魔法科高校の劣等生 ~ユキトのやり方~   作:べじん

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第二話

 

2092年8月11日。恩納 小林宅 小林雪人

 

 

 

「ごちそうさま」

「はい、おそまつさま」

 

 朝ごはんを母と共に食べた僕は母さんの分の食器も持って流しに持って行く。HALなんて大層なもののついていない我が家は家事仕事をこなす必要がある。母の手伝いをするのは大好きなので、僕が進んでこなすと母もにっこり笑ってくれる。

 

 今日の朝ごはんは昨日僕が森で採って来た山菜料理だった。母は体調を崩しやすいので僕がしっかり母のために健康的な食べ物を提供しなければならない。僕の至上命題と言っていい。最近元気ないみたいだし……。

 

 今日も狩りに行くつもりだ。2、3時間ほど山に入っていれば元気なうさぎを見つけられると思う。母も喜ぶことだろう。その後は山で適度に修行をして帰ればいい時間に成るはずだ。ニンジャは修行を欠かさぬのだ。おっと違った、ニンジャなんていない、そうだよね?

 

 

 

「じゃ、行って来るよ」

「気をつけてね、海の方は行くんじゃないわよ?」

 

 食器洗いを終えた僕は山駆け装備で家を出る。母の言っているのは、6日ほど前に海で起きた謎の事件のことだろう。突然海岸線に多くの漂流物が流れ着いたのだ。

 

 その次の日に風間さんが家に来て軽く話してくれた所によると、本土から来た魔法師が何かしたらしくその所為で海岸がああなったとか。さっぱり意味がわからんぞ! 僕がそう言えば今度は軍機軍機と口を塞いでくる。つまり本土の軍の魔法師がわざわざこんな所まで来て魔法実験をして、その結果海岸線を汚して帰ったってことなのかな? ……町内会の人が泣いてるよ。

 

 

 そんなこんなで海岸線が軍の実験場と化してしまっているとアタリをつけた母は、かわいい息子が得体のしれない片づけ下手な魔法師の餌食にしてはならないと、僕の海での素潜り漁を禁じたのだ。……なんだか面白そうなんだけどな。

 

 その日からというもの、ジョーや風間さんとは会えていない。なんだか基地があわただしくなっているような気がする。本土の魔法師の接待にお祭りでも始めるのだろう。そういえばあの時、風間さんはやけに僕と母さんをじっと見ていたな。僕にそっちの気はないし、母さん狙いだとしても決して許しちゃおけない。イ○ポになる毒キノコでも宿舎に送ってやろう。

 

 あとは親戚が本土にいないかと聞いて来た。シバという苗字ではないかと。確かに祖母は小さなころに親と共にここに流れ着いたらしいが、僕も母もそれ以上のことは知らない。いるのかもしれないが調べる気にもならない。そう風間さんに伝えると、そうか……、と何か得心のいったような顔で頷いていた。だいたいシバってなんだ! 破壊神か! むしろパールヴァティーだろが! 見りゃわかんだろ! うむむ、山の娘の息子として今日も山で遊ぶしかないな、よし行こう。

 

 

 

2092年8月11日。恩納 小林宅 小林雪絵

 

 

「いってきまーす!」

「いってらっしゃい」

 

 玄関から息子を見送る。いつものように元気な息子の姿だ。レフトブラッドの子だとか、片親だとか、そんなことはまるで気にした様子もなくすくすく育ってくれている、優しい自慢の息子だ。けれど私は息子に秘密にしている。息子にも関わりあることだ。実は交際相手がいる、とかではない。

 

 

 私たちの魔法のことだ。母さんに聞いた限りだが、ウチの家系は特殊な業を伝える一族だったらしい。『知覚』と『同調』。『知覚』とは霊光を読み解き、その意志を知ること。『同調』とはその意志を代行すること。息子に教えたのはこのくらいだが、その程度は他の古式魔法師なら精霊魔法として発現できるものでしかない。

 

 違うのだ。私たちのそれは言葉の通りのものなのだ。『人の発する霊光を読み解き』、『その意志と同調しその能力を増幅行使する』。現代風に言うなれば『サイコメトリー』と『シンクロニシティ』。この二つが要なのだ。霊光を見取ることが出来るものは一族にも多くいた。しかし読み取れるものは非常に稀だったらしい。加えて同調もとなると母の他に親戚に一人だけだったと聞いている。私にも上手く使えない。

 

