東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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5月18日 目まぐるしい日々

 

 毎朝恒例のSHRは九重先生の「おはよう」で始まる。出席確認の他には連絡書の配布や伝達事項の説明の後、キリの良いところで柊さんの「起立、礼」と予鈴が重なるのが常だ。配布物や伝達事項が多い日は早めに教室に来てくれるし、逆に少ない時は小話なんかを挟んで時間を調節する辺り、流石は九重先生といったところだろう。5月18日の月曜日の朝は、どちらかと言えば前者だった。

 

「提出期限は来週末の金曜日になります。各自しっかりと内容を確認して、私に提出してね。分からないことは聞いてくれて構わないから、早めに質問すること。みんな、いい?」

 

 手元の配布物に視線を落としながら、私を含めたみんなが答える。用紙の上部冒頭には『進路希望調査』の六文字が太字で記されていた。周囲を見渡すと、誰もが新鮮な反応を示しており、転入生である私だけが初めてという訳ではないことが窺い知れた。とりわけ伊吹君は困り顔を浮かべていて、唇と鼻の間にシャープペンを挟みながら言った。

 

「進路調査ねえ。まだ二年になったばっかだってのに、少し気が早過ぎじゃねえか?」

「そうでもねえだろ。去年も面談で色々聞かれたし、先生達も生徒の志望先を把握しときたいんだろうぜ。って、この間トワ姉が言ってた」

「そのノリで定期テストの問題も聞いといてくれると助かるんだけどな」

「おう。チズルちゃんにそう言っとくわ」

「おい」

 

 調査票と言っても内容はざっくりしていて、まずは進学と就職のどちらを希望なのか。より具体的な進学先や希望職種がある生徒はそれを記入するよう欄が設けられているものの、始めの二択を選ぶだけでもよいと記されている。時坂君が言うように、大まかに把握しておきたいということなのだろう。

 とはいえ適当に空欄を埋めればいいという物でもない。夏が終わり二学期が始まれば選択科目も増えるし、私達はあっという間に三年間の高校生活を折り返す。調査票からは『もう二年生になったのだから真剣に考えるように』という教員側からのメッセージを読み取ることができた。

 

(ら、来週までに書かないといけないんだ)

 

 さてどうしたものかと眉間に皺を寄せていると、九重先生は私達を見渡してから一旦話を区切り、名指しをして言った。

 

「それと、柊さんと遠藤さん。昼休みに時間があったら、私の所に来て貰えないかな」

 

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 昼食を取った後、私と柊さんは一緒に職員室を訪ね、九重先生のデスクへと向かった。九重先生は普段からお弁当を持参しているらしく、整理整頓された机の上でお弁当を食べ終えたところだった。

 

「三者面談・・・・・・ですか?」

「うん。実は先週末の会議で、私も初めて聞かされたんだ」

 

 九重先生によれば、杜宮学園では年に一度だけ、クラス担任と生徒、そして保護者を交えた三者面談が行われている。時期は夏休みに入る直前で、面談の内容は成績や普段の生活態度、進路や就職先の相談といったように、一般的な三者面談に準じる物だった。

 但し、私や柊さんのような生徒に限って、例外と言える取り決めがあった。

 

「それとは別で、転入生や編入生とは面談を実施する決まりがあってね。杜宮学園に移ってから支障無く学生生活を送れているかどうかとか、その辺りの確認も含めての面談なんだ」

 

 成程。今の話だと、二年B組の該当者は帰国子女である柊さん、4月の下旬に転入した私の二名。日頃から九重先生は気さくに話し掛けてくれているけど、決まり事となると改めて面談の場を設ける必要があるのだろう。

 でも三者面談の面子は九重先生と私達、そしてそれぞれの保護者。私にとっては当然お母さんになるけど―――今のお母さんにお願いするのは、正直に言って心苦しい。そんな私の心境が伝わったのか、九重先生は先回りをして言った。

 

「二人の事情は私も把握してるよ。保護者って言っても、ご両親じゃなくてもいいみたい」

「あれ、そうなんですか?」

 

