き込み、
『《血盟騎士団》の《閃光》アスナと並ぶ、《夕暮れの騎士》シルビア』
噎せた。
「なん――なん、ですか、これ」
咳き込みながらアスナを見る。
「えっとね」
アスナが新聞に目を通し、かいつまんで説明してくれる。
そもそも最前線の攻略組である《血盟騎士団》に、アスナ以外の女性プレイヤーが加わった、というのは以前から話題になっていたらしい。
最近ボス攻略にも参戦するようになり、しかもそのほとんどで見事な戦果を――他の人にはそう見えているんだろう――上げている。
更に最近は武器を変え、《片手半剣》と呼ばれる珍しいカテゴリの優美な長剣を使いこなすようになり、その騎士然とした勇姿のおかげで更に話題性と人気が上がっているとか。
だからこそ。
「『その剣の名前に因んで、彼女を《夕暮れの騎士》と呼ぶプレイヤーが増えている』だって」
私は頭を抱えた。
「シルビアは美人だからねー」
「――あなたに言われると嫌味に感じますね」
極めて整った顔のアスナに対しそんなことを言われ、皮肉を返す。正直、ちょっとだけ本心だ。
「でもまあ、確かにそれほど条件がそろっているのを聞くと、話題になる理由として充分なのはわかります。ええ、理屈としては理解できますとも。ただ――」
気に入らないのは、ひとつだけ。
「《夕暮れの騎士》なんていうネーミングはいただけませんね」
《夕暮れ》なんて言われたら、嫌でもあの時を思い出す。
セドリックが《サンセット・ブレード》を置いて姿を消したあの日を。
表情の曇った私に対して、アスナは努めて明るく振るまい、後ろから私の両肩に手を置いた。
「大丈夫大丈夫! これだけ話題になったら、セドリックさんも見てくれてるよ」
「……そうですね」
まあ、向こうが私の名前を見付けたとして、すぐさま駆けつけてくれる、なんてことはないだろうけど。
それでも。
意識の隅にでも、覚えておいてほしい。
いつか見つけ出して再開できたとき、私のことを忘れていないように。
そして、私も強くならなくてはいけない。
いつか再会したときに、何も言わずに去っていったことを責めず、怒らず、静かに傍にいられるように。
◇
そんな日々の中、アスナが私を呼び出した。
知り合いのプレイヤーが、セドリックのことを見たのだという。
「すぐに行きます」
思わず声に出しつつ返信し、待ち合わせの場所に向かう。
あれからセドリックの情報は無かった。今はどんな些細なことでも知りたい。
(……あ、いた)
カフェテラスの一角のテーブル。アスナの向かいに、一人のプレイヤーが座っている。
黒い。
そんな第一印象のプレイヤーだった。
黒尽くめのロングコートに、背中に背負った一本の黒い片手直剣。
(この人、見たことあるな)
フロアボス攻略戦において軒並みラストアタックボーナスを持っていき、《聖竜連合》によく文句を言われている、あの《黒の剣士》だ。
普段は顔を合わせることもないので気付かなかったが、存外に若い顔をしている。
――そういえば、ギルドで初めて話したときのセドリックも、真っ黒な鎧をしていたっけ。
《黒騎士》と呼ばれる所以となった彼の姿を思いだし、少し懐かしくなり、さみしくもなった。
「お待たせしました」
私はそのテーブルまでたどり着くと、二人に向けて会釈をする。
アスナは小さめに軽く手を振り、もう一人は頷いた。
私は背負っていた剣を外して机に立て掛け、椅子に座りながら自己紹介をする。
「はじめまして。《血盟騎士団》のシルビアです。貴方は確か――《キリト》でしたか」
私がそのプレイヤーの名前を聞くと、アスナが少し驚いた素振りで口を開く。
「知ってるの?」
「名前だけは、一応。セドリックがたまに話していました」
そこで私はキリトへと視線を移す。
「《夕暮れの騎士》様に知られてるとは光栄だな。俺も悪名高さが広まってるのかな」
飄々とした受け答え。私は件の呼び方をされて眉をひそめる。
だが、悪意あってのものでもないし、さほど気分は悪くならなかった。
「
私は微笑みながら軽くそう返す。やっぱり嫌な知られ方だ、とキリトは肩を竦めた。