 息子に教えた山歩きや狩りも代々継がれてきた技だ。だけど肝じゃない。逃げるための技術だ。私たちの祖先は己のチカラがこの上なく使えることを理解し、同時に利用されることも理解していた。だからこその遁走術。来て、見て、帰るの三拍子を旨にした術理。戦って勝つためのものじゃない。それだけは息子にもキツく言いつけてある。そもそも雪人はまだ本格的に一族のチカラに目覚めていない。

 

 

 1週間前に息子から聞いた話、そして翌々日に風間大尉から聞いた話、……大尉の霊光から読み取った記憶。これらが繋がった時、私は背筋に氷柱が衝き立ったかのような気持ちだった。

 

 母から聞いた話には先がある。半世紀以上前、母と祖母がなぜ故郷を捨てたのか。一族の歴史を聞けば、見つかれば当然、逃げるの一択だ。魔法も行使した徹底的な逃走だったことは想像に安い。だが捕まった、同じ魔法師たちの手で。そして利用されたのだ。多くの実験体の一つとして、族滅した。

 

 私たちの業からして使われたのは第四研究所、現在の四葉家であるというのが母の推理である。そのあとは無残なものだ。小林の苗字も偽名に過ぎない。その地方に多い苗字だったから使ったのだ。混乱期だったから使えた手だ。結局母は私たちの本当の名前を隠したまま逝ってしまった。……帰りたかっただろうに、故郷へ。雪絵や雪人なんて付けるくらいに焦がれていた。決して忘れられない情景が母にもあったのだ。

 

 

 あの日、風間大尉から読み取った記憶に出て来た女性。大尉も彼女と彼女の娘の顔を見て驚愕していた。その気持ちはよく分かる。『鏡合わせ』のようにそっくりなのだ、私たちと彼女たちは。もはや、間違いない。彼女たちは四葉なのだ。

 

 逃げなければ。彼女たちが四葉ならば、私たちは逃げるしかない。私だけならまだいい。いやだとも思うがとうとう見つかってしまったか、という思いもある。母から話を聞いた時、よく国から逃げ切れたものだと思ったし、いつか限界が来るとも思っていた。そしていつか実験体として使われる、そんな不安は常にあった。

 

 子供のころに母に当たったこともある。母は厳しい女性だったので色んな隠し事は子供の頃には教えられ、決して外に漏らさぬように躾けられた。それでも理不尽に思ったのだ。なんで私が、どうして、と。母の夫、私のお父さんも軍人だった。戦争で死んだ。だから私がアルバートと結婚したいと告げた時も反対された。娘にはさびしい思いをさせたくなかったのだ。それでも彼がよかった。レフトブラッドとして理不尽の辛さを知っていて、父を思わせるように芯のある優しい人だった。……私の不安を分かってくれる人だった。

 

 そして息子が生まれた。絶対手放したくない、私の宝物なのだ。母が亡くなった時も、夫が殉職した時も、弾けるような激しさで心が渦巻いていても私のことを思い出し慰めようとしてくれる、とても優しい子だ。夫に似てないことを気にしているが、一番大事な所は良く似ている。これからももっともっと甘えさせてやりたい、私のかわいい子。失いたくない。実験体になんかには絶対にさせない。絶対に逃げ切らなければならない。

 

 

 まずは彼女たちは何をしにここに来たのか。単なる旅行か、私たちを知ってここに来たのか。しかし雪人の姿は見られている。基地にも来たらしいが、すれ違ったりしないよう私自身気をつけている。大尉はこちらの味方だ。海での事件の時も、基地に招いた時も私たちのことを漏らすことはなかった。部隊の人間にも徹底させている。自分が目につく容姿をしていることは分かっているのだ。彼らも奇異の目を向けられても同じことだろう。大尉がうちに来た時に改めて覚った。事情は分からなくても、私たちを隠そうとしてくれている。……だけど四葉に勝てる程ではない。

 

 

 私は卑怯な女だ。一族のことも、魔法のことも、隠し事だらけの女でそのくせ周囲を利用し見捨てようとしている。私と同じチカラを持たない限り隠し事なんてできない。だから知っているのだ、今日の出来事も。だけど黙っている。チャンスだと思ったのだ。

 

 内部の裏切りによる基地攻略、同時に沖縄占領。それが大亜連の作戦だ。スパイがいるなんてことは前から知っていた。夫の死因を調べている時に知った。夫もスパイだったのだ。といっても国防軍が放った二重スパイだが。レフトブラッドという外見的特徴、魔法師としての能力、優れた頭脳、誠実さ、忠誠心。上層部にとって『使える』人材だった。

