上条当麻は突如として自分の身の上に起った異常事態に首をかしげていた。
バスに乗っている。それはいい。ちょっと贅沢して帰宅にバス使いたくなることなんてよくあることだ。
だが、自身がいる時刻と、そのバスが走っている場所が問題だった。
「……」
乗っているバスの路線を確認する限り、自分の学生寮がある場所にはかすりもしない。ひとつ前の駅が《第七学区・三沢塾》という記載がされているのも確認したので、それは絶対間違いない。
ついで、時刻はもうすぐ深夜と言われかねない時間。正直遊び歩きでもしない限り、当麻が帰宅する時間とは思えないほど遅い。
だというのに、今の当麻にはそのバスに乗る以前の遊び歩いている記憶が一切なかった。
「記憶喪失か? おいおい、ちょっとそれ笑えないぞ……」
学園都市ではそういった脳の病気の研究も進んでいるため、記憶喪失に関する学問もそれなりに進化している。
そしてその研究によってわかったことは、記憶喪失なんてものは理由の大抵が、ろくでもないことばかりだということだ。
「はぁ、これは本気で病院行った方がいいのかもな……」
といって、自分の頭を心配するかのようにカリカリと右手でかく当麻。その時、
「っ!?」
ガラスが砕けるようないつものおとともに、今日の出来事をすべて思い出した。
「なっ……。くそっ!? やられた!!」
戦場となった三沢塾。叩き潰された甲冑の騎士。友人に任せた偽物の錬金術師。
そして、救おうとした錬金術師に裏切り者と断じられ、とらえられてしまった姫神秋沙!!
「あれから何時間たった!!」
思わずそう怒声を上げながら、当麻は慌てて降車ボタンを押しバスが止まった瞬間飛び降り、三沢塾に向かって逆走していく。
「はやくっ! はやくっ!!」
――早く戻らないと!! と、焦ったようにつぶやきながら、道の疾走を続ける当麻。
だが、その時彼は気づいた。
――人が少なすぎる!?
まるでステイルの人祓いのルーンでも用いられたかのように、まったく人の気配を感じない三沢塾周囲。
その異常な光景に、思わずあたりを見廻した当麻は、そこで学園都市ではまず見ない異質な存在を見つけた。
それは、先ほど三沢塾でたたきつぶされていた甲冑の騎士と同じものを着込んだ、一人のナイト。
「おい、あんた!!」
その姿いでたちから、きっとあの甲冑の騎士と同じアウレオルスと敵対する勢力だと判断した当麻は、慌てて彼に駆け寄り話を聞こうとした。
バカみたいに記憶を飛ばされてしまった後に、何か状況に変化があったかもしれないからだ。
だが、
「教会の人間か!?」
「――私はローマ正教13騎士団の一人、『ランスロット』のビットリオ=カゼラである」
その騎士は億劫そうに、そう答えた後、
「ふん。戦場から偶然に帰還した一般人か? 貴様がかの砦から出てくるところは確認している。全く運がいい。死にたくなければ即刻退避せよ」
――何言ってんだこいつ? 当麻はそう思い首をかしげる。そんな当麻にため息をつきながら、
「我々とて無駄な殺戮は控えたいといっている。グレゴリオの聖歌隊にて聖呪爆撃を行うにしても、無駄に被害を拡大させる必要もないと判断したのである」
「っ!? それって!?」
――爆撃。それも、あの当麻に襲い掛かってきたいかれた光のオリジナルを使った攻撃だと!?