 お母さんは今月の初旬から心療内科に通っている。杜宮に来た頃のお母さんは引っ越しを手伝ってくれたり、一緒に学園へ挨拶に来たりしていたけど、最近は心の病が重くなっていた。平穏な日常ではあっても、多くを失ってしまったお母さんにとっては違う。症状が悪い時は家から一歩も出られないこともあると、祖父母から聞いている。時間が必要だし、少なくとも今のお母さんに三者面談をお願いするなんて真似は、私にはできそうにない。

 

「えーと。なら、誰にお願いすればいいんですか?」

「他のご家族や親戚とか、親しい間柄の社会人とかかなぁ。二人はどう?思い当たる人はいそう?」

 

 どうだろう。正直なところ祖父母とは接点が少ないし、真っ先に思い浮かんだのはタマキさんぐらいか。あの人ならノリノリで引き受けてくれそうだけど、こればっかりは聞いてみないと何とも言えない。

 私の隣では柊さんも同じような表情を浮かべていて、柊さんは私が聞き忘れていた肝心な点を九重先生に投げ掛けた。

 

「現段階では、何とも。ちなみに面談はいつ行うんですか?」

「それなんだけど・・・・・・来週の平日で、お願いできないかな」

「ら、来週ですか?」

 

 思いの外早かった。というか、早過ぎる。九重先生はひどく申し訳なさそうな様子で続けた。

 

「さっきも言ったけど、私も先週末に初めて聞いたことでね。本来なら転入して一ヶ月以内に行わなきゃいけないんだ。柊さんはもう一ヶ月以上経ってるし、遠藤さんもそろそろだから・・・・・・ほ、本当にごめんね」

 

 頭を深々と下げて謝意を示す九重先生。いくら優秀とは言っても、着任して早々では学園の規則の全てを把握できる筈も無い。寧ろ今回の場合は九重先生も被害者の一人なのかもしれない。確かに急な話ではあるけど、文句は言えないか。こうも頭を下げられてはこちらが申し訳ない。

 ともあれ規則なら仕方ない。九重先生の面目を保つ為にも、すぐに動いてみよう。柊さんも同様の想いを抱いていたようで、私達は快く三者面談を受け入れ、職員室を後にした。

 

______________________________________

 

 職員室から教室に戻る道すがら、私と柊さんはお互いの心当たりに触れながら歩を進めていた。

 

「昨日カラオケに来ていた女性よね。確かに叔母なら適任じゃないかしら」

「はい。というより、他に頼めそうな人がいないので。柊さんはどうですか?」

「まあ、何人かいるわ。今日のうちにお願いするつもりよ」

 

 複数人いるというだけでも羨ましい。保護者代わりに選ぶぐらいだから、それなりに交流がある人間に違いない。どんな人なのだろう。

 

(そういえば、柊さんも一人暮らしなんだ)

 

 今更になって、柊さんと私の共通点を比較する。

 柊さんは杜宮学園へ転入すると同時に、レンガ小路にあるカフェの二階で下宿を始めた。杜宮には単身越してきたから、私と同じで三者面談に立ち会って貰う人間を探している。ちなみに帰国前はご家族の都合とかで数年間米国で暮らしていて、その影響で日本での生活には馴染みが薄い。

 

(あとは・・・・・・あれ、それだけ?)

 

 一人暮らしという共通点は浮かんでも、それだけ。比較する材料が見当たらなかった。

 よくよく考えてみれば、私が柊さんについて知っていることは余り多くない。ご両親がどこで暮らしているのか、何故日本へ帰国することになったのかも詳しく把握していない。こうして会話を交わすことは日常の一つになりつつある一方で、柊さんは自分自身のことを積極的に語ろうとしないし、私達も聞かないからだ。

 原因の大半はおそらく、『執行者』としての立場。私達の想像を遥かに超えた別世界に住む柊さんと、柊さん個人としての柊アスカ。その線引きが明確でない以上、何気ない一つの問いが、柊さんが抱える何かに触れるかもしれない。そんな躊躇いがあるせいで、変に気を遣ってしまう。

 

「何か聞いてみたい、そんな顔をしているわね」

「え。あ、あの、その」

 

 私の胸中を表情から察した柊さんは、少し困ったような様子で苦笑いをしながら言った。

 

