「え?」
研究所の中央にいたのは、もはや人の形を成していないなにか。
繭のように、何重もの黒の水の外郭に覆われた、青年の生首。
それはもう、到底生きているようには見えなくて……。
青年は、ただ静かに瞳を閉じてしまっていて……。
「あ」
その事実を認識した瞬間、
「あ、あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
露蝶の口から意味をなさない絶叫が漏れ、露蝶は膝をつく。
その声を聴いて口角を釣り上げた情規は、ゲラゲラ笑いながら露蝶に問いかけた。
「おいおい、どうしたどうした!? 何絶望したような顔してやがるっ!! お前が一番こいつらをこういう風に扱ってきただろうが!? 実験動物として扱ってきただろうが! 今更一体ほど使いつぶしたくらいで何叫んでやがる? お前がとるべき行動はそうじゃねぇだろ? ここは、未知の状況を少しでも解明するために、その優秀な頭を働かせるときだろうがよぉ!」
「だまれぇええええええええええええええええええええええ!!」
露蝶は、怒号とともに、隠し持っていた拳銃を引き抜き、情規に向かって発砲する。
素人の彼女が撃ったにしては、その弾丸の軌道は正確で、情規の頭と心臓を打ち抜く軌道を、に初の弾丸が描いていた。
だが、
「おっと」
情規はそれを見てにやりと笑い、肩をすくめる。
瞬間、情規の半径一メートル以内に弾丸が入った瞬間、黒の水が自動で活動を開始。無数の花弁に変貌したそれらは、二発の弾丸を見事に受け止め、それが持つ運動エネルギーを完全に殺す。
情規は無傷で、一歩も動かずにたたずんでいた。
「おいおい、なんですかぁ? ヒステリックですかぁ? これだから女は始末に負えねぇんだよ。病理のババアしかり、及第の円周しかりよぉ。人をあんなにあっさり殺すんだもん、ありえねぇよ! 人殺すんなら、限界までモルモットとして使ってやってつぶしてやらないと、
頭のねじが数本まとめて弾け飛んだような言動を繰り返す情規に、露蝶の傍らで状況を見ていたアニルは、思わずといった様子で、眉をひそめた。
――この男はくるっている。そして、本人もそれを自覚して、それを良しとしている。
この手の人間は厄介だと、アニルは長年の経験で悟っていた。
ニューデリーの内乱で数人ほど見つけた、人殺しに快楽を見出した、殺人狂の兵士たち。彼らも自分が壊れたことを自覚しながらも、それを良しとして殺戮を続ける存在だった。
損得なしに、利害など見出さずに、ただ自分の在り方として悪行を働く存在。
論理的に、理論的に、きっと相手がこう動くだろうと考えて戦闘を行うアニルにとって、根本的に価値観が違うこういった手合いは天敵だった。
「露蝶、落ち着きなさい! ここで我を見失えば敵の思うつぼ……」
だからこそ、アニルはいったんこの敵と物理的にも、精神的にも距離をとり、相手を客観的に見つめることによって、なんとかその行動パターンの収集に努めようとしたが、
「なんだぁ、お前。もしかしてこいつに惚れていたのかぁ? こいつは傑作だぜっ!! だったらよぉ、は~やく俺を捕まえなくていいのかなぁ?」
「っ!?」
情規に、先手を打たれる。
情規が掲げたのは自分の右手。正確にはそれに装着されている、タッチパネルつきの端末だ。
「こいつは、戒の制御装置でなぁ。今研究所内にまき散らしている化け物たちの制作や、さっきみたいな俺に対する攻撃の自動迎撃まで指示できるすぐれもんよぉ。おまけに制御装置を脳にぶち込んだおかげで、電気信号の解析までできるし……さらには」
研究成果を横取りされないために、用が済めば検体の頭を弾け飛ばすこともできる。
情規がそういった瞬間、露蝶は再び発砲し立ち上がる。
当然弾丸を防ぐ黒い水。
だが、それに守られているにもかかわらず、
「おぉ、怖い怖い」
情規はにやにや笑いながら踵を返し、この場からの逃走を選択した。
「っ!?」
罠だ。明らかにそれがわかるわざとらしい態度。だが、そうだとわかっていても、無視できない人間がここにいる。
「まてっ!! 木原情規っ!!」
背中を向け、アニルたちが入ってきた扉とは反対方向の扉に、姿を消す情規。そんな彼の背中に怒号を浴びせかけながら、露蝶は拳銃を構えて飛び出す。
「まっ!!」
まちなさい! アニルがそういって露蝶の手を掴み取る瞬間だった、
「っ!?」
背中に走る悪寒の警告を信じ、あわてて手を引っ込めるアニル。次の瞬間、先ほどまでアニルの手が伸びていた空間を、蟷螂の鎌の形を得た黒い水が薙ぎ払う。
「っ! 露蝶と一対一で戦うというのですかっ!?」
――いったい何のために? まさか、彼女が何かほかにも秘密を握っているのでしょうか?
