「ヘイズ遅いわね……」
『下は随分と大変なことになっているようですから』
空中に漂うHunter Pigeonの操縦室の中で、光のうつさない金色の瞳をサングラスで隠した少女――クレアは、この船の管理のサポートをしてくれるAI 『ハリー』が映し出してくれる眼下の景色に、眉をしかめた。
「何この不気味な黒い水……コールタール?」
『クレア様が調べればわかると思いますが、正体不明・解析不能の新物質です。おそらくはこの研究所で研究していたなにかではないかと』
「また厄介なものを引いたみたいね……あの貧乏くじ男は」
らしいっちゃ、らしいわ。と、クレアはわずかに苦笑いを浮かべながら、相棒を助けるために自分の脳をフル回転させ、自身の能力を起動。
いろいろ秘密が多そうな研究所を、丸裸にしていく。
「うわ……中に妙な化け物がたくさんいる……。あ、真ん中にいるのが核かしら? なんか中央に生首が浮いているんだけど……って、これ人間? 一応生きているの?」
貧乏くじどころかちょっとしたホラーの現場に遭遇しているらしい。と、クレアはヘイズに同情しながら、一応通信をつなげようと端末をいじり、
「あ、ヘイズ? あんたちょっと大変そうだから、援護射撃しようか?」
とりあえずそう聞きながらHunter Pigeonに搭載された荷電粒子砲をミリ単位で、化け物たちの核と思われる巨大な球体に合わせていく。
…†…†…………†…†…
『あ、ヘイズ? あんたちょっと大変そうだから、援護射撃しようか?』
「クレアかっ!?」
通信機から突然聞こえてきた、長年の相棒の提案に、普段以上に脳を酷使し、限界以上の予測演算を行っていたヘイズは、助かったといわんばかりにその通信に答えた。
「あぁ? だれだ、そいつは?」
そんな時、傍らになっていた麦野が、突然聞こえてきた提案にいぶかしげな声を上げ、信頼してもいいのかと問いかけてくる。
瞬間、
『ヘイズ……隣にいる女、だれ?』
なぜかクレアの声が一オクターブほど下がった。
「あ、あれ? クレアさん? どうして突然不機嫌になって……」
『ヘイズ……質問に質問で返さないで。もう一度聞くわよ? その隣の女はだれ!!』
語調がきつくなった。どうやらかなりご立腹らしい……。と、そのことを悟ったヘイズは、わずかに顔をひきつらせながら、素直に事実を述べる。
その間にも麦野たちアイテム構成員に、敵の攻撃が来る場所や、攻撃するべき場所をハンドシグナルで指示は出しており、演算はさらに複雑になった。
ほんと勘弁してほしいと、内心で泣きながらヘイズはクレアの怒りの炎に油を注がないよう、できるだけ平坦な声音で告げる。
「こいつは今回共同戦線を張っている学園都市レベル5の一人……
『そう……吊り橋効果ってやつね。そんなひっ迫した状況で年下の女の子口説くなんて、不潔!』
「一気にそっちの話に持っていくんじゃねぇよ!? せめて段階ふんでごまかすくらいのことはしろよっ!!」
そんなんじゃねーからっ!? と、必死にヘイズが言い訳をする傍ら、ようやくアニルが話を終えて戻ってきたのか、怒号を上げるヘイズにいつもの穏やかな笑顔ではない……にやにやとした笑みを送ってきていて、
「おやおやヘイズ君。前にも言いましたけど、自分のことを慕ってくれる女性は、大切にしてあげないとだめですよ? クレアさんあんなにわかりやすく、あなたのことが好きですよ~サイン出しているのに」
「黙ってろ、おっさんっ!!」
『わ、私とヘイズはそんな関係じゃないですって!!』
余計に事態をややこしくするアニルの発言に、ヘイズとクレアは互いに顔を真っ赤にしてアニルの攻撃を防御することに徹する。
その間、アイテムメンバー数人からは「チッ」という舌打ちが贈られ、電波少女からは「大丈夫。私はそんな二人を応援している」という激励が贈られ、
「この状況でイチャコラしてんじゃねぇぞこらぁああああああああああ!!」
女王様からはより直接的に、光線が飛ばされた。
「うぉ!?」
あわてて予測演算が叩き出した答えに従い、回避を行うヘイズ。
そんな態度を見せながら、光線はしっかりと黒の水からの攻撃をうがったのを見て、アニルは再び苦笑い。
「さて、役者もそろったようですし、はじめましょうか?」
このバカ騒ぎを終わらせる対決を。と、アニルが笑顔の中で、わずかに鋭くなった瞳を開くのを見て、ヘイズたちの緊張感が変わる。
アニルの雰囲気の変貌から、彼らは何となく悟ったからだ。
ニューデリーを救った英雄の本気が、今この場で出されるのだと。
「だがよ、おっさん。正直戦ってみたけど、あれ絶対に勝ち目ねーぞ!? 少なくとも殺さずに押さえつけるなんてまず不可能だ」
だが、そんな状況も、長い付き合いであるヘイズは慣れていたのか、即座に口を開き苦言を漏らした。
ヘイズの優秀な演算機関をもってしても、あれを殺さず無力化する方法など思い浮かばない。
だからこその苦言であり、作戦目標の変更の打診をヘイズは行った。
つまり、先行した龍使い二人には申し訳ないが……カイを殺してしまおうと。
そんなヘイズの苦渋の選択に、アニルは苦笑いを浮かべながら返答を返す。
「いえいえ、ヘイズ君。あなただけなら確かにその選択しかなかったでしょうが、この場には君の頼れる相棒も、学園都市最強の一角もいます。私の策が十分通じるはずです」
アニルはそう告げると、必死に黒の水からの攻撃を弾き飛ばす面々の後ろで、彼らに策を授けるのだった。