ではさっそくですが、と私は話を切り出した。
「セドリックのことを知っていると聞きました」
「――ああ。三日前だったかな。あいつを見たよ。前に話したときよりも、随分と様変わりしてたけどな」
その形容のしかたに、私は首をかしげた。
「彼とは仲が良いのですか」
「仲が良い、って言っていいのかわかんないけど――あいつとは一層の頃からの知り合いだよ」
結構長い付き合いだよな、というキリトの問い掛けに対し、アスナは頷いた。
「あいつには助けられたこともあるし、助けたこともある。真面目で、堅苦しくて、だけど融通のきく、信頼できる騎士だと思ってるよ」
頷きながら評するその表情は柔らかい。《黒の剣士》は――もちろん予想はしていたが――噂ほどの悪人ではなさそうだ。
「――けど、あれはなんだろうな」
そんなキリトが、怪訝な顔で本題に入る。私は僅かに緊張し、手汗を拭うような動作をした。
「何かあったのですか」
腕を組み、考え込むように唸った。
「茅場のことを聞かれた」
「――茅場晶彦、のことですか? SAOとナーブギアを開発した」
「ああ、そうだ」
ピリッ、と。首筋に寒気が走ったような気がした。
「キリトは茅場晶彦のことに詳しいのですか」
「まあ……」
キリトは一瞬口ごもり、
「……基本的なプロフィールくらいは知ってるよ。でも、あいつは俺が詳しいかどうかというよりは、単に色んな奴に聞いて回ってるようだった」
「どういうことなんだろう……」
それを聞いてアスナが考え込む。
私は何も言わず、左手で右の手首をさすった。
「そのあと、彼はどこへ?」
「邪魔をした、って言ってまたどこかへ行ったよ。行き先は聞いてない」
「そうですか……」
結局、手掛かりは無しか。私は歯噛みする思いだった。
「特に心配なのが、だな……」
「ん?」
キリトの呟きに、アスナが反応する。
何か複雑なのか、キリトは言いあぐねている。
「セドリックの心配ですか? レベルや実力が足りずに身の危険がある、という意味ではなさそうですね」
「ああ、あいつの実力は知ってる。最前線でもソロで進むくらいはできるだろうさ」
そういうんじゃなくて、とキリトは手振りをしながら、
「あいつ、
アスナが息を呑み、私はぎゅっと拳を握りしめた。
「オレンジカーソル、ということですか」
「ああ」
「つまり――」
「ああ――プレイヤーを攻撃したことがある、ということになる」
アスナの呟きに、キリトは頷きながら引き継いだ。私は言葉も出ず、立て掛けていた剣の柄を握り締めた。
「ただ、もちろん悪事を働いたってことが決まったわけじゃない」
キリトは慌ててフォローに入る。
「カーソルがグリーンでも、相手が善良なプレイヤーじゃ無かった可能性もある。オレンジギルドの中にも、グリーンカーソルのままのプレイヤーを用意しておいて、攻撃させてオレンジにさせる手口もある」
可能性は色々考えられるから、必ずしもオレンジ=悪ということではない。
セドリックが進んで悪事を為すなんて考えられない。
けれど。
しっかりとそれを断言し、信じることができない自分がいることにも気付く。
お互いに信頼はあった。恋情もあった。一緒にいるだけで楽しかった。剣を交えればお互いを理解できた。
競い合い、想い合う、良きコンビだった。
けれど、もちろん知らないことだって多い。
私は彼のことを、本当の名前がなんなのかということすら知らないし、彼もそれは同じだ。
彼とは間違いなく相棒であり、このゲームの中で一番と言って良いほどに信頼しているパートナーだ。
だが、結局は、ゲームの中での関係でしかない。
もどかしさに、右の手首を庇うように握る。
「セドリックが、悪を為したと決まったわけではない」
私は確認するように呟き、
「けれど――彼が、悪を為している可能性もある、ということですね」
その可能性を、絞り出すように呟いた。
キリトは、真剣な表情で頷いた。
「……そうだ。俺だって、可能性は低いと思いたいけどな」
「そうだね……」
アスナが頷く。
「他に、なにか変わっていたことはありましたか」
「んー……」
キリトは頭を掻いた。