 

 だから死んだ、二者の軋轢の中で潰された。スパイなんてそんなものだ。今、基地内にいるスパイたちも捨て駒なのだ。彼ら自身分かっている。怒りや憎しみを煽られ、利用されている。……私も利用している。

 

 

 大亜連がここを戦場にしようとしても雪人は森にいる。森の中であの子を見つけ、捕まえられる人なんていない。大尉相手でも逃げ切るだけならやり遂げる。あの子のキャンプ地なら私も知っている。戦争が始まれば私も山に入ればいい。あとは国防軍が沖縄を奪還するまで隠れていよう。そして名を変えて雪人と生きるのだ。……結局私も母と同じだ。でもこれで四葉も一度だけ見た子供にかまけている暇など無くなるはずだ。

 

 そもそも戦争だって私が起こすんじゃない。ただ尻馬に乗って利用するだけだ。黙ってるのは理由があるからだ。たった一人の息子を守りたいのがそんなにいけないことなのか。私の幸せを手放したくないだけなのだ。私の計画はうまくいくんだろうか。時間がなかった。不自然がないようにしないと。……こんな悩みも今日までだ。

 

 

 

あと数時間後、戦争が始まる。

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納 山中 小林雪人

 

 

 

「いやー、今日は運がいい!」

 

 僕の前には鳥とうさぎが2羽ずつ並んでいる。全部僕が狩った獲物だ。鬱蒼と生い茂る木々が僕を覆い隠している。ここは僕と母さんの秘密基地のすぐ外だ。前世紀の大戦で使われ、忘れ去られた防空壕を利用している。風間さんにだって教えていない。ここからチョコチョコっと山を登り頂上の樹の枝から遠目に基地が見える。さっきも見て来たが穏やかなものだった。祭りは中止かな? 結構早めに狩りが終わったので血抜きの最中なのだが少し暇になる。こういう時は修行に限るのだ。うむ、それがいい。ではさっそく瞑想をしよう(居眠りじゃないよ)。

 

 

 

 己の気配を周囲に馴染ませるように、周囲にある樹のそれのように溶け込ませる。……すでに僕は一本の樹だ。鳥が肩に留ったとしても僕は驚かない。樹が驚くなんてことはないのだから。『同調』の能力は実はこのように気配を溶け込ませる技なんじゃないかと僕は思う。じゃあ『知覚』はどうなんだ?気配を探る技? ……別に仰々しく『知覚』なんて名づけるほどじゃないよね?

 

 僕の体表を僅かにたゆたう霊光。心の平静を表すかのように動きはない。これさえ見取れれば気配を探るのは容易い。普通の視界と霊光に溢れる世界、僕は普段から二つの世界を見ている。母さんも多分そうだし、風間さんも時々見ている気がする。古式魔法師にとっては当たり前な能力なんだと思う。母さんはその意志を読み取る、と言っていた。霊光の意志というと多分揺らぎや色の違いのことだと思う。怒りの色や悲しみの色、心の乱れで霊光も容易く揺らぐ。でもそれが『同調』にどうつながるのか? 怒っている人と一緒になって怒れというのだろうか。えーい、わからん。

 

 ただ分かるのは『今日は森が騒がしい。何かから逃げだそうとしている、必死な意志を感じる。基地と同じだ』。だから狩りも上手く行った。気も漫ろの獲物だったので簡単に狩れたのだ。……そろそろ血も抜けただろう。チャチャッと片してお昼寝をしよう。

 

 

 

 

そして開戦の号砲は揚がる。

平和を置き去りにして行く。

僕は気付かなかった。全部全部、遅かった。

 

 

 

『ここから先は僕が気付かなかった話だ。手遅れになってやっと分かった話だ』

 

 

 

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納 山中

 

 

 

「(待て、全員止まれ)」

 

 森の中を進んでいた小隊が止まる。彼らは大亜連の魔法師部隊の人間だ。開戦と同時に基地内でクーデターを起こし行動を制限、そして時間差で彼らと他の部隊で基地を強襲、無力化を狙っている。

 