「こういうのはお国柄が出るのかしら。個人差はあると思うけれど、日本人は他人の事情へ踏み入ろうとしない傾向があるのね。日本に帰国して感じたことの一つよ」

「・・・・・・じゃあ、聞いてもいいですか?」

「ごめんなさい。今はできそうにないわ」

 

 私の疑問の内容に触れようともせず、柊さんはできないと言った。その表情は一抹の寂しさと物悲しさを抱かせ、同時に確固たる意志と決意を想わせた。

 とても同年代には映らない。同じ年数を積み上げてきた筈の女子高生が、一体どれ程の物を背負っているというのだろう。やっぱり柊さんは、私の知らない所に立っている。

 

「どうかしたの?」

「いえ、でも・・・・・・そうですよね」

「何のことかしら」

「フフ、何でもありません」

 

 でもそれは、私だって同じだった筈だ。あんな事件が無かったら、私はこの半年間の過去を他人へ語るなんて真似はできなかった。異界化というキッカケを通して私は胸の内を明かし、偶然時坂君らと同じ立ち位置になり、柊さんの協力者という繋がりを持つことができた。何がキッカケになるかなんて、誰にも分からない。

 一つ確かなことは、柊さんは私と同じクラスの委員長で、とっても良い人だということ。裏の世界に住む柊さんがいれば、表の彼女もいる。柊さんの本質に異界化は関係無い。私が柊さんを知りたいと感じている事実の前では、執行者としての立場なんて些末な情報の一つに過ぎないのだと、私は思う。

 

「柊さんは何年か米国で暮らしていたんですよね。日本に帰国してから、何か不便なこととかありましたか?」

「カードが使えるお店が少な過ぎるわね」

「それは一般論ですか?」

「体験談よ。モリミィでも使えないでしょう」

「・・・・・・あの、はい。ごめんなさい」

 

 一つずつ、少しずつ知っていこう。数少ない大切な友人の一人が今、隣にいる。

 

_________________________________________

 

 午後19時半。あっという間に高校生としての一日が過ぎ去り、モリミィのアルバイト店員として働き抜いた私は、休憩室の中でぼんやりと虚空を見詰めながら、明日以降の予定について考えを巡らせていた。

 今日はアパートに戻ったら洗濯物を回収して、明日のゴミ出し予定を確認後、他にも手を付けていない小さなあれやこれやを済ませる。次のバイトは週末だから平日は部活動に集中できるけど、柊さん曰く異界化はいつ何処で発生するか分からない。協力させて欲しいと自分から申し出た以上、常に身構えておく必要がある。それと来週には三者面談があるし、進路希望調査票も提出しないといけない。

 

(い、忙しい)

 

 如何せん放課後は部活動とアルバイトで埋まってしまうのだから、週末にある程度リセットしておかないと後々苦労してしまいそうだ。一人暮らしや杜宮での生活には慣れてきたけど、これから始まるであろう目まぐるしい日々を思うと、意気込む一方で溜め息を付きたくなってしまう。「頑張れ私」としか言いようがない。

 

「わわっ」

 

 携帯の着信音で思考が中断され、現実に引き戻される。ディスプレイに浮かんだタマキさんの名前を見て、要件は察しが付いた。放課後にメールで相談してあった、三者面談のお願いに関することだろう。

 

「はい、アキです」

『おっつー。もうバイト終わった?』

「少し前に。今は休憩中です。あの、メールは見て貰えましたか?」

『そうそう、それ。早い方がいいと思って電話したのよ。ごめん、来週はちょっと無理かも』

「え゛」

 

 予期しない返答の後、タマキさんは来週の予定について教えてくれた。

 来週の頭には関西に住む友人の結婚式に出席することになっていて、月曜日の午前中には移動する必要がある。それだけで関西に向かうのは勿体無いと考えたタマキさんは、割の良い泊まり込みの短期バイトを見つけてあり、既に申し込みを済ませてしまっていた。要するに来週は週末まで関西にいるから、三者面談には出れそうにない。私にとっての唯一の心当たりが消えてしまった瞬間だった。

 

『お父さんとお母さんにも話はしてあるから、他に見つかりそうになかったら二人にお願いすればいいと思うわ。本当にごめんね』

「うぅ・・・・・・わ、分かりました」

 