敵の不可解な行動に、アニルは思考を巡らせる。今打てる最善の手を打つために。
――とりあえず、敵の思い通りに事を運ばせるわけにはいかない。そのためには、今すぐにでも露蝶を追いかけるべきです。と、アニルは一応結論を出すが、何分自分は少し頭がいいだけの一般人。
先ほどまでのわかりやすい生き物の形状をした敵ならともかく、自由度が高すぎる黒の水の行動先読みまではさすがにできない。
それは、アニルが戦力的にほぼ役立たずになり、この場に釘づけにされたことを意味する。
――どうしたものでしょうか。
アニルが久々に自分の脳がたたき出した「無策」という結論に、思わず苦笑いをする。
だが、そんな彼に与えられた助け舟は、思わぬところからやってきた。
『麦野。この壁の向こう。下方向13度』
『了解』
瞬間、部屋の斜め上にある天井をぶち抜き、一条の熱線が戒の生首を包む黒い繭をうがった。
沸騰したのか瞬く間に気泡を生み出し沸き立つ黒い水。
かろうじて熱線の直撃を免れた、戒の生首は、生物化した黒の膜によって沸騰した黒の水から守られたらしいが、彼を守っていた黒の水の5割がその一撃によって消失。
戒を包む繭は、先ほどと比べるとみじめに思えるくらいにちぢんでいた。
「おやおや……」
――誰かが暴れていると思っていましたが。と、そんな光景を見てわずかに目を見開いていたアニルだったが、自分にも勝ちの目が出てきたことを悟ると、苦笑いを浮かべながら熱線が明けた風穴から姿を現す、二人の少女を見上げた。
「まさか、ヘイズ君と同じ学園都市の最高戦力が来ているとは……少し驚きましたよ?」
「あぁ? だれだてめぇ?」
「信号が来ていない……能力者じゃない? 研究員さん?」
不機嫌そうに眉をしかめた少女は、麦野沈利。
ぽやっとしたジャージの少女は、滝壺理后。
学園都市暗部に所属する二人が、ようやく事件の中心地へと足を踏み入れる。
…†…†…………†…†…
その頃、この騒動の原因を調べようと研究所を疾走していたヘイズたちも、ようやく騒動の中心である研究所中央に到達しようとしていた。
先陣を切るのは、
「超邪魔ですっ!」
絶対防御といっても過言ではない、窒素の鎧に身を包んだ絹旗と、
「ったく、きりがないなっ!!」
拳銃と能力を駆使し、襲い掛かってくるエイリアンもどきを粉砕するヘイズ。
後詰として、彼らの背後についてくる小龍・芳美・フレンダが、彼らが撃ち漏らしたエイリアンたちを打倒す。
進行は順調に見えた。
だが、ヘイズ自身はこの布陣にそろそろ限界を感じつつあった。
「――チッ」
パチリと打ち鳴らされるフィンガースナップ。だが、エイリアンは能力の直撃を食らったにもかかわらず、しばらくその形状を維持したままヘイズに向かってくる。
だが、ヘイズはそれを気にも留めないまま次のエイリアンに向かって、カッと乾いた靴音を響かせることによって能力を発動。
同時に、ヘイズの鼻先まで迫っていたエイリアンが、ヘイズに触れるか触れないかあたりの地点でようやく分解され、黒い粒子になって飛び散る。