当麻の心が思わず冷や汗を流す。
だってそれは……その攻撃は、
「ザケンじゃねェ!? あの中には一体どれだけの無関係な生徒がいると思ってやがるっ!!」
自分の友人諸共、ただ操られていただけの学生すら、皆殺しにしかねない攻撃だったからだ。
…†…†…………†…†…
突然告げられた絶望的危機状況に、錬は慌てた様子で塾の内部を走り続けていた。
――Iブレインが告げる警告は頭上から。高高度からの爆撃系の魔法か何かなの!? と、魔法の種類を推察しながら、それから必死に逃れようと、錬は
「くそっ! あの鎧の人たち何考えているのさっ!」
Iブレインが告げる【危険度・大】は、本人が生命の危機にあることを表す。
だが、このビルは文字通り魔術によって固められた要塞だ。
攻撃の使用者と思われる騎士たちは塾の外。そこから放たれる攻撃では、断じてその危険度をたたき出すことはできない。
つまり、
「このビルごとアウレオルスを殺すつもりなんだ!」
なんというでたらめ。なんという狂信。
この塾にはまだ巻き込まれただけの生徒が数千人近くいるというのに、そんなものはすべて無視して自分の外敵を倒すためだけに、あの騎士たちはそのほとんどを巻き込むことに決めた。
そんな彼らの判断に、得体のしれない寒気を感じながらも錬は走る。
すれ違う生徒には必死に逃げろと叫びながら、それでもコインの表にいる彼らには届かず、悔しそうに歯噛みをしながら逃げていく錬。
「くそっ、くそっ、くそっ、クソッ!!」
怒声交じりの悪態をつきながら、錬はようやく北棟につながる連絡橋へとたどり着き、
「ちくしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
結局誰も助けられなかった、自分の無能さに絶叫しながら、その連絡橋に転がり込んだ。
そして、その瞬間、錬の背後が莫大な光につつみこまれ轟音を立てながら崩れていく。
甲冑の騎士たちの攻撃が直撃し、三沢塾の崩壊が始まったのだ。
「僕は……なにもできなかった」
そんなあまりに悲惨な災害の光景に、誰一人救えなかった自分を罵る錬。
だが、その時だった。
【高密度魔力反応を感知】
「っ!?」
Iブレインが再び告げたその情報に、錬は目を見開き、
「ははっ……。冗談だろう?」
どこかほっと安心したような……だが、やはり隠し切れない戦慄が含まれた声で、錬は笑う。
まるでビデオの巻き戻しか何かのように、あっさりと崩落した状態から元に戻っていく三沢塾を見て、錬は小さくつぶやいた。
「こんなことができるやつに、いったいどうやって勝てっていうんだよ!?」
数秒後には、塾は元の姿と静けさを取り戻し、何事もなかったかのように普段通りの生活を再開する。
その日常を取り戻したすべての功績が、錬の敵である錬金術師――アウレオルス=イザードの力によって、手にしたものだった。
…†…†…………†…†…
そのころ、再侵入した三沢塾内で何とか再会を果たしたステイルと当麻。当麻はそのステイルの言動から、かれも自分と同じように記憶が消されていることを確認し、
「ちょっと、記憶を思い出すおまじないしてやるから、目を閉じて舌をベーって出してみな?」
「日本のまじないの専門は神裂だが……」
そういって、珍しく従順に舌を出して目を閉じたステイルに、
「祝☆よくも人をおとりにして逃げやがったな記念!!」
「っ!?」
素早くその顎をアッパーカットし、ステイルに盛大に舌をかませていた。
…†…†…………†…†…
アウレオルスは、目の前の机に眠らせた真っ白なシスター――インデックスを見つめながら、優しい笑みを浮かべて、彼女の顔にかかった髪をすき整えていく。
――やっとだ。彼の心の中には万感の思いが満ち溢れ、ようやく自分の悲願を達成できるこの瞬間が来たことに笑みを浮かべる。
「これで君を……あの地獄のような
すべての始まりは、イギリス清教から逃げていた彼女を保護した時だった。
魔術に対してたぐいまれなる造形を持っていた彼女を、天才といわれ若干人生に退屈していたアウレオルスはすぐに好きになった。
なぜなら、彼は天才だったからだ。
誰もついてこれないほどの天才。学友も同期も肉親すらも、彼が次々と生み出す錬金術や隠秘記録官としての仕事についてこられず、彼は常にたった一人……魔女の脅威から多くの人々を守るという自分の信念に従い、魔道書を刻み続けた。
だが、彼であってもさびしくないわけではなかった。孤独を感じないわけでもなかったのだ。
だからこそ、不意に現れた彼女の存在はアウレオルスにとっての救いになった。