 肩を落として何とか現実を受け入れ、通話を切る。

 誰が悪いという話ではないけど、どうしてこうなった。噛み合わないにも程がある。祖父母とは付き合いも薄いし頼み辛いものの、いよいよとなったらお願いするしかないか。見つかりませんでした、で九重先生に迷惑を掛ける訳にもいかない。

 ―――ガチャリ。顔をしかめていると後方の扉が開き、その先にはモリミィの店主の姿があった。

 

「ん・・・・・・まだ帰っていなかったのか」

「は、はい。えっと、ハルトさんは休憩ですか?」

「ああ。一服してから種を練る」

 

 清水ハルトさん、年齢はおそらくサラさんと同じ三十代。背丈はあの高幡先輩よりも僅かに上で、体格だって負けてはいない。顔立ちも凄味に満ちていて、良くも悪くもパン屋の主としてはちょっとだけ損をしている気がする。というのが第一印象だったけど、利用客の目には寧ろ好意的に映っていた。

 最近小耳に挟んだ話では、サラさんとハルトさんは好ましくない稼業から足を洗った夫婦として噂されているようだ。当然そんなことはないのだけど、サラさんのバレッタで豪快に逆立てられた髪型やハルトさんの容姿も相まって、変な誤解を生んでしまっていた。その外見とパン屋というギャップが、モリミィが盛況する要因の一つらしい。当の本人達も、敢えて否定せずに放置しているのかもしれない。

 両手に持ったスケジュール手帳越しにちらちらとハルトさんの顔を覗いていると、ハルトさんは私を見ながら口を開いた。

 

「何か厄介事を抱えているのか」

「え・・・・・・わ、分かりますか?」

「まあな。お前は表情に出やすい人間のようだ」

「うっ」

「素直だと言っている。褒め言葉として受け取ればいい」

 

 裏を返せばどうとでも取れてしまう気がするけど、今は置いておこう。

 私は三者面談に関する一通りの経緯について、要約して語った。ハルトさんは腕を組んで座りながら、目を凝らさないと気付かない程度の相槌を打って聞き耳を立てていた。

 

「三者面談もそうですし、進路希望調査票の提出期限も来週なんです。面談の時には、そのことも聞かれると思うんですけど・・・・・・まだ卒業後のこととか、考えたことがなくて」

「まだ二年生に上がったばかりだろう。先のことはこれからゆっくり考えればいい」

「ハルトさんが学生の頃も、こういうのってあったんですよね?」

「ああ。俺は決まって『国防軍入り』と書いていた。今となっては元職場になってしまったがな」

「あ、成程。だからそんなに・・・・・・こ、国防軍!?軍人さんだったんですか!?」

 

 不意に切り出された過去に驚き、咳込んでしまった。

 日本国国防軍。国土防衛を最優先とする一方で、戦略級の反応兵器や軍事衛星、機動艦体を保持する大規模な軍隊。世界的に見ても有数の戦力を備えていると、子供の頃から教わってきた。ハルトさんも一時は軍人として身を置いていた、ということだろうか。

 

「そうか。お前にはまだ言っていなかったな。ついでに言えば、サラも『元教員』だ。あいつは昔から子供が好きでな。俺と会う以前は、中学で教鞭を執っていたらしい」

「せ、先生だったんですか、サラさん・・・・・・驚きました」

 

 元教職員と、元軍人。確かに好ましくない稼業云々は噂に過ぎなかったようだけど、これはこれで意外過ぎる過去だ。でもハルトさんの鍛え抜かれた体格は元軍人と言われれば納得がいくし、サラさんの面倒見の良さもその辺りが関係しているのかもしれない。

 しかしそんな二人が、どういった経緯でパン職人になったのだろう。しかも自営ともなれば事は単純ではない。相当な時間と投資、何より苦労を要した筈だ。私なんかが聞いていいものだろうか。聞き倦ねていると、ハルトさんは天井を仰ぎながら語ってくれた。

 

「質実剛健を地でいくとされる日本国国防軍にも、様々なしがらみがある。中には威張り散らすだけのいけ好かない輩もいる」

「・・・・・・それはどういう意味ですか?」

「上官の理不尽な言動に我慢できなくてな。殴り飛ばした翌日には、防災基地から追い出されていた。あの頃の俺は若過ぎたんだろう」

「は、はぁ」

 

