Scarlet Busters! ~Refrain~ 作:Sepia
入院している妹に会いに行く。
それは俺にとって、それはここ二年間でいつしか身体に染みついてしまっていた習慣であった。
毎日病院まで通うことが苦痛だとは言わないが、それでも面倒であることは変わらない。
バイトをしていれば、どうしても疲れ果てて動けなくなってしまう日だってある。
雨でも降っていれば、面倒くさくなってしまって家から出たくなんかないと思うことだってある。
妹は二年間ずっと入院したままだとはいえ、ここしばらくは今日明日で容体が急変してしまうような状態ではなさそうなのだ。一日くらいいかなくなって、妹もすねるようなことはしないだろう。それでも俺は結局、一日とて病院に通わなかったことなんてなかった。
実のところ、自分がそこまでするのかはよくわかっていない。
少なくとも、妹のことが心配で心配でしなかった。そんな理由ではないと思う。
かわいい妹の顔を一日一回は見ないと寂しくて仕方がなかったというわけでもないと思う。
だって、家族に会いに行く時になっても特に何も感じていないのだ。
面倒くさいとは思わない。けど、格別会いに行きたいとも思わない。心がざわつくこともない。
言ってしまえば、何も考えることも感じることもない単なる作業と化していた。
いつものルーティンワークをこなしているだけのような感覚だ。
名前が羅列されている四人部屋の病室の一角。
俺は返事を聞く前に扉を開け、部屋へと入っていく。
おそらくは部屋の扉を閉める音に目が覚めたのだろうか、妹は少し遅れて反応した。
「起こしてしまったか?」
「だいじょうぶ」
妹はそういってにこりと笑う。
俺も背にしていたバッグをおろして床に置くと、ベッドのそばにおかれている小さな椅子へと座る。
それはいつのまにか定位置となっている俺の居場所でもあった。
「からだ、起こすか?」
「うん」
ベッドは手動で上体を起こして支えることもできるような仕組みとなっている。
ベッドのレバーを回し、初音の身体が起き上がっていく。
初音がどのくらいの位置だと身体が一番楽なのかは、もういちいち聞かなくてもわかる。
何も考えることなく、いつもの習慣となっていたからだ。先に身体が動いてしまう。口にする言葉も変わらない。
「気分は?」
「ぜんぜんへいきだよ」
「それはよかった」
よかった。そう口にはするものの、結局のところ初音の体調は今までとは何も変わっていない。
もちろん体調が悪いよりはいいことに越したことはない。元気や平気以外の言葉なんて聞きたくはない。
でも初音が退院できるような目途はまだ立ってはいないのだ。
いや、そもそも初音がこの病院の外に出られる時なんて来るのだろうか。
「もうすぐ夏休みだよね」
「そうだな、俺にはぜんぜん関係ないけど」
「どうして」
「行ってないから」
「学校?」
「そ」
中学を卒業したことで、義務教育こそは終わりを迎えた。
だが、学生時代といえば高校生からだと世間は言う。いわゆる青春という時代にふさわしいのは、高校生の頃のことを指すのだろう。でも俺は、年齢的には高校一年になるが学校には行かなかった。
「どうした?行ったら楽しいかもしれないよ」
「頭よかったら楽しいかもな。俺、バカだからな。成績悪い奴には居場所がない」
「勉強は楽しくない?」
「楽しいわけないだろ。勉強だぞ」
「友達は?お友達と遊ぶのは?」
「ひとりでテレビでも見てたりゲームでもしているほうが楽しい」
正直言うと、これも嘘になるのだろう。
だって俺は、学校に行っていないからと言って別にゲームとかして遊んでいるわけではないのだ。
「友達なんて相手の趣味に強引につき合わされたり、面白くもない冗談に笑ってやらなきゃいけなかったり……疲れるだけだ」
別に高校受験に失敗し、行きたくもなかった学校だからやけになって行っていないわけではない。
クラスでいじめにあったというわけでもない。そもそも初日からいっていないのだから、クラスメイトのなんて知らない。とりあえず形だけ在籍している高校は進学校でもなんでもない、どこにでもあるような普通の公立高校だから、授業料は無償化されているため学費が払えないというわけでもなかった。
