当麻は目の前の女性に初めて戦慄を覚えていた。
黒沢雪。彼が所属する学校の教師で社会科を担当する新人教諭。小萌先生が大ハリキリで教師の仕事を教えていた。
授業風景は至ってまじめで、うちのクラスのバカ騒ぎに慌てふためく姿がよく見受けられ、まだまだ教師としては半人前だと小萌先生に苦笑いをされている。
そんな……どこにでもいる普通の若手教師。
だが、当麻は彼女のもう一つの顔を知っていた。
余裕綽々と笑いながら、彼女の夫である黒衣の青年と共に夜をかける騎士。
神速の体術と、亜光速に到達する光速移動。そして、紅蓮の軌跡を残す圧倒的剣技。
それらを駆使し、自分に降りかかる火の粉をことごとく切り払う最強の《騎士》。
どちらが本当の顔かなんて当麻は知らないし、わざわざ聞く必要もないと思っている。
彼女はどちらも一生懸命にし、どちらの顔も楽しげに笑い、充実した表情を浮かべて取り組んでいる。なら、それに関して他人である上条当麻がとやかく問いただすのは、何かが違うだろうと彼自身も理解していたからだ。
だが、今は別だ。
「――雪、さん」
今の雪の姿を見て、当麻は思わず戦慄を覚える。
これほど純粋な怒りを放つ人間を、上条当麻は見たことがなかった。
…†…†…………†…†…
「錬、上条君。その子の応急処置が終わったら、あなたたちは先に帰りなさい。姫神さんも連れてね」
それだけ言って雪は、当麻達の眼前から姿を消した。それは、一応自分の教え子である当麻達に、自分の殺し合いの戦闘を見せたくないという心使いから来たものだったのかもしれない。
まだ大人の庇護を受けるべき年齢である上条たちを、これ以上こんな異質な戦いの舞台に置いておくのは、教師としてのプライドが許さなかったからかもしれない。
だが、それでも、
「……ふ、ふざけんな!」
当麻は止まることを良しとはしなかった。
「錬、もし万が一このまま俺達が帰ったとして、このまま俺たちがこの事件を、姫神を連れ帰るだけで終えたとして、そのあといったいどうなる?」
「どうなるも何も……」
そんな当麻の質問を予想していたのか、姫神の手を借りながらなんとか広苑の止血処理を終えた錬はいささか呆れたような表情をしながらも、正しくこたえる。
「三沢塾は今日で閉鎖。明日の朝刊には何者かによってばらばらに刻まれた、身元不明の変死体が一つ、この塾の近くで見つかったって記事が載るだけだよ」
そんな冷静すぎる声音で発せられた錬の答えに、姫神は小さく息を飲んだ。
そう……。姫神が、まるでそんなこと望んでいたなかったといわんばかりに、息をのんだのだ。
当麻は長年厄介ごとやら事件やらに巻き込まれたおかげで、そういった感情には敏感だった。
姫神は決して、アウレオルスに死んでほしいと思っていたわけではないのだ。
ただ、たった一人の少女を救うと、何十何百の人間を犠牲にしていく彼を、止めたかっただけ。
自分を助けてくれたヒーローに、誰も犠牲にせず、誰かを傷つけたりしないで、助けたその少女に、純粋に微笑みかけてもらえるような、そんなヒーローにしてあげたかっただけなのだ。
だが、今の雪はそれだけでは止まらないだろう。
それほどの尋常じゃない殺気を、先ほどの雪は放っていた。
大切な生徒が、目の前でみすみす傷つけられ――瀕死の重傷を負ったのだ。
助けに来た少女を、助けることができなかったのだ。
それ故に、雪はもう止まらない。たとえアウレオルスがどれだけの事情と犠牲を重ねて、今の場所に立っているのだとしても、今の彼女には関係ない。
彼女はただ、自分の生徒を犠牲にした愚か者に鉄槌を下しに行っただけなのだから。
「そんなこと……認められるわけないだろっ!!」
だからこそ、当麻は声を大にして叫んだ。