 事情はどうあれ自業自得といったところだろう。居場所と職を失ったハルトさんは半ば自暴自棄になり、流れ着いた先が繁華街にあった一軒の居酒屋。酒で全てを忘れようと足を運んだ居酒屋にいたのが、独特過ぎるヘアースタイルで周囲の目を集めるサラさん。それが二人の出会いだったらしい。

 

「ちょうど生徒に対する体罰問題が取沙汰されていた時期だった。時代にそぐわないサラの振る舞いは、保護者の目には単なる暴力としか映らなかった。あいつも俺と同じだったという訳だ」

「そんなことが・・・・・・でもその後、どうしてベーカリーを選んだんですか?」

「俺達は知らない世界に飛び込みたかったんだ。アキは交鐘区にあるベーカリーカフェ『モルジュ』を知っているか?」

「勿論ですよ。人気店ランキングじゃ殿堂入りするぐらいの有名店ですよね」

 

 ベーカリーの世界に身を置く人間なら、モルジュを知らない訳がない。世界でもトップレベルの腕前を持つ店主オスカーさんと、独特の発想で新鮮味溢れるサンドを生み出すベネットさん。米国からやって来た夫婦が二人三脚で営む超人気店モルジュ。お母さんもよくベネットさんについて語っていたのを覚えている。

 

「サラと恋仲になってまだ間もない頃の話だ。あの店の『ベネットスペシャル』という商品の味に感動を覚えてな。その場の勢いで店名も決めた。『モルジュ』と『杜宮』を捩って『モリミィ』にしようと」

「・・・・・・嘘ですよね?」

「全て事実だが」

 

 結果として誕生したのが、杜宮市の人気ベーカリー店モリミィ。何を隠そう私がお世話になっているここだった。頼むから嘘だと言って欲しかったけど、ハルトさんからは微塵も冗談の程が窺えなかった。

 まるでドラマや小説のような人生だ。波乱万丈は大袈裟にしても、一歩間違えば二人共路頭に迷っていた筈―――なんて言い方は、二人に失礼か。

 それ程の努力を積んできたということなのだろう。パン作りについて素人同然の夫婦が成功を収めた事実を、結果論で語ってはいけない。両親の苦労を幼少の頃から見てきた私だからこそ、ハルトさんとサラさんが歩んできたであろう道のりを理解しなくてはならない。このモリミィには二人の想いが込められている。棚に並ぶ商品達が全てを物語っている。こんなお店でアルバイトができるだなんて、私は幸せ者に違いない。

 

「人生はどう転ぶか分からんということだ。お前も深く考え過ぎない方がいい。俺達を参考にして欲しくはないがな」

「あはは、ですね。ありがとうございます」

「ハル、交替よ」

 

 ハルトさんに頭を下げていると、サラさんが休憩交替を告げながら休憩室へ入って来る。ハルトさんはサラさんと入れ替わりで工房へ向かい、ハルトさんが座っていた椅子にサラさんが腰を下ろした。

 

「随分と盛り上がっていたわね。何を話していたの?」

「お二人の昔話について、少しだけ。サラさんは以前先生をしていたんですね」

「・・・・・・ああもう。レディーの過去を勝手に喋るなっていつも言ってるのに」

 

 サラさんは不機嫌そうに言いながらコック帽を脱ぎ、扉の先に消えたハルトさんを一睨みする。こんな表情のサラさんを見るのも初めてかもしれない。何だか新鮮だ。

 

「あの、お二人はいつ一緒になったのか、聞いてもいいですか?」

「八年前の冬だったかしら。モリミィを立ち上げたのがその四年後よ」

「プロポーズの台詞とかも聞いてみたいです」

「・・・・・・何よ。今日はやけに踏み込んで来るわね」

 

 当時のことを思い出してしまったのか、顔を紅潮させて明後日の方角を見やるサラさん。可愛い。サラさんも満更ではないようで、多少躊躇いながらも、唐突に打ち明けた。

 

「アタシね、子供が産めないの」

「え・・・・・・」

 