ただ、行く意義がどうしても感じられなかった。
それが、学校に行かない理由のすべてであった。
義務教育は中学校まで。だったら、そもそも高校にいく意思のない人間は行く必要はない。
学校にいくくらいなら、バイトをしてお金を稼ぐ方が有意義だ。
いい会社に就職なんてしなくていい。ただ食べていくだけの金が稼げればそれでいいのだ。
でも。
「そうなんだ。楽しみだな、友達作るの」
もう学校というところに希望を見いだせない俺とは違い、初音は心の底から楽しみにしている。そのことに何も感じないわけじゃない。なんの未来も希望も持っていない俺がのうのうと五体満足で暮らしていて、友達というものに心の底からの羨望を持てるような子が、ベッドのレバーを人に回してもらわない限りは自分の力で起き上がることすらできないでいる。
(俺は、楽しい話題一つ提供してやれないのに)
もし俺が学校や友達というものを前向きにでも考えられていたりしたら、日々こんなことがあったんだと学校での出来事を初音に教えてやることもできたのかもしれない。そんなもしもの想像をするくせに、だからと言ってこれから学校に行き始めようとも思えない。
「あ、そうだ」
「ほら、これ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「じゃ、そろそろ行くな」
「えー」
「だって、それ渡しに来ただけだし」
「もうちょっとお話ししたいー」
「だって、バイトの前に寄っただけだぜ」
「お仕事かー。なら仕方ないか」
「そう。自立しているお兄ちゃんはちゃんと日銭を稼がないといけないんだ」
言ってから失言だったと思った。
初音にとって俺は、たった一人残された肉親だ。
「え?だったらあたしも……」
たった一人しか残されていない家族が、生活費を稼ぐために学校にもいかずに食べていくためのお金を稼ぐためのバイトを続けていかなければならない現実を妹は一体どう受け止めるのだろう。
(……初音。そんな申し訳ないような顔なんてするんじゃない。お前は何も悪くないんだ)
まして、自分は病気で二年間もずっと入院中の身。
そして学校に行ってみたいとまで言っている。
優しい初音のことだ。本当なら自分も学校なんていかずにアルバイトでもしてお金を稼ぐ必要があると思っていてもおかしくはない。
でも、初音は根本的なことを勘違いしている。
確かに生きていくためのお金をバイトで稼いでいく必要があるのは事実だ。
だけど、それは俺が学校に行かないこととは何の関係もない。
仕事の都合上昼間はどうしても働かなければいけなかったとしても、方法が全くないわけでもないのだ。
本当に勉強がしたいのなら、高校は夜間学校にでも行けばいい。
本気で勉強する気があるのなら、奨学金でももらえばいい。
本当に学校に行っていろいろと学びたいとさえ思えていれば、いくらでも手はあったはずなのだ。
でもこんな情けないことを初音の前で口に出すことなんてできず、
「馬鹿。病人は、病気を治すことが仕事なんだ」
俺は、せいぜいそう口にすることが精一杯であった。
「じゃ、ヘッド消すからな」
「えー」
希望を持っている初音を見ていて思うことがある。
(……俺は一体なんのために生きているのだろう)
自分自身に問いかける。けど、何度考えてもその答えは出てこない。
生きている意味が分からない。生きがいが見つけられない。
他人は一体何を意味がいにして生きているのだろう。何が楽しくて笑って暮らせているのだろう。
スポーツなんて何が楽しくてやっているのだろう。あんなの、無駄に動くだけ動いて疲れるだけじゃないか。体力を使い切ってバイトに支障をきたしたらどうするんだ。まして、ゲームなんて意味が分からない。クリアしてお金でももらえるのなら、やってみる価値はあると思う。けど、お金を払わなければできないものなんて、やる意味もない。友人付き合いなんて最悪だ。どうして金を払ってまで嫌な思いをしなきゃいけないんだ。
本も読まないし映画も見ない。
