ミーンミーン、とセミの求愛行動が響く真夏の頃。日本でも五指に入るほどの大財閥、久遠家の令嬢“久遠飛鳥”は屋敷を歩いていた。
『ミーン、ミンミンミーン!!!』
「うるさい!」
蝉に対して思わず一喝。そんなことをしてもしょうがないだろう、と見るものがみれば思うのだろうが、ピタリとそこで蝉の求愛行動が止まった。
まるで久遠飛鳥の言ったことを聞いたかのように。
「ふんっ」
その様子に先ほどの騒音より機嫌を悪くする。せっかく耳障りな音が聞こえたのにも関わらず、今度はそれに対してイラついている。
飛鳥は汗を拭いながら自室へと入る。勿論鍵を閉める。これは飛鳥にとっては最も大事なことと言っていいだろう。自身が部屋から出る際は必ず鍵を閉めている。
ベッドに身を投げ出すと、そのままその上でくつろぐ。疲れたような溜息を一つ。
――久遠飛鳥は不思議な能力を持っている――
中二病やら、妄想の類かと疑われるのだろうがそうではなく。これはれっきとした事実だ。
その力は、“口にしたことがその通りとなる”大まかに言うとこのような能力。まあ、かといって「お金よ、降ってきなさい!」などという妄言などはその能力を使っても実際に起きないのだから、その能力の内容が先程の通りそのまんまかと言われると首を横に振るしかないが。
だが、人物に、いや生物に対して発したその言葉はその通りになる。例を挙げれば「回れ!」と言えば、その言われた人物はたとえ恐竜の前でも無様にも回るだろう。そういう能力だ。つまり、自身の発した言葉に帰ってくる言葉は常に“イエス、はい、承知、了解、イエッサー!”などの返事となる。
――これほどつまらないことはないだろう――
だから、彼女は不機嫌なのだ。
「とうっ!」
そんな陽気な声が飛鳥の自室から聞こえた。そう、
「きゃっ!」
飛鳥も思わず悲鳴らしき可愛らしい声を上げてしまうのだが、その声の原因に気づくと呆れた溜息を吐いた。
「
「それはもちろん不法侵入っていうやつかな。こう、鍵穴に針金を……」
やれやれ、とでも言いたげな素振りをすると大理はさも当然のように。
前述は訂正しよう。子供という以前に手慣れた犯罪者のようだった。
なにが“もちろん”なのだろうか。しかもいくら許嫁とはいえ、相手は日本の大財閥のそれもご令嬢相手に。こんなことを告発でもされればこの少年も色々やばいだろう。
しかし、この少年はこの不法侵入で通算百回目だ。まさに新記録! とまあ、開き直っているようで、飛鳥もこの少年の行いがばれた際に庇うようなこともしている。そのおかげか、大理は許嫁という立場から降りずに済んでいる。
まあ、一番の理由はそれではなく久遠家の者が飛鳥に大理を、大理に飛鳥を押し付けていることがそうなのだが。なので、飛鳥が大理を庇う必要はほとんどと言っていいほどない。
「おめでとう、これで私の部屋への侵入百回目よ。記念としてどこをどうしてほしいのかしら?」
「ふむぅ。(ピー)を《自主規制》してほしいといったら?」
「なっ!?」
顏を真っ赤にする飛鳥。
それを見て「ははは! 冗談じょうだん」と笑っている大理。
何を言ったかはご想像に任せるとしよう。
「あ、あなた、何を言ってっ!?」
コンコン、と扉がノックされた。どうやらこの屋敷の侍女のようだ。鍵が閉まっているので、ノックからの入室はできない。その鍵の原因は大理なのだが、まあそこはいいとしよう。
「お嬢様、お飲み物をお持ちしました」
飛鳥はそこでようやく落ち着きを取り戻した。侍女へと少し待っていて欲しい旨を伝えるとその瞬間、大理を睨むのだがその睨まれた本人はというと何かを差し出している。
それは封書のようで、『久遠飛鳥様へ』と書かれている。
「これは?」
「恋文と言ったら?」
沈黙が流れる。
「……本当は?」
「飛鳥の部屋に置いてあったんだよ。俺が
え? と困惑の声を漏らす飛鳥。大理が自分に向かって嘘を吐くことをないと知っているのでその反応も当たり前だ。それは、飛鳥の能力とは関係ないところなのだが、それはまた後にしよう。
飛鳥はちょうど侍女も扉の向こうにいるということで確認を取ることにしたようだ。
「貴女、つかぬことを聞くのだけれど、この部屋に誰か入ったかしら? それも私がいない間に」
「いえ、鍵は飛鳥様以外持っておりませんのでその筈は。大理様ですか?」
この通り、大理の奇行は屋敷中に知れ渡っているようで、『久遠飛鳥の部屋に無断で入る=藍里大理』となっているようだ。
「いいえ、なんでもないわ。下がってくれて結構よ」
かしこまりました、と扉の向こうから聞こえる。一礼をして去って行ったのだろう。
侍女の去っていく足音が聞こえなくなると、手紙を開くことにしたようだ。
「それ、開けるのかい?」
「ええ。密室殺人ならぬ密告投書をしてくるなんて、あなた以外からは受け取ったことなんてないもの」
それに……、と付け足す。
「――面白そうじゃない?」
それはとても可愛らしい年相応の笑みで、大理もそれにつられて笑みを浮かべる。
ただ、何か自分にとって嫌な予感がしたからなのか、今現在自分にとって最も近くに居て失いたくないものを掴むことにした。
そう、飛鳥を。
具体的に言えば飛鳥を背面から抱きしめた。
「えっ、え、大理?」
慌てふためく飛鳥だが、その時は既に封書を開けており、その中身が目に入った。そこには、
『悩み多し異才を持つ少年少女に告げる。
その
己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、
我らの“箱庭”に来られたし』
それを見た時、飛鳥の全身に鳥肌が走った。
楽しそうな内容の手紙を見たことからの狂喜からか。
――否!
己の家族を――
(大理が……!)
己の友人を――
(大理が私から……!)
己の世界を――
(大理が私の前から居なくなっちゃう!)
それは、自分に人間という名の人形を取り上げてくれた人物!
それは、自分のことを政治の道具ではなく、家族として、友人として接してくれた人物!
それは、自分の世界を色づかせてくれた大切な存在!
それが居なくなってしまうのではないかという恐怖からだった。
しかし、その恐怖はすぐに靄となって消え去って行った。
“大丈夫”と、ただその一言が自分の後ろの温もりから伝わってきて、そして、それだけで体が内側から。いや、心が温かくなっていった。
「さあ、一緒に行こう。俺は傍にいるから、離れたりしないから」
……ええ!、と力強い返事と共にその世界から“久遠飛鳥”と“藍里大理”の二人の姿が消えた。
それが、二人の物語が始まった瞬間だった。
互いが互いに依存しているのかもしれない。しかし、その理由は圧倒的なまでの相手への想いから。ならばいいじゃないかと突き進む二人の物語が。
飛鳥ちゃんをヒロインにしたい!→絶対にころっと惚れたりしないよなぁ→大切な許嫁にしちゃえば!?
という至高の思考(謎)からできた作品。