 特に先の戦争で猛威を振るった『大天狗』を狩ることを任務にしている。本来ならもう基地の裏山の裾まで着いているべきなのにここらの山だけ小賢しいトラップが多々見受けられた。その所為で他の部隊はもう配置に着いただろうに彼らの小隊だけ出遅れている。緒戦でこれではこの先思いやられる。小隊長を務める男も苛立ちを隠せないでいた。

 

 そんな時にあるものを発見した。防空壕だ。それならばこの沖縄にはいくつもある。前世紀の大戦での話は作戦の地理情報として入れている。しかしこの防空壕は他のものと違っていた。人の手が入っているのが男には見て取れた。確かめるべきだ。そう思った男が中に目をやると、

 

 

「(子供?)」

 

気を抜いたつもりはない。だがいつの間にか防空壕の入口に子供が立っていた。ミリタリー風のズボンに長袖の黒いインナーシャツを着ている。あいにく顔は影が差して良く見えないが、少し中性的な雰囲気を持った子供。手の甲がよく陽に焼けていて、こんな場所でなければ単なる外で遊んでる子供にしか見えない。

 

 だが我々を見られた。ならば消すしかない。サイオンを消耗しないためにも小火器は持っている。サイレンサー付きだ。少し呆けてしまっていた自分に叱咤しながら素早く銃を構える。他の隊員二人は周囲の警戒をしている。手早く終えなければ。だが次の瞬間には子供は目の前から消えていた。彼が記憶しているのはここまでだ。彼の人生も。

 

 

 

2092年8月11日。恩納 山中 小林雪人

 

 

『始まった』『基地が危ない』『母さんを助けないと』

『急げ』『知ってたくせに』『裏切り者がいる』

『四葉がいる』『逃げろ』『母さんを連れて逃げろ』

 

 頭の中に文字が溢れる。意味が分からない。クローバーがどうしたってんだ! スペードに身売りでもしたのか! ……バカ言ってるってのは分かってる。でも無視できない。『母さんが危ない』。ちらつく言葉の意味は分からなくても僕が急ぐには充分過ぎる。『さっきの男たちは大亜連軍の魔法師だ』。本当にわけが分からない。でも危なかったよ。『手早くやれてよかった』。油断してたからな。お陰でナイフが一本血まみれだよ、いつの間にだか。『人を殺したなんて今は考えなくていい。気付かないなら、無いと一緒だ』。その通りだ。気にしている暇なんてないんだ。

 

 

急げ/『急げ』。

 

 

 僕は斜面だろうと何だろうと真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに進んで行く。樹があろうと藪があろうと関係ない。獣がいようと鳥がいようと気付かせない。この前もさっきもやったことだ。木々の総体を感じ取り最短距離でかわしていけばいい。獣相手だって『意識の死角を衝けば難しいことじゃない』。

 

 僕の中で何かが噛み合って行く気がする。どんどん森を抜けて行く。樹が視界を流れて行く。基地までもう少しだ。緊急事態を伝える警報が町中に響いている。……こんなに速く走れただろうか? 疑問がまた立ち上がる。『走れた。無視してただけだ』。答えはすぐに出た。そうだ、知らないフリをしてた。僕には出来た。でもなんで。『考えている暇はない。感じるままに動くしかない』。理由なんて考えてどうするんだ。今は急がないと。また一段とスピードが上がる。無駄がなくなって行く。……もうすぐ森を抜ける。

 

 

基地は目の前まで来ていた。

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 小林雪絵

 

 

 

「本当に大丈夫なのかね!?」

「大丈夫ですよ、落ち付いて下さい。奥様が見ておいでですよ」

「う、うむ……」

 

 私は恰幅のいいスーツ姿の男を宥める。彼の後方には女性と子供の姿が見える。ここは基地の一時避難施設だ。予定なら私はもうシェルターの方に移動して森へと抜け出しているはずなのにこんな場所で男を宥めている。

 

 

 今日の業務は来客の世話だった。軍に重火器を卸している会社の役員、本土の会社からわざわざ出張して来た男、つまりこの男だ。こんな時に運の悪い男だ、とあまり気にせず業務をこなしていた。そんな時に大亜連から宣戦布告なき攻撃が始まり、このままこの男をシェルターに運べば後は逃げるだけだと思っていた。

 

 しかしこの男は何をトチ狂ったか、家族連れで出張にきていたのだ。仕事とプライベートは分けなさいよ! 半ば旅行気分でここに来ていた男は、妻と子供を呼べ、来るまで動かない、と喚きちらし案内役の士官も手を焼いていた。そのためVIP用の一時避難所まで案内させられ、奥さんたちが着いても放してくれない。少しでも離れれば喚きだすので始末に負えないのだ。