頭がよくなったところで叶えたい夢も未来もない。だから勉強にも興味ない。
テレビはいつもニュース番組が流れているが、それもただ無音が嫌なだけだ。
特に見たいものがあるわけでもない。
世の中で何が起きていようが関係ない。
そんなもの、自分が関係なければすべて対岸の火事でしかない。
けどど、新聞紙に挟まれたスーパーのチラシを読むことだけには意義を感じられた。
より安いスーパーで食材を調達する。
俺の稼ぎで生きていくためにはどうしても必要なことだった。
(……それにしても、必要に迫られて始めただけで自分の意志とは関係ないか)
けれど、これが俺の唯一とも言える暇つぶし。
こうして考えてみると、俺の暮らしにはバイトを暇つぶししかないみたいだ。
炎天下での交通整理。
この上なく不快だが、最低限生きていくための収入を得るには必要なことだった。
部屋代と食費と光熱費。それだけをひたすら稼ぐ。
稼いだ後?そんなことは分からない。やりたいこともないから無駄に使うこともない。
それでも俺は、毎日妹だけには会いに行っていた。
妹は昔から漫画が好きだった。
だから、なけなしの金で漫画雑誌を買って行っていた。
でも俺は漫画にも興味がなかったので、雑誌の名前すらろくに覚えていないのだ。
病院に行く道の途中にある小さな本屋さんに、いつも平積みになっているのを適当に手に取っている。
だから同じ雑誌なのかすらわからない。
もしかしたらいつの間にか違う雑誌を買っていたとしても、俺は気づかないだろう。
けど、
「ありがとう。おにぃちゃん」
妹はいつだって、そういって微笑んでくれた。
生きることに希望を持っているし、きっと生きる意味だって見つけられる。
なのに、なんて皮肉な話なのだろうか。
そんな奴がここ二年、ずっと一人では起きられないまま過ごしているのだ。
(……かわってやれたらいいのに)
俺が妹のもとに毎日通っている理由はきっと、妹への愛情からくるものなんかではないのだろう。
きっとそれは、憐憫の情。
どうせ居なくなるのなら、妹ではなくて自分の方がいいのにという気持ち。
季節は変わり、二学期が始まっても俺の生活は変わらない。
惰性で生きている人間がいるのなら、それはきっと俺のことだろう。
生き甲斐は見つからず、生きる意味も分からない。
どのみち未来はないというのならばと、自殺を考えたことだってある。
でももし、生まれ変わったとしても。
今よりもっとひどい人生の人間として生まれ変わる可能性だってある。
例えば犯罪者。
強盗。殺人。誘拐。麻薬。今の時代なら何でもある。
犯罪が凶悪化し、武偵とかいう銃を持つことを許された連中が平然とこの日本に制度として導入されているような世の中なのだ。金がないからといって安直に犯罪に走るような連中は年々増加しているというデータまでニューズ番組でやっているぐらいなのだ。
(……けど、あんな風にはなりたくないな)
俺は人間としては底辺から数えた方が早い人間には間違いない。
それでも、下には下がいる。
人に興味がないけれど、それでも人に迷惑はかけたくないのだ。それが人としての最低限の矜持だ。
そう考えると、今の人生を終わらせるのはもうちょっと先でいいかなという結論に行きつくのだ。
夏の炎天下もそうだが、冬のバイトは一層つらくなる。
寒さで指先がかじかんで、指が裂けそうになる。それでも生きるために働き続ける。
バイトをつらいと思ってはなんでこんなことをしているのかと自分に問い、生きていくためには仕方ないという当たり前の結論に毎度のように疑問を持つ羽目になる。
(生きる?いったい何のために?こんなただ飯食って寝てるだけの人間が一体何のために?)
考えたら、バイトすらやめてしまいたくなるから、深く考えることはやめにした。
いつもの交通整理のバイトが終わり、割引品を求めてスーパーに入ると音楽流れていた。
カップ麺をかごに詰め込んでいる間も、それは途切れることなく続いている。
それがクリスマスソングであることに気づいたのは、スーパーの一角にあるポスターが張られていたのを目にしたからだ。
遊園地ハートランド!クリスマス限定特別イルミネーション実施!