 右手で下腹部の辺りを擦りながら、サラさんは言った。

 不妊症。詳しくは知らないけど、先天的な物もあれば、後天的に子を宿せない身体になってしまう女性もいる。女性として、夫婦にとっての一つの幸せが叶わない。頭では分かっていても、理解なんてできない。まだ何も知らない高校生の私には、こんな時に掛けるべき言葉が見つからなかった。

 

「それって、ハルトさんも知ってるんですよね」

「アタシから言ったのよ、プロポーズされた時にね。あいつ何て言ったと思う?」

「・・・・・・何て言ったんですか?」

「何も言わなかったの。代わりに私を抱いてくれたわ。ぎゅーって・・・・・・こら、何笑ってるのよ」

 

 流石はハルトさん。言葉よりも行動で、考えずに感情の赴くまま抱きしめたに違いない。

 微笑ましくて仕方ない。こんな幸せな気持ちになれたのはいつ以来だろう。胸の中が一杯で息苦しさすら覚えてしまう。それに、素直に羨ましいと思える。私もサラさんのように昔話に興じて、顔を赤らめる日が来るのだろうか。来て欲しい、願わくば。

 

「でも流石にね、こうしてお店が繁盛してくれると、考える時があるの」

「考えるって・・・・・・その、先々のこと、ですか?」

「ええ。アキも大体の従業員とは、もう顔を合わせたことがあるでしょう?」

 

 言われてから、モリミィで働く従業員の顔を思い浮かべる。最近になって漸く顔と名前が一致してくれたし、大体の年代も外見から想像できる。サラさんが言いたいのは、このモリミィの将来のことだ。

 三十代のサラさんとハルトさんが切り盛りするモリミィの従業員は、私を除けば全員が二人よりも年代が上。ほぼ全員が家庭を持つ女性で、私なんかは二回りも年下だ。高校生どころか、二十代すら皆無。私一人が浮いてしまっている。今は順調に回せているけど、そろそろ新しい人材を確保しないといけないし、今のうちからもっと先を見据えておかないとやっていけなくなる。何より―――モリミィを継ぐ人間が、何処にもいない。

 

「本当はこの身体が憎い。ハルの前では口が裂けても言えないけど、正直に言うと、辛いのよ」

「・・・・・・何となく、分かります」

 

 モリミィの将来に必須となる、後継者の不在。必ずしも血縁者に限らないとはいえ、サラさんにとっての理想はきっと、愛する我が子にモリミィを託すこと。古臭い考えだと言う人間がいるかもしれないけど、私には分かる。

 お母さんとお父さんはたったの一度だけ、私とお兄ちゃんの将来について触れたことがある。ベーカリーという家業にとらわれず、将来のことは自分自身で決めればいい。両親はそう私達に言い聞かせた。あれが心の底からの本音であったかどうかは別として、『継いで欲しい』という想いは少なからずあった筈だ。私にとっても大切な居場所だった。もう叶わない選択肢だけど、もし存続していたら、私は真剣に考えていたに違いない。

 

「私は・・・・・・す、すみません。何て言ったらいいか」

「どうしてアキがそんな顔をするのよ。アタシの方こそごめん、変な話をしたわ」

「そ、そんな。話してくれてありがとうございます。私、モリミィがもっと好きになれました」

「店名は他店のパクリよ?」

「それでも好きですっ」

 

 店名の由来がどうあれ、その大雑把さも含めてのモリミィだ。見通しも立てずにデリバリーを始めるところも、二人の過去と想いも全部ひっくるめてのモリミィ。アルバイトを始めてまだ一ヶ月と経っていない私にとっても、テニス部と並ぶ大切な居場所の一つ。一切の嘘偽り無く、言い切れる。

 

「だから私は・・・・・・な、何ですか?」

 

 唐突にサラさんの右手が、私の頭部に置かれた。僅かに煙草の匂いがしみ込んだ手はパン職人としては考え物だけど、とても温かく感じられた。

 

「ありがとうを言うのもアタシの方よ。何だか娘ができたみたいだわ」

「っ・・・・・・あの、すごく恥ずかしいんですけど」

「お礼に新商品のサンド案を一つ任せてあげる。『アキスペシャル』で売り出そうかしら」

「え、いいんですか?」

「あら、意外に乗り気なのね。そこまでして貰ったらありがとうじゃ済まないわ」

 