両方とも、ただ譲れないもののために戦っただけだ。ただ、守りたいもののために戦うだけだ。そんな二人が殺し合い、奪い合い、戦いあって……どちらかが死んでも、決して誰も幸せにはなりはしない。
「止めるぞ、錬。このくだらねぇ戦いを!」
「君ならそういうと思っていたよ……」
まったく、相変わらず僕に苦労ばかり掛けるやつだ。雪姉さん相手どるなんて死んだも同然だよ? と、当麻にそう言われた錬は小さく苦笑を浮かべ、肩をすくめたあと、
「だけど、その答えは僕の期待通りだよ」
その瞳に、いつもの光を宿す。
当麻とともに事件を解決するときに見せる光――決してハッピーエンドをあきらめない、不屈の光だ。
そして、彼はいつものように当麻とは違う優秀すぎる頭脳を駆使して、
「さて、まずは錬金術師のほうからどうにかしようか?」
上条当麻が目指すハッピーエンドへの道筋を、考え出した。
…†…†…………†…†…
「雪姉さんを止めるという手段もあるにはあるけど、はっきり言ってこちらはかなり成功率が低い。今の雪姉さんは僕らに気を使えるようなメンタル状況じゃないだろうしね。本気でやりあうとなると、僕も当麻もろくに姉さんの速度に追いつけなくて叩き潰される」
――それならまだ、錬金術師のほうが御しやすい。と、錬は考えながら、身体能力制御を起動。姫神を背負いながら、それなりに足の速い当麻の横を軽々と並走していた。
「それに、雪姉さんは頭に血が上っていたせいか、錬金術師の居場所を聞いて行かなかった。対するこっちは、姫神さんのナビゲートがあるから、雪姉さんよりも早く錬金術師にたどり着ける可能性が高い」
「それはいったいどれくらいの確立なんだ?」
「6……いや5割行ったらいいところかな?」
たとえ知識の利があったとしても、どれだけ姫神が三沢塾の構造に詳しくても、それでもなお半分の確立で自分たちは間に合わないと錬は告げる。
それだけ、速度におけるステージでは、騎士という存在は規格外な存在だった。
錬たちが必死にショートカットをする傍らで、雪は悠々と塾を三周できる。《虱潰し》方針でも十分、錬たちより先にアウレオルスを見つけることができるだろう。
「だから当麻、これは時間との勝負だ。余計な寄り道をしている暇はないからね」
「わかってる! 姫神、次どっちだ!」
「そ、その角を左に曲がって!」
錬の背中に背負われながらも、姫神は必死にアウレオルスがいる塾長室への道を錬たちに教える。
事の重大性は錬と当麻の会話から十分に理解しているのか、その声は非常にせっぱつまっていた。
「大丈夫? 姫神さん?」
だからこそ、そんな彼女の様子に気づいていた錬は気遣うようにそう尋ねた。
――彼女としても、まさかこんな非常事態になるとは思っていなかったはずだし、アウレオルスを倒してほしいと言ってはいたが、それもアウレオルスのことを思ってのことだ。心の底から嫌っているわけではない。むしろ、助けられた恩がある分アウレオルスのことを、憎からず思っているはずだ。
そんな彼が殺されるといわれ彼女も平穏ではいられないだろう。
だが、姫神は気丈に答えを紡いだ。
「大……丈夫。私がまいた種だから。私がちゃんと……」
何とかしないと。そうつぶやいた姫神の声は、錬の耳に届いていた。
だからこそ、
――雪姉さん。ごめん。
錬は心の中で雪に謝罪し、
「負けないよ」
この少女を泣かせないためにも、錬は自分が知る限り最強として君臨する人物に対して、宣戦布告を告げる。
だが、その時だった。
「憤然! 右足がろくに動かん!! それになんだこの材料どもは! 材料のくせに足を引っ張るな人形風情が!! ははっ! それは私も同じかっ!!」
まるで狂ったような怒号を上げつつ、錬たちの眼前に一人の男が現れた。
「っ!?」