イルミネーションで、最高のをSatisfactionを貴方に。
「あぁそうか。もうじきクリスマスなのか」
学校に行っていない俺にとっては、季節の感覚なんて感じない。
最初に消えたのは曜日の感覚だ。休みなんてない以上、毎日何も変わらない。
今日は暑かった。今日は寒かった。今日は風が強かった。今日は不幸にも土砂降りだった。
そんな毎日の様子ぐらいは分かるものの、夏とか冬なんてものはいつの間にか突入しているものになっていた。
よくよく見渡してみると、クリスマスケーキ予約受付中!と書かれた広告だってたくさんある。この広告を見ていると、自然とため息が出てきてしまう。どうしてかは分からない。クリスマスなんていう一大イベントにすら無関心になっていた自分に対してか、そもそも広告はずっと前から張られているはずなのに気づきもしなかったことに対してか。それでも単に、幸せそうにケーキを予約するような人たちへの嫉妬だろうか。
(今の俺には、せいぜいカップラーメンがご馳走だというのに)
俺が贅沢をしようとしても、外食をするなんて発想はない。
せいぜいいつもの安売りカップ麺『
「そうだ。クリスマスを、初音にとって特別な日にしてやろう」
でも。せっかくだから初音にくらいはいい思いをさせてやってもいいんじゃないか。
俺はふとそう思った。
先生と相談して、少しだけでも外に出られるようにしてもらおう。
あいつは歩けないから、車いすだって用意する必要があるだろうか。
(いや、車いすなんていらないか。あいつ一人くらいだったら、いくらでもおぶってやろう)
それから、好きなお店で好きなものでも買ってあげよう。
だったらもっと稼がないとダメだ。今の収入はご飯を食べられる程度の最低限度のもの。
今のままでも十分かもしれないが、蓄えがあるのこしたことはない。
「よう」
「何かあったの。おにぃちゃんの方が元気だよ」
「そりゃ、俺は病人じゃないからな。元気で当たり前だ」
「へんなの」
なかなか切り出せないでいると、初音は言った。
「あれ、みて」
初音が指さした先にあったのは、クレオンで書かれたサンタクロースとトナカイとおぼしき絵。
「浜田さんちのたかしくんがあたしのためにつくってくれたんだよ」
「そっか、もうじきクリスマスだもんな」
「そうだよ。おにぃちゃんは興味がないだろうけど」
「なくはないよ」
「ほんと」
無関心だと思われていることは否定できない。事実、初音のお見舞いに来てくれたのであろう浜田さんちのたかしくんというのが誰なのか分からない。たぶん、ご近所あたりだとは思うのだが、心当たりすらまるでない。でも、今回はクリスマスに関しては違った。
「なぁ、クリスマス。もし出かけられるなら、どこに行きたい?」
「街の大通り!」
俺としては結構勇気をだして聞いたつもりだったのに、即答されたのはどーでもいい場所だった。
「あんなとこでいいのか?」
「だってねぇ、全部の木に電飾がつくんだよ。知ってる?」
「いや、俺クリスマスにあんなとこいかねえし」
「すっごくきれいなんだって、去年からそうなったんだってさとこちゃんが言ってた」
もちろん、さとこちゃんというのが誰なのかもわからない。別に俺という人間が本質から変わったわけでも何でもないのだ。無関心で、他人のことなんてどうでもいいと思っていることには今までと何ら変わりないのだろう。
けど、変化はあった。バイトの掛け持ちを始めたのだ。
バイト先は、遊園地ハートランドのポスターを見たスーパーマーケット。
俺にクリスマスが近づいていると教えてくれた広告がある場所でもあった。
最初は慣れない仕事で、失敗の連続だった。
棚卸中に、みかんの箱を足をひっかけて倒してしまったりもした。
「音無君!何してるの!」
「すいません!今片付けます!」
失敗してはチーフのおばちゃんに怒鳴られて、くじけそうになった時はポスターを見る。
するとどうしてか、もうちょっと頑張ってみようと思えてきた。
クリスマスの特集をやっていたので、本屋でしゃれた雑誌を購入してみたりもした。
家に帰ると、クリスマスまでにたまるお金の換算をするのが日課になっていた。
何回数えたところで金額が変わるわけでもなく、いつも数えているせいで金額なんて数える前に分かってしまうはずなのにやめられない。
朝から晩まで働き続けて、家では寝るだけの生活。
