世界の中心で愛を叫んだ十六才   作:荒地

1 / 4
急襲/少女 -1

 十六歳の夏、それは俺が箪笥に引きこもり始めてから三年目の夏だった。引きこもり始めた理由はもう霞となってしまってさだかじゃない。箪笥に逃げ込んでいる理由だけは覚えている。指でなぞる木目とか、鼻孔をくすぐる木の香りとか、そういったものが体を包み込んでくれるようで、心地よかったからというだけだ。せまい木の引き出しの底を外して、居住スペースを作り、内側に鍵をかけて外から引き開けられないようにして、布団を敷き詰め、電球をつけ、コンセントから延長コードで電源を引き込み、ノートパソコンを膝に抱え、すごしている。

 昨日は、ネットでショートショートを読んでいた。キャラクターが、男とか女とか兄とか妹とか、そういう象徴に単純化された脚本形式の会話劇。いろんな形で、何組もの男女が結ばれていく。よほど捻くれた文章でなければ、行き着く先はカタルシスのハッピーエンドだ。少し長いのを三篇、夜が明けるまで読みふけっていたおかげで、ひたすらに眠い。体がだるい。腹が減っている。母は俺を一人で養っている。引きこもったことについて一切とがめないが、飯を部屋の前まで運んでくれることはない。俺は腹に何かしら詰め込むために、しばらく箪笥を留守にすることを決めた。

 二階の自室から、階下の居間まで降りるとき、電話の音が聞こえた。母がしゃべっている。相手は、おそらく担任だ。新しい俺のクラスの担任は新米の熱血教師で、性懲りもなく俺の説得を試みているらしい。会ったことすらない。電話はその一環とのことだ。冷凍庫に収まっている食パンを一斤、トーストする。マーガリンを塗って食し、皿を洗い、帰途につく。そのとき、母とちらと目があった。

「おはようは?」

「電話してたから」

 淡白に会話したのち、鍵まで閉めた箪笥の中でまどろむ。吸血鬼みたいだと思った。日は昇り、まぶたは落ちていく。

 しばらく経って(と想像する)ひどい揺れに起こされた。頭にもやがかかったままでも、異様な音が耳孔をえぐる。内鍵がガチャガチャやかましい音を立て、必死に、壊れまいと踏ん張っている。電球が頭の上でユラユラしている。箪笥の壁に打ちつけたパソコン収納用の布地のポケットが、嫌な音を立ててはがれていく。男の声がする。「あかねえ」とか何とか言っている。知らない声だった。眠気と血の気が引いた。体がこわばって動けなくなった。木棺の中でひたすら震えていると、揺れがおさまった。代わりに部屋中をひっくりかえしているような音が聞こえてきた。物盗りか。やばい。母はもう仕事か。時計を見る余裕がない。見つかったなら殺されるような気がしていた。音が止んで、それから一つ溜息が聞こえて、足音が部屋の内から外へ出て行く。ひとまず助かった。自然と息が漏れ、慌てて口をふさいだ。

 じゅうぶん時間を置いてから、電球をつけた。時計を確認する。十時二十六分。まだ男が家にいる可能性を仮定して、さらに三十分、時計の針を睨み続けた。五十七分。まだかすかに震える手で、鍵を外し、箪笥の側壁をゆっくりと押して顔を出す。首を動かして辺りを伺う。そのとき、自分の部屋のドアをうっすら開けて、こっちを覗き込む男と目があった。顔の半分を覆う長髪の奥の目。ひどく痩せこけていて、目はギョロリと光る。きたならしい無精髭に覆われて、キイイと歪む口元。笑っている。

「出てきたか」

 さっき聞こえた男の声だ。ずっと待たれていた。男は物盗りではなかった。俺が狙われていた。男がドアを開け放って、部屋の中へ入ってくる。どんどん近づいてくる。手にアーミーナイフが握られているのに気づいた。これから殺されるのだと分かった。体が固まった。震えが止まらない。もう逃げられない。死ぬ。男が目の前に立ち、箪笥のふちに手をかけた。腰を折って、真上から俺を覗いて、ニタニタ笑っている。右手を掲げ、ナイフの狙いをつける。見上げる俺の目に、ナイフが映る。いよいよ終わりが眼前にせまる。まわりの物事が見えなくなる。音が聞こえなくなる。心臓の音だけがやたらと研ぎ澄まされていく。脈が生を強調する。まだ生きていたいと、思った。そのとき、何か、体に触れるものがあった。

「待った」

 鈴のような声だった。灰色の静寂を、リンとしたひびきが打つ。振り下ろされたナイフが、目の前でぴたりと止まった。何か、見えない壁に阻まれているかのように、ぶるぶると震えている。男の眉根が寄って、瞬く間に憤怒の形相へと変わった。

「先輩、迎えに来ましたよ」

 先輩と呼ばれ、振り向いた。箪笥の底が不自然な暗闇で覆われている。その奥から、女の子が、ずずずと浮き上がってくる。ふっくらした唇、少しタレ目の女の子。長い黒髪が背中から垂れ下がっている。三年前は俺にもなじみがあった、同じ中学校のセーラー服に身を包んでいる。一瞬前の緊張感を打ち消すような愛らしい、不敵な笑み。彼女のその白い手が俺の体に触れる。こわばるこの体を優しく抱きしめて、「大丈夫です」目の前でささやいて、にっこり微笑んで見せた。かわいいと思った。

 




どうもこんばんは、荒地の自称鬼才こと九千円です。
2000文字を目安に書いていきます。更新頻度はなるたけ早めを目指したい、一週間以内にはせめてあげられるようにがんばります。がんばります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。