当麻はその姿を見て思わず停止し、錬は鋭い瞳を向け腰に下げていたサバイバルナイフに手をかけ、姫神を背中からおろす。
その男は、真っ白なスーツを着た緑色の髪をした、すらりとした長身の男。だが、その男の姿が問題だった。
「なんだ……」
「よくあの状態で生きている……いや、たぶん生きているうんぬん以前の問題なのかな?」
錬がそう評した男は、まるで巨大な炎の剣に焼かれでもしたかのように、右肩から左わき腹にかけて真っ黒焦げになった斬撃による傷が走り、歩いている間に千切れでもしたのか、右足は存在しておらず、黄金の義足を無理やりくっつけて歩いているような状態だった。
こんな状態で生きていられる人間はいない。
必然的に、錬はこの男が人間とは違う何かだと結論付ける。
そして、
「おい……お前?」
「ん? なんだっ、侵入者!」
彼の右手には、明らかに意識を失っていると思われる学生たちが数人引きずられていた。それを見た当麻は思わず声を上ずらせながら、問いを発した。
「そいつら、どうするつもりだ」
「ははっ! また貴様も私を害すのだな! 下らん! 必然……材料は材料にするに決まっている!!」
そういって、錬金術師は信じられない膂力を持って学生たちを当麻達に投げつけ、
「
男の着ていた純白のスーツの袖口から、黄金の閃光が飛び出し生徒たちを貫く。そして、
「「っ!?」」
光に貫かれた生徒たちが、煮えたぎる黄金の雨となり、当麻達へと降り注いだ!!
…†…†…………†…†…
「ふはははは! 厳然! 何が使えぬだあのルーンの魔術師が! 私が偽物!? 断じてない!!」
――ありえないありえないありえないありえない! 私は侵入者に勝ったぞ? 私はやはり負けなかったぞ! ゆえに最強……私は本物のアウレオルス=イザードに他ならない!!
狂った心で必死に自分の存在を強化するアウレオルス=ダミー。そう、彼はアウレオルスの錬金術によって作られた、人形だった。
アウレオルスの思考をし、アウレオルスの代わりをし、外敵を排除するためのオートマトン。
だがしかし、術式の関係所それを知らされていなかった彼は、今までずっと彼自身が本物のアウレオルス=イザードだと勘違いしていた。
だが、それを数時間前に出会った炎を操るルーンの魔術師にへし折られた。
自身の存在が、根こそぎ否定された。
それによって彼は揺らぐ。自分自身の存在が揺らぐ。それによって、体がまるでノイズでも走ったかのようにかすんだのを、彼は確かに観測してしまった。
――うそだうそだうそだうそだ! 目の錯覚だ! そうに違いない! 私が偽物など、ありえない。あってはならない!!
必死にそう言い訳し、何とか戦果を挙げることで自我を取り戻し始めたアウレオルス。だが、
「何してんだよ」
「っ!?」
黄金の雨に包まれ、煮えたぎる黄金が床や壁を焼いた証である、煙が立ち込めた廊下から聞こえてはならない声が聞こえた。
「僕たちは急いでいるんだ」
その時、アウレオルス=ダミーは気づいた。
――この煙。熱くない!?
物を焼いたとき特有の熱気を、廊下に立ち込める煙からは感じられなかった。
「悄然――ではいったいこの煙はなんだというのだ!?」
「黙っててくれないかな?」
煙の向こうの声がそう言った瞬間、廊下の中を突風が吹き荒れ、廊下の煙を薙ぎ払い蹴散らす。
「1分だよ。相手をしてあげる」
そこには、煮えたぎる液体と化していた黄金が、完全に冷やし切られ固体化し、まるで巨大な黄金の壁のように佇んでいた。
その奥に立つのは、黒目黒髪のどこにでもいる平凡なビジュアルの少年。
だが、
「当麻達に任せろって言った以上。さっきの生徒たちを犠牲にした分の罪は、きっちり支払ってもらうけどね」
瞳の奥に、すべてを貫く刃のような鋭い怒りを宿した少年だった。