その事実は今までと全く変わらないはずなのに、どうしてか心が躍る。
理由は考えないことにした。せっかく目標ができたなら、いまはそのことだけを考え居ればいい。
けど、唯一心配することもできてしまった。初音の容体が悪くなっていることだった。
「これでいっぱいしゃべれるね。どれだけいっぱいしゃべっても、迷惑にならないもんね」
初音は個室へと移されたときにはそんな風に笑ってはいたものの、初音の鼻と口はプラスティックのマスクで覆われてしまっている。これではとてもじゃないが、外になんて出歩くことなんてできないだろう。
「……君は一体何を考えているのかね?」
初音をクリスマスの日に外に連れ出したい。それまで何とか回復する見込みがあるのかと先生に尋ねてみたら、そんな返答が返ってきた。
「絶対安静の意味を君は理解してないのか?そんなことをしたら、あの子は死ぬかもしれないんだぞ。ただでさえ外の空気が冷たく、急な環境の変化に身体が適応できるとはとても思えない」
「ちょっとだけでもいいんです!」
「音無君。そもそもどうして入院なんてことをするのか君は分かっていないのか?それは、私たち医師が、看護師が、患者さんたちの身に何か起こった時、いつでもすぐに駆けつけられるようするためだ!病院なら設備もあるし、いつだって対応できる!いつだって診てやれる!」
「じゃあ、いつならいいっていうんですか」
「もちろん。それは元気になって退院したときに決まっている。元気になったら、君がどこにだって連れて行ってやればいい」
「……退院?ここ二年間ずっとよくならなかったのにですか。そんな日がくると思っているのですか」
ちょっとだけもいいから連れ出したい。先生からみたら愚かな行為でしかないのだろう。
俺だってそう思う。
もし、病室から連れ出した先で初音が倒れてしまったら。
俺にはどうすることもできないだろう。大丈夫か、と情けなく叫ぶことになるのが関の山だ。
「……初音はここ二年、病室からの景色だってまともに見たことがないんです。このままじゃ、あいつはあの病室で一生を終えることになるかもしれない」
「家族なら、家族が死ぬことを前提にしたようなことを言うもんじゃない!」
「……失言でした。申し訳ありません」
取りつく島すらない。当然だ。
正しいのは先生で、間違っているのは俺だ。そんなことぐらいは分かっている。
無理を言っているのだって理解している。それでも俺はあきらめることができなかった。
初音が元気になってくれるなら、これ以上のハッピーエンドはない。
今年のクリスマスは見送ることになったとしても、クリスマスなんて単なるイベントだ。
一年たてばまたやってくる。もっときれいな場所にだって連れて行ってやれるかもしれない。
(でも、一年先は遠すぎるんだよ)
けれど。俺には一年後がどうなっているか想像することができなかった。
元気になった初音と一緒に、クリスマスを迎える未来を想像することができなかった。
初音は自力で起き上がることだってできない。もう、呼吸だって機械がないとつらそうだ。
どうしたらいいか分からず、初音の病室に行き、定位置となった椅子に腰かける。
「ねぇ、おにぃちゃん」
「えっと、その、なんだ。いつか、俺と一緒にクリスマスのイルミネーションを見に行こうな」
結局、俺は無理やりにでも連れ出すことはやめることにした。
今までの苦労がすべて無駄になったのかもしれないが、そうだとしても別にいい。
初音が元気になってくれるなら、それくらいの我慢は苦痛でも何でもない。
そんな未来があるとは思えなくても、自分にそう言い聞かせた。
それが正しいのだ。初音のためなのだと。なのに、
「今、行きたい」
初音は言う。それは俺の決意を一瞬で崩れさせるものだった。
「今見ておかないと、私はもう見れない気がする」
「そんなこと言わないでくれ。お前が元気になるんだ。俺が楽しいと思えなかった学校生活だって、お前ならきっと心から楽しめる場所になる。お前には未来があふれているんだ」
――――――――俺と違って。
それはきっと俺の願望でもあった。
初音は元気になる。元気にならなければならない。友達だって一杯作るんだ。
笑顔で学校生活を送るんだ。そして、生きていてよかったと思ってもらうんだ。
そうじゃないと、そうじゃないと、
(―――――あまりにも理不尽じゃないか、神様……ッ!!)