 

 こういう場合は奥さんや子供を引き合いに出せばいい。男のプライドという奴だ。私は早くこの部屋から出て行きたいのだ。ここがVIP用ということは時間をかけているとあの四葉の人間もここに来るかもしれない。一応司波と名乗っていたのだから身分を隠していたのは見受けられるが、このような緊急事態なら別だろう。ならば彼女らもここに来るに違いない。男も奥さんに押しつけることが出来た。よし、逃げよう。そう思った時、

 

 

 

「こちらになります」

「御苦労さまでした。わざわざありがとうございます」

「いえっ、では失礼いたします」

「(っ!)」

 

一つだけの扉から入って来たのはジョー君だった。だけどそれだけじゃない。私にだけ見えているものが彼ら彼女らが魔法師であることを覚らせる。そして聞こえて来た声。“記憶の通りだ”。

 

 四人の四葉の魔法師。雪人と同い年くらいの少年と少女、そして20代くらいに見えるスーツ姿の女性とダークのドレス姿の“私”。マズい!咄嗟に私は避難用に羽織っていた服で頭を覆いながらしゃがんだ。しかしそれも失敗だったのかもしれない。今まで案内してくれていた女性がいきなり頭を覆ってしゃがんだのだ。体調でも崩したのかと思って声を掛けて来る。

 

 

「き、きみぃ。大丈夫かね」

「え、えぇ。……緊張しすぎてたのかもしれません。すぐに良くなりますわ」

 

 そう返すとホッとしたように男が息を吐いた。誰のせいでこうなっていると思ってるのやら。……上手く行かない、予定なら私はもう森を突っ切り息子に会えている筈なのだから。失敗ばかり目に付いてしまう。悪い精神状態だ。なんで……ッ!

 

 

 

「達也君、これは……」

「桜井さんにも聞こえましたか」

 

 私にも聞こえた。銃声だ。どうやらクーデターが始まってしまったらしい。今頃司令部付近で銃撃戦だろう。でもすぐに収まるはずだ。風間大尉たちは優秀だ。後ろで四葉の少年たちが状況確認をしている。するとそれに気付いた男が話しかけた。

 

 

「おい、き、君たちは魔法師なのかね」

「そうですが?」

「だったら何が起きているのか見て来たまえ」

 

 男と四葉の魔法師たちとの押し問答が始まる。魔法師は我々を守る義務があるだの、ないだのだ。しかしそれも彼らの後ろにいた女性……おそらく子供らの母親が止めた。

 

 

 

「達也」

「何でしょうか」

「外の様子を見て来て」

 

 淡々とした声だ。私もこんな声を出せるのだろうか。……出せるだろう。冷静に多くの人の死を計算に入れて自分と息子だけでも助かろうとしているのだ。今この場で、クーデターが起きてるんですよ、と言えたらどれだけ楽か。

 

 でも口は開かない。なぜ分かる、と問われたら返す術がない。一気に立場が悪くなってしまう。第一彼らの興味を引きたくない。そうこうしている内に彼女と少年の問答も終わった。軍配は彼女に上がったようで少年は部屋の外へと飛び出して行った。

 

 20代の女性が心配そうに見ている、確か桜井さん、だったか。今でも外から銃声が聞こえてくる。建物に仕掛けられた術式のせいで霊光で探りにくい。外の気配も遠くまでは分からない。なぜこの辺りで銃撃戦が起きているのだろうか。司令部はこの辺りじゃない。敗走しているにしても基地の奥へ奥へ行ってもジリ貧のはずだ。……計画が変わったのか? 

 

 急に背筋が冷えたような気がした。やっぱりダメなのか。いや、まだ挽回できる。気持ちが萎えそうになるのを必死に堪える。あのドアさえ抜ければ逃げられる。逃げるだけなら私たちの十八番なのだ。そして息子に会いに行ける。大丈夫だ。左手の薬指を見た。夫との結婚指輪だ。籍も入れてないし式も挙げてないが、指輪の交換だけは出来た。私のお守りだ。指輪に祈る。“御願い、雪人を守って”。ドアの向こう側に気配が生まれた。どうやら兵が戻って来たらしい。でもこれは……。

 

 

 

 

「失礼します!空挺第二中隊の金城一等兵であります!」

 

 

クーデター軍だ。目の前が真っ暗になった。

 

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