「……これは関係あるかどうかはわからないんだけどな」
「なんでも話してください。今のセドリックの事は全て知りたい」
私の言葉を受けて、わかった、とキリトは頷き、
「あいつがプレイヤーになんて呼ばれてるか、知ってるよな」
「《黒騎士》、ですか」
「そうだ――あいつ、また
私は、今度こそ衝撃を受けた。
「黒に、ですか」
「ああ」
私は激しくなる動悸を抑えるように深く呼吸をしながら、思考を続ける。
「……《血盟騎士団》で着ていた鎧は、捨てたのでしょうか」
その事実は、私にとってつらいものとして突き付けられた。
彼が着ていた、黒い鎧。
それは、彼が心を閉ざしていたことをそのまま表すかのような、周囲を拒絶する黒だった。
彼が《血盟騎士団》の白い鎧になり、私に心を開いてくれて、一緒に食事を楽しむようになり、共に肩を並べて戦うようになった
それら全てを否定されたような気持ちになり、痛む胸を抑える。
セドリックが黒い鎧に戻ったという事実は、彼がオレンジになっていたということよりも、ずっと私の心に刺さった。
もちろん、単に性能の良い装備に更新して色が変わっただけかもしれない。
それでも、《血盟騎士団》に所属していれば、セドリックはまた少し文句を言いながら色を塗装し、ぶつくさと表面上は不満げに白と赤の鎧を着ていただろう。
けれど、なんだかんだで彼はその過程を楽しんでいた。
けれど、それを今の彼がすることはない。
どうしてこんなにも、彼は苦しい道を歩むのだろう。
どうしてこんなにも、私はなにもしてあげられないのだろう。
どうして――
このゲームさえ無ければ、少なくとも誰も悲しむことはなかっただろうに。
「黒い姿って言うのは……まあ、俺が言えたことじゃないけど、あまり良い印象は持てない。シルビアさんも血盟騎士団のメンバーなら、《ラフコフ》は知ってるだろう」
「知識としてはあります。《ラフィン・コフィン》。殺人者の集まりの、《レッド》と呼ばれるギルド」
捨て置くわけにはいかないと、潜伏先を捜索し、討伐部隊を送り込むべきだという動きが強くなっている。現に、《聖竜連合》や《軍》は既に調査のために動いているとか。
「そうだ。あいつらも、全員が黒いポンチョを着用している。闇に紛れやすいとか、隠密性能が高いとかの理由もあるけど、黒のポンチョはやつらのトレードマークなんだ」
「だからセドリックも、やつらの一味だと思われたりすることもある、と?」
「そこまでは言わないけど、少なからずダーティーな人間だと思われるのは避けられないってこと」
キリトは両腕を広げてそう締めくくった。
「…………」
そこで私は、自分がうじうじと悩んでいることに気付いた。
私は一つ呼吸をし、意識を切り替える。
何をつまらないことで悩んでいるのだと、自分を叱咤する。
迷うな。
「……ありがとうございました」
私は立ち上がり、机に立て掛けておいた剣を握る。
「わからないことは多いですが、彼の現状を知ることができたのは前進です。少なくとも、彼を見たとき変化に驚かずに済む」
そうだ、思い出せ。私は決めていたじゃないか。
私は彼の味方でいると。
彼のこと全てを知らない。
けれど、それならまた彼と会ったあとに知ればいいだけのことだ。
世界中が彼の敵になろうと、私は彼の味方でいる。
単なる衝動だし、そんなことに意味はないかもしれないし、そもそも彼は望まないかもしれない。
「私は、セドリックを救いたいから」
けれど、彼の剣に気高さを見た。命を救われた。不器用ながらも真摯に戦う彼に惚れた。
なら、私は迷わない。
好きになった相手のために尽くすなんて、私はそんな出来の良い女ではないけれど。
例え、端から見て無様だと笑われても、それを貫き通すつもりだった。
――あの日が、遠く感じた。
キリトとアスナの二人と話し、決意を新たにした日から、そんなに時間が経っているわけでもない。決意は鈍っていないし、剣技だって磨きあげてきた。
彼に追い付き、追い越すことができるようにと、全力で自分を鍛えあげた。
だが。
ようやく巡り会えた彼には敵わなかったのだ。