…†…†…………†…†…
パチリ! ぎりぎりの戦いを演じる研究所中央に、軽い炸裂音が響き渡る。
それと同時に発生する不可視の空気分子によって作られた、論理回路。
それに触れた数秒後、物体としての構造を保てず、分子単位で分解された黒の水が空中に散る。
ヘイズはそれを眺めながら、自分の演算期間の調整をたたずみながら行っていた。
「まったく、おっさんも無茶をいうっ!!」
彼の視線の先では、先ほどと同じように、アイテムのメンバーがおのおのの手段を使い、黒の水を削っていた。
それと同時に、
『弾着……くるわよっ!』
通信機から送られてくるクレアの警告。同時にアイテムメンバーはその場から一歩退き、球体となったカイから距離をとる。
瞬間、研究所の分厚い壁を何枚もぶち抜き、天空に漂うヘイズの空中戦艦から、麦野の原子崩しの比ではない、極太の荷電粒子砲が叩き込まれた。
当然のごとく、カイの頭部に損傷はない。能力を使えば地球の裏側のアリの活動すら観測できる、クレアだからこそできた精密射撃。それによってごっそり体を削られた黒の球体は、当然自分の守りを万全にするために黒の水を追加生産するのだが。
「まぁ、あれだけ一気に削られて、生産が追いつくわけがありませんね」
ヘイズの傍らでそんな光景をのんびりとみていたアニルは、「ここでしょうか?」と、間の抜けた声音とともにヘイズが、アニルが対応できると判断したこちらに攻撃してくる黒の水の触手を、予測演算と違うことなく拳銃で射抜く。
――俺級の演算速度を持っていないくせに、俺とおんなじ結果を描けるってどういうことだ? と、ちょっとだけこの世の理不尽をアニルの頭脳性能から感じながら、ヘイズは自分の演算を使い、バタフライ効果によって作り出される情報解体の論理回路の設計図をいじっていく。
「あと数度、麦野さんの原子崩しと、HunterPigeonの荷電粒子砲が彼の体をうがてば、君の論理回路生成の邪魔になる黒の水の鎧は消えます。その瞬間を逃さないでください」
「まったく、無茶言いやがる……」
そんなアニルの指示に、ヘイズは再びそんな愚痴を漏らしながらも論理回路の設計図をいじる手は止めない。
今回やるのはアニルが「おそらくできると思います」といっただけの初めての試みだ。正直
うまくいくかどうかは五分五分。
だがそれでもヘイズは、失敗するつもりはなかった。
「まぁ、俺にできるのはこれだけだしな……」
役立たずと言われた自分の頭脳が……計算だけしかできないと嘆かれた自分のIブレインが、ようやく手に入れたこの力。誰にも負けない、ヘイズだけの力だ。
失敗する可能性なんて、最初から彼は考えないようにする。なにより、
「成功させなきゃ……ここを任せて飛び出していったあいつらに、申し訳が立たないだろうがっ!!」
ヘイズがそう叫んだ瞬間だった。
天から降り注いだ極太の閃光が二本、カイの体を射抜き、
それに合わせて放たれた、カードを通して分散した細いビームが散弾のように、会の体にわずかに残る、黒の水を消し飛ばした。
瞬間、一瞬だけむき出しになる、カイの頭部――正確にはその鼓膜に向かって、
「いくぞっ!!」
ヘイズは指を打ち鳴らした。
間髪入れずにもう一度響き渡るフィンガースナップ。そして、その後続けて放たれる二連の、足踏み。
それを観測したカイの鼓膜は、ヘイズの予測演算通りに音の内容を電気信号にしてカイに伝達。
その電気信号はそのまま脳へと送られ、無数の電気信号になりいくつもの細胞の間を走る細い筋を駆け抜けた。ヘイズが描いた予測演算通りのラインを通って。
情報制御理論を知っている人物が見たら、その瞬間に起こった奇跡に目を見開いただろう。
脳を走ったミクロン単位の電気信号の形状が、そのまま複雑な論理回路を形成していたのだから。
それによっておこる事情は、まぎれもない情報解体。
ヘイズが音の干渉によって空気分子に与える影響を演算子しつくし、バタフライ効果を利用して空気分子で論理回路を作るのと同じように、ヘイズが鳴らした音が人間の脳に働きかけるであろう、電気信号のルートを完全に演算しつくし、それによって論理回路を作ろうと試みられた、ヘイズの新技。
《
だがしかし、その情報解体の威力は、その予測演算の複雑性から、同じ演算速度を使った虚無の領域どころか、破砕の領域すら届きはしない。
だが、今回はそれが功を奏した。
脳の電気信号を使った論理回路は、その情報解体威力の不足からカイの脳を解体するに至らず、カイの脳内にあった、通常の物質よりもはるかに情報防御力が高い……しかし人体には及ばない、情規が埋め込んだ制御チップに牙をむいた!
当然、人の解体はできずともコンピューターの解体程度ならたやすい《無我の領域》は、瞬く間に制御チップを分子単位で分解した。分子単位までバラバラになったその制御チップは、カイの体に排出に問題ない異物として処理され、カイの首の断面から体外に排出されていく。
瞬間、会が黒の水を作り出すのを停止させ、
「っ! ぎゃぁあああああああああああああああ!? くびいぃいいいいいい!? なまくびぃいいいいいいいいいいい!?」
黒の水の繭は雲散霧消。フレンダの頭上に、カイの首は落下した。
その場にいた面々は、突然のホラーの急襲に悲鳴を上げるフレンダ以外は、ひとまずの事態の収束にほっと安堵の息をついた。
研究所中央の激闘は、こうしてひとまず幕を下ろすこととなる。