魔術に対する造詣が深く、アウレオルスが何をしているのか正確に理解してくれ、その生涯の目標を「素敵なことだね!」といって、無邪気に笑ってくれた少女は……。
だが、運命は残酷だった。
『彼女は、この一年間の記憶を消さないと生きていけない存在だ』
彼にその絶望的事実を教えたのは、彼が対峙し彼が負けた、イギリス清教のとある魔術師だった。
その男は、アウレオルスがインデックスを救うための数年のうちに、魔女狩りの仕事に失敗し命を落としたそうだが、そんな事実が信じられないほどその男は強かった。
聖人に比肩しうる魔術師。彼は確かそう呼ばれていたはずだ。
だが、そんな魔術師であっても、インデックスの絶望を払いのけることはできなかった。
『貴様が救うだと? やって見せろ……あの子と、我々
あの時の男の怒声を、アウレオルスは今でもよく覚えている。
それでも、何とかできると思っていたのだ。
天才とうたわれた頭脳を駆使し、ありとあらゆる錬金術を使い、アルスマグナさえ到達しかけた技術すらつぎ込み、彼は必死に運命に抗い、
『時間だ骨董屋。お前は失敗したんだよ』
敗北した。
何一つ絶望的な現実を変えることができなかった。
倒れ伏し苦しむインデックスに、彼は何もしてやれなかった。
目の前で泣きながら、男がインデックスの記憶を殺しつくすのを見ることしかできなかったアウレオルスは、最後に魔方陣の中央でインデックスがわずかに目を開いたのを確認したとき、情けなく、声を上げて謝罪した。
そんな彼の言葉に、インデックスは笑い、
『ごめんね……』
小さく謝った。
『さようなら……アウレオルス先生』
そこから先は何も覚えていない。
ただ、気が付いた時には彼はローマ正教の十字架を地面にたたきつけていた。
――この世界に神なんかいない。彼ははっきりとそれを悟った。だからこそ、彼はすべてを捨て去り、彼女のために生涯をささげることを誓う。
『まっていてくれ、インデックス』
――必ず君のその絶望を、払いのけて見せるから……。
そして、その決意がようやく、
「実る……実るんだインデックス!!」
たった一年すら持たない記憶も、忘れ続けることしかできなかった友の記憶も、彼女はようやく失わずに過ごすことができるようになる。
「その時君は、私に笑いかけてくれるかい?」
そうつぶやいたアウレオルスに、
「無理よ……」
一つの声がぶつかった。
その声を聴き、アウレオルスは胡乱げな視線を声の主に向けた。
頑強な鉄格子の檻に捕らえられた黒髪の巫女――姫神秋沙。彼女はアウレオルスに泣きそうな顔を向けながら、必死になって話しかけていた。
「こんなことをしても、その子が自分のために、あなたがこんなことをしたんだと知れば、その子は決して喜ばない。罪の意識にさいなまれて、自分自身の生存すら認められなくなる!」
「当然。そんなことは分かっている。彼女は優しい子だ。だが、ならば彼女にその事実を知らせなければいい。知らなければ彼女は傷つかない」
「そんなの、いつまでも隠し通せるわけがない! いつかきっとばれる」
「その時はこの力を使えばいい!!」
そう言ってアウレオルスは袖口から医療用の鍼を取出し、自身の首に突き刺した。
「口を閉じろ!!」
「っ!?」
突如として自分に襲い掛かった圧迫に、悲鳴すら上げられず口を封じられる姫神。
「インデックスの笑顔に、インデックスの幸せに不必要なものはすべてこの力で払いのける! そのための数年だ! そのための研鑽だ!! 万が一彼女が知ってしまったときは、その記憶を消すことすらいとわん!!」
そう叫んだアウレオルスは、必死に口を開こうとする姫神を見下ろし、
「貴様は……わかってくれていると思っていたが。アイサ」
その言葉とともに、思うところでもあったのか術を解き彼女の口の自由を取り戻させたアウレオルス。
そして姫神は、何とか開いた口で荒い息をつきながら、それでもまだアウレオルスを見つめ、
「そんなこと、許されるわけがない。記憶を失って苦しんでいた少女の記憶を、せっかく奪わずに済んだっていうのに、それをまた繰り返すなんて!!」
「言いたい妄言はそれで全部かアイサ?」
――それでは私の心には響かん。そう告げたアウレオルスは、自身の首に針を突き刺し、
「あの時私は決めたのだ。何憶何千の犠牲を払おうと、必ず彼女に、ずっと幸せな笑顔を浮かべさせてあげられる世界を作ると!!」
決別した仲間に、告げる。
「眠れ、アイサ」
「!?」
そして、その言葉を聞いた姫神は必死に何か言おうとして失敗し、その瞳を閉じて倒れ伏す。
アウレオルスのたたずむ部屋に、後味の悪い沈黙のとばりが下りるのだった。