 給料を上げるや報酬といった発想は出てこないようだ。その抜け目の無さもモリミィ成功の一因といったところか。

 しかし商品の開発は一度手掛けてみたいと感じていた。色々な食材を合わせてあれこれ考えたりするのは私にとって日常の一つだし、モリミィは扱う生地の種類が多い分、サンドの可能性はかなり広い。本当に任せてくれるというのなら、元パン屋の娘として腕が鳴る。試作品を自由に食べることができるし―――いや、待て。これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。

 

「うんうん。素人って訳でもないし、一つ任せてみようかしら」

「あ、ありがとうございます。えと、サラさん?代わりにお願いがあるんですけど」

「お願い?」

「はい。来週の平日に、少し付き合って欲しいんです」

 

__________________________________________

 

「・・・・・・困ったわ」

 

 柊アスカは呟き通り、困っていた。困り果てていた。

 面談に立ち会って貰う保護者の代理として、最初に頼ったのが下宿先の主。予てより付き合いのある、父親の元上司にして数少ない民間の協力者の一人。総合的に判断して適任と考えていたのだが、定休日らしい定休日を設けない喫茶店のマスターを担うヤマオカにとって、平日の午後は大切な客人を持て成す書き入れ時。ヤマオカ自身は「店を閉めてでも」と言ってくれたものの、それを心苦しいと感じたアスカは、自ら依頼を引き下げていた。

 その後も空振りは続いた。比較的年代が近い知人である、電気店の窓口兼協力者、ジャンク屋兼天才技師、ドラッグストア販売員兼調合士、以上全員が空振り。一社会人として生活する者からすれば、そもそもが『来週の平日』という条件が急過ぎるのだ。実施日をずらして貰えないかという手段も残ってはいたが、常日頃から多忙を極める担任にも頼み辛い。今日中に目途を付けておきたいと考えていたにも関わらず、とうの昔に陽は暮れて、アスカが歩くレンガ小路では閑古鳥が鳴いていた。

 

「仕方ないわね。明日にでもまた考えればいいわ」

 

 悪いことは続く物だとアスカは考え、向かった先はアンティーク店『ルクルト』。今日のところは保護者代わり探しを切り上げて、残っている要件を済ませてしまおうと、アスカは小洒落た扉を開けた。

 

「あらいらっしゃい。随分と遅いご来店ね」

「こんな時間になってしまい申し訳ありません。依頼の品は入っていますか?」

 

 アスカの言う『依頼の品』は、とある異界由来の素材。ルクルトの主であるユキノは、客が求める物であれば、あらゆるルートを駆使して手に入れる。その大部分は無形の情報ではあるのだが、たとえそれが有形で、異界絡みの物品であっても、ユキノは大抵仕入れてしまう。

 

「ありがとうございます。料金はいつも通り―――」

「それはそうと、随分と困っているようね。若きエースさん?」

 

 しまうのだが、一癖も二癖も三癖もある。それがユキノという女性だった。

 ユキノの企みを察したアスカは努めて平然と振る舞い、腕を組んで答える。

 

「何のことでしょうか。身に覚えがありません」

「そうかしら。とーっても困っているように見えるのだけれど」

「勘違いでしょう。私は何も」

「そう?空振り三振どころか四振目に突入したとばかり」

「全く以って意味が分かりません」

「お姉さんは来週暇になる予感がするのよねえ」

「それが何か?」

「お得意様が困っているならやぶさかではないのよ」

「困っていません」

「本当に?」

「困っていません」

「本当、に?」

「・・・・・・困ってない」

「柊アスカちゃん?」

「ちゃんはやめて」

 

 アスカの幸いは、空振りが四振でストップしたこと。不幸は何かにつけて料金を割り増そうとするユキノが、一枚も二枚も三枚も上をいくということ。ユキノにとってはそのどれもが詮無いことで、単純に「ぐぬぬ」と悔しがるアスカを見て遊んでいただけなのか、素直に折れようとしないアスカへ姉心のような何かを抱いていたのかは、本人のみぞ知るところだった。

 

「当日は『ユキノ姉』と呼べばいいわ」

「変な設定を作らないで下さい」

 

 

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