すべては優秀すぎるヘイズの演算能力が叩き出した答え通りの結果。だが、
――破砕の領域の効果の発現に遅れが出始めている。
破砕の領域は、本来不可能であるとされる、絶対的情報防御力を持つ生物ですら、情報的攻撃で分子単位まで分解する攻撃だ。
だがしかし、だからと言って生物の解体が容易にできるのかといわれると、答えは否。どうしたって通常の物質解体よりも、生物の解体には時間がかかる。
おまけにこのエイリアンもどきは、事件の中心地に行けばいくほど情報的防御力を上げてくるのか、情報解体にかかる時間が模擬戦場で戦った時と比べると、格段に伸びつつあった。
それはコンマ数秒の遅れかもしれないが、こういった命がけの戦闘においては、その遅れが命取りに変わる。
「演算機能をもう少しシビアに設定して、予測演算の精度を上げるか……」
――脳の蓄積疲労がたまるから、あんまりやりたくないんだがな……。と、ヘイズはため息をつきながら、再びフィンガースナップ。目の前のエイリアンを消し飛ばした。
「さすがはレベル5。お見事です」
「煽てたってなにも出ないぞ」
だが、ヘイズ自身が情けないと舌打ちをしてしまう光景であったとしても、レベル4の絹旗からすればすごい光景だったらしく、見た感じひねくれものっぽい彼女の口からは、意外にも賞賛の言葉が送られていた。
「でも結局、第七位程度じゃ麦野の足元にも及ばないってわけよ!」
「えぇ。それには超同意しますが」
「……………」
とはいえ、どうにもさっきからなめられている感が否めない言葉が付随してくるか。
まぁ、それも仕方ないか。と、ヘイズも内心考えてはいた。何せ相手は序列的には自分のはるか格上に位置する、超能力者なわけだし。
だが、そんな事情を知らない研究所出身組の、小龍と芳美は二人が称賛する麦野の顔を思い出しでもしたのか、首をかしげ問いを発する。
「さっきから麦野、麦野って……あの人そんなに強いのか?」
「優しいお姉さんって感じだったけど?」
小龍と芳美は数度しか顔を合わせたことがないが、明らかに年上らしい彼女の姿は、どこかの良家のお嬢様といった感じのもの。
到底、グーパンでエイリアンを一撃粉砕している絹旗や、無数の爆薬を使い巧みにエイリアンの猛攻を切り抜けるフレンダが、称賛するほどの実力があるようには見えなかった。
そんな小龍の問いかけに、無知とは恐ろしいといわんばかりに絹旗とフレンダは震える。
「本人の前で、そんなこと言ってはいけませんよ、小龍!」
「油がくどい感じの人間ステーキにされちゃうわけよっ!!」
「いったいあの人どんな心の闇を抱えているんだっ!?」
小龍がそんな二人の言葉に愕然とした瞬間だった。
「なめたことしてくれてんじゃねぇぞっ!!」
けたたましい怒号とともに、眼前に見えた入口から、莫大な光が差し込み、爆音が響き渡った。
その光景に思わず固まるヘイズたちだったが、いろいろな意味でその光景に慣れていたアイテム構成員の二人は、
「麦野っ!?」
「もうついていたンですかっ!?」
まずい……。遅刻したことを怒られる……! と言わんばかりに、顔を真っ青にした。