高校にも通っていない。生きがいだって持っていない。友達だっていない。楽しいと思えることなんてない。俺がそんな風になってしまったのは他の誰でもない俺のせいだ。けど初音は違う。初音は何も悪いことなんてしていない。未来にだって希望をもっている。なのに、どうして病気で蝕まれているのが初音で、俺はのうのうと生きているのだろう。これが理不尽だって思うのは、初音が元気になってくれるとは心から思えていないことの裏返し。初音はこのまま病室で息を引き取ってしまう。そんな未来が見えていたからだ。だったらせめて、どのみち死んでしまうのなら、
「初音……じゃあクリスマスの日に、俺と一緒にイルミネーションでも見に行くか」
間違ったことをしていると理解しているのに、言ってしまった。
初音は一瞬こそ驚いたようであるが、
「うん。ありがとう、おにぃちゃん」
漫画を買っきてやった時にだって見たことのないような、今までで一番うれしそうに微笑んでくれた。
病気で息を吐くことだって苦しそうなのに、心の底から笑顔は見ていればすぐ分かる。
(……そんな笑顔をしないでくれよ)
「じゃあ、クリスマスの日だぞ。お前はそれまでにしっかり休んで、元気になっておくんだぞ」
「うん。ありがとう。おにぃちゃん」
このときの俺はどういう顔をしていたのか分からない。
部屋の扉についているガラスに、人目を気にしないほどぼさぼさに伸びた自分の髪が映る。
(はは。ひっでぇ面だ)
初音に喜んでもらいたい。そう思って始めたことなのに、どうしてこんなにも悲しい気持ちになるのだろう。病室を出ると、初音の担当の先生が待ち構えていた。
「先生。俺は……」
先生はきっと俺を止める。初音の外出を許可するわけもない。けど、それでいい。先生は悪くない。
クリスマスの日になったら、俺が勝手に初音を病室から連れ出す。
幸い初音の病室は一回にある。面会時間が終わった後、忍び込んで窓からでも連れ出せばいい。
ここはあきらめたふりをしてでもやり過ごす。
(たとえ、それが初音にとって、最後の思い出になったとしてもッ!)
もう心は決まった。ここで何を言われようが構わない。
何を言われても俺の本心が隠し通してやる。
そう思っていたが、先生が言ったのは俺を責める言葉ではなかった。
「音無君。私は医師をやっていて、いろんな患者を診てきた。病院でただ生かされているくらいなら死んだ方がいいって言った人だっていた。死ぬ前に最後の思い出が欲しいと言いだすだって珍しいことじゃない」
「先生?」
「これは独り言だ。聞かないでくれていい。一人の医師としては、とてもじゃないが勧めることができないことを言う」
そんなことを言いながら、先生は一枚のチラシを渡してくれた。その紙は特別な書類というわけなかった。俺の家のポストにも入っていたものであり、ここしばらくは毎日目にしているものでもあった。その広告に書かれていたのは、
「ハートランド!?」
遊園地ハートランド。俺がクリスマスに何かしようと思うきっかけとなった広告だった。
「音無君。ハートランドについて聞いたことはあるかね?」
「……特に、これといったことは」
「ハートランドは広告にもある通り遊園地であるが、経営してるのは仲村グループという大企業なんだ」
「仲村グループ?」
「仲村グループは昔からレジャー企業として名を馳せていたが、数年前に社長のご子息にある不幸な事件が起こり、ちょっと前から武偵部門も設立されたと聞いている。つまり、武偵と連携している遊園地となったともいえる」
武偵。犯罪が凶悪化する現代に対応するために生まれた、武力を持った探偵だと聞いたことがある。
けど、今まで事件なんて身近に起きるとは考えたこともない俺には先生の言いたいことが理解できなかった。
「先生。それはいったいどういう」
「つまり、ハートランドの武偵を雇うことができれば、何かあったとしてもすぐに仲村グループの施設の病院に行くことができる」
「じゃあ、」
「私は勧めることができない。だが、私は君みたいな人だってたくさん見てきた。医師として間違ったことをしていることは俺は言えない。だから、これは単なる独り言として忘れてくれ。じゃあな」
先生は言うだけいうと去っていく。
先生がいなくなってからもずっと、俺はハートランドの広告を眺めていた。
(……ハートランド。これは偶然なのか?)
初音に何かしてやろうと思えたきっかけも、今初音の希望をかなえてやろうとしているための道を示してくれたのも、どちらもハートランドの広告だ。まるでハートランドが、自分たちに来いと言っているかのように思えてしまった。何か数奇なめぐり合わせを感じずにいはいられない。
「これは行けってことなのか?運命が俺たちを導こうとでもしているのか?」
遊園地ハートランド。
この場所が自分にとってすべての始まりともいえる場所になることを、このときの俺はまだ知らない。
音無さん、何気にこっちが初登場のような気がします。名前出たのも初めてかな?
SSSメンバーズは本編でも近いうちに全員登場させたいと思っているんですけどねー!
あいつら、戦線会議以降の一勢力としては申し分ない力はあると思ってますし。
理樹も音無さんも結構暗い話となったので、次は前向きに生きている人を書いてみたいと思います。